舞台 「球体の球体」 観劇レビュー 2024/09/28
公演タイトル:「球体の球体」
劇場:シアタートラム
企画・制作:梅田芸術劇場
脚本・演出・美術:池田亮
出演:新原泰佑、小栗基裕、前原瑞樹、相島一之
公演期間:9/14〜9/29(東京)
上演時間:約1時間40分(途中休憩なし)
作品キーワード:芸術、アート、近未来、ホログラム、親子
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆
2023年4月に上演された『ハートランド』で今年(2024年)の第68回岸田國士戯曲賞を受賞した、演劇団体「ゆうめい」を主宰する池田亮さんの新作公演を観劇。
今作は、池田さんが岸田國士戯曲賞を受賞してから初となる新作書き下ろし作品となる。
池田さんが脚本を担当する作品は、『テラヤマキャバレー』(2024年2月)、『ハートランド』(2023年4月)、『娘』(2021年12月)、『姿』(2021年5月)を観劇したことがある。
今作は、造形作家でもある池田さんの作品がカプセルトイ(ガチャガチャ)として販売された経験があることから、カプセルトイを中心とした物語となっている。
物語は2059年という現在から35年後の未来を描く話である。
場所は独裁国家「央楼」の現代美術館ロビー、中央には天井高くまで積み上がったガチャガチャマシーンが置かれていて、『Sphere of Sphere』という作品として展示されている。
本島と名乗る大統領(相島一之)が登場する。
彼はホログラムであることを主張し、この『Sphere of Sphere』は彼の創作なのだが、同時にこの国家の大統領でもあると言う。
どうして大統領になったのか、そのためには2024年に起きた出来事をホログラムで見てもらおうと続ける。
そして若かりし現代アーティストである本島幸司(新原泰佑)と彼のキュレーターである岡上圭一(前原瑞樹)がホログラムで登場して、2024年にこの現代美術館で起きた出来事が展開されるが...というもの。
岸田國士戯曲賞を受賞した作品『ハートランド』は、池田さんがそれまで創作してきた作風とだいぶ異なり、かなり独創的な芸術性に加えてデジタル化した社会にインスピレーションされる側面が強い作品だった。
そして今作の物語も、そういう意味では『ハートランド』と似た系統の作品だと感じられて池田さんらしい作品だと思った。
ただ、個人的には『ハートランド』と比較すると作品の新規性も薄く、感情的に訴えかけてくるシーンがそこまで多くなくて私の期待を越えることがなかったのが率直な感想だった。
物語前半は、本島や岡上がひたすらふざけ合っているシーンが長くて少々冗長に感じられたり、物語後半の『Sphere of Sphere』を作った理由が「ガチャガチャ」という所から想像出来てしまう部分も多くて、もっと期待を裏切ったり想像を越えるシーンを見せて欲しかったと感じた。
ふざけ合うコメディシーンを沢山作るくらいなら、登場人物も少ないのでもっと本島と岡上の過去を深掘りして欲しかったし、正直こういう類の作品を作るのだったらもっとぶっ飛んでいる設定が沢山あっても良いとも感じた。
新原さんや小栗さんの俳優推しの観客も多い中で、攻めた演出はやりづらかったのかもしれないが。
あとは、日本という国に対する怒りと諦めみたいな部分を、もっと観客に伝わる形で表現して欲しかった。
唐突に本島の日本に対する不満みたいなのを露骨に感じたので、もっと良い描き方はあるのではと思いながら観ていた。
しかし、舞台美術に関してはとても素晴らしくて、造形作家でもあった池田さんだからこそ生み出せた演劇作品なのではないかと感じるくらいユニークで今まで見たことがないような美術だった。
開演前は観客はまるで美術館にでも来てしまったかのように、劇場に入って順路を辿るとステージ上の『Sphere of Sphere』が展示されている箇所を通ってから客席に着くような仕組みになっている。
私は観劇していないが、「ゆうめい」の前回作の『養生』(2024年2月)でもそうだったようだが、観劇する前にテーマとなる作品の鑑賞をして上演がスタートするという演出も没入感を与える上で有効で素晴らしいアイデアだと感じた。
そして、なんといっても照明演出が美しくてジワジワとシチュエーションによって照明が紫に変わったり黄色に変わったりする感じに興奮させられた。
そして、ガチャガチャマシーンが白く光って、中のガチャガチャが青白く照らされるのがとても美しく、意味を知った後は恐ろしかった。
『Sphere of Sphere』以外は柱やベルトパーティションしかステージ上にはないのに、舞台空間で人々を楽しませられるのは凄いなと感じた。
役者さんは男性4人しかいなかったが皆素晴らしかった。
35年後の本島を演じる相島一之さんの美術館の支配人といった感じの貫禄あるオーラは素晴らしいものだったし、若かりし本島幸司役を演じた新原泰佑さんはなんといってもダンスパフォーマンスが素晴らしく、もっとダンスシーンを見たかったなとも感じた。
そしてコミカルでかつチャーミングに人を惹きつける演技が出来るのも素晴らしかった。
『ハートランド』と比較してしまうと見劣りしてしまう私だったが、芸術創作について、デジタル化した近未来の世界について、そして家族と親子についてや日本の未来について考えさせられる作品で観ることが出来て良かった。
↓舞台映像ダイジェスト
【鑑賞動機】
なんといっても「ゆうめい」の池田亮さんは『ハートランド』で岸田國士戯曲賞を取ったので、その後の新作公演も観たいと思っているから。『養生』(2024年2月)が観られなかったのは悔やまれるが、今作は池田さんが岸田國士戯曲賞を受賞後初めての新作書き下ろしだったので観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
客入れ中は、観客が劇場に入ると順路が示されていて客席の下手側の隅の通路を通ってステージ上に上がれるようになっており、そこで『Sphere of Sphere』を鑑賞できるようになっている。『Sphere of Sphere』には、「決めずとも良いじゃないか。世界は決まっていないんだから」と書かれている。
開演すると、客席側から本島幸司(新原泰佑)がやってくる。本島はステージに上がると、『Sphere of Sphere』を取り囲む立ち入り禁止のロープの役割を果たすベルトパーティションを外す。そしてベルトパーティションで遊び始める。靴を脱いでダンスをしたりもする。本島はステージを去る。
そこへ今度は、大統領(相島一之)が現れる。大統領は、ここは2059年の「央楼」の現代美術館であることを告げ、私はホログラムなのだと説明する。そして今日は美術館の35周年記念だとも言う。大統領は、自分自身がこの『Sphere of Sphere』という作品を作った張本人であり、今はこの独裁国家「央楼」の大統領でもあると言う。35年前の自分は、自分がまさか大統領になるなんて思ってもみなかったと言う。では、どうして自分が「央楼」の大統領になったのか、その経緯について2024年に実際に起きたことを今からホログラムで見ていこうと思うと言う。
そして、ステージ上には二人のホログラムが現れる。一人は本島幸司で大統領の若き頃の姿、そしてもう一人は岡上圭一(前原瑞樹)という男で、現代アーティストである本島のキュレーターである。二人の会話を大統領は非常に懐かしく思いながら笑みを浮かべて見ている。
岡上は、申請した助成金のことについて色々と電話でやり取りしているようである。本島と岡上は、パイプカットの話をしている。本島は青山でパイプカットをしてもらったらしいが、岡上は溝の口でパイプカットをしてもらったと言う。そして青山よりも溝の口の方がパイプカットは安いらしい。
本島はシャボン玉を飛ばしたりして遊んでいる。大きなシャボン玉を作ろうとするが途中で弾けてしまう。話の流れで岡上は弟を大学生くらいで亡くしているということを話す。
本島は今から独裁国家「央楼」の大統領がやってくるのだと言う。本島は「フォートナイト」というゲームに熱中していて、そこで出会った人に『Sphere of Sphere』の話をして非常に反応が良くて気に入ってくれたが、まさかその人が独裁国家「央楼」の大統領だとは思わなかったと言う。
照明が切り替わり、背後の壁が両サイドに開いて独裁国家「央楼」の大統領である日野グレイニ(小栗基裕)が現れる。本島は英語で話そうとするが日野は日本語でも大丈夫だと言って日本語で会話する。
最初は、二人は「フォートナイト」で知り合ったというのもあってお互いにエアの拳銃でバンバンと敵を倒したりする素振りをしてふざけていた。しかし日野は、自分がAIによって監視されているらしく、だから警備員などいないのだとも言っている。
そして日野は本島に向かって一枚の紙を渡す。それは、本島を「央楼」の大統領にしたいがために署名して欲しいからであった。本島はサインは出来ないと断る。なんで自分がここにサインをして大統領にならなければいけないのかと。
日野は、自分は大統領の影武者であることを告げる。自分は影武者で本島に署名して欲しいのは、大統領からの直々の命令なのだと言う。それでも本島は大統領になるサインをすることを拒む。
その時、突然日野が耳につけていたイヤホンのようなものから通信が切れてしまい取り乱し始める。凄く慌てている様子である。「パワー」と何度呼んでも元に戻らないみたいである。
今度は日野は、自分は「央楼」の大統領だと言い出す。自分には兄弟がいて、でも自分以外の兄弟は自分以上に出来が悪くて、だから仕方なく自分が大統領を引き継いだのだと言う。日野は元々千葉県の館山出身で、その後海外に渡ったのだと言う。
色々やり取りがあって、日野は最終的には大統領になることを決意し、署名することになる。日野は安心する。
日野は、本島が残した作品集を見ている。まずは『朝食』という作品が目に入って顔を顰める。『朝食』という作品は、本島が新宿のラブホなどで何百人もの女性とやって、その時に装着したコンドームを、食パンなどの袋を留める時に使う「バッグ・クロージャー」で留めて一つの作品にしたものだと言う。ネット上では非常に炎上した作品だと岡上は言う。
そして次の作品はもっとやばくて、その次の作品はもっとやばいと日野は顔をしかめる。
本島は自分の過去について話始める。家族と一緒に食べていた朝食の話。父親はいつも必ず朝食はご飯でパンを食べることはなかった。だから自分も朝食はご飯だった。しかし、その父親が自分の産みの父親ではなく育ての父親であることを知った途端に、育ての父親がやっていたことをやりたくなくなってしまったと言う。
育ての父親はタバコを吸っていたが、子供と遊ときはシャボン玉を作ることでタバコ代わりにしていたと言う。シャボン玉は2つのメリットがあり、タバコ代わりになることと子供も喜んでくれること。シャボン玉に映し出された綺麗な世界は、自分たちの住む世界だとも教えてくれたと。
しかし、それは育ての父親だった。自分は誰から生まれてくるのか選べない。それをガチャガチャに例えた。だから『Sphere of Sphere』の創作に繋がったのだと言う。
『Sphere of Sphere』は、子供を産むことを諦めた本島や岡上などの精神や卵子を交互にガチャガチャに詰め込んでガチャガチャマシーンに入れたものである。このガチャガチャマシーンには精子がガチャガチャとして入っており、その上のガチャガチャマシーンには卵子が入っていてと言ったように。自分が産むのではなく、誰かの精子と卵子から子供をつくりたいと思った人が、このガチャガチャを回して子供をつくることが出来る作品なのだと言う。
溝の口でパイプカットをした岡上は、お腹の異変に気がついて苦しみ始める。日野は、青山のパイプカットでは起きないが溝の口のパイプカットで、その腹痛は起きるのだと言う。そのまま岡上はお腹を丸めて倒れる。
日野は用事が済んだとばかりにこの美術館を後にしようとする。美術館を出たその時、日野は何者かに撃たれて死ぬ。
ホログラムの大統領でかつ35年後の本島は、この一部始終をずっと見守っていた。これが、私が大統領になるまでの経緯であると。そして『Sphere of Sphere』には、そんな創作者の過去が詰まっているのだと言う。
そこへ、ヒロシ(小栗基裕)が現れて、ホログラムを停止させる。そして巻き戻して再生したりする。
そこへ客席側からクニヤス(新原泰佑)が現れる。クニヤスは、本島の息子であり初めてこの「央楼」の現代美術館にやってきたようである。ヒロシはクニヤスに父親の本島幸司のことについて話す。本島は35年前に「央楼」の大統領に就任して、この現代美術館の『Sphere of Sphere』を説明するホログラムを完成させた。普段はホログラムが説明していたが、ある日本島本人が説明していた時があって、その途中に銃で撃たれて死んだのだと言う。しかも銃で撃ったのは岡上の子供だったと言う。
ヒロシは、ホログラムの操作の仕方をクニヤスに教える。クニヤスは、手を動かしてホログラムを再生させたり早送りしたり、巻き戻ししたりする。それをあまりにも何回もやるようだから、サーバーに負担がかかるとヒロシが止める。
『Sphere of Sphere』の下から大量のシャボン玉が飛ばされる。これはホログラムでもなんでもないと言う。クニヤスはダンスパフォーマンスをして上演は終了する。
親ガチャをガチャガチャに見立てるというアイデアは、割と親ガチャと言う言葉も流行っていたし察していたので、そこまで驚きはなかった。ガチャガチャに卵子と精子を入れておくと言う発想にはグロテスクさを感じたけれど。
これは脚本のせいなのか、役者のせいなのかわからなかったが、全体的に台詞に没入できなかった。もっと面白い本島の過去や日野の過去を演劇で表現して欲しかった。ステージが美術館で固定と言うのは、それはそれで良い味を出せていたのだが、そうなると演劇の制約上本島の過去や日野の過去は台詞で語るのみになってしまうので、尺を使って説明したいならもっと演劇的に表現して欲しかった。
イマイチ本島の行動原理もよく分かってなくて、産みの父親に育てられなくて苦労があったことがきっかけで『Sphere of Sphere』を作ったのだと思うが、その過程をもっと描写して欲しかった。
「フォートナイト」の世界があまりにも自分にとって日常的でないので、どうしてここまで本島と日野が意志を通じ合わせることが出来たのかとか、上手く直感的に理解出来ない部分も多くて感情がそそられなかった。
『朝食』という作品など、作品のテーマやアイデアは凄いなと感じた。コンドームを繋ぎ合わせる作品とか見せられたら一溜りもないよなと思う。そして、やはりこういった作品は造形作家であり劇作家である池田さんだからこそ描ける作品であることは間違いないなと感じた。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
造形作家でもある池田亮さんらしい世界観で独創的で好きだった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
ステージ上には、中央に天井まで伸びている、赤色のガチャガチャマシーンが沢山積み上げられたオブジェ、つまり『Sphere of Sphere』が配置されている。『Sphere of Sphere』は天井だけでなく床面に穴が開いていて、床面より下までも続いており、無限に続くガチャガチャマシーンをイメージする。『Sphere of Sphere』に近づいてみると「決めずとも良いじゃないか。世界は決まっていないんだから」の文字がガチャガチャマシーンひとつずつに書かれている。ガチャガチャはおもちゃではなく、実際にハンドルを回すとガチャガチャが出てくるようになっている。
『Sphere of Sphere』の周囲にはベルトパーティションが置かれて穴の中に入れないようになっている。ベルトパーティションは自由自在に動かせるようになっており、だからこそ本島はベルトパーティションで遊び倒せるようになっている。
ステージ後方には下手側と上手側にそれぞれ一本ずつ巨大な柱が立っている。そしてこの柱は実は天井とくっ付いており、柱の2mくらいの高さで切断されていて、その下を自由に動かせるようになっている。ホログラムの35年後の本島がその柱を動かしたりしていて大変そうだった。
ステージ後方には巨大な壁があって、中央に向かって窪んでいるような壁なのだが、実はそれは扉になっていて大統領が登場する時にその扉が開いて登場できるようになっている。改めて、こういった舞台装置を仕込むとシアタートラムはまるで豪華で落ち着きのある美術館になるのだなと思った。
客入れ時には観客がステージ上に上がって『Sphere of Sphere』を見物出来るのが良かった。『Sphere of Sphere』に近づいてみないと分からない部分もあったし、清掃員に扮した劇場スタッフが開演直前に入ってきてモップがけして開演するのも色々考えられていて良かった。
次に舞台照明について。
舞台照明は本当に美しかった。物語前半は普通の明かりといった感じでそこまで大きな工夫はないように感じられたが、大統領がステージ後方の扉から入ってきてからは様々なカラーで見せていた印象だった。
大統領が登場する時は、オレンジと黄色の中間の照明がステージ後方からガバッと当てられて好きだった。また、本島が大統領を引き受けることにサインするシーンで照明がどんどん紫色に変わっていって不気味な世界観になるのも好きだった。
物語終盤で、ホログラムを再生、早送り、巻き戻し、一時停止するシーンがあったが、あの時にちゃんと手拍子の合図とともに照明が切り替わって分かりやすくしていたのも良かった。
また、『Sphere of Sphere』のガチャガチャが、おそらくビー玉のような素材で出来ているのだが、青白く光る照明も凄く美しかった。あの世界観生み出せるのは池田さんのような造形作家だけだよなとも思う。見たことない舞台美術で見たことのない美しさを放っていた。その青白く照らされるのが、ただのガチャガチャであれば美しいと思うだけで終わるのだが、その中に精子と卵子が入っていると知った時、何かグロテスクなものに見えてしまってゾッとした。
次に舞台音響について。
まず音楽が物凄く奇妙な感じで、かつ可愛らしい感じもあってゾクゾクした。「世にも奇妙な物語」といった感じのような雰囲気を作り出す音楽で私は好みだった。
あとは客入れ中に微かになり続けている不気味な音楽も絶妙に好みだった。あのくらいのボリュームでかかっていると、やはり心が踊らされる。
あとは終盤の早送り、巻き戻しのシーンの効果音。あのシーンの再現度も妙に引き込まれたのは舞台音響が絶妙に良いと言うのがあるかもしれない。
最後にその他演出について。
シャボン玉が非常に今作では重要な意味合いを持っていて好きだった。舞台上でシャボン玉という演出が意外とないかもしれないと思っていて、今作では若かりし本島と35年後の本島がシャボン玉をするシーンが割と多めにあるのだが、それが凄く綺麗で素敵だった。シャボン玉に映る色が凄くカラフルで、それは舞台照明なども相まってそうなっているのだが、劇中の台詞でシャボン玉に映る世界が綺麗なのは世界が綺麗だからみたいな台詞があったと思っていて、それを具現化しているようで素敵だった。もう一つは、タバコを吸わずにシャボン玉をしていた父親というのが凄く印象に残った。何かを吸うという行為に対してタバコの代わりにシャボン玉をするということが実際にあるのだろうか。タバコはニコチン中毒になるので、ニコチンを吸っていないといてもたってもいられないと聞くので、果たしてタバコの代わりにシャボン玉をすることが代わりになるのか疑問だったが、もしそうであるのならば、確かに子供も喜びそうだなと思った。
物語終盤の、早送り、巻き戻し、一時停止の演技と演出がクオリティとして素晴らしいなと感じた。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
俳優は男性4人しかいなかったが、どの方も皆演技が素晴らしくて引き込まれるものばかりだった。
ここでは4人のキャスト全員について触れていく。
まずは、主人公の若き本島幸司役を演じた新原泰佑さん。新原さんはアミューズ所属で、俳優やダンサーとして活躍されている方だそう。私は新原さんの演技を初めて拝見する。
凄くナチュラルに可愛げのある青年を演じられて凄いなと思う。どこからが台詞としてあって、どこまでがアドリブなのか分からないくらい役にはまっていて役に成り切っている感じを受けた。
なんとなく、親からの愛情を注がれなかったからこそ、フワッと生きてきてしまったのかなと思わせるような本島の役だった。ある種世の中に対して諦念を抱いているような、どんなにがむしゃらに頑張っても無駄だみたいな価値観を持ってそうなキャラクター像だった。
そしてダンスがとにかく素晴らしかった。正直私はダンスシーンをもっと観たかった。そういう見せ場を池田さんはもっと作っても良かったんじゃないかと思った。
次に、大統領であった日野グレイニ役を演じた小栗基裕さん。小栗さんもアミューズ所属で「s**t kingz」というダンスパフォーマンスグループにも所属している。小栗さんの演技は、「劇団papercraft」の『空夢』で演技を拝見したことがある。
『空夢』は2024年5月に上演された作品で、まだ5ヶ月しか経っていないにも関わらず、小栗さんの印象は全くその時と違ったのでびっくりした。非常に大統領らしく男性らしくなっていて威厳があった。
カタコトで日本語を喋ったり、癖のある話し方をするので、そこを上手く演じ切る点に難しさがあったのではないかと思うが、非常に巧みに演技されていて凄かった。
いきなり通信が遮断されて焦る感じ、大統領の影武者と言ったり、大統領だと言ったり嘘偽りがありそうで信用できないようなキャラクター性で、そういう焦りなどを上手く演じられていて良かった。そして演技に力強さがあった。
あとは小栗さんもダンサーなのでもっとダンスを観たかったなと思った。
キュレーターの岡上圭一役を演じた前原瑞樹さん。前原さんは、「玉田企画」の『영(ヨン)』(2022年9月)、「青年団」の『東京ノート』(2020年2月)で演技を拝見したことがある。
前原さんの演技は、『영(ヨン)』を観た時にも思ったがコミカルな演技が似合うなと思う。だからこそ、本島を演じる新原との二人の掛け合いがバランス良かったのだと思う。
岡上は自分から本島にキュレーターになりたいと申し出た身で、そうであるが故に色々と翻弄されてしまい、それは子孫にまで受け継がれてしまう。そして結果的に岡上の息子が本島を殺してしまうのだが。
個人的には、もう少し岡上の人物像をしっかりと脚本で描いて欲しかったと感じた。
前原さんは他の舞台でもっと観たいと思った。
35年後の本島幸司役であり、大統領でもあるホログラムの相島一之さんも素晴らしかった。相島さんは、最近では「ゆうめい」『ハートランド』(2023年4月)や、『う蝕』(2024年2月)などで演技を拝見している。
あのホログラムの演技は非常に貫禄があっていいなと思っていた。相島さんが演じると凄く雰囲気が出るなと思った。台詞ひとつひとつに説得力と重みがあった。他の出演者では絶対に出せないような味を持っていて憧れるなと思う。
またホログラムで、分かりし本島や岡上を見ながら懐かしく思って微笑む感じも凄く良かった。
35年後の本島のホログラムが、劇中で柱を移動させたりするのには何か意図があるのか気になった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作を踏まえながら芸術とデジタル化などについて個人的に考えたことを記載していきたいと思う。
今作の舞台美術に独創性があったのは、池田亮さん自身が造形作家であったこともあったと思うが、脚本の内容に関しても池田さんが造形作家だからこそ描けたであろうことが沢山盛り込まれていると感じた。
まず『Sphere of Sphere』という作品に関してなのだが、この作品が象徴していることは、永遠に形に残っているということなのだと思う。最近、特に韓国ミュージカルのテーマなどを考えて感じることは、形として残る作品というものは、その創作者が亡くなった後も永遠に残り続けることに作品の存在意義を見出すことが多いと思う。演劇はなまものなので少し事情は変わってくるかもしれないが、絵画であったり彫刻であったり、形として残る芸術作品は創作者が死んでも尚、その作品の価値を永遠に発揮し続ける。ゴッホも亡くなってから有名になったという話も聞いたことがある。そのくらい、芸術家にとっては形が永遠に残り続けることに重要な意味があると思っている。
『Sphere of Sphere』も、もうこの創作者である本島幸司は亡くなってしまっている。しかし『Sphere of Sphere』は残り続け、今でもこの作品を鑑賞する者に影響を与え続けている。
ここで面白いのが、ホログラムによって『Sphere of Sphere』の創作経緯などが克明に残されていることである。これは科学技術が発達したからこそ可能になったのかなとも思う。少なくとも今の技術では、ここまでホログラムで再現することは不可能であるだろうが、映像などで亡くなった創作者が創作物について語っている内容そのものがコンテンツとして永久保存されることも増えていると思うので、昔よりもより創作物の背景などを未来の人間が知ることも可能になっているのではないかと感じた。これはデジタル化による恩恵があるのかなとも感じた。
ガチャガチャと親ガチャを掛け合わせるという発想自体は、割と序盤で察しがついていたが、ガチャガチャに卵子と精子が入っていて、実際にガチャガチャを回すことが出来るというのは凄くグロテスクな設定だなと感じた。
クニヤスは本島の遺伝子から産まれた息子であり、ヒロシも日野の遺伝子から産まれた息子である。そして岡上の子供も劇中には登場しないが、物語の描写から存在していることが分かる。日野の精子が『Sphere of Sphere』のガチャガチャに入っているかどうかは私の記憶では捉えられていないが、少なくとも本島と岡上の精子は、このガチャガチャに入っていることは劇中で述べられていたと思う。
おそらくクニヤスの親は、誰かが『Sphere of Sphere』でガチャガチャをして本島の精子を持ち帰って子供を授かって産まれた子供であると推測される。この『Sphere of Sphere』でガチャガチャを引いたということは、もうここで遺伝子を途絶えさせようと思ってガチャガチャに入れた精子を育てたいと思った人が親になる決意をして引いたということだと解釈している。クニヤスはそれを聞いて一体どんな気持ちになっただろうか。
本島幸司自身も、自分の親が産みの親ではなく育ての親だったと途中で知ったと言っていたので、同じようなことをクニヤスも感じたのではないかと思う。本島が残したホログラムと『Sphere of Sphere』を見ることで、クニヤスが実際にどう感じたのか気になるところである。
岡上の遺伝子で産まれた子供(男性だか女性だか分からなかったので)が、本島を殺してしまったという事実は凄く印象に残る。自分の実父である岡上圭一は、本島幸司のキュレーターになったことによって完全に人生が崩壊してしまったと解釈できるのかもしれない。結果的にお金もなくなり、溝の口で安くパイプカットをしたことで体を傷つけてしまった(実際にあの後死んでしまったのかな)。
だからこそ、実父をそんな目に遭わせたと思った岡上の遺伝子を持つ子供は、本島を殺しにきたに違いない。
これら一連の物語を触れて思うことは、やはり親ガチャと昨今では言われることで、親が望んで産んだ子供と、その親の望みに翻弄されて苦しむ子供という構造だと感じた。親は子供を産むかどうかという選択肢は選べるかもしれないけれど、産まれてきた子供はどの親から産まれて来れるか選べない。もし、自分が産まれた環境が酷いものであったとしても、子供はそれを無条件に受け入れて生きていかないといけないからこそ、産まれてきた子供の苦悩があるのだと思う。
『Sphere of Sphere』に入れられているガチャガチャは、本来科学技術が発達していなければ滅びゆくはずの遺伝子である、滅びゆくべしと親が子作りすることを放棄した作品である。それが冷凍保存されることによって、親になろうと手を上げたものが育ての親となって子供を産み出すことができる作品である。
親はもちろん子供が欲しいという自分たちの欲求を叶えてくれるものであるかもしれないけれど、子供にとってはガチャガチャが誰によって引いてもらえるかを選ぶことは出来ない。育ての親にとっては希望の作品かもしれないが、このガチャガチャに眠る遺伝子にとっては苦しみでしかないのかもしれない。
最後に、今作とお金に関する考察をして終わろうと思う。
日本に対する怒りや諦念も感じた今作だったが、そこには日本全体が貧しくなっていることを反映している側面もあると思う。芸術に対してなかなか助成金が降りなくて憤るというくだりは、池田さん本人が劇作家として実際に体験していることを反映しているとも思うし、本島が青山の費用の高い病院でパイプカットを受けられて、一方でキュレーターの岡上は溝の口で安くでしかパイプカットを行えず、結果命に関わってしまったというシーンはまさにそれを想起させる。
『朝食』という作品で、コンドームを繋ぎ合わせた作品というグロテスクなものもあったが、それは新宿の歌舞伎町のラブホやクラブでやった時のコンドームで、もしお互いに経済的に豊かであれば子供として産むことの出来た人たちなのかもしれない。
芸術というのは、確かになかなかお金を得ることが難しい仕事でもある。だからこそ、経済的な貧しさによって子供世代にまで迷惑をかけてしまうという辛さを訴えられているようにも感じる。
今作は本当に答えを出すことは出来ないが、現代の日本社会における創作について考えさせらる作品だった。観られて良かったなと思う。
↓池田亮さん脚本作品
↓小栗基裕さん過去出演作品
↓前原瑞樹さん過去出演作品
↓相島一之さん過去出演作品