舞台 「三人吉三廓初買」 観劇レビュー 2024/09/15
公演タイトル:「三人吉三廓初買」
劇場:東京芸術劇場 プレイハウス
劇団・企画:木ノ下歌舞伎
作:河竹黙阿弥
監修・補綴:木ノ下裕一
演出:杉原邦生
出演:田中俊介、須賀健太、坂口涼太郎、藤野涼子、小日向星一、深沢萌華、武谷公雄、高山のえみ、山口航太、武居卓、田中佑弥、緑川史絵、川平慈英、緒川たまき、眞島秀和
公演期間:9/15〜9/29(東京)、10/5〜10/6(長野)、10/13(三重)、10/19〜10/20(兵庫)
上演時間:約5時間20分(途中休憩25分、20分の2回を含む)
作品キーワード:歌舞伎、時代劇、無常観、音楽、ダンス、殺陣、舞台美術
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する木ノ下裕一さん主宰の「木ノ下歌舞伎」の公演を観劇。
「木ノ下歌舞伎」は、「チェルフィッチュ」主宰の岡田利規さんの演出による『桜姫東文章』(2023年2月)を観劇したことがあり、今回は2度目の観劇となる。
今作の演出を務める杉原邦生さんの演出作品は「木ノ下歌舞伎」の公演以外では、舞台『東京輪舞』(2024年3月)など何度か観劇したことがある。
歌舞伎の演目である『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』は、歌舞伎作者である河竹黙阿弥によって書かれ、江戸時代末期の1860年に歌舞伎として初演された作品である。
そんな作品を現代劇として「木ノ下歌舞伎」が2014年に初演し、2015年に再演されて読売演劇大賞2015年上半期作品賞部門のベスト5に選出された代表作である。
また、上演が叶わなかった2020年版の台本からの再補綴・再演出を行い9年ぶりに上演されることになった。
尚、私は『三人吉三廓初買』に関しては一度も触れたことがない状態で観劇した。
物語は三部構成で5時間20分の上演時間となっており、途中で25分間、20分間の休憩が1回ずつ入る。
江戸時代、刀鑑定家の安森家は、将軍家から預かった宝刀・庚申丸を何者かに盗まれてお家断絶となっていた。
しかし、釜屋武兵衛(田中佑弥)は木屋文里(眞島秀和)の元にあった庚申丸を百両で買い取る。
しかし、その百両は文里の使用人の十三郎(小日向星一)が夜の道で紛失してしまう。
十三郎の恋人であったおとせ(深沢萌華)は思いがけずその百両を手にするが、盗賊のお嬢吉三(坂口涼太郎)に奪われてしまい...という話である。
三人吉三とは、この物語に登場する和尚吉三(田中俊介)、お坊吉三(須賀健太)、お嬢吉三という三人の盗賊のことを指し、この三人は生まれも育ちも違うが名前が同じで盗賊という縁から、『三国志』の劉備、関羽、張飛のように義兄弟の契りを結ぶことになる。
物語はこの三人吉三を中心として、紛失した百両と宝刀・庚申丸の行方を追いながら展開される。
今作は江戸時代から明治時代の転換期に書かれたのもあり、常に庚申丸と百両の所在がコロコロと変わるが如く、翻弄されし時代をよく反映している作品で面白く感じた。
観劇中に私は、様々な登場人物が自分の力ではどうすることも出来ず時の運に任せて翻弄される無常観を表しているようにも感じていた。
今作は「木ノ下歌舞伎」ということでそんな歌舞伎の代表作を現代演劇にアレンジして上演された訳だが、杉原さんの演出らしく舞台上には可動式の舞台セットが置かれていて、場面転換するごとに全く違ったステージを形作る斬新な演出に仕上がっていた。
そして、音楽も非常にラップ調だったりと現代的だった。
しかし劇中の台詞は非常にかぶいているので不思議な感覚だった。
杉原さんの独特な演出はよく知っていたので割と想像通りではあったのだが、果たしてこの現代的な演出をすることによって、オリジナルの脚本に対してどういった解釈が導き出せるのか、そこに関してはよく分からず、結果的に面白くはあったのだがこの演出にしている意図は掴めなかった。
劇中の登場人物も、江戸時代の百姓の格好をしている者もいれば、現代的な洋服を着ている人物もいて、その違いは何を意味するのか分からず消化不良ではあった。
しかし、役者たちの勢いある演技を5時間20分浴びることが出来た点にこの作品の満足度を感じた。
特に和尚吉三を演じた田中俊介さんのあの勢いよくかぶく声の通った台詞を聞いていると、凄く惹き込まれるものがあった。
またお坊吉三を演じた須賀健太さんのチャラさは良い意味で魅力的で惹きつけられた。
ちょっと悪童っぽくてヤンチャしてそうなのだが、格好良い所と優しい所もあってキャラクターとして魅力が詰まっていた。
お嬢吉三を演じた坂口涼太郎さんの女装した姿は、本当に演技をしていて難しそうだろうなと思いつつ、あそこまで化けの皮を破って堂々と演技出来る素晴らしさに感心していた。
吉三以外でも、吉原遊廓の丁子屋花魁の一重役を演じた藤野涼子さんの、あの力強い花魁の姿は圧巻で、女性としての逞しさを感じていた。
また一重とは対照的に、おとせ役を演じた深沢萌華さんには透き通るような美しさを感じて素晴らしかった。
土左衛門伝吉役を演じた川平慈英さんの貫禄のある演技も素晴らしかった。
途中休憩は2度あれど、5時間20分の芝居は流石に長かったが、その長さを厭わないのであれば、無料の公演パンフレットがもらえるので何の事前知識がなくても歌舞伎の有名な演目をストーリーまでしっかりと楽しむことが出来る作品だと思う。
↓ティザー映像
【鑑賞動機】
前回「木ノ下歌舞伎」で観た『桜姫東文章』(2023年2月)は、演出が凄く独特で印象に残っていたので、再びこの団体の作品を観劇しようと思った。
そして一番の決め手は、東京芸術劇場が一時閉館してしまうので、その見納めとして超大作を観ておきたいと感じたから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
役者たちが客席通路をつたってゾロゾロとステージ上に上がっていく。そして、お坊吉三(須賀健太)がステージ上にあった「tokyo」と書かれたプラカードをひっくり返すとそこには「edo」と書かれていた。
湯島天神の鳥居の前に人々が集まっている。疫病が流行っていて、その疫病を鎮めたいがために皆湯島天神に神頼みしているらしい。
松金屋の座敷に転換する。松金屋には金貸太郎右衛門(武居卓)と釜屋武兵衛(田中佑弥)がいる。二人は何やら百両を巡って取引をしているようだった。そこにはお坊吉三も姿を現して様子を見ていた。
場面転換して、新吉原丁子屋の吉野部屋の場。そこは吉原遊廓の一角であり、丁子屋の花魁である吉野(高山のえみ)が男性の相手をしていた。また、丁子屋新造の花琴(緑川史絵)や花巻(坂口涼太郎)もいた。花巻は、どうやら辛いものを口に入れてしまったようで、甘いものを求めて大福を丸齧りして笑いを取っていた。そこへ、刀剣商の木屋文里(眞島秀和)がやってくる。文里はよくこの丁子屋にやってくるらしくお金を落としていた。その丁子屋の吉野部屋に花魁の一重(藤野涼子)がやって来ようとする。しかし障子を彼女が開けたその時、一重は文里を見て一目惚れしてしまう。
再び松金屋に転換する。松金屋には、金貸太郎右衛門と釜屋武兵衛がいる。武兵衛は、文里が持っていた宝刀・庚申丸を気に入る。そして、これを百両で買い取ることにする。松金屋には、文里の使用人の十三郎(小日向星一)が入ってくる。武兵衛は、その使用人の十三郎に庚申丸を買い取った代金である百両と提灯を渡す。十三郎は喜んで百両を受け取ると松金屋を後にする。すると武兵衛は、三人の乞食(田中俊介、須賀健太、坂口涼太郎)を呼ぶ。そして、今松金屋を出て行った十三郎を追って百両を奪い返してくるように命じる。三人の乞食は一目散に十三郎を追う。
十三郎は夜の道を歩いていると、道端でおとせ(深沢萌華)という女性と出会う。二人は恋をして話をしながら歩みを進める。
一方で、新吉原丁子屋の一重部屋に、花魁の一重は一目惚れした文里を連れてくる。文里は一重に優しくするが、いかんせん文里は妻子持ちだったため一線を越えた関係になることは難しいと思っていた。一重は、こうやって遊廓で花魁をやっていても苦しくずっとこのままなら死んでしまいたいと、文里の前で短刀を手に取って自殺しようと試みる。文里は一重の行動を止める。文里は妻子がいたので、一重とはあくまで花魁としての関係であったが、心変わりして子供を孕らせてしまう。
再び場面転換して、柳原夜鷹宿のシーン。十三郎とおとせが二人で歩いていると、与吉(山口航太)に遭遇して話をしている。とその時、その三人の元を目掛けて武兵衛の放った乞食三人が襲いかかってくる。十三郎とおとせは一目散に逃げ、藁で出来た宿のような場所に逃げ込む。与吉は巻き添えを食らい、三人の乞食に襲われてしまう。十三郎とおとせは、その時の混乱から十三郎が持っていた百両がおとせの手元に行く。そしてそのまま二人は離れ離れになる。
武兵衛は乞食たちが十三郎を襲ってくれたかと思って、百両を手にしてくれたかと思うが、乞食たちは百両を手にすることが出来なかったと武兵衛に頭を下げる。武兵衛は倒れている与吉を発見する。
おとせは、百両を持って一人で逃げている。その時、客席通路をつたってステージ上に現れたのはお嬢吉三(坂口涼太郎)という盗賊だった。お嬢吉三はおとせから百両を強引に奪い取る。おとせは恐ろしくなって、そのまま近くの川に飛び込んでしまう。
百両を手にしたお嬢吉三の前に武兵衛が現れる。武兵衛は百両を奪い取ろうとするが、逆に武兵衛が持っていた庚申丸まで奪われてしまって武兵衛は逃げていく。
庚申丸と百両の両方を手にしたお嬢吉三は、音楽に合わせて歌い始める。
お嬢吉三が大川端庚申塚に移動する。満月が辺りを照らす。そこへお坊吉三が現れる。お坊吉三はお嬢吉三が百両を手に入れたことを知り、その百両をかけて一騎打ちをしようではないかと提案する。お坊吉三とお嬢吉三は百両を中央に置き、一騎打ちを始める。
しかし、そこへ和尚吉三(田中俊介)がやってきて一騎打ちを辞めさせる。そしてお互い三人とも自己紹介し合うと、生まれ育ちは違えども、皆盗賊をやっていて吉三という名前であるのは何かの縁、『三国志』の劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の契りを結んだように、自分たちも義兄弟の契りを結ぼうではないかと言う。三人の吉三はお互いに腕に傷を入れて血を盃に流して混ぜて飲むことで誓いを立てた。そんなことで、和尚吉三は、お坊吉三とお嬢吉三の一騎討ちの仲裁をしたということで、この百両をせしめてどこかへ行方をくらましてしまう。『蛍の光』が流れている。
場所は変わって、割下水伝吉内。そこでは、夜鷹のおばせ(藤野涼子)、おいぼ(高山のえみ)、おてふ(緑川史絵)が戯れていた。そこへ、主人の土左衛門伝吉(川平慈英)もいた。伝吉は百両を失って川に身を投げようとしていた十三郎を助けていた。一方、八百屋久兵衛(武谷公雄)に連れられておとせが帰ってくる。どうやらおとせは、百両を盗まれて川に身を投げた後に、八百屋久兵衛に助けられたらしい。八百屋久兵衛は、十三郎の父親であった。伝吉はと八百屋久兵衛は互いに感謝して、十三郎とおとせが無事だったことを喜ぶ。そしてその縁もあって十三郎とおとせは結ばれる。それはそれで良かったのだが、百両を奪われてひもじいのは解消されず困り果てていた。八百屋久兵衛は帰り、十三郎とおとせは奥の部屋で仲睦まじくしている。
伝吉は一人屋敷にいると、長男の和尚吉三が帰ってくる。和尚吉三は博打で百両を手に入れたからこれを使ってくれと伝吉に言う。伝吉は欲しいと言って百両に飛びつく。和尚吉三は去る。しかし伝吉はこんな上手いタイミングで百両が現れるものだろうかと怪しんで百両を捨ててしまう。
その百両を、庚申丸を奪われて落ち込んでいた釜屋武兵衛が見つけて拾うのだった。
ここで1回目の幕間に入る。
閻魔大王(須賀健太)と紫式部(緒川たまき)が階段の中腹あたりで腰掛けている。ここに小林の朝比奈(田中俊介)が来てしまっては大変だと言っている。そんな心配は現実のものとなり小林の朝比奈と六人の鬼たちが駆け込んでくる。そして、賽の河原の地蔵(川平慈英)も現れる。
紫式部は、果たして娑婆に戻れるのか地獄へ落ちるのかについてお互いに揉めている。では、小林の朝比奈と閻魔大王と地蔵でじゃんけんをして、誰が勝利するかによって決着をつけようではないかとなる。三人はじゃんけんをする。2回連続であいこが続いて倍速でじゃんけんをした挙句、朝比奈が勝って紫式部を娑婆に返すことが決まる。
和尚吉三は夢から目を覚ます。先ほどの閻魔大王とのじゃんけんは夢であったことに気が付く。ここは小塚原化地蔵の場で、すぐ近くには賽の河原の地蔵が立っている。和尚吉三は、ずっと悪事を働きすぎてあのような夢を見たに違いないと、これからは徳を積まないといけないと思い立つ。和尚吉三がその場を去ると、賽の河原の地蔵が立ち去る和尚吉三を見送るように少し動く。
新吉原八丁堤の場に転換する。八百屋久兵衛と木屋文里の女房であるおしづ(緒川たまき)がベンチのような椅子に座っている。おしづには悩みがあった。木屋文里は最近は貧しくなってしまって借金返済にも追われていた。息子もいるが非常に生活が苦しくなっていると。
そこへおしづの元に金貸太郎右衛門がやってくる。以前貸した三両を返して欲しいと。おしづはなんとか三両を用意して金貸太郎右衛門に借金を返済する。金貸太郎右衛門は喜んで帰っていく。
新吉原丁子屋の一重部屋に転換する。そこには花魁の一重もいたが、おしづもそこにいた。今日は文里ではなく奥方のおしづが来ているなんて珍しいと、一重たちはおしづに振る舞う。おしづは、文里と一重との間に赤子を孕っていることを心配していて、それについて色々と相談していた。おしづは帰ろうとするが、一重が今日はこちらで一晩泊まって行ったらと気遣いする。
おしづが帰った後、一重の元には釜屋武兵衛が来ていた。武兵衛は百両を一重に渡して自分の嫁になってくれと懇願する。しかし、一重は自分の腕を捲って、木屋文里の二世と文字が書かれているのを見せる。武兵衛はすでに一重が人妻であったことを残念に思って百両を持って帰っていく。そんな様子を遠目でお坊吉三は見ていた。
廓裏大音寺に場面転換する。あたりには墓石が沢山置かれていた。百両を持った武兵衛はお坊吉三にバッタリ会う。お坊吉三はその百両を渡せと言ってくる。何も武器を持っていなかった武兵衛は致し方なくその百両をお坊吉三に渡す。武兵衛は怖気付きながらとっとと去っていく。
その様子を伝吉は隠れて見ていた。そして伝吉はお坊吉三に声をかけ、自分は今ひもじいからその百両を恵んでくれないかと懇願する。お坊吉三は譲つもりはなかったが、あまりにも伝吉がしつこく懇願してくるものなのでお坊吉三は勢い余って伝吉を斬り殺してしまう。お坊吉三はいけない、殺すつもりはなかったのにと悔やみながらその場を後にする。
お坊吉三が去った後、たまたま通りかかった十三郎とおとせが伝吉が亡くなっているのを発見し、悲しみに暮れる。
ここで2回目の幕間に入る。
巣鴨の吉祥院本堂に、堂守源氏坊(武居卓)がいて、マジシャンのように木片を手で宙に浮かせるなどしていた。そこへお坊吉三がやってくる。お坊吉三は誤って罪のない伝吉を殺してしまったことから反省をして、この吉祥院という人気のない場所で隠れていた。
一方、和尚吉三は幕府の役人の長沼六郎(眞島秀和)や捕手たちに捕えられていた。しかし和尚吉三は自分を捕まえないでと懇願し、同じく盗賊であるお坊吉三とお嬢吉三を捕まえてみせるから解放してくれと言う。長沼と捕手たちは和尚吉三を釈放する。和尚吉三は、もしお坊吉三とお嬢吉三を捕まえたらいくら報酬が手に入るか聞いた。すると五両ずつだと言われる。そんなに少ない金額なのかと和尚吉三は驚く。
和尚吉三の元に、十三郎とおとせの夫婦がやってくる。二人は伝吉が殺されてしまったことを告げ、どうかお金を恵んでくださいと懇願してくる。しかし和尚吉三は、十三郎とおとせの話を聞いているうちに、十三郎とおとせは実の兄妹であることを知る。十三郎とおとせは兄妹同士で結婚をしたこととなる。これは畜生道(倫理的に容赦しがたい近親相姦をした人々が落ちる世界)に落ちたと判断した和尚吉三は、十三郎とおとせが去った後に堂守源氏坊に猿轡を二つ持ってくるように命じる。
お坊吉三は一人で伝吉を殺した罪を悔いている所へ、お嬢吉三が現れる。お嬢吉三もおとせから百両を奪ったりと罪を犯していたと悔いており、この罪を償うためには死ぬしかないことを悟る。
一方、和尚吉三は十三郎とおとせの二人を畜生道の罪で縛り上げて殺してしまう。二人は何をするのですかと苦しんでいるがお構いなしに。
お坊吉三とお嬢吉三がお互いに自害しようとしているところに、和尚吉三が十三郎とおとせの首を持ってやってくる。そして二人に早まるなと言う。和尚吉三は伝吉の長男であること、お坊吉三は庚申丸を盗まれてお家取り壊しになった安森源次兵衛の長男であること、そしてお嬢吉三は八百屋久兵衛の息子であることを知る。そして伝吉がかつて庚申丸を安森源次兵衛から盗んだことでお家取り壊しになったことも知る。今庚申丸はお嬢吉三が持っている。畜生道の罪を犯した十三郎とおとせの首を二人の首として届けてこのまま逃げようと言う。
丁子屋の別荘に場面転換する。その座敷には、八百屋久兵衛と丁子屋の新造の花琴や花巻がいた。そしておしづもそこにいた。花巻は相変わらず辛いものを口にして甘いものを求めている。
一重はその座敷で病の床に伏せていた。周囲の人間たちで看病をしていた。八百屋久兵衛は、お金に苦しむ木屋一族に対して金銭的な援助をする。おしづたちは頭を下げる。
ラップ音楽と共に、すっかり貧しさで見窄らしくなってしまった木屋文里と、その腕に抱えている赤子、そして文里の倅である鉄之助(武居卓)と共に丁子屋の別荘に現れ、おしづと合流する。
文里、鉄之助、おしづ、赤子そして八百屋久兵衛と共に病の床に伏せる一重の元に行く。一重は最後に手紙をしたためていた。それを文里は読み上げる。そこには、これからの赤子の面倒をよろしく頼みますおしづさんとの内容が書かれていて一同は涙する。おしづが抱いていた赤子を一重に抱かせる。赤子は笑っているようである。今がどんな状況かも分からず無邪気に笑っている赤子がまるで仏様のようであると。これからどんな苦労をすることになるだろうかと。
そして赤子を抱いたまま一重は息を引き取る。
『蛍の光』が流れると共に、お嬢吉三とお坊吉三、そして和尚吉三が紙吹雪の降る中、本郷火の見櫓で何者かと戦い、そして最後は三人とも同時に敵に斬りつけられ倒れる。ここで上演は終了する。
途中休憩25分と20分の2回の休憩を含んでいたが上演時間5時間20分はさすがに長くて疲れたが、思った以上に最後まで楽しめた。それは『三人吉三廓初買』の物語が面白かったというのもあるだろう。序盤は、事前に物語を知らないで観たので何のことが起こっているのかよく分からずだったが、十三郎が百両を奪われそうになったあたりのシーンから面白さを感じていった。それまでの序盤1時間は割と我慢の連続だった。
閻魔大王と紫式部の和尚吉三の夢のシーンとか必要なのかな、たしかに5時間20分も尺があったらそういう余興的なシーンも必要かなとも感じたが、実際原作もそういうくだりがあるのかどうか気になった。
個人的に物語で熱かったのは、三人の吉三が『三国志』の劉備、関羽、張飛の三兄弟に倣って義兄弟の契りを結ぶこと。私は小学生の時に『三国志』を読んだことがあって、どうして彼らは義兄弟の契りを結ぼうとするのかよく分からなかったが、改めて今作を観劇してみてその意図が分かったような気がした。特に盗賊となると時代的にも孤独で肩身の狭い者同士だったと思う。お坊吉三は、宝刀・庚申丸を失ってからは没落した家柄で頼るものがない、お嬢吉三も親である八百屋久兵衛とは生き別れをしている。だからずっと天涯孤独だったからこそ、同じ境遇でしかも名前も同じ吉三という盗賊に出会って義兄弟の契りを結んだのだろうなと感じた。と考えると、義兄弟の契りを結ぶあたりは、もっと昨今のLGBTQ的なマイノリティみたいな部分を上手く演出しても良かったのかなと思った。
庚申丸や百両が様々な人の手に渡ったり、安森家の没落や、木屋文里の没落などを見ていると、改めて無常観を感じさせる脚本構成だなと思った。『平家物語』ではないけれど盛者必衰だなと思うし、この作品が江戸時代から明治時代に差し掛かる転換期のタイミングで描かれたのも分かる物語だった。どんなに今が裕福でもいつかは転落するのだろうし、だからこそ勢いのある時代にあぐらをかいていてはいけないなと思わせる。伝吉だって昔は悪事を働いて庚申丸を盗んで安森家を没落させているが、今となってはお金もなくて百両を恵んでくれと懇願するほどである。悪いことをしたらいつか仕返しが返ってくるんだなとか思って見ていたりした。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
杉原邦生さんらしい現代的でポップでスタイリッシュな演出が目を引いた。私は割と杉原さん演出がどんな感じなのか今までの傾向から知っていたので、ある程度想像がついてしまったのだろうが、杉原さん演出を初めて観劇した方たちは、果たして今作の演出に対してどんな感想を抱いたのか気になる所である。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
杉原さんらしく、固定された舞台セットはほとんどなく場面転換ごとにほぼ全ての舞台装置が移動して入れ替わる。
一番始めのシーンでは、鉄パイプで組み立てたと思われる鳥居がステージ上にセットされていて、湯島天神の境内を作り上げていた。始めのシーンで、プラカードに「tokyo」と書かれていてそれをお坊吉三が裏返して「edo」にする演出が好きだった。ここで観客は一気に現代から江戸時代にタイムスリップしたような感覚にさせられ、舞台空間に引き込まれる演出が良かった。これに関連して、一番ラストのシーンで、プラカードは「edo」から何も書かれていない状態に切り替わるのだが、果たしてこれはどういった意味を持つのだろうか。これは私は観客の想像に委ねるという解釈なのかなと思った。「tokyo」でも「edo」でもない。実際に現代の「tokyo」に戻ってきた訳でないとすると、それは観客がこの舞台を通じて何かを学んだり感じ取ったりした先なのかもしれないし、あとは三人の吉三が最後死んでしまうので死の世界に行ったとも捉えられるかなと思った。
舞台セットの話に戻ると、第一幕の前半では、松金屋の屋敷の舞台セットと新吉原の舞台セットが割と交互にステージ上に登場しながら展開される。松金屋の屋敷は、襖のついた和室が壁が存在しない形でステージ上にセットされる感じで、新吉原の遊郭は、ステージ後方に設置される襖の枚数によってここが吉野部屋なのか一重部屋なのかを切り分けていたように感じた。同じ花魁でも年齢的に吉野の方が格上なはずなので吉野部屋は襖が4枚、一重部屋は襖が2枚だった記憶である。襖には桃色で点が無数に描かれていていかにも遊郭といった感じの紋様であった。
第一幕の後半になると、ステージは2段舞台になって2段目を使ったシーンが多くなる。お嬢吉三が登場しておとせが川に飛び降りてしまうシーンも2段目で行われたし、武兵衛が庚申丸をお嬢吉三に奪われてしまうシーンも2段目で演じられる。お嬢吉三は百両と庚申丸を手にすると歌を歌うのだが、それが2段目のステージで歌うのできっとステージ後方からでも凄く見やすい歌のパフォーマンスになっていたであろう。庚申塚のシーンで登場した天井の満月の作り物や庚申塚のセットは具象的で印象に残った。三人の吉三が出会うシーンは、2段目ではなく1段目で演じられていた。お嬢吉三とお坊吉三の一騎打ちや義兄弟の契りを誓うシーンなど。
その後、2段舞台は移動(後で再度登場するが)し、伝吉の屋敷がステージ上に設置される。割と広めで横長で一軒の屋敷といった造り込みだった。
第二幕になると、ステージ上には巨大な階段が登場し、そこに閻魔大王と紫式部がいた。夢のシーンが終わると階段は移動する。あとは再び吉原の舞台セットが登場したり、吉原八丁堤のシーンでベンチのようなものが登場したりする。
そしてなんといっても、廓裏大音寺のシーンのセットが秀逸だった。至る所に鉄パイプが置かれているのだが、その鉄パイプに塔婆が括り付けられているので、一発でこれは墓石で墓地なんだと解釈できる。墓石を舞台上に用意せず少し抽象的に舞台セットを用いることで、墓地だと分かるがあまり気味悪い感じにはさせない舞台セット演出で素晴らしかった。
第三幕になると、2段目があるステージが再び登場するが、かなりステージの奥側にセットされステージの奥行きを使った演出が素晴らしかった。丁子屋別荘の座敷のシーンでは、襖が置かれた和室がステージ中央にセットされ、それを反転させることで一重が病の床に伏している寝室になるという構造も趣向が凝らされていた。
そしてラストはステージ上に何もないというのが良かった。何もない中で紙吹雪が大量に降り頻る中で、三人吉三が死んでいくシーンがとても華々しく美しかった。
次に衣装について。
私はずっと疑問に思っていたのが、登場人物の中に着物などの江戸時代当時の衣装を身につけている者もいれば、洋服を着ている登場人物もいて混在している点にずっと引っかかっていた。この衣装の違いにはどういう意味があるのか分からなかった。三人吉三を取ってみても、和尚吉三とお坊吉三は割と現代風な格好をしていて、お嬢吉三は着物を着ていた。それ以外でも、金貸太郎右衛門は現代のヤクザみたいに洋服を着ているが、木屋文里や八百屋久兵衛、土左衛門伝吉は着物を着ていた。この違いはよく分からなかった。
あとは、木屋文里の前半と後半とでの衣装の変化に没落を感じた。最初は文里はいかにも格式高そうな立派な衣装を身に纏っていたにも関わらず、終盤ではボロボロの傘を差してボロい衣装を身に纏っていた変化が非常に印象に残っていて、そこにも盛者必衰の理を感じた。
あとは閻魔大王や紫式部、そして鬼たちの衣装が可愛らしかった。コスプレだった。
次に舞台照明について。
比較的舞台照明は暗くてスタイリッシュなものが多かった。カラフルにするよりは白いスポットを多用してスタイリッシュに格好良く見せるものが多かった印象だった。というか、こういう時代劇ものはそういう白いスタイリッシュな冷たい感じの照明の方が舞台全体が映えるのかもしれない。
特に第一幕後半の、三人の吉三が義兄弟の契りを結ぶシーンの満月の夜の白い明かりは好きだった。
そして第三幕終盤の紙吹雪が舞う中、三人の吉三が次々に斬られて倒れていくシーンの白い照明も美しかった。
あとは、客席を使ったシーンも多くて、その度に客席の明かりも入ってシーンが展開されるのも好きだった。例えば、お嬢吉三がお坊吉三と再会するシーンでは、お嬢吉三は2階席の前方にいた。その時に2階席前方にスポットが当たっていて、色々な箇所に照明が仕込まれているんだなと感じた。1階席の客席通路でがっつり演技をするシーンもあるので、そこに照明を当てるのも驚きだった。
次に舞台音響について。
杉原さんの演出だったので非常に音楽は現代的だった。まずBGMだが、音楽だけ聞いてみるとまるで歌舞伎の演目をやっていると思えないくらい、ラップやヒップホップなどのメロディが使われていて斬新だった。場面転換が多いので、その度に音楽が流れるのだが、それが全部ヒップホップとかなので杉原さん演出をずっと感じていた。
第三幕の終盤のラップ音楽も凄く良かった。DJも登場して、その横には丁子屋の別荘の屋敷があるという不思議な空間なのだが、違和感なく見れた。このラップ音楽は『旅立ちのうた』といって今作で書き下ろされた楽曲である。そしてラップの歌詞は劇団「ロロ」の板橋駿谷さんが担当していて驚いた。板橋さんてラップの歌詞も書けるのかと。
お嬢吉三のソロパートの歌も良かった。凄く声が響いていてこうやって歌が劇中に入ってくると舞台全体的に緩急がついて良いなと感じた。
そして義兄弟の契りを結ぶシーンと、ラストのシーンで流れる『蛍の光』が耳に残った。『蛍の光』はどこか終焉というイメージを持っているが、まさにラストシーンは三人吉三の命の終焉という感じがしてマッチしていた。どうして『蛍の光』なのかは気になる所だが。でも紙吹雪の演出と音楽は合っていた。
効果音でいくと、第一幕も第二幕も吉三が盗みや殺しを犯すシーンで、雨音のようなノイズのような効果音が流れていて気になった。確か一番始めのシーンでも流れていた気がした。
最後にその他演出について。
一番気になったのが、『三人吉三廓初買』で現代的でポップな演出にすることで何か新しい解釈が生まれたのかということ。確かに斬新ではあったけれど、斬新だったというだけで演出と脚本がリンクしてさらに先の何かが表現されたようには思えなかった。そこは私が疎いだけなのかもしれないが。
第二幕の夢のシーンのじゃんけんの件は好きだった。あのリズムの良いじゃんけんの掛け声は何度でも聞いていたいと思った。踊りも好きだった(さすがBaobabの北尾亘さん)。
殺陣のシーンも格好良かった。一番殺陣のシーンで映えていたのは、お嬢吉三とお坊吉三の一騎打ち、結果的に和尚吉三が仲介に入るが、あのシーンの殺陣の迫力は凄まじかった。伝吉がお坊吉三に刺し殺されるシーンも緊迫感あった。
あとは台詞が七五調になっているリズミカルなのも面白かった。きっと原作がそうなっているのであろう。だからこそラップで音楽をつけやすかったのかもしれないと思った。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
台詞が非常にカブいていて、なかなか普段馴染みのない台詞も多かったと思うので、相当練習を積んだのだろうなと思ったが非常に演技として仕上がりのクオリティ高かった。
特に印象に残った役者について見ていく。
まずは、和尚吉三役を演じた田中俊介さん。田中さんは、シス・カンパニー所属の俳優さんだが私は演技を初めて拝見した。
とにかく田中さんの声は広い広いプレイハウスの劇場に響き渡るくらい通っていて、声を聞いていて気持ちよかった。凄く歌舞伎的な声の出し方が合っている役者だなと感じた。凄く観ていて気持ちが良かった。
だが、和尚吉三というキャラクターに関しては私はずっと嫌いだった。登場シーンから、お坊吉三とお嬢吉三の喧嘩を仲裁したかと思えばちゃっかり百両を手に入れてしまってなんだコイツと思った。それを博打で手に入れたとか言って父親の伝吉に渡してしまうのもヤバい奴だなと思って見ていた。
さらにコイツやばいなと思ったのが第三幕での行動。幕府の役人の長沼六郎にお坊吉三とお嬢吉三を捕まえたらいくらもらえるかと聞いて五両ずつと聞いてそんなけ?みたいな反応もするし、畜生道の名目でおとせと十三郎を殺してしまうのはなんとも残酷だと感じた。お坊吉三とお嬢吉三は、盗賊といえどまだ感情移入出来るのだが、和尚吉三は悪人過ぎて感情移入出来なかった。結局自分勝手な行動しかしていないと感じた。
しかしそれでも魅力的に感じてしまうのは、ひとえに田中さんの演技の素晴らしさに尽きると思う。
次に、お坊吉三役を演じた須賀健太さん。須賀健太さんも今作で初めて演技を拝見する。
須賀さんはチャラい感じの盗賊を演じるのがとても上手かった。役者として格好の付け方も上手かったし、話し方も調子に乗っている感じなのだがどこか憎めない感じがあって魅力的だった。
そして、第三幕になると誤って伝吉を殺してしまったことを悔いていて、凄く人間らしい部分を感じたのも魅力だった。この役はずるいなとずっと思って見ていた。
あとは須賀さん自身が小柄というのもあって、その体格を活かして機敏に動き回る演技が絶妙に良かった。それが凄く私のイメージしている盗人ぽさもあって格好良く見えた。
お嬢吉三役などを演じた坂口涼太郎さんも素晴らしかった。坂口さんの演技も初めて拝見する。
女装も入った演技ということで一段と難しい役だったと思うが、女形としての演技と男性としての力強さが融合していて凄く印象に残る演技だった。
お嬢吉三は、最初の登場シーンではタチの悪い盗賊のように思えたが、実際に身の上話を聞くと可哀想であった。親の八百屋久兵衛とは生き別れしていて、ずっと女性の格好をして育てられた。すると男性に口説かれることもあって、次第に自分が女性なのではと錯覚もしていく。
また、坂口さんは丁子屋新造の花巻としても出演していて、あのオーバーな女性役も客席からウケていた。辛いものを口に入れて苦しむ演技が凄く滑稽で良かった。
丁子屋花魁の一重役などを演じた藤野涼子さんも素晴らしかった。藤野さんの演技を拝見するのも初めて。
遊女して新吉原で暮らし、文里に恋する姿が良かった。文里の前で刀を出して自害しようとするシーンなどは凄く上手かった。
最後の赤子を抱いて新吉原の別荘で亡くなる姿も印象的だった。あのシーンは涙する観客も多かった。それは一重の生き様が凄く感動的だったからだと思う。それを演じている藤野さんが良かった。
あとは、伝吉の娘であるおとせを演じた深沢萌華さんも素晴らしかった。深沢さんも今作で演技を初めて拝見する。深沢さんは劇団四季に所属していたこともある俳優である。
透明感ある演技がとても素晴らしかった。本当に純粋な女性という感じがして、同じく真面目で純粋な十三郎が惹かれる理由もよく分かる。非常にお似合いの夫婦だった。だからこそ、そんな夫婦を殺してしまった和尚吉三が憎い。
凄く父親の伝吉のことも慕っていてその関係性にもほっこりした。伝吉を演じたのは川平慈英さんだが、そんな伝吉からはかつて庚申丸を盗んだような人物には見えなかった。
個人的に、深沢さん演じるおとせは、藤野さん演じる一重とは対照的な感じがして、一重は凄く苦労を沢山しているので生命力があって強い女性な感じがした。一方でおとせは、ずっと父親の伝吉に可愛がられたので箱入り娘的感じがした。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作で描かれている世界と現代の世界を照らし合わせながら考察をしていこうと思う。
今作は有難いことに無料で公演パンフレットが配られておりそちらを読んだのだが、今作はコロナ禍直後くらいに上演して観劇した方が物語と現実世界とのリンクがより強く感じられたのかなと思う。
それは、劇中の江戸時代末期では流行り病が蔓延していて庶民たちも先行きが不透明な時代を生きていたからである。丁度私たちもコロナ禍を経て、いかに私たちの生活が世の中の状況に左右されてしまうかを痛感させられたと思う。
劇中でも一番最初に湯島天神で庶民たちが流行り病が鎮まることを祈願していた。江戸時代末期は丁度コレラが世界中で流行っていた時代なので、そう祈願する描写が当時の人々の心を刺激するのも頷けるだろう。
よく日本の文学で描かれていることは、『平家物語』にも登場するような無常観である。盛者は必ずいつかは衰退する。栄枯盛衰を繰り返して今の世の中がある。今作でも、安森家や木屋文里の没落といった栄枯盛衰が描かれている。それによって人々の生活、ましてや命までもが翻弄されてしまうのである。
現代の社会においても、時の権力者によって私たちの生活は翻弄され脅かされたり回復したりしている。コロナ禍が落ち着いたと思えば、今度は物価の上昇によって様々なものの値段が高騰化している。しかし、ものの値段が上がっても給与は改善されない方も多いので、実質貧しくなっている人たちも多いことだと思う。この辺りは、今では『三人吉三廓初買』と現実世界で一番リンクしてくる箇所かもしれない。
貧しくなると、今までと同じようにものを買うことが出来ない。ましてや舞台観劇なんてチケット代の高騰が激しいので、一番物価高騰の影響を受けて変わっていった部分ではないだろうか。だからこそ今作で描かれる世の中に翻弄される生活は凄くイメージがつきやすいと思う。
タイトルが『三人吉三廓初買』と和尚吉三、お坊吉三、お嬢吉三のことを指し示しているにも関わらず、全体的にこの三人の盗賊以外のことについて描かれるシーンが多いように感じられる。それは、やはり演出の意図なのかどうか分からないが、今のご時世にフィットするのが世間に翻弄される人々たちなのでそのような作りになっているのではないかと感じた。
百両の金というのは今作では非常に恐ろしい存在となっている。この百両の金を巡って、人々はお互いを騙しあったり助け合ったりする。この百両というのは持ち主にとっては何にも変えられてしまう。武兵衛にとってはこの百両で一重を妻にしたかったのだと思うし、和尚吉三は父の伝吉にあげて家計を助けたかった。お坊吉三にとってもお嬢吉三にとっても貧しい自分たちの生活を解消させられる金額であった。そんな欲望から人々は翻弄されてしまうのである。
個人的にはもっと今の世の中とこのように繋がるのかと驚きや感動を体験したかったが、上記のような解釈でも十分に楽しめたと思う。
↓木ノ下歌舞伎過去作品
↓杉原邦生さん演出作品
↓川平慈英さん過去出演作品
↓緒川たまきさん過去出演作品
↓武谷公雄さん過去出演作品
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