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舞台 「ビッグ虚無」 観劇レビュー 2024/10/19


写真引用元:コンプソンズ 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「ビッグ虚無」
劇場:下北沢駅前劇場
劇団・企画:コンプソンズ
作・演出:金子鈴幸
出演:浅野千鶴、江原パジャマ、大宮二郎、宝保里実、星野花菜里、細井じゅん、堀靖明、安川まり
公演期間:10/16〜10/20(東京)
上演時間:約1時間55分(途中休憩なし)
作品キーワード:ナンセンス、不条理、コメディ、サスペンス、笑える、ゾッとする
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


今年(2024年)の第68回岸田國士戯曲賞では『愛について語るときは静かにしてくれ』が最終候補に選ばれて人気が出始めている、金子鈴幸さんが作演出を務める演劇団体「コンプソンズ」の新作公演を観劇。
「コンプソンズ」は、2016年に金子鈴幸さんと星野花菜里さんを中心として明治大学実験劇場を母体に発足し、公式HPには「ある実在の出来事を題材に事件から事件、あるいは現実から虚構を縦横無尽に渡り歩く作風が特徴」と記載されている。
「コンプソンズ」として13回目の公演となる今作だが、私自身は配信視聴で『愛について語るときは静かにしてくれ』を観たことがあるだけで劇場観劇は初めてとなる。

物語はハプニングバー(「客同士のハプニング発生」を前提としているバー)を舞台に繰り広げられる。
ハプニングバーで靖男(江原パジャマ)はのみ子(安川まり)を口説こうとしているが、誘いが上手くいかなくてのみ子は靖男の相手をしてくれない。靖男はケンジ(大宮二郎)とコウ(細井じゅん)の大学生3人でハプニングバーに乗り込んでいたが、靖男は童貞キャラを装っていた。
そんな中、ハプニングバーのベッドの中でミロ(浅野千鶴)という女性が眠っていて目を覚ます。
ミロは店員のクルス(堀靖明)にハプニングバーのベッドは睡眠のためのベッドでないと言われるが、ミロは宮内庁の職員の夫がハプニングバーのプレイルームで別の女性と性行為をしていると言う、ミロが浮気したことが原因で。
その時SFのような音と照明がプレイルームから出現し、ミロの夫と性行為していた女性が忽然と姿を消してしまい...というもの。

『愛について語るときは静かにしてくれ』を映像視聴した時に、この凄まじい熱量とカオスで不条理な展開の連続に、是非とも劇場で観劇してみたいと思っていた「コンプソンズ」の作品だったが、今作は想像以上に支離滅裂な展開の連続に驚かされた。
最近ネットで炎上した時事ネタをふんだんに盛り込みながら、まるでストーリー展開なんて何もないくらいにナンセンス色が強くて、ずっと悪夢を見させられているような感覚だった。
そして想像していた以上にゾッとするくらいサスペンスホラー色も強く、血に染まった服を着て包丁を持って暴れ始めたり、ステージ上の至る所で断末魔が聞こえたりとカオスそのものだった。
最近YouTubeなどの動画サイトでは生成AIが作成したメチャクチャな動画が大量にアップされているが、その動画たちをずっと見てしまうような感覚で、支離滅裂で意味不明だけれど劇中で起きている惹きつけられる描写の数々にずっと食い入るように見入ってしまう、そんな感覚だった。
そのくらい、役者たちの演技の熱量は炸裂していて見応えがあった。

ただ、岸田國士戯曲賞ノミネート作品でもある『愛について語るときは静かにしてくれ』と比較すると、今作の脚本から感じさせるメッセージ性がぼんやりしていて、観終わった後にあれこれ考えさせられるような深いテーマが見つけにくかった。
今年ネットで注目されたり炎上したりしている内容にある程度まとまりが見えてきて解釈が出来たら、尚面白いと感じられただろうがそうはならなかった。
しかし、劇中に散りばめられている炎上ネタや時事ネタにそれぞれパンチがあり、昨今の多様性社会やルールに縛られた社会の生きにくさや日本とアメリカの対比について考えさせられるものがあった。
「コンプソンズ」の作品は、再演は難しいだろうなと思わせるくらい、今話題になっているネタがてんこ盛りで上演されるので、今だからこそ観る価値を感じさせる演劇だなとつくづく感じた。

役者陣の熱量と狂気にはずっと圧倒され続けていた。
特に主人公の靖男役を演じた江原パジャマさんと、ミロ役を演じた浅野千鶴さんの演技が素晴らしかった。
江原さん演じる靖男の童貞キャラは個人的にどこか惨めさを感じられた。
映画『ジョーカー』のアーサーのような、社会に抑圧されて狂気に変わって狂ってしまった感じを受けて、それが彼の役の魅力を何十倍にも引き立てていた。
浅野さんはもちろん「コンプソンズ」の客演であるけれど、役者としての経験値も高いので役者全体を牽引していたというか、彼女の際立った魅力によって全体的に見応えのある芝居に仕上がっていた。

非常に思想の強い発言も登場する上、支離滅裂で断末魔の聞こえる芝居なので、思った以上に今作は人を選ぶ作品だと思う。
しかし、どうしたらこんなナンセンスな物語を作ることが出来るのだろうかと感心するレベルに唯一無二な演劇作品なので、配信も11月2日〜12月31日で行われるようなので、一度この摩訶不思議な世界に足を踏み入れてみるのも面白いかもしれない。

写真引用元:ステージナタリー コンプソンズ#13 「ビッグ虚無」より。(撮影:コムラマイ)




【鑑賞動機】

『愛について語るときは静かにしてくれ』を配信視聴して、その熱量とカオスぶりに一時虜になったので、「コンプソンズ」の作品は一度劇場観劇してみたいと思ったから。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

靖男(江原パジャマ)とミロ(浅野千鶴)がそれぞれベッドで就寝しようとしている。しかし、スマホで動画を見てしまって眠れない。暗転する。
ここはハプニングバー、クルス(堀靖明)が店員をやっていて、カウンターにはリエ(星野花菜里)がいる。ケンジ(大宮二郎)とコウ(細井じゅん)はハプニングバーの片隅で寝そべっている。そんな中、靖男はのみ子(安川まり)を必死で口説こうとしている。しかし口説き方が下手くそな靖男にのみ子は全然唆られずにいる。やがてのみ子は呆れて靖男の元を離れてクルスの元に行く。ハプニングバーなのに口説いてくるなんて全然ダメと。
のみ子とリエは二人で来ていたらしく、そのままハプニングバーを後にする。靖男は大学仲間のケンジとコウと来ていて、ケンジとコウはその場を去る。

ハプニングバーに置かれていたベッドの中から、ミロが現れて目を覚ます。クルスは、ここのベッドは睡眠を取るためのベッドではなく、あくまでハプニングバーでプレイルームに行く前にイチャイチャするためのベッドであると告げる。序破急の破の部分にあたるのがこのベッドのエリアなのだと。ミロは、序破急ではなく序急破の破だと思ったなどと言っている。
そのまま靖男とミロが二人になったのでダーツをしながら二人で話す。靖男は、かつて家庭教師の先生とやりたかったことがあり、家庭教師の先生は彼にとってAVなのだと言う。靖男は童貞キャラでいたいらしく、一緒にハプニングバーに来たケンジとコウには、自分は童貞であるということになっている。しかし実は違うのだと言う。
ミロは実は結婚していて、今旦那がプレイルームで別の女性とセックスをしているのだと言う。旦那は宮内庁に勤める職員なのだが、ミロが浮気したせいで旦那もおかしくなってしまって浮気をするようになったのだと言う。プレイルームからはセックス中の喘ぎ声が聞こえている。

その時、プレイルームの入り口からSFのような音が聞こえて光り出す。ミロと靖男は驚く。SFのような音が鳴り終わった後、クルスが戻ってきて、今SFみたいな音が聞こえなかったかとプレイルームの方の様子を窺う。ミロは、自分の夫がどうなっちゃったんだろうと心配になり、そのままプレイルームに入ってしまう。クルスは止めようとしたが間に合わない。
ミロは戻ってきて、夫と彼とセックスしていた女性がいないと言う。穴みたいなものがあったが、そこも埃を被っていてそこに行った気配はないという。夫とセックス相手の女性が消えてしまったと焦る。ミロは警察に通報しなくちゃと言うが、クルスはここはグレーゾーンな世界なので警察みたいに信用出来ない存在を呼ぶ訳にはいかないと言う。
ケンジ、コウ、のみ子、リエが戻ってくる。ケンジとリエは良い感じになったので、二人でそのままプレイルームに入ってしまう。ケンジはプレイルームの扉の窓から裸になってセックスしながら叫んでいる姿が映っている。
のみ子は、リエが余命1年で胃などの内臓が腐り始めていると言う。きっとリエの内臓は腐り始めているから口臭が臭いはずだと。それを聞いて靖男は高らかに大笑いを始める。自分だって余命3年なのに、リエだけ余命1年だからといって哀れに思うのはおかしいとばかりに。

暗転する。
クルスは語る。ここから始まるのは、それから3年後の2024年の話であると言う。つまり先ほどの話は2021年の話だったということである。どうしてマスクをしていなかったか、それはクルスがハプニングバーに客が来店する時にマスクを取ってもらうように指示していたから。クルス自身がマスクを見るのが嫌いだったからだと言う。

2024年のハプニングバー、プレイルームの扉の横にはリエの顔写真(遺影)が飾られている。ハプニングバーの店員はミロが勤めていた。今ではハプニングバーの店員をやっているらしい。
コウはグローバル企業に内定をもらって就職していた。コウは自分なんかがグローバル企業から内定をもらって高年収をもらって良いのかという感じらしい。一方でケンジはYouTuberとして活躍していた。ケンジはショートスリーパーでなくノットスリーパーとして一睡もせずに生活しているのだと言う。睡眠を取るのは甘えだと。ただし、右脳だけ眠っていて左脳だけ起きて常に論理的な時もあれば、左脳だけ眠っていて右脳だけ起きている超感情的な時もあると言う。
ミロはクルスと店員を交代する。のみ子もやってくる。のみ子は実際にリエが死んだことを確認している訳ではないが、リエが死んだと思い込んで遺影を飾っていた。
ミロはベッドの上に立ち、のみ子、ケンジ、コウはミロの演説を聞く。ミロは今でも自分の夫がこのプレイルームから消えてしまったことを忘れずにいる。そこからセックスの話になり、アメリカではセックスのことを「オーマイゴッド、ジーザス・クライシス」と言う。つまり神がやってくるという。しかし日本は「いく」と言う。つまりアメリカでは「来る」なのに日本では「行く」なのである。こんなんだから日本の国力が低いのだと言う。原爆が日本に投下されて、映画『オッペンハイマー』では日本の様子を描くことなくアメリカの様子だけ描く映画が評価されてしまうのだと。その間ケンジはずっと居眠りしていた。

そこへ富江(宝保里実)と言う女性がハプニングバーへやってくる。ミロは富江の様子を見るなり、お前はあの時夫とセックスをした女だなと襲いかかる。ミロはハプニングバーの裏手から包丁を持ってきて富江に切りかかろうとする。富江はプレイルームの方へと逃げていく。ミロは追いかける。
そこへ今度は靖男がカウボーイの格好をして現れる。Mrs.GREEN APPLEの『コロンブス』を真似したコスプレである。靖男はクルスと話している。クルスは靖男にてっきり死んだかと思っていたと言われるが死んではいなかった。靖男は拳銃を持ちながら大声で暴れている。
そこに、サキュバスの姿をしたリエが現れる。のみ子たちは、リエは死んでいなかったと大騒ぎする。のみ子とケンジとコウは脱出ゲームだと言って、早くここから脱出しないとと出口を探し始める。それをサキュバスのリエが追いかけてくる。
ミロは血だらけの服を着ながら包丁を富江に突きつけて追いかけ回す。富江は黒髭危機一髪の樽の中に入っている。その樽にミロは何度も包丁を突き刺す。そしてたまに富江は痛いと叫ぶ。
靖男とクルスは話していると、裏手から火災報知器が鳴り始める。クルスはチャーハンを炒めてそのままにしていた。火を止めようとするがあっついと叫ぶクルスの姿が扉の窓越しから見える。クルスは顔が黒くなってやってくる。まるでブラックフェースで差別表現のようだった。
外は雨と風で大荒れのようである。そこへのみ子が警察の格好をして現れる。火災報知器の音を聞きつけたからか。しかしのみ子は外から来たはずなのに全然濡れていない。
相変わらずミロは富江を追いかけ回しているし、ケンジ、コウはリエに追われながら出口を探している。そんな中、靖男は叫ぶ。岩松了さん見えますかと、岩松さんと叫ぶ。

暗転する。

ミロと靖男が二人でまるで舟のオールを漕ぐような形で二人でいる。靖男は呟く。かつて自分の家庭教師をしていた女性は、自分の父親とやっていたのを見てしまったと。すると、ミロは実はその家庭教師と言うのは自分なのだと言う。靖男はやっぱりそうだったのかという反応をする。
ミロは、既婚者が好きになってしまう女性だったのでつい靖男の父親にも手を出してしまったのだと。靖男はよくそれで結婚出来たなと言う。
そこへ突然のみ子が入ってきて、結局助かったのは自分一人だったと言う。
ミロと靖男は良い感じの雰囲気になる。そしてお互いに近づきあってキスをしようとする。しかし、ミロは靖男の口臭が臭すぎてダメだと断念する。靖男は叫んで服を脱ぎ始めてフレディーマーキュリーのようなタンクトップ姿になる。ここで上演は終了する。

「大人計画」の松尾スズキさんの作品に近いというレビューを拝見してたしかにと思った。私は松尾さんの作品は『ふくすけ』しか存じ上げないが、確かにナンセンスで不条理でグロテスクな描写が含まれる松尾さんの作品の面影を今作から感じ取ることが出来た。
ネットで炎上したコンテンツを盛り込んでいて、よくここまで攻めた作品を作れるなあと感心してしまった。凄くセンシティブな内容を多く扱っているので一歩間違えると今作も炎上してしまうんじゃないかと思うほど、ヒヤヒヤする描写が多々あった。それは当日パンフレットに金子さんが寄稿しているように、新作の上演は胸がバクバクするほど緊張するよなと感じた。
劇中に登場するネタから、人種差別や性差別、そして統制された社会からの弾圧を感じさせる。劇中に登場する台詞の思想がなかなか強いのでずっとヒヤヒヤしていた。
ただ、結局何を一番描きたいかはよく分からず、それは岸田國士戯曲賞ノミネートの『愛について語るときは静かにしてくれ』よりもよく分からなかったので、そこがもう少しはっきりすれば、私の最後の満足度も上がっていたと思う。ナンセンスに意味を求めるのもおかしな話なのかもしれないが、明確な意味を持たせなくてもうっすらと解釈や伏線を与えてくれた方が楽しめると感じた。
だからこそ、ラストはちょっと冗長にも感じた。

写真引用元:ステージナタリー コンプソンズ#13 「ビッグ虚無」より。(撮影:コムラマイ)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

次にどんな展開が起こるか全然予想出来ないくらいに、支離滅裂な展開にずっと釘付けになってしまうくらい、カオスで不条理で熱量の物凄い世界観に魅力があった。そして『愛について語るときは静かにしてくれ』以上にサスペンスホラーの要素も強く感じて恐怖もあった。だからこそ笑えるシーンは笑えるが、終盤は面白いことが起こってもあまり笑えなかった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台上にはハプニングバーが構えられている。下手側奥にはクルスの固定位置である店員のいるカウンターがあり、その後ろにはバックに繋がるデハケ口があった。そのバックで炒飯を調理したりしているらしく、火災報知器が鳴った時はクルスはそのデハケから出入りしていた。カウンターには赤い複数の背の高いカウンターチェアが置かれていて、序盤はリエがそこで飲んでいた。その手前側には丸い背の高いテーブルが置かれ、序盤に靖男がのみ子を口説こうとしていた場所があった。その下手側の壁面にはダーツが据え付けられている。
ステージ奥側の中央から上手側にかけての壁面には、カラフルで形の異なる3つの扉が取り付けられていた。一番下手側の茶色い扉が、ミロの夫が富江とセックスしたプレイルームに通じる扉になっていた。他の青い扉と赤い扉は劇中は開かれなかった記憶なので、本当に扉のように開閉出来るのか分からない。一番上手側にあった赤い扉には窓が取り付けられていて、ケンジがプレイルームで上半身裸で腰を大きく振りながらセックスをする光景が上半身だけ見えたり、クルスが炒飯をそのままにして火事にしてしまった光景を映し出していた。2024年のシーンから、茶色い扉と青い扉(下手側から数えて1番目と2番目の扉)の間にリエの顔写真が飾られていて遺影になっていた。
ステージ上手側手前には、白いシーツの敷かれたベッドが2台置かれていた。序盤はそこにミロが頭まで布団を被って気が付かなかった。ミロは2024年のシーンで、このベッドの上に立ってケンジ、コウ、のみ子たちに日本とアメリカの国力の違いについて演説するシーンを展開していた。
ステージの一番上手側の壁面には椅子が2つほど置かれていて、序盤はケンジとコウがそこに座って居眠りしていた。
壁面は全体的にクリーム色の汚しがしてあって、いかにもハプニングバーというような感じで大人のいかがわしいお店といったオーラを感じられた。
舞台セットはハプニングバーという感じだなという印象だが、それ以上に下北沢駅前劇場にこんなに多くの客席を設置することが出来たのだと驚いた。一例20席くらいありそうな列が10列以上あったと記憶している。もちろん私の観劇した回は満席にはなっていなかったけれど、少なくとも200席以上の客席はあったので相当の観客が入ることが出来るんだなと感じた。

次に舞台照明について。シーンはハプニングバーの一箇所で起きる芝居ではあるが、照明演出は大活躍していた。
まずは、ミロの夫と富江が消えてしまうSFみたいな照明演出。扉を中心に白く光る演出になっていた。割と客席側の天井にも照明が沢山吊り込まれていて、そこからステージに向かって照らされる照明が多かった。SF的な照明だけでなく、ステージ序盤の靖男のモノローグやミロのモノローグで彼らに客席側から白くスポットがぼんやりと当たるような照明演出もあった。
ハプニングバーでの照明は、物語が後半になるにつれて不穏な感じになっていき、緑色や紫色に全体的に照らされるカオスな照明演出になったりなどしていた。また、火災報知器が鳴るシーンでは下手側のデハケから赤く照明が照らされて、より物語がカオスな展開に向かっていることを感じさせられた。
そして終盤では全体的にステージ上を照らす照明は少なめで暗かった。一番最後の靖男とミロが舟のオールを漕ぐシーンでは、割と全体的に暗い照明演出になっていた記憶だった。そこからも今作にはサスペンスホラーを感じさせられた。
また、ケンジに対してはピンポイントで煌々と黄色く光る照明が当たる演出が多かった印象。ステージ上の天井にカットインで煌々とケンジに向けて照明がスポットで照らされてカットアウトされた後に、灯体が素早く向きを変えるなんていう操作も見られた。

次に舞台音響について。音楽、効果音含めて多様な音響が使用されていた印象だった。
音楽でいうと、客入れでは私はよく知らなかったが平沢進さんの音楽などがかかっていたようである。また、劇中でも暗転中や2021年から2024年になるタイミング、そしてカオスなシーンなどでどちらかというと不穏な楽曲が流れていた記憶である。
効果音も多数使われていた。セックスをする喘ぎ声、火災報知器の音、SF的な音、発砲音など不穏な効果音が多い印象だった。

最後にその他演出について。
『愛について語るときは静かにしてくれ』でも感じたが、「コンプソンズ」の作品は支離滅裂な展開なのにずっと見れちゃうという点があって、それは昨今YouTubeなどで生成AIが作った支離滅裂な動画をずっと見ちゃうのに近い感覚があるなと感じた。ストーリー性はないのだけれど、そうなる?みたいな予想外の展開に釘付けになってしまう感じがあった。今作でもたとえば、いきなりケンジがYouTuberとしてノットスリーパーをアピールし始めたり、ミロの夫がSF的な音と共に消えてしまったり、サキュバスが登場したり、靖男がMrs. GREEN APPLEの炎上したMV『コロンブス』の格好をしていたりと、何の脈絡もなくて全然伏線も回収されない内容が次々に展開されて予想がつかない様が非常にクセになる作風だと感じた。描写だけではなくて、お互いの会話の内容も会話になってなくて、いきなり「岩松了さん見えますか」とか、余命3年とか、スキマスイッチが出てきたりなど会話になってないけど引き込まれる内容で言葉選びにもセンスを感じるあたりが「コンプソンズ」らしかった。
また、今作を観劇して改めて思ったのが、今上演するからこそタイムリーで刺さるネタも多いなと感じた。たとえば、靖男を若干映画『ジョーカー』のアーサーを彷彿させるように描写しているのは、映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が劇場公開されているからだし、映画『オッペンハイマー』で原爆の描かれ方に日本人が批判したこともタイムリーな話題だから刺さるよなと感じた。そこに付随して岸田総理が辞任を日本よりもアメリカに先に連絡した点も絡めていて、今だからこそ刺さる内容だと思った。Mrs. GREEN APPLEのMV『コロンブス』が炎上したのもこの前の出来事だったからで、これが数年後になってしまうとこのままの再演は難しいだろうなと感じた。悠仁さまが東大に推薦入学しようとしているという内容もかなりタイムリーさを感じた。
かなりセンシティブな内容のネタもあって凄くヒヤヒヤしたのもあった。たとえば、日本とアメリカの対比もセンシティブで映画『オッペンハイマー』で原爆の描写が日本人に批判された内容を描写していた点がそうである。また、クルスが炒飯で火事を起こしてしまって顔を墨で黒く塗ったようにするのも人種差別的にも感じた。左翼・右翼の話を出して、それを用いて国力の話をしたりフェミニズムの話をするあたりもかなり際どいなと思いながら見ていた。風俗店で働くデリヘル嬢は女性としての人権がと言われる昨今だが、性行為したい女性の人権はどうなるのみたいな描写も考えさせられた。
あとは細かいネタで記憶に残っているのは、野菜は美味しいから食べるのは、後から元ネタがホリエモンの動画であることを知って内容は知っていたのに気づかなかったとなった。スキマスイッチの『ガラナ』の歌詞をネタにしているのは世代だなと思った(むしろ年配の方や最近の若者は知らないのでは?と思った)。目玉の親父と言いながら、ど根性ガエルのピョン吉をやるのも好きだった。
あとはおまけだが、金子鈴幸さんが学生の時、学級ヒエラルキーの上位の人たちに面白いことをやれと言われてテキトーに面白いことをやって上手く嫌われずに器用にやり切っていたのは事実なのかななんて思った。

写真引用元:ステージナタリー コンプソンズ#13 「ビッグ虚無」より。(撮影:コムラマイ)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

「コンプソンズ」でお馴染みの俳優と、小劇場演劇で活躍される俳優が程よいバランスで出演されていて、非常に狂気的で熱量溢れる演技に圧倒されていた。
特に印象に残った役者について記載する。

まずは、主人公の靖男役を演じた江原パジャマさん。江原さんの演技は、先日COCOON PRODUCTION 2024『ふくすけ-歌舞伎町黙示録-』で演技を拝見したばかりである。
江原さんの演技はいつも大劇場で観ることが多く、小劇場での演技拝見は初めてだったのだが、狂気的な演技がとても「コンプソンズ」の作風に合っていた。たしかに序盤は童貞キャラというのもあって、不器用なモテない男性というイメージであったが、2024年のシーンになるとカウボーイの格好になったのもあって、童貞キャラというよりはちょっと危ない方向に走ってしまって恐怖を感じる男性像になっていた部分にインパクトがあった。
自分が余命3年であるのに、余命が1年ということに対して不気味にもお笑いしていた靖男あたりから、突然この人ヤバいなというオーラを非常に感じ始めていた。それまではモテない男性みたいなキャラだったのが、途中で怖くなっていった。その辺りが、映画『ジョーカー』のアーサーとも通じる部分があるよなと思った。アーサーは心優しいが家庭が貧しくて理不尽な目に遭っているうちに社会への反発を覚えていくが、靖男の場合は少し違うが、やはり家庭教師の先生が自分の父親とやっていたというトラウマがあって、それが影響してまともな大人になれず、どんどん狂っていった感じがあった。2024年のシーンで靖男がカウボーイのコスプレをして大騒ぎしてしまう感じは、アーサーがジョーカーのようなピエロになってゴッサムシティで暴れ回るのと対応したりして狂気だった。
そんな化け物みたいな靖男を演じられる江原さんは素晴らしかった。大声を出して笑うとか、甲高い声を出して暴れ回るとか、そういう狂気的な演技をこなせるのは役者としての凄いところだなと思う。

次に、ミロ役を演じた浅野千鶴さん。浅野さんは画餅『ウィークエンド』(2024年5月)、玉田企画『夏の砂の上』(2022年1月)『今が、オールタイムベスト』(2020年3月)といった小劇場演劇で観劇している。
本当に今作での浅野さんのポジションは良い役回りだなと思って見ていた。一番キャラクターとして感情移入出来る存在だったかもしれない。夫が宮内庁勤務で普段は真面目に働いていたと思うが、自分の過ち(浮気)によって夫も浮気をするようになってしまった。夫が浮気しても自分も浮気してたから咎めることが出来ないよなと。そんなこともあって夫が富江とハプニングバーでセックスすることも容認していたのだと思うが、それがきっかけで夫が消えてしまったらそれはパニックになるよなと思う。
ミロを見ていると、夫を失ったということをきっかけにして我を忘れて偏った思想に走る様がなんとも人間らしいなと思いながら観ていた。夫が消えてから、日本の国力云々言うようになってアメリカを軽蔑するようになった感じがするし、富江を追いかける様も非常に狂気的だった。
刃物を持って舞台上を駆け回ったり、骸骨を背負って歩いてきたりと、こんなにも怖い浅野さんを観たことがなかったので凄く新鮮で引き込まれた。そしてダーツがとても上手かった。

「コンプソンズ」のメンバーで今回初めて劇場で演技を拝見したケンジ役の大宮二郎さんも素晴らしかった。
ケンジは、なんといっても2024年でのノットスリーパーのYouTuberが面白かった。ノットスリーパーと言って睡眠は負けみたいなことを言っておきながら、ミロが演説をしている時は思いっきりノットスリーパーは船を漕いでいた、つまり居眠りをしていてツッコミたかった。
ただ、役者としての熱量は凄まじいものだった。よく分からないノリであそこまで殻を破って演技を凄い熱量で出来るのはどんなモチベでやっているのだろうとも思った。「コンプソンズ」の作風は、あまりにもナンセンスすぎて感情がついてゆかないので、役者たちはこの熱量をどこからモチベーションを経てやっているのかは気になった。

クルス役を演じた堀靖明さんも個人的には好きだった。堀靖明さんは今回が初めての演技拝見だと思っていたら、パラドックス定数『vitalsigns』(2021年12月)で一度拝見したことがあった。
体格が良くて優しい感じにハプニングバーでお客さんに安心感を与えていた。頼り甲斐があって、彼に任せておけば大丈夫みたいなそんな安心感があった。
炒飯を炒めていて火事になって焦る様や、SF的な音が鳴ってあたふたする様がクルスらしいが、この店に何があっても守るというスタンスにも感じられて好感が持てた。

写真引用元:ステージナタリー コンプソンズ#13 「ビッグ虚無」より。(撮影:コムラマイ)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは今作を観劇して個人的に感じたことをつらつらと記載していく。

当日パンフレットには、今作の『ビッグ虚無』というタイトルは、ジェイムズ・エルロイの小説『ビッグノーウェア』から取っていると記載されている。『ビッグノーウェア』という小説は、私も読んだことがないがエルロイが描いたLA四部作の二作目にあたる作品であり、LA四部作の三作目にあたる『L.A.コンフィデンシャル』が最も有名であり映画化もされている。『L.A.コンフィデンシャル』は、1997年に劇場公開されていてラッセル・クロウやガイ・ピアースの出世作としても知られていてアカデミー賞候補にも上がっていた。『L.A.コンフィデンシャル』というタイトルは聞いたことがあったが、映画を観たことがなかったので一度観てみたいなと思った。
『ビッグノーウェア』に話を戻すと、この物語は『L.A.コンフィデンシャル』の前夜を描く話で、舞台は1950年の共産主義の脅威に怯えるロサンゼルスになっている。そこで異常殺人を追う若き保安官のアップショーと、アカ狩りで名声を狙う警部補コンシディーン、暗黒街の始末屋ミークスを中心に描くハードボイルドである。この三人の刑事がお互い目的が一致して手を組んだりして事件を捜索していく。
当日パンフレットで金子さんは、タイトルは『ビッグノーウェア』から取っているが、内容は1ミリも関係ないとしていて、別に小説を読んでいなくても楽しめるし、ストーリーも全然異なるのだが、全く関係していないかというと私にはそうは思えなかった。

『ビッグ虚無』では、もちろんシーンとしてはハプニングバーで起きた出来事しか描いていないが、当然設定としてハプニングバーの外の世界というものがある。ハプニングバーに集まる人々は、何かハプニングを求めてこのバーにやってくるのだが、何かしら事情を抱えていることは推察できる。
ミロは夫が宮内庁勤めだが、浮気をしていた訳で夫婦関係が良好だった訳ではなく、何かしらそこに思う所があったのは劇中の描写からよく分かる。主人公の靖男は特にそうで、自分は童貞キャラを装っているが、昔家庭教師の女性が父親とやっていたという事実を知っているし、そのことが今の靖男にも大きな影響を及ぼしている。事情を抱えている。2024年にはケンジもコウも何らかの形で成功しているのに自分だけ成功していないというような描写があった。
ハプニングバーは駆け込み寺的な要素もあったのではと思う。現実世界が辛いから、そこから一時的に逃げる場所としてのハプニングバーだったのではとも思う。現実世界が暗い状況というのは、『ビッグ虚無』でも『ビッグノーウェア』でも共通しているように思えた。

『ビッグ虚無』を観ながら、どことなく私は暗いアメリカ社会を想起せざるを得なかった。それは、靖男という人物そのものが映画『ジョーカー』のアーサーに見えたからかもしれない。
アーサーは心優しい貧しい家庭の男性で、ピエロになって人を笑わせてお金を貰っていた。そうであるが故に人々から嘲笑されたりもした。靖男も本来は優しいはずの男性で女性を口説こうと必死だったが女性から相手にされず、周囲の友達はみんな成功していった。靖男は余命3年ということもあってどんどん狂った存在になって最終的にMrs. GREEN APPLEの『コロンブス』のMVのようなコスプレになってしまったのだと思う。
アーサーも靖男も、彼をそうさせてしまったのは不遇な社会的環境である。残酷な社会が彼らのような存在を生んでしまったのである。
そういう残酷な社会の生きにくさみたいなものは、宮内庁の職員がハプニングバーによく来るとか、アメリカの国力に屈するしかない日本の姿とか、色々なところで今作で表現されている。

映画『ジョーカー』は全編アーサーの妄想なのではないかという説がある。今作の『ビッグ虚無』も靖男の妄想かもしれない。むしろ『ジョーカー』よりも全て妄想説が強いように思える。序盤に靖男やミロが就寝するシーンから始まっているから、全て悪夢の中でしたと片付けることもできる。
最後に靖男とミロが船を漕いでいたが、それは眠っているという意味の船を漕ぐなのかもしれないとも思った。

いずれにしても恐ろしい悪夢である。金子さんがどんな思いで今作を創作したのかは分からないが、今作を観劇して社会の悪夢を垣間見たような気持ちになった。

写真引用元:ステージナタリー コンプソンズ#13 「ビッグ虚無」より。(撮影:コムラマイ)


↓江原パジャマさん過去出演作品


↓浅野千鶴さん過去出演作品


↓安川まりさん過去出演作品


↓堀靖明さん過去出演作品


↓宝保里実さん過去出演作品


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