舞台 「おまえの血は汚れているか」 観劇レビュー 2024/10/24
公演タイトル:「おまえの血は汚れているか」
劇場:下北沢ザ・スズナリ
劇団・企画:演劇ユニット鵺的
作:高木登
演出:寺十吾
出演:浜谷康幸、中村栄美子、杉木隆幸、今井勝法、西原誠吾、堤千穂、谷仲恵輔、杉本有美
公演期間:10/18〜10/27(東京)
上演時間:約1時間35分(途中休憩なし)
作品キーワード:家族、シリアス、会話劇、ヒューマンドラマ、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
アニメ『ゴールデンカムイ』『キングダム』『虚構推理』などのシリーズ構成も担当している、高木登さんが主宰する「演劇ユニット鵺的(以下鵺的)」の公演を観劇。
「鵺的(ぬえてき)」の作品は過去に『天使の群像』(2023年12月)『バロック』(2020年3月)を観劇したことがあり今作が三度目の観劇となる。
今作は脚本を高木登さんが手がけ、演出を寺十吾さんが手がけていて、こちらのタッグは『バロック』以来の観劇となる。
物語は、黛(まゆずみ)家の自宅で行われる家族会議を中心とした濃厚会話劇である。
黛義文(谷仲恵輔)は座敷で座布団を枕に寝っ転がっている。
そこへ妹の黛美津世(中村栄美子)がやってきて、今から親戚が集まってくるのだからここから出ていってと義文に言う。
義文はここは自分の家だから出て行かない、人殺しの息子たちに場所を空ける筋合いなどないと頑なに拒むが、美津世は強制的に義文を退去させる。
そこに、馬場志郎(今井勝法)、皆川憲司(杉木隆幸)、仁野芳夫(西原誠吾)と彼の妻の仁野忍(堤千穂)、片桐登志子(杉本有美)と続々と人が集まってくる。
お互い凄く久しぶりに、もしくは初めまして状態で顔を合わせる。
最後の方にやってきた美津世の夫である黛匡志(浜谷康幸)は、自分たちの兄妹が全員集まったので、早速家族での話し合いを始めようとする。
内容は、自分たち兄妹の母を殺した父が刑務所から出てきたものの重い病気を患っていて余命いくばくもない。
そこで延命処置をするか否かについて話し合いたいと言うのだが...というもの。
非常に重たい家族もののヒューマンドラマで、設定から映画『ひとよ』(2019年)を想起させられた。
この類の家族ものの物語は割と色々な作品でされ尽くしている感じがあるし、映画『ひとよ』に似ている点もあって序盤は既視感を感じていて果たしていかがなものかと思ったが、最終的には想像以上に役者たちの演技の迫力に圧倒されて非常に満足のいく作品として仕上がっていた。
まずこの物語の素晴らしい点は、どの登場人物もキャラクターがしっかりと深掘りされて描かれていて隙がないので、誰に対しても感情移入出来るようになっていたと感じた。
殺人犯だけれど父のことを思う長男の匡志、子供なんて作るんじゃんかったと家族そのものを嫌う次男の皆川、恵まれた環境で暮らせて来なかった三男の馬場、大学まで行かせてもらえて裕福に育って結婚もした四男の芳夫、実父・実母のことを全く知らない片桐と、それぞれの立場に彼らをそうさせた事情が垣間見られて素晴らしい設定だった。
だからこそ、その設定がより現状を残酷なものにもしていると感じた。
血縁のある家族とは何か、そのことについて終始考えさせられた。
血縁関係がなくても家庭環境によって全く異なる人生観を育むことになるとも思いつつ、どう足掻いても血縁だからこそ逃れることの出来ない宿命も至る所に感じられて、家族や親戚が持つ切っても切れない関係というものにずっと嫌悪感を抱いていた。
登場人物たちが発する台詞一つ一つがリアルでストレート過ぎて、ずっと私たち観客の胸に鋭く突き刺さる刃のように痛めつけられる会話劇だった。
そしてこの家族会議に一切関係のない黛義文の存在がなんとも憎らしかった。
まるで真剣に自分の家族の重大な問題に向き合っている最中の人々に対して、ヘラヘラと笑いながらくだらないことで悩んでいるなと見下していたのは非常に残酷だった。
現実問題としてここまで無神経にその場で振る舞う人間はいないと信じたいが、これはきっと他人の家族問題に対して思う人々の内心のようにも感じられてゾッとした。
役者陣たちの演技にはとにかく圧倒されっぱなしだった。
今にも大の大人の取っ組み合いが始まって、とんでもないことになってしまうのではないかというくらい緊迫した空気感が凄かった。
皆川憲司役を演じた杉木隆幸さんの自分の家族のことを吐き捨てる姿は男性として痛いほど胸に突き刺さるし、片桐登志子役を演じる杉本有美さんの切実な悩みには泣かされるくらい感情がこもっていて素晴らしかった。
役者全体的に声量が物凄くて、こんな苦しい芝居を繰り返し上演していてメンタルが凄いなと感心させられた。
物凄く重たい家族ヒューマンドラマをシリアスに描き、人によっては大声などに耐えられないかもしれないので万人にはオススメ出来ない。
しかし、グッと胸に突き刺さるような感情を掻き立てられる観劇体験をしたい方には是非オススメしたいと思った作品だった。
【鑑賞動機】
「鵺的」の作品は、『天使の群像』(2023年12月)で久しぶりに観劇して大変感情を強く掻き立てられる物凄い作品だったので、また新作公演が上演されたら観たいと思っていたから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
黛家の屋敷、そこに黛義文(谷仲恵輔)がやってくる。彼は思いっきり座布団を畳に投げつける。そしてその座布団を枕に寝っ転がる。
そこへ義文の妹の黛美津世(中村栄美子)がやってくる。美津世は義文に、これから親戚たちが集まってきて話し合いにこの場を使うのだからどいてくれと強く言う。義文はここは自分の家なのだからどきたくないと頑固に拒み続ける。美津世は義文に怒り、しつこくここから出ていくように言い続ける。そんな頑固だから義文は定職にも就けず、妻にも逃げられてしまうのだと。義文は、そんな人殺しの息子たちのためにここを空ける筋合いなんてないと反論する。
結局、義文は美津世の強制的な退去の指示に屈してこの場を去り、2階へ上がってしまう。
家のチャイムが鳴る。美津世が出迎えるとそこには馬場志郎(今井勝法)がいたが、彼は頭から血を流していた。どうやら家の前で転んで頭を打ってしまったらしい。美津世は馬場を家に入れると、ずっと頭に手を当てている。馬場は髪の毛もボサボサで薄汚い服を着ている。
次に玄関のチャイムが鳴ってやってきたのは皆川憲司(杉木隆幸)だった。皆川はスーツを着ていかにもサラリーマンといった感じだった。
馬場と皆川は最初は二人で座って沈黙していたが、馬場が積極的に話しかける。次男の憲司さんですよね?覚えていますよ、私は三男の馬場志郎ですと言う。馬場は兄弟で久しぶりに会ったので積極的に仲良くしようと話かけていくが、皆川はどこか気持ちが乗ってないようであった。
舞台セットにプロジェクションマッピングのように映像が投影される。そして音楽も流れる。屋敷の複数本ある柱には「おまえの血は汚れているか」の文字が縦に投影されている。
そんな中、玄関からは四男の仁野芳夫(西原誠吾)と妻の仁野忍(堤千穂)がやってきていた。
屋敷に馬場、皆川、仁野夫妻がいる中で、黛義文がやってくる。義文は積極的に彼らに話しかける。私は美津世の姉なので義兄弟に当たりますね、よろしくと言わんばかりにやけに陽気に振る舞う。馬場、皆川、仁野たちが兄弟であるにも関わらず数十年ぶりに顔を合わしたと話していて、義文はそれを聞いて笑いながら、兄弟が何十年も顔を合わせないこともあるのだねと言わんばかりに物珍しい目で見てくる。
そこに美津世がやってきて、なんで出ていけと言ったのにここに来ているのかと義文を叱りつける。
美津世の夫である黛匡志(浜谷康幸)もやってくる。どうやら匡志が、今回の家族会議を行おうとこの場に招集させたようだった。そこに対して仁野忍は、こんな家族おかしいと声を荒げる。私は芳夫と結婚がしたくて家族になった訳で、この人たちと親戚になるのを望んだ訳ではないと言う。匡志は忍に対して芳夫から事情は聞いていなかったのですか?と尋ねられるが、忍は事情は聞いていたけれどまさかここまでだとは思わなかったと言う。忍は芳夫と一緒に早く帰ろうと言う。
その時、玄関には片桐登志子(杉本有美)が立っていた。玄関のチャイムを何度も鳴らしたけれど応答がなかっったので入ってきたと。美津世はそれは失礼しましたと片桐を中に通す。片桐は匡志たちの一番下の妹だった。
これで、長男の匡志、次男の皆川、三男の馬場、四男の芳夫、一番下の妹の片桐と兄弟全員が揃ったので本題に入りたいと匡志は言う。
匡志は自己紹介から始める。黛家の美津世と結婚して、今は個人経営の書店を経営していると言う。屋敷の中に沢山の段ボール詰めされている書籍や、本棚があるのはそのためであると言う。Amazonに負けまいとなるべくAmazonが出来ないような新書をいち早く取り入れて地元の人たちから愛される書店を営業していると言う。そのため、休みであったとしても本の注文があったら仕入れたりと忙しくしていると言う。
匡志たち兄弟の両親は、40年ほど前(数字は記憶が曖昧です)に母が父を殺したことによってずっと刑務所に入っていたが、ようやく釈放された。しかし父は重い病を患っていて病院で入院中なのだと言う。余命もいくばくもない。そこで父を延命させるかどうか話し合いたいのだと言う。
次男の皆川は、そんなことで何十年も会っていない兄弟を集めたのかと吐き捨てる。三男の馬場が親しげに憲司さんと呼んでくるので、自分のことは皆川さんと呼べと言う。
兄弟、特に末っ子たちは自分たちも小さすぎて覚えていないので、どうして父が母を殺したのかから話をして欲しいと言う。匡志は語る。父は泥酔して母を殺したと言う、それだけだと。他の人々は泥酔しただけで母を殺すか?と疑問に思う。匡志は泥酔してただけで殺してしまうこともあるのだと言う。そして父が逮捕されて身の当てが無くなった私たち5人は、それぞれ別々の家に養子に出されたのだと言う。
そこへ義文は、ずいぶんと変わった家族だと余計な口を聞いてくるので、美津世は義文に怒って外へ出させてどこかに突き落とされて大きな音がする。義文は顔面血だらけになって帰ってくる。
当時、自分たちの父は非常に暴力的だったとかないのかと言う話になる。妻を殺してしまうくらいなら、きっと自分たち子供も暴力を受けていたかもしれないと。そして芳夫は、自分の尻に身の覚えのない赤いあざがあるのだと言い始める。忍はそんなこと言っちゃうのとヒヤヒヤしている。これは、もしかしたら自分が覚えていないくらい小さい時に父親から振るわれた暴力の跡なのではないかと。
匡志は答える。それは母が芳夫にアイロンで火傷をさせた後だと言う。芳夫がまだ赤ん坊でなかなか泣き止まなくてうるさくて、それでアイロンで火傷させたのだと言う。芳夫は驚く、父ではなく母だったのかと。匡志は、家庭内暴力が酷かったのは、殺人を犯した父ではなく殺された母の方だったと言う。
馬場は母の暴力が酷かったことを覚えているかと聞かれるが覚えていないと言う。次男の皆川にも聞かれる。皆川は覚えていないことにすると言う。なんだよ覚えていないことにするってと言い争いになる。匡志も皆川も父から暴力を振るわれた記憶は一切ないと言う。
皆川は議論が違う方向に言ってしまっているので、匡志にお前は父をどうしたいんだと言う。自分は父を延命させたいのだと告げる。
そこで片桐が話始める。自分は記憶にないくらい赤ん坊の時に養子に出されたので実父も実母も顔を覚えていないが、事情は養子先の家族から聞いていた。最初に養子として自分を引き取った時に養子先の家族は何も事情は話してもらえず詮索もするなと言われていたが、やはり気になってこの家のことについて調べたそうだと。その時、実父は妻を殺した殺人犯だったことなど分かったのだと言う。しかし一個気になることがあって、それは片桐自身を産んだ母親は、その時実父に殺された母親ではなかったということ。つまり片桐自身は、他の4兄弟とは父親は同じでも母親は違う腹違いの兄妹であることを告げる。
一同は驚く。匡志も驚きそれは初耳だったと言う。それは実父に愛人がいたということにもなるから。匡志は、そんなのあり得ない、だってその時貧しい家族だったのでうちの父親が遊び歩いていたはずはないと言う。しかし義文はそんなの分からない、裕福だろうが貧しかろうが愛人がいることは可能性として全然有り得ると言う。
片桐は続ける。自分の実の母親が今どこにいるか分かったのだが、もう8年前に亡くなっていた。その元を訪ねて生前の自分の母親を知っている人に話を窺った所、これはあまりにもこの場では不適切な発言かもしれないが、実父のことを酷く言っていたと言う。
その時、次男の皆川は匡志に問い詰める。どうしてこんな家族会議の場を設けたんだと。今まで知らなくても良かった過去のことをほじくり出して何が楽しいのかと。
自分は今結婚して二人の子供がいる。自分は本当は子供が欲しくなかったのだが、妻がどうしても欲しかったからつくったのだと言う、しかしそれが悲劇の始まりだった。妻は家庭内暴力を振るう、自分だけでなく子供にも。しかし子供は母親に懐いていて、父親である自分を排除しようとする。家族内で自分の居場所がない。それが辛いのだと。子供をつくって後悔しているのだと言う。今の自分たちの実父・実母の話を聞いていると、今の自分の家庭とそっくりだなと思う。血縁関係があるから、そりゃ親子は家族関係が似てくるんだなと腹落ちしたと言う。
そして皆川は、芳夫に向かってこう叫ぶ。お前も俺と同じ運命を辿ることになるぞと。妻の忍からは自分の妻と同じ雰囲気を感じると。子供を産んで、自分だけ家族で孤立するぞと。それに忍が怒って皆川と口論を始めてしまう。
義文は皆川に対して、お前はそうやってずっと逃げてばかりいると言う。そうやって今のようなことを直接妻に言うこともせず、逃げているだけじゃないかと。そこで皆川と義文とも口論になる。
匡志は話を父を延命させるかしないかの話題に戻す。延命させるためにはお金がかかる。もし延命したいと協力してくれるなら残って欲しいと言う。
三男の馬場は真っ先に、そういうお金の難しいことは全く分からないししたくないからと言って出ていってしまう。四男の芳夫も自分は養子に出されてから養子先でよくしてもらえて大学にも行かせてもらえた。そして今では妻もいる。自分の実父のことなど記憶にないので私は延命処置に協力しないと言って、妻の忍と共に去って行く。
次男の皆川と片桐だけが残る。匡志は、片桐に対して無理して残らずでも大丈夫だと声をかけるが、片桐は協力したいと強く申し出る。匡志は意外に思ったのでびっくりする。
片桐は語る。自分は、今妊娠をしているのだと言う。もう少しで母親になるのだと言う。しかし自分を産んだ母親の顔も父親の顔も見たことがない。自分が本当に母親になれるのか不安なのだと言う。だからせめて父親の顔だけでも見ておきたい、会っておきたいのだと言う。匡志は分かったと頷いて、では一緒に父の入院する病院へ行こうと片桐に言う。片桐は去る。
座敷に、匡志、美津世、義文、皆川が残る。義文は大笑いする。みんな大したことないことを色々と騒ぎすぎだと。先祖遡ればみんな同じ血縁なのだから、そんな自分の血縁に固執することなんて何もないではないかと言う。自分のことをただただ大事として捉えすぎだと。
汚れていない血なんてどこにもない、みんなどこかしらで血は汚れているんだからと。義文は笑いながら2階へ上がっていってしまう。皆川も去る。
「疲れたね」と美津世は匡志に話しかける。ご飯でも作ろうかと。匡志は少し優しすぎるのだと言う。匡志は泣き崩れながら、顔を洗いこの場を立ち去るのだった。ここで上演は終了する。
非常に濃厚でシリアスな会話劇だった。家族ものでこういう構成や設定の作品は演劇に捉われず数多く生み出されているが、なんと言っても役者の演技の迫力でずっと集中して観ることが出来た。
登場人物の設定に隙がなく、どの登場人物の置かれている状況にも共感できて胸が痛かった。そして家族と血縁関係の描かれ方に胸糞悪さがずっとあって終始辛かった。家族は一つの呪縛のようにも感じられた。確かに血縁がなくても人間は育つかもしれないが、どうしても血縁関係によって切っても切れない関係というのはあるなとつくづく考えさせられた。
家族や血縁というものについても考えさせられたが、個人的には三男の馬場と四男の芳夫が同じ兄弟なのに全く異なる家庭環境で貧富の差による有りとあらゆる格差を見せつけられたのも辛かったし、片桐は出産という女性であるが故の家族についての悩みがあってまたそれに辛さを感じさせられた。
各々の登場人物に対する深い言及は考察パートでしようと思う。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
昔ながらの座敷を舞台に、田舎に残る古き家族観の残った舞台演出に色々感じるものがあって素晴らしかった。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出について記載する。
まずは舞台装置から。
スズナリのステージを目一杯黛家の座敷が仕込まれていた。非常に奥行きを感じさせるような舞台装置だった。
木造の古き和風の家屋といった感じで、前方は一面に畳が敷かれている座敷になっていた。木造の柱が下手や上手に沢山立っていて、頭上には座敷によくある吊り下げ灯が設置されていた。
ステージ奥には、広々とした土足の玄関のスペースがあり、下手奥側には玄関と思われる扉が設置されていた。ここから多くの親戚たちはやってきていた(皆川、仁野、片桐など)。一方で上手奥側には匡志が経営している書店用の段ボールに詰められた本や、本棚、そして書籍が紐で縛られて大量に山積みされたセットがあった。また2階へ通じる階段もあった。上手側の隅の壁側には裏口の玄関があると思われ、馬場はそちら側から登場したり、義文は美津世にそこから追い出されていた。
全体的に細部まで古き和風の家屋を完璧に再現した作り込まれた印象を感じて、舞台セットだけでも非常に見応えのあるものとなっていた。
次に映像について。
今作では映像というよりはOPのシーンで、プロジェクションマッピング的に映像が舞台セットに投影される。ステージ中央奥の壁面をスクリーンにまるで怪談のような不気味な映像が映し出されていた。また、数多くの柱が舞台上に存在しているが、そこに「おまえの血は汚れているか」というタイトルが縦に表示されていた。その時、「血」だけ赤色で投影されていて強調されているように感じた。
これだけの数タイトルが同時に柱に浮かび上がってきたら、ちょっとゾッとするなという気がして冒頭の演出としても効果的だった。
次に舞台照明について。
基本的には場面転換のない会話劇が展開されるので、そこまで照明演出に印象的なものはなかった。OPのシーンでプロジェクションマッピング的な演出の時に、照明が暗くなるくらいだった。あの暗さ加減がシリアスな演出を出していて良かった。
次に舞台音響について。鵺的の舞台音響は毎度迫力が凄くて驚かされるが、今作でもいつもほどではなかったが、音響のインパクトがあった。
やはりなんと言ってもインパクトがあったのは、馬場が外で転んで頭を切ってしまう時の効果音と、義文が妹の美津世に外で半殺しされる時の効果音。そんなに物凄い音はしないだろうというくらいにインパクトのある破壊力のある効果音だった。さすが鵺的だと感じた。
そして、そこで二人とも血を流すことによってタイトルにも入っている血が強調されるのが興味深いなと思った。血の色はなんとも毒々しい感じがするなと思うが、誰にだって同じように血が流れていて、誰かが特別汚れているってこともないよなと感じさせられた。
最後にその他演出について。
今作で迫力があったのは、スピーカーから流れる音よりも生音の方が迫力あったかもしれないなと感じた。序盤で義文が座布団を畳の上に投げつける音から、ドスンと物凄い音がしたが、それは今の暮らしに対する色々な不満から来ているのかもしれないなと思う。また、畳の上をドタバタと歩いて鳴る音にも迫力があった。大の大人たちが怒りに満ちてこの場にやってきているので怖かった。義文が2階へ上がっていく時の、バタバタバタという音にも心を締め付けられる感じがあった。そんな感じで、シリアスで緊迫したシーンだからこそ、非常に物音に敏感になってちょっとした物音で精神的に締め付けられるような印象を与えていた演出が凄いなと感じられた。
劇中の台詞で、至る所に血縁関係を考えさせるものが意図的に盛り込まれていたように感じた。たとえば、血縁であればいずれ必ず会う機会があるとか、先祖遡ればみんな血族関係のようなものとか、血縁関係がありからこそ夫と妻の関係性も似てくるとか。現代社会において、核家族の崩壊があって様々な家族観が登場する世の中にはなっているものの、それでも逃げられない血縁関係というものがあることを強く認識させられる描写が多いように感じられた。それがストーリー的に直接関係ない雑談的な話の中にも登場し、無駄のない会話劇になっていたように感じた。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
本当にどの役者さんも演技の迫力が凄まじくて圧倒された。こんなシリアスな芝居を何公演も続けていて相当精神的にも負荷がかかるのでは?と思った。物凄い刺激を受けることができた。
特に印象に残った役者さんについて見ていく。
まずは、黛匡志役を演じた「ゴツプロ!」の浜谷康幸さん。浜谷さんの演技は初めて拝見する。
非常に誠実で真面目で優しそうな印象を感じられて良かった。ただ父親を救いたいからという思いと、自分が長男であるという強い責任感も感じられた。だから今回の家族会議も企画したのだと思うが、この家族会議を企画するのも相当な労力だったと思う。自分の仕事もあって一杯一杯になりながら、それでも父のために召集した行動力は凄いなと思う。
であるにも関わらず、結局はそれによって他の兄弟たちに辛いことを思い出させてしまったり、新たな気づきによって逆に苦しめることになってしまったことが非常に観ていて辛いとも思った。
ラストシーンで、涙を豪快に流しながら顔を洗うシーンがあった。あそこまで感情を込めて演じられるなんて凄いなと思いつつ、なんとも苦しい結末だったとも思う。今年8月に拝見した「かるがも団地」の『三ノ輪の三姉妹』も、母親の危篤が三姉妹たちをつなげたが、今作も似たような構成を取りながら、非常に残酷にシリアスに描いていて、一切兄弟たちが分かりあうことなく去っていくのが辛かった。そういう意味で『三ノ輪の三姉妹』の方が凄く穏やかで良い家庭だったなと思った。
次に、次男の皆川憲司役を演じた杉木隆幸さん。杉木さんの演技も初めて拝見する。
劇後半にかけての自分の家庭環境を話してからの力強い口調で長男の匡志や芳夫に喰ってかかっていく姿に物凄く迫力があった。最初は割と静かにしている印象だったので、後半になって豹変したような様が良い意味でギャップに感じた。
家庭を持ったことによって孤独になる中年男性は割と描かれる上によく聞く話なので、凄く感情移入しながら観ていて辛かった。妻からも子供からも除け者扱いされて家族内で居場所が無くなってしまったら、それは家族というものに対して良い印象は持たなくなるよなと思う。今改めて自分の実父と実母の関係を聞いた時に、そのことをもっと早く知っていれば自分も同じ過ちはしなかったのになと思ったかもしれない、自分だったらきっとそう思うと思う。だから四男の芳夫にも忠告したのだろうなと思う。
自分のことを皆川さんと呼べと三男の馬場に言ったのも、家族というものに縛られたくなかったからだと思う。家族というものに散々うんざりさせられたから、今更兄弟仲良くやりましょうにならないのだと思った。
そんな感情が垣間見えて苦しかった。
そして最も印象的で感情を掻き立てられたのが、この家族会議に無関係の黛義文役を演じた谷仲恵輔さん。谷仲さんの演技は、鵺的『バロック』(2020年3月)、劇団チョコレートケーキ『一九一一年』(2021年7月)で演技を拝見している。
個人的には、この義文の立場はSNS上の無関係な不特定多数の声のように感じられて心底腹が立っていた。実際問題、この場にいてあそこまで無神経な言葉をかけられる人なんていないと信じているが、しかし他人であればそのくらいにしか受け取ってくれないよなとも思い残酷だった。
先祖遡れば皆同じ血縁とか、大事に考えすぎとか自分が当事者でないからこそ言えるよなと思って、一番様々なことに対して逃げているのは義文自身だよなとも思った。他の兄弟たちは苦しみもがきながら、今の現実の家庭と向き合っていると感じた。
谷仲さんの声は低くてスズナリの劇場に轟いていて迫力があった。谷仲さんのちょっと悪っぽい感じの声色が台詞の残酷さをより際立たせていた。素晴らしかった。
あとは、仁野夫婦を演じた西原誠吾さんと堤千穂さんも素晴らしかった。
西原さん演じる芳夫の良い家庭環境で育てられてきた感は、少し他の兄弟たちと見比べると残酷な感じも受けた。結局誰に養子として預けられたかに依存すると思うので、こればかりは運命でしかないよなとも思った。もし馬場と芳夫の預けられた家が逆だったらどうだったろうかとか考えたら辛いものがあった。
堤さん演じる仁野忍の感じも凄く納得させられた。こんな問題ありまくりな家庭に巻き込まれたらそれは帰りたくなるよなと思う。結構忍にも感情移入していた。忍のためにも、芳夫はこの家族と縁を切るという選択をして正しかったんじゃないかなと最後思った。非常に辛いものがあった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、この作品の脚本と各登場人物について私的に考察していこうと思う。
私ごとになってしまうが、先日妻の親戚の葬式があった。葬式になるとしばらく顔を合わせていなかった親戚がこぞってやってきて出席することが多いと思う。親戚が多い家系であれば尚更そうである。
そんなことを思い出しながら今作を観劇していたのだが、やはりどうしても冠婚葬祭で血の繋がりのある親戚と顔を合わせることになるから、必然的に血縁関係のある人との関係というのは切れないものだよなと改めて思った。どんなに仲良くても友人関係だったり学生時代の同期や職場の同期でも、お互い環境が変わってしまって時間が経つと会わなくなることも多いと思う。私も高校時代や大学時代の友人や仲間は、卒業後もしばらく会ったりしていたこともあったが、お互い仕事が忙しくなってしまうと会う機会もなくなって自然消滅していくことが多い。
しかし親戚というのは、仲が良くなくても冠婚葬祭などで会う機会が割とあると思う。たとえ最後に会った時から時間が経っていたとしても。
先日演劇を拝見した「かるがも団地」の『三ノ輪の三姉妹』だって、三姉妹それぞれ別々の環境で生活していたが母親の危篤で再度顔を合わすことになった。血の繋がりのない関係だったら、会わなくなってしまえばそれっきりなのだと思うが、やはり母親という血の繋がりのある存在によって彼女たちは再度引き合わされた。冠婚葬祭ではないけれど、こうやって血縁関係は親戚同士を再度引き合わせる力があると思う。
今作『おまえの血は汚れているか』は、『三ノ輪の三姉妹』のように親の危篤状態があって兄弟たちが集まるという点では共通していたが、描かれ方に大きな違いがあった。「かるがも団地」は劇団の作風もあってほのぼのした作風なのだが、「鵺的」は容赦なくシリアスだ。
そういう意味では、今作は映画『ひとよ』に凄く近い印象を感じた。『ひとよ』は母親が虐待の酷い父親を正当防衛的な理由で殺してしまい刑務所に入っていた。その間、三兄妹たちはそれぞれの人生を歩んでいたが、15年後に母と兄妹は再会することになる物語である。非常にストーリーとしても共通点があった。
もちろん、バラバラだった血縁のある家族が再会する物語ではあるのだが、設定をよりシリアスにしているのは、殺人犯が家族内にいるということである。それ故、兄妹たちは親が殺人犯であるという拭えない事実を抱えてそれぞれ生きなければならなかったということである。ここが、『ひとよ』や今作の作品の一番の深みだと思う。
映画『ひとよ』では、三兄妹それぞれが子供の頃の記憶として、母親が父親を殺してしまったことを目撃していて、それぞれが親に殺人犯がいるという重い過去を引きずりながら生きていた。しかし今作は、兄妹も非常に多く芳夫や片桐に関しては幼すぎて記憶にないので、実父・実母に対する印象や愛情も兄妹間で変わってきているというのがより設定を複雑にしていて興味深かった。
ここからは各登場人物について考察していく。
まず長男の匡志は、生まれたのが一番早かったのもあって実父や実母の記憶を一番鮮明に覚えていると思う。そして真面目で優しくて誠実な性格から、長男であるという強い責任感も感じられた。だからこそ誰よりも父親の延命処置に対して考え行動したいと思うのも頷けた。
個人的に感じた点として匡志の唯一の救いは妻の美津世の存在だなと思う。子供はいないようだが、夫を献身的に支えてくれる凄く頼もしい妻として私は写った。そこは実父や他の兄弟と似なかったんだなと思った。
匡志にとって殺された実の母親像は、非常に印象が悪いものなのだろうなと思う。母が家庭内暴力を振るうのもよく見ていて、それに翻弄される父親を見ていたのだから、きっと母親のような女性とは結婚したくないという強い意志の現れが、美津世という全く別の女性像を妻に迎えたのだろうなと感じた。
次に次男の皆川憲司について。皆川も次男というのがあって、匡志と同様に実父・実母の記憶はあったと思う。そして実母が暴力を振るっていたのも知っていたと思う。自分も養子に出されて、別の形で家族を作ろうと思ったのかもしれないが、実父や実母と同じ家庭環境を生んでしまった。だから家族というものに対して全く良い印象がないという結構哀れな境遇だなと感じた。
ずっと孤独で、三男の馬場などが仲良くしようと手を差し伸べてもそれを頑なに拒んだ。もしかしたら兄の匡志が羨ましく見えたのかもしれない。献身的に支えてくれる妻がいて、自分もそんな妻と一緒にいたいと思ったのかもしれない。芳夫の妻は自分と同じ匂いを感じたのかもしれないが、兄の匡志の妻には何も思っていなそうだった。
皆川は最後まで匡志の元にいた。仁野夫妻や馬場は早々に帰って行ったが皆川は黙ったまま留まっていた。これは何を意味するのか。どこか自分の生まれたこの家族を見捨てられない何かがあるのだと思う。こんな問題のある家庭に生まれて憎しみはあると思うが未練もあると思う。何らかの形で皆川も恵まれて欲しいなと思う。
三男の馬場志郎について。馬場を見ていると、実に養子に出された家庭環境も大事だなと感じた。きっと馬場はかなり貧しい家庭で育ったんだなと思う。まるで親ガチャでなく養子先ガチャだと思う。逆に四男の芳夫を見ていると全然オーラが違うので、そういう運命にも翻弄されてしまうという意味で色々残酷さを感じた。
最後に父親の延命処置のお金の話になって、馬場は真っ先に家を出て行ってしまった。お金の話は嫌だと言って。きっと家族に対して責任の取ることが出来ない男なのだなと思って色々考えさせられてしまった。
四男の芳夫は馬場とは対照的で、養子先が良い家庭環境に恵まれて大学も行かせてもらえた。忍という妻もいた。これから子供を産むなど計画があるのかもしれないけれど、皆川に言われたことが果たして呪いの言葉になるのか教えになるのか興味深い所だった。
芳夫は長男の匡志と違って、自分の実父・実母の記憶が全くないので、むしろ自分の実父と同じ選択を選んでいると知らなかっただろう。それを今回の家族会議で知ったことは、果たして芳夫の今後の人生において吉と出るのか凶と出るのか難しい所だと思った。
もし今日の話を反面教師として捉えられれば、芳夫は良い家族を築けると思うし、逆に同じ過ちをするのならば血縁関係のある家族としての呪いを感じることになるのだろうか。
一番下の妹の片桐登志子について。結果的に他の兄弟と母親が違った訳であるが、自分が妊娠して自分の実の家族に会いたいと思うというのは男性である私でも凄く共感出来ることだし泣けてきた。自分の血縁の親を知らずして母親になる恐怖、自分を育ててきてくれた家庭は血のつながりがないのでどうなるか分からない恐怖は強く胸に締め付けられて一番泣けた。
片桐はこの後匡志と共に父の元へ行ってどのような感情を抱くのだろうか、自分と血縁のある父と初めて対面して、何を感じるのだろうか。私は男性で出産する女性の気持ちは完全に理解は出来ないが、出産経験のある女性の感想を聞いてみたいなと思った。
そして最後に、この家族会議に無関係な黛義文について。
ここまでの悪者で無神経な奴はなかなかいないかもしれないが、これは他人が内心思っていることの表れでもあるなと感じた。この家族会議を見て、もちろん感情移入する人が多いとは思うが、そこに向き合えない人は義文のように内心捉えると思う。こういう人間は、どんなことに対しても責任を取らない人間で、個人的には一番現実から逃げている人たちだと思った。
義文本人の現状は、美津世の話では妻に逃げられ定職にも就けていないという。全く成功していない人間である。だからこそ半ば人生を諦めて傍観しているところもあると思う。
そして非常に性格も図太くて妹に半殺しされても舞い戻ってくる。非常に面倒な奴だなとつくづく思っていた。
血縁のある家族というのは切っても切れない。これはある種運命であり宿命でもある。しかし、今作を観劇してやはりそのような家族関係から目を背けてはいけないな、どんな家族にも何らかの汚れはあって、それと向き合うということ自体はみんな平等なのかもしれないと思った。
シリアスで救いようのない話だが生きる希望をもらえて観られて良かった。
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