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舞台 「て」 観劇レビュー 2024/12/26


写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)


写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「て」
劇場:本多劇場
劇団・企画:ハイバイ
作・演出:岩井秀人
出演:大倉孝二、伊勢佳世、田村健太郎、後藤剛範、川上友里、藤谷理子、板垣雄亮、岡本昌也、梅里アーツ、乙木瓜広、岩井秀人、小松和重
公演期間:12/19〜12/29(東京)、1/8〜1/9(富山)、1/18(高知)、2/1〜2/2(兵庫)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:家族、ヒューマンドラマ、考えさせられる、笑える
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


2013年に『ある女』で岸田國士戯曲賞も受賞している劇作家の岩井秀人さん。
そんな岩井さんが主宰する劇団「ハイバイ」の20周年記念公演として上演された「ハイバイ」の代表作である『て』を観劇。
『て』は2008年の初演を含めて5度上演されており、今回は6度目となる上演となっている。
「ハイバイ」の10周年記念公演や15周年記念公演といった節目の年に必ず上演されている今作だが、私自身は今回が初めての観劇となる。
「ハイバイ」の作品は、これまでに『ワレワレのモロモロ2022』(2022年7月)、『再生』(2023年6月)、岩井さん作演出作品はPARCOプロデュースのミュージカル『おとこたち』(2023年3月)を観劇したことがある。

岩井さん自身の家族をモチーフにした今作は、とある現代の家族の日常を描いた物語となっている。
認知症だった祖母の井上菊枝(川上友里)の葬儀から物語は始まる。
長男の太郎(大倉孝二)や次男の次郎(田村健太郎)、長女のよしこ(伊勢佳世)や次女のかなこ(藤谷理子)らは葬儀に出席している。
なぜか次郎の友人の前田(岡本昌也)も参列している。
牧師(板垣雄亮)が葬儀を取り仕切る。
牧師は自分と亡くなった菊枝との関係について語るが、関係性として非常に希薄で参列者たちはみんな首を傾げている。
そこから少し時間が遡って、まだ菊枝が生きていて自宅の寝室で休んでいる所に、次郎や前田が見舞いにやってくるシーンが始まる。
菊枝が弱っているのもあって、今度久しぶりに家族が全員集まることになるのだが、父(後藤剛範)の無責任な言動や長男の太郎の勝手に応接室に自分の私物を持ち込んで好き放題に使っている光景を見て、次郎は怒りを露わにするが...というもの。

今作を観劇していて始めのうちはあまり作品の演出が肌に合わない感触を受けていた。
リアリティある家族の日常を描いていて、祖母の葬儀だったり家族間の分断という割とシリアスな内容を扱っているにも関わらず、演出がコメディで軽い感じになってしまっている点にモヤモヤを感じた。
おそらく重い作品にしたくなくて、そういう演出を取り入れていると思われるのだが、あまり的確な演出には思わずに物語は進んでいった。

しかし物語の後半になって、色々この作品から垣間見られる行間を読み解けて満足度は上がっていった。
それは、同じ家族であっても立場によって家族に対する見え方は違うのだと気がついたことだった。
少しネタバレをしてしまうと、今作は前半は次男の次郎の視点で、後半は母の通子(小松和重)の視点で、認知症の菊枝が亡くなり葬儀に向かうまでの同じ時間軸を2度描く。
そうすることによって、同じ事象が起きていても、どの立場にいるかによって見え方も感じ方も変わってくる。
その違いを演出や配役を変えて表現していたからこそ、今作の面白さに気が付くことが出来た。

家族というのは、同じ光景を目にしているようで、実は全く感じ方が違うんじゃないかなと思った。
菊枝と長い時間を共にした長男の太郎と、末っ子の次女のかなことでは葬儀に対する感情はだいぶ違うと思う。
家族に対する思い入れや憎しみもだいぶ変わってくる。
そういうことに気付かされたことによって、改めて自分の家族についても考えさせられる普遍性のある物語だった。
私も祖父や祖母を亡くして離れ離れで暮らしていた家族が一同に集まるという経験をしたことがあったので、全く違う家族像を持っていたとしても共感出来る点が沢山あった。

そういう感情を引き出した舞台美術や演出も素晴らしかった。
テーブル型の格子のようなシンプルな舞台セットが天井から吊り下がっている舞台装置なのだが、そのセットがシーンによって激しく揺れたりすることによって、家族間の分断や歪みを表現しているようで興味深かった。
次郎が主人公のシーンで後藤剛範さんが、通子が主人公のシーンで岩井秀人さんが父を演じることによって、そもそも父がどう見えているかも家族の立場によって違うよなと考えさせられた。
父がカラオケで熱唱する歌も、同じ楽曲なのに父が自分にとってどう映っているかによって音の聞こえ方盛り上がり方も異なるのは興味深かった。

俳優陣も、「ハイバイ」の20周年記念公演ということで非常に豪華だった。
次男の次郎を演じる田村健太郎さんの激怒する感じ、熱い感じに心を動かされたし、通子役を演じた小松和重さんの小松さんだからこそ演じられる母が面白かった。
コミカルに演じるシーンは違和感なくコメディになるし、シリアスに演じるシーンは違和感なくシリアスになっていて演技力の高さを感じた。

家族に何かを抱えている人がこの作品を観たら間違いなく面食らう作品だと思うが、誰もが家族に何らかの感情を抱いているのも事実なので、間違いなく今作を観劇して共感するシーンがあるはずである。
好みは分かれるかもしれないが多くの人におすすめしたい作品である。

写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)

↓ティザー映像





【鑑賞動機】

岩井秀人さんの創る作品はどれも好きで、岩井さんというと家族をテーマにした作品が多い印象だが、ストレートプレイの家族現代劇として観たことがなかったので観劇しようと思った。
またキャストが豪華だったのも観劇の決め手。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

喪服姿の山田家一同が現れる。長男の太郎(大倉孝二)も、次男の次郎(田村健太郎)も、長女のよしこ(伊勢佳世)も次女のかなこ(藤谷理子)もみんな喪服を着て祖母の葬儀に参列している。もちろん、父(後藤剛範)も母の通子(小松和重)も。よしこには夫の和夫(岩井秀人)もいて葬儀に参列していた。次郎の友人に前田(岡本昌也)という金髪の男もいたが、彼も葬儀に参列していた。
牧師(板垣雄亮)が現れる。牧師は、亡くなった祖母の井上菊枝が、この教会で葬儀を行いたいと言っていたので、その遺言に基づいて執り行っていると言う。菊枝は北海道の小樽出身で牧師自身ともゆかりがあると話している。小樽にある菊枝とゆかりのあるホテルは、ユリゲラーも泊まったことがあって、牧師の友人の知人も聞いたことがあると言っていると。
この時、葬儀に参列している山田家の人々は牧師の話に疑問を感じ始める。そもそも、そのホテルに泊まったのはユリゲラーではなくヘレン・ケラーだし、牧師の友人の知人って縁が遠すぎるではないかと。
葬儀は終了して、山田家の人々は次郎の友人である前田に気を遣う。前田は次郎の祖母は他人でしかないのに葬儀まで付き合わしてしまって申し訳ないと。では、前田はどうして葬儀に参列することになったのか、時間が巻き戻っていく。山田家の人々がステージ上を行き来して転換する。

祖母の菊枝(川上友里)はベッドにいる。そこへ、見舞いに来た次郎と前田がいる。菊枝は認知症のためよく分からない会話をしている。近所の幼稚園の園児たちが、菊枝がそばを通る度に「○」と両手を丸にして挨拶してくれるようである。その後、菊枝はいきなり自分の髪を投げつけたり、まるで若い女性に戻ったかのような発言をしたりする。
次郎はよしこから北海道旅行の土産で、北海道の形をしたぬいぐるみをもらう。どこかスーモのような緑色をした人形でもらって困り果てていた。
菊枝は、「○」という合図にハイテンションだったが、長男の太郎がやってきて、それは一度きりしかなかったと言う。最近、菊枝は一度しか起きたり会ったことない人でも印象に残っていればよく覚えているが、毎日会っていても印象に残っていなければ覚えていないこともあると言う。菊枝はよしこのことは覚えていなかった。毎度菊枝の元にやってきているのに。
次郎は太郎に対して、応接室に自分の私物を置いていることに憤り大声を上げる。応接室を使っているのは祖母であり、まだ祖母は死んだ訳ではないのだぞと。勝手に使うんじゃないと。しかし太郎は次郎の言うことを素直に聞かない。

今日は祖母が住む実家に久しぶりに家族が揃うことになる。祖母の認知症が酷く進行して見舞いに来るのである。
祖母の家には、太郎、次郎、よしこ、かなこ、そして父、母の通子、よしこの夫の和夫、そして次郎の友達の前田である。一同は寿司を食卓に広げて、お酒を飲んだりしていた。祖母は自分の部屋のベッドで一人横になっている。
父が家にあるカラオケで熱唱している。太郎も次郎も父の熱唱するカラオケを聞くことにうんざりしている。かなこは、みんな歌ったのだからかなこも歌いなさいよとよしこに言われる。しかしバンド活動をしていて、気軽に自分が歌っている所を見せたくないかなこは、そんなよしこの嫌がらせを受けて出ていく。
父は、あまりリアクションをしてくれない長男の太郎に対してもっとリアクションしろ、寂しいんだよなどと執拗に言ってくる。それに対して次郎は激怒する。家族をこんな状況にめちゃめちゃにしてしまったのは父のせいだと。太郎が父に口を聞いてくれないのも、全部父がそうさせたのだと言う。
そこへ通子とかなこが部屋に入ってきて、全然系統の違う歌をカラオケで歌おうとするが白けてしまうので出ていく。
そこから次郎と父と太郎でずっとカオスな親子喧嘩をする。
よしこと通子も訳も分からず泣きながら語り合っている。和夫や前田は部屋から撤退することになる。前田は帰宅するらしく、日本酒やらをお土産に持たせて帰らせる。みんなが片付けをして撤退した直後、菊枝は息を引き取る。

二人の葬儀屋(梅里アーツ、乙木瓜広)が棺桶を運んでいる。山田家の自宅に向かう所のようである。一人の葬儀屋は、もう一人の葬儀屋が度々地面に棺桶を置いてしまうので、小言を言いながら持ち運んでいる。そしてようやっと、二人の葬儀屋は棺桶を運んで山田家の自宅までやってきた。
そこから再び、山田家の人々がステージ上を行き来する。そして、通子が父(後藤剛範)の姿を見て、夫ってこんな感じだっけ?と言う。そしてもう一人の父(岩井秀人)の方を見つめる。

再び時間が巻き戻って、山田家によしこと和夫の夫婦が北海道旅行から帰ってきた所から始まる。太郎は、よしこたちから北海道旅行のお土産ということでテナントをもらう。太郎はテナントをもらってハイテンションになる。
通子がやってくる。和夫は父に北海道土産を渡したいと言ってその場を去る。通子とよしこの二人きりになる。通子はよしこに対して、夫の実家での生活は上手くいっているのかと聞かれる。よしこは和夫の姉とそりが合わないと告げる。だから実家に帰ってきた方が気持ち的に楽なのだと。

父(岩井秀人)はカラオケで熱唱している。その横で、通子は友人と電話をしていた。友人はどうやら同窓会に出席しているらしく、同窓会に出席出来なかった通子に電話をかけてきたようだった。通子は、同級生同士が集まるなんて何年ぶりだろうねとテンションも高かった。そして通子が学生時代に好きだった男性は、まだ結婚していないという情報も友人伝いで入ってきた。通子は、その男性と結婚すれば良かったと言っている。友人は、その好きだった男性に電話を代わろうとするが電話は切れてしまう。
いつの間にか通子は外にいたが、するとかなこが家から外に出てくるのにばったり遭遇する。かなこは、よしこにカラオケで歌を歌えと強制されて嫌になったと言う。自分はバンド活動をしていて、あまり人前で歌いたくないのにアーティストなんだからと軽いノリで歌わされるのが嫌なのだと。そのままかなこは道端に寝そべってしまうので通子は叱る。
通子はかなこと一緒に山田家の自宅に戻り、変なテンションで場違いなカラオケで乗り込んでいくが白けてしまう。絶賛山田家では次郎と父で喧嘩中だった。
和夫や前田は撤退していく。前田は日本酒などをお土産に持って帰る。

山田家の広間には、父と通子がいる。通子は父に離婚したいと告げる。家族に無責任なのは本当にごめんだからと。父は凹んでいる。こうやって夫婦が離婚して、父が孤独になって一人で暮らすようになって、そして一人で弱っていって死んでいくのだなと通子に言われる。
その時、菊枝は息を引き取る。父が菊枝のベッドの方に行って菊枝を起こそうとする。その間、菊枝は浮遊したかのようにベッドを抜け出し、ステージ上を上手へと捌けていく。

菊枝は棺桶に入れられ、その棺桶が二人の葬儀屋によって中央に置かれる。他の人々はみんな喪服姿に着替える。菊枝の葬儀にみんなで参列する。
牧師が登場する。牧師は、菊枝が生前にこの教会で葬儀をしたいと申し出ていたということに言及し、みんなで火葬の準備をしていこうと言う。牧師は歌詞カードを配る。この歌詞に沿って歌いながら出棺するのだと言う。山田家一同は、歌詞カードを配られたのは良いが、棺桶を持ち上げて火葬場へ運ばないといけないので歌詞カードを見ながら歌えない。牧師は勢いよく歌を歌うが、山田家の人々はみんな歌が口パクになっている。
棺桶を火葬場の四角い穴に入れようとするが、その四角い穴は小さすぎて何度入れようとしても入らない。山田家の人々は諦めて、棺桶をそのまま縦にして退散してしまう。
ステージ上には棺桶のみが中央に縦に置かれている。そこから微かに菊枝の歌声が聞こえている。徐々に暗転して最後まで棺桶に光が当たっていてそのまま光は消えていく。ここで上演は終了する。

描いているシーンは、離婚の話だったり、親子喧嘩だったり、祖母の死と葬儀だったりと家族での暗い場面を作品にしているものの、要所要所に差し込まれているコメディ要素によって客席からは笑いが度々起こっていた。私は、30年も生きていると自分の身内の不幸も何度となく体験しているので、その時の自分の心境とも重ねてしまって、不必要なコメディシーンに苛立ちを覚える演出もあった。
しかし、コメディ要素はあるものの、家族の物語として誰もが感じる歪みと分断を間接的に描いている点に、今作の凄みを見出せた。脚本としてはそれを敢えてくっきりは描いていないのだが、数々の演出によってそれが凄く伝わってきて、脚本と演出の親和性は非常に良かったと思った。
そして家族の物語であるからこそ、誰しもが共感できる点も大きいかもしれない。決して正解を出すことはなく、そして伝えたいメッセージ性を主張する訳でもない。それでも、岩井さんが今作で何を描きたいのかが分かってくる、そんな上演に感じた。

写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

直方体の格子型の巨大でシンプルな舞台装置を吊り下げただけなのだが、非常に演出にはギミックが多数用意されて引き込まれた。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
本多劇場のステージいっぱいの大きさをした巨大な直方体の格子が天井から吊り下がっている。格子と言っても、床面に一番近い面は格子のようになっておらず、まるで巨大なテーブルの骨格が吊り下がっているようであった。また、客席手前側の脚に相当する部分は、まるで焼失したかのように黒く焦げたようになっていた。
この格子型の舞台装置が劇中の様々なシーンで揺れていた。その揺れは個人的には、次郎のシーンよりも通子のシーンの方で大きく揺れている印象だった。
それ以外の舞台セットは、ステージの下手側に菊枝が眠っているベッドが置かれていた。菊枝は基本的には下手のこの位置に固定だった。
あとは棺桶が運ばれてくる。棺桶のは菊枝役である川上友里さんが丸々入れるくらいの実寸大の棺桶だった。顔の部分に扉もついていて、おそらく本物なのではないかと思う。
それ以外のセットに関しては、父のカラオケのシーンで寿司を広げるテーブルが出てきたり、終盤に棺桶を火葬するために入れる四角く開けられた穴が出てきたりするくらいだった。
全体的にシンプルで広々とした舞台美術で、そんな抽象舞台でもここまで家族劇を具象的に描けるのだなと思った。

次に舞台照明について。
どちらかというと暗い照明が多かったように思える。というよりは、そもそも吊り込まれている舞台照明が少ないように感じた。照明のカラーとしては黄色や白といった一般的な色彩がメインで、派手な照明演出はなかったのだが、どことなく暗さを感じたのはそういうことだろうと思う。
最も印象に残った舞台照明は、ラストの徐々に暗転していきながら最後まで棺桶に差し込む照明だけが残る演出。あの暗転の仕方が非常にゆっくりで、凄く余韻をもたせる演出だったから好きだった。みんな祖母の菊枝の認知症を心配して実家に戻ってくるが、家族各々は自分のことで必死でまとまりがないことを象徴していて、祖母のことなどそっちのけなのだというのを暗示しているように思えた。

次に舞台音響について。
なんと言っても印象的だったのは、父のカラオケの楽曲。次男の次郎のシーンではまるで父の歌う楽曲は不協和音だった。聞いているだけで頭が痛くなってしまうような音楽が流れているのだが、後半の通子のシーンだと全く同じ曲目であるにも関わらず不協和音ではなく、家族たちが楽しそうに踊りながら歌っているのが印象的である。次郎目線では父のカラオケなんてうんざりだと感じている一方で、妻の通子にとっては楽しそうなひと時のようにしか見えていないという視点の違いによるものなのだと思った。この違いを演出するのは素晴らしいなと感じた。

最後にその他演出について。
まずは、天井から吊り下がっている格子が揺れることによって、通子の頭上に鳥のフンが落ちる演出があった。通子演じる小松和重さんが、然るべき時に然るべき場所に行って鳥のフンをくらう演出は斬新だった。視覚的にはインパクトがあったが、どうしてこういったシーンを入れようと思ったのかは岩井さんに聞きたい所である。
父を演じるのが、前半では後藤剛範さんで後半では岩井秀人さんとバトンタッチする演出も面白いなと感じた。この演出は、どうやら今回の上演で初めて導入されたと聞いてびっくりした。非常に上手くハマっているから、そうでない『て』を想像出来なかったから。次郎視点のシーンと通子視点のシーンで父を演じるキャストが変わると、父のイメージ像も人の見方によってだいぶ変わってくることを示しているように思う。もしかしたら、自分が見ている父親と母親が見ている父親は、全く違うように見えるのかもしれないとも感じ、改めて家族について考えさせられるきっかけにもなった。素晴らしい演出だった。
ラストで山田家一同で棺桶を開いた穴へ入れようとするシーンがあるが、あの中々入れられない感じが、家族のまとまりのなさを表しているようにも感じた。
後半のシーンで菊枝が亡くなるシーンで、菊枝が浮遊したかのようにベッドから飛び降りて、ゆっくりと上手へ捌けていく演出も素晴らしかった。ベッドの元で父が菊枝を起こそうとするが反応がないと言った演技と、ゆっくりと菊枝がベッドから出ていく感じに霊的なものも感じられて印象に残る演出だった。

写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

小劇場演劇界隈で大活躍中の役者たちをよくぞここまで集めたなというキャスティングで豪華だった。出演者の演技が素晴らしいからこそ、ここまでコミカルに家族劇を演じ切ることも出来るのだろうと感じた。
特に印象に残った役者について見ていく。

まずは、次男の次郎役を演じた田村健太郎さん。田村さんの演技は、劇団た組『綿子はもつれる』(2023年5月)、『ザ・ウェルキン』(2022年7月)で演技を拝見している。
どうやら、この次郎は岩井秀人さん自身をモデルにして描いているようである。説明がなくてもなんとなくそうだろうなと予想できた。
なんといっても、父に対して真っ向から喧嘩をしにいく次郎の姿が印象的だった。あの熱い感じ、正義感をむき出しにして父に食ってかかる感じが良かった。また、長男の太郎に対して怒る感じも良かった。
次郎は割と正義をむき出しにして家族に食ってかかるシーンが多い印象である。長男が割と何を考えているか分からない、主張したがらない性格だと、次男がそうなるのかもなと思う。自分にも弟がいるがその感じはどことなく自分の兄弟とも似ていて共感した。
前説のゆるっと入る感じも良かった。

次に、通子役を演じた小松和重さん。小松さんはNODA・MAP『正三角関係』(2024年8月)、『Q』:A Night At The Kabuki(2022年9月)で演技を拝見したことがあり、NODA・MAP以外で小松さんの芝居を観るのは初めてである。
割とNODA・MAPだと小松さんの役は脇役になってしまうことが多いのだが、今作ではほぼメインキャストとして小松さんの芝居が観られて感無量だった。こんなに凄い技能を持った役者さんなのだと改めて感じた。
コミカルな演技も非常に上手くて、そしてしっかりと母親としてヒューマンドラマをみせる場面ではグッと感情を揺さぶられる。そんなギャップも上手く活かして幅広い表現力を持った役者さんとして、群を抜いて素晴らしく感じた。
小松さんは確かに男性ではあるのだけれど、母親という女性を違和感なくやってのけてしまうのが凄い。どうして岩井さんは通子役を女性にせずに男性である小松さんにオファーしたのか気になる所であるが、見事にハマっていた。
小松さんの通子役を見ていると、どこか家族に対して諦観の念があるように感じた。真逆である次郎は、なんとかして家族をもっと良い形にしたいという熱意があるのだが、通子はそもそも諦めていて、だからこそずっとふざけていて家族の様子を顧みていないようにも感じられた。長年家族とずっと時間を過ごしていると、そのように感じてくるものなのかもしれない。

長男の太郎役の大倉孝二さんも印象的だった。大倉さんの演技は、ナイロン100℃『江戸時代の思い出』(2024年6月)、NODA・MAP『兎、波を走る』(2023年7月)など5回ほど舞台で演技を拝見している。
大倉さんは、次郎とは真逆の正義感みたいなものはなく、ひたすらに冷酷な男性が似合うよなと思う。祖母の菊枝に対して冷たかったりと、残酷な性格を持っている感じが物語において良いアクセントになっていた。
そしてたまに、ちょっとふざけた感じの芝居をする所がまた大倉さんらしかった。よしこ夫婦の北海道旅行土産のテナントをもらってはしゃぐ姿などはギャップが良かった。

次女のかなこ役を演じた藤谷理子さんも素晴らしかった。藤谷さんの演技は、ヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』(2024年10月)、ニッポン放送『たぶんこれ銀河鉄道の夜』(2023年4月)など5回ほど舞台で演技を拝見している。
4人兄妹の中で末っ子であり、菊枝との思い出もそこまで多くない。だから家族の中では一番思い出が希薄であるが故にノーダメージな立場なのかなと思って見ていた。バンド活動をして自分のやりたいことに精を出していて、順風満帆な人生を歩んでいるように感じた。
だからこそ、姉のよしこに歌えと言われて嫌になって逃げ出してしまうのは可愛いなと思った。確かにバンドやっていたら無闇に歌わされるのは嫌だよなと思う。凄くこのエピソードには同情してしまった。

そして、祖母の井上菊枝役を演じた川上友里さんの演技も素晴らしかった。川上さんの演技は、劇団アンパサンド『歩かなくても棒に当たる』(2024年8月)など4回ほど舞台で演技を拝見している。
認知症の祖母の役だが、年齢的には若いはずなのにお婆さんがハマり役になってしまう川上さんの演技力の高さの素晴らしさと、川上さんが醸し出す柔らかいお婆さん的な話し方も好きだった。凄く和む感じがあった。
自分もすでに亡くなってしまったが、認知症の祖母がいた。非常に和やかに話をするその感じは、自分の祖母と重なる部分もあって色々感じるものがあった。

写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作を考察しながら家族というものについて改めて考えてみることにする。

2ヶ月ほど前、演劇ユニット鵺的『おまえの血は汚れているか』(2024年10月)という舞台を観劇した。この作品も家族を扱った物語だった。その時私は、家族というのは葬式や結婚式などでどんなに疎遠になっていてもいずれは必ず顔を合わす機会があるから、決して縁というものは切れにくいと書いた。
今作を観劇してもやはり同じようなことを思った。特に葬儀の時には親戚一同集まるものである。山田家も祖母の井上菊枝が認知症によって病状が悪化するまではみんな離れ離れで暮らしていた。しかし菊枝の病状を機に家族は久しぶりに集まる。同じ家族の病状が悪化している時だから、同じ家族が亡くなった時だから、どんなに疎遠であったり遠くに住んでいても家族は多くの場合、集まってくることが多いと思う。そういう意味で、家族との縁というのはなかなか切れないものだと思う。今作を観劇していても同じようなことを感じた。

そして今作を観劇していて特に改めて考えさせられたのは、同じ家族同士でも立場によって見え方が違うのではないかということである。
長男だから、長女だからという理由で可愛がられた者と、末っ子であまり家族から相手にされなかった者では、同じ家族でも家族としての捉え方は変わってくる。長男の太郎や次男の次郎、長女のよしこにとっては、この山田家には何らかの思い入れがあるに違いない。特に祖母の菊枝との思い出は早く生まれてくれば来るほど多いはずである。だからと言って、祖母に愛着を感じるかというとそうでもないかもしれない、祖母のことをよく知っているからこそ嫌いになるということもある。
きっと太郎は、祖母のことも父のこともよく思っていなかった。だから応接室を勝手に使ったり、父と口を聞かなかったりしたのだと思う。
一方で、よしこにとってはこの山田家の実家の方が良いみたいであった。よしこと母の親子関係は良好そうであった。通子はいつもよしこのことを気にかけていた。だからよしこが嫁ぎ先で嫌な思いをしているから、むしろ実家に帰ってくることを楽しみにしていたのだと思う。同じ家族でも、ネガティブであるかポジティブであるかといった違いも立場によって変わるのだなと思う。

一方で子供か妻かという立場でも、家族の見え方、主人の見え方は随分違いそうである。後藤さん演じる父の人物像と、岩井さん演じる父の人物像はだいぶ違うように私は思えた。
後藤さん演じる父は、かなり自由奔放で呑気な存在に見えた。家族に迷惑をかけていてもそれを気にせず、ただ自分は好き勝手やっているような無責任な父に見えた。だから次郎が父に対して激しく怒る理由もよく分かった。
一方で、岩井さん演じる父はどちらかというともう少しおとなしくて落ち着いている印象があった。しかし、この家族の宿命を全部背負って何とかしてやるみたいな気力は感じない父に見えた。
きっと子供と妻という立場でも同じ主人の見え方は違うのだろうなと思った。

自分の家族に当てはめてみても、凄く重なる部分があるなと思いながら観ていた。
私の祖母も認知症だったので、祖母が具合悪くなったり祖母の葬式では親戚がみんな集まったことがあった。祖母との思い出が深かった私はとても祖母の死を悲しんだが、祖母とあまり良い思い出がなかった弟や妹はそこまでの感情がなかった記憶がある。こう考えてみると、改めて同じ家族でも見えているものは違ったのかもしれないと思った。
私の父もすでに他界してしまっているのだが、父に対しても、自分たち子供と母では見え方が違ったのだろうか。あまりそのように感じたことは、自分の家族の場合だとなかったように思うが、もしかしたら他の家族ではそういうことはあるかもしれない。夫婦仲は良いけれど、親子仲が悪いとかあればそうである可能性は高い。

最後に、次郎の親友の前田にはこの家族はどう映っていたのか考えてみる。前田には家族がいるのだろうか、その辺りもあまり劇中からは分からなかった。
けれど、やはり前田は家族というものに対してポジティブなイメージは持っていないのではないかと思う。そうでなかったら、きっと次郎と一緒にくっついて回ったりしないと思う。家族というものの温かみをよく知らないからこそ、次郎の家族のあり方が羨ましかったのかなとも思う。

家族像というのは、みんなどの家族もそれぞれ違って、みんな何かしらを抱えているよなと思う。それが大きいか小さいかは家族によって違うとは思うけれど、どの家族も何かしら抱えているものがあると思う。だからこそ、きっと今作はその抱えている何かを改めて考えさせてくれるきっかけを与える作品になっていると思う、
確かに何度も再演している理由が分かる作品だと思うし、もう再演されないと聞くとちょっと寂しい作品でもあるなと思う。

写真引用元:ハイバイ 公式X(旧Twitter)



↓ハイバイ過去作品


↓岩井秀人さん作演出作品


↓大倉孝二さん過去出演作品


↓伊勢佳世さん過去出演作品


↓田村健太郎さん過去出演作品


↓後藤剛範さん過去出演作品


↓川上友里さん過去出演作品


↓藤谷理子さん過去出演作品


↓板垣雄亮さん過去出演作品


↓岡本昌也さん過去出演作品


↓小松和重さん過去出演作品


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