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舞台 「ふくすけ2024ー歌舞伎町黙示録ー」 観劇レビュー 2024/08/03


写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」ビジュアル


公演タイトル:「ふくすけ2024ー歌舞伎町黙示録ー」
劇場:THEATER MILANO-Za
企画・制作:COCOON PRODUCTION 2024
作・演出:松尾スズキ
出演:阿部サダヲ、黒木華、荒川良々、岸井ゆきの、皆川猿時、松本穂香、伊勢志摩、猫背椿、宍戸美和公、内田慈、町田水城、河井克夫、菅原永二、オクイシュージ、松尾スズキ、秋山菜津子、加賀谷一肇、石井千賀、石田彩夏、江原パジャマ、大野明香音、久具巨林、橘花梨、友野翔太、永石千尋、松本祐華、米良まさひろ、山森大輔、山中信人(三味線)
公演期間:7/9〜8/4(東京)、8/9〜8/15(京都)、8/23〜8/26(福岡)
上演時間:約3時間(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:ドタバタコメディ、ダークファンタジー、歌舞伎町、親子、考えさせられる、笑える
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


劇団「大人計画」を旗揚げ主宰する松尾スズキさんの代表作である『ふくすけ』を観劇。
『ふくすけ2024ー歌舞伎町黙示録ー』と題する今作は、1991年に下北沢ザ・スズナリで『ふくすけ』として初演され、1998年には世田谷パブリックシアターで再演、そして2012年ではBunkamuraシアターコクーンで再々演されており、今回が4度目の上演となる。
私は『ふくすけ』を観劇することも松尾さんの作品を観劇することも初めてである。

物語は、少年院あがりのコオロギ(阿部サダヲ)が日本舞踊の家元の問掛屋紅玉(オクイシュージ)に弟子入りして紅玉の世話をしているシーンから始まる。
盲目のサカエ(黒木華)も紅玉の元におり、彼女が桃を切ろうとしていた所からひょんな事件を起こしてしまいコオロギとサカエは紅玉の元から出奔する。
二人は結婚して夫婦となり、コオロギは九州にあるスガマ医院の警備員として働くことになる。
一方、新宿歌舞伎町には吃音症のエスダヒデイチ(荒川良々)が、失踪した妻のエスダマス(秋山菜津子)を探して放浪していた。
そんなヒデイチの元にフタバ(松本穂香)というホテトル嬢が現れる。フタバはヒデイチを誘って風俗店へと案内していく。
コオロギが院内で警備員をしていると、そこにはフクスケ(岸井ゆきの)という少年が保護されやってきた。
フクスケは、ミスミ製薬が開発した安定剤の薬剤被害で身体に障がいを持って生まれてきてしまった男の子であった。
コオロギとフクスケは出会い、フクスケはスガマナツオという名前をつけ、その頭が大きくて個性的な容姿からメディアからも注目され始めるが...というもの。

先述した通り、私は『ふくすけ』を含め松尾さんの作品自体初観劇で、果たしてどんな作風なのか楽しみにしていたが、想像以上にグロテスクな演出続出で重いテーマを扱うのだなと面喰らった。
「大人計画」の方なので宮藤官九郎さんの作品のようなドタバタ喜劇を想像していたらまるで違った。
確かにドタバタ喜劇要素もあって、思いっきり役者を引っ叩いたり、全裸を露出するシーンも多少あったのだが、昨年観劇したウーマンリブの『もうがまんできない』(2023年4月)に比べたらまだマイルドなドタバタ喜劇で置いていかれる感じはなかった。
しかし、扱っているテーマが非常に重たくて、トー横キッズなどの歌舞伎町に集う貧困な若者たちや、水俣病・サリドマイド薬害といった公害を想起させる題材、企業隠蔽問題、カルト的な宗教団体の洗脳の恐ろしさなど社会問題がいくつも連なっていて、そういった複数の社会問題を上手く一つの作品にまとめ上げる凄さは「NODA・MAP」とも似た世界観を感じた。

親からの愛情を受けて育ってこなかった子供たちは、相手を心から好きになることも出来ないし、子供を産んでも愛情を持って育むことが出来ない。
歌舞伎町は、そんな金銭的にも精神的にも貧しい人たちが集まったカオスな街になってしまったのだと考えさせられる。
過去の再演では、フタバ役は貧しい外国人という設定で描かれていたそうだが、今作からフタバはトー横キッズという貧しい日本人の若者として描かれている描写の変化も考えさせられる。
それは、貧困問題が日本国内の特に若者で加速化している証拠でもあって、今のタイミングで歌舞伎町で上演される価値があると感じた。

役者陣は「大人計画」の劇団員や、テレビや映画で大活躍の大物俳優ばかりで豪華だったがとても素晴らしかった。
なんといっても引き込まれたのは、フクスケ役を演じた岸井ゆきのさん。
岸井さんの演技は映像作品で観てきたが、ここまでの怪演を発揮出来る役者だとは思ってもなく驚いた。
フクスケは親も知らず身体障がいも持っているので、常に何かを訴え続けている生命力を凄く感じた。
あの身体の使い方や訴え方、常に何かに不満でこの世界に物申そうとしているのが、色々な側面で貧しく育ってしまったフクスケの生き様を表しているようで胸を打たれた。
また、フタバ役を演じた松本穂香さんも素晴らしかった。
エスダヒデイチと行動を共にすることが多いが、ヒデイチにちょっかいを出して構ったりする感じに、どこか精神的な貧しさも感じた。
きっともっと親に愛されたかったのだろうなと思ったりした。

決して万人ウケする作品ではないと思うし、かなりグロテスクな演出が含まれるので、直近妊娠したり出産したりした方にはオススメできない作品だと思っている。
しかし、今の日本を生きる人間としてこういった状況は知っていないといけないし、逃げずに向き合っていかないといけない社会問題だと思う。
だからこそなるべく多くの人には見て、何かを感じて欲しい作品であると感じた。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」より。(撮影:細野晋司)


↓スポット動画



【鑑賞動機】

松尾スズキさんの舞台作品は実は観る機会を逃していていつか観てみたいと思っていた。今作は、松尾さんの代表作でもあり評判の高い作品でもある上、キャストも阿部サダヲさん含め豪華だったので観劇することにした。
クレイジーな福助のフライヤーデザインも奇抜で惹かれたので、フライヤー効果もあったのかもしれない。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等あると思うがご容赦頂きたい。

日本舞踊の家元の問掛屋紅玉(オクイシュージ)の屋敷、大勢の弟子が並んでいて三味線による演奏と踊りも繰り広げられている。紅玉はそんな中大層ご満悦のようで高齢でもあるにも関わらず元気だった。そこへコオロギ(阿部サダヲ)が現れる。紅玉はコオロギの元に向かって身体に襲いかかる。まるでそれは紅玉が吸血鬼であるかのようだった。
そこにずっと桃を切っていた盲目のサカエ(黒木華)も呼ばれてやってくる。しかし、サカエは盲目であるが故に包丁で紅玉を刺して一大事になってしまう。まずいと思ったサカエとコオロギは、そのまま紅玉の屋敷を出奔して逃げ出す。
一方、とある教会にやってきたエスダマス(秋山菜津子)は、神の祝福を受けようと放浪していた。
コオロギとサカエは、そのまま九州のスガマ医院まで逃げてくる。そこで二人は結婚して暮らそうとするが、部屋に誰か女性がいるとコオロギは気が付いて見てみると、そこにはスガマ医院の医師の妻であるチカ(内田慈)がいた。

場転してここは新宿歌舞伎町、吃音症のエスダヒデイチ(荒川良々)が49歳のエスダマスという妻を探して歩き回っていた。吃音症なので所々言葉を詰まらせながら、でも必死で妻を見かけた人がいないかと呼びかけている。しかし歌舞伎町を通りかかる人々はヒデイチのことを相手にはしない。むしろ、そんな吃音症のヒデイチを陰で馬鹿にする人もいた。
その時、ヒデイチの元に一人のピンク色の髪をして人形を持ち歩いている若い女性が話しかけてくる。彼女はフタバ(松本穂香)と言いホテトル嬢をやっているようである。フタバは、14年間も妻を探し続けているヒデイチに驚き、彼を風俗店に案内する。
マスは、とある歌舞伎町の風俗店にいた。そこでマスは、コズマヒロミ(伊勢志摩)、コズマエツ(猫背椿)、コズマミツ(宍戸美和公)というコズマ三姉妹に会う。コズマ三姉妹は歌舞伎町界隈を牛耳る風俗嬢たちでマスを見て彼女も同じ風俗嬢として仲間に引き入れる。
マスはコズマ三姉妹たちに案内されて、歌舞伎町にある彼女たちのアジトに通される。そこには、複数の爆弾が地下に眠っていた。ミツの部下である蒲生(オクイシュージ)は爆弾を落としそうになって驚く。しかし蒲生の手には爆弾が落ちないように鎖が絡まっていて落ちなかった。

九州にあるミスミ製薬の社長であるミスミミツヒコ(根本大介 ※松尾スズキの代役)は、地下で監禁しているホルマリン漬けの子供が12人いる部屋に向かう。その中に、一つだけホルマリン漬けを拒むフクスケ(岸井ゆきの)という少年がいた。彼は頭が大きくて身体障がいを患っていた。ミスミたちは、彼は俳優になれると思って芝居をさせようとする。
一方、ヒデイチはフタバの案内で風俗にいた。そこにはフタバだけでなく自称ルポライターのタムラタモツ(皆川猿時)もいた。ヒデイチは、14年前に行方不明になってしまったマスのことを今でも深く愛していた。自分は吃音症でこんな感じだから、誰も自分を相手にしてくれなかったが、マスだけは違ったのだと言う。だからずっとマスを探し続けているのだと。フタバとタムラは、14年前に行方不明になったマスを一緒に探し出すことに協力する。

タムラはこんな事実を突き止める。九州にあったミスミ製薬は、安定剤を開発するに当たって発生していた有害物質を川に流していた。それによって周囲の人々の生活に大きな影響を及ぼし、特にその薬剤被害は生まれてくる子供たちに大きな障害をもたらすものとなっていた。ミスミ製薬の社長のミスミミツヒコは、そんな薬害被害を隠蔽しようと、特に身体障がいの酷かった子供を地下に監禁していたのだと言う。
福助の絵が描かれた箱に閉じ込められ、団長(町田水城)によって開かれると、まるでマジシャンが出てきたかのようにフクスケはパフォーマンスを披露するのだった。しかしフクスケは途中で体調を崩して倒れてしまい、そのままスガマ医院へと運ばれていった。
フクスケがスガマ病院の病棟で眠っていると、そこへ警備員の格好をしたコオロギがやってくる。そしてフクスケを起こす。コオロギは、フクスケのその才能を見出そうとスガマナツオという名前を与えて連れて行く。
アナウンサー(町田水城)によってテレビニュースが流れる。ミスミ製薬の薬害事件が発覚し、ミスミ製薬の御曹司であるミスミミツヒコが自殺未遂を図り植物人間になってしまったと。これでは、事件のことについて何も詳しく事情聴取出来なくなってしまったと述べる。

マスとコズマ三姉妹たちは、徐々に歌舞伎町界隈で風俗嬢としての地位を築いていった。マスは、<一度死んで生まれなおすゲーム>である輪廻転生ゲームを考案してより一段と勢力を大きくしていった。
スガマナツオという名前が与えられたフクスケは、マイクを持ちながらこの世の中の鬱憤を晴らすべくマイクパフォーマンスを行う。
ヒデイチとフタバがある日歌舞伎町を歩いていると、都知事選のポスターを発見する。そこにはマスとそっくりの立候補者がいることを発見して驚くヒデイチだった。
コオロギと盲目のサカエとフクスケも歌舞伎町に上京する。

ここで幕間に入る。

アナウンサーが幕間終了直前に諸注意を客席に向けてした後に、そのままステージ上に上がってモノローグを語る。コオロギとサカエとフクスケは「福助陰陽研究会」という宗教を設立したと。フクスケは頭が大きく身体障がいを持っているが、入団すれば幸せになれると説いて信者は3万人を越えたという。
コオロギが帝のような格好を、サカエが皇后のような格好を、そしてフクスケが頭に金色の冠を翳した神のような格好をして登場する。そこに信者たちは金を鳴らしながら続く。チャンミー(永石千尋)がコオロギの元にやってくる。彼女はレズビアンだがそんな自分を認めてくれるのかと尋ねる。フクスケはチャンミーの生き方を認め、これを読めとばかりに教典を高額な金額で売りつけてくる。
一方、マスは都知事選に立候補して歌舞伎町で演説を行なっていた。風俗嬢はずっとその仕事では暮らしていけない。歳を取ったら体を売るわけにはいかない。だからこそ、風俗嬢が一生安定して暮らしていけるような社会を作りたいと語る。

ヒデイチとフタバは一緒にいた。そこへ九州で風呂に入っているタムラからフタバに電話がかかってくる。フタバとヒデイチに今すぐ九州にやってこいと。マスが暮らしていた自宅を掘り出して欲しいのだと言う。
再びテレビニュースが流れる。宗教団体「福助陰陽研究会」の教祖であるフクスケは、ミスミ製薬の薬剤被害によって身体障がいを持って生まれてきた少年で、スガマ医院でコオロギが連れ出したことが報道されていた。次は都知事選のニュースですとアナウンサーは言う。投票まであと2日と。
「福助陰陽研究会」は大仏を建立するらしく信者から巨額の資金を集めていた。信者たちは、自分が幸せである時は誰かが不幸である時でそれはいつでもバランスするので、こうやってお金を払うことでその不幸が自分の元にやってこないのだと資金を宗教団体へ支払っていた。
マス率いる日本文化風俗党は、徐々に「福助陰陽研究会」を敵視し始める。そこで、「福助陰陽研究会」に乗り込んで成敗しようと試みる。しかし、蒲生やチャンミー、赤瀬川(菅原永二)といった手下たちがどんどん成敗されていってしまう。

ヒデイチは、その頃九州の工場の跡地の自宅で土地を掘り起こしていた。そしてそこから12人の赤子の死体を発見する。フタバとタムラはヒデイチに告げる。マスは決してヒデイチ一人を愛していた訳ではなかったのだと。マスは双極性障害で、鬱になると誰か違う男性とセックスをして子供を孕らないと気が済まなかったのだと言う。だから14年間もマスはヒデイチの元を離れていたのだと。
マスが考案した輪廻転生ゲームも、一度死んで生まれなおすというのは、鬱になってしまったら一回セックスして子供を産まないと解消されなかったからであり、そこから生み出されているのだと言う。

フクスケの元にマスの手下がやってきたので成敗し、そして自分をこんな身体障がいにしてしまったミスミミツヒコもやってきたので成敗する。そのままフクスケはマスの元へ向かっていく。
コオロギとサカエが映写機を持って会う。そして映写機からAVが流れ出す。それを見ながらコオロギとサカエは二人でセックスを始める。フクスケはマスの元にやってくる。フクスケはマスとヒデイチとの間に生まれた子供だったのだった。マスにとって13人目の子供であり、唯一ホルマリン漬けを逃れた子供。しかし、マスはそのままフクスケを手放して放浪した。マスとフクスケは性行為しようとする。

同窓会が開かれる。12人の仮面を被った男性が一列にテーブルに座って食事をしようとする。その同窓会を取り仕切るのはヒデイチである。12人の男性が一斉にクロッシュを開ける。すると白い赤子の石像が置かれていた。それに向かって男性たちはナイフとフォークをかざしてムシャムシャと食べようとする。そんな12人の男性たちをヒデイチは成敗する。
ここで上演は終了する。

過去上演された『ふくすけ』と違うのは、主人公をヒデイチとマスの夫婦ではなくコオロギとサカエの夫婦にしている点だと言う。今作しか上演を見たことがない私にとってはコオロギとサカエが主人公でない『ふくすけ』を想像出来なかった。そのくらい違和感のない改稿だったと思う。
過去の上演では貧しい外国人だったフタバが、今作では日本の若者になっている点が非常に興味深く苦しいものを感じる。より今作で描かれていることに歌舞伎町がフィットし過ぎてしまっているように感じて、作品としての強度は出るが現実問題として悲しいことだと思う。
初演当時はかなり問題視されていたであろう水俣病に代表される公害を想起させる部分も残しながら、トー横キッズといった歌舞伎町の貧困問題も上手く取り入れられていて、本当に昨今は歌舞伎町を題材にした作品が多いなと感じると共に、それだけ深刻な問題なんだよなと感じた。
また宗教に関する内容も盛り込まれていて、現在ではそういう宗教団体の温床になりやすいコミュニティも増えているからますます演劇で描く意義があるよなとも思った。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」より。(撮影:細野晋司)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

いつも思うが「THEATER MILANO-Za」で行われる舞台のセットは回転舞台と高さを上手く駆使して非常に豪華な作りになっていて、今作でもそれは変わらなかった。ネオンが煌々と光る新宿歌舞伎町らしさが溢れ出ていた。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
基本的にステージ背後には背の高い巨大な階層立ての舞台セットが下手側から上手側まで広がっていて、下手側にはステージ床から上の階層に行けるような階段が設置されていた。フクスケのマイクパフォーマンスでは、この下手側の階段を昇ったり降りたりしながらモノローグを披露していた。また、下手側の舞台セットの階層上部には三味線の生演奏を披露する山中信人さんが何度か現れていた。
ステージ背後の巨大な舞台セットは、下手側のブロック、中央のブロック、上手側のブロックと3つが横に並んだような形となっていて、そのうちの中央のブロックが回転出来るようになっていた。その中央のブロックが回転することによって、フクスケと他12人の子供がホルマリン漬けされていた地下室のシーンが展開されたり、マスやコズマ三姉妹たちの歌舞伎町のアジトのシーンが展開されたりしていた。舞台セットの何階層か上の部分で、マスに対してフクスケが性行為をしてくるラストも高さがあるからこそのインパクトがある。さらに、舞台が回転して客席側に出っ張った状態で使用されることもあった。そこでマスが都知事選に向けて街頭演説を行ったりしていた。
ステージ上手側は、私の記憶の中では特にインパクトのあるシーンは展開されなかったが、後述するように字幕を活用した電光掲示板のような映像が流れていた。
また、ステージ床には巨大な穴があってそこを活用されるシーンもあった。盲目のサカエがそこへころりと転げ落ちたり、穴自体が温泉になって九州にいるタムラと女性(石井千賀さん?)が裸でそこで温泉に浸かっているシーンも印象的だった。実際に湯気が立っていたのでお湯が張られていたと推測される。
舞台セットだけでなく大道具、小道具もバラエティに富んでいた。例えばビジュアル的に印象に残ったのは、なんといってもホルマリン漬けにされた赤子のオブジェクトや、ヒデイチが穴から掘り出した乳幼児の作り物、そして一番ラストのシーンの食卓に並ぶ新生児の石像。出産が控えていたり出産したばかりの方が見たらインパクト強過ぎてショックを受けそうだなとも思った。凄くグロテスクで、だからこそ生まれてくる子供の命の尊さも突き付けられる演出だった。
フクスケが見世物小屋で俳優をやっていた時に、福助が描かれた黄色いボックスの中から姿を現すシーンも印象的で、その黄色いボックスのデザイン性が良かった。
天井から降りてくるマスの都知事選立候補のポスターもパンチが効いていて良かった。あの巨大な大きさなら客席最後方からでも文字まで見えるだろう。むしろあのインパクトの大きさは客席後方から味わってみたかったかも。その他、新宿歌舞伎町を想起させるようなネオンなども輝く電光掲示板や看板の数々が天井から吊り下ろされているのも良かった。

次に映像について。
映像というか電光掲示板のようなものが下手側と上手側にあって、そこで物語のモノローグ的なものが流れていたのが印象に残った。幕間が終わって、アナウンサーがそのままステージ上に上がってフクスケ、コオロギ、サカエたちが宗教団体を結成した下を捲し立てるように語り、映像にも流すあのスピーディさが好きだった。
映像で一番インパクトがあったのがラストの映写機によるAVシーン。あのAVを見ることによってコオロギとサカエがセックスをし、また新たな生命が宿る。そしてフクスケもマスと性行為する。ヒデイチが土の中から新生児の遺体を掘り出すシーンからのあのセックスシーンはなんともグロテスクだった。映像は、ただ単なるAV映像ではなくちょっとイラスト的な感じでアニメーションのようなタッチの映像だった。
アナウンサーがミスミ製薬の製薬事件や「福助陰陽研究会」のことや都知事選のことをテレビニュース番組で報道する時に、プロジェクションマッピング的にテレビの砂嵐とアナウンサーのテレビ越しの姿を投影する感じの演出も好きだった。

次に衣装について。
なんといってもフクスケの衣装デザインが強烈だった。まずは頭に被っていた頭でっかちな巨大なこぶのような帽子は、確かにフクスケが何か普通の人間ではない特別な存在を象徴しているような感じだった。また乳幼児が着ているようなけれどどこか化け物のようなクリーム色の衣装も素晴らしかった。フクスケを見ていると、岸井さんの演技も相まってどうしても映像で見た水俣病の患者を思い浮かべてしまう。水俣病は近年ではあまりテレビで言われないようになったイメージで、10代の若者が果たして知っているのかと疑われるレベルだが、それをちゃんと忘れずに思い起こしてくれる作品なんだと実感した。
あとはコズマ三姉妹の黒い衣装も素敵だった。みんな毒々しくてキャラクターとして立っていた。まるで魔女のようで風俗が席巻する歌舞伎町にはぴったりの衣装イメージだった。

次に舞台照明について。
エンタメ性の強い舞台照明が多く、みんなで踊ったりするダンスパフォーマンスシーンの照明の奇抜さは素晴らしかった。黄色や紫やらの歌舞伎町の毒々しさを表現するような奇抜なカラーが目に焼き付いた。
フクスケのマイクパフォーマンス時にフクスケに白くスポットを当てる演出も、まるでフクスケがスターであるかのような印象を感じ、その後の「福助陰陽研究会」で崇められる存在になっていく必然性を感じる演出でもあった。
舞台セットに設置されている電光掲示板のように輝くLEDのようなライトも歌舞伎町らしさを表す照明の一つだった。奇抜で派手な歌舞伎町の世界観を上手く表現していた。
懐中電灯などの生の照明を使うシーンも多々あった。役者が手に懐中電灯を持って捌け口から登場する時、先に懐中電灯の明かりが舞台セットに当たっていて、その明かりがゆらゆらとしていて、そんな演出も印象に残る一つだった。

次に舞台音響について。
特にミュージカルのように耳に残る楽曲はなかったが、途中途中でダンスシーンがあるので、そこに合わせて音楽は流れていた。勢いのある音楽が多かったように思う。
フクスケのマイクパフォーマンスによる声量は圧巻だった。フクスケがかつてお笑い芸人にいたまちゃまちゃ(摩邪)に見えた。
ピストルの生音は凄くインパクトがあってびっくりした。最初鳴らす時は役者が合図をして鳴らしていたのでそこまでびっくりしなかったが、その後別の役者がいきなり地面に向けてピストルを放ったのでびっくりした。それを鳴らすんじゃねえと別の役者が突っ込む形で回収はしていたが、観客的にあの演出はいかがなものなのだろうか。ちょっと音に敏感な観客には優しくない気がした。
あとはマスの街頭演説のマイクの声量も上手い具合に良かった。まるで小池百合子が演説しているようだった。そういうふうにマイクの音響を調整しているようにも感じた。

最後にその他演出について。
印書に残った演出を上げていくと、やはり最後の同窓会のシーンのインパクトは強かった。仮面を被った12人のスーツ姿の男性が、新生児の石像にナイフとフォークを刺して食べ始めるシーンはグロテスクだった。そこに突っ込んでくるヒデイチを含めて強烈だった。きっとあれはヒデイチの理想の世界の夢なんだと思う。そうやって子供だけ産んで行方をくらましてしまう男性への復讐というか、そんな感じがした。マスは自分の妻だと思っていたのに。
コズマ三姉妹のうちの一人が、不穏な時に大井町線の駅名を言いながらくしゃみするのも地味に面白かった。「九品仏」「上野毛」「北千束」と、あれは大井町線を知っている人でないと分からないと思うから、ウケている観客も少人数だったのも面白かった。
スモークマシーンの演出も印象に残った。上手側からブシャーと煙が出てきて、それが終盤だったのでインパクト強めだった。
「福助陰陽研究会」のシーンで、信者たちが一列をなして金をチラチラと鳴らしながら行進する不気味さも印象に残った。歌舞伎町には手に追えない宗教団体も多数蔓延っているのだろうか。
あとは結構バイオレンスシーンも多かった。お互いにナイフで斬り合ったりする演技もあって痛々しく感じた。手の部分にナイフを差し込むような演出をしたりと描写が痛々しい。
また何シーンか、役者が実際に役者を引っ叩くシーンもあった。かなり思いっきりだったので大きな音がした。さすが「大人計画」だと思った。観客の中にはそういう演出を嫌がる人もいるかもしれない。人を選ぶと思う。私は「大人計画」の松尾さんなのでありそうだと思いながら観に行ったので、思ったより少なく感じたが。江原パジャマさんは阿部サダヲさんに思いっきり叩かれていたのでちょっと心配になった。また、タムラタモツが引っ叩かれる時に、顔面が赤く捲れ上がるのもインパクトある演出で好きだった。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」より。(撮影:細野晋司)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

阿部サダヲさん、荒川良々さん、皆川猿時さんといった「大人計画」にはお馴染みの俳優に加え、黒木華さんや岸井ゆきのさん、松本穂香さん、秋山菜津子さんなど豪華俳優も多数出演されていて非常に見応えのあるキャスティングで大満足だった。
特に印象に残った俳優について記載する。

まずは、コオロギ役を演じた阿部サダヲさん。阿部サダヲさんの演技は舞台では宮藤官九郎さん作演出のウーマンリブ『もうがまんできない』(2023年4月)で演技を拝見していて、映像作品では最近ではテレビドラマ『不適切にもほどがある』で拝見している。
『不適切にもほどがある』での阿部サダヲさんの演技は素晴らしいもので、あのひょうきんな感じが炸裂してずっと見ていられるのだが、今作も阿部サダヲさんの役作り的には『不適切にもほどがある』の市郎に近い印象を感じた。コメディアンというか喜劇俳優としての魅力がもの凄くてついつい見入ってしまう。そして改めて思うが、阿部サダヲさんは舞台向きの俳優だよなと思う。迫力があって生で演技を見ている方が好きだった。
コオロギというキャラクター設定としては絶妙な立場だなと思う。コオロギ自身も少年院に入れられていた身、自分を日本舞踊の家元の問掛屋紅玉が救ってくれて育ててくれた。結果的には出奔する羽目になるが、きっと親を知らないという意味ではフクスケとコオロギは共通していて、だからこそコオロギはフクスケに対して手を差し伸べ可愛がったのだと思う。
愛情というのは、自分の生まれ育った環境にダイレクトに反映されるのだなということを今作を通じてまざまざと感じたのだが、コオロギもきっとフクスケに対して施したことは、彼なりの愛情だったのではないかと思う。しかしそれは真っ当な愛ではなかった。なぜならコオロギだってきっと本当の親からの愛を受けたことがないから。だからコオロギがフクスケに対して向けられる愛情は、彼をコメディアンとして育ててスターにして「福助陰陽研究会」の教祖にすることになってしまったのだが。
過去の再演を観たことがないので、阿部サダヲさんがフクスケを演じる姿が逆に想像できない。むしろコオロギが一番ハマっているなと感じながら観ていた。映像で『ふくすけ』の過去作を観るとさらに発見があって楽しめそうだなと思った。

次に、コオロギの妻で盲目のサカエ役を演じた黒木華さん。黒木さんの演技を劇場で拝見するのは、アミューズ主催の加藤拓也さん作演出作品『もはやしずか』(2022年4月)以来2度目。今年(2024年)のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも出演されているそうだが私は見ておらず。
盲目の演技をするのは難しいと思われるが、白杖をつきながら歩く姿がとても印象的だった。しかし表情はとても豊かでコオロギに対する愛情は感じられた。しかしコオロギは、サカエが盲目なのを良いことにスガマ医院の医師の妻であるチカと不倫していたのは酷い設定だと思うが。
公演パンフレットを読むと、サカエはどうやら幼少期に歌舞伎町でコズマ三姉妹たちに会っていて、嵐の日だったらしいが盲目のサカエを見捨てているのだそう。劇中にもおそらくその描写はあったのかもしれないがちょっと覚えていなかった。そういう意味で、コオロギもサカエも親の愛を知らない夫婦ということになる。ラストシーンで二人がセックスをするが、そこから生まれてくる子供が心配になる。親の愛を受けずして育った夫婦に授かる子供に愛情は育まれるのだろうか。

私が今回のキャストの中で一番素晴らしいと感じたのは、フクスケ役を演じた岸井ゆきのさん。岸井さんの演技は、映像では映画『愛がなんだ』(2019年)などで拝見しているが、劇場で拝見するのは今回が初めて。
岸井さんにこんなに俳優としてのポテンショルがあったのかと驚かされる怪演ぶりだった。私は今まで岸井さんの演技は、どちらかというと今どきの女性といったようなアンニュイな感じの演技が上手いと思っていたのだが、その印象は180度変わった。
今作のフクスケ役の重要性は言うまでもないと思うが、一番尖っていて一番の難役だと思う。ミスミ製薬の薬剤被害によって身体に障がいを持って生まれてきてしまった少年。とにかく親からの愛情を受けずして育ったので、承認欲求も高くて反逆心が強い。男性が演じた方がそれは迫力出るではと思うかもしれないが、岸井さんのこの暴れっぷりが抜群に素晴らしかった。
フクスケは少年という設定だからこそ、岸井さんという女性でもピタリとハマる役なんだろうなと思う。特に、第一幕終盤のフクスケの一人マイクパフォーマンスシーン。ここがフクスケ単独の一番の見せ所なんじゃないかと思うが、あの声量と力強さと身体の使い方と何もかも完璧だった。あの動きとかは松尾さんと擦り合わせしながら振り付けていったのだろうか、それとも岸井さん自身が自分で考えてパフォーマンスしていったのだろうか、後者だったら物凄い才能だなと思う。昔お笑い芸人としていた、まちゃまちゃ(摩邪)さんに似ているなと思った。
フクスケはどこか乳幼児っぽいビジュアルもあって、身体が全体的にムチムチしている感じもある。だからこそ身体の動かし方もそこに合わせられている感じがあってハマっていた。これは岸井さんフクスケでしか出せない味だと思う。
また、これはちょっとグロテスクな見方だが、岸井さんのフクスケを見ていると、どこかかつて映像で見たことがある水俣病患者を想起させる。目の動かし方とか体の動かし方のちょっと身体障がい者的な感じが脳裏に焼きついてよりグロテスクな感じに思えた。
岸井さんはあまり舞台で名前を見かけないイメージなので、個人的にはもっと舞台での活躍もして欲しいと感じた。

フタバ役を演じた松本穂香さんも素晴らしかった。松本さんの演技は、「劇団た組」の『ぽに』(2021年10月)で演技を拝見するはずだったのだが観に行けなくなってしまったので、今作で初めて演技拝見する。
トー横キッズのような歌舞伎町に住む貧困の若者の演じ方がもの凄く良かった。ヒデイチに話しかけて風俗に誘ってちょっかいを出す感じが上手いなと思った。だからこそ、そこにはフクスケとはまた違った承認欲求を感じた。親からの愛情を受けていないからこそ、誰かに愛されたいという承認欲求に感じた。
ラストシーンで、マスが双極性障害で鬱になると違う男性と付き合って子供を作ってしまうという病気、そしてフクスケがヒデイチとマスという二人の間に生まれた子供であることを知ってどう思ったのだろうか。フタバはどうして歌舞伎町で風俗嬢をやっているのか、詳しい描写が劇中あったかもしれないが捉えきれなかったので覚えていないが、幸せな家庭環境では決してないと思う。ヒデイチのマスに対する一途な愛情を見て何を思ったのだろうか、色々と考えさせられて悲しくなった。
そして、そうやってキャラクターとして引き込まれるフタバの役を上手く演じた松本さんが非常に素晴らしかった。

エスダヒデイチ役を演じた「大人計画」の荒川良々さんも素晴らしかった。荒川さんの演技は、ウーマンリブ『もうがまんできない』(2023年4月)で一度拝見している。
吃音症の男性の役という難役だったと思うが、とにかく素晴らしかった。途中聞き取れなくても良くて、必死で妻を探していること、そして妻のマスをこの上なく愛していることは、吃音症でも伝わってくる。きっと言葉でうまく伝えられない人ほど、感情が卓越して行くのだろうなとも思う。だからそういうキャラクター設定で良いのだと思う。
ラストシーンで、自宅から赤子の死体が12人発見された時、ヒデイチはどう思っただろうか。自分のことだけ愛してくれていると思っていたマスが、実は他に何人も性的関係を持った人がいたことを知った時、どう感じただろうか。その感情がラストシーンの残酷シーンに出ているのだと思った。
とにかく吃音症の熱演が素晴らしかった。

他に、マス役を演じた秋山菜津子さん(今回はNODA・MAPではなかったんですね)、タムラタモツ役を演じた皆川猿時さん、チャンミー役の永石千尋さん、江原パジャマさんが印象に残った。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」より。(撮影:細野晋司)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作に内在されている歌舞伎町界隈の問題、水俣病に代表される公害について考察していく。

最近様々な舞台作品を観ていると、本当にトー横キッズに代表されるような歌舞伎町の若者を題材にする作品が増えた印象がある。今年だけでいくと私が観劇した30作品のうち、歌舞伎町を題材にした作品は梅田芸術劇場の『テラヤマキャバレー』(2024年2月)、PARCO PRODUCE 2024『東京輪舞』(2024年3月)、ムシラセ『ナイトーシンジュク・トラップホール』(2024年7月)、そして今作と4本目である。そしてどの作品でも歌舞伎町で風俗嬢をやっている若い女性の客引きが登場する。
歌舞伎町にここまで客引きの若い女性が増えてしまったのは、かなり昔からのことではなく、むしろ最近の東京でより顕著になってきている。
現在の歌舞伎町は酷いもので、トー横キッズと呼ばれる家庭に居場所のなくなってしまったZ世代の若者がSNSを通じて出会い、みんな歌舞伎町で集まっているからおいでと誘われて家から逃げてきた子供が屯しているようである。子供たちは客引きをすることによって、その客に体を売るような行為をして資金を稼ぎ、その場しのぎの生活を送っている。家庭に問題があって子供のことを心配してくれず放置されてしまった子たちの行先になってしまっていると。
公演パンフレットには、歌舞伎町がこうなってしまった要因について、新宿救護センターを開設した玄秀盛さんの記事が掲載されている。歌舞伎町が今みたいな状況になってしまった大きな要因としては2つあって、一つは2011年の暴力団排除条例である。それまではヤクザがこの歌舞伎町を牛耳っていた。ヤクザの権力は大きかったので、今の悪質ホストがやっているような若い女性を使った客引きとかしているとヤクザたちによって潰されていた。しかし暴力団排除条例が制定されたことによって歌舞伎町からヤクザが消えると、チンピラがやりたい放題になってしまって悪質ホストが横行するようになってしまった。歌舞伎町を支配する人間たちの年齢層もどんどん若くなっていき、若い女性の客引きも目立ち始めたのだと言う。以前であればそれを潰しにかかるヤクザ勢力がいたが、暴力団排除条例によってそれがなくなってしまったのである。
そしてもう一つはコロナ禍である。コロナ禍に入るといよいよ歌舞伎町からは中高年が姿を消して、20代の若者が集うようになったという。大久保公園で「立ちんぼ」と言われる若い女性が客待ちをしている光景は、コロナ以降より顕著になったと言われている。
ホストが皆若いので、客引きの女性に対する対応も酷いものが多いと言う。地方出身の普通の女の子が何も分からず勧誘されて、若いホストが「可愛いね」など甘い言葉をかけて良い気にさせて客引きにさせる。歌舞伎町のホストたちに捕まってしまったらもう逃げることはできない。もし水商売をして妊娠してしまったなどあれば、ホストたちは何も責任を取ってくれず捨てられる。こんな酷いことが横行しているのである。

劇中では、こんな台詞が登場する。今の歌舞伎町よりも吉原の方がマシだと。吉原は体を売って借金を返すことができたら帰る場所があった。しかし歌舞伎町の風俗には帰る場所はどこにもないと。吉原の遊女たちと比較されること自体も酷い話だなと思うのに、むしろ吉原の遊女たちの方がマシだと言う言葉を聞いてゾッとした。歌舞伎町の若い客引きの子たちに未来などない。1年も持たないうちに普通ではいられなくなって犯罪に手を染めてしまう世界なのである。そしてその後の行く場所もない。
きっとフタバもそうなのだろうと思う。私はフタバはトー横キッズのような、家庭に居場所がなくてSNSで誘われてやってきた子供なのかなと思う。風俗嬢として働くだけで、親からの愛情をまるで知らない子として育ったのかなと推測する。
コズマ三姉妹もそうであろう。彼女たちもこの歌舞伎町にしか居場所がなく、風俗嬢たちを束ねることでこの土地で権力を握っている。そこにマスがやってきてからは輪廻転生ゲームも流行らせてますます権力を強くしたに違いない。マスが都知事選に立候補して風俗嬢たちの人権を訴える言葉にも説得力があった。確かに、風俗嬢たちには未来がない。この仕事がやれなくなったらもう何をすることも出来ない。生きてゆけない。
劇中のそんな描写を見ていて、今年(2024年)の都知事選の様子を思い出した。とんでもない立候補者も現れて私は悲しい気持ちになっていたが、あんな奇抜な立候補者にも立候補するそれなりの理由がきっとあったのだろうなと思う。選挙ポスターで公然と体を露出したり、ジョーカーの真似事をして狂気じみていたが、そうすることによって何かを、東京の今を訴えたかったのかもしれない。改めて東京都知事選を経て、今の東京都のヤバさを今作を通じて感じたように思う。

マスは双極性障害だと述べられた描写があった。双極性障害とは、気分が極端に高揚する躁状態と、気分が極端に沈むうつ状態が交互に現れる病気である。マスは鬱になると新たな男性を作って子供を作らないといられないような病に冒されていた。だから12人もの赤子を犠牲にしてしまった。マスの中では、新たな男性と性行為して子作りすることが一度死んで生まれ変わることを意味し、それを繰り返すことで生き続けられる、つまり輪廻転生するとしてゲームを布教させていった。
とんでもなくヤバい宗教じみた行為である。これは確かに風俗嬢界隈たちの風俗嬢の心を満たしうる思想になるのかもしれない。社会的に差別される風俗嬢たちが、この思想を通じて救われる。なんとも恐ろしい宗教だなと思う。

そんな歌舞伎町の問題ともう一つ目立った問題として今作で取り上げられていたのは、公害問題である。最近では水俣病や四日市ぜんそくという言葉を耳にすることは少なくなったので、もしかしたら10代の若者などは知らない人も増えているのかもしれない。(教科書などでやっているのかな?)
水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病は、日本四大公害として言われていて、1950年代〜1970年代にかけて社会問題としてこれらの公害問題は取り上げられた。どの公害も工場などから排出された有害物質を周辺に住む住民たちが接種してしまい病気にかかる社会問題である。
特に水俣病は、九州地方の熊本県水俣市で起こった公害で、化学工場などから海や河川に排出された有機水銀により汚染された海産物を住民が長期に渡り日常的に食べたことで水銀中毒が集団発生した公害病である。これは、ミスミ製薬が安定剤の開発で有害物質を川に放流して、その近隣の健康に影響を及ぼしたこととも似ている。
また、今作はサリドマイド薬害も想起させるシナリオにもなっている。サリドマイド薬害とは、1950年代に起きたサリドマイドという睡眠剤、安定剤を服用した妊婦が、妊婦自身や生まれてくる乳幼児の健康に被害を及ぼした薬害である。こちらの方がむしろフクスケの事象と近いのかもしれない。サリドマイドは日本ではイソミンという薬名で売り出されて、妊婦や胎児の健康に影響を及ぼした事例がある。
おそらく、『ふくすけ』のこれまでの再演ではそういった日本の公害や薬害を問題視するテーマ性の方が深く刺さったのではと思う。公害は日本でも起きた問題で身近でもあるが、歌舞伎町のことに関しては近年話題になった話で、今作が描かれた当初は公害・薬害のメッセージ性の方が強かったのかなと思う。

水俣病やサリドマイド薬害の被害にあった患者の写真などを見たことがあったので、私はフクスケにそれを感じてしまってよりグロテスクに思えた。
しかし、さらに今作をグロテスクにしているのは、そういった問題と親子の愛情を育めなかった家庭を同時に描いていることである。フクスケも、両親が誰なのかも分からずミスミミツヒコに隠されて育ってきた。薬害の被害で身体障がいを患ったフクスケが、それだけでも酷い話であるにも関わらず、捨て子でもあったという設定は物語をさらに不条理なものにしている。
生まれてくる子供は親を選べない。だから生まれ育つ環境を受け取らないといけない。しかし親の愛情を受けずに育ってしまうと、自分が親になった時に愛情を育むことができない。マスとヒデイチから生まれてきたフクスケも、フタバも、そしてコオロギもサカエも皆そうである。そして歌舞伎町で育つ若者たちも。
だからラストのセックスシーンが残酷である。きっとこれから生まれてくる子供にも親からの愛情が享受されずに育つのだから。

今作を通じて、だいぶ親子の愛情の重要さを突きつけられた。そして、それが受けられない歌舞伎町という街が日本には確かに存在しているという残酷な現実も知っておかないといけない。
少なくとも自分の元に生まれてくる子供はそうさせたくないというのと、少しでも歌舞伎町の治安が今後改善の方向に向かうことを祈るばかりである。

写真引用元:ステージナタリー COCOON PRODUCTION 2024「ふくすけ 2024-歌舞伎町黙示録-」より。(撮影:細野晋司)


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