舞台 「あゆみ」 観劇レビュー 2022/10/01
公演タイトル:「あゆみ」
劇場:すみだパークシアター倉
劇団・企画:果報プロデュース
作・演出:柴幸男
出演:石森美咲、稲田ひかる、井上みなみ、小口ふみか、田久保柚香、橘花梨、山本沙羅、前田綾
公演期間:9/28〜10/2(東京)
上演時間:約105分
作品キーワード:ヒューマンドラマ、泣ける
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
演劇集団キャラメルボックス所属の山本沙羅さんがプロデュースする「果報プロデュース」の舞台作品を初観劇。
「果報プロデュース」では、過去に第1弾としてアガリスクエンターテイメントの代表作である「ナイゲン」を2019年に上演しており、今回の公演は第2弾となる。
第2弾は、劇団「ままごと」を主宰する柴幸男さんを演出に迎えて、柴幸男さんの代表作である「あゆみ」を上演。
私自身、「あゆみ」は学生演劇で一度だけ観劇したことがあり内容を知っていたが、柴幸男さんの演出作品は初めての観劇となる。
「あゆみ」は、学生演劇や商業演劇でも多数上演されており、2018年には赤澤ムックさんを演出に迎えてけやき坂46(現・日向坂46)でも公演が行われている。
物語は、人は一生のうちに1億8千万歩くらい歩みを進めるというテーマを主題として、とある女性が生まれてから死ぬまでの人生を105分の上演時間で綴られる話となっている。
産まれて、学校に通って、初恋をして、上京して、結婚して、そして子供を産む。
そんな多くの女性が歩むであろう日常を、「あゆみ(歩み)」をテーマとして誰しもがその普遍性に共感出来るように創られた演劇作品となっている。
大学生時代に初めてこの作品に出会った時は、自分自身も田舎から都会へ出て生活をする身だったので、非常に共感出来て感動した記憶があったのだが、歳を取ってしまったせいもあり、脚本が持つあまりにもピュアでベタな台詞と演技にちょっとリアリティを感じなくなっていて、思った以上に刺さらなかった。
その上、特に前半部分の脚本に関しては、脚本が書かれた当時と今とでの価値観の違いも如実に現れていて、こんなに男尊女卑的な夫婦関係が今現在通用するのかなとか感じてしまって、割と脚本としての古さを感じてしまった。
一方で、今回の演出は後半部分の母親を亡くしてからの女性の登山シーンを際立たせたものになっていて、その演出が物凄く第2の人生を後押ししてくれる再生物語のようにも感じて素晴らしかった。
もちろん母親を亡くした女性に自己投影する観客も沢山いらっしゃると思うが、私はそこに日本社会の再生や、コロナ禍で弱ってしまった演劇業界の再生も反映しているように感じて、新しい「あゆみ」の作品を観たような感じがした。
舞台演出に関しては、とある主人公となる女性も複数人の役者が演じ、まるで舞台が一つの道としてずっと繋がっているかのように、下手に捌けて上手から登場する手法が冴えていた。
また、靴を使ってその人が一生を歩んだことを意味する演出も工夫がなされていて素晴らしかった。照明や音響の使い方も印象に残った。
役者陣も、凄く表現力豊かで全てにおいて愛おしく感じた。
「おかあさーん」と叫ぶ声、子供のように地べたを這いずり回る演技、犬の演技、全てが表情豊かで演劇を感じさせられた。
今作は間違いなく、これから頑張ろうと前進しようとする人をあと押しして元気を与えてくれる作品だと思う。
高校生や大学生であれば、学生時代の現在の自分の人生の歩みと照らし合わせられて、我が家を思い出して涙するだろうし、結婚してある程度歳を取った方でも、再び何か新しいことに挑戦して第2の人生を歩むその第一歩を踏み出させてくれる作品になるのではないだろうか。
↓戯曲『あゆみ』
【鑑賞動機】
今回の公演は2021年に新型コロナウイルスの蔓延により公演延期となってしまったが、その時からずっと観劇したいと思い続けていた。
ままごとの柴幸男さんの演出作品も観劇したことがなく、「あゆみ」は物語をよく知っている演目だったので、上演されると聞いて迷わず観劇することにした。
また役者陣も、Uzumeの「マトリョーシカ」や演劇集団キャラメルボックスの「サンタクロースが歌ってくれた」で好演だった石森美咲さんや、青年団リンクやしゃごの「きゃんと、すたんどみー、なう。」で好演だった井上みなみさんなど、魅力的な女優が多数出演されていたことも観劇の決めて。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーは、私が観劇した記憶なので、抜けや間違い等あるかもしれないがご容赦頂きたい。
人は一生のうちで1億8千万歩くらい歩みを進めるという言葉から始まり、とある女性の人生がスタートする。
母親に声をかけられながら、やっと立ち上がって一歩歩むことが出来たが、すぐに倒れる。
母親に、これを買ってほしいとごねる。母親はなかなか買ってはくれず、子供はその場で泣きじゃくりながらダダをこねる。
ある日、子供は道端で野良犬を発見して、子供になつく。そして自分の言まで連れ帰って、父親にこの犬を飼いたいと言う。全部自分が世話をするからという理由で、野良犬を飼うことになる。
その子供は、中野あみというのだが、彼女は小学校に入学し、尾崎さんという友達が出来る。尾崎さんとは以前拾った犬と散歩などをする。
とある授業のときに、尾崎さんは忘れ物を取りに行くからと中野の元を去る。そして周囲のクラスメイトから尾崎さんと仲良いんだーと囁かれる。中野は恥ずかしそうにする。
中野は尾崎さんの母の具合が悪いことを知り、お見舞いとしてりんごを渡そうとする。
中野は、ちょっとした熱で学校を休もうとしたが、母親に少しの熱なら学校に行くように言われたり、クラスメイトの男子から練り消しを投げつけられたりする。
高校生になった中野には、友美という親友がいた。中野はいつも電車で本を読んでいる先輩のことが気になっていた。友美は中野がその先輩のことが好きであることを知っていて、話しかけてくるように言う。
帰りの駅で、中野は本を読んでいる先輩に話しかける。そして自己紹介をすると先輩が読んでいる本を貸してもらうことになる。中野は大喜びで家で喜びのあまりはしゃぎ回る。
中野はそこから先輩から本を5冊借りて読んだ。
ある雨の日、中野は先輩と会ったときに、今度は先輩が書いた小説を読ませてほしいと依頼する。しかし先輩は小説なんて書いていないと答える。中野はではその先輩のペンだこは何なのか尋ねると、受験勉強のためだよと答える。
先輩の卒業式、友美に後押しされて中野は先輩が電車に乗って去ってしまう前に声をかける。そしてまずは本を返そうとすると、その本はあげると言われる。そしてそのまま先輩は電車に乗って去っていってしまった。想いを伝えることは出来なかった。
中野は上京して一人暮らしを始めることになる。母親と一緒に家を出る時、父親に挨拶をする。父親はぶっきらぼうな返事をする。母親は夕飯の支度の手順をメモに残してありますと父親に伝える。
中野と母親は上京する。途中惣菜屋さんに話しかけたりと寄り道する。
中野は、一人暮らしへの引っ越しを終えて、母親を駅まで送る。
中野は前田という先輩と夜遅くまで残業。クーラーを消してようやく仕事を終えると、飲みにでも行くかと前田は中野を飲みに誘う。中野はお金がないと誘いを断ろうとすると、前田はお金なら全部出すよと言う。
帰り道、前田はベロンベロンになって中野におんぶされながら帰宅する。
中野と前田はそれから仲良くなって、今度は2人で海に行こうということになる。2人は全身びしょ濡れになるまで海で遊ぶ。この格好で電車に乗ったら怒られてしまうねなどと談笑する。そして、2人は静かに手を繋ぐ。
そして中野と前田は付き合い始める。
中野は前田を連れて実家に帰って挨拶することになる。電車を降りると、中野に久しぶりと言ってくる男がいた。中野は誰だろうと最初は分からなかったが、練り消しを投げてきた梅原だと言うと思い出す。
そのまま前田は中野の実家に入って挨拶をする。
結婚式、中野は結婚式姿を母親と父親に見せる。父親は結婚式での歩く練習をしたいらしく付き合うことになる。
中野は妊娠することになる。お腹は次第に大きくなって陣痛が始まるとタクシーで産婦人科へ。娘が生まれる。
娘は自分が子供だった時みたいに、これ買ってとわがままが凄い。中野はピーマンが食べられるようになったらと娘を引っ張って帰る。
前田が険しい顔で、中野の父親から電話があって中野の母親が...と言う。中野は娘を連れて急いで母親の病院へ向かおうとする。しかし、その道中で父親から電話があり、その声を聞いてうずくまり泣き出す。
娘はそんな中野姿を心配する。そして中野は娘に謝り、アイスでも買って食べようと言う。
中野は初心者用コースの登山をすることになる。その道中で、中野は過去の出来ごとの続きを目にする。
中野が高校時代に好きだった先輩との最後の日、中野は借りていた本の感想を先輩に話す。そして先輩は、結局小説は途中まで書いていたけれど、書くのをやめちゃったのだと告げる。
また、中野と尾崎さんの小学生時代の思い出が登場する。尾崎さんは、結局母親は病気になったのだけれど死んでなんかいないよと言う。実は妊娠して弟が出来たのだと言う。そして今ではアメリカに行ったのだと言う。中野からもらったりんごのしんは近所の公園に埋めたのだと。
中野はそうこうしているうちに、山頂にたどり着く。同じく周囲には山頂にたどり着いた登山客がいた。
中野は自宅へ帰ると、娘が晩ごはんを準備してくれていた。中野は子供のように無邪気にはしゃぎ回る。娘はお母さん子供みたいと笑う。
役者たちが、靴を持って横一列になって、生まれてハイハイする所から、年老いて腰を曲げて歩くところまでを表現する。そして、靴をまるで誰かの足跡になるかのように並べて、その途中に登山で使ったリュックサックも置く。
人は一生のうちに1億8千万歩くらい歩くと言って、「最後の一歩」を踏み出す。そして上演は終了する。
前半は、とある女性がハイハイから立ち上がって歩けるようになる所から始まり、小学生時代、そして初恋の高校時代、上京、仕事先での恋愛、結婚、出産、そして母親の死という、多くの私たちが辿るであろう普遍的な人生体験が展開される。昔学生時代に観劇した時はこちらの印象が強く、その普遍性に凄く共感して感動した記憶がある。しかし、今回はもう自分がそこまで若くないという点と、時代の移り変わりによる価値観の変化もあって、純粋にこのピュアなシチュエーションを楽しめなくなっている自分がいた。
一方で、後半部分の母親を亡くした中野という主人公の女性が、初心者コースの登山を通して、時分の若かった頃を振り返って改めて時分の人生を見つめ直すことで、どん底に落ちた自分を這い上がらせようとしている感じがヒシヒシと伝わってきて心動かされるものがあった。そしてそれは、日本の社会全体の立場にも見えたし、昨今の演劇業界にも当てはまる内容に見えたので、また違った解釈を得ることが出来たと思う。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
今回の観劇を通じて、改めて今作の舞台演出は物凄く冴えていると感じた。
まず舞台装置は一切存在しない素舞台であり、客席はステージを挟んでステージの両辺に存在する。ステージが客席に挟まれている感じである。
そのため、ここでは舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていきたいと思う。
まずは舞台照明から。
舞台照明も特に鮮やかな明かりが入ることはなく、黄色い地の照明の強弱によって上手くシーンの見せ方を変える手法が功を奏していた。
例えば、中野に父親から母親の死について連絡があった時や、雨のシーンでの照明の明かりは抑え気味で、海ではしゃぐ時などの明るいシーンでの照明は高めにするといった演出である。その照明の強弱も一気に変わることがあって、例えば暗かったのが一気に照明が明るくなったりと、その時が凄く場転の効果もあって良い効果を発揮していた。
照明の吊り込み方も、ステージに対して両サイドから横一列に吊り込まれていたので、その特殊な感じが素敵だった。
次に舞台音響について。
基本的にはガヤが効果音として使われていた印象。例えば雨の効果音で雨のシーンを表したり、人混みのガヤで都心を表したり、学校もガヤでその臨場感を出していた。
あとは、終盤にE.エルガーの「威風堂々」が印象的だった。8人のキャストがそれぞれ一人の人間のハイハイする姿から年老いて腰を折り曲げながら歩くまでを、ストップモーションのように表現するシーンでこの曲が流れることで、それも物語の終盤だったから、人生の重みみたいなものを感じさせられて、長生きしよう!とか、毎日毎日を積み重ねていくことは重要だと思わせてくれる演出で良かった。
最後にその他演出について。ここに関しては、最後の考察部分でも触れる内容があるので、それ以外の印象に残ったものについて記載しておく。
やはり、一番の特徴が「あゆみ(歩み)」をテーマにした物語ということで、8人の役者が様々な立場の登場人物を演じながら、舞台上手から下手へ、そしてまた上手に戻ってという形で、一つの道になっているように上演される形式が、改めて観劇してみて上手い演出方法だと感じた。それは、生まれた時から死ぬ時まで途切れることなくずっと続いている歩みの一歩であるから。だからこそずっと地続きでシーンが繋がっているという演出は素晴らしいと思う。
あとは「靴」を使った演出も興味深かった。靴を色々なものに見立てる。例えば、靴を犬を繋いだロープのグリップにしたり、傘の持ちてにしたり、電車のつり革にしたり。そうやって物語前半で靴の存在を目立たせておいて、後半に靴を並べることによって、その靴というのは人生を歩む過程であることを印象づけているような感じがした。人生の中での何気ないシーンも、その人の人生のうちの一つで、その積み重ねによって自分の人生が形作られているということを意味している気がしていて良かった。
あとは、最後のシーンで靴が並べられるが、その並べ方がまたそれぞれで、その時の人生を物語っているようで楽しかった。互いの靴が寄り添って置かれていると恋愛を想起させられるし、バラバラに置かれているとヤンチャだった幼少時代を想起されるし。そして終演後にその靴たちがそのまま置かれているというのも良かった。当然最後は「最後の一歩」なので、主人公である中野は亡くなってしまったと考えられるが、その彼女の歩みを俯瞰して見ているような感じがして、人生というものを凄く感じさせてくれる終わり方だなと思って素敵だった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
とにかく登場人物全員が、表現力豊かで素晴らしかった。これぞ演劇を観ているなあといった感じで、映像作品では絶対になされないような演技が沢山詰まっていた。
今作はほとんどが20代の女性たちによって、赤ちゃんから老人までの姿が表現されていたが、それが凄くしっくりくるというか演劇だからこそ、20代の女性が赤ちゃんを演じても違和感がないし、犬を演じても違和感がなくて、だからこそこの作品の良さを出している感じがして素晴らしかった。
特に印象に残ったキャストについて触れていく。
まずは、演劇集団キャラメルボックス所属の石森美咲さん。石森さんの演技を拝見するのは、Uzumeの「マトリョーシカ」、キャラメルボックスの「サンタクロースが歌ってくれた」に続いて3度目。
石森さんは、子供のダダを捏ねる演技が本当に好きだった。「おかあさーん」と叫びながらわがままを言う感じ、凄く表現力豊かで素晴らしい女優さんだなと改めて思った。あそこまで感情を爆発させて演技出来るっていうのも、なかなかこの歳になってしまうと難しいと思うが、そんなハードルをたやすく超えている感じが、さすが舞台女優だった。
次に、小口ふみかさん。小口さんの演技を拝見するのは初めて。
8人のキャストの中で一番清楚な感じというか、凛々しい感じがあって上品さが際立っていた。
特に、中野が結婚するときの実家で結婚式姿で母親に観てもらっている時のシーンが印象的。大人の女性っぽさを出していて、まるでウエディングドレス姿がそこに見えるかのようだった。
次に、スペースクラフト・エージェンシー所属の稲田ひかるさん。稲田さんの演技を拝見するのは初めて。
彼女はどちらかというと、脇役に回ることが多かった印象。だけれど、その中野の周囲の人間ぽさを演じるのが素晴らしかった。特に高校生時代、小学生時代の周囲を演じる感じがハマっていた。
次に、青年団所属の井上みなみさん。彼女の演技は青年団リンクやしゃごの「きゃんと、すたんどみー、なう。」以来2度目の演技拝見。
8人のキャストの中で一番ボーイッシュだった印象。もちろん髪型もあるがなんとなく声の感じとかが格好良い感じがする。
一番印象に残ったのが、登山中の回想シーンでの尾崎さんの役。尾崎さんの母はその後大丈夫だったのかというくだりで、尾崎さん演じる井上さんが、弟が出来た話やアメリカへ行った話をするときに、やたらと堂々とした子供らしさを感じられて好きだった。声も凄く少年ぽいから凄くしっくり来る。
大沢事務所所属の田久保柚香さんも素晴らしかった。
田久保さんの演技は初めて拝見したが、第一印象は凄く伊藤沙莉さんに似ているなということ。ハスキーボイスで、かつ髪型がゴワッとした金髪だったので、映画「タイトル、拒絶」に出演していた伊藤沙莉さんを想起した。
田久保さんも子供の無邪気さを演じる演技が素晴らしかった。熱量を感じさせる演技を常に感じて元気がもらえた。
橘花梨さんも素晴らしい役者さんだった。橘さんの演技も初めて拝見する。
橘さんは、犬の演技が印象的だった。お尻をフリフリさせて犬が喜ぶ姿を演じるのが凄く上手い。こういう感じは演劇でないと絶対に出すことができない。映像作品なら本物の犬を使ってしまうだろうから。そこを役者が演じるからこそ、作品全体が醸し出す温もりが感じられて良いのだろうなと思う。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
先述したように、私が「あゆみ」を初めて観劇したのは大学生のときなのだが、その時は自分がまだ田舎から都会へ一人暮らしを始めたばかりだったこともあり、特に今作の前半でいう、登山をする前の物語の普遍性のある人生展開に物凄く感動した覚えがある。しかし、三十路手前の私にとっては、もうそのようなピュアなシーン展開では心は動かされなくなっていた。
一方で、今作の後半部分の中野が母親を亡くして登山をするシーンに、物凄く今作の面白さを感じることが出来た。それは、今回柴幸男さんが新しい「あゆみ」を生み出すために、初めて今作で取り入れた演出が功を奏したためであろうと思っている。
ここでは、演劇の時代の変遷によるアップデートについてと、後半部分の演出について考察していこうと思う。
演劇の脚本には、その時代性が反映されるものなので、当然昔の脚本を今上演してみると、その古さに観客が引いてしまうことがあると思っている。以前にも、アガリスクエンターテイメントの「ナイゲン」でも、コロナに入ったことによって感じた脚本の古さがあった。
しかし演劇は生もので映像作品と違って生きている。同じ演目でも演出手法を変えることによって、その時代にマッチするようにアップデートすることが出来る。まさに今回の「あゆみ」も、2022年の現代風にアップデートされた「あゆみ」だと捉えた。
今回の「あゆみ」で、今までの「あゆみ」と大きく異なった演出は、登山をする中野あみが前田綾さんが演じるその人に固定された点である。それまでは、中野を様々な役者が代わる代わる演じることによって、人生の普遍性みたいなものを謳ってきていた。
中野を固定することによって、今までのシーンは自分の等身大のシーンだと捉えながら観ていた所から、ある種中野を俯瞰するような形で彼女の人生を見守る立場に置き換わった感じがした。それによって、中野が体験する登山の初心者用コースが、自分だけではなく他のものにも置き換えられると感じた。
そこからは登場人物が衣装を着て登場するなど、明らかに前半と印象の異なるシーンが続いていくが、一番は中野が前田綾さんに固定されたことで、中野が自分だけではなく、例えば日本社会全体の低迷にも捉えられるし、コロナ禍に入って低迷した演劇業界全体とも捉えられたのである。これは、間違いなく今までの「あゆみ」の演出では見えてこなかった解釈の仕方なんじゃないかと思う。
日本社会にも過去に華々しい出来事があった。高度経済成長を成し遂げて、世界トップクラスの国へと成長することが出来た。しかし、近年はそのような目覚ましい勢いは消えてしまい低迷した状態である。中野自身も、今までは学生時代に恋をして上京して、好きな人が出来て結婚して子供が出来て、順風満帆な人生だった。しかし、最愛の母親を亡くしてしまうことで、自分の人生を大きく揺り動かす苦難を経験する。登山というのは、中野のある種、そんな困難を打破しようとする修行のようにも感じられる。順風満帆な時と比べて、前には進めていないかもしれないけれど、人生に小休止だって必要だと、台本の中の台詞でもあった気がする。そういった、今後のための人生の小休止が今の日本社会とも対応する気がした。
さらに、コロナ禍で打撃を受けた演劇業界とも、この中野は解釈出来ると感じた。コロナ禍前は当たり前のように公演を企画して上演していたが、コロナ禍に入ってからその当たり前が通用しなくなってきた。実際、今作も2020年に上演されるはずだったが、2021年の上演すら叶わなかった。これもある意味、演劇業界に課された使命のようなもので小休止状態だったかもしれない。
そんな順風満帆さと小休止というのを、中野を固定化して客観視したことによって、自分の人生だけに囚われず、日本社会や演劇業界といった形にも連想させられるよう演出した点は、今作をアップデートしたという観点で物凄く意味のある上演だったのではと思う。だから私は、今作はあらゆる人、事象の再生の物語なんだと捉えることが出来た。
ただアップデートされた部分は後半部分だけであり、前半部分の田舎の男尊女卑的な家庭の価値観や、人生とは学校で友達作って、恋をして結婚して、子供産むものという、普遍性の押し付けもあるような気がして、多様性が謳われる現代社会の価値観とは少しずれていて古い価値観に支配されていることは否めなかった。
その点には違和感があったので、個人的には全てしっくりいったアップデートだとは思わなかったのだが、後半部分の割と今作のアイデンティティとなる要素を排除して、中野を固定化するという演出手法は功を奏していると思った。
学生時代観劇した「あゆみ」を10年越しに、30歳手前にして改めて観劇したことで、自分の齢を重ねたことによる感性の大幅な変化と、時代の大幅な変化による価値観の変貌を実感した。
たった10年といっても、自分の感性や時代の価値観はここまで変わっていき、そして素晴らしい作品でも色あせていくものなのだなと感じた。
しかし、後半部分を上手くアップデートした柴幸男さんの演出力は素晴らしいものだと思うし、改めて演劇をアップデートしていくものの良さを痛感させられた気がした。
↓石森美咲さん過去出演作品
↓井上みなみさん過去出演作品
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