舞台 「天の敵」 観劇レビュー 2022/09/17
公演タイトル:「天の敵」
劇場:本多劇場
劇団・企画:イキウメ
作・演出:前川知大
出演:浜田信也、安井順平、瀧内公美、豊田エリー、市川しんぺー、盛隆二、澤田育子、大窪人衛、森下創、大久保祥太郎、牧凌平、髙橋佳子
公演期間:9/16〜10/2(東京)、10/8〜10/9(大阪)
上演時間:約135分
作品キーワード:不老不死、シリアス、ミステリー
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
前川知大さんが主宰する劇団「イキウメ」を観劇。
当劇団の観劇は、今年(2022年)5・6月に上演された「関数ドミノ」以来2度目となる。
今作は2017年に初演された当劇団の代表作であるが、観劇は初めてとなる。
物語は、食事療法による不老不死の話。
ジャーナリストである寺泊満(安井順平)は、妻の優子(豊田エリー)が熱烈なファンである菜食の料理家の橋本和夫(浜田信也)に取材を申し込む。
その理由は、橋本が提唱する独自の食餌療法が、戦前に長谷川卯太郎によって提唱された食餌療法と非常に酷似しており、容姿も非常に似ていることから橋本が長谷川の孫なのではないかと疑い、その真偽を確かめたかったからである。
単刀直入に橋本にその件を取材した寺泊だったが、その寺泊の仮説は外れて思いも寄らない事実にたどり着いていくというもの。
物語のネタバレになってしまうので、あまり多くをここでは語れないが、この物語では長谷川と橋本は一体どういう関係にあるのか、そして橋本という料理家は何者なのかという真実に近づいていく。
橋本という人物はミステリアスで謎に包まれた存在なので、彼の正体が明かされていく過程が非常にショッキングで、流血のような演出はないのだが、若干胸糞悪いシーンもあって万人ウケはしない気はする。
ただ、その過程の描かれ方が私個人は物凄く好きで、2時間15分という尺の長さを感じさせないストーリー展開でずっと引き込まれていた。
舞台セットは、橋本が普段料理を行うアトリエで、植物が生い茂り温室があったりと、かなり自然に囲まれた感じがあって見ているだけでも癒やされそうな空間で、非常に作り込まれていて好きだった。
劇団としては珍しく、どうやら初演時とあまり変わらない舞台美術だそう。
同じ空間で、橋本の過去の話も登場してシチュエーションが交錯するのだが、その描かれ方も演劇的で好きだった。
そして今作は、浜田信也さんの好演が光った。
「関数ドミノ」では安井順平さんの好演が群を抜いていたのだが、今作は物語構成的に橋本にフォーカスがあたるので、浜田さんが解き放つミステリアスなオーラが今作をより一層魅力的なものにしていて素晴らしかった。
その他、豊田エリーさん演じる優子の愛する夫にぞっこんな様子も好きだったし、瀧内公美さん演じる橋本のビジネスパートナーの五味沢恵も、知的で魅力的な女性を感じて素敵だった。
澤田育子さんも、コミカルな演技とシリアスな演技を上手く使い分けていて舞台にハマっていた。
個人的には「関数ドミノ」ほど衝撃を受けなかったが、一瞬たりとも飽きさせない脚本が良く出来ていると感じたし、舞台演出、役者共にハイレベルな舞台作品で、多少グロテスクな展開であっても厭わない方は是非ご覧頂きたい作品だと思った。
↓DVD『天の敵』(2017年)
【鑑賞動機】
今年(2022年)6月に観劇した当劇団の「関数ドミノ」が非常に面白く、衝撃的な舞台作品だったので、当劇団の中でも評判の高い代表作である今作も観たいと思ったから。
そして、安井順平さん、浜田信也さん、盛隆二さんなどといった劇団「イキウメ」に欠かせない実力俳優に加えて、舞台「ザ・ウェルキン」で好演だった豊田エリーさん、good morning N°5の公演で強烈なインパクトを放っていた澤田育子さんらも出演されると聞いたのも観劇の決めての一つ。期待値は高め。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
場所は菜食の料理家の橋本和夫(浜田信也)のアトリエ、橋本と彼のビジネスパートナーである同じく菜食料理家の五味沢恵(瀧内公美)と、タレントの二階堂桜(澤田育子)は、「3秒クッキング」という番組の収録を行う。
今日紹介するレシピ、まずはゴボウの炒めもの、五味沢がゴボウを切って炒める。次に、ネギを切って炒めて炊き込みご飯の具材にする。そして、五味沢と二階堂で美味しく頂く。
収録は以上となり、橋本のアトリエにプロデューサー(市川しんぺー)、ディレクター(盛隆二)、AD(大窪人衛)、そしてジャーナリストの寺泊満(安井順平)が入ってくる。収録後、ソファーに座りながら二階堂は、所詮「3秒クッキング」ですからとばかりに、料理レシピに渾身を込める橋本と五味沢を揶揄するかのような発言をする。そしてディレクターも、橋本のことをすべて五味沢にやらせておいて、あなたは料理も食べもしないんですねと揶揄する。そして収録に携わった人間は帰っていき、橋本、五味沢、そして寺泊だけが残る。
そこへエプロン姿で、橋本の大ファンであり、寺泊の妻である寺泊優子(豊田エリー)がやってくる。優子は、今日は橋本に夫の寺泊満に取材をさせたいと会わせた。
どうやら寺泊満は、外ではラーメンと缶コーヒーしか口にせず、まるで健康に気を使わない人間で、食事療法のような健康促進は基本的に胡散臭く感じて信じていなかった。しかし、ジャーナリストである満は、薬害や健康食品詐欺、偽医療の取材も多くしてきていて、健康療法には非常に興味を抱いていた。そのため寺泊満は、ぜひ橋本を取材したいということだった。
寺泊優子は、夫の満の持病が発覚してから、健康敵な食事を摂るように仕向けてきたが、如何せん満がこんな性格なのでと困っていた。そこで優子は橋本の存在を知り、彼のファンになって彼が実践する食餌療法を取り入れようと努力してきた。
満と優子は、橋本らによって振る舞われた食餌療法によるレシピを頂いた。
橋本が満に、失礼ですが持病とは何かと聞くと、AAE(初演時はALSだったそうだが、再演ではALSとは言っておらず、架空の病だったと記憶している)と答え、たまに思うように体が動かせなくなるのだと言う。
橋本と寺泊満は、そういった健康に対する意識の違いもあって多少の衝突を起こす。寺泊満は、橋本のように自分の食のスタイルを布教していないと言うが、橋本はさっきしていたと指摘したりなど。
そして寺泊満と優子は、取材することを諦めてまた機会があったらその時で、と橋本のアトリエから立ち去ろうとする。しかし橋本は呼び止める。時間がないのは寺泊満あなたなのではないかと、自分はいつでも時間はあると。
そして満は呼び止められたことで気が変わり、橋本を取材することになる。
満は、戦前に長谷川卯太郎という同じく食餌療法を提唱した男がいて、1947年に出版された書籍に書かれている食餌療法によって戦前に北海道、東北を襲った飢饉で苦しむ人々の多くを救ったと言う。その長谷川卯太郎が提唱した食餌療法は、橋本が現在提唱している食餌療法と酷似しており、容姿も長谷川卯太郎と橋本で非常によく似ていることから、満は橋本和夫は、長谷川卯太郎の孫なのではないかと尋ねる。橋本の経歴は調べた限り謎に包まれており明かされていないので、橋本の正体を暴きたかったのである。
それに対して、橋本は長谷川卯太郎は自分自身であり、今122歳であると答える。満は笑って全く信じなかった。橋本は長谷川卯太郎の正確な生年月日を答えるも、それでも信じなかった。122歳でこんな若々しい人がいるはずないと。
ここから橋本による、彼の半生が語られる。
大正時代、シベリア出兵によって長谷川卯太郎(大久保祥太郎)は満州で日本軍の兵隊として赴いていた。5日間なにも食べずに彷徨っていていた時、彼は時枝悟(森下創)という人物に出会う。時枝は、空腹で限界を迎えていた長谷川に粥を少し食べさせた。すると長谷川はこれ以上の空腹に我慢できず、時枝がこれ以上は食べるなという警告を無視して粥を食べすぎてしまい、戻してしまう。時枝は長谷川を叱る。5日間何も食べていなかったら、5日間食事をもとに戻すために様子を見る期間が必要で、いきなり沢山食べても胃が受け付けないのだと。
そして時枝は、彼は人間が必要な栄養分を全て含んでいる「完全食」を探して満州の地にいるのだと言う。長谷川は、そんな「完全食」なんて存在するはずがないと言う一方で、この時枝の言葉によって食餌療法への興味が芽生える。
長谷川は帰国し、昭和に入ってから恐慌はどんどん加速していった。それによって、北海道や東北は飢饉に襲われた。食餌療法に目覚めた長谷川は、毒餌の手法によって彼らを飢饉か救った。
その一方で、再び時枝とも出会う。時枝は、満州での「完全食」の探索は止めて、玄米や粟といった物だけを食す「偏食」をしていた。長谷川はなぜそのようなことをと尋ねると、玄米や粟といったものはこれから成長するものだから、必要な栄養素を多く含んでいるはずだから「完全食」に近いはず、それをずっと食していればきっと体も適応して、それさえ食べれば生きていけるようになるはずと言った。長谷川は、偏食をする動物は皆何千年もかけてそうなった訳で、時枝がいきなりそうなった所で死ぬだけで適応するはずがないと答える。
さらに長谷川は、その後秩父の山奥で時枝と出会った時は、時枝が何も食べなくなっていたことに驚く。時枝曰く、人間何も食べなくても生きていけるのだと。何も食べなくなれば、そのように体も変わっていくのだと。
太平洋戦争は終わり、長谷川は「完全食」と「不食」に関する論文を書いたことでそれが非常に売れた。満が持っていた長谷川の書籍というのもその論文だった。
しかし、長谷川は時枝の言っていた全ての栄養素を含んだ食べ物は、これから成長していくものであるはずだという言葉を手がかりに探し求めていた。そして長谷川は、人の「血液」を飲むことによってそれが完全食になるのではないかと考え、実践するようになったのだった。
長谷川は、自分が勤めている病院ではいつも深く帽子を被ってマスクをして、サングラスをかけて医師をしていた。周囲の人間は不審がっていた。長谷川の先輩にあたる医師である糸魚川典明(市川しんぺー)は、そんな長谷川の様子が気になり尋問する。そして長谷川は、糸魚川に人の血液を飲む、つまり「飲血(いんけつ)」によって加齢がストップしていることを明らかにする。驚いた糸魚川だったが、これはもしかしたら研究を重ねることで何か成果に繋がるかもと、長谷川に密かに血を提供するようになる。
この頃、長谷川は人間離れした若々しさによって、人々に疑われないように消息を絶った。そして偽名を使うようになった。
加齢を止める「飲血」は、長谷川の妻である長谷川トミ(瀧内公美)も興味を掻き立てられ、彼女も実践するようになった。長谷川夫婦は2人して加齢しない夫婦となった。
ただ、長谷川トミはその若々しくなった体でいるだけでは絶えられなくなった。外へ出て遊びたい欲求に駆られた。「飲血」をするようになってから、まるで吸血鬼のように日中出歩くことは出来なくなってしまったが、夜なら外へ出られた。トミは夜の浅草を散策し、芝居や映画を観る訳ではなく、少し酒も飲んだようだった。卯太郎はトミを厳しく叱る。
そしてついにはトミは夜、肉料理を沢山食べて、酒を飲んでそのままセックスまでして帰ってくる、完全に酔っ払っていた。卯太郎はトミを怒鳴りつけるがもう時既に遅し、トミは食べ物を大量に吐き、そのまま大量の血液を吐いて急速に高齢化し、そのまま帰らぬ人となった。
お世話になっている糸魚川典明も高齢化していた。彼は長谷川が「飲血」を勧めても断固として飲まなかった。しかし、必ず長谷川に「飲血」用の血液を提供してくれた。しかし、その後糸魚川も歳を召して亡くなった。
長谷川卯太郎が行方を眩ませてから20年が過ぎた1975年、長谷川は80歳になろうとしていたが全く加齢することなく若々しかった。病院は、糸魚川典明が亡くなってから孫の糸魚川弘明(盛隆二)が継いだ。まだ若かった。彼は祖父から「飲血」のことを聞いていたので、血液を提供してくれてはいたが、次第に日本も高度経済成長と共に豊かになって、血液が手に入りにくい時代になっていた。
そこで長谷川は、裏ルートで血液を購入するようになっていた。それによってひどい目にもあった。ガラの悪い親分とそのチンピラに捕まったこともあった。しかし、血液を飲むということが面白かったらしく、チンピラの玉田欣司(大窪人衛)に長谷川は気に入られ、共に行動することになる。
「飲血」によって、長谷川の身体能力も向上していた。そして、長谷川、玉田、そしてプロボウラー(豊田エリー)と共にボウリング界隈で優れた業績を残し有名になる。その時も長谷川は偽名を使っていた。そして、自分の素性を知られたらまずいとボウリングから身を引く。
その後、玉田は親分に連れ出されて19歳の若さで命を落とす。
長谷川の元に、結婚報告に糸魚川弘明がやってきた。妻の糸魚川佐和子(澤田育子)を連れて。糸魚川佐和子は生物系の研究をしていた女性で、電子顕微鏡で長谷川と初めて会ったらしい。
お品物として長谷川は弘明からVHSを、佐和子からは血液とケーキをもらった(ケーキは勿論食べられないけれど)。
長谷川にとって、友達は出来ても素性を明かせなかったので長くは続かなかった。そのため、ようやくテレビを購入して家でテレビを見ることが多くなった。1989年、昭和から平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊する。1995年、阪神淡路大震災が起き、地下鉄サリン事件が起きる、この時長谷川は100歳を迎える。2001年、21世紀に突入し、9.11が起きる。
ある日、長谷川は「飲血」をしていると、これは普段飲んでいる血液と比較しても美味いと感じてしまう。弘明に聞いて誰の血液か特定すると、それは五味沢恵という女性だと分かる。
長谷川はその女性と会い食事をする。そして彼女がベジタリアンであることを知る。
弘明の病院で、同じベジタリンの人で輸血が必要な人で、輸血相手もベジタリアンでないと受け付けない人がいると聞く。そこで五味沢の存在が浮上し、彼女から輸血することにする。
その献血を長谷川が担当することになったが、その血液を見た長谷川は我慢出来なくて彼女の血を飲んでしまう。それが五味沢に発覚すると大騒ぎになるが、五味沢はそのまま貧血で倒れてしまう。
その後、長谷川は五味沢に自分の正体とベジタリアンの血液は、他のどの人の血液よりも美味しいことを打ち明ける。長谷川は、願わくばずっと彼女のようなベジタリアンの血液を「飲血」したいという願望と、五味沢にとっては菜食料理家として食餌療法を確立したいという願いがウインウインになる形で、2人は手を取り合って活動することになる。それによって、今の食餌療法のアトリエを開くことになったのだと。
長谷川と五味沢は一緒に暮らすことになる。五味沢はベジタリアンサークルに入っていて、彼らから「飲血」用の血液を提供してもらっていた。
そして、長谷川はベジタリアンの血液を「飲血」することで、日光に当たることにも抵抗を覚えなくなっていく。そして沖縄へ行って海水浴やドライブを楽しんだ。
しかし、糸魚川弘明、佐和子夫妻も「飲血」を始めてしまい、長谷川の中ではそこまでして不老不死になって何か役に立つことでもあるのかと思い始める。研究を続けても、何十年もこれといった成果は出ていない。時枝が彼の目の前にふと現れ、自分が見えるようならお前も随分人間離れしてきたなと言われる。長谷川は、今度糸魚川夫婦に会ったら、彼らを日中の花見に連れ出したいと言う。
ここで、長谷川は今に至るまでの全てを語ったという。しかし満はそれでも冗談半分だと思っていて、どこからが作り話なのかと聞いてくる。
長谷川は立ち去り、満は冷蔵庫の中身をそっと覗く。そこへ優子が現れて、もう取材は終わった?と尋ねてくる。ここで上演は終了する。
まさか橋本自身が長谷川自身で、人の血液を飲むことによって122歳まで加齢することなく生きてこられたって展開になるとは思わなかったので、終始ゾクゾクしながら観劇していて、この脚本が人々を引き付けるパワーをヒシヒシと感じた。
話が大正時代から現在まで、歴史を踏まえながら語られることによって、そんなにも長い時代を歩んできたのかと長谷川の狂人ぶりを痛感させるストーリー構成が素晴らしかった。どことなく、映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を思い出した。その映画は不老不死を扱う映画ではないけれど、老いて死んでいくという人間誰しもが辿る真理を逆らって、時代に翻弄されて生きる感じとファンタジー性が、どことなく似ている感じがしたからだと思う。そういう意味では、今作は映画化しても上手くいく気がした。長谷川トミが大量に吐いて、血まで吐いてしまうシーンを映像でリアルにやったら相当インパクトがあって、映像でしか出せない良さが出せる気がする。
今作のテーマは不老不死だが、人間離れしてくると本当に孤独になるだけなのだなと感じてしまう。それは時代を超越して、普通の人類なら体験できないことも沢山経験できるかもしれないけれど、家族も友人もみんな死んでいくので、長生きする方々の苦労も垣間見られる脚本だったなと感じた。その一方で、なんとなく神秘的というか私個人としては魅力的に映る部分もある。自分は不老不死にはなりたくないけれど、そういった人物には会ってみたいなという好奇心はあるし、想像するだけでなぜかワクワクするから。
本当に好奇心を掻き立てられる素晴らしい脚本だった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
今作は舞台美術が物凄く豪華で、前回のイキウメ公演で拝見した「関数ドミノ」とは全く異なる印象を受けた。「関数ドミノ」は抽象的な舞台セットで、シチュエーションそれぞれに想像力が求められたが、今作は橋本のアトリエということで大分具象化されていた。もちろん、橋本の回想シーンもあって想像力を求められるシーンも当然だったが。
舞台装置、照明、音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
ステージ全体が橋本の食餌療法のアトリエになっていて、雰囲気は空間全体が植物覆われている感じで、非常に癒やされる空間となっていて好きだった。
舞台下手側には、巨大な銀色の冷蔵庫があり、おそらく「飲血」用の血液が保管されている。それと机と椅子と流し台もあったと記憶している。舞台中央手前には、序盤の「3秒クッキング」で使った、巨大なキッチンテーブルがあり、その上に調理用のコンロや具材やら調理器具やらが最初は置かれていて、その後は片付けられて橋本と寺泊が会話する机として使われた。舞台上手側手前にはソファーがあって、長谷川トミが寛いだり、五味沢が貧血で倒れた時に寝ていたソファーだったりした。
舞台下手奥には、食餌療法で使用すると思われる食材が所狭しと並んだ巨大な棚が置かれていた。舞台中央奥は、中庭?のような外へと通じる扉のないはけ口があった。舞台上手奥には、半透明のガラス張りの温室があって、その中にも沢山の植物が生い茂っている様子が窺えた。また回想シーンでは、この温室のガラス張りは窓ガラスとして扱われ、緑色のカーテンがかかっていて、そのカーテンを五味沢が開けると長谷川が眩しいと太陽が差し込む窓になる演出も見られた。
小道具の使い方も上手かった。特に目を引いたのが、最初に「飲血」用の血液が登場するときに、机の上に骨壷のように小さな風呂敷に包まれた箱が置かれていて不穏な描写を上手く醸し出していること。あれは何だ?と観客はしばらくその骨壷のようなものに目を引くが、それが「飲血」用の血液の入った箱だと分かりゾッとする演出が好きだった。
次に舞台照明について。
今作の舞台照明は、「関数ドミノ」よりもさらに好きだった。「関数ドミノ」の照明もかなり好きだったのでそのレベルを上書きするとは素晴らしい。
橋本と寺泊の現在のシーンは、黄色い照明といった感じで明るみがあって普通の照明なのだが、過去の回想シーンは基本的に橋本が夜しか活動出来ないので、薄暗くはないのだけれど全体的にトーンが暗くなった照明が雰囲気を出していて好きだった。
照明のオシャレな感じも好きで、中央から一つの照明が吊り下げられているインテリアも好きだったし、壁にそれぞれ小さく黄色く光るインテリアな照明が仕込まれているのもオシャレで素敵だった。
あとは、特に好きだったのは長谷川がテレビを見ながら時間だけが経過していく演出の照明、具体的には1989年、1995年、2001年をモノローグで表現するシーンのあの青い不気味な照明が物凄く好きだった。
次に舞台音響について。
音響も非常に格好良かった。個人的には「関数ドミノ」の方が好きだったけれど、特に「関数ドミノ」とは違って主張の強い音楽はなかったものの、不穏な感じを煽ってくるジワジワと感情に訴えかけてくる音楽が非常に舞台にハマっていた。
客入れから回想シーンまで、基本的に不穏なMが流れているが凄く好きだった。主張しない感じが良かった。
一方で、効果音はカットインのインパクトに残るものが多かった気がする。例えば、現在と過去の時間軸を隔てるカメラのシャッター音。寺泊がカメラが趣味であって、橋本の取材で記念にカメラで撮影をしている所から来ているのではないかと考えている。「パシャッ、キュイーン」という音がなんとも言えない現在と過去の時間軸の入れ違いを表現していて好きだった。
あとは、間違えて五味沢が窓のカーテンを開けてしまって日光が差し込んでしまったときに流れたびっくりさせるような効果音が印象的だった。本当にびっくりした。長谷川の心境を表しているのだろうが。
それと、長谷川トミが嘔吐する演出を効果音で戻す音を流していたが、ここは映画化でそのインパクトが観たいと感じたポイントだった。ちょっとこういうのは舞台だと嘘くさくなってしまうと感じた。
最後にその他演出について。
なんと言っても、橋本の回想、つまり長谷川としてのエピソードと寺泊がいる現在との時間軸が同じ空間を共有しているので、その異なる時間軸の出来事が舞台上で接触する演出は演劇ならではで非常に良かった。個人的に好きだったのは、長谷川がチンピラや親分たちに捕まって、寺泊まで正座するシーンが好きだった。ここで、回想で登場する人物が相手にするのは長谷川だけだが、寺泊にはまるで自分が幽霊であるかのように彼には光景が見えているが、回想で登場する人物には見えてないという設定が上手い。
次に、序盤で登場する「3秒クッキング」で、実際に舞台上で料理して良い匂いが立ち込める演出が良かった。私は客席が今回本多劇場のJ列で比較的後方の席だったのだが、そしてマスクも着用していたのだが、それでもゴボウを炒めた香ばしい匂いがぷんぷんと漂ってきて、これも生の舞台ならではの演出だった。
あとは、この舞台作品では長い時間軸を描くので、登場人物が若い時から年老いていくまで表現するため、役者の若い姿のメイク、老けメイクの入れ替えが激しく、衣装担当の方は大変だろうなと思いながら観ていた。特に糸魚川典明の年老いていく姿や、糸魚川弘明、佐和子の若かりし頃から老けていって、逆に「飲血」で若返るメイクの変化は大変だと思いながら観ていたが、そこを違和感なく表現されていて素晴らしく感じた。
ラストの寺泊が冷蔵庫を開けるシーンのゾクゾクさせる演出も好きだった。結局、冷蔵庫の中身が劇中では打ち明けられていないから、冷蔵庫の中に血液が入っていたかどうかは判断つかないということで合っているのだろうか。でも、あそこまで語られたあとだと、さすがに血液があったと解釈する方が自然に思えるし、やはり橋本は化け物だったと理解するしかないように思える。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
劇団「イキウメ」を代表する実力派俳優と、その他実力派俳優といった感じだったが、非常にハイレベルな演技力をお持ちの方ばかりだった。
特に印象に残ったキャストについて記載する。
まずは、主人公の橋本和夫、すなわち長谷川卯太郎役を演じた劇団「イキウメ」所属の浜田信也さん。浜田さんの演技は、舞台「関数ドミノ」以来2度目となる。
「関数ドミノ」では、主人公ではなかったので出番としてはちょっと少なめだったが、今回は主人公ということでほぼ舞台に出ずっぱりだったが、非常にミステリアスでとっつきにくいキャラクター性を最大限に活かした演技という感じで、浜田さんの役者としての良さを活かした役が非常に素晴らしかった。
最初の印象は、ちょっと偉そうで変わっている人だなという感じなのだが、彼が長谷川卯太郎であるということが語られていく内に、どんどん狂人で人間でなく思えてくるあたりが凄くしっくりきた。
ボウリングで大活躍してしまったり、そこまでは良いのだが、特に五味沢と出会った辺りからは人間でなくなった感じがあって凄く良かった。ベジタリアンの血に食らいつく感じの狂人ぷりが印象に残っている。
そして、ちょっとムカつくな感を上手く出しているのも良かった。ちょいちょい寺泊満が、橋本の傲慢さについて突っ込んでくるが、同じ気持ちで観られるのが良い。例えば、五味沢と暮らし始めたくだりとか、沖縄で海水浴を満喫するあたりとか、あの喋り方がちょっと鼻に触る感じを醸し出していて凄くフィットしていた。
次に、寺泊満役を演じた同じく劇団「イキウメ」所属の安井順平さん。安井さんの演技も、舞台「関数ドミノ」以来2度目となる。
安井さんは、「関数ドミノ」では主人公を演じられていて、彼の演技力の高さには衝撃を受けたことを今でも忘れない。今作では、主人公ではなかったというのもあり、そこまで衝撃を受けることはなかったが、ジャーナリスト役として好演だった。
「関数ドミノ」での安井さんの役は、非常に頭が良くてちょっと普通の人から離れた役だったが、今作では好きなものを食べて、食餌療法のような胡散臭いものは嫌いでという割と一般人の感覚と近い役かもしれない。
今回の安井さん演じる寺泊満は、非常に笑える要素が多い砕けた演技が良かった。安井さんはこういった役も卒なく熟すのかと脱帽するばかりである。ちょいちょい橋本の加齢が止まった特権を活かしたずるさにツッコミを入れる感じが好きで、大いに笑わせて頂いた。
そして、改めて考えると安井さんは俳優の八嶋智人さんにも似ているなと感じた。今作ではコメディ要素の強い役を演じていたからかもしれない。結構似ているという印象を感じた。
五味沢恵役、そして長谷川トミ役を演じた瀧内公美さんも素晴らしかった。
彼女の演技拝見は初めてなのだが、五味沢恵役では、菜食料理家として、資格も持っていて夢を諦めず頑張っている真面目な姿を上手く演じていたと思う。髪の毛を後ろに人束に縛り、黒髪でピシッとした感じが真面目さを際立たせていて好感が持てた。
一方で、真逆の性格を持つ長谷川トミ役も瀧内さんが演じていたのが凄く驚きで、まるで別人のようだったので終演してから気がついたのだが、その演じ分けが素晴らしかった。
個人的には長谷川トミというキャラクターが好きだった。きっと感情の赴くままに行動する女性なのだろう。夫が「飲血」によって加齢がストップしたことを知ると、自分も影響されて「飲血」を行い始めた。しかし、肉を食べたい、酒を飲みたい、若い頃のように異性と遊びたいという欲求に負けてしまった。なんか人間らしくて魅力的だった、一方でその感情を律していた長谷川卯太郎は狂人に感じる。
寺泊満の妻である寺泊優子役を演じた豊田エリーさんは、個人的には一番魅力的に映った女優さんだった。豊田さんは、舞台「ザ・ウェルキン」で演技を拝見したばかりである。
豊田エリーさん演じる優子の、夫である満にぞっこんである様子が非常に愛おしくて癒やされた。なんて満は幸せ者なんだって思いながら観ていた。満は好き勝手に食事をしていて、ALSになってしまったというのに、優子は夫のために健康的な食事を勉強して、そして橋本という存在を知って釘付けになる感じが、非常にピュアで愛おしかった。
序盤のあの夫の満と妻の優子のあの優子のイチャイチャしたくだりが本当に満が好きなんだなという感じがあって好きだった。あんなことされたら、自分が夫だったらデレデレになる。しかし、あんな甘やかしてしまう妻だと、それは夫の満も好き勝手生活するよななんて思う。きっと自分が満の立場だったら、妻が甘すぎて自分をダメにしてしまう気がした。
糸魚川佐和子役などを演じたgood morning N°5の澤田育子さんも素晴らしかった。澤田さんの演技は、good morining N°5でしか観たことがなく、2020年に上演された「ただやるだけ」以来なので、実に2年弱ぶりの演技拝見になる。
澤田さんはぶっ飛んだふざけた演技しか観たことなかったので、今回「イキウメ」の公演に出演と聞いて、どういった演技が観られるのだろうかと楽しみだった。そして蓋を開けてみたら、ふざけた面白い演技も観られたし、真面目な演技も観られたしで大満足だった。
糸魚川佐和子が初めて長谷川の元に挨拶に来る時の、あの変わっている女性の感じが本当に好きだった。ちょいちょい笑いの要素があって結構私は笑っていた(客席はそこまでではなかったと記憶)。電子顕微鏡で初めてお会いしたとか、血液をプレゼントしたりと行動がぶっ飛んでいて好きだった。
一方で、歳を取ってくると落ち着いた演技になるので、そのギャップも良かった。「飲血」を実施して若返ったときの「じゃ~ん」は笑えたが。
また、序盤の「3秒クッキング」の二階堂桜のインパクトも強かった。澤田さんの個性の強い感じが出ていた。
最後に、糸魚川弘明役を演じた劇団「イキウメ」の盛隆二さん。
彼も「関数ドミノ」以来の演技拝見だが、あの人当たりの良さげな感じが好き。イキウメの俳優はインテリな感じがする人が多いが、その中で盛さんはもっと朗らかな印象を与えてくれて好きだった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
まだ2回しか観劇したことがないけれど、本当に劇団「イキウメ」の舞台作品は素晴らしいなとつくづく感じる。脚本の展開の仕方が常に一瞬たりとも観客を飽きさせない方向に展開させて、ぐいぐいと引き込まれる要素がある。ミステリー作品のように、次の展開は?次の展開は?と気になってしまう構造が凄く観ていて爽快に感じられる。さすがは前川さんの戯曲である。
あとは、どこか現実世界で起こっていそうな摩訶不思議な物語を描くから面白くも感じる。脚本の構成だけではなく、描くテーマも私の好みである。
前回観劇した「関数ドミノ」では、安井順平さん演じる役が主人公であり、浜田信也さん演じる役の謎を解明していくのだが、今作の「天の敵」でも主人公は入れ替わっているが、立場は同じである。浜田さんが演じる役の謎を安井さんが演じる役が紐解くという意味で。
これは他のイキウメ作品でも共通なのだろうか、ちょっと他作品を観劇したことないので、来年(2023年)5・6月に控えている新作公演で確かめてみようと思う。
イキウメに関する話はここまでにして、ここからは不老不死と食べるという行為について考察しながら、今作の深堀りをしたいと思う。
劇中に登場するように、「生きる」ということと「食べる」ということは等価である。何か食べ物を食べないと生き物は死んでしまうから。時枝は何も食べないという境地にたどり着いたが、生き物は基本的に何か食べないと生きていけない。「この職業で食っていく」なんて言い方があるが、それも「食べる」=「生きる」に直結するからである。
人間、栄養価が高いものを食べれば食べるほど美味しく感じる。それは本能的に、栄養価が高いものを摂取できれば今の体と命を維持しやすくなるからであろう。
人はいつまでも健康に生きていたいと思うものである。だから、これだけ健康食品も需要があるわけだし、薬膳料理といったものも最近はブームだし、アンチエイジングという言葉も流行るのである。
しかし、健康を維持したいの頂点はたしかに「不老不死」に繋がる。「不老不死」でいれば、老いるということがないので、身体の衰えを感じることもないし、生きていて苦しいことはなさそうな感じは一瞬する。
しかし先述したように、皆が「不老不死」にはなれないので、自分だけ「不老不死」になるとそれは孤独になる。周囲の家族や友達もいなくなる。新たに友達を作ることも難しくなる。
橋本が感じたように、「不老不死」になった所で、結局お金のある裕福な層が貧しい層の血を「飲血」することによって、金のあるものだけが「不老不死」になって、金のない者が老いて死んでいくという、貧富の差をより如実に生み出してしまうことになる。そこに明るい未来なんてどこにも存在しない。ここには、科学技術の発達と行き詰まりによる問題も提示されているような気がした。
それともう一つ、人間は生まれながらにして「食べる」という本能的な欲求によって死ぬまで支配されているということ。長谷川トミの言葉にもあったが、人間は生きている時間の多くを、食事を準備して、食べて、食休みして、片付けるという行為に支配されている。それに関しては、「不老不死」を手に入れた長谷川自身も支配されたままであった。
そういった意味で、もし仮に時枝が何らかの形で生きているのならば、彼はその支配すらも逃れている、つまり「食べる」という不自由からも自由になっている存在といえる。そういった意味で、時枝は完全に「天の敵」から自由になった身として「不死身」になったのかもしれないとも解釈できる。
長谷川はそこまではいかなかった。時枝の姿を見ることが出来るくらいには、常人離れはしたが、その「食べる」という「天の敵」からは未だ束縛される存在ではある。
前川さんが今作で訴えたいメッセージが分かったような分かっていないようなそんな感じではあるが、少なくとも私は今作を観劇してみて、人間は生きているうちは不自由だらけで、健康に良い食べ物を追い求めたり、食べたいものだけを食べたりしてしまうのだろうと思った。
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