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舞台 「温暖化の秋 -hot autumn-」 観劇レビュー 2022/11/26


【写真引用元】
KAAT神奈川芸術劇場 Twitterアカウント
https://twitter.com/kaatjp/status/1583737421858054145/photo/1


【写真引用元】
KAAT神奈川芸術劇場 Twitterアカウント
https://twitter.com/kaatjp/status/1583737421858054145/photo/2


公演タイトル:「温暖化の秋 -hot autumn-」
劇場:神奈川芸術劇場 大スタジオ
劇団・企画:KAAT×城山羊の会
作・演出:山内ケンジ
出演:趣里、橋本淳、岡部たかし、岩谷健司、東野絢香、笠島智、じろう(シソンヌ)
公演期間:11/13〜11/27(東京)
上演時間:約105分
作品キーワード:コロナ禍、会話劇、ブラックユーモア
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


神奈川芸術劇場(KAAT)と、山内ケンジさんが主宰する演劇ユニット「城山羊の会」が初めてタッグを組んで、山内ケンジさんが作・演出を務める新作公演を観劇。
「城山羊の会」の舞台作品の観劇も、舞台以外も含めて山内ケンジさんの作品に触れること自体初めて。山内さんは、2015年には「トロワグロ」で岸田國士戯曲賞を受賞、そして舞台だけでなく映像方面の製作も手掛けており、今年(2022年)には映画「夜明けの夫婦」の脚本・監督を務め公開している。

今回観劇した作品は、2023年の秋に放送開始となるNHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」のヒロインを務めることが決まっている趣里さんと、舞台だけでなく映画やテレビ出演など様々な分野で活躍されている俳優の橋本淳さんら豪華俳優陣がキャスティングされている。

物語は、まさにこの舞台が上演されている、コロナ禍からようやく元の世界に戻りつつある現在の日本が舞台となっている。
季節も丁度秋である。ねるり(趣里)と添島コウ(橋本淳)は婚約をしており、これから親戚の家に挨拶に向かう所である。検査(おそらくPCR検査)も済ませていて、外だったのもあって2人はマスクを外していた。
そこへ見知らぬ中年の夫婦が通りかかり、ねるりはマスクをしていない所を他人に見られてしまったことで、何か注意されるのではないかと大慌てする。
そこから複数人の登場人物が現れて、事態は思わぬ方向へ進んでいく会話劇。

私がこの作品を観劇しながらまず感じたことは、とにかく劇中で繰り広げられる会話が非常にリアルであるということ。
どうリアルかと言うと、台詞に「あー」とか「えーと」とか「まあ」とか話し言葉が多くて、一体どこからどこまでが台本に書かれているのだろう?(おそらく大部分は台本に書かれていると思われる)と思うくらいの、台詞の話し口調の多さが一つある。
これは今作に限らず様々な舞台でお目にかかるのだが、特に感じたのは登場人物の心理的描写のリアルさ。
例えば、ねるりがマスクをしていなかったことに対して、過度に他人に敏感になって謝る、そして怯える姿勢や、登場人物が少しばかりデリカシーに欠ける発言をしたことに対する、周囲の人間の凍りつく感じが本当にリアルで、実際の日常の会話で私たちが他人と話しをする時に意識する、気疲れや緊迫感をドバっと感じる会話劇だった。
そしてそこに私は面白さを感じた。

笑える箇所も沢山あるのだが、会話がリアルでそれによって傷つく人物もいると分かるため、終始笑いながらも笑ってしまって良かったのか?と気まずくなりながら観ていた。
逆にそこが演劇として私は面白く感じた。

ステージを囲むようにコの字型になるように客席が仕込まれていて、私はステージの左端だったので正面から観ることが出来なかった。
左端で観劇したからこそ味わえる登場人物たちの細かな会話や仕草を堪能は出来たものの、正面で観劇したかったと思うタイミングの方が多かった。

そしてキャスト陣が皆素晴らしかった。
特にねるり役の趣里さんは、凄く繊細で周囲に怯えた感じの若い女性役を演じるのだが、凄くそれがリアルで、以前観劇した時の役とだいぶ異なっていたので、舞台女優としての幅広さを感じさせた。
ビジネスマンの田中役を演じたシソンヌのじろうさんも、凄くはまり役で個人的には何度もそのキャラクター設定に笑わされた。

コロナ禍真っ只中を扱った舞台作品は沢山あっても、コロナ禍から元の世界に戻ろうとする私たちが直面するであろう心理的描写を扱った舞台作品は初めてお目にかかった。
好き嫌いはあるとは思うものの、会話劇としても非常に完成度が高いので、多くの方に観て欲しい演劇だった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501312/1940299


【鑑賞動機】

城山羊の会は、毎年年末くらいに公演を行っているイメージで、いつも年末になる度に話題になって、いつか観たいと願っていた。今回は初めてKAATとタッグを組んで、しかも趣里さん、橋本淳さん、シソンヌじろうさんといった豪華キャストによっての上演ということで観劇することにした。
それと「温暖化の秋」というタイトルにも惹かれたのも観劇の決めて。全くあらすじが公開されている訳でもないが、ここまでタイトルで魅力を感じさせる公演もあまりなかった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇して得た記憶なので、抜けや間違い等あると思うがご容赦頂きたい。

2022年(おそらく)のとある秋の公園。ねるり(趣里)と添島コウ(橋本淳)がやってくる。ねるりはマスクをしておらず、添島はマスクをしている。どうやら2人の会話から2人は婚約中であり、これから親戚に挨拶に行くところで、その前に検査(おそらくPCR検査)を受けていて、その後オムライスを食べてきたらしい。ねるりはそのオムライスを食べた店に、マスクを置いてきてしまったらしい。
2人の目の前に、りんごが木になっているのを見つける。このくらいの高さなら手が届きそうだと思った添島は、ジャンプしてりんごにタッチするが、りんごを取ることが出来ず、そのまま倒れて転んでしまう。「大丈夫?」とねるりは彼に寄り添う。そしてりんごはみるみる高い方へ高い方へと上がってしまい、決して手が届く高さではなくなっていった。
ねるりと添島は、この公園には2人しかいないことだしと、マスクを外してイチャイチャし始め、そしてそのままキスをしようとする。

そこへ、佐藤(岩谷健司)とその妻(笠島智)が2人ともマスクをしてやってくる。
それを発見したねるりは、彼らの存在を添島に教えて、マスクをしていないのはマズいとばかりに、ねるりはいきなり佐藤とその妻に向かって謝り始める。添島も佐藤とその妻も、そこまでマスクをしていなかったことに対して過敏になる必要はないとねるりを諭す。別にエレベータの中にいる訳でもないし。それに、その会話から今日初対面の佐藤とその妻も先ほど検査を受けて陰性であったことを知る。ねるりと添島も勿論陰性であった。
みんな陰性であったことが分かると安心し、佐藤とその妻もマスクを外すことになる。そして、初対面でこうして会ったということでお互い仲良くなっていき、4人は握手なんかも始める。

そこへ、カンザキサキ(東野絢香)と田中(じろう・シソンヌ)がやってくる。カンザキは添島と面識があるらしく、久しぶりという会話を交わす。どうやら7年ぶりに会うようだった。添島とカンザキで話が盛り上がっているようなので、佐藤とその妻はではこの辺でとばかりに公園から去っていく。
カンザキと添島は話が盛り上がっている所で、お互いがねるりと田中のことを紹介する。田中はどうやらカンザキの恋人であるだ。
添島がねるりにカンザキのことを紹介する際に、カンザキは昔の自分の婚約者であることを言ってしまう(逆だったかもしれない。カンザキがねるりに言っていただった可能性もあり、定かでない)。そしてカンザキもそれを認める。ねるりは、添島に過去婚約者がいたことを初めて知らされ驚く。その様子をみて、添島もカンザキも2人が以前婚約していたなんて嘘だとねるりに言う。ただの古い友だちだと。

そこへ、添島のおじさん(岡部たかし)がやってくる。おじさんの家に添島とねるりがやってくることになっていたので、ずっと待っていたのだが、なかなか来ないので探していたのだと。添島とねるりは、おじさんの所に行くことを思い出す。それに、田中はとある会に招集されているようで、その会でピアノの伴奏をして欲しいがためにカンザキを呼んでいた。そのため、田中もカンザキを連れて早くその会に向かいたかった。
しかし、カンザキは先ほどの言葉を撤回し、自分が添島の婚約者だったことをねるりの前できっぱりと明言する。そしてカンザキは添島との思い出話を語り始める。カンザキは添島と同じ音楽教室に通っていたこと。そして添島とは「連弾」もしたことがあること。
ねるりは「連弾」という言葉を聞いて大きなショックを受ける。ねるりは「連弾」という言葉を連呼する。そしてねるりはカンザキに向かって饒舌になりながら、彼女を罵り始める。しかし、カンザキも譲らず添島のことを今でも愛していることを訴え、終いにはおじさんと田中を巻き込んでの暴力沙汰になってしまう。
カンザキは田中が連れて行こうとしている会でピアノの伴奏はしないと、その場に留まってしまう。田中は、早く会に向かわないとという焦燥感がありながらも、カンザキの元に寄り添う。

そこへ、佐藤とその妻が再びやってくる。泣き崩れているねるりの元に添島がいて、その場で呆然とするカンザキの元に田中がいる状態に、何か起きたのだろうと心配になる佐藤夫婦。そして、佐藤とおじさんは知り合いだったらしく、そこで仲良く会話を交わす。
田中は、早く会に行かないとと焦っており、スマホで電話を始める。電話の感じだと、電話越しの相手に随分と言いなりになっているようで、田中のその会での立場は下っ端のようだった。そして遂に、田中はカンザキを置いて会に向かってしまう。佐藤は、田中のあの電話のやり取りから、随分と彼は会の中で下っ端なのだろうと呟く。
温暖化の影響で、秋だというのに外でも暖かいものだから、ずっとこうやって外にいても寒くなかったけれど、ちょっと寒くなってきたから家の中にでも入ろうと、おじさんは彼らを誘うが、カンザキとねるりたちはその場を動こうとしなかった。おじさんは佐藤に会えたので、佐藤とその妻を連れて家に戻る。

カンザキは自分自身のことについて打ち明ける。田中には妻がいて子供もいるのだと。つまりカンザキにとって田中は婚約相手でも何でもなく、ただの愛人である。そしてカンザキは愛人が田中だけではなく、他に何人もいることを打ち明ける。ねるりはカンザキのその恋愛観を受け入れられずにいる。
カンザキは、そんな感じで好きな人が何人もいるけれど、本当に好きなのは添島のことだと伝える。添島とねるりが結婚するのは認めると言うカンザキ、でもカンザキ自身は一番好きなのは添島のことだということだけは伝えたいと言う。
ねるりは、カンザキがそんな好きな人がいっぱいいる人に人の愛し方なんて分からないでしょうにと言い、添島との婚約も破棄して欲しいと言う。添島は焦りだす。どうしてここに来て婚約を破棄しないといけないんだと。
ねるりは添島から離れていってしまう。そこへカンザキは、これなら添島と一緒にずっといられるでしょと、添島に近づいていく。そしてカンザキの気分がどんどん良くなっていくうちに、カンザキと添島がどんどん打ち解けあっていく。再び頭上にりんごが出現する。ちょうど添島の手が届きそうな高さにある。また添島はりんごを取ろうとジャンプする。しかし、りんごにタッチが出来た程度で取ることは出来ず、りんごはどんどん高い所へ上がっていってしまう。
一方、ねるりの目の前には首を吊る用のロープがあった。ねるりはそこにめがけて首を入れて首を絞める。その光景に気がついた添島はねるりの元へ一目散へ向かう。

暗転。
暗転中は、ねるりと添島が物語序盤で、りんごが手に届きそうな高さにあるけれどジャンプしても取れなかったシーンの、会話のやり取りが音声で流れる。

暗転が明けると、ねるりは首にロープを巻いて倒れており、その横には添島も倒れていた。そしてそのそばには、カンザキも倒れていた。
おじさんと佐藤とその妻が戻ってくる。彼らは3人が倒れているのを目撃して起こす。しかし、ねるりだけは起きず、脈を触ると動いていなくて死んでいると佐藤は言う。添島は110番と119番で電話をする。そして添島はねるりが死んでしまったと思い泣きじゃくる。
佐藤の妻も、人が目の前で死んでいると分かると恐怖でパニックになる。妻がパニックになってしまったことを気遣い、佐藤とその妻はその場から立ち去ることになる。
添島は電話はしたものの、救急も警察もやってこないため、教えた住所が正しくなかったかもと不安になる。おじさんは非常に楽観的で大丈夫大丈夫、こんなことは生きていれば遭遇すると言う。普通は遭遇しないでしょと突っ込む。
おじさんは、添島とカンザキに家に来るように言う。カンザキはそのままおじさんについていく。添島は死んだねるりのことを気にしているが、流れに押されてそのままおじさんとカンザキとおじさんの家に行ってしまう。

ねるりが取り残された所に、田中が一人やってくる。田中はねるりの脈がないことに気がついて、口対口の人工呼吸を始める。胸骨圧迫もする。そして大声で「そえじまー」と叫んで添島を呼ぼうとするが来ない。田中はしつこいくらい何回も人工呼吸をねるりに対してする。まるで何度もねるりとキスをし、胸を触るかのように。
するとねるりは目を覚ます。ずっと人工呼吸をされていたので、最初はむせ返っていたが、自分を抱きかかえていたのが田中だと悟るまでに時間がかかったようで、最初は呆然と顔面近い距離でお互い見合っていた。そしてキスをしてしまう。
ねるりは完全に目を覚ますと、田中から離れようとして立ち去ろうとした。しかし、田中はカンザキに逃げられてしまったので、誰かピアノを弾いてくれる人を募集していて、ねるりに弾いて欲しいと依頼する。ねるりは、自分はピアノなんて弾けないと最初は断るが、田中は「猫ふんじゃった」で良いからと説得する。
ねるりは結局田中の依頼を引き受け、N95の黒いマスクを買ってもらうことを約束して、2人で会へ向かう。ここで上演は終了する。

ちょっと不思議な世界観で予想もしない展開と、常識的には「絶対ないでしょ!」って叫びたくなるシーンも沢山あるのだけれど、登場人物の心理描写はとてつもなくリアルで、そして設定がコロナ禍から元の世界に戻ろうとしている、まさに2022年秋の今を対象としているので、物凄く日常と照らし合わせてチクチク刺される観劇体験だった。これが山内ケンジさんが描く演劇なのかと体感出来て良かった。
軸となるのは、ねるりと添島は婚約していたにも関わらず、そこへ以前添島と婚約関係にあったカンザキが現れて、カンザキが今でも添島のことを好きだと言うものだから、ねるりがそれを許せなくなって大変な事態になってしまったという感じ。
ここで描いているのは、物語全体を通じて描かれる「不安」という要素。その「不安」という感情は、コロナ禍もあって対面で人と話すのが久しぶりになるという不安だったり、好きな人がずっと自分を好きでいてくれるかという不安だったりと様々で、実に現代的な人々の心理的描写をリアルに描いていて興味深かった。きっとこの作品を観劇して、今を生きる現代人だったら共感して頷いてしまう箇所も沢山あるはず。シチュエーションとしてはおかしなことばかりなのに、納得感を得てしまうカラクリがあるのは見事だった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501312/1940305


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

先述したように独特な世界観ではあるものの、舞台美術は至ってシンプルだった。舞台装置もシンプルな上、多少の暗転はあるものの照明による演出は一つもなかった記憶。舞台音響も数える程度だった。
舞台装置、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台上には、後方へ行くほど坂になっているステージが存在し、基本的にはそこで演技が繰り広げられる。ステージ上には切り株が複数設置されていて、秋の公園を想起させる構造になっている。ハケ口は3つ、単純に下手側の出口に捌けていく道と、上手側へ捌けていく道、そしてステージ後方におじさんの家へと通じる地下へと潜っていく階段が設置されている捌け口がある。
ステージに対して、客席はコの字型に囲うように設置されている。客席の位置によって、舞台上の眺め方が全くことなるので、とあるシーンの表情が全く見られなかったり、逆によく見えたり。またステージに対して正面ではなく端側の客席からでのみ、聞こえたり感知出来る演出もあった。こちらに関しては、詳しくはその他演出で感想をお伝えする。
とてもシンプルな舞台セットで、フライヤーのイメージと合っていた印象。城山羊の会の舞台セットっていつもこんな感じなのだろうか。フライヤーのイメージはいつも似たような絵本のような世界観なので。
登場する小道具も、劇中序盤と終盤に登場する天井から吊り下げられたりんごと、劇中終盤で登場する首吊用のロープくらい。どちらも絵本の中のおとぎ話のようでフライヤーイメージに合っていた。

次に舞台音響について。
音楽に関しては、劇中後半と終盤に登場する優雅なクラシックくらい。田中が必死でピアニストを連れてこようとするので、そのシーンに合わせてクラシックが流れる感じだった。聞いたことあるクラシックだったが、曲名までは調べられず。
音声に関しても、暗転中に流れる北風の効果音と、ねるりが首を吊ったシーンでの暗転で流れた劇中序盤でのねるりと添島のやり取りの音声くらい。北風は秋という季節に合っていて納得感あった。

その他演出について述べていく。
先述した通り、客席がステージに対してコの字型に設置されているので、客席によって舞台の見え方が随分変わる。私は下手側の片辺に沿った客席の最前列だったので、当然正面からキャストの演技を観ることは出来なかった。そのため、正直この重要なシーンのこの方の演技と表情を観たいと思っても観ることが出来ないストレスは何回か生じた。しかし、側面の客席だったからこそ拝見出来る演技やシーンもいくつかあった。例えば、ねるりが首を吊って死ぬシーンでは、こちら側を趣里さんが見ていたので、表情までしっかり見ることができた。あとは、佐藤とその妻が最初に捌けていく時、下手側に捌けていくのだが、そのときに夫婦で会話しながら捌けていて、その会話の内容を聞き取ることが出来た。実際にはそれと同時発話的に、ステージ中央では別のシーンの会話が繰り広げられているので、他のエリアの客席に座っている観客はそちらに耳を傾けるだろう。そのような形で、客席によって見え方が変わるので、それによって見える演技見えない演技、聞こえる会話聞こえない会話があって、劇中の出来事をすべて捉えきることは出来ないが、演技空間そのものを体感した感じがあって良い体験だった。過去にも玉田企画の公演など、コの字型の客席をいくつか体験してきたが、ここまで露骨に客席の場所による影響を喰らったのは初めてだった。ストレスは多少ありつつも、自分はそういった演出を楽しんでいた気がする。
そして先ほども触れたが、今作は同時発話的なシーンも比較的多いように感じた。平田オリザさんが主宰する青年団の「東京ノート」で観劇したような感覚。同時にステージ上の異なる場所で、キャストが会話を繰り広げるというもの。非常に演劇的な演出方法だが、一度に全ての情報を掴み取ることが出来なくて、理解しきれていないシーンがあるかもと観客にそう思わせるストレスがあるので、その演出方法には好き嫌いはあるかもしれない。けれど私は、今作ではそこを楽しむことが出来た。多少会話を聞き取りそびれても内容はついていけたし、ある種鑑賞というよりは体験として舞台観劇出来た感じをさせられたからかもしれない。演劇を観たという感じがして良かった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501312/1940301


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

非常に豪華なキャスティングで、素晴らしく上質な会話劇を堪能することが出来た。それだけキャストが皆上手かった。
特筆したいキャストをピックアップしていく。

まずは、ねるり役を演じた趣里さん。ヒロインにして個人的には今作のMVPだった。趣里さんの演技は、杉原邦生さん演出の「オレステスとピュラデス」(2020年)以来2度目の拝見。
テレビをあまり見ない人間なので、あまり趣里さん出演のテレビや映画を観たことがない(映画「生きてるだけで愛」で拝見したくらい)私にとって、趣里さんの今作の演技は、こんな演技も出来てしまうのか...凄いという感じだった。
ねるりというキャラクターは、作品全体を通じて立ち込めている「不安」というものの象徴だと感じた。非常に今の20代の女性に沢山いそうなリアリティあるキャラクター設定だった。基本的に自分に自信がなさそうで、いつも怯えている印象を感じた。例えば、序盤でマスクをしていなくて、赤の他人にマスクをしていないで会話をして怒られるんじゃないかと怯える姿だったり、常に添島に裏切られるんじゃないかという疑心暗鬼を募らせていたり、カンザキという女性が出てくるとやけに饒舌になって自分を正当化しようとしたり。凄く自分に対する自信のなさからくる言動だと感じた。
趣里さんは今まで力強い女性を演じるイメージだったが、か弱い女性らしさを演じることも得意なんだと再認識した。目を細めながら「あっ」とか怯える感じが、声の音量も相まって非常に絶妙で、凄く助けたあげたいという感情も掻き立てられる一方で、序盤のシーンでは怯えすぎていて苛立ちを感じさせるキャラである所が面白かった。
そんな変幻自在の演技を熟す趣里さんは素晴らしかった。朝ドラ女優として来年も大活躍してほしい。

次に、添島コウ役を演じた橋本淳さん。橋本さんの演技は、加藤拓也さんが作演出を務めた「もはやしずか」(2022年)以来2度目の演技拝見となる。
「もはやしずか」の主人公役を演じていた時もそうだったのだが、橋本さんは優しいのだけれど、優柔不断で自分ではあまり意思決定出来ず周りに流されてしまう男性を演じるのが上手い。特に今回の添島はそんな印象を強く感じさせるキャラクターであり、そこがしっかりハマっていた。
物語中盤では、カンザキとねるりの2人が基本的に添島を巡って口論している。しかし添島の存在感は非常に薄い(良い意味で)。そのくらい自分の主張を持っていなくて、ずっとナヨナヨしている感じが、橋本さんが演じる男性らしい所だなと感じた。
そして印象的なのは、ねるりが首を吊ってしまった後で、ただただ大泣きしているシーン。その大泣きがどことなくか弱い感じと、そこまでねるりのことを思ってなかったんじゃね?という無責任な描写にも見えた。これは演技力の問題なのか意図的なのか定かではないが、凄く泣き方が嘘泣きに見えて、本当に彼女のことを思っているのか疑ってしまう姿勢を、その演技から感じた。たぶんそれは演出上意図的で、添島は心の内ではねるりを愛していなかったんじゃないかと思う。実際、カンザキがおじさんの家に向かうと、ねるりを置いてそちらへついていってしまった。
そんな優柔不断な男性役をしっかり熟せる橋本さんは俳優として素晴らしかった。

あとは、田中役を演じたお笑いコンビであるシソンヌのじろうさんも素晴らしかった。
じろうさんの演技を拝見するのは初めてだが、テレビ出演等でよく知っていた。今回の田中の役は非常にビジネスマンといった感じで、身なりもきっちりとしたスーツにゴールドの縁のメガネをかけていた。結構意外に思えていたのだが、そこをじろうさんはきっちりハマり役として熟していた。
腕を組みながら偉そうに、ちょっと強い口調で話す感じがビジネスマンらしくて良かった。ちょっと鼻につくのだけれどそこが良かった。カンザキがずっとグズグズしていて、それにしびれを切らせてずっと指を動かしている感じとかも細かいが凄く良かった。
ピアニストを探して向かう集会でも、非常に下っ端のようでヘコヘコする感じも良かった。

おじさん役を演じた山内たかしさんも良かった。杖をつきながら、本当にその辺にいそうなおじさんっぽくて、ねるりという名前をど忘れしたり、おじさんと言われてキレるあたりが好きだった。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501312/1940298


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作は、非常に考察のやりがいもある作品だし、ストーリーも全く追えない訳ではなかったし、むしろかなり理解したつもりでいるのだが、どうも考察が自分の頭の中でまとまっておらずモヤモヤしている。ストーリー、世界観、キャストを記載しながら振り返ればまとまってくるかとも思ったが、実はあまりこの文章を書いている現状でもまとまっていない。というのは、劇中に登場する考察しがいのある要素同士が、どうも一本のラインとして繋がってこないからである。
ちょっとまとまりのない文章になるかもだが、今作を考察していきたいと思う。

まず今作全体を通じて私が感じたのは、先述したようにこの作品にはずっと「不安」というキーワードが立ち込めているということである。そしてその象徴が、ねるりという女性である。
2020年から世界は新型コロナウイルス蔓延により様々な活動を自粛せざるを得なかった。外出時はマスクをしないとならなくなった。マスクをしていないとそれらを取り締まる警察が出動するくらいだ。自粛に関しても自粛警察がいた。コロナ禍はいつ終わるか分からなかった。そしてマスクを外したり、何か活動をすると叩かれる不自由な世の中だった。だからこそ人々はずっとこの社会というものに対して「不安」を抱いていたに違いない。社会というよりは自分たちの「暮らしに」だろうか。
そんな皆が抱く、感じる「不安」を趣里さん演じるねるりが体現してくれていた気がした。マスクを外していたら怒られるんじゃないかという。そんな「不安」もあって、ねるりの声色はいつも抑え気味だった。その抑え気味というのも、今の日本の現代社会を生きる人たちが常に生きながら隣り合わせとなっている感情なんじゃないかと思う。
相手のことを気遣いながら会話を進める、ちょっとデリカシーに欠ける発言をしただけでも抑圧される。例えば佐藤の発言に妻がツッコミを入れていたあたりがそう。田中の「おじさん」発言に、岡部たかしさん演じるおじさんが敏感になるのもそう。そういった繊細で絶妙な会話のやり取りに、ちょっとデリカシーのない発言が作用することでグラつく感じを観劇しながら終始感じた。これこそが皆が日常生活で感じる「不安」であり、緊迫感なのかなと思う。

そしてその「不安」は、もっとプライベートな事象へと物語後半は落ちていく。自分と婚約している男性を本当に信用して良いのかという「不安」である。
コロナ禍によって抑圧された感情は、どこかで発散を求める。しかし、その発散場所を間違えると大事故に繋がる。カンザキの添島への気持ちをあそこの場で伝えてしまったのも、その発散が最も最悪な方向へ繋がったからではないかと感じた。
ねるりがずっと「不安」に感じていたことが、カンザキの発言によって明確になり、それによって絶望に向かってしまった。そして自殺未遂するまでに至ってしまった。
劇中序盤と後半で、りんごが頭上になっているのを発見するものの、ジャンプしても触れるくらいで決して手に取ることは出来なかった。りんごというのは「幸せ」や「安定」のメタファーかなと思いながら見ていた。届きそうで届かない存在。結局ねるりと一緒にいた時のりんごも、カンザキと一緒にいた時のりんごも手に取れなかった。これは、添島がどちらの女性とも上手くやっていけないことを示唆しているような気がする。

この物語は、最終的には添島がカンザキとくっつき、ねるりが田中と一緒になる形で終わる。つまり、ねるりとカンザキがトレードした形だった。カンザキは一人の人を愛すことが出来ず、愛人がいっぱいいた。一方で、ねるりは添島だけを愛していたように思えたが、最後は田中とキスしてしまったことで彼についていってしまった。
ここから受け取れるメッセージとしては、恋愛関係や人を好きになる気持ちなんて「不安定」なものということなのではないだろうか。常に何かの拍子で揺れ動くもの。だからりんごを手に入れることは出来ないのかもしれない。

最後に、「温暖化の秋」というタイトルについて考察する。劇中に一度だけ、地球温暖化によって秋でも暖かいからずっと外へいられるという台詞があった記憶である。まあ2022年を舞台設定にしたらそうなのだが、なぜこの箇所をタイトルに持ってきたのだろうか。
地球温暖化という現象自体も、コロナ禍と同じ、私たちの社会を大きく覆っている「不安」要素である。地球温暖化によって、私たちの暮らしがいつ脅かされるか分からない。そんな「不安」が秋を暖かくすることでじわじわと迫っていることを表すのかなと思う。ここが個人的に一番しっくりきていないので、的外れかもしれない。
ただ私は少なくとも、レビューを書き続けながらそういった解釈にたどり着いた。

【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/501312/1940307


↓趣里さん過去出演作品


↓橋本淳さん過去出演作品


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