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舞台 「フェイクスピア」 観劇レビュー 2021/06/26

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【写真引用元】
東京芸術劇場公式Twitter
https://twitter.com/geigeki_info/status/1377941059502628864/photo/1

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【写真引用元】
東京芸術劇場公式Twitter
https://twitter.com/geigeki_info/status/1379091103786262529/photo/1


公演タイトル:「フェイクスピア」
劇場:東京芸術劇場 プレイハウス
劇団:NODA・MAP
作・演出:野田秀樹
出演:高橋一生、川平慈英、伊原剛志、前田敦子、村岡希美、白石加代子、野田秀樹、橋爪功他
公演期間:5/24〜7/11(東京)、7/15〜25(大阪)
上演時間:約130分
作品キーワード:考えさせられる、ノンフィクション、ファンタジー
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


現代の日本の演劇業界の顔とも言うべき野田秀樹さんが主宰する劇団であるNODA・MAP(野田地図)を初観劇。
近年ではNODA・MAPの公演では豪華キャストを迎えての作品が多く、今作でも主人公のmonoを人気俳優の高橋一生が演じ、その他に川平慈英さんや伊原剛志さん、前田敦子さん、白石加代子さん、橋爪功さんなど名俳優たちをキャスティングしての作品となっている。

ストーリーは、青森県の恐山が中心となっており、恐山のイタコという死者の言葉を伝えることの出来る巫女になろうと修行する皆来アタイ(白石加代子)と彼女の高校時代の同級生である楽(橋爪功)の周囲で、mono(高橋一生)という青年が神からもらった言の葉の箱を保持していたのだが、この箱を巡って思いもよらぬ騒動が起き、シェイクスピアやその息子のフェイクスピア(野田秀樹)、そして星の王子様(前田敦子)などが登場し、やがてその箱の正体に迫っていくという話。

物語進行はめちゃくちゃな感じで、恐山のイタコ伝説、星の王子さま、シェイクスピアの四大悲劇がまるでなんの脈絡もないように登場すると思ったら、最後でとあるノンフィクションの出来事に繋がって伏線が一気に解消されるという素晴らしい作品だった。
そしてその最後のメッセージには、現代を生きる私たちの背中を「ポン」と押してくれるような温かい言葉がそこにはあって非常に感動する内容だった。

舞台演出のテイストもいかにも野田さんの作品といった感じで、烏の群れが元気よく走り回っていたり、下手から上手へ大きな布が通り過ぎることによってキャストは入れ替わり、野田さんはやりたい放題やって笑いを取っている非常に見応えのある作品だった。

多くの人に一度でもこの野田さん演出の作品は観て欲しいと思った、おすすめ。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/429582/1597472


↓戯曲『フェイクスピア』



【鑑賞動機】

今まで野田秀樹さんの演出作品は2020年8月の「赤鬼」のみ、潤色で2020年10月の「真夏の夜の夢」を観たことがあったが、NODA・MAPとして公演を観たことがなかったので、今回を機に観劇しようと思ったから。特に「赤鬼」を以前観劇した時は非常に面白いと感じたので今作も期待値高めで観に行った。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

mono(高橋一生)は烏の群れの中で、神から授けられた一つの箱を手にするシーンから始まる。

白石加代子さんが登場し、女優を目指す前は青森県の恐山でイタコ(死者の言葉を伝えることが出来る「口寄せ」という能力を持つ巫女)の修行をしていたことを語り、皆来アタイとして物語が始まる。
皆来は、20年間もイタコの試験に挑戦するもずっと落ち続けており未だにイタコになれずにいるのだった。
そこへ楽(橋爪功)がやってくる。楽は娘と言い争って命を落としたとか、妻と言い争って命を落としたとかめちゃくちゃなことを言っている。しかし、どうやら楽と皆来は昔高校時代にお互い同じクラスメイトだったらしい。
皆来は時々彼女ではない別の存在が乗り移り、例えば皆来の母である伝説のイタコ(前田敦子)が乗り移って皆来の愚痴をこぼすがそれでも娘だから可愛いのだなどと親馬鹿な一面も見せるような様子だった。

三日坊主(伊原剛志)というお坊さんの格好をした男の元へ、アブラハム(川平慈英)という営業マンのような男がやってきて、嘘発見器の宣伝をしていた。しかし、三日坊主が嘘発見器に向けて嘘をついても何の反応も示さないただのガラクタのようだった。
しかし、monoが現れるとその嘘発見器は不思議な信号音を発し始める。どうやらその信号音は、monoが持っている神から授かった箱に反応しているようであった。
monoはその箱について語り始める。箱の中には神から授かった言の葉が入っており、つまりプロメテウスが神から火を盗んだが如く、monoが神から言の葉を盗んだことによって人間は言葉を発せられるようになったのだと言う。
三日坊主はmonoが抱えていた箱を盗んでそのまま逃げ出す。

楽は父親が自分が3歳の時に亡くなったことを思い出す。そして、monoを「パパ」と呼んで亡くなった父親にまるで会っているかのような錯覚を受けるようになる。
楽とmonoの前に、星の王子様(前田敦子)が現れる。星の王子様はこう呟く。「いちばんたいせつなことは、目に見えない」と。言葉には2種類ある、文字と声と。つまり文字で書かれた言葉は目に見えるけど、声で発せられた言葉は目に見えないから、声で発せられた言葉が大切な言葉なのだと、星の王子様はmonoと楽に向かって話す。そして、星の王子様は皆来に戻り、彼女が星の王子様に憑依されていただけだったと分かる。

三日坊主とアブラハムは、monoから手に入れた箱の中身を早速確認しようと蓋を開けた。きっと神からの有り難い言葉が入っているのだと。しかし、箱からは「頑張れ」とか細い男の声しか聞こえず落胆する。
オタコ姐さん(村岡希美)は箱を盗んだ三日坊主を追いかけていた。そしてもう少しで三日坊主を取り押さえ箱を取り返そうとした時に、白い烏(前田敦子)が現れて箱を奪い去ってしまう。

場が変わって、シェイクスピア(野田秀樹)が踊りながら登場する。シェイクスピアは四大悲劇について語り、楽に対してあなたの四大悲劇のタイプは?とまるで血液型を聞くかのように尋ねてくる。どうやらA型は「リア王」で、O型は「オセロ」で、AB型は「マクベス」らしく、楽の四大悲劇のタイプは最後のB型の「ハムレット」であったようだった。
このシェイクスピアも結局皆来が憑依した姿であって、また皆来に戻ってしまう。さらに今度は、フェイクスピア(野田秀樹)というシェイクスピアの息子がやってくる。フェイクスピアは随分と派手な格好をしており、ヤンキーのような帽子と服装をしている。フェイクスピアは「源氏物語」から「サザエさん」まで幅広いジャンルの作品を書いたとフィクションを述べ、ずっと「フィクション」と叫んでいる。

楽は過去を語り始める。楽は生きていくのが辛くて、地下鉄のベンチに座っていた時にこのまま線路へ身を投げてしまおうと思っていた。しかし自分よりも先に、ベンチで隣に座っていた人が線路に飛び降りて人身事故が起きた。楽はその光景を見て余計に死にたくなった、なぜなら人が自殺しても世間はその人の死については全く触れず、電車が止まってしまって迷惑だとしか思わないのだから。
しかし、その時楽は誰かが自分を呼んでいることに気がついた。自分のことを励ましてくる声が聞こえたと話す。

いよいよ皆来が再びイタコになるための試験を受けることになる。辺りは真っ暗になって伝説のイタコが登場し、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というが、それはあくまで目が見える人が前提となっている話であって目の見えない人のことを全く考えていない不埒な言葉だと言う。
皆来は真っ暗な中でイタコになるための試験を受ける。

場が変わって、楽は星の王子様と一緒にいた。星の王子様は気球に乗って地上を眺めようと楽を連れて気球に乗る。星の王子様は、皆来に戻ってしまったりシェイクスピアになったりと変幻自在に姿を変える。そして、気球から地面を見るとmonoが箱を持ってアブラハムと三日坊主に追いかけられている光景を発見する。
monoは語る、神から授かったこの箱は言の葉の入った箱ではなく「死」が入った箱なんじゃないかと。monoは神からこの箱を奪ったことによって、人間に死が訪れるようになったのだと、いや人間はその以前から死ぬことはあったのだが明確に「生」と「死」を区別することはなかったのだと。例えば、ヒマワリはいずれ枯れて死んでしまうがその明確な「生」と「死」の境は存在しない。人間もヒマワリと同じように「生」と「死」にわかりやすい区別はなかったが、箱を奪ったことでその「死」というものが明確になったのだと。

monoはアブラハムと三日坊主たちに取り押さえられ、神の裁きを受ける裁判へと連行された。monoを原告人として神による裁判が始まる。monoは箱の蓋をそっと開ける。そこからは「ハイドロプレッシャー」「オルタネート」などと意味の分からない言葉が聞こえる。裁判に集まっていた人々は拍子抜けする、何が神から授かった言葉なんだと。そしてmonoは神に向かってこう叫ぶ「頭下げろ」と。
人々はmonoのことをなんと無礼な奴なんだと蔑む。

しかし、楽はこれによって全てを思い出すことになる。8月12日午後6時28分、あの箱、いやボイスレコーダーから一通の受信を受け取っていたことを。
楽の父親は飛行機に乗っていた。しかし、機体の一部が破損してこれ以上飛行出来ない状態となってしまっていた。航空機に搭乗していた人たちの声がボイスレコーダーを通して、楽の耳元まで届いていた。その言葉には、「ハイドロプレッシャー」「オルタネート」「頭下げろ」「頑張れ」といった今まで箱から聞こえてきた言葉が聞こえてきた。
やがて飛行機は墜落した、森の中へ誰にも見られることなく墜落した。楽はこのボイスレコーダーを聞いて、死んだ父親がまるで自分のことを「頑張れ、生きろ」と励ましているようでこの言葉を原動力にこれからも頑張って生きようと思えたと言った。ノンフィクションによって生まれた目に見えない言葉によって、楽は生きる希望を見出した。

楽と皆来が顔を合わす。皆来は結局今回の試験においてもイタコになることは出来ず21回連続失敗となってしまった。しかし、楽は恐山で死んだ父親からの言葉を受け取ったことによって、辛いことがあってもこれからも生きていこうと前向きな考えでいられるようになったことに大きな前進を感じていた。ここで物語は終了。

物語の前半は、一体この物語はどのように着地するのだろうかと不安になるくらい訳の分からない展開であったが、終盤の展開がまさか「日航機墜落事故」というノンフィクションに繋がっていくとは予想もしていなかった。この「日航機墜落事故」というノンフィクションに私自身は「8月12日午後6時28分」というワードで気づいたのだが、この事故が登場することによって、星の王子さまの一節に登場する「いちばんたいせつなものは目に見えない」であったり、青森県恐山のイタコが持つ能力の意味が繋がったり、劇中で様々に飛び交っていた「頑張れ」「ハイドロプレッシャー」といった言葉が繋がったり、楽の地下鉄でのエピソードが繋がってきて物凄く鳥肌が立った。正直、この作品はラスト20分くらいで一気に勢いがついて形になるといった、終盤が勝負の作品に感じられた、というか終盤こそが物語の全てといっても過言ではない。
こんな脚本を書いてしまう野田さんはやはり天才だと思うし、こういった戯曲がより多くの日本人に刺さればよいなと感じた。私自身は自分の体験と重なる部分が大きくて思わずラストは涙した。素晴らしい作品だった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/429582/1597473


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

先ほども記載した通り、野田さんが脚本または潤色された作品は今回で3本目の観劇なのだが、今回で概ね野田さんのテイスト、すなわちNODA・MAPのテイストは掴めたかと思う。基本的には役者たちが群がって舞台上を駆け巡り、ストーリーはなかなか追いづらいけれども耳に残る台詞は多くて「言葉」というものを大切にし、衣装がユニークで豪華で、シェイクスピア好きであるといった印象である。
今作はそこまで大々的な舞台装置ではなかったが、舞台装置、衣装、照明、音響、その他演出の順で見ていく。

まずは舞台装置から。まず客入れ時に目についたのは、舞台中央上部に明るく輝く「FAKESPEARE」の文字である。まるで西洋のBARの看板のようなオシャレで温かみのある黄色く輝く「FAKESPEARE」に魅力を感じた。たしか一番右の「R」は左右反転になっていた。
舞台セットは、下手と上手に青森県の恐山を表すような背の高い木の棒のようなものが一本ずつ立っており、その木の棒の上部に甲骨文字のようなものが書かれていた。
そして舞台中央奥には、前方に向かって斜めに下っていくような坂になった装置が設置されており、役者たちはそこを駆け上がったり駆け下りたりする。そしてそこには、墨のようなもので黒く模様が描かれており、坂の何箇所かが仕掛けに寄ってパネルのように垂直方向に立てられるような仕組みになっている。
また劇の後半では、楽と星の王子様との気球のシーンがあったが、上から気球の搭乗部分と飛行させるために加熱している部分だけが大きく作られたセットが降りてきて、非常に趣向の凝らされた装置だと思った。その時に、背後に青空と雲が描かれたシートが立てかけられていた。この青空と雲の感じも星の王子様のファンタジーっぽさを上手く醸し出していて好きだった。

次に衣装、衣装はNODA・MAPの作品というだけあって物凄くユニークで豪華だった。
特に目を引いたのが、皆来アタイと伝説のイタコの衣装。衣装には人の顔が縦に配置されていた上に、服によってその顔が横に伸びている模様が非常に不気味でもあり滑稽でもありなんとも複雑な気持ちにさせられた衣装だった。こういうデザインは、どうやって原案を考えているのだろうか。
また、前田敦子さん演じる星の王子様が非常に華奢で可愛い衣装だった。星の王子さまの有名な絵本に出てくる星の王子さまにかなり忠実に沿った衣装だったが、金髪のウィッグといい緑の衣装といい全てが小柄な前田さんにぴったしで可愛らしかった、ずっと見ていられる。
そして、野田さんのシェイクスピアとフェイクスピアの衣装は笑えた。シェイクスピアの衣装は、中世ヨーロッパの貴族のような衣装で、有名なシェイクスピアの肖像画をそのまま衣装にしたといった感じが雰囲気出ていて好きだった。カツラも金髪でロングな感じがウケ狙いもあって好きだった。また、フェイクスピアの方は、まさか野田さんがヤンキーになるなんて思わなくて爆笑してしまった。全身黄色っぽくて阪神タイガースを想起させるくらい黄色と黒のストライプだったのだが、あんなふざけた野田さんが見られただけで大満足だった。

そして照明、照明は基本的には白に近い黄色でずっと照らされ続けるシーンが多かったかなという印象。
印象に残ったのは、ダンスシーンの照明。アブラハムや三日坊主や烏たちがみんなで踊るシーンがあるのだが、あのダンスシーンの紫がかった照明は他のシーンと雰囲気違って目立った。どちらかというとミュージカルに近い感じの照明でNODA・MAPとはちょっと印象の違うシーンだった。
あとは、気球に乗っているシーンの照明がどこか薄暗く感じだのだが、それが敢えてファンタジーらしさを醸し出していてよかった。何色だったかとか明確なことは覚えていないので言えないが。
そして一番印象に残ったのは、皆来がイタコになる試験を受ける際の真っ暗の演出。あの時伝説のイタコが発した台詞「いちばんたいせつなことは、目に見えないというが、それはあくまで目が見える人が前提となっている話であって目の見えない人のことを全く考えていない不埒な言葉」的なことが真っ暗であるからこそ響く言葉であった。また、伝説のイタコの周囲でろうそくのようなものが灯されていた演出も好きだった。伝説のイタコのシルエットだけがくっきりと現れ、まるで何が行われているか分からないが、とにかく恐怖だけ残る演出は良かった。

音響は、音楽と効果音に分けて記していく。
まず音楽はそこまで多くはなかったが、強いて挙げるならダンスシーンの音楽。愉快な感じの音楽が入ってアブラハムや三日坊主が踊り上がるシーンは、台詞量の多い野田作品を消化する上では貴重な休憩タイムだった。また、客入れの音楽も明るめなBGMが多くてちそしてちょっと豪華な感じもあって、ドラムロールなんかは凄く開演への期待値を自然と高めてくれる良い効果があったと思う。
あとは、三日坊主のテーマソングも地味に好きだった。三日坊主が駆け回りながら「ポクポクチーン」という音がなる感じがセンスあると思った。
そして音響で今作注目したいのが、効果音である。個人的に好きだった効果音は、なんといっても嘘発見器から出る機械音と、日航機墜落事故のボイスレコーダーの機械音である。あの「ツーツーツー」という機械音が個人的にめちゃくちゃ好きであれが多用されていただけで満足だった。ただ、箱から聞こえてくる声はちゃんと箱から聞こえてきたように感じたのだが、機械音は左右のスピーカーから聞こえてくるので、前方で観劇していた自分にとっては音の聞こえてくる元が一番気になってしまった。

最後にその他演出部分について見ていく。
まず、皆来アタイ役の白石加代子さんが、最初に本名を名乗って始まり本名を名乗って終わるという演出がなかなか独特で面白かった。それはあたかもフィクションとノンフィクションを明確に区別している演出のようにも見えて、ここからが物語の始まり、終わりと宣言している感じが作品全体の解釈にも影響を及ぼしていると思う。
mono役の高橋一生さんが父親、楽役の橋爪功さんが息子、伝説のイタコの前田敦子さんが母親役、皆来役の白石加代子さんが娘役という役者の実年齢とは逆転した親子関係の設定も面白かった。おそらく敢えてそのような設定にしているのだろう。その演出意図は汲み取れなかったが、そういった年齢層を逆転させた親子関係そのものがフィクションという設定なのかもしれない。
烏の群れの存在は凄く野田作品ぽくて非常に好きだった。まずあの青い衣装も好きなのだが、「カーカー」とみんな鳴きながらまるで烏になりきったかのように鳥のような素振りで演技している点が凄く好きだった。世界観にマッチしていたと思う。
そして、下手から上手に大きな布のようなものが出てきてその間にキャストが入れ替わる仕掛けは面白い。以前同じプレイハウスで「真夏の夜の夢」を観劇した際も同様の演出があった。そういった工夫は舞台ならではなので、舞台として楽しめる魅力の一つだと思った。
そして一番その他演出部分で注目したい部分に触れて終わろうと思うが、なんといっても最後の航空機内でのシーンの作り方は天才的だと思った。よくぞあんな航空機内を再現するような演出を思いついたものだと思う。まず、ローラー椅子を使って航空機内の座席の不安定感を演出させるって素晴らしい。機体全体が揺れている感じを椅子をローラーで移動させながら演出することによって、観客側への緊迫感も物凄く伝わっていくる。そして途中でローラー椅子を上手下手へすっ飛ばす演出とかも凄く良い。まるで座席が機体から外へ投げ出されたかのよう、もう素晴らしすぎる。そして、このシーンってめちゃくちゃ稽古回数を重ねないといけないし、キャスト同士で息を合わせないといけないと思うから、絶対難しいと思う。そこをやってのけるキャスト陣とNODA・MAPの演出力に脱帽したワンシーンだった。これは他の劇団とかでも取り入れてほしい新たな演出手法だと思う。

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【写真引用元】
ステージナタリー
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

NODA・MAPだけあってキャスト陣がとても豪華なのだが、全員紹介していると長くなってしまうので特に目を引いたキャストに着目していく。

まず主人公のmonoを演じたまさに今を代表する俳優の一人である高橋一生さん。高橋さんの芝居を拝見するのは初めてであるし、NODA・MAP自体の出演も今回が初めてだそう。
とにかく演技が素晴らしかったに尽きる。凄く声に迫力があって力強さがある。広い広いプレイハウスに轟き渡るくらいの大迫力があった。また、楽の娘役であったり妻役に一時なることがあるのだが、その時のなりきり感も半端なかった。この人女装もいけるよってくらいの高クオリティ、高橋さんの演技力の高さを痛感した。
そして終始爽やかなので女性ウケとか物凄くあるのだが、特にその爽やかさは最後の航空機墜落シーン部分でしきりにメンバーに指示出ししている姿が本当にかっこよかった。そしてその片隅でボイスレコーダーから状況を聞いている楽が、これなら父親を慕うだろうってくらいナチュラルな感動的な親子関係を見せてくれたので素敵だった。

この流れで、楽を演じた橋爪功さんについて語る。橋爪さんの演技も生で初めて拝見したのだが、正直こんなに迫力のある役者だと思っていなかった。皆ご存知の通り橋爪さんは高齢の役者だが、あの声に籠もる力強さが素晴らしい。「パパ」というふうに叫ぶ楽が、年老いているにも関わらずなぜか子供のようにも見えてくる不思議があったり、ボイスレコーダーに耳を傾けてそこから生きる希望を見出していく姿に、なぜか自分も重なって物凄く同情して泣けてきた。そんな私の心を動かすくらいの演技力を橋爪さんは持っていた。
さらに、地下鉄のホームで自殺しようと思っていたというエピソードの、楽のモノローグも物凄く惹き込まれた。かなりこの作品で好きなシーンとして上位に食い込む。あの自分の心をさらけ出して弱々しくも強く生きる姿に感銘を受けた、そしてそんな演技が出来る橋爪さんが素晴らしかった。

伝説のイタコや星の王子様などを演じた前田敦子さんも素晴らしかった。前田さんの演技も初めて観劇した。
伝説のイタコでは、声を張り上げてかなり強気で権力に満ちた女性を演じていたが、声を潰すことなく演じきっていて素晴らしかった。
個人的には、前田さんが演じる星の王子様が凄く好きで、そこには昔小説で読んでイメージしていたサン・テグジュペリの星の王子様がいた。ちょっと見栄っ張りで自信に満ちていて小賢しいところはあるが、とても可愛らしくて愛嬌があって。そんな前田さんの星の王子様が声も動きも含めて全て可愛らしかった。

皆来アタイ役を演じた白石加代子さんは、申し訳ないが私は存じ上げないキャストさんだった。しかし、彼女の発する恐山に住むイタコを目指すめげない根性を感じさせる女性は凄くハマっていたと思う。
白石さんの演技は物凄く迫力があって、それだけでも凄く目を引いた。けれどもどこか情けなさみたいなキャラクターとしてのダメな部分も垣間見れて良かった。楽しかり皆来しかりなのだが、高齢のキャストが演じている役が今回軒並み弱々しい役柄に見えてくる。これは野田さんの演出的に狙っていたことなのだろうか。

最後に、シェイクスピア、フェイクスピアを演じた野田秀樹さん。もう野田さんの作品なので彼がやりたい放題やっているなという印象。シェイクスピアで舞台上を駆け巡りながら踊りながら登場してみたり、フェイクスピアというヤンキー役を設定してヤンキーを演じて適当なことを言ってみたり、本当にやりたい放題。でもそれがあるからこそ面白い。
まさか野田さんがヤンキーに変身するとは思わなかった。こんなひょうきんな人だったのかと改めて野田さんの多様性を知った気がした。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作は要約してしまえば、白石加代子さんの青森県の恐山でイタコの修行をしていたというフィクションと、星の王子さまという絵本の世界のフィクションと、シェイクスピアとその息子のフェイクスピアというフィクションと、プロメテウスの火というフィクションを経て、徐々に「日航機墜落事故」というノンフィクションにたどり着いて、生きることへの背中をポンと押してくれるようなハートフルな作品となっている。まさにこれは、「嘘からでたまこと」ともいうべき作品なのだろうか。
いずれにせよ、青森県恐山のイタコ、星の王子さま、シェイクスピア・フェイクスピア、プロメテウスの火、「日航機墜落事故」というステップで今作をしっかりと考察していきたいと思う。

青森県恐山のイタコ
今作の舞台となっている青森県の恐山は、イタコという死者の言葉を伝えることが出来る巫女が住むといわれている山である。ただ実際にはイタコは存在せず、死者の言葉を伝えるという「口寄せ」という能力はこの世に存在しない。
しかしこの作品では、このイタコの伝説を取り上げることによって、最後の日航機墜落事故によって死んだ父親からの言葉を息子は耳にすることが出来るのである。その死者の言葉を伝えられる「口寄せ」という点が最後の「日航機墜落事故」というノンフィクションへ繋がる大きな伏線となっている。
ただ、ここで大きな疑問となるのは結局皆来がイタコになって「口寄せ」が使えるようになった結果、楽に死んだ父親の言葉が聞こえるようになったという設定にはなっていないということである。最後のシーンで楽はボイスレコーダーから死んだ父親の声を聞いているのだし、皆来も結局はイタコにはなれなかったと終盤のシーンで言っている。この辺りが最後の「日航機墜落事故」とどう関わっているのかは完全に払拭出来なかったのだが、何度か観劇すればこの疑問ももしかしたら解消されるのかもしれない。
また余談ではあるが、この白石加代子さんは以前もイタコを何度か演じたことがある(例えば、KAAT神奈川芸術劇場プロデュースの「常陸坊海尊」のおばば役など)らしく、野田さん的にもイタコを演じられる女優として真っ先に白石さんを起用したとパンフレットには記載されていた。

星の王子さま
星の王子さまは、サン・テグジュペリによって書かれた絵本小説である。この絵本小説の中に、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という星の王子様の名言が出てくる。この作品の中でいう「目に見えない」ということは、文字ではなく声であると星の王子様は言っている。つまり、楽にとって一番大切なことは声による言葉であるということになる。これが、「日航機墜落事故」の父親からのボイスレコーダーによる受信音のことなので、そういったノンフィクションに繋がるための伏線になっている。
また、このサン・テグジュペリという作家自身が同時にパイロットでもあり、彼がサハラ砂漠で不時着した(気球のシーンが砂漠に不時着する内容だったと思う)という体験を元に「星の王子さま」が執筆されたと言われている。つまり、この「星の王子さま」という作品自身が飛行機の墜落というものを想起させる点で伏線となっているのである。
さらにこのサン・テグジュペリは、実際のところ飛行中に事故にあって死亡している。ここまで来たらそれはもはやノンフィクションではないかと思われるかもしれないが、これを想起させるような内容が、星の王子様の言葉によって「日航機墜落事故」のシーンの直前くらいで、森に墜落して孤独の中で死ぬのような表現があった。この作品中ではそうやって徐々にフィクションをノンフィクションに近づけていってクライマックスに向かう構成を取ることによって、作品の核心に迫っているんじゃないかと思っている。非常に良く出来ている。

シェイクスピア、フェイクスピア
シェイクスピアという実在した人物(ノンフィクション)と、フェイクスピアというシェイクスピアの息子という実在しない人物(フィクション)が登場する。この野田さん演じるこのシェイクスピア、フェイクスピアの役は、後で考えたら物語中で語られているシーンがそれぞれフィクションなのかノンフィクションなのかを明確にしている存在だったのかもしれないと思う。
物語中盤や神の裁きの裁判では、フェイクスピアが仕切りに現れて「フィクション」と叫んでいたのでこれは非現実だったのだが、最後の「日航機墜落事故」のシーンではシェイクスピアとして現れ「ノンフィクション」と叫んでいたので現実だとしている。ちょっと野田さんが出演していたシーンを全部記憶の中で追えていないので、もし違ったら訂正しておく。
さらに、シェイクスピアが四大悲劇をまるで血液型のようにどのタイプかの診断として使っていたが、その時に楽は「ハムレット」という結果を受けていた。「ハムレット」のあらすじは、主人公のハムレットは父親が殺されてしまい、その復讐に燃える話なので、なんとなく父親を亡くしている楽の状況と似ていたからではないかと思っている。そしてこれを機会に、楽は自分は父親を早くに亡くしているという事実に気がつくので、「日航機墜落事故」への伏線となっている。

プロメテウスの火
monoは、神から言葉の入った箱を盗んだものと思っていたが、そこにはロクな言葉は入っておらず、途中でmonoは神から「死」を盗んできてしまったんじゃないかと判断するようになる。元々人間には「死」というものが存在したが、「生」と「死」という明確な境界はなくて、まるでヒマワリがいつの間にか枯れているようなものだったのが、「死」を盗んだことによって明確になってしまったんだと。
ちょっとここの台詞をどう解釈するかは難しいのだが、少なくとも箱がボイスレコーダーであることを考えれば、たしかに箱は「死」を表しているんじゃないかと思えている。ボイスレコーダーから聞こえる声は死んだ父親の声、死者の声である。この箱の出現によって、恐山の「口寄せ」を介さなくても死者が言いたいことを伝えてくれるのである。

「日航機墜落事故」
そして全ての伏線がこのノンフィクションによって回収される。私は「8月12日午後6時28分」でピンときた。
飛行機内のシーンはボイスレコーダーに収められていた内容を完全に再現したものとなっている。それを聞いただけでも、このシーンは他のシーンと異なりしっかりとノンフィクションであることが分かる。
また、劇中で現在のことを「永遠+36年」という言い方をしていたが、この36年というのは「日航機墜落事故」があった1985年から今年で36年という意味でもある。

では最後に、なぜ作品でもっとも伝えたいメッセージをノンフィクションに乗せて届けたのか。これはノンフィクションだけでなくフィクションも対応させながら考えた方が良い。
これは個人的な解釈になってしまうが、人は自分の実体験つまりノンフィクションを通じて成長したり強くなったりする。しかし、そのノンフィクションを体験して自分自身を成長する変化させるためには、それまで触れてきたフィクションにも依存するんじゃないかと。例えば、自分の最愛なる友人を亡くしたというノンフィクションが起きたとして、もちろん精神的にダメージは大きいことだろうが、例えば、同じように友人を亡くした主人公がそこから立ち直った物語をフィクションとして心に留めておくことによって、きっとノンフィクションで起きたダメージを克服することが出来るんじゃないか。つまり、数々の映画・舞台作品という自分にとってのフィクションを沢山取り込んでおくことによって、いざ起きたノンフィクションに対しても前向きに対処出来るんじゃないかというメッセージ性がそこにはあるような気がした。
ちょっとこれはこじつけに近いかもしれないが、だからこそ人々はもっと作品にふれるべきだと思うし、たとえそれはフィクションであったとしても、いずれそれはノンフィクションとなってどこかに繋がっている、そんな訴えかけがこの野田作品からは受け取れる気がした。


↓野田秀樹さん作・演出作品


↓野田秀樹さん潤色作品


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