舞台 「流れんな」 観劇レビュー 2024/07/13
公演タイトル:「流れんな」
劇場:下北沢ザ・スズナリ
劇団・企画:iaku
作・演出:横山拓也
出演:異儀田夏葉、今村裕次郎、近藤フク、松尾敢太郎、宮地綾
公演期間:7/11〜7/21(東京)、7/25〜7/29(大阪)、8/3〜8/4(愛知)、9/6〜9/8(広島)
上演時間:約1時間40分(途中休憩なし)
作品キーワード:田舎、ヒューマンドラマ、家族、テクノロジー、泣ける
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆
今年(2024年)には『モモンバのくくり罠』(2023年12月)で第27回鶴屋南北戯曲賞を受賞した横山拓也さんが作演出を務める演劇ユニット「iaku」の公演を観劇。
「iaku」の舞台作品は、直近だと『モモンバのくくり罠』を観劇しているが、他にも複数作品観劇したことがあり「iaku」以外で横山拓也さん脚本舞台作品も『う蝕』(2024年2月)などを観劇していて、私にとってかなり馴染みのある劇作家である。
今回上演された『流れんな』は2013年に初演された作品で、「iaku」がMITAKA “Next” Selection 15thに選出された時に、三鷹市芸術文化センター星のホールで上演した作品でもある。
今回はそんな「iaku」の初期の頃の作品を、関西弁だった台詞を全編広島弁に改稿して再演された。
物語は「とまりぎ」という広島県の港町の食事処を舞台に、店主が病に倒れてしまい今後の店の行方を危ぶむ家族と周囲の人間たちの会話劇となっている。
「とまりぎ」の店主の妻は、娘の鳥居睦美(異儀田夏葉)が中学一年生の時にトイレで発作を起こして亡くなってしまう。
まだ一歳にも満たない妹の皐月を残して。
それから26年後、睦美は父と共に「とまりぎ」を営業してきて、妹の佐藤皐月(宮地綾)は結婚して家を出てしまったが、そんな父も肝硬変で倒れて入院してしまい、1ヶ月間店を休んでいる最中だった。
町のPRのために千葉支店から派遣された水産企業の社員である駒田広(近藤フク)は、「とまりぎ」とタッグを組んで地元の貝を使った料理をPRしようとしていて、そのプロジェクトに睦美も賛成して協力していた。
しかしまだ独身の睦美は、漁師の田山司(今村裕次郎)に結婚について心配されていた。
そんな中、皐月が妊娠したという報告も入ってきて...というもの。
横山さんが手掛ける作品はいつも、家族の間でのそれぞれの登場人物の葛藤を嘘隠さず描き、その台詞の掛け合いに魅了されるものばかりである。
今作にも、幼い頃に母が亡くなって母親代わりとして生きてきた睦美と、母親の記憶がないけれど子供を孕ってしまったという皐月との間の葛藤が描かれていて、その言葉の掛け合いには心動かされるものがあったし涙を唆られるものがあった。
しかし今作でもう一つ重要なエッセンスがあって、それはテクノロジーの発達に伴って生じる倫理観の問題である。
佐藤皐月の夫の佐藤翔(松尾敢太郎)が脳科学×ビジネスの仕事をしていて、父の脳から母の記憶を取り出して映像化するということを最新技術を駆使して推し進めようとする。
その映像を見せることによって、皐月に母親の記憶を持たせることが出来れば、産まれてくる子供の育児にも役立てられるのではないかと。
しかし、個人的にはこの件を翔が凄く難しい用語を使って説明するあたりに、私は物語への没入感を途絶えさせた感じがありのめり込めなかった。
もちろん、何を語っているのか難しくて分からないという演出ではあるのだが、その尺が長くて間延びしたように感じた。
また、割と下品な演出シーンが意図的に挿入されている点にも、果たしてそんな演出必要だろうか?と首を傾げるものが多くて入り込めなかった。
皐月がトイレで用を済ませる音や、田山の不必要な下ネタは物語への没入感を削いでしまっていたように感じた。
観客の女性たちなどドン引きしていないだろうかと心配なレベルだった。
役者たちの演技は皆素晴らしかった。
なんといっても鳥居睦美役を演じた異儀田夏葉さんの熱量ある演技には圧倒された。
中学の時からずっと母親代わりとして店を支えて、ずっと独身のままで色々なことを我慢してきたと思う。
だからこそ、なんとしてでも父親に元気になって戻ってきてこの店を続けたいという気持ちは人一倍強いと思う。
そんなキャラクター性が台詞から滲み出ていて心動かされた。
異儀田さんと睦美が凄くリンクしていて完全に成り切っている感覚すらあって素晴らしかった。
そして妹の皐月の気持ちも痛いほどよく分かるから泣かされる。
母親の愛情を知らずして子供を産んで母になることへの恐怖、そして姉の睦美が母親のポーズにしかなっていなかったことへの恨み、そのお互いの感情のぶつかり合いに胸が一杯だった。
睦美、皐月姉妹のやり取りには共感出来るし心動かされたものがあったが、それ以外の、特にテクノロジー系の設定が個人的にはあまり響かなかったので、「iaku」作品では珍しくハマらない作品ではあったが、役者の演技力と熱量には圧倒される演劇作品だった。
【鑑賞動機】
横山拓也さんが描く作品はどれも人間らしさを感じられて好きで、そんな横山さんの初期の作品が再演されるとのことだったので迷わず観劇を決めた。
MITAKA “Next” Selection 15thに選出された作品の再演というのも注目ポイントの一つだった。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等あると思うがご容赦頂きたい。
トイレの中で母が発作を起こして喘いでいる。しかし娘の睦美はそれを知らず、トイレの外から早く出てきてと叫んでいる。睦美の妹はまだ一歳にもなっておらず泣いている。睦美は中学一年生で、部活の先輩も厳しいから早く出かけなければいけないと言っている。早く母にトイレから出るように叫ぶ。
そこから26年の月日が経った。
広島の港町の食事処「とまりぎ」には、漁師の田山司(今村裕次郎)とスーツ姿の駒田広(近藤フク)がいた。田山は、千葉支店から広島にやってきて、この店のためにPRプロジェクトに勤しんでくれる駒田を高く買っていた。駒田は頭も良いし、色々と地域と企業の橋渡しになってくれて非常に助かると、きっと良い給料ももらっているんだろうなと調子に乗りながら田山は駒田を褒め称えていた。駒田はずっと謙虚におとなしく田山の話を聞いている。田山の話には下ネタも沢山含まれていて、それに対して駒田は苦笑いを浮かべていた。
駒田はその話から、「とまりぎ」の心配をし始める。店主だった父が肝硬変で入院することになって現在店を閉めている。母が26年前に亡くなっているので、娘のムッちゃんがずっとお店のことを店主と一緒にやってきたが、如何せんムッちゃんは貝料理を振る舞うことは出来ない。ムッちゃんはもう40歳近くにもなるのに独身だし心配だと言う。
ムッちゃんはトイレに行ったきり来ないなと田山は言うが、駒田はトイレではなくコンビニに行っていますと言う。コンビニに言ったということはトイレに行ったということだと田山は言う。
そこへムッちゃんこと鳥居睦美(異儀田夏葉)が戻ってくる。睦美は父の入院している病院へ行って父の様子を窺ってきたので、父の現状を正直に言う。もう父がお店を続けることは難しそうだと言う。睦美は、父の肝臓移植も前向きに検討していた。しかし田山は、肝臓移植は決して今の病気が治る訳ではなく、別の問題が発生するのではと危ぶむ。
そこへ佐藤翔(松尾敢太郎)がやってくる。そして田山に対して車が通るから今駐車している車をもう少し移動させて欲しいと言われる。田山は渋々車を移動しに出ていく。
睦美と駒田が店の中で二人きりになる。睦美は駒田に抱きつく。どうやら二人は愛し合っていたらしい。睦美は、駒田に妻と娘が千葉にいることを知らなかったと言う。
田山と、佐藤翔、そして佐藤翔の妻で睦美の妹の佐藤皐月(宮地綾)が入ってくる。
皐月は自分が妊娠したことを睦美たちに打ち明ける。睦美は驚く。しかし皐月は、自分の母親の記憶が全くないために母親になることに不安を抱いしているようである。
そこで翔は、自分が脳科学とビジネスを繋げる仕事をしているというのもあり、父の脳内から記憶を取り出して映像化をするという最新技術を駆使しようと提案する。父の記憶の映像化に成功すれば、皐月は映像で自分の母の姿を見ることが出来て、今後の育児にも役立てられるのだと。
しかし、あまりにも翔の説明に専門用語が多くて難しかったので、田山たちは全く話の内容について来られなかった。そのため、駒田に解説してもらってようやく理解した。
だが睦美は、そんな最新技術を父の体にさせたくないと反論する。第一、父の記憶の中の母親を映像で見た所で母親のことを知ったうちにならないと。しかし皐月も反論する。睦美が進めようとしている肝臓移植だっておなじではないかと。結局肝臓を移植したところで父の肝臓の病気は治っても、新たなリスクに直面するだけだと。
皐月は、翔との約束の交換条件で出生前診断を受けると言う。周囲の人間は皆出生前診断を知らない。駒田も、自分に娘がいるが出生前診断を受けておらず、そんな話にもならなかったと言う。
出生前診断を受ければ、お腹の中にいる段階である程度胎児の様子が分かると言う。そしてそれによって産むか産まないか翔と皐月で相談するのだと言う。
ここに来て駒田が、もしかしたら父はこの港で獲れた貝料理の食べ過ぎで肝硬変になったのかもしれないと言い出す。睦美や田山はそれを否定する。それを言ったら、自分たちだって肝臓を悪くしていることになるからと。
駒田は、自分の水産企業が販売している料理には汚染された海産物を使った食材があったと告発する。その海産物自体は安く海外から輸入していたのだが、その海産物には汚染された箇所があったのだと言う。もちろんその汚染された箇所は取り除いて販売はしていたのだが、その汚染された箇所をこの港町の海に捨てていたのだと言う。今はもうしていないが。
田山は駒田に対して憤る。なんでそんなことをしていたんだと。田山は、こうやって貝料理のPRをすることも金銭目的なのだろうと駒田を激しく批判する。ここから出て行けと田山は駒田に言う。
睦美は話を逸さなかった。皐月に出生前診断のことを尋ねる。どうしてしようと思ったのかと。
皐月は睦美への不満をぶつける。母親がトイレで発作を起こしていたのに、それに気づかずに部活に行ってしまった睦美が母を殺したのだと。睦美が自分に向けてきたのは母としてではなく、母のポーズをしていただけだと。自分は母親の記憶が全く無くして子供を産んで育てられるか不安なのだと。睦美は皐月をそっと抱きしめる。皐月は生まれてくる子供に対してこうやって出来る?と言う。
睦美は、翔や駒田たちに言う。翔たちは頭も良くて勤め先にも恵まれていて、どこかで自分たちは幸せになっていくということを頭で分かっているからそうやって言っているのでしょうと言う。しかし睦美自身にとっては、そんな余裕はないのだと言う。ここで生きていくしかないのだと。
駒田はこの店を立ち去ろうとする。もうこれまでだねと。そんな駒田の姿に対して睦美は大量の割り箸を投げつける。暗転して上演は終了する。
ラストの皐月と睦美の言い争いは凄く見応えがあって心動かされたが、正直田山の下ネタや、翔の小難しいテクノロジーの話には拍子抜けだった。確かに田舎のオヤジは下ネタが好きな人もいるかもしれないが、そんなにそこを際立たせなくても良いように思う。むしろドン引きしてしまう演出に感じた。
また考察パートにも書こうと思うが、どうもこの物語でテーマとして掲げられている記憶の映像化や、出生前診断、企業が隠蔽して食品を販売していた事実などが後から取ってつけたような薄っぺらいものに感じてあまり響かなかった。出生前診断を夫婦が受けたいと思うなら受ければ良いし、それを周囲の人間がつべこべ言うことに違和感を持った。また記憶の映像化はAIによって実現されるのか?あまり結びつきがピンと来なかった。そもそも記憶の映像化なんて聞いたこともないので。
ちょっと取り入れられている社会問題の描かれ方に釈然としなかった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
ステージ一面は「とまりぎ」の食事処となっていて「iaku」の舞台にしては意外にも具象的な装置だった(たしか『モモンバのくくり罠』も割と具象的な舞台セットだったのでiaku作品の近年の傾向かもしれない)。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
舞台上には「とまりぎ」の食事処が再現されている。舞台下手側奥には「とまりぎ」の入り口の扉があり、そこがデハケとなっている。扉はガラス面になっていてそこに食事処「とまりぎ」と書かれていて、いかにも地方にありそうな古めかしい食事処の扉だった。その扉の上部には木が装飾されていた。
その手前側には、食事処らしく長い食卓と椅子が置かれていた。その食卓と複数の椅子のセットが二つステージ手前側にある。
ステージ中央奥にはトイレの扉があり、冒頭ではそのトイレの扉が開いて、人形の母親が発作を起こしシーンが演出されていた。また、途中で皐月がトイレに入るシーンもこの扉を開けて中に入って行った。そんな感じで、割と今作はトイレというものが象徴的に描かれる作品である。フライヤーにも洋式トイレが登場していたし。きっとそれは、睦美の我儘でトイレを和式から洋式に変えた挙句母親が発作を起こしたのでトラウマを現しているのかもしれない。
ステージ上手奥には、黒板に書かれたメニュー表と、おそらく厨房へと続く廊下があった。その手前には木製の暖簾のようなものもあった。
ステージ上手側手前には、和食の食事処によくある和式エリアがあった。靴を脱ぐようになっていて、その上にいくと畳が敷かれていて、食卓と座布団が敷かれていた。熊が鮭を食す木製の置物なども置かれていた。
全体的に具象的な舞台セットとなっていて、田舎の食事処にありそうな雰囲気が漂っていて好きだった。
次に舞台照明について。
基本的に母が発作を起こすシーン以外はワンシチュエーションで展開されるので、あまり大きな照明演出はなかった。
ただ、オープニングの母が発作を起こすシーンでは、トイレの箇所と中学生の娘の睦美が立つエリアと、畳の上のベビーバスケットにスポットが当てられて、母、睦美、皐月の3人にフォーカスされていた。
次に舞台音響について。
舞台音響についても、オープニングシーンが全て音声で展開されて回想のような形で演出されていたのと、皐月がトイレに入るときに尿の音が音として流れてくるくらいで、他に目ぼしい演出はなかった。
開演の最初の音楽と、最後の音楽は「iaku」らしい温かみのある音楽が流れていた。
最後にその他演出部分について。
本当に今作の見どころは、どこからが台詞でどこからがアドリブなのか分からなくなるくらい会話の応酬で作品が仕上がっている点に素晴らしさを感じた。ラストの方の睦美と皐月の会話のやり取りは、果たしてどこまでが台詞なのだろうと思った。だからこそ、睦美は最後に勢い余って駒田に大量の割り箸を投げられるのだと思う。あそこまでの感情の高ぶりは、役者が役に入り込んでいない限り難しい気がすると思った。そのくらい役者たちは役に成り切って演じ切っていた。
あとは全編が広島弁だったというのもあり、特に田山の方言はたまに何を言っているか分からない時もあったが、そのくらいの方がリアルに感じられて良かった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
どの役者も本当に見事な演技ぶりだった。出演者5人について触れていくことにする。
まずは主人公の鳥居睦美役を演じた異儀田夏葉さん。異儀田さんの演技は、直近だとタカハ劇団『ヒトラーを画家にする話』(2023年10月)、EPOCH・MAN『我ら宇宙の塵』(2023年8月)などで演技を拝見している。
睦美という役の人物像を想像してみると凄く可哀想な立場に感じてくる。中学一年生の時に母を亡くしている。しかも自分が気づかなかったせいという心の十字架を背負っている。きっと睦美の中学、高校時代も一つのスピンオフ物語を作ることが出来そうである。そしてずっと母親代わりとして父の手伝いをずっと続けてきた。睦美の青春は「とまりぎ」と共にあったに違いない。そのくらいこの食事処には愛着もあるだろうし、そこから離れることは出来ないと思う。
しかし、父が肝硬変で倒れてしまった。もう父が店を再開することは出来ない。一層のこと肝臓移植というものに頼ってみない限りは。非常に悲運な立場だと思う。
そんな睦美とまるでシンクロするかのように異儀田さんは演じていた。役に成り切って、だからこそ感情もすこぶる乗っているように感じた。最後の駒田に大量の割り箸を投げられたのも、駒田に対する怒りからに他ならない。
睦美が駒田のことを好きになるのは言うまでも無い。ずっと「とまりぎ」を切り盛りしてきて田舎にいて出会いもないと思う。そんな中で、貝料理をPRするプロジェクトに一緒にやろうとなったことには意気投合したに違いない。だからこそ、このPRプロジェクトが父の病気でやっていけなくなって、そんじゃあ失礼しますと言って去っていく駒田を見たらそれは腹立つよなと思う。
その感情がストレートに伝わってくるくらい素晴らしい演技だった。
次に佐藤皐月役を演じた宮地綾さん。宮地さんの演技を観るのは初めて。
皐月の母親のことを何も知らないのに子供を産んで母親になることへの恐怖というのもめちゃくちゃ共感出来てグッときた。どうやって産まれてくる子供に接したら良いのか分からない。だから脳科学の力を信じて父の記憶を映像化させたいというのも分からなくないかもしれない。
たしかに姉の睦美への不満はそれはあるよなと思う。だから実家が嫌になって早く結婚して家を出て行ったのだろうなと思う。姉の睦美のせいで母は亡くなり、睦美のせいで自分の母親像は奪われた。そう思っているに違いない。凄くよくわかる。
ラストで、睦美が皐月をギュッと抱きしめるシーンがある。産まれてくる子供にこうやってしてあげないといけないよと。凄く感動的なシーンだった。
あのハグによって皐月の気持ちは変わったのだろうか、母親になろうという決心はついたのだろうか。色々考えさせられた。
漁師である田山司役を演じた小松台東の今村裕次郎さんの演技も素晴らしかった。今村さんの演技は、小松台東の舞台作品『シャンドレ』(2022年5月)、『デンギョー!』(2021年9月)で演技を拝見している。
陽気で下ネタが好きで調子の良い感じが、いかにも田舎にいそうなおっちゃんという感じがあって味があった。ちょっと下ネタは過ぎるんじゃないかと思ったが違和感はなかった。
田山は駒田との掛け合いが観ていて面白かった。最初は頭が良いね、頼りになるねと言っておきながら、終盤では出ていけに変わってしまう感じが印象に残った。やっぱり田山と駒田は正反対な男性像だから分かりあうことはないのかなと思ってしまう。
翔がテクノロジーの話を始めた時に、俺には難しすぎてちっとも分かんねえみたいなリアクションも好きだった。
佐藤翔役を演じた劇団あはひの松尾敢太郎さん。松尾さんの演技は、劇団あはひの『ピテカントロプス・エレクトス』(2024年5月)、『光環(コロナ)』(2022年4月)で演技を拝見している。
5人の中で翔の役どころが一番難しかった。ちょっと取っ付きにくい役というか、脳科学×ビジネスでエリートな仕事をしているのは分かるけれど、どうも空回りしている感じがあって、それが演出的に狙っているのだと思うけれど、いまいちピンとこなかった。
翔がどうしたくて、どう感じているのか、全然分からなかった。もう少し彼の感情も描いて欲しかったかも。
水産企業に勤める会社員の駒田広役を演じたペンギンプルペイルパイルズの近藤フクさんも素晴らしかった。近藤さんの演技は、iakuの『逢いにいくの、雨だけど』(2021年4月)で演技を拝見したことがある。
この人は本当に最低だなと思ってしまう。妻もいて娘もいるのに睦美をその気にさせてしまうなんて。凄く真面目でおとなしそうな感じで、実は一番腹黒いのではないかと思ってしまう。
自分はもうこのプロジェクトを下りるからと、最後に企業側が隠蔽していた汚染物質の処理をこの地にしていたという暴露はヤバいなと感じてしまった。
ちょっと企業の人間を悪く描き過ぎではと思ってしまった。
近藤さんの会社員らしい演技は素晴らしかった。スーツを着ていかにも真面目な感じは雰囲気があって良かった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは今作に登場する、記憶の映像化、出生前診断、臓器移植、企業の隠蔽行為について考察しながら、私が感じた疑問について書いていく。
1時間40分という短い上演時間で、かなりの社会問題を盛り込んでいる作品に感じた。しかし、どれもがそれぞれ独立していて関連しているようにはみえないし、盛り込んでも盛り込まなくても良いようなくらいの薄い関係性だったので余計疑問に思ってしまった。また、それぞれの社会問題に対する深掘りも浅いような気がした。
まず、記憶の映像化について。そもそも記憶の映像化が初演当時より今の方がAIなどの科学技術の進化によって実現に近づいているという点に疑問を抱いた。
たしかにAIの進化は初演当時よりも今の方が目覚ましく、これほどまでに様々な分野で話題にされることは今までになかったであろう。しかし、記憶の映像化にAIを絡めて物語を進展させる点には違和感を抱いた。そもそも脳科学的観点から記憶を映像化するという技術と、AIの技術は全く別物かと。
生成AIを使って、昔の写真から動画を作って実際にかつて生きていた人が映像によって蘇るように見えるとか、そういう文脈であればまだ納得感があるかもしれない。しかし、翔の仕事が脳科学を謳っていたのでそういう訳でもなさそうだし、そこにそこに取って付けたようにAIを絡めるのは少々乱暴な気がした。
次に出生前診断について。出生前診断というもの自体は存在していて、近年出生前診断を受けたいという女性も増えてきている。それは初演当時よりも今の方がより一般的になってきている証拠で良いことだと私は感じる。
しかし、私はどうして今作で出生前診断を登場させたのか釈然としなかった。
まず、睦美や田山たちが出生前診断というものを知らず、出生前診断に対して懐疑的なのがよく分からなかった。当時の田舎ではそんな感覚が一般的なのだろうか、ここは私が全然分からない部分なので誰かとも議論したいところだが。出生前診断は受けられるものなら受けておいた方が良いではないかと思うが。
ただ、皐月が出生前診断に積極的なのは、やはり皐月がまだ子供を産もうという覚悟に踏み切れていない表れでもあるのかなと思う。出生前診断で、もし何か異常が見つかったら産むか産まないか相談すると言っていたから。しかし、そこから中絶をするというのも大変な選択だと思うが。
とにかく、その出生前診断が物語上どう重要になってくるのか、こんなにも田舎では出生前診断をすること自体憚れることなのか、よく分からず消化不良だった。
そして臓器移植に関しては、割と分かり易い所だと思う。結構物語的に重要なエッセンスだと私は思うが、体感的にそこに言及している時間は短かったように思う。
睦美は、なんとしてでも父に病気を治してもらって店を再開させたい。そういう思いもあって肝臓の臓器移植を進めたいという希望に飛びつきたかったのだと思う。しかしそれだけでなく、皐月に指摘されていたように駒田と一緒にプロジェクトを進めたかったから、駒田のことが好きだったからずっと一緒にやっていきたかったのだと思う。それぞれの思いがどのくらいのウエイトを占めるのかは睦美にしか分からない。しかし、最後の睦美が割り箸を大量に投げつける動作からすると、やはり睦美の中で駒田が好きだったという感情も強かったに違いないと感じた。
この臓器移植の部分は、もっと社会的なテーマとして物語中でも大きく言及しても良いと素人ながら感じた。睦美は感情的な理由で臓器移植を進めようとするが、そこにはリスクがあることを周囲が批判するみたいな構図の方が没入しやすかったと思う。そこがちょっと他の事象に紛れて薄らいでいたような気がした。
そして最後に企業の隠蔽行為の話である。言いたいことは分かる。先日永井愛さん作・演出の二兎社『パート・タイマー秋子』(2024年1月)でも描かれていたが、不正など企業側の都合で本来やってはいけないことを企業が隠蔽して進めていたという事象は今でも社会問題になっており、自動車メーカーなどの不正は昨今のニュースでも新しい。
しかし、それをこのタイミングで駒田はこういう形で暴露するか?と思ってしまったし、無理やり物語に盛り込んできたような感覚があってしっくりこなかった。言っている意味は分かるのだが。
確かに海外から安く食品を輸入して、その食品に汚染された部分があって処理していたなどあるかもしれない。その汚染物質を海洋へ廃棄していたという設定は、今作が2013年に初演されていて、東日本大震災による福島第一原発事故の汚染物質の海洋中への放出が問題視されていたからかもしれない。
ちょっと企業勤めの人間を無理やり悪く描いているようにも見えて、私はしっくりこなかった。
最後にタイトルについて。『流れんな』の意味について。ここにはどういった意味が込められているのだろうか。
一つは、食事処「とまりぎ」と駒田の企業が推し進めていたPR企画のプロジェクトが流れて欲しくないという意味が込められているのかなと思った。そこには、睦美はずっとこの食事処「とまりぎ」を父と共にやっていきたいという強い思いと、駒田と一緒にプロジェクトを進めたいという思いがあると思う。だから、このPRプロジェクト流れんななのだと思う。
そしてもう一つは、皐月のお腹にいる胎児が流産しないでという睦美の思いもあるのかなと思っている。きっと睦美にとっては皐月には良い母親になって欲しいと切に願っているのだと思う。それは、自分のせいで母親が亡くなってしまい、妹に母親との時間と愛情を奪ってしまったという罪悪感があるから、もし皐月が母親になれないのであればそこには少なからず睦美の責任もあるから。だからこそ、皐月には流産せずに子供を産んでもらって母親になってもらって、その子供にとって良い母親になって欲しいという願望が込められているのだと思う。だから流れんななのだと思う。
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