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舞台 「風景」 観劇レビュー 2023/06/10


写真引用元:劇団普通 公式Twitter


写真引用元:劇団普通 公式Twitter


公演タイトル:「風景」
劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
劇団・企画:劇団普通
作・演出:石黒麻衣
出演:用松亮、岩瀬亮、浅井浩介、安川まり、坂倉奈津子、鄭亜美、岡部ひろき、泉拓磨、早坂柊人、青柳美希
公演期間:6/2〜6/11(東京)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:田舎、家族、会話劇
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


石黒麻衣さんが作演出を務める「劇団普通」の演劇を初観劇。
「劇団普通」は2013年に旗揚げし、2021年に若手劇団の登竜門とされる三鷹市芸術文化振興財団の森元隆樹さんによるオリジナル事業である「MITAKA "Next" Selection 22nd」に選出され、テアトロコントvol.58にも出演するなど、そこから徐々に知名度を上げる劇団となっている。
「劇団普通」は、全編茨城弁で描く会話劇が特徴的な作風である。
今回の上演は、そんな「劇団普通」の新作公演となっている。

物語は、祖父が亡くなって実家に親戚が集った日とその後の、家族、親戚にまつわる群像劇となっている。
主人公とされるのは由紀(安川まり)という女性で、彼女は東京で旦那さんと暮らしているが、祖父の他界を機に久しぶりに実家に帰省している所から物語は始まる。
そこからシーンは、葬式の直後の喪服姿のシーンに移って、由紀の兄である広也(岩瀬亮)や父方の叔父である利夫(浅井浩介)、そして利夫の息子の蒼太(岡部ひろき)など親戚が集って、彼らの日常的な会話から徐々にこの家族と親戚の現状が明らかになっていく。

小劇場界隈で数年前から非常に話題になっていた劇団で、私は今回満を持して観劇することが出来たが、「劇団普通」の演劇を観て感じた第一印象は、非常に石黒さんの演出力が素晴らしいものだなと思ったことである。
茨城弁という方言を使いながら、役者たちが非常にリアルな形で会話を繰り広げていて、そこには日常会話なのだけれど、どこか130分間一瞬も飽きさせない観客を惹きつける力があって見応えがあった。
石黒さんの演出によって作り出される空気感が、なんとも地方の濁った閉塞感を重々しく観客に突きつけてくる感じがあって、地方出身の私にとってはじっとしていられないくらい憤りや良い意味で不快感を感じさせるシーンがあって素晴らしかった。

一方で、過去の作品を知らないので今作に限った話でいえば、脚本に関してはもう一歩描きたいテーマをシャープに絞って踏み込んで欲しかったなという印象を個人的には抱いた。
地方の閉塞感と家族・親戚の会話劇というのは、「劇団普通」に限らず多くの演劇団体が上演を試みている作風でもある。
そんな中で、当劇団のオリジナリティが「全編茨城弁」という以外にも欲しかったと同時に、ストーリーには起承転結があまりなくて、閉塞的な地方で起きがちな親戚付き合いの居心地の悪さや、相続問題、出産に対する価値観の違いなどが散りばめられているが、その内容によって観客はどういったメッセージを受け取ったら良いのか、作者の主張は何だったのかがあまり掴みきれなくて少々腹落ちしない点が個人的には気になった。

役者陣は、見事な茨城弁による演技で素晴らしかった。
特に、由紀の父親役を演じた用松亮さんの演技には、そのあまりにもリアルすぎる父親の姿に何度も笑いが込み上げた。
また、蒼太役を演じた岡部ひろきさんも、見た目は幼いのだけれど、中身は凄くしっかりしていて且つ、周囲の環境に翻弄されてずっと気を遣っている感じが滲み出していて凄く心が揺さぶられた。

私の期待値が高かったせいもあるので、特に脚本については気になった箇所は多少あるものの、見事な演出力と空間作りの上手い劇団であることはこの目で確かめることが出来て素晴らしかったので、多くの方に観て欲しいと感じるし、今後の劇団としての益々の飛躍をお祈りするばかりである。

写真引用元:ステージナタリー 劇団普通「風景」より。(撮影:福島健太)


【鑑賞動機】

本当ならば、2021年8月に上演された劇団普通の『病室』で初観劇となるはずだったが、私の都合がつかなくなってそこから観劇のタイミングを逃していた。
しかし、今回は非常に情報解禁が早かったので、日程を調整することが出来て満を持して観劇することにした。
前評判が良いのもあって、期待値は高めだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

由紀(安川まり)が登場して椅子に座り、その後に続いて由紀の母親(坂倉奈津子)が登場して椅子に座る。由紀は白いハンカチを兄の広也から借りて使ったと言うが、母親はもしかしたら広也の妻のものかもしれないからすぐ返すように言われる。
由紀の兄の広也(岩瀬亮)がやってきて椅子に座り、その後に、由紀の父親(用松亮)がやってきて椅子に座る。
母親は広也に対して、さきほどの祖父の葬式でなんであんなことを言ったのかと責められる。広也はひどく暗い顔をしながら色々答える。
由紀は、亡くなった祖父の筆を一本、持ち帰りたいと言う。亡くなった祖父との思い出ということで、何かものが欲しいのだと言う。以前祖母が亡くなった時も、ものがいつの間にか捨てられてしまったから、そうなる前に持っておきたいと言う。

黒い座卓の周りに、由紀の父方の叔父である利夫(浅井浩介)、利夫の息子で高校生くらいの蒼太(岡部ひろき)、由紀の父方の従妹である紗英(鄭亜美)と夫の優太(早坂柊人)、紗英の妹の道子(青柳美希)と夫の貴之(泉拓磨)が喪服姿でやってくる。さらに、広也と由紀も喪服姿でやってくる。
利夫は広也をずっと羨ましがっている。広也が成績良くて優秀で、良い大学に行って良い企業に就職して、結婚もして子供もいる。ずっといいよなと言い続けて広也はずっとそっぽを向きながら戸惑っている。
利夫は外車が好きであるという話を始めてから、利夫と広也との間で会話が盛り上がる。二人は外にある利夫の外車を見に行くためにその場を去る。

蒼太は、父親である利夫が休日はいつも出かけて車を見に行っていると言う。そして、良い車を見つけては購入して、車庫も複数あるのだと言う。その話を聞いて、他の親戚の人々は驚く。一体利夫にそんな金どこにあるのかと、きっと亡くなった祖父(利夫からすると父)が出してくれていたのだろうと言う。
蒼太は、周りの親戚から家のこと色々やってたり勉強も出来て偉いねと褒められる。蒼太は、利夫と広也が戻ってこなくて心配なので見てくると言って、外へ行ってしまう。由紀と紗英と道子も後を追って外へ向かう。
優太と貴之の二人が残る。二人は座卓を囲いながら、従兄弟の中で一番上の広也と一番下の蒼太は、ああやって気にかけてもらえて良いよなと呟く。兄弟の中間の自分たちは全く気にかけてもらえることもないからと。貴之は外へ行ってしまう。
しかし、紗英は戻ってくる。紗英はつわりがあるようで苦しそうである。夫の優太が優しく看病する。お腹に子供がいることを誰に先に言ったかの話をする。言う順番で色々気を遣っていたようである。

由紀が椅子に座る。その後、母親と父親も椅子に座る。広也とその妻である亜季(鄭亜美)も椅子に座る。
皆は、広也と亜季の子供のダイキの話をする。ダイキはずっとゲーム三昧のようである。亜季もずっと引きこもりの状態だったが、徐々に顔を出せるようになったようである。
亜季と広也は立ち去る。由紀は母親に対して、なんで母親がダイキの迎えまでやってあげているのかと追及する。それをやるのは亜季の役割ではないかと。母親は、そのことについてはあまり気にしておらず、週に1回だけ(記憶が曖昧)頼まれたから迎えをしていると言う。
由紀は両親から、旦那とは東京で順調なのかと聞かれる。由紀は順調だと答える。そして子供はいつ産むのかと問われる。子供をつくらないと、年取った時に面倒を見てくれる人がいなくなると母親は言う。
由紀は、ふと祖父との思い出の話を始め、一度祖父に連れられて祖父の兄夫婦の家に行った時のことを思い出す。クリーニング屋をやっているという兄夫婦の家。母親も父親も知らないと言うし、戻ってきた広也も知らないと言う。なぜか由紀だけ祖父が連れて行ってくれたようである。その兄夫婦の奥さんに、由紀は「これはピアノの手だね」と言われたということを口に出す。

座卓のところへ、利夫と蒼太がやってくる。利夫は祖父も亡くなったし、この家を新しくして住もうかと尋ねる。それとも、今の面影があるこのままの家の方が良いかとも尋ねる。蒼太は、新しくして欲しいと言う。今までの暮らしに思い出などないからと。蒼太は利夫にずっと気を遣っているようである。
道子と貴之の夫婦の会話。しばらく祖父の家に行っていないけれど、今頃どうなっているだろうかと会話する。そこから、由紀のことについても話があがって、由紀は東京で挙式挙げたら遠くて行かなかったみたいな会話をする。
紗英と優太の夫婦の会話。紗英は、祖父の兄夫婦のクリーニング屋の話をする。今頃どうなっているかと。もうすっかり疎遠になってしまったと言う。

由紀がやってきて椅子に座り、同じように母親と父親も椅子に座り、広也と亜季夫婦も椅子に座る。ダイキは眠っているようである。
広也は昔話を語る。祖父の家に泊まりに行ったとき、まだ小学生だったが父親が夏休みの宿題をやっていないと祖父の家まで夜やってきてドリルをさせたという話である。父親は勉強熱心だったと言う。
由紀は、またクリーニング屋の兄夫婦の話をする。「これはピアノの手だね」と言われた話。
広也と亜季夫婦は、ダイキが泣いているのを聞きつけて去る。父親は、由紀に一枚の紙を見せる。それは、由紀と同世代の芸能人が出産したというニュースだった。由紀の同世代も出産しているぞと父親は子供をつくるように促す。由紀は薄い反応を示す。
母親は、再び子供をつくらないと年取った時面倒を見てくれる人がいないよと言う。由紀は薄い反応をする。ここで上演は終了する。

特に起承転結がある訳ではないけれど、青年団の現代口語演劇理論と異なるのは、日常を描いているようで結構台詞的に感じられた点と、どこかの日常1日を描いているのではなく、時間を隔ててシーンを描いている点である。だから描くシーンは、創作者側の意図もかなり入っている、いわば創作者の意図を含めて日常を起承転結なく描いた感じに思えた。
地方の閉塞感ある暮らしのマイナスな面、つまり長男は可愛がられて、真ん中の兄弟はあまり目にかけてもらえない感じや、その親戚間での地方で働く、都内で働くということが意味する価値観の違い、結婚して子供を産まなければいけないという価値観、親戚同士を繋げていた家族の死による疎遠になっていく感じなど、色々な側面が描かれていた。
しかし、たしかにそういった問題や光景はたしかにリアルではあるものの、そこから観客に提示されるメッセージというのを感じられなくて、受け取り方に困った感じがあった。中途半端な感じで、現代口語演劇理論のような起承転結のない手法を取り入れつつ、物語的に仕上げたからではないだろうか。そこが気になった。
あとは、序盤に登場する由紀が亡くなった祖父の筆を大事にする云々の出来事が後半にあまり聞いてこなかったことと、「これはピアノの手だね」と言っていた兄夫婦の話が他と結びついてこなくてモヤモヤした。なんとなくそれを登場させた演出意図はわかるが、作品全体のまとまりとして機能していないように思えた。

写真引用元:ステージナタリー 劇団普通「風景」より。(撮影:福島健太)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台音響はなく、舞台装置もシンプルで非常に洗練された感じの舞台美術だった。
舞台装置、舞台照明、その他演出の順番で見ていく。

まずは、舞台装置から。
先述したように舞台セットはとてもシンプルで、下手側に大きな明るい茶色のダイニングテーブルがあって、その周囲に背もたれのあるしっかりめの椅子が5つ置かれていた。5つのうちの3つは、客席と相向かいになるように置かれていた。そしてその両サイドのテーブルの辺に一つずつ椅子が置かれている。また、その天井には大きなインテリア照明が一つ垂れ下がっていた。そこでは、主に由紀の両親と由紀と広也夫婦の会話が繰り広げられる。
上手側には、黒色の高さの低い座卓が一つ置かれていた。そこでは主に、利夫と蒼太親子の会話と葬式のシーンが繰り広げられる。
あとは、背後に巨大な存在感の強い壁が一つ置かれていた。その壁はシーンによって少し動かされたりしていた。なぜ壁が動くのかはよく分からなかったが、時間の経過を表しているようにも思えた。
全体的にシンプルな舞台セットだが、この洗練された舞台空間だからこそ、役者同士の会話にグッと引き込まれたのかもしれない。全くノイズがなくて観やすい舞台空間だった。

次に舞台照明について。
シーンによって舞台照明は変化した。その変化の仕方も非常にゆっくりで、もちろん役者が着替えて登場する時間稼ぎとかもあったかもしれないが、舞台空間の余韻をしっかり残す演出に見えて功を奏していた。
あとは、由紀の両親が住む家族の家のシーンでの照明、つまり下手側で芝居が繰り広げられているシーンでは、インテリアもあってか非常に温かく明るみのある照明演出に感じ、一方で利夫と蒼太の暮らす家、つまり上手側で芝居が繰り広げられるシーンでは照明が暗く感じられた。このように明暗がはっきりしている照明演出になっていたのは、言うまでもなく由紀の実家は長男である広也が結婚して子供がいて幸せな家族であるのに対し、利夫と蒼太の家族は利夫の妻もいなくなってしまって金もなくて非常に生活的に厳しい家族であることを象徴しているのだと思う。そう考えると、なんだか残酷だった。

最後にその他演出について。
この舞台では、大きく下手側の由紀の実家のシーンと、上手側の利夫の家のシーンを描いていて、そこで兄弟であるにも関わらず父親(用松亮さん)と利夫(浅井浩介さん)が全く交わらない所に家族の闇を感じる構成になっていた。全てを描くのではなく、今作の劇中で描かれた所から劇中では描かれていないその余白を想像させゾッとさせる演出に素晴らしさを感じた。そういった演出は他にもあって、例えば利夫と広也が二人で利夫の外車を見に上手側へ捌けて行ったシーンも、その外で何が起きているのかを観客は想像するしかない。でも序盤のシーンから、きっと何か広也が言ってしまったのだろうと想像出来る。そういう怖さを感じさせる観せ方も良かった。
あとは全編が茨城弁で、非常に皆が訛りがあるけれど、癖の強い訛りじゃなくてちゃんと意味が分かるから観ていて安心した。
これは考察パートでもしっかり触れようと思うが、起承転結のない青年団の現代口語演劇理論に近い演出手法を取りながら、同時発話といった劇中で複数の会話が発生する演出は取り入れられていない。会話の内容や話し方、空気感はとてもリアリティのあるものだったのだが、役者の台詞の発し方は、どこか台本を読んでいる感じがあってナチュラルではない箇所も見受けられて、そこをもっとブラッシュアップした方がしっくりくるのではないかとも思った。父親役を演じた用松亮さんはかなりリアリティがあったのだが、どこかそれ以外の役者さんは台詞を言っているような感じがあって、そこに差があるような気がしていて気になった。

写真引用元:ステージナタリー 劇団普通「風景」より。(撮影:福島健太)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

とにかく役者陣が小劇場界隈の中では豪華で、こういった静かな会話劇を巧みにこなす役者が集結している印象だった。
特に印象に残った役者を中心にまとめていく。

まずは、主人公と思われる由紀という女性を演じた安川まりさん。安川さんの演技は、劇団た組の『ドードーが落下する』で拝見している。
東京で結婚して暮らしているという感じに違和感のない役柄がハマり役だった。この由紀という女性は、たしかに東京で旦那と暮らすというのが一番幸せを感じやすいのかもしれない。両親の会話に全然帰ってこないとあったから、きっと東京での生活が彼女に合っているのだと思う。しかし、祖父の筆を形見として取っておきたいと切望したり、祖父の兄夫婦のクリーニング屋へ遊びに行って、「これはピアノの手だね」と言われたことを強く覚えていたりなど、幼少期に過ごした地元での思い出は大切にしまっておきたい印象を受けた。由紀にとっては、まさに地元は自分をすくすくと育ててくれた良い思い出が沢山残る場所だから、過去のそういった思い出とともに地元を大事にしたいのかなとも思う。だからこそ、地元での思い出を幼少期の思い出のままにしておきたいという気持ちもあるのかもしれない。
安川さん自身は、凄く繊細で静かな演技を上品にこなされていて、こんな小劇場で演技をまじまじと観たことがなかったので、すっかり魅了されている自分がいた。

次に、父親役を演じた用松亮さん。用松さんの演技は、玉田企画の『夏の砂の上』で拝見している。
とにかく用松さんが演じる田舎の方言強めな主人のリアリティが凄すぎて笑ってしまった。あのちょっと不器用な感じ、娘の由紀に出産してほしくて芸能人の出産をしかも印刷して渡す感じが面白かった。
身振りや声の出し方もリアルで、どこからが台本なのだろうと思わせるくらい役が馴染んでいた。こんな感じの田舎の主人はいそうだと思わせるくらいリアルで優しそうな主人だった。

次に広也役を演じた岩瀬亮さん。岩瀬さんの演技は、五反田団の『愛に関するいくつかの断片』『いきしたい』や、ゆうめい『娘』で演技を拝見している。
あの空虚な感じの表情と喋り方が、田舎に住む閉塞感漂う男性という感じがあってハマっていた。利夫に頭がいいなあとしつこくすり寄られた時の、今にも怒りが爆発してしまうんじゃないかという不機嫌な態度が凄く緊迫感を与えていて良かった。
茨城弁も違和感なく自然に入ってきて素晴らしかった。

次に利夫役を演じた浅井浩介さん。浅井さんの演技は、五反田団『いきしたい』やゆうめい『娘』で演技を拝見している。
非常に兄貴にコンプレックスを抱いているのだろうなという態度があからさまに現れていて、ちょっと怖くもあったけれど演技として好きだった。
全面的に憎めないなと思うのが、息子の蒼太に対しては凄く優しいところ。頼りない父親であるが、蒼太に対する愛情はひしひしと伝わってきて良かった。

最後に、蒼太役を演じた岡部ひろきさん。岡部さんの演技は、玉田企画の『夏の砂の上』、ハイバイ『ワレワレのモロモロ2022』で演技を拝見している。
以前観た作品での演技は、どちらかというと大人っぽい印象を受けたが、今回は役柄もあって真逆で高校生ということで幼く見えた。
しかし、見た目は幼く見えても内面はしっかりしているなという印象を演技からまざまざと感じさせられた。ちょっと顔を渋らせて気を遣いながら父の利夫の言うことを聞く感じが、どこか見ていて苦しかった。凄くこの高校生でまだ10代の彼に負担がいってしまっている感じがもどかしかった。
そして、数年経った後半のシーンでの利夫と蒼太のシーンでは、少し蒼太が大人っぽく見えてその変化も面白かった。

写真引用元:ステージナタリー 劇団普通「風景」より。(撮影:福島健太)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

2021年8月に「MITAKA "Next" Selection 22nd」に選ばれてからずっと観たいと思い続けていた劇団普通を満を持して観劇した訳だが、石黒さんの演出力は本当に素晴らしくて、130分をあっという間に感じさせるくらい釘付けになる舞台空間を作り上げていて実力は本物だと感じた。一方で、今作でいえば脚本はまだ伸び代があるのかなと一観劇者として感じた。
ここでは、今作で描かれる地方の閉塞感についての考察と、この脚本の描かれ方で抱いた疑問を記載していこうと思う。

私も地方出身なので、地方で暮らすことによって抱える閉塞感、空虚感というのはよく分かる。だから東京に暮らしているというのもあって、そういう点で由紀という人物と自分は重なる部分が多かった。
由紀の両親は、凄く子供思いだが昔ながらの価値観を押し付けたがる典型的な田舎の夫婦である。子供を産みなさいとか、東京で暮らすこと=遊ぶことだと捉えているあたりとか。私が今作で憤りを感じたのは、紗英や道子のような従妹が地元で結婚して暮らしていることを、由紀よりもしっかりしていると捉えている所である。田舎で暮らそうが、地元で暮らそうが自分の歩みたい道を歩んでいれば優劣なんてないと考えていた自分だが、そうやって地元に戻ってくること=偉いという価値観を押し付けてくる部分に良い意味で不快感を抱いた。
まだ由紀の両親が子供が由紀以外にいなくて後継がいないとかであれば分かるが、そうでもないのに子供を産むことを強く強いてくるのはちょっと不快だった。ラストシーンで、由紀が言葉を詰まらせていたのを観ていると本当に由紀が気の毒になってしまって観ていられなくなる。そんなに由紀を責めないでって思ってしまう。
由紀の母親は、子供を産まないと年取ったときに面倒を見てくれる人がいなくなると言うが、本当は両親たちが早く孫の顔を見て楽しみを見出したいがためなんじゃないかと思ってしまって、それは決して娘のための進言ではないなと思ってしまう。

地方の閉塞感という点では、利夫と広也の葬式後のやりとりも見ていられなかった。
広也の父親はおそらく亡くなった祖父の長男、だから可愛がって育ててもらえて、その息子、つまり亡くなった祖父にとっては初めての孫ということで相当可愛がって育ててもらったはずだろう。それが利夫としてはきっとよく思っていなかったのだろう。劇中の会話を聞いていると、亡くなった祖父と利夫は良好な関係性ではなさそうだった。たしかに利夫は祖父からお金はもらっていたかもしれないが、きっと愛情は注がれていなかったように思える。
だからこそ、そういった家族内の待遇の違いで利夫は広也を気に入らなかったのだろう。だからあんなにしつこく頭がいいねえなんて言ったのだろう。
しかし、紗英の夫婦や道子の夫婦はもっとスポットライトが当たらなかった。きっと女性だしお嫁に行っちゃうからという点で、きっと丁重に扱われなかったんじゃないかと思う。紗英が妊娠しているということも家族の人たちは誰も話題にしなかった。
こういう形で、何番目に産まれるかによって親に大事にされるかされないかが決まってしまう地方の家族は大変息苦しいものである。

しかし、そんな田舎を去って東京に行ってしまった由紀にとっては、幼少期に過ごした田舎の思い出は美化されていたんじゃないかと思う。例えば、亡くなった祖父の筆を持って帰ろうとしたり、祖父の兄夫婦に「これはピアノの手だね」という言葉は大切に心のうちにしまってある。そういう懐かしさを感じさせる点では田舎は素晴らしいものじゃないかと思う。
しかし、由紀とは対照的に蒼太は自分の自宅に対してネガティブなものしか感じていないのかもしれない。蒼太は、あまりこれまでの暮らしに思い入れはなく新しい家に早くしようと望んでいるくらいに感じた。こうやって、自分が置かれた境遇によって自分が育った田舎へのイメージも変わってしまうから考えさせられる。
利夫は他の兄弟から見捨てられて、自分と蒼太だけで住んでいて、だからこそ蒼太があそこまで気を使う必要にかられたというのは、家族全体の責任にも感じられるし、そういった束縛関係が親戚同士で存在してしまうのも田舎の負のライフスタイルな気がする。

では、ここから私が今作を観劇していて抱いた疑問について触れていく。
先述したように、序盤で祖父の形見としての筆の話題など亡くなった人々の思い出について言及されるシーンがあって、今作のテーマに繋がってくるのかと思いきや、後半から終盤ではあまり描かれなかった。
また、田舎の負のライフスタイルを様々な角度から描いたものの、それらが一つに交わってくることもなくバラバラに感じられた。その結果、ただただ作者は田舎って生きにくい世界なんですよというのを突きつけてくるくらいしか受け取るものがないように感じてしまった。演出力は高くて、高い集中力で観劇は出来たが。

特に今作を通じて主張したいテーマがぼやけた結果、起承転結の内容には見られなかったし、青年団の現代口語演劇理論まで振り切れば面白みがあるのだが、そうではなく日常だけれども部分部分を切り出したシーンのみを意図的に繋げてシーン構成はなされていて中途半端に感じられた。
なぜ作者は、葬式の直後のシーンを切り出したのか、なぜその数年後のシーンを紗英夫婦、道子夫婦、利夫親子などを切り出してシーンに盛り込んだのか。その意図は分からなかった。
田舎のとある日常を見せたいのなら青年団的に葬式の一日だけ切り出してシーン作りすれば良いし、祖父が亡くなって徐々に家族が疎遠になっていく過程を示したのなら、もっとそこにフォーカスして物語的に描いた方が良かったと思う。とにかく申し訳ないが中途半端な印象を払拭出来なかった。

一観劇者の意見なので、もっと知識を有した人がみれば違った解釈があって、こんな演出でもアリになるのかもしれないが、少なくとも個人的にはそう感じた。

写真引用元:ステージナタリー 劇団普通「風景」より。(撮影:福島健太)


↓用松亮さん、坂倉奈津子さん出演作品


↓岩瀬亮さん・浅井浩介さん出演作品

(岩瀬亮さんのみ)


↓安川まりさん過去出演作品


↓鄭亜美さん過去出演作品


↓岡部ひろきさん過去出演作品


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