舞台 「バード・バーダー・バーデスト」 観劇レビュー 2024/09/20
公演タイトル:「バード・バーダー・バーデスト」
劇場:すみだパークシアター倉
劇団・企画:南極ゴジラ
脚本・演出:こんにち博士
出演:揺楽瑠香、瀬安勇志、古田絵夢、ユガミノーマル、端栞里、井上耕輔、ボクシン・トガワ、和久井千尋、九條えり花、こんにち博士、ミワチヒロ、藤井憂憂、岡本ゆい、亀島一徳、鱒(演奏)、U乃(演奏)、柴田碧(演奏)
公演期間:9/19〜9/23(東京)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:恐竜、青春群像劇、舞台美術
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆
2025年に上演されるイマーシブシアター「泊まれる演劇」の『Moonlit Night』の脚本・演出を担当するなど、演劇創作者としての頭角を現し始めているこんにち博士さんが作・演出を務める劇団「南極ゴジラ」の新作公演を観劇。
「南極ゴジラ」の演劇作品は、『怪奇星キューのすべて』(2023年8月)『(あたらしい)ジュラシックパーク』(2024年3月)と2度観劇しており、今作で3度目の観劇となる。
物語は、月の谷高校という学校で生きる生徒の恐竜たちを中心に描いた話で、高校時代の三年間という青春を恐竜たちが生きていた1億6000万年間の時代に当てはめながら描いた作品である。
『種の起源〜現代社会で生き残るためには〜』を出版したダーウィン(和久井千尋)は、高校生たちとディベートしている。
ダーウィンは、恐竜から鳥類に進化した鳥たちは絶滅を逃れて今でも生き続けているのは、環境に適応出来たからだと述べる。
しかし高校生たちは、鳥類は環境に適応した訳ではなく自らの意志で羽を持ったのだと提唱する。
月の谷高校では、波浪先生(亀島一徳)の元、個性豊かな恐竜の生徒たちが学校生活を送っていた。
いつもふざけてばかりのアンテナ(揺楽瑠香)、いつも教室で勉強しているカイロ(藤井憂憂)、読書の好きなウー(こんにち博士)など。
そして2年になると転校生のハテナ(岡本ゆい)がやってきて、クラスメイトのズーイ(ユガミノーマル)は一目惚れするが...というもの。
これまでの「南極ゴジラ」の作品と比べて、今作は舞台美術などの演出面が物凄く洗練されていて、非常に見応えのある世界観として作り込まれていた。
今までの「南極ゴジラ」の作品は、良くも悪くも小劇場演劇らしい粗さが際立っていて、劇団員たちの私物をかき集めて舞台セットを作ったのかな?と思わせるほど手作り感満載だった。
しかし今作は、わちゃわちゃとしたガラクタが沢山飾られている舞台セットは健在なのだが、どれもしっかりと作り込まれている感じを受けた。
さらに、舞台照明も舞台音響も良い機材を使っていそうで凄く洗練されていて格好良く迫力のある世界観を作り上げていて、私はポジティブな方向へ進化したと感じた。
『怪奇星キューのすべて』を観劇した時、舞台照明や音響のセンスは抜群に良いのだが、諸々資金不足のせいだったのか粗さも感じられたので勿体無いと思っていたが、今作では彼らが持つ照明音響センスが残って洗練されたので非常にパワーアップしたように感じた。
その最たるシーンがオープニングの楽曲と終盤の楽曲で、まさに極上の観劇体験を享受している感覚を受けて大変素晴らしかった。
一方で、脚本に関してはまだまだブラッシュアップの余地があるように感じられた。
終わり方は物凄く希望を持たせてくれる素晴らしい内容だったのだけれど、特に前半から中盤にかけてのストーリー展開には難があるように感じた。
青春群像劇を描きたいのは分かるのだが、登場人物が多すぎて一人に対してのキャラクター描写の深掘りがされないまま次々とシーンが展開する上に、劇中で展開される各エピソードがそこまで魅力を感じられなかった(三畳紀に該当する1年のシーンやデッドマウンテンのシーンなど)。
やりたいことを考えると、登場人物を深掘り出来ないのは良いとして、もう少し青春で誰もが共感するような面白いエピソードを盛り込めたら良かったのではと感じた。
役者に関しては、前回の『(あたらしい)ジュラシックパーク』では主人公を演じていた端栞里さんの出番がそこまで多くなかったのは個人的には残念だったが、その分アンテナ役を演じた揺楽瑠香さんが主人公的なポジションを堂々と演じていて素晴らしかった。
揺楽さんのあそこまで化けの皮を剥いでコミカルに変な役を演じ切れるのが素晴らしかった。
前作や前々作ではもっと格好良い役だったのでそのギャップもあってますます俳優としての魅力を感じた。
その上、楽曲まで作ってしまうスキルがあるので本当に小劇場界の化け物だと思う(良い意味で)。
そして今作では客演として出演していたハテナ役を演じた岡本ゆいさんも、「南極ゴジラ」の劇団員では出せないようなミステリアスな感じを上手く役で出し切っていて引き込まれた。
このような少し他のメンバーと違う色を持つキャストをキャスティングすることで、しっかりと転校生の色を出せるから凄いと思った。
そして、波浪先生役として「ロロ」の亀島一徳さんが何気に紛れ込んでいるはツボだった。
上演開始まで亀島さんが出演されるのを忘れていたので一瞬驚かされて笑った。
脚本には伸び代はあると感じたが、演出面の迫力と見事さには圧倒されたので、もし配信があるのならば見逃さないで欲しい。
『怪奇星キューのすべて』『(あたらしい)ジュラシックパーク』と観てきている私がみて、今作は間違いなく今までよりも段違いに素晴らしくなっている傑作だと思っている。
【鑑賞動機】
今最も勢いのある劇団と言っても過言ではない「南極ゴジラ」の新作公演だから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
ダーウィン(和久井千尋)が登場する。ダーウィンは、『種の起源〜現代社会で生き残るためには〜』という書籍を出版する。その書籍では、恐竜は1億6000万年間に渡って繁栄したが、メキシコの浅い海に隕石が落下して絶滅した。しかし、鳥類だけは恐竜から翼を持って飛べるように進化したので隕石落下による絶滅を免れたと述べる。そして、鳥類は翼を持って飛べるようになったのは環境に適応したから生き残れた、これと同じことは現代社会にも当てはめられてビジネスにおいても社会の環境に適応できる人が活躍するのだと言う。
ここからダーウィンと、三人の高校生たちがディベートをする。高校生たちはダーウィンに反論する。鳥類たちは環境に適応しようとして羽を持ったのではなく、自ら飛びたい、自由になりたいという意志を持ったから飛べるようになったのではと。「はやぶさ」が持ち帰った恐竜の化石には一つのビデオカメラが収められていて、今そちらを解析中であるとのことである。高校生たちは、そのビデオカメラには何が収められていたのか早速見てみようと言う。
ここでオープニング音楽と共に、出演者たちによる合唱と、そしてステージ上には机と椅子が並べられて教室のようになっていった。
映像で「三畳紀」と表示される。波浪先生(亀島一徳)は、夏休みの宿題をやってこなかったアンテナ(揺楽瑠香)、ぴんと(端栞里)、ウー(こんにち博士)になぜ宿題をやらなかったのか問いただす。ぴんとは持ってくるのを忘れ、ウーは読書に夢中になってしまってやってなくて、アンテナは宿題の存在すら忘れていたと言う。アンテナに対して波浪先生は呑気だなと呆れる。
給食の時間、みんなは犬食いみたいに給食にかぶりついている。
クラスメイトは、何の部活に入ろうか迷っていた。肉食恐竜のC.ヤング(ミワチヒロ)とC.C.ヤング(井上耕輔)はアゴーボール部に入部しようとしていた。ぴんとは漫才がやりたくてD-1を目指したく、ユピック(古田絵夢)やマヤマヤ(九條えり花)、河童(ボクシン・トガワ)、ズーイ(ユガミノーマル)はフライ部に入部するらしい。アンテナは漫才も目指したくてフライ部にも入ろうとしていた。一方でカイロ(藤井憂憂)は気象に関わる仕事に就きたいとずっと教室で勉強していた。
ウーは読書にハマっていたが、アンテナがどこかへ連れて行ってしまう。そこは「図書クラブ」でウーはリーゼントになってクラブデビューをしてしまう。教室ではアゴーボール部の二人がボールを投げ合っていて、草食恐竜たちから止めてと言われる。
映像で「ジュラ紀」と表示される。生徒たちは高校2年生になる。クラスには転校生のハテナ(岡本ゆい)がやってくる。波浪先生の横で教壇に立って自己紹介するハテナ。そこへ学校に遅刻してやってきたズーイが教室に入ってきてハテナに一目惚れする。
夏休みは校外学習で、みんなで海底列車に乗り込む。みんな密集していて行き先を決める。ズーイはハテナの隣にいてずっと気になっているようである。行き先はズーイが「デッドマウンテン」と言ってそこに決まる。
アンテナ、OX(瀬安勇志)、チャトウィンIII(和久井千尋)、ハテナの4人はタクシーに乗り換えてデッドマウンテン目指して出発する。途中からウーとぴんとがバイクでタクシーを追いかけてくる。そしてウーとぴんとは4人が乗っているタクシーに飛び移る。4人はびっくりする。
夕方から夜になり、アンテナとハテナ以外はタクシーの中で眠っている。ハテナが実は渡り鳥のように冬は南に夏は北に移動する一族であり、また季節が変わったら引っ越ししなければいけないことを告げる。アンテナは驚く。では、ハテナはまたどこかへ転校してしまうのかと。ハテナは頷いてだから頑張ってみんなの顔と名前を覚えると言う。
ズーイと河童は二人で話している。河童はユピックとマヤマヤにズーイの作ったしおりCを渡していた。ズーイは焦る。しおりCだけ他のしおりと違うように作ってハテナに渡したかったのに、どうしてユピックたちに渡してしまうのだと、計画が台無しだと言う。
ズーイは河童に、自分がハテナのことを好きであることを打ち明ける。河童は俺もだと答えて俺は女子全員好きだと言う。ズーイは驚く。河童はだってハテナエロいもんな分かるみたいな反応もする。
ズーイとハテナが二人きりになる。ズーイは勇気を出してハテナに自分がハテナのことを好きであることを告げる。ハテナは付き合うことに関してはごめんなさいだけれど、駆け落ちならOKだと言う。ズーイは驚いてそのままハテナと二人で駆け落ちする。
OXはずっと卵を抱えている。誰かに渡したいがみんな拒む。そしてOXはウーが見当たらないことに気が付く。ウーはどこかへ消えてしまった。
映像で「白亜紀」と表示される。波浪先生は独り語りを始める。みんな生徒たちは高校を卒業すると8割はどこかの企業に就職して群れの中に入っていく一方で、残りのうちの1割は単独行動を選ぶが危険な道として推奨されていない。また、一部はそういった進路から外れる人もいて、スポーツ選手や芸術家や教員がそこに含まれると。
波浪先生はOXにビデオカメラを渡して、このビデオカメラで卒業していくみんなの様子をカメラに収めて欲しいと頼まれる。
OXは、気象関係の仕事を目指して勉強を続けるカイロを記録したり、肉食恐竜のC.ヤングやC.C.ヤング、マヤマヤ、ズーイたちをビデオカメラに収める。
アンテナとぴんとはD-1グランプリを目指して漫才の練習をするが、途中で二人は喧嘩をしてしまう。お前がいけない、いやお前がいけないのような仲違いをする。一方で、フライ部はコンテストの優勝を目指して練習をしている、しかしドライバーがなかなか決まらずハテナがパイロットに抜擢される。
アンテナはD-1にも出場するし、フライ部のコンテストにも出場する忙しさを送っていた。しかしどちらも大会の日程がかぶってしまう。
D-1グランプリの予選の当日、そしてフライ部のコンテストの当日。アンテナはどちらにも現れず教室へ向かった。D-1グランプリの予選会場ではぴんとがずっとアンテナを待っていて、順番は次なのにと焦っている。
波浪先生がアンテナを見つけて面談する。合奏が始まるが、上空から物凄い音がして中断する。ハレー彗星が地球に急接近してきたのだった。D-1グランプリの予選もフライ部のコンテストも中断する。
波浪先生は面談を続ける。OX自身にまだビデオカメラを向けていなかったと、OXにカメラを当てる波浪先生。OXはウーが校外学習の時にいなくなってしまって酷く落ち込んでいるようだった。
ハレー彗星が急接近してきて地球は非常事態に陥っていて、恐竜たち生徒は教室に集まっていた。肉食恐竜のC.ヤングとC.C.ヤングの二人は喧嘩を始めてしまう。その喧嘩はエスカレートして、周囲の人を巻き込んでいく。カイロは気象に関する仕事を目指していたのに何もできないのかと喧嘩を吹っ掛けられたり、方々で取っ組み合いが始まってしまう。
そんな中、アンテナがみんなを笑わせようとずっと教壇でボケをかましている。そこにぴんとも乗ってくれて漫才が始まる。教室は徐々に静まり返っていく。
教室に集まるクラスメイトが落ち着いた所で、迫り来るハレー彗星に対してどう立ち向かうか考える。それは、みんなで巨大な鳥を作って飛んでいくこと。音楽と共に一致団結しながら一羽の鳥を形作り空へと飛び立とうとする。ここで上演は終了する。
高校時代の3年間の青春物語を、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と恐竜の生きた時代に例えるのは発想が上手いなと思うし、とても「南極ゴジラ」らしくて素晴らしかった。そして最後に鳥になって羽ばたいていくというラストも、確かに恐竜から鳥は進化したよなという事実と今でも生き残り続けているということをかけて上手くやっているなと感じた。今作は間違いなく「鳥人間コンテスト」から着想を得ているだろうなと思うが、確かに「鳥人間コンテスト」には青春が沢山詰まっていて、確かに「南極ゴジラ」の青春×生物(特に古生代)の作風にマッチしているよなと思えた。すごく素敵なラストだった。
その一方で、前半の青春群像劇がもっと面白くなっていればと思ってしまいもったいなかった。もちろん伏線を回収させる必要はないのだが、もう少し青春としてみんなが共感できて面白くて懐かしい思いにしてくれるエピソードを沢山盛り込んで面白くして欲しかった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
今作の世界観・演出に関しては、劇場の規模も大きくなって非常にリッチにアップデートされた点が素晴らしかった。今までは小劇場演劇らしい粗さが目立っていたのだが、そこが磨かれて洗練されて、かと言って「南極ゴジラ」の持っているセンスとポテンシャルは残されたので非常に良い方向に進化したと感じた。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置について。
ステージ上の客席に面した以外の三方位の壁際に所狭しと並んだ公園にある遊具のような可愛らしい舞台セットが並んでいた。そしてそれらの多くはどれも動かせることが出来て、劇中に舞台装置として実際に使用されていた。ジャングルジムのような舞台セットがあったり、半円のアーチのようなよじ登ることの出来る舞台装置があったり。そして、ステージの中央の空間には度々月の谷高校の教室が作られるのだが、その時に使用される教室によくあるような机と椅子も置かれていて、それらを場面転換中に移動して教室が一瞬で形作られたり無くなったり、凄く様変わりしていく舞台空間で観ていて楽しかった。
壁際には三羽の鳥と思われる飾り物がガラクタをかき集めて形作られていた。劇場に入ってまず目についたのが、この三羽の鳥なのだがこれをみてこの作品は鳥をモチーフにしているんだよなと再度思い出させてくれた。鳥が羽ばたいているように見えるその装飾を見て「バード・バーダー・バーデスト」だと感じた。
今までの「南極ゴジラ」の作品と比べて、一つ一つのガラクタが綺麗で可愛らしくて、お金をかけたのかなという印象があった。そしてやっぱり、小劇場演劇らしいごちゃごちゃした舞台セットを用いるのであっても、それなりの資金力があってこそなのかなとも思ってしまった。しかし、間違いなく良い方向に作品の質は上がったので非常に満足のいく舞台空間だった。
次に映像について。
「三畳紀」「ジュラ紀」「白亜紀」という映像が投影される他に、一番記憶に残ったのがOXが生徒たちをビデオカメラで録画して回る時の映像。おそらくリアルタイムで、OXが片手に持っているビデオカメラの映像を映写機で舞台セット上に投影していて面白い演出だった。これがおそらく冒頭で説明のあった「はやぶさ」が発見した恐竜の化石が持っていたビデオカメラに残された記録なのだと思う。改めて良い設定だなと思う。ただ、このビデオカメラの映像は客席の場所によって見えやすさにかなり開きがあると思っていて、私は下手側前方で観劇していたのだが、舞台セットの影になってしまってほとんど見えなかったのが残念。もう少しどの客席からでも見やすいように工夫して欲しかった。
次に衣装について。
恐竜の生徒たちの制服と思しき衣装が、どこかストライプ状の囚人服のように見えてユニーク、けれど可愛らしくて好きだった。こういうデザインってどうやって考えているのだろうか。なかなか独特の世界観なのでアイデアを出すのが難しそうだが、非常に世界観に合っていた。
あとは波浪先生のネクタイの色もブルーで綺麗だったので素敵だなと思って見ていた。
それと「デッドマウンテン」に行く途中のタクシーを運転する民族衣装っぽい人々の衣装も「南極ゴジラ」色あって好きだった。
次に舞台照明について。
本当に今作の舞台照明の格好良さには圧倒された。まずオープニング曲のシーンでの舞台照明の色合いもそうだしどうステージ上を照らしていくかというプランニングも格好良くてセンスが光っていた。『怪奇星キューのすべて』で「南極ゴジラ」の舞台照明と舞台音響のセンスを抜群に感じたが、機材のクオリティだったり劇場の限界もあって、そこまで開花していない印象があった。しかし、今作はすみだパークシアター倉という割と整った小劇場で、そして機材もアップデートされていて、だからこそここに来て「南極ゴジラ」が本来ポテンシャルとして持っていた舞台演出のセンスの良さが開花したように感じた。
オープニング曲で、小さな白いスポット照明をステージ上に動かしながら照らしていく感じとか圧巻だった。
ただ、第二幕(ジュラ紀になったシーン)でハテナが転校してくるが、ズーイが遅刻してきてハテナに一目惚れするシーンで、ズーイにはスポットが当てられているのに、ハテナには当てられていなかったのはちょっと謎だった。なんでズーイが一瞬固まっているのか分からず、多分ハテナに恋したんだよなと分かりにくくてスムーズに感情が動かなかった。
次に舞台音響について。
前作の『(あたらしい)ジュラシックパーク』のオープニングは合奏で、これはこれで非常に手作り感あって素敵だったのが、今作では舞台美術のアップデートもあってパソコンによる電子音楽がメインになっていた。Gt.鱒さん、Perc.U乃さん、Key./DJ柴田碧さんの三人も演者のうちとしてずっとステージ上の上手奥側にいて演奏しているのも良かった。劇終盤でこの奏者と役者の間でコミュニケーションも発生していて、しっかりと一体感を感じられたのも好きだった。
本当にオープニング曲やエンディング曲に関しては格好良くて、生演奏というのも素晴らしいのだがこれを一から作っているというのが尚更驚かされる。音楽を担当している揺楽瑠香さんの素晴らしさには本当にびっくりさせられるばかり。
オープニング曲の歌詞を歌うのを岡本ゆいさんが歌うのも良かった。
音楽以外だと、効果音も非常にクオリティが上がっていたように感じた。さすが機材がアップデートした甲斐があったと思う。雷の音や雨の音、そして終盤で登場するハレー彗星が近づいてくる音。あのハレー彗星の音を聴いていると私は東日本大震災を思い浮かべてしまった。突然非常事態が襲ってきたのと、時期が卒業シーズンというのもあったからかもしれない。自分も3.11の時は学校の教室にいたので尚更思いを馳せた。
最後にその他演出について。
なんといってもラストの鳥人間のパフォーマンスがとても素晴らしかった。生徒たちが全員で一丸となって一羽の鳥を作るという発想といい表現力といい何もかも素晴らしかった。鳥の頭部がアンテナであるのも凄く良かった。自由の象徴というか、一番自由奔放に生きてきた生徒が輝く場になっていて好きだった。
教室の机と椅子を移動させて色々な向きで教室が形作られるのもなんか好きだった。場面転換で自由自在にセットを形作られるからこその良さを活かしていたように思えた。そしてやっぱり人数が多いからこそ出来るよなとも思った。
ぴんととアンテナの漫才コンビが「マッハB」なのも笑った。絶対「Aマッソ」を意識しているなと感じた。実際に「マッハB」でM-1とか目指して欲しいなとも感じた。
終盤でクラスが大喧嘩してしまう時に、アンテナが必死で面白いことをしようとして、最初は周囲の騒音で声がかき消されていたが、徐々にみんなが注目を集めていって見てくれるようになるというのもなんだか良かった。エンタメやお笑いが世界を平和にするんだなと思わせてくれた。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
お馴染みの「南極ゴジラ」の劇団員と客演の方が4人いて非常に個性豊かで素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていく。
まずは、主人公のアンテナ役を演じた揺楽瑠香さん。揺楽さんは「南極ゴジラ」の公演で毎度観劇している。
『怪奇星キューのすべて』でも『(あたらしい)ジュラシックパーク』でも主役ではなかったけれど、「南極ゴジラ」には外せない存在として非常に魅力的な演技をされるイメージがあったのだが、今作ではいよいよ主役を演じられていて、それだけでも私は嬉しかった。
前二作では揺楽さんはどちらかというとカッコ良いキャラで、凄くそれがハマっているなと思っていたのだが、今作ではおちゃらけキャラで今までと全く違うキャラクターだったのが面白かった。そんな今までと全く違う揺楽さんの演技も見事に滑稽で良かった。
あそこまでずっとボケているキャラでいるのはなかなか難役だと思う。どうしても観客はアンテナに視線が行きがちで、だからこそステージ上ではずっとボケていないといけないキャラだと思うが、それを演じ切っていた。
あのボケ感も、一気に客席に笑いを取りにいくのでなく、クスクス笑わせる匙加減が良いなと思った。
あとは音楽も担当されていて、大活躍すぎてすごいなと思った。
次に、ハテナ役を演じた客演の岡本ゆいさん。岡本さんの演技は初めて拝見する。
良い意味で「南極ゴジラ」のメンバーではないな感があってハマっていた。転校生というのもあって若干クラスメイトの中で浮いている存在なのも印象に残った。だからこそズーイとかはそういう魅力に引き込まれてしまうのも分かる気がする。
転校生って、すでに出来上がっているコミュニティにいきなりやってくるから馴染むのに苦労があるよなという青春の記憶を思い起こされた。私が学生時代の時も転校生がいて、そういう子ってやはり親の関係で再び転校することも多くて、なかなか馴染めないというオーラがどことなくあって考えさせられた。そういう意味で、ある種今作を観ていると、自分の青春時代の記憶が蘇ってくるように作られているの良いなと思った。
岡本さんは凄くオープニング曲で歌うシーンも好きだった、凄く映えていた。さすがMVにも多数出演されているのもあって音楽と演技の親和性が高いなと感じた。もっと他の公演でも観たいと感じた。
次に、ズーイ役を演じた「南極ゴジラ」のユガミノーマルさん。ユガミさんも「南極ゴジラ」の公演で毎度観劇している。
ズーイに関しては、とにかくハテナに恋するシーンがとても良かった。青春時代あるある過ぎて良いキャラクターだった。ハテナに告白してみて、付き合えないけど駆け落ちはOKと言われて喜ぶズーイとか好きだったし、ハテナが転校してから一目惚れして、その後のズーイのハテナを意識する感じとかも最高だった。
そこまで出番は多くなかったけれど、ウー役を演じたこんにち博士さんのキャラも良かった。
というより、アンテナに図書クラブに誘われて高校デビューしてしまうのがツボだった。それまでは読書好きのインドアな少年が、突然目覚めてリーゼントになってしまってキャラが変わってしまうのが面白かった。そういうデビューをする高校生、大学生もいたよなと自分の青春時代を思い出した。
しかし、「デッドマウンテン」に行った後に姿を消してしまうというのも考えさえられた。自分は勝手に、高校時代に途中で不登校になって来なくなったクラスメイトなんかを思い出して、一緒に卒業したかったななんて思った頃を思い出していた。
最後に、波浪先生役の「ロロ」の亀島一徳さんも素晴らしかった。亀島さんは、「ロロ」作品など「南極ゴジラ」以外の公演で多数観劇している。
最初、亀島さんが今作に出演されることを忘れていて、いきなり「南極ゴジラ」の劇団員たちに紛れて登場した時に笑ってしまった。普通に違和感なく馴染んでいて良かった。
白亜紀に差しかかったシーンで、波浪先生が卒業した生徒の8割は一般企業に就職して見たいなモノローグが印象に残る。学校を卒業するとみんな就職して集団に属すのが一般的だが、芸術家や先生は特殊な道だというのが今作のメインメッセージにも繋がってきていて感じるものがあった。あのモノローグの話し方とかがまた良かった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作の脚本のメッセージ性について私なりに考察していこうと思う。
改めて、恐竜時代と青春ものを掛け合わせる作風は「南極ゴジラ」らしいなと感じていたが、今作は非常に終わり方に爽快感があって、特に演劇業界やエンタメに携わる人々にとっては救いになる終わり方で好きな方も多かったのではないかと思う。
特に今作では、恐竜時代の中でも鳥類に着目して物語を進めていた。おそらく読者の方もご存知だろうが、鳥類は恐竜から進化したと言われている。約1億5000万年前に始祖鳥は生きていたと言われ、始祖鳥は恐竜などの爬虫類から進化したと考えられている。そして始祖鳥から進化していった鳥類の一部は、約6600万年前の恐竜の大絶滅の時に生き延びて現在も生息している。
進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンは、『種の起源』において自然選択(自然淘汰)と生存競争(生存闘争)によって有利な変異をもつ個体が生き残り(適者生存)、有利な変異が蓄積されると、新種が形成されるという論を唱え、今作に登場するような環境に適応して形を変えるものが生き残れると提示した。
しかし、鳥類が今もなお生き残っているのは結果論であって、恐竜の大絶滅時代に飛べるように形を変えて進化して生き延びた訳ではない。始祖鳥は恐竜が絶滅するもっと前の時代にそのように進化して、たまたま絶滅を免れたというのが定説になっている。
この鳥類がなぜ今も生き残っているのかという問題提起を、今の現代社会に当てはめた今作は非常にユニークだなと感じた。
確かにダーウィンの『種の起源』にあるように、私たち人間の世界も環境に適応出来た人の方が楽しく社会人を過ごせるというのは間違っていないと思う。多くの人は大学を卒業するとどこかの企業に就職する。その企業の文化に適応したり組織のルールに順応していける方が会社で活躍できるのは間違いない。企業という単位だけでなく、社会に対して適応していくということも重要である。今であれば、IT技術者が市場で重宝されるのでそういう技術を身につける人の方が社会で生き残りやすいのだと思う。
しかしクリエイターというのは、むしろ社会に適応するのとは違う、一歩外れた道を歩むことになると思う。クリエイターは一から何かを生み出さないといけないから、むしろ形にハマってはいけないというか、特殊な道だと思う。だからこそかなり危険な道でもあり、先生が推奨しないのも分かる。
今作の終盤でハレー彗星がやってくるシーンがあるが、もちろんこの劇中を恐竜が生きた時代と捉えれば、これは恐竜の大絶滅を象徴している。一方で、高校時代の三年間でとらえると何になろうか。私がちょうど高校時代の時の卒業シーズンに東日本大震災が起こった。私はタイミング的にこの非常事態を東日本大震災と捉えた。私はその目には遭っていないが、東日本大震災の時に東北で学生を迎えていた人々は、この震災によって謳歌するはずだった青春が吹き飛ばされていると思う。
D-1の予選も、フライ部のコンテストも中止になり、何もかも青春を奪っていってしまった。おそらく私よりいくつか下の世代、現在20〜25歳くらいの年齢を迎える若者たちは、この非常事態をコロナ禍と捉えた人もいるんじゃないだろうか。本当は謳歌するはずだった青春を奪うものとして一番連想しやすいのはコロナ禍なんじゃないかと思う。
劇中で、恐竜の生徒たちは教室で取っ組み合いを始める。理由はよくわからなかったが、私はハレー彗星が近づいているというのもあって、みんなの精神状態が安定していなかったのかなと思えた。
そんな時にアンテナはみんなを笑わせようと必死になる。そして徐々にみんなの怒りは落ち着いていく。そして、ハレー彗星に対して巨大な鳥を作って立ち向かおうとする。これは何を意味するのだろうか。
たしかにエンタメや芸術に携わる表現者たちは、一般的な社会人とは違う道を歩むことになるのであまり推奨されない道かもしれない。しかし、こういう非常事態の時に人々の希望になることが出来る存在であることを示しているように思う。
まるでそれは空に飛んでいく鳥のように、自由に羽ばたいていく姿こそエンタメや芸術の姿なのかもしれない。決してそれは、社会に適応しようとして仕方なく空を飛んだのではなく、自らがその道を選んで飛び立っていった。だからこそ、ハレー彗星が近づいてくるという非常事態がやってこようとも、結果的にそういった困難に打ち勝つことが出来る。それは自由意志がそうさせたのである。
なんとも希望に満ちた終わり方で凄く私は好きだった。「南極ゴジラ」という団体も、この作品をきっかけにきっともっと大きな舞台に立てる日に向かって羽ばたいていったんじゃないかと感じた。
↓南極ゴジラ過去作品
↓亀島一徳さん過去出演作品