記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ミュージカル 「ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜」 観劇レビュー 2024/09/07


写真引用元:ホリプロステージ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜」
劇場:東京建物 Brillia HALL
企画・製作:TBS、ホリプロ、梅田芸術劇場、WOWOW
音楽:エルトン・ジョン
脚本・歌詞:リー・ホール
演出:スティーブン・ダルドリー
出演:井上宇一郎、益岡徹、濵田めぐみ、根岸季衣、吉田広大、芋洗坂係長、厚地康雄、森山大輔、大月さゆ、大竹尚、加賀谷真聡、黒沼亮、後藤裕磨、齋藤桐人、聖司朗、辰巳智秋、照井裕隆、春口凌芽、丸山泰右、森内翔大、山科諒馬、小島亜莉沙、咲良、竹内晶美、森田万貴、石田優月、白木彩可、新里藍那、渡邉隼人、内藤菫子、石澤桜來、鈴木結里愛、松本望海、南夢依、宮野陽光、猪股怜生、張浩一(観劇回のキャストのみ記載)
公演期間:8/2〜10/26(東京)、11/9〜11/24(大阪)
上演時間:約3時間10分(途中休憩25分を含む)
作品キーワード:ミュージカル、バレエ、成長物語、家族
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


イギリス映画『リトル・ダンサー』(2000年)を原作に2005年にロンドンでミュージカル化、そして2008年にブロードウェイでミュージカル化された『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』を観劇。
映画に感激した音楽家のエルトン・ジョンがミュージカル化を発案した今作は、トニー賞15部門でノミネートされ、そのうちミュージカル作品賞、脚本賞、主演男優賞、演出賞などの10部門を受賞した傑作である。
日本でも2017年に初演されており、菊田一夫演劇大賞、読売演劇賞選考委員特別賞を受賞するなど日本国内でも高い評価を受けており、今回は4年ぶりに再再演された。
今作は主人公である少年のバレエダンサーのビリー・エリオット役などをオーディションによって選出して育成する方式を採用しているのが特徴である。
私は観劇の前に映画『リトル・ダンサー』はU-NEXTで視聴していたが、ミュージカルとしては初めて観劇した。

舞台は、1980年代のイングランド北部の炭鉱町のイージントン。
当時のイギリスの首相であったマーガレット・サッチャーは、採算の取れない炭鉱を次々に廃止しようとして炭鉱組合と対立し、炭鉱労働者たちは大規模なストライキを行おうとしていた。
イージントンに住む少年のビリー・エリオット(井上宇一郎)は、お父さん(益岡徹)と兄のトニー(吉田広大)が炭鉱労働者たちと一緒にストライキを決行しようとする中、認知症のおばあちゃん(根岸季衣)の面倒を見ながらボクシングの練習に通っていた。
幼馴染のマイケル(渡邉隼人)と共にジョージ(芋洗坂係長)からボクシングを教わるビリーはやる気がなく、同じボクシング練習場の中でバレエを教えるウィルキンソン先生(濵田めぐみ)に出会い、バレエを教わる女の子たちに紛れてバレエの真似をする。
ウィルキンソン先生は、最初は「出て行って!」とビリーに冷たく対応し、ビリーもバレエなんて女の子がやるものと馬鹿にしていたが、徐々にビリーも馴染み...という物語。

普段のミュージカルの客層よりも子供連れのファミリーで観劇に来ている観客も一定数いて、笑いあり驚きあり感動ありの老若男女みんなが楽しめるエンターテイメントに感じた。
時代背景として1980年代のサッチャー首相の時代のイギリスを扱っているが、序盤に映像で説明もされるので何も事前に予備知識がなくても楽しむことが出来るし、ストーリー展開もわかりやすくて事前に映画を観ていなくても楽しむことが出来るのではないかと思った。

今作の一番の見所は、なんといっても表現豊かな演出の数々にある。
映画版と比べて、尺として長い時間を使っているのもあるが、ビリーが最初はバレエなんてやってられるかと馬鹿にしていた態度から、徐々にバレエの魅力に気づき始めて熱中していき、そして上達していく姿が凄く自然に描かれていて素晴らしかった。
そのバレエの魅力にビリーの視点で観客までも巻き込まれていく感じがあり、これはミュージカルでこそ表現出来るのだと感じた。
また、ビリーが徐々にドレスを履くことを受け入れていくシーンの音楽『Expressing Yourself』と大きなドレスたちが登場するダンスショー的な演出がとても好きだった。
さらに、第一幕の終盤のビリーが思うようにバレエが出来なくなってしまうシーンとストライキを重ねたロックンロールミュージック『Angry Dance』の迫力も凄かった。
こうして、ストーリーだけでなく観客の記憶に残る形で表現豊かに演出されているシーンが多数あって飽きさせない点が今作の魅力だと感じた。

とにかくビリー・エリオット役を演じた井上宇一郎さんの素晴らしさにずっと感動していた。
1375名の応募者の中を勝ち抜いて、4月初旬から他のどのキャストよりも早く稽古を始めて積み上げてきたものを感じた。
ただでさえ12〜14歳くらいの少年が大きなステージで主役を飾るというのは大変なことなのに、バレエを練習して踊れるようにならないといけないという難易度の高さを突破出来る凄さには脱帽するしかなかった。
また、お父さん役を演じた益岡徹さんの威厳のある態度と終盤のコミカルな態度のギャップがコミカルで好きだった。
そしてウィルキンソン先生役を演じた濵田めぐみさんの安定したミュージカル俳優としての演技と歌声には自然と惹きつけられるものがあった。

役者が観客に話しかけるシーンもあるし観客参加型のミュージカルである上、事前の知識や予習なしでも子供から大人まで楽しめるミュージカル作品に仕上がっていると思う。
土曜のマチネであるにも関わらず客席後方に空席が多く見られたのが勿体なく、東京都内では10月26日まで上演されているのでミュージカルを見たことある人もない人にも万人におすすめしたい。

写真引用元:ホリプロステージ 【写真・コメント】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』いよいよ本公演開幕!プレスコール&取材会レポート到着より


↓プレスコール映像




【鑑賞動機】

ミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』はストーリーは知らないものの作品名自体は聞いたことがあったし、何より私は観ていないけれど劇団「モダンスイマーズ」が『だからビリーは東京で』で扱った作品でもあるので気になっていた。そして今作は、ミュージカルでもキャストで観客を惹きつけるのではなく、作品タイトルや演出で勝負しようとしているような作品に見られたので観劇しようと思った。
開幕後は、舞台通の口コミが軒並み高評価で非常に楽しみにしていた。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

映像が映し出される。1970年代までイギリスでは炭鉱が国有化されていたが、1979年に保守党で初めての女性の党首であるマーガレット・サッチャーが首相になり状況が変わった。新自由主義を掲げるサッチャー政権は、炭鉱を含むインフラ事業の民営化を推進した。それによってサッチャーは、採算の取れない炭鉱を続々と廃止していき、そこで働いていた労働者たちは次々と職を失った。そこで炭鉱労働組合は大規模なストライキを起こすに至ったのである。
『The Stars Look Down』を歌いながら、イージントンの炭鉱夫たちは政権へ向けての強い反発を表現する。そこには、ビリー・エリオットのお父さん(益岡徹)と兄のトニー(吉田広大)もいた。
ビリー・エリオット(井上宇一郎)は、認知症のおばあちゃん(根岸季衣)の面倒を見ながら暮らしていた。ビリーとおばあちゃんはミートパイのことについておばあちゃんがボケてしまって話が通じない状態。そんなビリーはボクシングの練習にも通っていた。これからビリーはボクシング用具を持って練習に行く。ビリーは冷蔵庫から牛乳瓶を取り出しそのまま飲もうとする。すると死んだお母さん(大月さゆ)が幽霊としてビリーの前に現れる。「ビリー、牛乳はちゃんとコップに注いで飲みなさい」と。ビリーの母親はすでに他界しているのである。

ビリーはボクシングの練習場で、幼馴染のマイケル(渡邉隼人)と共にジョージ(芋洗坂係長)からボクシングを教わっている。ジョージは彼らに陽気に教えているが、そこには男は男らしく逞しくなれという信念も感じられた。ビリーもマイケルもボクシングの練習にやる気がなく、いつもジョージに叱咤された。
そんなボクシングの練習をやっていると、同じ練習場の隅に何やらバレエの格好をした大勢の女の子と先生らしき人が入ってきてバレエの練習を始めた。ビリーは徐々にバレエを練習する一向に近づいていく。その先生を務めるウィルキンソン先生(濵田めぐみ)は、バレエをする女の子たちに混じって踊り出すビリーに対して「出ていって!」と冷たく対応する。バレエの練習の邪魔をして欲しくないからである。しかしビリーは言うことを聞かず続けてバレエを踊り始める。
バレエの練習が終わると、ウィルキンソン先生はバレエの練習に参加したのだから50ポンド払ってとビリーに言う。ビリーは持っていないと言うと、ウィルキンソン先生は、では次回の練習の時に払ってと言う。ビリーは次回はもう来ないと言うが、ウィルキンソン先生はきっとビリーは次回も姿を現すと言う。ビリーは、こんなバレエみたいな女の子がやるものだと馬鹿にして去って行ってしまう。

ビリーは家に帰る。兄のトニーにはビリーがボクシングではなくバレエの練習をしていたことがバレて、そんな女の子がやるような習い事をするなと叱られる。
ビリーは認知症のおばあちゃんに話しかける。ビリーは自分の母の葬式のことをおばあちゃんに尋ねるが、おばあちゃんは覚えていないと言う。ビリーは悲しみ、母はおじいちゃんの隣のお墓で眠っていると言う。するとおばあちゃんは、おじいちゃんのことはよく覚えていると言っておじいちゃんのことを語り始める。
『Grandmas Song』が流れる。おじいちゃんは酒飲みでどうしようもない男性だった。昔なので、男性が仕事をして女性は家で家事をするというのが常識だった。おばあちゃんはダンスをやっていて、死んだおじいちゃんとも一緒にダンスを踊ったと。
ビリーは、その後もウィルキンソン先生の元でバレエの練習をする。『Solidarity』が流れながら、ウィルキンソン先生とバレエを練習する女の子たち、そして警官たちも歌って踊りながら、ビリーもそれに合わせて踊り始め、どんどんビリーのバレエの腕前は上達していく。
しかし、そんなビリーがボクシング場でバレエの練習をしている最中にお父さんが突然やってくる。お父さんはビリーに向かって怒鳴りつける。どうしてボクシングの練習をやらずバレエの練習をしているのだ、バレエは女の子がやる習い事だぞと。ウィルキンソン先生は必死で仲裁しようとする。ここはバレエの練習場で勝手に入り込んで来てはいけないと。ビリーはバレエがやりたくて、ここまで上達してくれたんだと。しかし父親はそんなウィルキンソン先生の言葉を一蹴してビリーのバレエの練習を禁止してしまう。

ビリーはトイレに閉じ籠っている。そのトイレの外からウィルキンソン先生は、ねえビリーと話しかける。これは凄く夢のような話なのだけれど、ロイヤル・バレエ・スクールのオーディションを受けてみないかと。そのオーディションに合格するのは狭き門だけれど、そのためのレッスンは指導するとウィルキンソン先生は言う。
ビリーがマイケルの元にやってくると、マイケルが姉のドレスを履いている姿を見てびっくりする。男の子がドレスを履いているよと。マイケルはビリーにも誘う。最初はスカートを履くことに抵抗があったビリーだったが、ビリーもドレスを履いてみると踊り出す。そして『Expressing Yourself』が流れる。ドレスを着て踊るビリーとマイケル。そして衣装タンスからはスカートやドレスやズボンなどが踊り出す。こうしてビリーは、ドレスやスカートといったレディースを着ることに対する抵抗を無くしていく。
ビリーの家でのある日の夜、お父さんとトニーが喧嘩をしてもう少しで取っ組み合いが始まるのではないかということがあった。そんな様子をビリーは影で見て怖がっていた。
ビリーはウィルキンソン先生からのバレエの練習をしている最中に、母親からの手紙を取り出す。それは18歳になるビリーに向けて宛てたものだった。しかしビリーはとっくに読んでしまっていた。そこには何て書いてあるの?とウィルキンソン先生は言う。ビリーは手紙を読み上げる。母の存在はもうとっくに遠い存在になってしまったかもしれないけれど、いつまでもビリーのそばにいると。『The Letter』が流れる。ウィルキンソン先生はこう言う。明日はオーディションの日だから、朝の8時に公民館に集合しようと、寝坊しないでねと。ビリーは目覚ましをかけているから大丈夫だと言う。

翌日の朝、ビリーの目覚ましは鳴り続ける。しかし、家の中ではお父さんとトニーでストライキのことについて熱く語り合っている最中だった。トニーは殴られて怪我を負っている。そんな中ビリーはとてもではないけれど家に出ることは出来なかった。
朝8時を過ぎても公民館に現れないビリーを心配してウィルキンソン先生は家までビリーを迎えに来る。しかし、男たちはストライキを決行しようと躍起になっていて、なかなかビリーのいる部屋まで辿り着けない。お父さんやトニーたちは、まだビリーがバレエをやっていてしかもオーディションを受けることになっていたことを知り、ビリーの外出禁止をしてウィルキンソン先生を追い出してしまう。フラストレーションがマックスになったビリーは、部屋のベッドや家具を投げ捨てて『Angry Dance』を踊り始める。ロックンロールに合わせて警官たちも防護盾を使ってパフォーマンスを披露する。

ここで幕間に入る。

派手な格好をしたトニーが観客から小銭を集めている。ストライキを起こすための資金のようである。そしてトニーはステージに上がるとジョージと共に陽気に観客に語りかけてくる。そして地元のクリスマス会が始まる。
『Merry Christmas Maggie Thatcher』が流れ、小さなお家の中で町の住民たちが人形を抱えながら歌い始める。そして頭上には巨大なマーガレット・サッチャーの人形が現れる。サッチャーの巨大な人形は、合唱する町の住民たちのお家を両手で鷲掴みにしようとしているようである。
次に、ビリーのお父さんが亡くなった母親のことを思って寂しく『Deep Into The Ground』を歌い始める。お父さんのソロから住民たちは彼に同情しながら歌を聞く。

ステージ上に白いスモークが巻き起こり、ビリーとオールダー・ビリー(厚地康雄)がチャイコフスキーの『白鳥の湖』に合わせてバレエを披露する。その様子をお父さんは観て感激する。やっぱりビリーにはバレエをやらせたいと決意する。
雪の降る日の夜、ウィルキンソン先生の元にビリーのお父さんがやってくる。ウィルキンソン先生は、こんな夜遅くに誰かと思ったらビリーのお父さんか...という反応をする。お父さんは、ビリーをロンドンのバレエスクールに入れるにはどのくらいお金がかかるのかと尋ねる。ウィルキンソン先生は、受験料は200ポンドだが、学校に通わせるとなると5000ポンドかかると言う。5000ポンドという金額にお父さんは驚愕する、そんなにかかるのかと。ウィルキンソン先生は、ずっと娘に「ママー」と呼ばれているので玄関を去る。
ストライキのために5000ポンドの小銭は集められたが、お父さんがその小銭をどうしてもビリーのバレエの才能を開花させるためのバレエスクールの費用に回させて欲しいと懇願する。炭鉱労働者たちはお父さんの懇願に胸を打たれてその小銭を学校の費用に回して良いと許可する。それでも兄のトニーは最後まで反対していた。

お父さんとビリーはロンドンのバレエスクールの入学試験にやってくる。壁面は油絵の豪華なものでいかにも格式高い雰囲気である。係の女性(小島亜莉沙)はビリーを身体測定をするために別室に案内する。お父さんはここで待っていてくれと指示する。そこにはマダムたちがいた。お父さんはマダムたちの話について来れず辟易する。そして一緒に「オホホホ」と笑う。お父さんは一人になるとタバコを吸い始める。しかし係の女性が出てきて、ここは禁煙だと叱られる。しかし誰もいなくなった場所で係の女性もタバコを吸っている。
一方、ビリーは実技の試験があり上手く行かなかったらしく時間の無駄だったと呟く。そして通りかかった同じ受験生の男の子を殴ってしまい大事になる。
お父さんとビリーの親子面接が始まる。面接官に、どうしてバレエがやりたいと思ったのですか?と問われるが、ビリーは上手く答えられない。お父さんに対しても、もしビリーが合格したら全面的にサポート出来るかなど聞かれる。お父さんはストライキの最中で上手く答えられなかった。
そんな感じで、グダグダな感じの面接で終わろうとするが、最後にビリーにバレエをやっている時の気持ちについて聞かれる。その時ビリーは『Electricity』を歌い始め、自分がバレエをやっている時の感情を披露する。
それが終わると、最後に面接官にお父さん「スト頑張ってください」と言われる。

ビリーの家、おばあちゃんが手紙を持ってくる。ロンドンバレエスクールの合否通知である。家族は心臓をバクバクさせながらその結果がどうなのか気にする。ビリーは封を開ける。そして悲しそうな顔をして「落ちた」と言う。家族は落胆するが、トニーがそのビリーが投げ捨てた手紙を取り出して受かっているじゃないかと叫ぶ。そして家族一同喜ぶ。
しかし、すぐに炭鉱労働組合の人たちが家に押しかけてきて、ストライキが中止になったと告げる。『Once We Were Kings』が流れて、炭鉱労働者たちは音楽に合わせて踊り、みんなでヘルメットを被って地下へと潜っていく。
ビリーはロンドンへ向かう支度をする。マイケルがやってくる。マイケルにはしばらく会えなくなっちゃって寂しいと言う。そして幽霊のお母さんも登場する。
ラスト、大人になったビリーは『白鳥の湖』を踊って上演は終了する。

音楽家のエルトン・ジョンさんが映画を観て感激したと聞いているが、それが頷けるくらい表現者には刺さるストーリー内容だろうなと思って感動した。ビリーは最初はバレエなんて女の子のする習い事だと馬鹿にしていたが、徐々にバレエの素晴らしさに気がつき始めて熱中していく。そしてスカートやドレスを履くことにも抵抗があったが、徐々に慣れ親しんでいく。これは、多様性を重視する今の世の中のトレンドそのものだと思っていて、既成概念に縛られずに自由を求める姿勢が描かれていて凄く現代的なテーマだったし、今上演する必要性も感じられて良かった。
またお父さんが最初はバレエなんて断固拒否していたのに、考えが変わっていってビリーを応援する姿勢になるのがなんとも微笑ましい。ビリーがバレエに熱中する過程は凄く伝わってきたが、お父さんが改心してバレエの教育に積極的になる所やストライキの炭鉱夫たちがビリーの夢を応援する姿勢に変わる変化はもっと上手く描いて欲しかったかなとは思う。しかし、それ以上に脚本と演出が素晴らしかったのでそこまで気にならなかった。
考察パートでも触れるが、映画版よりも割と時代背景についてもガッツリと描いていて、ビリーの夢を追う姿と世の中を取り巻く世相が上手くバランスよく描かれていて、社会に翻弄されるしかない社会的弱者の立場もミュージカル版の方が色濃くて私は好きだった。ちょっとミュージカル『レ・ミゼラブル』っぽさがあって、社会的弱者が団結して世の中を変えようと動く力強さがミュージカルから伝わってきて好きだった。

写真引用元:ホリプロステージ 【写真・コメント】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』いよいよ本公演開幕!プレスコール&取材会レポート到着より


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

とにかく多種多様な演出で観客を最大限に楽しませようというような演出に感じられて、老若男女全ての人に勧められそうなミュージカルで素晴らしかった。
舞台装置、映像、衣装、照明、音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
多くのシーンでは、三包囲が壁になっている屋内を示す舞台装置がセットされていた。そのセットでビリーの家やボクシング練習場が表現されていた。ビリーの家は、下手側の壁面がキッチンになっていてシンクや冷蔵庫などが置かれていた。その手前には玄関があった。ステージ奥側の壁面は窓になっていて、ステージ上手側はストライキに向かう炭鉱夫たちがビリーの家と行き来する時のデハケになっていた。ビリーの家のシーンの第一幕までは、中央に2階建ての舞台装置もあって、その2階部分がビリーの部屋になっていた。しかし、『Angry Dance』のシーンになると、ビリーがベッドや家具を全部ステージ床に投げ落としてまっさらにしてしまう。その演出も凄く好きだった。
ボクシング練習場の舞台装置は、上手側の壁も下手側の壁はそのままなんの特徴もない壁なのだが、ステージ奥側には役者たちのデハケと「EXIT」と書かれた出口扉(実際に扉になっていたかは分からない)もあった。さらに、ウィルキンソン氏が奏でるオルガンもステージ奥に置かれていた。
よく登場するのは上記の2つの舞台セットだったが、とにかくそれ以外にも数多くの舞台セットが登場して非常に豪華になっていた。たとえば、ビリーとマイケルが歌う『Expressing Yourself』のシーンでは、衣装タンスが登場したり、キラキラしたカラフルなカーテンがステージ背後に覆われたりと様変わりした。また、第二幕の序盤ではクリスマスパーティーのシーンで、小さなお家(おそらく炭鉱夫の社会福祉センターのような公共の会場)が移動してきて、そこで役者たちが合唱したり、そのお家を襲おうとしている巨大なマーガレット・サッチャーの人形も存在感が凄くて好きだった。もちろん、これは社会風刺的な意味合いでサッチャーが炭鉱夫たちを貶めようとしているという演出を表現しているのだろうが、その人形の顔が凄くコミカルな上、西洋っぽい印象もあってハマっていた。凄く魔女のようにも感じた。
ビリーがロンドンのバレエスクールに受験しに来る時の舞台セットも豪華だった。ステージ前方にいっぱいに油絵の格式高そうな天使のデザインの壁が出現し、そこにボロい服を着たお父さんが立っているというギャップが凄かった。そして、ビリーが通された実技試験の会場も、そこまで出番多くないのに豪華に作り込まれた舞台セットで圧巻だった。
あとは、ステージ上に何もないシーンも複数あって、それが舞台映えしたりすることもあって舞台セットにキャスターがついていて移動させて様々に舞台転換する演出が効いていたと感じた。たとえば、第二幕でお父さんがソロで歌い上げるシーンは、ステージに何もないからこそお父さんの寂しさが表現されているようにも思った。それと、チャイコフスキーの『白鳥の湖』はステージ何もない中でダンサーが踊るからこそ美しさが際立っていた。
下手側にウィルキンソン夫人の邸宅の玄関があって、あとは雪が降っている以外は何もないステージの使い方も好きだった。
また、ステージの一番後方にずっとセットされていたレンガの壁面も存在感があって、そこに照明が当たる感じも凄く好きだった(ミュージカル『ムーラン・ルージュ』にもこんな感じの演出あったような)。そして「NCB」という「全国石炭公社」を表すアルファベット三文字が青色で薄く描かれているのも格好良かった。
舞台セットだけでなく、小道具や大道具も印象に残ったものが沢山あった。まずはストライキを示すバナー(旗)。ちょっとドラクロワの『民衆を導く女神』のようなバナーが大きく描かれていて、労働者たちの自由を主張する感じが伝わってきて好きだった。この辺りからも、レミゼを連想させられたのかもしれない。このバナーは、実際に1980年代にイギリスで炭鉱労働者たちのストライキが行われた時に掲げられたバナーで、物語はフィクションなのだけれど、どこかノンフィクションを感じさせられるなと思った。

次に映像について。
映像がメインで使われるのは冒頭のシーンくらい。作品に没入しやすくなるように、映画版にはない時代背景の説明が挿入されている。ここで投影される映像は実際のイギリスの映像らしく、戦後に炭鉱などのインフラが国有化されて民衆が歓喜する映像や、マーガレット・サッチャーが政権を取ったことで炭鉱を民営化しようとなってストライキが起きた実際の映像がモノクロで使われている。
この映像演出が入ることによって、今作はノンフィクションなのではないかという錯覚に陥ると同時に、時代背景が理解しやすいので事前に知識がなくても入り込めるようになっていた気がした。私はサッチャーという人物がいたということは知っていたが、具体的にどういう政策を行なった人なのか知らなかったので、サッチャーってそういう人物だったのだなと勉強になった。

次に衣装について。
個人的に好きだったのは、『Expressing Yourself』のシーンの衣装。もちろん、大きなズボンやスカート、ドレスの着ぐるみみたいなものも好きだったのだが、ビリーとマイケルが着たドレスのデザインがとてもカラフルで好きだった。そのカラフルさには多様性そのものが込められていると感じた。紫色や黄色やら緑色やらが淡く色とりどりに描かれていて、それが凄く可愛らしくて良かった。
ウィルキンソン先生の衣装も好きだった。凄く目立っていて奇抜な色合いが似合っていた。

次に舞台照明について。数えきれないくらいセンスがあって格好良い照明演出があった。
印象に残っているのは、第一幕のクライマックスの『Angry Dance』のシーンのビリーに向けられたスポット。ビリーが発狂して自分の部屋にあった家具を何もかも投げ出して、ベッドの骨組みも畳んでしまって、そこに白いスポットで「ジャン」「ジャン」と照らされる感じが格好良かった。そして背後のレンガの壁にビリーのシルエットも映し出されて音楽、シルエット、照明、役者の全てにおいて格好良さを感じた。
『Grandsma Song』のシーンの薄暗い感じの照明も好きだった。黒いスーツを着た男性が沢山出てきて、これは間違いなく死んだ者を回想しているなと感じさせる。複数人の紳士たちに薄暗く照明を当てることで、ちょっと紳士たちが不気味に感じられるのも凄く良かった。
『Expressing Yourself』のダンスショーのようなカラフルな照明演出も良かったが、個人的にもう一つ好きだったのが第二幕のクリスマスなどの冬のシーンでの照明。お父さんが『Deep Into The Groud』で物悲しげに歌うシーンの薄暗さや、雪の降る日にお父さんがウィルキンソン先生の自宅を訪れる時の薄暗い夜の照明演出がとても好きだった。
また、幽霊のお母さんが登場する時の照明演出も素晴らしかった。序盤で登場するが、一瞬でお母さん亡くなっているんだなと説明がなくても分かる。黄色く明るく照らされる感じが良かった。
終盤の、炭鉱夫たちが頭にヘルメットをつけて明かりをつけて地面へとエレベーターで降りていく感じも好きだった。

次に音響について。
まず音楽については、エルトン・ジョンさんの楽曲ということでどれも最高だった。私が一番好きなのは、一番格好良かった『Angry Dance』。この楽曲だけ作品の中で異質なのだが、この曲が第一幕のクライマックスに入っているだけで最高だった。そして、警官たちが防護服を地面に打ち付けて「ガチャーン」と定期的に音がしているのも凄く格好良かった。それは、ビリーに差し迫ってくる危機感、そしてビリーの怒りのようにも感じられる。凄いミュージカルパートだなと思って観ていた。このシーンだけ自分の胸の高鳴りが半端なかった。
次に好きだったのは、第二幕の最初の『Merry Christmas Maggie Thatcher』、住民たちみんなで合唱するという演出が好きだった。合唱というとクリスマスという感じがするし、上手く言語化できないけれど良いなあと思わせてくれる。凄く町の人々の心の温かさを感じさせてくれるハートフルなシーンだった。
そして、これはミュージカルのシーンではないのだが、チャイコフスキーの『白鳥の湖』に合わせてダンサーがバレエを披露するシーンはもう圧巻だった。鳥肌が立った。『白鳥の湖』が有名な楽曲なので、その楽曲がオーケストラの生演奏で聞けるというだけでも鳥肌が凄かったが、そこにバレエのダンサーもいて、これが『白鳥の湖』かと思わせてくれるのが素晴らしい観劇体験だったと思う。バレエも一緒にミュージカルと観られた感覚だった。

最後にその他演出について。
この作品の素晴らしい所は、沢山の子役が出演できる機会の場を与えているということ。その最たる例が、バレエの練習場のシーンである。ウィルキンソン先生の指導のもと、沢山の女の子たちが出演しているが、もちろん小学生、中学生くらいの出演者が多いと思うので、凄く演技が上手いという感じではないのだが、バレエの練習をしているという体なので、別に演技の上手さは問われない。しかも、その女の子たちの体型も皆様々で、どんな人でもバレエは出来るんだという自由がそこにも感じられて好きだった。一方で、ロンドンのバレエスクールに受けにくる女の子になると、みんな細くてスラッとしていて、そういう世界だよなとおもってしまう。それをこうやってミュージカルで体現できるのが良いなと感じた。
序盤で、ビリーが最初はジョージの元でボクシングをやっているのだが、映画版と比較して割と楽しそうなのが最初は違和感だった。ジョージを演じるのは芋洗坂係長さんだし、それだけで面白いし、割とボクシングの練習シーンは観ていてコミカルで楽しそうに感じて辛そうなものはなかった。逆にウィルキンソン先生のバレエ教室の方がウィルキンソン先生も厳しくて、こっちの方がピリついているなと最初は感じてしまって、ビリーはここからどうやってバレエにのめり込んでいくのか疑問だったのだが、『Solidarity』の楽曲によって自然とビリーがバレエに熱中していっているのが伝わってきて、おのずと観客もバレエの魅力に巻き込まれていく演出の仕方が凄く良くて、最後にはビリーがバレエにハマっていっていることに違和感をもたなくなるのが素晴らしかった。このギャップを自然に描けるって凄いと思う。そこにお父さんが現れるからストーリー的にも凄く上手い。
ロンドンのバレエスクールの入学試験のシーンをコミカルに描くのは良いなと思った。社会的な階級が低いお父さんが、お金持ちしか居なそうなバレエスクールの入学試験にやってきて、右も左もわからない感じをコミカルに描くのはミュージカルならではだなと感じた。そして最後に、面接官にスト頑張って!って言ってもらえるのもいいなと思う。この演出の形だったら、ビリーは受かったなと思わせてくれる。映画版は、マジで合格なのか不合格なのか分からない演出だった。でも『Electoricity』を歌い始めるところで、絶対受かるなって分かるので、そういうドキドキ感はミュージカル版ではなくて良いのだと思った。

写真引用元:ホリプロステージ 【写真・コメント】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』いよいよ本公演開幕!プレスコール&取材会レポート到着より


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作のミュージカルは、キャストの名前でチケットが売れてしまいそうなキャスティングに依存せず、ちゃんと作品と演出で集客しようと思わせる出演者陣に思えて素晴らしかった。そしてなんと言っても、子役を多数起用していて、ビリー・エリオット役の井上宇一郎さんを始め皆素晴らしかった。若い俳優たちの飛躍の場になるに違いなくて演劇ファンとしても嬉しい上演だった。
特に素晴らしかった役者について記載していこうと思う。

まずは、私の観劇回でビリー・エリオット役を演じた井上宇一郎さん。ビリー役は、1375名の応募者の中から、書類選考と3回の審査と3回のワークショップを経て選ばれており、4月上旬からどのキャストよりもいち早く稽古を開始して本番に臨んでいる。
調べた所、井上さんは2010年生まれの中学2年生。13歳という若さでこれだけのロングランの大きなステージの主役に挑戦するなんて、とてつもなく凄いことだと思う。目立ったミスもなくそれをしっかりとこなしてしまう井上さんにまず拍手喝采を送りたい。
どうやらバレエスクールにも通っていたようである井上さんだが、それでもあそこまでのバレエ演技をやり切ってしまうのは相当な技量の持ち主だと思う。ストーリー上、バレエが上達しなくてはいけないビリーだし、第二幕ではチャイコフスキーの『白鳥の湖』に合わせてバレエを披露しないといけない。観客の注目も集まるし、非常に緊張感のある役だと思うが、それを全く違和感なくやり切るのは本当に素晴らしい。
ビリーにはバレエをやるという繊細さも必要かもしれないが、特に『Angry Dance』のシーンでは怒りを表現するというまた違ったベクトルの演技も披露しないといけない。個人的には『Angry Dance』の井上さんの演技も好きだった。確かに井上さんは体格も華奢なのだが、それでも今自分が持っている力を出し切って精一杯怒りを表現するという所に心動かされた。
他に、浅田良舞さん、石黒瑛土さん、春山嘉一夢さんという方も今回の上演のビリー役に抜擢されている。その三人がどうビリーを演じたかも興味があるが、とにかく井上さんのビリー役を観ることが出来て良かった。

次に、私の観劇回でビリーのお父さん役を演じた益岡徹さん。益岡さんの演技を拝見するのは初めて。
益岡さんのお父さんは思ったほど厳格な父親という感じはしなかった。映画版の『リトル・ダンサー』のお父さんは非常に厳しそうな面持ちがあったが。どちらかというと、ずっと炭鉱労働者として働いていて苦しい生活を送ってきた存在。そして妻にも先立たれてしまって途中のシーンなんかは同情してしまうくらい人情を感じる父親だった。
映画版だと、ボウリング場でバレエをするビリーを怒鳴りつけたり、夜にトニーと取っ組み合いをするシーンは本当に怖い演出だったのだが、ミュージカル版は和やかに観れるし、益岡さん演じる父親だとそれで良いなと思わせてくれる。
特に一番心動かされたのは第二幕の『Deep Into The Ground』を歌うシーンと、ウィルキンソン先生にロンドンのバレエスクールの件を尋ねに来た時。益岡さんの人情溢れる演技も相まって、一気にお父さんの人間としての人物像の解像度が上がり、人として惹かれるキャラクターに感じた。ストライキを行おうと思うが、なかなかこの炭鉱の町には夢も望みもない。唯一の希望がビリーという存在。そんなビリーの夢を叶えて上げることが、父親としての最後の希望なのだと感じさせる父親の意志がとても好きだった。
そして、ラストのロンドンのバレエスクールの試験のシーンになると、やたらとお父さんの演技がコミカルになるのも面白い。マダムたちと一緒に「オホホホ」と笑ったり、タバコを吸い始めたり。それまでのお父さん像がとても愛しいキャラに感じてこれたからこそ通用するキャラ設定だなと感じた。映画版では到底できないなと思った。

そして、今作でなんと言っても存在感が大きかったのは、私の観劇回でウィルキンソン先生役を演じた濵田めぐみさん。濱田さんの演技を拝見するのは初めて。
劇団四季に所属していたこともあった濵田さんだが、名前は聞いたことあったが物凄いミュージカル俳優としての存在感で安定感あった。バレエ教室のシーンは、基本濵田さんのソロでシーンが成り立ってしまうくらいに牽引力があって、そしてずっと観れてしまう。あの奇抜な衣装も似合っていたし、ちょっと癖が強くて気が強そうな感じのウィルキンソン先生がハマり役だった。
ウィルキンソン先生は、確か映画にもミュージカルにも直接的な描写はなかったと記憶しているのだが、きっとウィルキンソン先生自身も本当はプロのバレエダンサーとして活躍したいという夢があったのだと思う。しかしその夢は叶えられず、こうやってボクシング場の一部を借りてバレエの教室をしていたのだと思う。きっといつかは教え子から一流のバレエダンサーが生まれることを夢見て。ビリーはイージントンという炭鉱町の希望でもあったが、ウィルキンソン先生にとっての希望でもあった。ビリーはプロのバレエダンサーを目指せる素質があった。それを見抜いたからこそ、彼を全力で支援したいとウィルキンソン先生は思ったに違いない。
物語の最後に、ウィルキンソン先生はビリーにこう言う。今まで私が教えたことは一旦まっさらに忘れてくれと。これからロンドンのバレエスクールで教わることは、今までのバレエ教室なんかと比べものにならないくらい質の高いものだからそちらについて行きなさいと。凄く染みる言葉だった。そこにはウィルキンソン先生のちょっと辛く悲しい感情もある気がした。なんなら自分がビリーの立場に立って受けて経験したい世界だったと思うから。きっとビリーへの嫉妬もあるんじゃないかと。けれど、それと同時に誇らしい気持ちもあると思う。自分の教え子からロンドンのバレエスクール合格生を出せたのだから。
そんな人間模様も垣間見える濵田さんのウィルキンソン先生はとても好きだった。

ビリーと同じ子役枠では、私の観劇回でマイケル役を演じていた渡邉隼人さんも素晴らしかった。
渡邉さんは2015年生まれということでビリー役の井上さんよりもさらに年下なのだが、幼さは確かにあるのだが、そんな中でもそのキャラクター性を活かして時にはビリーをリードする存在である部分に凄くマイケルの存在感もあった。
特に印象に残ったのは『Expressing Yourself』のシーン。あのシーンはマイケルとビリーのシーンと言っても過言でないが、ビリーのスカートやドレスなどの抵抗をなくしてくれたのはマイケルのおかげでもある。そこをマイケルが上手く誘導するのがとてもキュートだった。マイケルだからこそ誘導できるものがあった気がする。
ラスト、結果的にビリーだけがこの炭鉱町を後にしてバレエスクールに入学する。残されたマイケルの気持ちはどんなだっただろうかと想像してしまう。マイケルもビリーと同じようにボクシングの練習に嫌気が差して、徐々にバレエに興味を持ち始めていた。マイケルは複雑な気持ちだったに違いない。個人的には結構マイケルの立場にも感情移入していた。
そんなマイケル役を演じていた渡邉隼人さんも素晴らしかった。

写真引用元:ホリプロステージ 【写真・コメント】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』いよいよ本公演開幕!プレスコール&取材会レポート到着より


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、映画『リトル・ダンサー』とミュージカル『ビリー・エリオット〜リトル・ダンサー〜』の比較と、今作で描かれる時代背景について考察していく。
映画『リトル・ダンサー』のネタバレもしているので、気になる方は映画も鑑賞されてからの閲覧をお勧めする。

映画版とミュージカル版の大きな違いは、やはりミュージカルの方がより時代背景を詳細に説明した上で、ビリーと社会状況を照らし合わせながら物語を進めている点にあると思う。
映画版では、割とビリーの視点でシーンが描かれることが多くて、他の登場人物の視点で描かれる場面は少ないと感じる。そのため、当時のイギリスの社会情勢がどうかとかあまりミュージカルのように詳しく描写されることはない。サッチャーが首相になって新自由主義を主張して炭鉱を民営化させ、次々に採算の取れない炭鉱が閉鎖されて炭鉱夫たちが怒っているという直接的な説明描写はない。けれど、幼いビリーからしたらそんなものだと思う。まだ社会で働いたことないビリーにとって、サッチャーがどうだとか、炭鉱が閉鎖されてどれだけ町としてヤバイ状態になっているかはそれほど重要ではないだろう。しかし、そんな社会情勢のストレスで父も兄もムシャクシャしていて家庭でも殺伐としている感じはビリーも感じられて、そちらの方が幼いビリーにとっては恐怖だったに違いない。
だから映画版では、社会情勢云々というよりも、父や兄の険しさや男性的な狂気を常に感じていたので、その恐怖に逃れたくてバレエを始めたという感じが強く思えた。だからこそ、ビリーが黙ってバレエを始めて、それを父がボクシング場で知ってしまい激怒するシーンが恐ろしく感じられたり、夜中に兄のトニーが凶器を持って父に襲いかかるシーンが物凄く怖い描写のようになっていた。それは、どちらも観客がビリーの立場に立って感情移入できるように作られているからだと思った。

一方でミュージカル版は、もちろん主人公はビリーなのだけれど、ビリー以外の登場人物にも感情移入出来るように作られていると感じた。だからこそ当時のイギリスの社会情勢まで詳しく語ることが必須だったのだろうと感じた。
ミュージカル版に付け足されたシーンに、おばあちゃんがおじいちゃんを回想するミュージカルパートがある。映画版では、ビリーのおじいちゃんのことなんてあまり出てこない。しかしミュージカル版でおじいちゃんのことが取り上げられたのは、おばあちゃんという存在にもフォーカスが当てられたからであり、またおばあちゃんが実はダンスが好きだったという設定をさらに深掘りしているからである。そこを深掘りすることによって、時代と共に男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという既成概念がなくなりつつあることを表現していて、だからビリーも既成概念に囚われることなく自由にやりなよと後押ししてくれる描写として再構築されている。その点がミュージカル版の良さだった。

そして一番の映画版からミュージカル版での再構築で素晴らしいなと感じた点は、やはりビリーが炭鉱町の希望となるという点である。映画版でもそれを暗に示す描写はあるが、ミュージカル版の方がそこがより分かりやすく描写されていて素晴らしかった。
イギリスは産業革命を起こした国なので、蒸気機関を動かすために国内各地に石炭の町があったことは言わずもがなであろう。第二次世界大戦後、イギリスに点在していた炭鉱町は国有化された。それによって炭鉱で働く労働者は安定して働くことが出来たに違いない。ミュージカルの序盤で流れる映像も、1947年にクレメント・アトリー労働党政権下で炭鉱業が国有化された当時の人々の姿が映されているそうである。その当時は、炭鉱労働者にとって幸せな時代だったに違いない。
しかし、そんな幸せは1979年に誕生したマーガレット・サッチャー政権によって消えてしまう。サッチャー元首相は、新自由主義を掲げて、第二次産業から第三次産業への普及を推進させた政治家である。そのため、赤字になっている炭鉱は次々に閉鎖してより第三次産業へのシフトを促そうとした。もちろん、それによって職を失う炭鉱労働者も大勢いたので、炭鉱労働組合を中心にストライキが決行されたのである。この部分は、ノンフィクションである。

炭鉱で生計を立てていたお父さんも兄のトニーもそのような社会情勢になってしまい暗い状況だった。映画版では非常に暗く閉塞感のある世界観を描いているが、ミュージカル版では炭鉱労働者がまるでミュージカル『レ・ミゼラブル』のように一致団結して、政府に立ち向かおうじゃないかという熱量のあるものに変更されている。
しかし、イージントンの炭鉱町の状況は悪くなる一方。ストライキを起こしても変わらない。沢山の小銭を集めたが、ストライキをやっても無駄なのではないかというムードも後半になると出てくる。そこで希望となったのがビリーのバレエスクールの入学試験だった。
ビリーがバレエスクールに合格することは、エリオット家の希望であり、ウィルキンソン先生の希望であるだけでなく、イージントンの炭鉱町の希望でもあった。
ビリーが入学試験の面接のシーンで披露するミュージカルパートは『Electricity』と言う。私はなぜ曲名が「Electricity(電気)」なのかよく分からなかった。しかし、電気というのはイージントンの炭鉱町の希望だと分かった時、しっくり来るものがあった。
結論、この『Electricity』がビリーによって歌われたことが、バレエスクール合格に繋がる訳だが、これはビリーの希望だけでなくイージントンの町の希望でもある。炭鉱の町はその炭鉱で掘られた石炭が電気に変わって街を照らす。そしてビリーのバレエスクール合格も、きっと炭鉱町にとって電気のような希望なのだと解釈できるからである。

エンターテイメントとして活躍できる存在は、その存在を生んだ親、先生、そして町にとって誇りのような存在。それを改めてミュージカルとして再確認させてくれる作品だった。

写真引用元:ホリプロステージ 【写真・コメント】ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』いよいよ本公演開幕!プレスコール&取材会レポート到着より



↓『The Stars Look Down』


↓『Shine』


↓『Solidarity』


↓『Expressing Yourself』


↓『Angry Dance』


↓『Electricity』


↓映画『リトル・ダンサー』



↓吉田広大さん過去出演作品


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集