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舞台 「ヒトラーを画家にする話」 観劇レビュー 2023/09/30


写真引用元:タカハ劇団 公式X(旧Twitter)


写真引用元:タカハ劇団 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「ヒトラーを画家にする話」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:タカハ劇団
脚本・演出:高羽彩
出演:名村辰、芳村宗治郎、渡邉蒼、犬飼直紀、川野快晴、山崎光、柿丸美智恵、結城洋平、重松文、有馬自由、金子清文、異儀田夏葉、砂田桃子
期間:9/28〜10/1(東京)
上演時間:約2時間45分(途中休憩10分を含む)
作品キーワード:差別、世界史、ホロコースト、美大生、芸術、タイムスリップ、青春
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


最近ではアニメ『魔法使いの嫁』の脚本を務めるなどもする高羽彩さんが作演出を担当する演劇プロデュースユニット「タカハ劇団」の演劇作品を初観劇。
「タカハ劇団」は2005年に早稲田大学にて旗揚げ、団体公式HPには「日常に普遍的に存在しているちいさな絶望や、どんな壮絶な状況でも変わることのない人間の些細なあり方、生き方を笑い飛ばしながらすくい取る、リリカルでクールな作風が特徴」と書かれている。
昨年(2022年)には東京芸術劇場が若手劇団に上演の機会を与える提携公演「芸劇eyes」に選出されて今作を上演予定だったが、新型コロナウイルスの影響により延期となり1年2ヶ月ぶりの2023年9月に上演された。

物語は、美大生の斎藤僚太(名村辰)、朝利悠人(芳村宗治郎)、板垣健介(渡邉蒼)の三人が、1908年のウィーンにタイムスリップして、まだ政治家にすらなっていなかったアドルフ・ヒトラー(犬飼直紀)に出会い、彼が独裁者となってユダヤ人を迫害させないように画家にしようとする話である。
多くの方がSNSの感想で投稿されていたように、非常にストーリーテリングの強い作品で、物語性の比重がとても高い作品だったし、終盤はやや冗長に思えたが物語自体はとても面白かった。
アニメの作品の脚本を書かれていると聞いて納得の作風で、今作の物語だったら漫画にも出来そうだし、アニメ化も出来そうな気がした。
だからこそ、この作品を中規模劇場でのストレートプレイ演劇として上演する必然性が個人的にはよく分からなかった。
演劇にするにしても、もっとミュージカル作品のように舞台美術や演出を壮大にして上演した方が、メッセージ性のインパクトや面白さが伝わる類なのではないかという気がした。
物語に登場するスマートフォンの電波の設定は、劇中の台詞だけで伝えるよりも映像的に伝えた方が面白さが増しそうな気がするし、馬車などの描写だけ額縁で演劇として抽象的に表現することに対しても少し違和感を覚えた。

私がこの作品から感じ取ったテーマは、差別と芸術と批評について。差別は当然のことながら、当時のドイツ人たちによるユダヤ人への迫害、つまりホロコーストのことである。
しかしそれだけではなく、当時の女性の社会的地位の低さという観点でも差別が描かれていて、そういった差別が物語に対して登場人物たちを苦しい方向へ向かわせている部分に心動かされた。
私の観劇回には手話で通訳する方もステージ上におり、まるで役者のように演じられていて、聴覚障害の方に対しても優しい舞台作りという点でも差別をしない演劇に感じて素晴らしかった。
また、画家としての苦悩というものがかなり解像度高く描かれているので、芸術に携わっている人が今作を観劇したらきっとグサグサ刺さる内容も多いと思う。
自分の才能を誰かに見出してもらわなければ存在価値を発揮できないという実力主義の残酷さと、権力者の思惑や差別によってもその実力主義は大きく左右されるのだという残酷さも物語として心に刺さったし、今の社会にも通じる部分があると思った。

出演者の平均年齢がとても若く、特に主要キャラクターを演じていた俳優さんは今回初めて知った方も多かったが、これからの活躍が楽しみだと思わせるくらい素晴らしい演技力だった。
斎藤僚太役を演じた名村辰さんの正義感溢れる行動は勇ましかったし、アドルフ・ヒトラー役を演じた犬飼直紀さんのあの尖った感じと政治家として野心的に活動していこうと熱くなる感じは、キャラクターとして魅力的だった。
ユダヤ人のアロン・クラウス役の山崎光さんの優しくて優雅な出立も魅力的だった。そしてそんな彼に恋焦がれるシュテファニー・ツァクライス役の重松文さんもとてもハマり役だった。

演劇として気になった箇所はあるものの、観劇中は面白いアニメを観ているような感覚で、贅沢な世界観に没入出来た。
ナチスドイツやハプスブルク家といった20世紀前半の世界史の勉強にもなるし、アニメを観ている感覚で演劇を楽しめると思うので、普段演劇を見慣れない方でも親しみやすい作品だと思う。
多くの方にお勧めしたい作品だった。

写真引用元:ステージナタリー タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」より。(撮影:塚田史香)




【鑑賞動機】

昨年(2022年)7月に上演されるはずだった今作も観劇予定で、公演中止になったときは非常に残念だった。そんな作品が満を持して上演されるということで、迷わず観劇することにした。また「タカハ劇団」の作品を一度も観劇したことなく、毎度評判の団体でもあるので観劇してみたいというのもあった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

大きな風の音と共に、アドルフ・ヒトラー(犬飼直紀)はゆっくりと走っている。周囲には群衆がいる。
明転すると、ここは2023年の現代。斎藤僚太(名村辰)が通っている美大のアトリエ。そこには、僚太の他にここの美大卒のモダンアーティストの藍島稔梨(砂田桃子)と教授の鷲塚朱音(異儀田夏葉)がいた。藍島は、どうやら僚太の才能を見出す目を信頼しているらしく、作品選びを手伝ってもらっていた。一方で僚太は、両親の斎藤東吾(金子清文)や斎藤富貴子(柿丸美智恵)からは画家としての才能がないのだから、家業であるアートキュレーターを引き継いで欲しいと言われていた。もし僚太に才能があったら、すでに誰か才能を見出せる人に見つかって有名になっているはずだと。
アトリエに、僚太の同期の朝利悠人(芳村宗治郎)と板垣健介(渡邉蒼)がやってくる。朝利はプロダクトデザイナーとして活躍していて起業したりしていて、板垣は教職を取って教員になろうとしていた。
その時、教授の鷲塚がタイムマシンを持ってきてやってくる。鷲塚は最近量子物理学に興味があってタイムマシンを作ってみたのだという。タイムマシンを起動させると、僚太のスケッチブックが消えてしまう。これはきっと、スケッチブックがタイムスリップしたのだと言う。そしてそのスケッチブックを追いかけて、僚太、朝利、板垣もタイムマシンでタイムスリップする。

僚太、朝利、板垣がやってきたのは、1908年のウィーン。三人は周囲の世界に驚きながら僚太のスケッチブックを探す。すると、一人の男性が僚太のスケッチブックを持っていた。僚太が話かけて、それは自分のスケッチブックで、中には僚太の絵が描かれていると言うが、確認した所それは僚太のスケッチブックではあったものの、僚太が描いた絵は白紙になっていた。
その男性は、アドルフ・ヒトラーと名乗る。そして、アドルフの友人であるアウグスト・クビツェク(川野快晴)と共にオペラへ行ってしまう。ヒトラーという名前に聞き覚えのあった僚太たちは、早速彼を調べるとナチスドイツの独裁者であることを知り、それ以前は画家を目指していたことも知る。僚太はヒトラーを画家にしようと決意する。
一方、2023年の美大のアトリエでは、鷲塚と藍島のもとへ僚太の父の東吾がやってくる。東吾は僚太を探しており、2時間後に六本木でギャラリーのパーティーをやる予定で僚太にも出席して欲しいと言って去ってしまう。鷲塚たちは、急いで僚太たちを元の世界へ連れ戻さないとと慌てる。

僚太、朝利、板垣は、マリア・ツァクライス(柿丸美智恵)の下宿に宿泊することになる。そこには、マリアの娘のシュテファニー(重松文)もいて家事を手伝っていた。マリアたちは、最初僚太たちを警戒していたが、日本人であることを告げると、日露戦争で勝利した国だと好意的になって迎え入れてくれる。ロシア人のことを皆嫌っているから。
そこへ、アドルフとアウグストがやってきて、マリアの下宿先で泊まることになる。僚太はアドルフの画家としての家庭教師になりたいと申し出る。そして、僚太はアドルフに自分の画力を示し褒められる。
すると、今度はマリアの下宿先にアロン・クラウス(山崎光)というユダヤ人がやってくる。アドルフは、アロンがユダヤ人ということで嫌うが、シュテファニーはアロンに一目惚れしたようである。アロンはここにいる全員分の宿泊代よりも高い金額をマリアに払おうとする。シュテファニーはさらに惚れてしまう。
アドルフは、アロンに絵を描いてみるように指示するが、アロンの絵はたしかに上手くなかった。僚太はアドルフとアロンの二人の画家の家庭教師になる。

夜、僚太たちはスマホでユダヤ人について調べる。すると、アドルフ・ヒトラーがナチスドイツの独裁者になってホロコーストを決行し、ユダヤ人を大量に虐殺したという歴史的事実が判明して驚く。僚太たちは、なんとしてでもアドルフを画家にして独裁者になることを阻止し、世界を平和にしようと決意する。
僚太のスマホに鷲塚と藍島たちから電話がかかってくる。どうやら、1908年の世界と2023年では時間の進み方が異なるようで、2023年の時間の進み方の300倍の速度で1908年の時間は進んでいるようであった。僚太は、2023年の時間軸で2時間後に父のギャラリーのパーティに出席しないといけないので、1908年の時間軸で滞在出来る時間は25日間。僚太は、25日間でアドルフを画家にしないといけなくなった。

僚太は、そこからアドルフとアロンに絵を教え続けた。
ウィーン美術アカデミーには、ワシリー教授(有馬自由)という人物がいた。僚太は、アドルフたちをこのワシリー教授の元に入学させられればホロコーストを避けられるんじゃないかと考えた。
僚太たちは、ワシリー教授に会う。そこでワシリー教授は、アドルフの画家としての才能をイマイチだと思っていたが、ユダヤ人に推薦枠を与えるよりはマシだと考えていた。ワシリー教授が美術大学の推薦枠に推薦出来るのはただ一人、そこにユダヤ人のアロンを入れるよりはアドルフの方が良いので、そのように教育してくれと僚太たちはお願いされる。

ここで幕間に入る。

僚太が夜、何やら紙に絵を描いていた。それをこっそりシュテファニーが拾ってしまうと、そこにはアドルフの青年の姿と、髭を生やしたヒトラーの姿が描かれているのを発見してしまう。
僚太たちは、ワシリー教授に従ってアロンの絵画に難癖をつけようとするが、それはアドルフを画家にする、つまりホロコーストを免れる方向になるかもしれないけれど、ユダヤ人を差別しているような感覚で率先して出来なかった。
マリアの下宿先にワシリー教授が現れる。そしてその前で、マリアの義理の弟であるエルマー・ツァクライス(結城洋平)がアロンの絵画を貶し始める。そしてこれは、ワシリー教授の命令であり僚太たちが全然それをやってくれないから自分が代わりに引き受けているのだと暴露する。ワシリー教授は、アドルフを無理やりウィーン美術アカデミーに進学させようとしていることがバレてしまって、この策略は失敗に終わる。
ワシリー教授とアドルフは二人きりになる。ワシリー教授は、たしかにアドルフにはそこまで画家としての才能はないが、建築の才能はある。それを活かしてこの国をデザインする、つまり政治家になってみないかと声をかける。アドルフは政治家になることに目覚め、どこにどんな建物を建設するかの構想に胸を高鳴らえた。

僚太たちがスマホを触っている所を、シュテファニーに見つかってしまう。そしてシュテファニーは、スマホを触って電源が入って光り輝くことに驚き、僚太たちをスパイなのではないかと疑う。僚太たちは、バレてしまっては仕方ないと思い、シュテファニーには自分たちが何者なのかを話す。自分たちは未来からやってきた日本人で、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を大量虐殺させないように画家にするのだと。
僚太たちは、アウグストからもアドルフが政治家になろうと活動を始めていることを知り、彼が絵を描くことを辞めさせない方法を考える。思いついた案は、リンツのシュテファニーの肖像画をアドルフに描いてもらうように仕向けようとし、作戦を開始する。
シュテファニーは、リンツのシュテファニーから手紙が届き、ぜひアドルフに描いてもらいたいという返事が来たので、行動に起こす。僚太は、政治活動で忙しいアドルフをつかまえて上手く説得して絵画に意識を向けさせようとした。

一方、僚太たちは再び鷲塚たちから電話がかかってくる。タイムスリップ中は絶対に過去を変えないようにして欲しいと。過去を変えてしまうと元に戻れなくなってしまうからと。
僚太たちは、結局アドルフにホロコーストを起こさせないように画家になるように向かわせてしまうと元に戻れなくなるのかと落胆する。スマホの電波は、2023年との通信状況を表していて、アドルフが絵画に夢中になることでその本数は減っていた。
25日間というタイムリミットが残りわずかになった時、マリアの下宿先でマリアからリンツのシュテファニーからの手紙が届いていると伝えられる。随分と高価そうな封筒を開けると、そこにはすでに肖像画を描いてもらう画家は見つかったのでアドルフに描いてもらう必要がないとの手紙だった。やっぱり過去を変える事はできずアドルフは独裁者になるのかと思ったが、僚太たちのスマホの電波は1本になっていた。
何かがアドルフの政治家を阻もうとしているのかと思ったその時、シュテファニーが用事があってとかごを持って出かけようとしていた。怪しいと思った僚太はシュテファニーのかごの中身を出すように指示する。頑なに断ろうとするので、無理やりかごを取り上げると、そこにはナイフが入っていた。シュテファニーは、これからアドルフがユダヤ人を迫害しようとするなら、殺してやりたいと思っていたようであった。僚太たちはシュテファニーのアドルフ殺害を阻止したことで、スマホの電波が4本に戻っていた。

タイムアップで、僚太たちは元の世界へ戻る。
一方、2023年の現代のアトリエでは、若干家具の位置が変わっていたり絵画が飾られる用の額縁が出現したりしていた。
僚太は、父の東吾のギャラリーのパーティーに出席した。そして、そこで僚太はこれからは画家を目指していくことを公言する。東吾も富美子も驚き僚太を叱る。
そして、アトリエから20世紀初頭の未発表の絵画が発見されたと報道する。それは、アロン・クラウスという画家の『本を読む女性』という作品だという。ここで上演は終了する。

タイムスリップもの、そして美大生の物語、1908年のウィーンというアニメでよく登場しそうな物語設定で、観劇中はアニメを観ているかのような感覚で物語に触れていた。
終盤は二転三転あってやや冗長に感じたが、物語は非常に面白くて飽きることはなかった。
ただ、イマイチ今作のテーマがぼんやりとしている感じがして、差別と芸術家としての才能の物語なのだと思うが、差別に関してはもうちょっと特に終盤においてはしっかり描いて欲しかったという印象があった。ラストのユダヤ人のアロンの絵画が発見されたというのは、当時はユダヤ人は迫害されてしまって画家としての才能も見出されない時代だったから歴史から葬られていたということだと思うが、僚太という現代人によって掘り起こされたという結論にしたいのかなと思う。そこはもっとしっかりと描いて欲しかったかなと思う。
また、ラストで僚太が画家を目指したいと心変わりしたのはなぜなのだろうか。1908年にタイムスリップして、アドルフやアロンに絵の描き方を教えているうちに、画家としての職業の素晴らしさに気付かされたのだろうか。100年前のヨーロッパの画家として生きていくことの辛さを痛感して現代の方がマシだと悟ったのか。序盤では、親から才能がないと言われていて画家を目指すという夢を見失っていたと思う。それが変化したのは、もしかしたら画家になれなかったアドルフの意志を継いだのかもしれないなとも思ったが、しっくりくる理由が思い浮かばなかった。

写真引用元:ステージナタリー タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」より。(撮影:塚田史香)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台空間は、1908年のヨーロッパという感じがあって、とても好みな世界観だった。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番について見ていく。

まずは、舞台装置から。
上手から舞台中央にかけて、大きなパネルがセットされていて、そこは2023年の現代の美大のアトリエでもあり、1908年のマリアの下宿でもある。薄汚れたクリーム色の装飾が、1908年のヨーロッパの雰囲気を醸し出している。このパネルは一部横にスライドできるようになっていて、ワイリー教授と僚太が話すシーンでは、パネルがスライドすることで窓になっていた部分の壁がなくなってぽっかりと舞台装置の2階部分が出現することで上演されていた。それ以外にも、ところどころ窓のような四角い穴があって、2023年の鷲塚や藍島と電話するシーンなどに使われていた。
下手側には、その上手側の大きなパネルの2階部分から1階部分を繋ぐ木造の階段があった。この階段も、どこか古めかしさがあってとても舞台空間にハマった質感だった。
あとは、舞台上の至る所に置かれていた木造の椅子や画版も雰囲気があって良かった。
劇場自体に取り付けられている、背後の天井の黒い通路を上手使っていたのも印象的だった。あそこにアドルフが現れると、目線がそっちに行っていた気がした。

次に映像について。
映像は、上手と舞台中央に位置するパネルをスクリーン代わりにして投影していた。映し出される映像は、タイムスリップした僚太たちがスマホでユダヤ人について調べごとをした時の検索結果の、ホロコーストの画像などが映し出されていて、その演出はユダヤ人たちが迫害された無惨さを上手く伝えていて効果的だった。
あとは、「ユダヤ人」とか「エホバの証人」など文字を映像で映し出す効果もインパクト大きかった。スマホで検索しているからというのもあるのかもしれないが、文字にすることで記憶に残りやすくなるし、あとで調べることも可能になるなとも思った。
それ以外にも、紙に描いた絵を映像で表示したり、アドルフの描く町構想を地図のように映像で投影する感じも好きだった。

次に、衣装について。
なんといっても、1908年のウィーンの人々の衣装が好きだった。
特に好きだったのは、アドルフ・ヒトラーのスリーピースベストのような衣装。いかにも当時のエリートという感じがあるし、いずれヒトラーになる人材として相応しい格好で好きだった。ヒトラーって歴史的にはあそこまでユダヤ人を迫害した極悪な人物なのに、ちょっとキャラクター的な可愛らしさを感じるのはなんでなのだろう。
あとは、アロン・クラウスの衣装も好きだった。優しい少年という感じがあって、これぞ20世紀初頭のヨーロッパの市民という感じがあった。
同じく、シュテファニーの衣装も良かった。20世紀初頭のヨーロッパの女性といった感じ。もちろん、当時のヨーロッパではこういった服装が普通だったのだろうが、現代人が見るとファンタジーに思えてくる所が惹かれるポイントなのだと思う。それを演劇としてリアルに見ているからこそ魅力的なのだろうなと思う。

次に舞台照明について。
思った以上に様々な色彩の照明が使われていた印象。特に記憶しているのは、序盤のアドルフがゆっくりと走っているときの薄暗い感じの照明が格好良かったのと、ユダヤ人を追い出そうと市民たちが暴動を起こし始めた時の赤色っぽい照明が印象に残った。
また私の観劇回には、手話の通訳の方もステージ上にいらっしゃったので、通訳者用のスポットライトもあって良かった。

次に舞台音響について。
音楽が凄く好きだった。特に開演する時の明るい感じのメロディが凄く好きだった。この選曲も作風がアニメ的でそちらに寄せている感じがあった。あまり数は多くなかったが、劇途中でも曲が流れるシーンがあって、メロディが好きだった。
あとは効果音が迫力あった。序盤のシーンの風の音も迫力あったし、休憩に入るタイミングの雨の音も良かった。ウマのいななきも20世紀初頭のヨーロッパらしさを感じた。

最後にその他演出について。
額縁を使って、馬車を表したりする演出がしっくりこなかった。あそこだけ演劇的というか、想像力を掻き立てられる演出になっていて、若干中途半端な感じがした。
ただ、1908年と2023年で電話が通じちゃうとか、時間の進み方が全く違うとか、色々無理やりな設定はあったけれどそこに関しては特に違和感を持たなかった。タイムスリップものを導入した段階で、物語は多少ファンタジーになるので。
あとは、ちょいちょい2023年の今を生きる私たちに馴染みのある作品名が登場するのも良かった。例えば、『シンドラーのリスト』とか『ジョジョ・ラビット』とか、そういったホロコーストを題材にした他作品も知る事が出来て鑑賞するきっかけになったら良いと思った。

写真引用元:ステージナタリー タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」より。(撮影:塚田史香)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

非常にキャストの平均年齢は若めで、且つ芸能事務所所属の俳優も多くて普段は映像方面で活躍されている方も多かったからか初めて認知した役者も多く、今後の活躍が楽しみな俳優で溢れていた。
特に印象に残った役者について見ていく。

まずは、主人公の斎藤僚太役を演じた名村辰さん。名村さんの演技を拝見するのは初めて。
キャラクターとしては、画家を目指して美大に入り自分の才能の可能性を信じていたが、両親から大学を卒業するタイミングになっても有名になれないのは、僚太には才能がないからだと言われる。だから家業を継げと。画家として一流として活躍することの難しさを痛感していたように感じた。
そんな中、1908年のウィーンにタイムスリップし、今から100年前のヨーロッパでも、画家が才能を認められて世間に知ってもらう難しさがあり、今の時代以上に差別などもあってそんな状況が難しかったことを痛感させられていたように思う。だから心変わりして画家を目指そうとしたのだろうか。
そんな心境変化を起こした僚太は素晴らしく感じたし、アドルフにホロコーストをさせまいと邁進する正義感みなぎる姿も良かった。
名村さんは、来年(2024年)1月にソロユニット「namu」を旗揚げして下北沢OFF・OFFシアターで公演を行うそう。若手俳優が演劇ユニットを旗揚げして公演を打つ機会が増えているように思うので、応援していきたい。

次に、アドルフ・ヒトラー役を演じた犬飼直紀さん。
まず、あの尖った感じの存在感が格好良かった。アドルフ・ヒトラーは歴史上は極悪人だが、どこかキャラクターに出来そうな一面があって良いなと思う。まだ髭も生やしていないし、軍服も着ていなかったけれど、この人が後のヒトラーになるのかというのは容易に想像出来る。
劇中、徐々にユダヤ人に対して当たりが冷たくなっていく感じもあった。それでも、犬飼さん演じるアドルフには憎めない魅力を感じられるからずるい。
とてもハマり役で好きなキャラクターだった。

次に、ユダヤ人のアロン・クラウス役を演じてた山崎光さん。
アドルフとは打って変わって対照的で、非常に温厚で優しい存在。これならシュテファニーも惚れてしまう理由がよく分かる。非常にあのちょっと見窄らしい感じの衣装がまた似合っていた。
やっぱりアロンが一番目立っていたシーンは登場シーン。マリアに宿泊代として多くを支払う紳士的な姿が印象的で、惚れるシュテファニーも魅力的だった。だからこそ、その後に彼はユダヤ人だからという理由で差別される対象になることに、胸が苦しくなる。
登場した当初では、あまり画力はないように感じられたが、ラストシーンで現代の世の中でアロンの絵画が発見されて話題になる。つまり、これは死んでからアロンは有名になっていくことを示唆する。劇中にもあったように、ピカソもモディリアーニも死んでから画家としての才能を評価された。アロンも生前はユダヤ人というのもあって全く画家として日の目を見ることはなかったが、死んでから評価されたのだから、画家は死ぬまで腕を磨き続ける価値のある仕事なのかもしれない。だからこそ、僚太は画家になると宣言したのかもしれないとも思えた。

若手俳優の中では紅一点だった、シュテファニー・ツァクライス役の重松文さんも素晴らしかった。
重松さんのアロンに夢中になる姿が良かった。俳優としての若若しさを活かしていたようなピュアな演技に惹かれた。
劇中で、度々アロンとすれ違う度に彼をずっと見つめ続ける感じとか、彼と話すごとに胸を踊らせる感じが非常にリアリティあって良かった。

あとは、朝利悠人役の芳村宗治郎さんの、僚太が原石で自分は原石を輝かせるための石にすぎなかったという台詞がとても印象的だったのと、板垣健介役を演じた渡邉蒼さんは非常に可愛らしいキャラでちょっと幼く感じたが、演技に熱がこもっていて素敵だった。今後の活躍が楽しみだった。アウグスト役の川野快晴さんも、物語後半では非常に重要な人物で、ずっとアドルフに従い続けている理由も分かって魅力的なキャラクターだった。
鷲塚教授を演じる異儀田夏葉さんと、モダンアーティストの藍島稔梨役を演じた砂田桃子さんという、小劇場演劇ベテラン俳優コンビも凄く良かった。お二人ともあそこまでポップな演技を観たことがなかったので新鮮だった。

写真引用元:ステージナタリー タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」より。(撮影:塚田史香)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

まず、昨年(2022年)に上演されるはずだった今作が無事今年(2023年)上演されて良かった。俳優だけでなく、かなり若手の広報の方たちを起用しての公演だと聞いていたので、無事上演出来て良かったとつくづく思う。
それだけではなく、今回の上演は観劇サポートが充実している点でも素晴らしいなと感じた。私が観劇した回では、上演中ほとんどのシーンで手話を行う通訳者がまるで一人の演者であるかのようにステージ上で手話をしていた。字幕付きタブレットも配られていたようで、誰にも差別することがないサポートつきの上演で、今作のテーマと結びついている感じもあって良かった。
ここでは、今作を観劇して感じたことについてつらつらと記載していく。

ネットで調べてみたところだが、ヒトラーが政治家になる以前、画家を目指してウィーン美術アカデミーへ進学しようと受験していたというのは史実のようである。しかし2度受けた受験でヒトラーは失敗しているので、画家になることはなく、ヒトラーが描いたとされる絵画も残っていて画家自身の情熱や独創性を感じられるものが少なく、風景画や模写作品ばかりだったらしい。
今作で登場するアドルフ・ヒトラーの人物像は、甚だ史実と相違ないようで、画家を目指していた時期があるがそこまで才能は見出されなかったというのが結論のようである。

ヒトラーはホロコーストによってユダヤ人を大量に虐殺した。それは考えてみればどんでもない人種差別である。
そんな差別が、画家としての才能を見出されるかされないかという部分にも影響していたというのは興味深い。そう考えてみれば、本当に今の時代は良い時代なのかもしれない。たしかに画家のような芸術家は才能を見出してくれる存在がいないと表舞台に登場できないが、差別されてしまったらどんなに才能があっても元も子もない。

劇中印象に残ったのは、ピカソもモディリアーニも死んでから才能を評価されたということ。絵画というのは、描いたその人が亡くなっても残り続ける。だからこそ、後世の人がその絵を見て素晴らしいと感じられれば、死んでから有名になることだってあるのだなと思うと色々考えさせられた。
劇中、アロンもユダヤ人ということで差別され才能を生前は見出されなかったが、僚太のおかげで2023年になって評価された。それまでは、検索してもネットでは出てこなかった。僚太は、ヒトラーを画家にしてホロコーストを辞めさせるという大掛かりな歴史改変は行うことはしなかったが、アロンというユダヤ人画家の才能を2023年の現代で見出したという歴史改変はしたのである。
そう考えると、画家ってたしかにやりがいのある職業なのかもしれない。自分が死んでからでも自分がやったことを評価される時がくるかもしれない。形として成果物が残る職業だからこそ。

また、画家に代表されるような芸術家の批評というものの存在意義についても非常に考えさせられた。
僚太の父の、あまたいる芸術家の中から優れた才能を見出す人、つまり批評家が必要みたいな台詞は刺さった。たしかに日本には、沢山のアーティストが活躍するが、そのアーティストを評価するのはいつだって批評家たちである。近年では、批評というものの存在意義が揺らぎかねないが、真価を見定める目(つまり鑑賞眼)というものはたしかに存在するし、そういう人物がしっかりと社会的に機能しないと芸術は発展しないよなとも思った。

批評というものの難しさって、結論ありきの批判のための批判になりがちだということ。1908年のウィーンでは差別も根強くて、そういう批評は多かったのではないかと思う。だから、常に批評というのは存在意義が揺らぐものなんだとも思う。
鑑賞眼というものは、時代によっても変化するが、そこに社会的な影響というのは上手く分離させることは難しい。近年のアカデミー賞は、黒人が演じたら賞が取れるみたいな風潮もあると聞くが、これこそ本来の批評になっておらず時代の影響を受けているだけにもなっているし難しいと思う。

ナチスドイツの知識だけでなく、芸術とは何か批評とは何かということについても考えさせられたので、観劇して良かったとは思っているし、若いアーティストにこそ見てほしい作品なのかなとも思った。

写真引用元:ステージナタリー タカハ劇団「ヒトラーを画家にする話」より。(撮影:塚田史香)


↓異儀田夏葉さん過去出演作品


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