舞台 「人生が、はじまらない」 観劇レビュー 2022/08/06
公演タイトル:「人生が、はじまらない」
劇場:新宿シアタートップス
劇団・企画:TAAC
作・演出:タカイアキフミ
出演:安西慎太郎、清水優、富川一人、難波なう、南川泰規、齋藤明里、猪俣三四郎、七味まゆ味
公演期間:8/3〜8/7(東京)
上演時間:約100分
作品キーワード:ヒューマンドラマ、家族、ネグレクト、シリアス
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
タカイアキフミさんが主宰する、演劇を創作する個人ユニット「TAAC」の舞台作品を初観劇。
「TAAC」とは「Takai Akifumi and Comrades」の略称らしく、公演ごとに集まった表現者たちと演劇作品を共創する集団。
過去に悪い芝居主宰の山崎彬さんと柿喰う客所属女優の七味まゆ味さんを迎えての二人芝居を上演したり、ハロルド・ピンターの有名戯曲である「ダム・ウェイター」を、2.5次元俳優として大活躍中の大野瑞生さん、横田龍儀さんを迎えて上演したりもしている。
今作は、タカイアキフミさんが作演出を務める新作公演。
物語は、大人になった男女3兄妹の家族をベースに展開される。
長男である福本進(清水優)はえり子(七味まゆ味)と結婚をしていて妊娠している。
次男の福本夏生(安西慎太郎)と長女の福本ゆき(難波なう)も同居している。
この家族、実は母が兄妹たちが子供の頃に家を留守にしたままで帰ってくることはなく、長男の進以外は出生届すらも出されていなかった。
うたという一番下の妹を殺して死なせてしまい海岸へ遺棄したことで進は子供の頃逮捕されていたという普通の家族ではなかった。そこへ当時の事件を記事にして大きく出世した記者の中田英利(猪俣三四郎)が再びこの家族の元へやってきて取材を始めるという話。
私は観劇していて、序盤は是枝裕和監督の映画「誰も知らない」とそっくりだと思った。
今作もその映画も、1989年に実際に起きた「巣鴨子供置き去り事件」から着想を得ている。
映画としてネグレクト(幼児・高齢者・障害者などの社会的弱者に対する保護・養育義務を果たさずに放棄、放任すること)ものは既に存在していて、今作を改めて演劇としてやる意義はどこにあるだろうと思って観劇していたが、終盤まで観劇していくとタカイさんが表現したかったことが明らかになっていって凄く腑に落ちて感動を覚えた。
今作のテーマはネグレクトものというよりは、過去に犯した罪を背負いながら生きる兄妹の苦悩と、それをネタとしか考えていないマスコミに対する批判だと感じ取った。
罪を犯した人間はその罪によってさらに大きな罪を犯してしまうというドストエフスキーの「罪と罰」にも精通するようなテーマで、そこに今作を上演する意義が感じられて素晴らしいと思った。
舞台演出も秀逸で、場転を多様して過去の回想と現在を行き来させて映画的に見せながらも、登場人物たちが抱える湿度の高くジメッとした感情を表現する上で演劇としてのナマモノとしての価値をしっかり発揮していた。
若い演劇ユニットだが力のある団体だと感じる、今後も応援していきたいと思うし、多くの人に観て欲しい舞台作品だった。
【鑑賞動機】
「TAAC」という演劇ユニットの名前も以前からよく耳にしていて一度は観劇してみたいと思っていた。毎公演フライヤーデザインが好きでそれだけでも気に入っていたのだが、演劇作品自体の評判も良かったので観劇タイミングを窺っていた。
今作はフライヤーデザインも好みだった上、劇団柿喰う客所属の齋藤明里さん、七味まゆ味さん、それからiaku「逢いにいくの、雨だけど」で好演だった猪俣三四郎さんなど知っているキャストも多数出演するとのことだったので観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
福本夏生(安西慎太郎)は、「あめあめふれふれ母さんが〜」と童謡の「あめふり」を口ずさみながらじょうろで地面に水を与えている。
福本家の自宅に記者の中田英利(猪俣三四郎)が入ってくる。記者はボロボロの衣服を身にまとって福本家の人間に絡んでいく。中田は福本家の人間に名前を尋ねていく。長男の福本進(清水優)は結婚していて、妻の福本えり子(七味まゆ味)と一緒にいる。進は中田のことを鬱陶しく思っていそうだが、えり子は名前を間違えられたにも関わらず愛想よくニコニコしている。えり子のお腹には赤子が授かっていてお腹が大きく、娘を近々出産する予定とのことである。
次に、次男の福本夏生と長女の福本ゆき(難波なう)が自己紹介する。中田は陽気そうに夏生は夏生まれで、ゆきは冬生まれかと尋ねるが、夏生は頷くがゆきは夏生まれですと呟く。
中田はなぜ自分が福本家を尋ねて取材に来たのかを話し始める。中田は一冊の雑誌を取り出し、20年前に君たちのことを取材して世間が大賑わいしたのだと言う。その事件は「柏市子供置き去り事件」。この事件を取材し雑誌に載せたことによって、「ネグレクト」という言葉がよく使われるようになったと言う。
ここから中田のモノローグにより、20年前の「柏市子供置き去り事件」の内容描写が回想形式で展開される。
福本3兄妹の母である福本えり(七味まゆ味)は、横浜市の中流階級の家庭に生まれた。美容専門学校へ進学するが、歌が上手かったことからアイドルを目指すという夢を叶えようと活動した。しかし、1980年代の当時はアイドル全盛期、アイドルを目指すライバルも沢山現れてえりは頭角を現すことは出来ず、アイドルになりたいという夢を諦めることになる。
えりは色々な男性からチヤホヤされ遊んでいた。こうして、長男の進、次男の夏生、長女のえり子は生まれた。さらに次女のうたも生まれた。それぞれ皆父親は別人だった。
えりは最初の頃は子供たちの元へいたが、次第に子供たちの元へ帰る頻度は減っていった。進は小学生になり、友人の日下部孝太郎(富川一人)と守山丈二(南川泰規)と進の家で遊んでいた。テレビを見たりなど。そこへ次男の夏生と長女のゆき、次女のうたも混ざっていた。
ある日、進と友人の日下部、守山は次女のうたをキャリーケースに閉じ込めて、そのキャリーケースを地面に何度も投げつけていた。うたはワーワー泣いていた。夏生は部屋の隅でその様子をじっと見つめていた。ゆきは眠っていた。そして、キャリーケースを投げつけているうちにうたの泣き声が聞こえなくなった。キャリーケースを開けてみると、うたは死んでいた。
これはまずいと悟った進たちは、うたを死なせてしまったことを隠すために、九十九里浜まで行った。これが初めての家族旅行だった。そして、進たちは九十九里浜の海岸にうたを遺棄した。
しばらくした後、アパートの大家が家賃が支払われておらず、連絡がつかなくなったので様子を見に行った時に、兄妹たちが餓死寸前で部屋で弱っている様子を発見した。そこから九十九里浜に妹のうたを遺棄したという事実が発覚し大騒ぎになった。さらに進以外は出生届が出されておらず、初めて兄妹たちの存在が明らかになった。なぜ助けを呼ばなかったのかと進たちに尋ねると、母が帰ってきてくれると信じていたからだと答えた。
小学生だった進は有罪判決が言い渡され懲役処分になった。母のえりも懲役処分となった。弟たちや進の友人たちは罪に問われなかった。進も母のえりも釈放されたが、母のえりは進たちと一緒に暮らすことはなかった。
進と友人の日下部はスナックで飲んでいた。日下部は現在古典の教員をやっていた。スナックには七海(齋藤明里)というチーママがいた。進は自分には妻がいるけれど、七海と付き合いたいと言い出すが、日下部がそれを止める。七海も既に付き合っている人がいるのだからと、それに妻がいるのにそれは無理だと。
進はむしゃくしゃしてスナックを出ていってしまう。日下部も後を追ってスナックを出ていく。その後、スナックの元に中田という記者が訪ねてくる。
福本家の自宅。ゆきは呆然と脱力した感じで居座っていた。日下部はゆきにあずきの棒アイスを渡す。
ゆきは食べ始めるが、途中で気持ち悪いと言い出す。そしてアイスを残すと言い出す。日下部はあと少しなのだから食べてしまえばと勧めるが、気持ち悪くて食べきれないのだと言う。そして、ゆきは日下部のその優しさが気持ち悪いのだと言う。日下部はゆきの心境を理解していなそうだったが、ゆきはアイスを日下部に渡して去ってしまう。
進はビールを呑みながらテレビを見て大爆笑している。そこへ夏生が現れる。夏生は進に対して、妊娠中のえり子のことをもっと考えて行動するように忠告する。いつも酒呑んで寝てしまってえり子が可愛そうだと。
しかし進は、昨日はえり子を病院へ連れて行って"やった"と言う。夏生は、その「連れて行って"やった"」という言葉に呆れる。
七海と夏生は肌着になってゆったりしていた。どうやら2人は性行為を終えた後のようだった。
七海は性行為中の夏生が凄く優しかったと褒めた。慣れているのかと思ったが、そうではない様子だったのでより好印象だったようだった。夏生は言う。優しいって都合が良いってことなんですかねと。夏生は靴紐が結べなくていつも進に結んでもらっていたが、ある日突然進は結んでくれなくなった。すると夏生は自分で靴紐を結べるようになったのだと言う。
夏生はシャワーを浴びてくると、七海の元を去る。七海は自分の子供に電話をかけて、もう少ししたら帰るから大人しく待っていてのような言葉を電話越しで子供にかける。その様子を夏生は目撃する。七海は夏生に気づかれたことを悟る。夏生は怒りがこみ上げてきて叫びながら七海を暴力的に襲う。七海は苦しむ。そして七海は夏生の手を逃れると、「夏生くん、優しくないよ」と言って出ていく。
夏生は夜、ダイヤル式の公衆電話で電話しようとする。その光景を記者の中田に見つかる。中田は夏生のその様子を見て変わった青年だと笑う。
中田は自分のことを語り始める。20年前に「柏市子供置き去り事件」を取材して記事にした時、中田はまだ新卒3年目で上司や他の部署の人間からもかなり評価された功績となった。しかし、そこから中田のキャリアは下り坂だった。過去に功績を残したことがプレッシャーになってか、読まれる記事を書けなくなったと言う。妻や娘にも逃げられてしまったと。そして今では経理に部署異動までさせられてしまった。
福本家を取材して再び過去の栄光を取り戻したいという思いもあって、再び福本家を取材させてくれないかと夏生に懇願する。
中田は、福本家に関係者を集める。福本3兄妹と、進むの妻のえり子、そして日下部、さらにスナックの七海。
中田は過去のネグレクトについて散々取材した挙げ句、七海に、私と日下部は一切質問されていないし関係ないではないかと言われる。
しかし中田は、この先尋ねたいことに関係があるのだと七海を説得する。それは、3年前に失踪した守山丈二のことについてだった。守山は失踪する直前に七海のスナックで進と日下部と3人で飲んでいたという目撃情報を他の客から窺っていた。
進は回想を始める。
七海のスナックで日下部が飲んでいると、横に偶然守山が座り込んできた。そして守山が隣に座っているのが日下部だと気が付き、物凄いテンションで絡んでくる。こんな田舎で何しているの?と。どうやら守山はどこか別の場所で活動していて、地元に戻ってきたところだったらしい。
日下部の次に、ソファーで寝ている進も発見して守山は久々の友人の再会に歓喜する。しかし、進と日下部はそれが気に入らなかった。進は守山と喧嘩沙汰になる。七海は喧嘩するなら外でするようにと彼らを追い出す。
進と守山は雨の中、びしょ濡れになりながら取っ組み合いを続ける。そして酒で酔いも回っているというのもありそのまま意識を失ってしまった。
進はそこまでしか記憶がないが、それでは守山が失踪した理由が見えてこないと中田は言う。何かその続きを知っているんじゃないかと。
そこへ夏生がこう自白する。「僕が守山を殺した。あの後、僕がその現場にやってきて殺した。」と。
夏生は回想する。
夏生はずっと九十九里浜に行ってうたを埋めた場所にじょうろで水を与えていた。それは、兄の進はうたを遺棄した罪で逮捕されているが、自分は逮捕もされておらず罪を償えていないからだった。うたを暴力によって殺してしまった現場に夏生もいたので、自分にも罪があると思っていたから。そんな心の中に罪を抱きながら生きていくなんて苦しくて、人生をいまだに始められずにいた。
雨の中、進と守山が取っ組み合っている光景を目の当たりにする。自分が抱える罪を償うために、人生を始めるためにも行動を起こそうと夏生は守山をブロックで殴って殺した。
そして、守山の遺体を山に埋めた。罪を償うためにその後出頭しようと思っていた夏生だったが、まだうたのことだって罪を償えていないのに、守山の罪を償う気持ちにはなれなかった。だから結局出頭せずに、ただうたの埋められた場所に水を与えていた。結局、守山を殺しても人生を始められずにいた。
ゆきが語り始める。
濡れた靴下は雨があがってもしばらく濡れたままで気持ち悪いのだと。そして、その濡れた靴下は外からは見えず、自分だけしか感じることが出来ないと。靴下を履き替えることも出来るけれど、決してそれはしたくないのだと。
えり子の陣痛が始まる。お腹を抱えながら痛みで苦しんでいる。進はすぐにタクシーを呼ぼうと連絡を取ってえり子のそばにいる。
夏生は童謡「あめふり」を口ずさみながらじょうろでうたが埋められた場所に水を与えていた。そこへ進が傘を差してやってくる。進は、女の子ではなく男の子が生まれたと報告する。ちんこが隠れていて分からなかったのだと。ここで物語は終了する。
物語序盤は、是枝監督の「誰も知らない」とそっくりの話で、これはもしかして同作品の演劇版なのか?と疑った。だとしたら今作を演劇でやる意義ってなんだろうかと考えながら見ていたが、後半に話が進むにつれて、今作でタカイさんが主張したメッセージがよく伝わってきた。
これは、ネグレクトを訴えたい作品ではなく、過去に重い十字架を背負った人間の生き苦しさと、「罪と罰」に代表されるような犯した罪からさらに重罪を犯していくという負の連鎖だと感じた。東京夜光が2022年2月に上演した「悪魔と永遠」にも通じるテーマだった。
また、今作はそんなネグレクトを受けた子供たちを取材して手柄にしようとする中田という記者についても深堀されていて非常に興味深かった。こうやって、社会問題を報道するマスコミに対する疑問をしっかり投じた演劇作品になっている点も新鮮で面白かった。
登場人物8人がしっかりとキャラクター設定として深堀りされて描かれているので、どの登場人物にも共感するし納得がいくし丁寧な物語だと感じた。このあたりについては、考察パートで触れていくことにする。
序盤はかなり見くびっていたが、完全に終盤で個人的な満足度がかなり高まっていった。素晴らしかった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
貧困に苛まれる家族を象徴するかのようなボロい舞台セットに、回想と現在を行き来する映画的なカットインの多い演出による舞台音響・舞台照明がとても印象的な舞台作品だった。また全体的に雨の音が多かったりとジメッとした湿度の高い感じが舞台空間を覆っていて、その感触が生の舞台ならではの感覚で好きだった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。
まずは舞台装置から。
舞台後方に大きく一枚のパネルがそびえ立つ。上手側は一部欠けていてボロさを際立たせている。その中央には福本家の出入り口にもなるでハケが存在した。扉などはついてなくただ四角くパネルが切り取られているといった感じ。パネルの下手側手前には、進とえり子が2人で座る用のソファーが置かれていた。パネルの上手側には、七海のスナックのバーカウンターが配置され、その手前には2つのカウンター椅子が置かれていた。基本的にはここでスナックのシーンが展開される。
舞台下手側手前にはダイヤル式の電話が置かれ、夏生と中田の2人の夜のシーンに使われる。舞台の上手側手前には夏生がじょうろに水を入れるための水道のようなものが置かれていた。
さらに、舞台の端と端には背の高い街頭が設置されていて、夜のシーンをより印象づけてくれた。
一番気になったのが、舞台中央手前の床に開けられていた正方形の空洞。夏生がじょうろで水を与えていた場所である。こちらは、生と死の境界を表す出入り口だと認識した。このような空洞は、ロロの「Every Body feat. フランケンシュタイン」やゆうめいの「娘」でも存在し、度々様々な劇団公演でお目にかかる。今作では、うたという死んだ妹が眠る空間であると共に、回想シーンで福本えりが3兄妹を出産したときも、ここから3人が登場した。生と死を境界する象徴的な穴だった。
次に舞台照明について。
映画的な暗転、場転、カットインの多い演出ということはその他演出で触れることとして、ここでは印象に残った照明演出について触れる。
個人的に好きだったのが、最初のシーンと最後のシーンで夏生がじょうろで水を与えるシーンでの下手側から差し込むスポットによる太陽の日差しを表した照明。湿度が高く植物が生い茂った世界に差し込むような日差しを表現するかのような照明が絶妙で好きだった。あんな感じの舞台照明を観たことがなかったので好きだった。
スナックのシーンで差し込むオレンジの照明も好きだった。背後のパネルに当たるオレンジ色がなんとなく寂れた感じを醸し出していて、凄くエモさが伝わってきた。
夏生と七海の2人の大人な時間のシーンの照明も色っぽくて好きだった。あの薄暗く甘い感じが堪らなかった。
舞台の両端にある街頭からの照明も、夜のシーンを印象づける効果として良かった。街頭は迫力あるなと思う。
次に舞台音響について。
客入れ時にシリアスな感じの音楽が流れていて、開演と共に音が大きくなっていて始まるというスタイルを久々に堪能したので好きだった。新宿シアタートップスという没入感の深い小劇場だからこそ、その演出が非常に意味があって効果的だと感じた。開演時に一気に舞台に惹き込まれていった。
シリアスな映画に登場するような、緊迫感を張り詰めた音というよりは重厚で重たい音楽が要所要所で流れていた印象。
また、とにかく雨音が多かった。守山と進が喧嘩をするシーンは特に雨音が強かったが、それ以外でもかなりのシーンで雨音がしていた気がする。それもシトシト降る雨音と激しい雨音と色々あった気がしていてバリエーションも豊かだったような。だからこそ湿度の高い演劇作品に観えたのかなとも思う。
うたがキャリーケースに閉じ込められて、ワーワー泣く音は結構観ていてしんどかった。そして泣き止んだ時にグッと胸が締め付けられた。あのシーンは少しトラウマになった。
スマホが鳴る音、雷が鳴る音、テレビの音、福本家の玄関の開閉音、色々効果音があったが玄関の開閉音だけは少々違和感があった。玄関の開閉音と想像出来なかった。
最後にその他演出について。
まず書き記しておきたいのが、今作の非常に映画的な演出手法。以前観た五反田団の「愛に関するいくつかの断片」もシーンとシーンがぶつ切りのカットイン繋がりだったのだけれど、五反田団の場合は舞台空間場で別のエリアで上演されているので、映画的に見えて舞台でしか表現できない非常にユニークな手法を取っていた。しかし今作は、そういう訳でもなくただ回想と現在という時間軸を行き来するためにカットイン的に映画のようにシーンが切り替わっていた。物語の進行上、このような手法を取らざるを得なかったのかなと思う。個人的には観劇していてかなりストレスだった。モノローグで中田による描写説明が入りながら舞台上では3兄妹のシーンが進行し、暗転して音楽というのが繰り返されたので、あまり作品に入り込めなかった。
ただこの舞台作品は非常に雨と湿度といったモイストが重視される舞台で、それを肌で凄く感じ取ることが出来たので、生の舞台としての演劇の価値をそこで感じた。あの質感は客席からでないと伝わらないだろう。
そしてそうであるが故の脚本のワードチョイスも上手い。例えば、ゆきの終盤の台詞で濡れた靴下を使ったメタファーがあった。妹を見殺しにしてしまったという罪を着させられた状態を、濡れた靴下を履いた状態だと比喩していた。死体を遺棄したことが公になって、母のえりも懲役をくらって雨は止んだかもしれないが、濡れた靴下は濡れたままで、罪を背負った状態はそのままで誰にも理解してもらえない。そんな気持ち悪さを今作のテーマである雨になぞらえて濡れた靴下でメタファーとして置き換えたのが秀逸だった。
それ以外にも脚本の言葉選びで深く考えさせられたのが、優しさについてである。夏生と七海のシーンで、優しいって都合が良いだけでは?という夏生の投げかけが図星だったのが印象に残った。結果的に、子持ちの七海に利用されていた夏生は優しい=都合が良いからであった。だから最後に七海は「夏生くん、優しくないよ(=私にとって都合よくなくなったよ)」になるのだと思う。優しいって褒め言葉でないのだなと考えさせられた。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
既に知っているキャストと初めて知ったキャストが半々くらいといった感じだったが、どの方も非常に惹き込まれる素晴らしい演技をされていた。
特に印象に残ったキャストに着目して触れていく。
まずは主人公の福本夏生役を演じた安西慎太郎さん。舞台「デュラララ 円首方足の章」など2.5次元舞台を中心に活躍されている。私自身は演技拝見が初めて。
2.5次元舞台がメインとは思えないほど、ヒューマンドラマな演劇作品の俳優にピッタリとハマっていた。終盤以外はいつも優しそうな印象がとても演技を観ていて穏やかにさせてくれる。あのボサボサに伸びた髪の毛の感じも良い。
次に紹介する福本進とは性格が真逆で対照的な感じも凄くキャラクターとして良かった。兄の進が妻が妊娠しているにも関わらずそっちのけで興味を示さないことに憤りを感じたり、七海が子持ちだと知って激怒するシーンは最高だった。あのシーンでは自分も最悪な親と一緒ではないかと自分自身に嫌悪感を示したのもあるんじゃないかと思う。
ものすごく自分のことが嫌いで、だから人生がはじめられなくて、そしてさらに重い罪を犯してしまったのだろうなと思う。生きていて凄く苦しそうなキャラクター設定だった。でも凄く魅力を感じる。
次に、兄の福本進役を演じた清水優(しみずゆたか)さん。清水さんは舞台出演は赤堀雅秋プロデュースの「ケダモノ」くらいで、メインは映画やテレビドラマの出演といったところ。しかし全くそれを感じさせないくらい迫力のある舞台役者だった。
優しくて繊細な夏生とは全く正反対の性格で、酒をよく呑み喧嘩好きな感じは、母のえりの子とはいえ腹違いであることを強調している気がした。
とにかく喧嘩のシーンなどの迫力が凄かったという印象、シアタートップスという小劇場だからこそ響き渡ってその迫力を存分に味わうことが出来た。
今作のMVPといっても良いのが、スナックのチーママの七海役を演じた、劇団柿喰う客所属の齋藤明里さん。齋藤さんの演技は劇団4ドル50セントとのコラボ公演の「アセリ教育」「学芸会レーベル」、柿喰う客本公演の「夜盲症」、悪い芝居の「愛しのボカン」など複数回観劇しているが、今作の齋藤さんの演技がこの中でも別格で素晴らしかった。
容姿といいスタイルといい、衣装といい、あの甘ったるい話し方といい全てが色っぽくて、男性なら誰もが惚れてしまうだろう。また舞台演劇という生ものだからこそあのエモさがガンガンと伝わってきて心動かされた。
特に夏生とのシーンは最高にエモかった。性行為後の感想を語り合ったり、肌着のような薄い衣装で体を寄り添ったりとシチュエーションが物凄く心動かされた。
福本ゆき役を演じた難波なうさんも良かった。難波さんは、キ上の空論の「ピーチオンザビーチノーエスケープ」や悪い芝居の「愛しのボカン」で演技を拝見したことあるが、少人数の芝居でまじまじとここまで演技をしっかり観たのは初めてかもしれない。
作品自体が是枝監督を想起させるので、難波さんが何度も安藤サクラさんに見えてしまったのは私だけだろうか。
決して心を打ち明けることなく、気持ち悪いと家族をずっと拒否し続ける姿勢に物凄く辛さを感じた。福本家を出ていけばいいのにと思うが、濡れた靴下を履き替えたくないように福本家に留まりたい愛着があるのだろう。そんな辛い役を上手く演じていた。
記者の中田英利役を演じるナイロン100℃所属の猪俣三四郎さんも良かった。猪俣さんは、iakuの「逢いにいくの、雨だけど」で非常に演技が光ったのを覚えている。
記者という立場上、福本家を取材して記事にして功績を挙げたいので、ニヤニヤしながら取材に躍起になっている序盤の姿が凄く気味悪く見えたが、そこがしっかり今作の重要なエッセンスでもあってよく出来ていた。
またモノローグのシーンも凄く聞き取りやすかった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
最初は是枝監督の「誰も知らない」に通じるようなネグレクトものを扱った社会派ヒューマンドラマかと思ったが、物語が進行するうちに今作のテーマは全く別の部分にあると気が付き、最終的には演劇作品として素晴らしい内容だと観てよかったと思うことが出来た。
今作のテーマは、タイトルとも深く関わってくる「罪を背負った男の罪の償い」と、「ネグレクトな家族をネタにするマスコミの問題性」という2つだと私は感じた。ここではその2つのテーマについてそれぞれみていきながら、登場人物の人間関係について考察していく。
この作品を観るまで、「人生が、はじまらない」とはどういうことなのか興味を唆られていた。HPや公演のあらすじを見ても特にストーリーについて言及されている箇所はなく、全く謎に包まれていた。
物語が後半に差し掛かるところで、ようやくこのタイトルの意味が分かってきた。それによって、これはネグレクトものを扱いたいのではなく、むしろその後の人生の歩み方にフォーカスした作品なのだと感じた。
主人公の夏生は、兄とその友達がキャリーケースに妹のうたを閉じ込めて暴行を加えて死なせてしまった光景を目の当たりにしていた。そして死体を遺棄した。けれど罪に問われたのは兄の進だけであり自分は何も罪を償う機会が与えられなかった。ただ妹を見殺しにしてしまったという罪だけが拭えない形で生きるしかなかった。
だから夏生は心機一転して自分の人生をやり直すことが出来なかった。ずっとその罪を引きずったまま生きるしかない辛さを感じていた。
ドストエフスキーの小説に「罪と罰」という作品がある。「罪と罰」では主人公のラスコーリニコフは、自分が犯してしまった罪を隠そうとしてさらに大きな罪を犯すことになる。つまり、最初の罪による影響によってさらに大きな罪の引き金となってしまうのである。
今作の夏生は、うたを死なせてしまったという罪を償いたくて、守山の殺害というさらに大きな罪を犯すことになってしまった。ドストエフスキーの「罪と罰」にも通じる展開である。そしてここでさらに重要なことは、そのさらに大きな罪を犯したからといって決して罪が償えた訳ではなくさらに事は深刻になっているということである。夏生自身も守山を殺したからといって、決して罪が償えて人生を心機一転始められたのかというと決してそうではなかった。それに、たとえ夏生が逮捕され懲役をくらったからといって罪を完全に償えるのかというとそうでないと思う。罪を背負ってしまった夏生に人生をはじめられる権利なんて既にないのではないかと感じてしまう。そこにこの物語が訴えるメッセージ性の恐ろしさを感じられる。
人生をはじめられていないのは夏生だけではない。ゆきも同じである。ゆきだってうたが暴行を受けて死んだ時に眠っていた訳ではなくて寝たフリをしていた。だからゆきも罪を背負っていて、それを決して拭うことが出来ないでいるのである。
兄の進だって逮捕はされたものの、妹を暴行によって殺してしまったという過去は変えられない訳で、その罪を背負いながら生きている辛さがあるのである。だからこそ酒や女に逃げようとしているのかもしれない。一方、同じ現場にいたはずの守山はというとよその土地で楽しくやって戻ってきて良い気になっていたから進は激怒して喧嘩になってしまったのかもしれない。
登場人物がそれぞれ罪を抱え込んで、それに苦しさを感じていて誰もまともな人生を送れないでいるのが、このネグレクト問題のさらに先にある大きな問題なんじゃないかと今作を観劇していて思った。
そう考えると、記者の中田という存在は、そんな人生に苦しんだ家族をあたかもネタにして記事として報道し、自分だけ会社で出世をして得をする悪人のように感じてくる。
実際に起きた「巣鴨子供置き去り事件」でも、マスコミはさも大事のようにメディアに取り上げていたが、それによって問題が根本的に解消される訳ではない。むしろマスコミはそういった社会問題を扱うことで利益を上げているだけのようにも思える。そう考えると、今作はただネグレクトな家族のその後の生き辛さを描いているだけでなく、それをネタにして報じるマスコミの問題も指摘しているように私は感じた。
序盤では中田はさも目を光らせながら嬉しそうに福本家の事情をズカズカと踏み込んでいく。まさにそんな姿勢は、物語を最後まで知ってから改めて振り返ると狂気の沙汰でしかない。
一方で、そんな記者たちも自分の人生を生きるのに必死であるからそのような姿勢になってしまっていることも描いているから、余計に苦しく感じる所である。
記者の中田は、新卒3年目の「柏市子供置き去り事件」の記事で功績を挙げて、さらに良い記事をというプレッシャーからその後失墜していった。服もボロボロ、妻や娘にも逃げられる。おまけに経理へと部署異動させられる。過去の栄光の力を借りてもう一度どん底から這い上がりたい一心で、福本家を取材したいと思っているのだろう。物凄く実際にありそうなシチュエーションかなと思う。
結果的に中田は、ネグレクトだった母を持った子供のその後ということで興味深い話が聞き出せた。それに加えて、3年前に失踪した守山の件も明らかにすることができ、これまた皮肉にも雑誌に面白い記事を書けそうなネタが集まったといえる。
中田が守山の件まで記事にしてその後返り咲いたのかどうかは、観客が妄想するしかないのだが、私は皮肉にも中田は返り咲いたんじゃないかと思っている。そしてメディアに大きくクローズアップはされるが根本的には何も解決しないのが実情なんじゃないかと思う。
最後に今作に登場した人物の人間関係について触れて終わりたいと思う。
私が一番気になったのが、進とえり子の夫婦である。今作の中では、えり子のことをなんでこんなヤバい家族と一緒にいたがるのか異常だと言われていたが、結論をいうと進の夫婦がまたネグレクトを繰り返すんじゃないかと思ってしまう。
まず福本えり子も、兄妹の母のネグレクトを起こした福本えりも七味まゆ味さんという同じキャストが演じている点がミソである。また、えり子はあまりこの福本家が抱えている苦しさみたいなものが伝わっていない感じがある。でなかったら、平然と福本家にいられないと思う。進はあまり妻を顧みない様子も劇中から窺えるので、ネグレクトを繰り返す要素は十分考えられるんじゃないかと思う。
ただ、進は終盤でえり子が陣痛で苦しそうにしていた時にすぐにタクシーを呼ぼうと動いたり、男の子が無事生まれたことを夏生に報告したりと父親らしい行動をしていた気もする。果たして生まれてきた進とえり子の子供がネグレクトになってしまうのかは観客の判断に委ねられる所だが、進も弟が抱えていた罪を分かち合って、もう二度とそうならないためにも自分の子供をしっかり育てようと考えを変えてくれたと解釈したい所である。
↓是枝裕和監督「誰も知らない」
↓齋藤明里さん過去出演作品
↓難波なうさん過去出演作品
↓猪俣三四郎さん過去出演作品
↓七味まゆ味さん過去出演作品
↓罪と罰を題材とした作品