舞台 「SHELL」 観劇レビュー 2023/11/18
公演タイトル:「SHELL」
劇場:神奈川芸術劇場 ホール
企画:神奈川芸術劇場
作:倉持裕
演出:杉原邦生
音楽:原口沙輔
出演:石井杏奈、秋田汐梨、石川雷蔵、北川雅、水島麻理奈、上杉柚葉、原扶貴子、笠島智、岡田義徳、近藤頌利、成海花音、キクチカンキ、香月彩里、藍実成、秋山遊楽、植村理乃、小熊綸、木村和磨、古賀雄大、出口稚子、中沢凜之介、中嶋千歩、浜崎香帆
公演期間:11/11〜11/26(神奈川)、12/9〜12/10(京都)
上演時間:約2時間5分(途中休憩なし)
作品キーワード:学園、青春群像劇、ファンタジー、SNS、SF
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
岸田國士戯曲賞受賞経験もある「劇団ペンギンプルペイルパイルズ」の主宰を務める倉持裕さんの新作書き下ろし戯曲を、プロデュース公演カンパニー「KUNIO」を主宰する杉原邦生さんの演出で上演。
倉持さんも杉原さんも商業演劇として何度も作品を作り上げてきた大物だが、二人が作、演出という形でタッグを組むのは初めて。
倉持さん作の公演は、2021年5月に『DOORS』を観劇したことがあり、杉原さんの演出作品は、『オレステスとピュラデス』(2020年11月)、『更地』(2021年11月)、『パンドラの鐘』(2022年6月)と3度観劇したことがある。
今作は「静水学園高校」という架空の私立高校を舞台に、いくつもの顔を持っている女子高生の伊藤希穂(石井杏奈)と、そんな複数の顔を持っていることを見抜けてしまう同じクラスメイトの女子高生の沢木未羽(秋田汐梨)を中心とした青春ファンタジーとなっている。
放課後、希穂と未羽たちは、担任の先生である松田先生が突然学校を休むことになってしまった原因について話していて、一番最後に松田先生と話した男子生徒の咲斗(石川雷蔵)を疑う。
一方、盲目の高齢女性である長谷川ひとみ(原扶貴子)は、隣人の主婦である中井江奈(笠島智)とよく会話をしていたが、長谷川の家には巨大な水槽が置かれ、何か大きな生物を飼っていた。
さらに、昔は問屋街だった寂れたビルでは、洋介(近藤頌利)と風香(成海花音)の若きカップルの元へ風香の父である高木憲一(岡田義徳)が様子を見にきていた。
未羽は、この長谷川と高木が希穂なのではないかと思い始め、その真相を探っていくというもの。
この作品を見終わっての私の感想は、とにかく難解な作品で一度の観劇では半分も理解出来たのだろうかと思うほど苦戦した内容だった。
長谷川も高木も希穂なんじゃないかと疑い、それらを検証していくストーリー構成はどこか推理もののようで、難解ではあれど作品の世界へどんどん引き込まれていく吸引力があって、一瞬たりとも飽きることなく観劇出来てとても面白い作品だった。
倉持さんの戯曲は『DOORS』以外触れたことがなかったので、ファンタジー好きというのは知っていても、こんなに難解な作品を創作する方だと思っていなくて度肝抜かれた。
難解ではあったが、この作品のテーマは明確で「SNS時代における人間の多重人格性と行動心理」だと思った。
この物語の序盤は、希穂、長谷川、高木という性別も年齢も全く異なる三人が同じ人であるという突飛な仮説を中心にファンタジー要素強めで描かれるのだが、後半ではTwitterも登場してSNS内での人間の行動心理の核心に迫っていく。
実際には見ていないがSNSで話題になったことを鵜呑みにしたり、SNSで起きている自分とは関係ないことに絡んでいきたくなったり。
この物語における各登場人物の言動を深く考えていくと、それはSNSでの人間の行動心理に行き着くものばかりで、普段の私たちの日常について深く考えさせられるファンタジーとして面白かった。
また、演出が杉原邦生さんということもあって、彼らしい独特の世界観が効果的に表現されていて、そちらも観劇体験を深めてくれる大きな要素だった。
ステージは奥の方まで広大に使用して、役者たちを駆け回らせる。
緑色の床とパネルはとても印象的で、そこを同じブレザーを着た学生たちが椅子を持って並んでいるだけで、どことなく恐怖を感じさせてくれるあたりが絶妙に上手い。
また、そんな学生たちがコンテンポラリーダンスを披露する演出も斬新で見応えがあった。
舞台照明や舞台音響も遊び心満載で常に興奮していた。
ファンタジーなのだけれどSNSを使いこなす現代社会に物凄くコミットしてくる不思議且つ難解な戯曲で、そこに杉原さんらしい斬新な演出がかけ合わさった未だかつて観たことがない舞台芸術でとても大満足だった。
きっと今の高校生や大学生が観たら、私とは違った感想を持つのではないかと思う。
幅広い年齢層に観て欲しい傑作だった。
【鑑賞動機】
倉持裕さんと杉原邦生さんの初タッグというのが一番の観劇の決めて。倉持さんはファンタジーを描く方で、そこに杉原さんの演出が入ったらどんな感じになるのか想像もつかなかったので楽しみにしていた。
また、青春ファンタジーというのも良くて、この類のジャンルはあまり舞台でお目にかかることもない気がしたので、ジャンルという観点でも気になっていた。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
開演前、ステージ上奥で円形に並べられている椅子に、生徒たちが続々と向かって座り始め、ガヤガヤ騒いでいる。照明の切り替わりと学校のチャイムと共に開演し、生徒たちが一つの椅子を持ってステージ手前にやってくる。
咲斗(石川雷蔵)と伊藤希穂(石井杏奈)が二人で放課後の教室で会話している。希穂は咲斗の良いところを褒めている様子である。
そこへ、沢木未羽(秋田汐梨)と春花(北川雅)、朱里(水島麻理奈)、心那(上杉柚葉)も教室へ入ってくる。彼女たちは、担任である松田先生が突然学校に来なくなってしまった話題をする。松田先生は、この「静水学園高校」に赴任したばかりで、先生自身も「静水学園高校」で教員をやりたいという夢を持っていたようだった。しかし、忽然と学校に来なくなってしまったからには、何か学校であったからではないかと彼女らは推察する。松田先生と一番最後に話したのは咲斗、未羽たちは咲斗に質問責めする。最後の松田先生との面談でどんなことを話したのかと。咲斗は、何も松田先生を傷つけるようなことは言ってないし、その時の松田先生は元気でいつもと変わりなかったと言うが、具体的な内容を教えるように未羽は迫ってくる。
心那は、彼氏と思われる人から電話がかかってきて嬉しそうに急いで教室を後にする。
場転して、ここはとある住宅地。盲目の女である長谷川ひとみ(原扶貴子)は自宅にいたが、その自宅にはどうやら巨大な水槽が置かれているようだった。何か大きな生物でも飼っているらしい。
隣に住む主婦と思われる中井江奈(笠島智)は、外で洗濯物を干しながら長谷川と会話していた。どうやら長谷川と中井は、隣に住んでいるという関係もあって仲が良いようであった。
場転して夜、「MKビル」と書かれた雑居ビルが立っている。ここは昔問屋街だったらしいが、今は寂れてしまっている。その「MKビル」の2階から、何やらクラブのような音楽が漏れてきている。
高木憲一(岡田義徳)がその「MKビル」にやってくる。「MKビル」から二人の若いカップルが出てくる。洋介(近藤頒利)と風香(成海花音)である。高木は風香の父親らしく風香をここから連れ戻そうとする。しかし、風香は高木の言うことを聞かずに洋介と再びビルに戻ってしまう。そして「MKビル」の窓ガラスが割れて落書きされたマネキンが落ちてくる。高木はそれを拾う。
そこへ自転車を押してきた未羽がやってくる。未羽は高木に向けて、「希穂?」と声をかける。そのまま高木はその場を去ってしまう。
翌日の教室。未羽は昔の問屋街だった寂れたエリアの「MKビル」と書かれた所で、外見は男性だが中身は希穂だと感じた人に出会ったと話す。未羽は、そこからその男性はビルから落下してきたマネキンを抱えていて、その前には若いカップルがビルの中へ入っていって、そのカップルの女性と男性が父娘関係だったと言う。
咲斗など周囲のクラスメイトは信じなかったが、希穂はたしかにその高木という男性の記憶があって、その人は希穂のもう一つの顔であったということが明らかになる。未羽たちは、そこで初めてこの世には希穂のようにいくつもの顔を持つ人間が存在することが明らかになるのである。
未羽は早速、その希穂のようなこの世に複数の顔を持つ人のことについて興味関心を抱いて調査することになる。未羽は、高木が働いている場所を特定してオフィスに足を運ぶ。
未羽は高木と出会う。そこは非常にお洒落で綺麗なオフィスで、自分もこんな場所で働いてみたいと憧れを抱く。未羽は早速高木に希穂のことやいくつもの顔を持つ人間が存在して、高木もその一人なのではないかと追及する。
しかし話は、高木の友人でラジオパーソナリティをやっている川崎陸の話になっていく。そして川崎陸(キクチカンキ)本人も現れる。未羽は川崎陸のラジオをよく聞いていて、そのパーソナリティ本人に出会えたことに歓喜している。高木は未羽のような学生時代にはラジオはよく聞いていたが、今はさっぱり聞かないと言う。
場転して、川崎陸のラジオが始まる。川崎陸はラジオで、以前高校の先生をやっていたことがあると言い、自分が生徒たちにその学校の校風を押し付けてしまった挙句、失敗してしまった体験談を話す。
ラジオパーソナリティは、こうやって自分の体験談と本音を打ち明けた方がより親しみやすいと思うから、そういう話もしているのだと語る。
場転して、路上。盲目の女性である長谷川は白杖を付きながら歩いている。しかし長谷川の歩き方は非常に素早く、まるで目が見えているかのようだった。未羽がやってきて、長谷川に対して盲目ではないのではないかと訴えたり、希穂や高木といった人物の別の顔なんじゃないかと追及する。長谷川は未羽に対して怒る。自分は盲目だが、自分を気にかけてくれる友達がいないと。まあこんな性格だからなんだけれどと言う。
そこへ中井もやってくる。中井は長谷川に話しかける。中井には4歳の娘がいた。その娘は非常に大人しくて保育園(幼稚園だったかな?)でも友達や先生とほとんど話をしないのだと言う。そんな大人しい娘が、この前自宅の庭で遊んでいる時に、物凄い勢いで大きな生き物がいたと叫んでいたのだと言う。4歳の娘が言うことなので、どこまでが本当なのか分からないけれど、あの興奮度合いを見ていると、娘が見た大きな動物というのは野良猫とかそんなありふれた動物ではなかったのではないかと思うと言う。
場転して、昔問屋街だった寂れたエリア。そこに希穂、咲斗、春花、朱里、心那がやってくる。未羽の話が本当かどうか確かめるために。たしかに、「MKビル」と書かれた雑居ビルがあって、その側には落書きされたマネキンが落ちていた。そして、ビルの3階あたりには窓ガラスが割れた跡があって、そこからマネキンが落ちてきたのだと推測出来る。春花、朱里、心那は未羽が言っていたことがどうやら事実っぽいので帰っていく。希穂と咲斗の二人になる。
そこへ、「MKビル」から洋介と風香が出てくる。洋介は咲斗に絡んでくるが、風香が辞めるように言う。希穂は、なんでこのエリアにやってきたのかの理由を話す。未羽という同じクラスメイトが以前、高木に会ったりマネキンが落ちてきたりしたと言う。洋介と風香はその未羽には出会ってないが、たしかにそんなことがあったと言う。洋介と風香はビルの中へ入っていく。
希穂と咲斗は二人きりになる。咲斗は自分は一度も恋愛をしたことがないと言い、それから自分の生い立ちを語る。咲斗が小さい頃に父親はいなくなってしまったけれど、きっと自分が全く知りもしない父親だけが抱えていた問題があったのだろうと。突然いなくなってしまうということは、自分たちが観測出来ない範囲で何かあったからだろうと。
場転して、次の日の学校の教室。未羽は、希穂たちが夜に「MKビル」に行って、洋介や風香たちと会ってきたことを知って驚く。希穂は高木には会わなかったかと問われると、話題に出てきただけで会わなかったと答える。
希穂のようないくつもの顔を持つ人間同士が出会ってしまう、つまり希穂と高木が出会ってしまうというのは、本来出会ってしまってはいけない他者、つまり「絶対的他者」なので、二人を出会わせてしまってはいけないと言う。今回は、希穂と高木は出会っていないのでセーフなのだと。
場転して、シンガーである明日実(香月彩里)が音楽ライブを披露している。生徒たちがそれを鑑賞している。
音楽ライブが終わって、希穂と未羽は二人で話している。希穂は、自分のようないくつかの顔を持つ人間を見抜く力を持っている未羽に対して、そのスキルを活かして役所に就職したら良いのではないかと言う。どうやら役所には、そういった人たちが沢山いるらしいと。しかし未羽は、役所には就職したいと思わないと言う。
希穂が去り、未羽の元にシンガーの明日実がやってくる。明日実は、シンガーをやっている今の自分と昔の自分は違うと言う。
場転して、長谷川の自宅。長谷川の家に中井がりんごを持ってやってくる。長谷川は、この前まで巨大な水槽で人からもらった亀を飼っていたが、死んでしまったので土に埋めたと言う。
その後、中井は再び4歳の娘が先日庭で大きな動物を見て興奮していた話をする。その上で、中井はTwitterで大蛇が逃げ出したという投稿が複数寄せられているということについて言及する。場所もこの近くで、そしてその大蛇の飼い主は盲目の女性であると。
長谷川は必死で否定する。私は大蛇なんて飼っていない、4歳の娘の話やSNSの話なんて本当かどうかも分からないと慌てだす。しかし怪しいと思った中井はさらに追及し、なぜ盲目の女性に大きな生物なんかを預けた人がいたのかと言う。それがもし大蛇だったのであれば、処分にも困って盲目の女性なら引き受けてくれると思ったからではないかと言う。長谷川は泣き出す。
中井は、長谷川自身が警察に連絡しないのなら私がすると言ってスマホから通報し、長谷川の家を去る。
場転して、川崎陸のラジオが始まる。川崎は、先日盲目の女性が飼育していた大蛇が逃げてしまって、周囲の人間から多数の目撃情報が寄せられてSNS上で話題になっていることについて取り上げた。
しかし川崎にとっては、自分に関わることでもなんでもないので、正直関係ないしどうでもいいとラジオで発言してしまう。
その後、川崎のラジオでの発言は炎上する。川崎と高木は、オフィスで二人で話している。高木は川崎を宥める。君もそういう経験をしてしまったのだね、ドンマイと。川崎は、SNSでの炎上って結構メンタルに来ますねと言う。そして川崎は、今はネットから離れてネットの世界に触れていない高木と話しているのが一番安心するのだと言う。
未羽は再び「MKビル」に向かう。そして、洋介を呼び出し、長谷川に大蛇を譲ったのはあなたでしょと追及する。
場転して、未羽はクラスメイト間で集会を開こうとする。松田先生が突然学校に来なくなったことについて議論する集会である。「静水学園高校」の生徒には、「静水」らしさを求められる。しかし、それは学校の上の立場の人たちが押し付けてきた価値観でしかない。でも学生たちは、あたかもその「静水」らしさというものを求められることに満足して自分のアイデンティティが与えられたとでもいうかのように、自ら「静水」らしさを身につけるようになっていく。
未羽はクラスメイトから叩かれる。それは、今までずっと学級委員的な立場の未羽を嫌っていたクラスメイトの一部が、松田先生が突然学校に来なくなったという言いがかりが出来たがために、彼女を叩きやすくなったからである。
希穂の目の前に、長谷川と高木が現れる。希穂は「絶対的他者」に出会ってはいけないのに出会ってしまった。希穂は、もうこうなっては一度消えるしかないと言って姿を消す。その時、天井から巨大な大蛇のようなものが落ちてくる。
静水学園高校の卒業式。未羽や咲斗たちは、卒業証書の入った筒の蓋を「ポン」と音を立てて外したりする。咲斗は、小学校の時ほど卒業式で号泣することはなくなったと言う。
未羽の元に緑色の服を着た希穂がやってくる。希穂は、一度「絶対的他者」に出会って姿を消したけれど、また姿を変えて戻ってきたと言う。
卒業をすると、もうクラスメイトの人たちと会うことはなくなるが、ずっと覚えているのだろうか、それとも忘れてしまうのだろうかと未羽は言う。ここで上演は終了する。
終演後、ストーリーを全然理解出来なくて頭を抱えていたが、こうやって話をまとめてみると、これはファンタジーの世界観なので、「絶対的他者」とかそういう設定は、科学的には絶対にあり得ないことだが、そういうものだと受け入れて理解した方が良いと感じた。ある種、「世にも奇妙な物語」のような位置付けで理解を進めると良いのかなと思った。
改めて思ったのが、この物語はフィクションでありファンタジーで、本来ならあり得ないことも沢山描写はされていて、そこで受け付けない観客は一定数いるかと思うが、そんなファンタジーの世界を描いているのに、どこか現実世界ともリンクする所があって面白く感じたというのが私の所感である。特に、一人の人間が複数の顔を持つという設定は、まさにSNSの世界とリンクすると思っていて、一人の人間がSNSアカウントを使って自分を演じ分けしている感じはすんなりと伝わってくる部分だと思った。実際目で見えている自分も、SNS上の自分もどちらも自分の一部であって、人々は自分の一部分だけを見てその人と触れ合っているのだから、他人を100%理解することって不可能だよなと思った。
ただ、どうしても終盤の展開は理解出来なくて、たとえば最後希穂は一度姿を消して違う人間になったり、大蛇が落ちてきたり。現実的にどうこうというよりも、これをどう解釈したら良いかという部分で疑問が浮かんでいるので理解出来ていない部分は多いなと感じた。
難解でも面白さが減少せずに、ずっと食い入るように見られて結果満足度高く観劇出来たのは、摩訶不思議な設定に新鮮さがあったこと、そしてそれが現実世界とリンクして様々な解釈が思いついて考察出来たからではないかと思う。そういう意味でも倉持さんの脚本創作の腕を見せつけられた感じがあって良かった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
杉原邦生さんらしい独特な世界観が繰り広げられていて、おそらくこの戯曲をこんな風にも演出しなくても上演できるとは感じるものの、杉原さん演出が凄くこの脚本にフィットしていて素晴らしかった。杉原さんによるこの独特な演出があったから、この難解な作品を最後まで飽きることなく観劇できたという点もあると思う。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
まず劇場に入ってみると、ステージにはデハケなどなくてステージの奥や隅々まで丸出しのいかにも杉原さんらしいステージ設定だった。ステージの端に置かれている使われていない照明器具も丸見え、仕舞われているこのステージでは使われていない数々の舞台セットが丸見えであった。杉原さんらしい斬新なセットである。また、ステージの奥行きも全部丸見えで且つステージとして使われるようになっていた。2020年11月に上演された『オレステスとピュラデス』を想起させる(この作品も神奈川芸術劇場<ホール>だった)。
そして目を引くのは、ステージ床に敷かれた黄緑色の床面。蛍光色に近い黄緑色の床面というのがとても奇抜で、黄緑に塗られた教室って斬新でインパクトが残った。
各場転ごとに舞台セットは役者たちによって運ばれてくる。教室のドアや、長谷川の自宅、MKビル、オフィス、ラジオ放送局など、それぞれローラーのついた舞台セットになっていて運びやすくなっている。そして色は全部黄緑色で奇抜な舞台セットである。
長谷川の自宅は、一つの部屋が直方体の形で仕込まれていて、窓がついていたり、テーブル、流し、そして巨大な水槽も設置されている。MKビルは、縦に高い舞台セットになっていて、「MKビル」という文字が大きく付けられていて、2階部分の窓からクラブのように明るく、そしてディスコのような音が漏れている。そのさらに上の3階部分には窓ガラスの割れた痕跡がある。オフィスは背の低いパネルが壁のように、ステージ上に横にずっと続く形で用意される。その壁には所々穴が開けられていて、そこから生徒たちが覗き込んでいた。川崎がパーソナリティを務めるラジオ局の舞台セットは、おそらくMKビルと同一の舞台装置で、それを反転させていると思われる。縦に高いその舞台セットの上部に人が一人座れるスペースがあって、そこで川崎がパーソナリティをしていた。
杉原さんらしい奇抜で独創的且つ、ステージを広く見せる躍動感のある演出と舞台セットで好みだった。
次に舞台照明について。
舞台照明の使い方も杉原さんらしく奇抜で印象的だった。杉原さん演出の舞台照明は、2021年11月に上演された『更地』でもそうだったのだが、蛍光灯のような照明器具を使うイメージがあって、今作でも使用されていた。序盤のシーンで、ステージ下手側、上手側、奥側にそれぞれ天井付近に蛍光灯のような照明が設置され、それが明滅する演出が奇抜だった。ステージ上には生徒たちがいたので、これから学校でシリアスなことが起こりますという宣言のようにも感じて、テレビドラマ『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』も彷彿させられた。
あとは、MKビルのシーンや川崎のラジオパーソナリティのシーンなど、どこかネオンぽい感じも全体的にあって、そのあたりも舞台照明の効果に寄る部分が強いのかなと思った。だからこそ、ちょっとSFを感じさせる部分もあるのかなと感じた。
そして一番目立ったのは、終盤の未羽が集会を開く時のシーンで、天井から音を立てながら巨大な灯体が降りてきた時。あの灯体で中央に立つ希穂がぼんやりと照られていたが、それがステージ上に何も仕込まれていない素舞台と合っていた。
あとは照明演出というより、シルエットの使い方がとても効果的だった。照明器具がステージに対して奥側だったり下手だったり上手だったりと様々な角度から仕込まれ照らされるので、黄緑色の床面に対して、一人の役者から複数のシルエットが浮き上がる。それが、まるで人間はみんな多面的、多重人格的であることを提示しているように感じて面白かった。希穂自身(未羽だっけ?)もジャンプしたりしてシルエットを印象付けるようなシーンを演じてた点からも、シルエットが劇中で何らかの意味を込めて演出しているんだなと感じた。
次に舞台音響について。
音楽は、原口沙輔さんが担当されているということだが、とてもインパクトの強い楽曲の数々で杉原さん演出に凄く合っていた。杉原さん演出による舞台音響って、凄く音楽の主張も強くてかなりメロディがはっきりしたものが多かったり、現代的でポップなものが多いイメージだったが、そこを原口さんの音楽でも踏襲しつつ、且つ今までの杉原さん演出とはまた違った感じに創作されていて素晴らしいなと感じた。
とてもシリアスな物語なのだけれど、暗い感じだけでなく明るい音楽も多くて見やすかった点もポイント高かった。
あとは、明日実が歌っていた楽曲が昔の歌謡曲(タイトルは分からないが聞いたことがあった)だったので、そういった曲も上手く舞台空間に馴染んでいた。
その他演出について。
なんといっても、教室を表現している黄緑色の空間に椅子だけ置かれている空間が斬新だった。また、生徒たちがコンテンポラリーダンスをするシーンがあるのだが、制服姿の集団がコンテンポラリーをするという構図自体が斬新で引き込まれた。あまり青春群像劇をこのように舞台で上演することがないので、凄く新鮮な気持ちだった。そしてスタイリッシュで格好良かった。
どのシーンにおいても、劇中で繰り広げられるシーンに生徒たちがまるで覗き見する感じでステージ上にいる。それがまるで、SNS上の匿名のアカウントのようにも見えた。何かSNSで問題が起こって炎上する。そんな様子を多くのアカウントは目撃者として傍観している。そんな様子に生徒たちの行動が感じられたのは私だけだろうか。とても効果的な演出に感じた。
あとは、集会のシーンで、生徒たちが広大なステージ上になるで未羽と希穂を囲うかのように点々と座っていて、一人一人が呼びかけをするように順々に台詞を発していく構造が好きだった。全然演出家も異なるし、作風も違うのだけれど、東京演劇道場で上演された『わが町』(2023年2月)を思い出した。
あとは、解釈に困った演出についてピックアップする。まずは、天井から大蛇が大きな音を立てて落ちてきた演出。なんで希穂が「絶対的他者」に出会ったシーンで大蛇が落ちてきたのか全く分からなかった。タブーに触れたシーン、見てはいけないものを見たというシーンなのだが、舞台空間にインパクトを与えるという意味では効果的だが、そこを大蛇にしたというのはどういう意味だろうか。今まで台詞でしか登場してなかった大蛇であり、且つそもそもSNSで話題になっていただけの存在しないかもしれない大蛇。今まであるとされて噂されたものがくっきりと目の前に現れるという意味で使われたのかもしれない。というか、そもそもあれは大蛇だったのか、単なる太くて巨大な紐だったので、大蛇と解釈して良いのかについても議論の余地があるかもしれない。
あとは、卒業式のシーンで希穂が緑色のブレザーを着ていた演出の解釈。希穂は一度消えて変わってしまったという設定だが、そもそもなんで黄緑色なのか解釈が思いつかなかった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
学園ものということで、若いキャストも多く出演していてだいぶフレッシュな顔ぶれだが皆素晴らしかった。11月18日に行われていた終演後のインスタライブも拝見したが、カンパニー・座組の仲の良さが伝わる微笑ましいものだった。
特に印象に残ったキャストについて記載する。
まずは主人公であり、いくつもの顔を持つとされる伊藤希穂役を演じた石井杏奈さん。石井さんを舞台で拝見するのは初めて。
凄く芯の強い女子高生という印象があった。舞台慣れしているというのもあるかもしれないが非常に堂々としている印象を受けた。
希穂は、高木でもあり長谷川でもあるので、非常に役どころとしても難しかったと思う。未羽には同じ人物だと気づけるけれど、他の人には気付けない。だから高木や長谷川と似せる必要はないけれど、どこか彼等と近いものを演じないといけないかもしれない。その絶妙な役づくりが難しそうだなと思った。
劇中の台詞で、18歳ではないみたいなものが登場する。だから、周囲の高校生と比較して大人っぽく演じないといけない部分もあるのかなと思っていて、だからこそ凄く希穂は他の高校生よりも達観しているし大人っぽく感じた。それを上手く演じられた石井さんは素晴らしかった。そしてダンスも良かった(さすがダンサー)。
次に、沢木未羽役を演じた秋田汐梨さん。秋田さんは舞台で演技を拝見するのは初めてだが、日テレドラマ『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』で知っていた。
むしろ希穂よりも未羽が主人公なのではないかというくらい、未羽の方が全体的に目立っていた。まさしく学級委員という感じの正義感溢れる女子高生、だからこそクラスから嫌われてしまうのも分かる。だけれど、キャラクター的に私は未羽が一番好きだった。
いくつもの顔を持っている人間を見抜けてしまう女子高生の設定というのも難しいと思う。ファンタジーで実在しないため、イメージで作り上げていくしかない。現実世界だと霊感があるとか、人間観察力が鋭いとかそんな塩梅なのかなと思う。
長谷川や高木の元に行って色々調査しようとする行動力や積極性がキャラクターとして良かった。そしてそんなハキハキした役を演じ切る秋田さんも素晴らしかった。
主要キャストの中では唯一の男子生徒役を演じていた咲斗役の石川雷蔵さんも素晴らしかった。
特に良かったのは、MKビルにみんなで向かった夜のシーン。恋愛経験のない咲斗が、それとなく希穂に好意を伝えていくシーン。自分の過去に父親が突然いなくなってしまったという、身近な人にしか話さない話をするあたりが良かった。音楽も相まって、青春ものを見ている感じが凄くあって良かった。
ラジオパーソナリティの川崎陸を演じるキクチカンキさんが個人的には好きだった。
あの爽やかで明るい感じがラジオパーソナリティという感じがするし、ファンが多そうだなと思う。未羽と初めて会うシーンで、慣れ慣れしくコーヒー飲みながら握手する感じがモテ男感あった。自分は絶対そういう雰囲気を出せないから憧れるなと思う。
キクチさんは今作で初めて知った俳優なので、今後もキクチさんが出演する芝居は見てみたいなと感じた。インスタライブの進行役も上手かった笑
中井江奈役を演じた笠島智さんも良かった。どこかでお見かけしたことあるなと思ったら、城山羊の会『温暖化の秋 -hot autumn-』(2022年11月)に出演されていた。
いかにも小さな子供を持つ主婦という感じがあった。落ち着きがあったし、近所の住人に優しくする感じも良かった。4歳の娘の母だからこそ、周囲の安全に十分配慮している感じがある。何か周囲で危険があったら子供を守らなければならない。そんな母親としての責任感を感じさせるキャラクター設定が凄く上手いなと思った。
あとは、上記に記載していない生徒役の方々もみな素晴らしかった。春花役の北川雅さん、朱里役の水島麻理奈さん、心那役の上杉柚葉さんは出番も多くて個性的で素晴らしかったことはもちろん、その他の生徒役の方も凄くダンスも上手かったし、舞台空間を演出する上でとても重要な役を担っていて素晴らしかった。この中からネクストブレイクの俳優が沢山輩出されることを切に願う。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
とにかく難解な脚本で、さらに独創的な演出で、キャストさんたちは非常に役を演じるのに骨が折れたのではないかと思う。特に若いキャストが多いので、こういう挑戦的な現場は非常に勉強になったんじゃないかと観客目線でも感じてしまう。この作品をやり切ったというのは本当に素晴らしいことだと思う。
ここでは、この脚本についてさらに考察していこうと思う。
先述したように、この物語はいくつもの顔を持つ人という現実にはありもしない人物を登場させるファンタジーだが、それがどこか現実世界にも繋がってくる、特にSNSが生活の一部になりつつある現代だからこそ刺さる内容となっていた。
SNSの多重人格性は、色んな場所で記事を読んだことがある。SNSを活用する私たちは、複数のアカウントを使い分けて使用することも多いのではないかと思う。もちろん、自分用のSNSアカウントは一つだけで、自分の日常を発信するだけの人も沢山いると思うが、そうでない人も多いであろう。例えば、就職活動や転職活動の情報収集をするためのSNSアカウントと、推し活をするためのSNSアカウントは分けたいと思う人が多いのではないだろうか。一緒にしてしまうと公私混同するし、TLに推しの投稿と真面目な投稿が乱立するのも使い勝手悪いと感じるだろう。
実用的な側面だけではなく、身バレしないための複数アカウント使用もあると思う。実名で発信するSNSアカウントと、人にはあまり知られたくない趣味などの閲覧をする匿名のアカウントなど。もしくは、匿名で人の前では絶対話せないような本音や愚痴を吐くためのアカウントを作る人もいるのかもしれない。
このように、同じ人がSNS上で複数アカウントを作成して、それぞれ違った用途で発信や情報収集するということも珍しくないと思う。
では、この一人複数のSNSアカウントでの振る舞い方って同じなのだろうか。個人的には違ってくるのではないかと思う、というよりも違ってきてしまうのではないかと思う。これがSNSの多重人格性である。
もちろん、自分が多重人格でありたいと思ってSNSで複数のアカウントで投稿することは稀であろう。そうではなく、SNSというものの特性上自然とそうなっていくことが多いのではないかと思う。
例えば、アカウントAでは誰かも嫌われないような当たり障りのない投稿をする。一方でアカウントBでは、人にあまり晒したくない本音や愚痴を投稿する。すると必然的にこのAとBは同じ人間でも多重人格であるように思えてくる。
でも、アカウントBがその人の姿で、アカウントAはその人の偽の姿だと決めつけるのも違う気がして、誰からも嫌われない人間でありたいという欲求自身も、その人を構成するパーツの一部なので、アカウントAもアカウントBもその人自身だと私は思う。
そんな人間の多重人格性が、希穂のいくつもの顔を持つ人間というファンタジー性のある設定によって顕在化し、観客に一つのメッセージ性として訴えかけているように思えた。作品の中でも、特に後半でSNSに関することが頻発するので、観客は自ずとSNSとこの希穂の設定をリンクさせる気がする。
そして、何もその人間の多重人格性ってSNSが発達したから現れた訳ではなくて、昔からあったということにも気付かされる。それを気付かされる描写というのは、咲斗と希穂の二人でのシーンで咲斗が自分の父親について語ったシーンである。人が突然いなくなってしまうのは、私たちからは何も見えていない部分で何かあったからだと。これはまさにそうで、同じ家族であったとしても、家族のことを100%理解するということはできなくて、どこか家族の知らない一面がある。だからこそ、理由もなく姿を消してしまうことがある。これはSNSに寄らず、人間みんなそうであると。
プライベートとしての自分と仕事での自分、その二つの自分が全くぴたりと一致している人なんてほとんどいないのではないか。基本的にその二つは分離して使い分けることで、自分という人間のアイデンティティが構成されていると思う。
そしてそうやって、自分を切り分けて生きていかないといけない理由は、人から批判されたり傷つけないためである。これに関しても劇中で描かれていることがある。それは、川崎陸がラジオパーソナリティとして炎上するシーンである。
余談だが、川崎は以前高校の教師で、校風を生徒に求めて失敗したと言っていたが、松田先生と川崎もいくつかの顔を持つ人間の種族なんじゃないかと思った。
川崎は、ラジオでは基本的に自分の素を出して務めたいと言っていた。この辺りは凄く「オールナイトニッポン」を想起させられるし、おそらく倉持さん自身も「オールナイトニッポン」から着想を得ている気がする。また演劇好きなら、ニッポン放送×ノーミーツで上演された『あの夜を覚えてる』(2022年3月)や『あの夜であえたら』(2023年10月)を思い起こされる所だろう。パーソナリティは誰もが自分らしくありたいと思うのだが、それが行きすぎてしまうと炎上してしまう。川崎が大蛇が逃げ出した事件について「自分には関係ない」と本音を言ったように。
そういう炎上をしないようにするからこそ、人々は本音を言わず建前を言う自分を自ら作り出す。社会によって自分は多重人格的な部分を自ら作り出さずにはいられないのである。そのような人間の行動心理をSNSと絡めながらこの作品では痛烈に描いていて素晴らしかった。
さらに、SNSでは炎上するとまるで自分には関係のないことなのに、やたらと絡みに行きたがるという描写も本作品でなされていたが、その行動心理も現実世界のSNSにはよく現れている。Twitterなどで炎上すると関係のない人までやたらと引用ツイートしたりリアクションしたりするから。そういう行動心理も上手く作品で取り扱っている点でも、普段のSNS上での日常を想起せざるをえない。
また、長谷川はSNSで投稿されることが本当か嘘か分からないと言うが、まさにそうで、大蛇が逃げ出したと思われるが、それを一心で主張する中井は実際に大蛇を目撃していない。母親として娘を守らないとという使命から盲目になって長谷川を攻めているとも捉えられなくもない。それがSNSの怖さでもある。盲目なのはどっちなのかという話だ。
SNSとは外れるが、「静水学園高校」という存在についても少し考察したい。
未羽が開く集会のシーンで、生徒たちは学校側から「静水」らしさを求められ、まるでそれが自分たちのアイデンティティであるかのように、それを喜んで受け入れてそうなっているといった描写があった。しかしこれは、「静水」というワードを「Z世代」というワードで置き換えると、今の現実世界でも同様のことが起こっているなと思った。
少し前に読んで共感した記事に、「Z世代」という定義はマーケティング上、上の世代の人たちが勝手に作り上げたものでしかない。それなのに、「Z世代」はその「Z世代」らしさを追求するべく自らそうなっていっているように感じて警鐘を鳴らしていた。
たしかに、その「Z世代」らしさによって、それこそより人間は多重人格化してしまうような気がする。若いというのは素直でもあるので、上から与えられたものを疑いなく受け入れてしまいがちかもしれないけれど、そこにはそんな落とし穴もあるので、そこを理解しておく必要もあると感じた。
このように、この作品の中ではSNS時代だからこそ、私たちが留意しないといけないことがファンタジーとして散りばめられている。直接的に説教するかのように描写されるのではなく、メタファーのように遠回しに描写されている。だからこそ、この作品は難解ではあれど素晴らしいと感じたし、人々に本質を気づかせてくれる内容だったと思うので良くできた脚本に感じた。
そしてもちろん、私の解釈もあくまで一解釈でしかないので、これが100%正しい訳ではなく、自分自身で再度向き合って異なる解釈を考えてみても良いのではと思った。
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