舞台 「きゃんと、すたんどみー、なう。」 観劇レビュー 2022/07/16
公演タイトル:「きゃんと、すたんどみー、なう。」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:青年団リンク やしゃご
作・演出:伊藤毅
出演:豊田可奈子、とみやまあゆみ、緑川史絵、海老根理、清水緑、佐藤滋、辻響平、岡野康弘、赤刎千久子、井上みなみ、藤尾勘太郎、藤谷みき
公演期間:7/7〜7/17(東京)
上演時間:約115分
作品キーワード:きょうだい児、家族、兄弟・姉妹、シリアス、会話劇
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
平田オリザさんが主宰する劇団青年団に所属する伊藤毅さんの演劇ユニットである青年団リンク「やしゃご」の演劇作品を初観劇。
今作の「きゃんと、すたんどみー、なう。」は、2017年にアトリエ春風舎で初演され非常に評判が良かったため、今回は東京芸術劇場が若手劇団に上演の機会を提供する提携公演「芸劇eyes」に、青年団リンク「やしゃご」が選出されて上演されることとなった。
物語のテーマは兄弟・姉妹に知的障がい者を持つ「きょうだい児」を扱っている。
脚本演出を手掛けた伊藤毅さん自身も長男が知的障がい者である「きょうだい児」であり、自身の体験を元に製作されたと考えられる。
物語には、三姉妹の家族が登場する。長女の高木雪乃(豊田可奈子)は知的障がいを持っていて、授産施設「のぞみの会」に入っている。次女の大越月遥(とみやまあゆみ)は、大越常之(辻響平)という大学の助教と結婚したばかり。三女の高木花澄(緑川史絵)は、体格がよくて体型にコンプレックスを抱いており、次女がいなくなることで自分と知的障がいを持つ長女だけが家に残る(両親は既に家にいない)ことになり不安を抱えている状況。
物語は、次女の月遥が夫の新居へ引っ越す1日を描いた群像劇となっている。
伊藤さん自身が「きょうだい児」ということもあり、知的障がい者の言動の演劇への落とし込み方は再現性が非常に高く、役者の演技も相まってかなりリアルに表現されていて演劇だからこそ表現できる作品になっていて素晴らしかった。
開演、終演における暗転のような合図はなく、何の合図もないまま自然に開演、終演していく演出が取られているのが今作の大きな特徴である。
まるで舞台上が私たちの日常生活の延長線にあることを示すかのような演出によって、「きょうだい児」と彼らを取り巻く理不尽な人間模様が今日でも現実世界で存在していることを指し示す効果的な手法がとられている。
だがしかし、それにしては大越助教が研究している生物の研究が滑稽過ぎてリアリティを感じなかったり、こんなに腰抜けな引越し業者いるかな?と疑ってしまうくらいダメダメな連中で、個人的には若干現実世界と乖離のある人間模様に見えてしまって上手くのめりこめなかった。
また、家族内でカオスな騒動が起きてしまうのだが、そのいざこざが私自身はあまり好きになれなくて、ギャーギャー騒ぐだけのシーンにみえてしまって嫌悪感を感じてしまったのも、はまらなかった大きな理由かもしれない。かなり評判の良い舞台作品だったので、自分の中での期待値を上げすぎてしまったせいかもしれない。
ただ、舞台セットの田舎の大家族の旧家の再現度の高さは素晴らしく、役者も皆演技力が高くて非常に見応えのある演劇作品だったことは間違いなかった。
「きょうだい児」の苦悩が分かるという意味でも大変勉強になる一作だと思うし、今回の観劇をきっかけに「普通の人間」のあり方について深く考えさせられるだろう。多くの人に観て欲しい演劇作品であった。
【鑑賞動機】
観劇の一番の決めては、今回観劇した公演が東京芸術劇場が若手劇団に上演の機会を提供する提携公演「芸劇eyes」だったから。「芸劇eyes」として観劇した公演は、2021年5月に"ゆうめい"の「姿」、2022年4月に劇団あはひの「光環(コロナ)」とあるが、どちらの作品も非常に面白かったので自分の中で「芸劇eyes」は絶対に面白いというイメージがあった。
青年団リンク「やしゃご」に関しては、今まで観劇したことはなく聞いたことがある程度だったが、これを期に観劇してみようと思った。
Twitter上での前評判が非常に良かったので、期待値は非常に高めであった。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ある夏の日、田舎の大家族の旧家の縁側で2人の男女の引越し業者が昼休みをしている。引越し業者の名前は、綿引慎也(海老根理)と山本由香里(清水緑)。若い男女2人は仲睦まじい様子で、周囲に誰もいないのを良いことに2人はキスしようとしていた。
そこへ、この家の住人である次女の大越月遥(とみやまあゆみ)と、三女の高木花澄(緑川史絵)と、花澄の友人の松平幸子(赤刎千久子)がやってきた。引越し業者2人はそろそろ、引っ越しの搬出を再開しようと荷物の運び出しに戻る。
今回の引っ越しは、次女の大越月遥が大越常之と結婚して、夫が建てた新居へ引っ越す日であった。月遥は、夫の常之が引っ越しは自分が全部なんとかすると行っておきながら結局何もしていないことに苛立っている様子だった。
それから、長女の高木雪乃はどこにいるかという話になるが、どうやら「おじゃる丸」を観ているようだから1時間くらいはこちらにやって来ないだろうと話していた。そして、どうやら雪乃は彼女が通っている授産施設「のぞみの会」でボーイフレンドが出来たようだと噂した。
月遥が出ていくと、花澄は泣きそうな顔をしていた。花澄のことを気にかける松平、花澄が自分の体型についてコンプレックスを抱えている様子を松平はなだめていた。
そして、松平は自分の漫画家としての話をし始める。なかなか漫画家として頑張っているけれど売れることの難しさを痛感している様子だった。Twitterでバズって人気を出すことも出来ると花澄は言うが、松平は雑誌に連載されて人気になりたいというプライドがあってそれをしたくなかった。
引越し業者の山本由香里が通りかかる。花澄と松平に可愛いとチヤホヤされる山本由香里。花澄と松平は彼女をモデルに写真を取り始める。猫のポーズをさせたりセクシーポーズをさせたり。そんな様子をもう一人の引っ越し業者の綿引に見つかる。綿引はびっくりした様子で山本由香里を見るが、彼女は事情を説明する。
皆舞台上から退散する。
知的障がいの持った高木雪乃(豊田可奈子)がやってくる。何やらおもちゃを抱えてやってきて、扇風機に向かって「あー」と声を出してみせたり、電話のおもちゃを使って電話ごっこして遊んだりしていた。
再び、月遥や花澄、それから引越し業者の2人が荷物を運び出すために現れた。
しかし、綿引は荷物を運び出す最中にぎっくり腰をやってしまって、しばらく畳の部屋で休むことになった。山本由香里は引っ越し人員の増員が必要だと、山本引っ越し会社を運営する社長の兄に電話を入れて救援に来てもらうことにする。
そこへ月遥の夫の大越常之(辻響平)がやってくる。彼は大学で助教授をやっているようで、ニワトリを遺伝的に操作して恐竜を生み出そうという研究をしているようだった。そのニワトリから生み出される恐竜のことをチキノサウルスと呼び、大越はそのチキノサウルスについて熱弁を始める。
大越は今ニワトリを飼っていて、その飼っているニワトリに尻尾をつけることによってチキノサウルスを誕生させることは出来ないかと実験していた。しかし、その飼っていたニワトリがどうやら逃げてしまったと聞いた大越は、慌ててそのニワトリを探すためにどこかへ消えてしまった。
ぎっくり腰になった綿引が一人畳の部屋へ取り残される。
そこへ外から画板を下げた男性がやってきて、高木家へベランダから入ってくる。綿引が「こんにちは」と声をかけても、まるで綿引の存在に気づいていないかのように反応をしてくれない。その画板の男性は、「さて、さーのつく言葉は」と連呼しながら部屋の中を散策した後、台所の方へ向かっていく。
画板の男性が立ち去った後月遥がやってきて、綿引は先ほど画板を持った男性が現れて台所の方へ行ったけど誰だか分かるかと聞くが、月遥もその男性に心当たりはないようであった。
すると、雪乃とその画板の男性がやってきて、雪乃が画板の男性にベタベタとくっつきながら喜んでいる様子であった。そこで月遥は、この画板の男性が雪乃が「のぞみの会」で好きになったという佐渡正志(岡野康弘)であると分かる。誰か男性が入ってきたと知り、花澄や大越、それから山本由香里もやってくる。
雪乃は佐渡と結婚したいと月遥たちに言い始める。佐渡も雪乃と結婚したいと言う。周囲は困惑する。月遥は、結婚というのはお金もかかるし簡単に出来るものではないのだときっぱりと伝える。それでも雪乃と佐渡は言うことを聞かず、結婚したいの一点張りだった。佐渡はバッグから土地所有に関する書類を取り出してきて、土地を売れば金が手に入るから大丈夫だと言ってくる。周囲はさらに困惑する。
そして月遥は我慢ならなくなって、あなたたちは普通じゃないから結婚出来ないのだと言ってしまう。そこで大越は「普通って何」という話になってしまう。そこで大越と月遥は口論に発展してしまう。
そんな中、山本引越し業者の会社の社長の山本康介(佐藤滋)がやってくる。雪乃と佐渡が結婚云々言っていたので、康介はその2人が新郎新婦だと思い込み、「結婚おめでとうございます」と言ってしまう。その2人が新婚ではないと妹の由香里が兄の康介を叱りつける。
大越と月遥は散々喧嘩してしまった挙げ句、取っ組み合いが始まってしまう。その取っ組み合いに巻き込まれて、康介はぎっくり腰になって動けなくなってしまう。
その時、綿引も東日本大震災による福島第一原発事故が原因で離婚し、半年後に妻をなくして後悔したことを告げる。しかし、今日の引っ越しは取り消しにして欲しいと月遥は業者に伝え、大越は家を出ていってしまう。
花澄は、月遥に対してこの家に愛想をつかしたから出ていくんだったのかと失望した様子でつぶやいた。
そんな訳で、綿引に加えて社長の山本康介もぎっくり腰で動けなくなってしまったため、2人とも高木家にある冷えピタを由香里に貼ってもらうことになった。由香里は綿引に対しては優しく、兄に対してはそっけなかった。
そこへダンボールを抱えて笠島清剛(藤尾勘太郎)という大越の研究室の大学院生がやってくる。彼は、研究室にあった大越の荷物を引っ越しのために自宅に持ってきてくれたのである。月遥が大越の代わりに対応して笠島に手厚くお礼を言う。
笠島は高木家で少し休んでいくことになる。笠島は康介とじゃんけんで勝った方がコカ・コーラを飲むことになり、康介がじゃんけんに勝つが、コカコーラを開けた途端康介はメントスコーラのようになってコーラを全身に浴びる。その後もう一回笠島とじゃんけんすると負ける康介。康介は作業服を脱いでタンクトップになる。
康介は笠島にチキノサウルスの研究について色々尋ねる。笠島は研究について色々語りだす。そして、康介は笠島にチキノサウルスの研究を続けて果たして社会の役に立つのかと問う。社会の役に立たないことをして税金を使っているなんてと小言を言う。
そこへ、小篠美香(井上みなみ)という「のぞみの会」の職員がやってくる。彼女は玄関先でニワトリを見たと話すと、笠島はそれはきっとピースケ(大越の飼っているニワトリ)だとはしゃいで去っていってしまう。
小篠は、この家に佐渡がやってきたと聞いてかけつけたのだと言う。佐渡の家の人が佐渡正志がいなくなってしまって探しているが、高木家に来ていないかと思いやってきたのだと。引越し業者たちは、先ほどまでは来ていたが今はいないと答える。
そして小篠は、佐渡には自分は好かれているけれど、雪乃には好かれていないのだと答える。以前小篠は雪乃に頭を噛まれたことがあって、その傷跡が今でも残っていると引越し業者たちに見せる。小篠はそろそろ「のぞみの会」の職員を辞めて他の仕事をしたいと言う。
由香里がやってきて、タクシーが到着したから一緒に乗って帰ろうと言う。小篠は雪乃もやってくると思い退出する。
由香里は綿引は慎重に面倒を見ながら移動を助けた。一方で康介は花澄に運んでもらったが、途中で突き放してぞんざいに扱われていた。
引越し業者たちがタクシーに乗って去っていくと、花澄は一人畳の部屋に残ってシクシクと泣き始める。
そこへ幽霊となって花澄の母親である高木真弓(藤谷みき)が現れる。花澄は幻覚を見ているのだが、そこに真弓がいると思いこんで話しかける。花澄は真弓に質問する、どうして雪乃を産んだ後に月遥と私を産んだのかと。真弓はただ子供が産みたかったからだと答える。花澄は続けて質問する、私はこれからどう生きてゆけばよいかと。真弓は花澄が生きたいように生きてゆけば良いと言う。
そんなやり取りをしている最中に、月遥がその光景を見つめていた。月遥には真弓の存在は見えていないので、花澄が幻覚でも見ているのだろうとしっかりしてと呼び覚ます。花澄は我に返る。
そこへ電話が鳴る。月遥が電話を取ると、電話の相手は大越だった。大越の話によると佐渡正志が車にぶつかったとのことであった。どの程度の事故なのかは詳しく分からないのだと言う。
そこへ雪乃がやってくる。これから佐渡に会いに行くのだとオシャレを彼女なりにしようとしている。化粧がしたいと花澄に手伝ってもらおうとする雪乃。
再び電話がなる。月遥も花澄も電話を出ることに躊躇している。そして電話を出ようか出まいかしているうちに電話は切れる。
佐渡が事故に遭ったことを知らないで楽しそうにしている雪乃は、もうすぐ佐渡に会えると思って嬉しさがこみ上げているようだった。ここで上演は終了するが、終演してからも舞台上で会話は繰り広げられていた模様。
開演も終演も、特に暗転などが挟まる訳ではなく、まるで舞台上で起こっている出来事は私たちのいる日常世界の一部であるかのように演出され、終演してからも舞台上で会話は続いていたし、客入れ中も舞台上で会話が繰り広げられていた。
こういった演出スタイルは独特ではあるものの、特に起承転結がはっきりしておらず日常生活を切り取ったような劇団青年団や玉田企画のような演劇団体ではよくある会話劇である。個人的には、日常を切り取った描写であるにも関わらず、チキノサウルス関連の話などは凄く現実味が乏しい話に感じてしまって(実際調べたところ、チキノサウルスの研究は実在するらしい)違和感を抱いてしまった。引越し業者があの体たらくなのも田舎といえどいくらなんでも酷すぎるなと思ってしまって、現実世界でどこかで起きていそうな出来事だと思えないエピソードがいくつかあるように感じてしまってのめりこめなかった。知的障がい者の描写がリアルだっただけに、それ以外の要素にリアリティが欠如して感じられたのは非常に勿体なく感じた。
それから、中盤の雪乃と佐渡の結婚騒動からのワチャワチャは、ちょっと個人的に観ていて嫌悪感を感じてしまって、もっとあのカオスなシーンをブラッシュアップして欲しいかなとも思った。唐突に出てくる綿引の離婚した過去もちょっと宙に浮いている感じがして、物語の主軸に対する関連がよく見えなかった。
ただ、高木三姉妹の関係性は「きょうだい児」としての悩みが終盤にしっかり現れたのは凄く考えさせられるし、良いテーマの提示の仕方をしていたなと感じる。欲を言えば、もっと三姉妹のそれぞれの苦悩を深堀りしてストーリーに組み込んで欲しかったかなという印象。
笠島のくだりや、小篠のくだりは果たして今作に必要だったかななんて思ってしまう。日常を切り出したような起承転結のない会話劇なので、全て最後に回収されなくてもそれで良い気もするが、三姉妹にもっとフォーカスを置いて欲しかったという感想である。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
舞台上には高木家の大きな旧家が縁側と庭も含めて再現されていて、舞台セットだけでも見応えのあるような舞台美術だった。リアリティを追求した会話劇なので舞台音響はほとんどないが、舞台照明は非常に趣向が凝らされていて素晴らしかった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていくことにする。
まずは舞台装置から。
高木家の家は畳の部屋、縁側、などがある和風造りの家の王道といった感じ。舞台上下手側手前と上手側手前は中庭のように砂利が敷き詰められていて、樹木が植えられ、そこには役者は出入りしてこないようなデッドスペースになっていた。
舞台中央には10畳ほどある畳の部屋があり、基本的にはこの畳の間で会話が繰り広げられる。下手側には扇風機、中央にはちゃぶ台(その上にはハッピーターンなどのお菓子が沢山)、上手側にはソファーが置かれている。畳の間の照明は、和室によくあるペンダントライトが吊り下がっている。
その和室の奥には縁側があって、客入れ中はその縁側で引越し業者2人が寝そべっていた。おそらくその縁側を下手側方向に行くと玄関に通じるものと思われ、笠島がそちらからやって来たりする。
縁側を上手側へ進むと、廊下が上手奥側へ通じるものとそのまま上手側へとハケる通路の2つがあり、上手奥側へ進む廊下は、おそらく月遥や大越の部屋へと通じていると考えられ、引越し業者はそちらから荷物を搬出していた。その廊下にはカレンダーがかけられていた。また、廊下を上手側へ進むとおそらく台所や雪乃の部屋へと通じていると考えられ、雪乃はそちらから登場したり、佐渡はそちら側へ向かっていった。
また、舞台中央奥側、つまり縁側の奥側は庭になっていて、草木が植えられていて地面には砂利が敷かれていた。さらに、その下手側には裏口のような扉があって、そこ向かって引っ越しの荷物の搬出が行われたり、佐渡や小篠が高木家に入ってきたりした。
2022年1月に観た玉田企画の舞台「夏の砂の上」を想起させるような、見事な和室と庭がシアターイーストに再現されていた。個人的には、客入れ段階でこの舞台セットが目に入ってきただけでも、ここから面白い芝居が催されるに違いないと期待値がバク上がりしていた。そのくらいクオリティの高い舞台セットがそこにはあった。素晴らしかった。
次に舞台照明について。
日常世界を再現したような会話劇だったが、舞台音響とは打って変わって舞台照明に関してはかなり趣向が凝らされた演出が要所要所に盛り込まれていた印象である。
まずはなんといっても夏の蒸し暑い日を上手く再現しているような日光を表す黄色く明るい照明。この照明が草木に差し込むことで、本当に外の情景が非常にリアルに感じられる。こういうのを観るだけで私は興奮してしまう、この再現度の高さを。夏ということをしっかりと感じさせてくれるドンピシャな色彩と光量だったと思う。
また印象に残っている照明演出が2つある。一つはあの中盤のカオスな家族口論のシーン。大越と月遥の夫婦関係にも亀裂が生じ、三姉妹の間でも亀裂が生じてしまったあのシーン。あそこで夕方でもないにも関わらず、夕方のような夕焼けのオレンジ色の照明が入ったのが凄く印象的。高木家の末路を表現しているような虚しさを感じさせる夕日の照明が凄く効果的だった。
もう一つは、母である高木真弓が幽霊となって花澄の前に現れた時の照明。あたりが夜のように薄暗くなって(といっても真っ暗になる訳ではない)和室のペンダントライトが点灯して、まるで心霊現象が起きているかのような演出で、白い服を着た真弓が登場するのは印象に残っている。ただ、個人的には今作でその演出はしっくりこなかった。日常世界の延長線上という演出で子供だましみたいな演出はどうかなと思ってしまった。
次に舞台音響について。
照明演出とは打って変わって、音響に関してはベタに音楽などを流さずに、電話の音などの効果音に徹していた印象で、それで良かったと思う。
最後にその他演出について。
本当にラストの終わり方は、観客に色々と考えさせられることがある。2回目の電話が鳴った時、花澄と月遥が電話に出られなかった、というか出たくなかった理由はよく分かる。雪乃と佐渡の幸せを奪ってしまったのは月遥たちだった。あれがきっかけで佐渡は高木家から出ていってしまった。事故に遭ったことに対して責任があるからである。もしそのまま佐渡が死んでしまっていたらと思うと胸が痛くなる。そして、残酷にも佐渡が事故に遭ったことを何も知らず、次会えることを非常に楽しみにしている雪乃が目の前にいる。これから先どんな展開が高木家を待ち受けているのか想像しただけでも怖くなるような終わり方である。
また、これは観劇後に気がついたのだが、チキノサウルスが高木家の姉妹のメタファーになっていると考えられるのが面白かった。大越はチキノサウルスを生み出したくてニワトリに尻尾をつけていた。しかしニワトリにとってみたら尻尾なんて不要なものである。これはニワトリ自身が月遥で、尻尾が雪乃というメタファーに感じられると思った。月遥は、高木家には知的障がい者がいて、そこから逃げたくて大越と結婚して高木家を出ていこうとした。ピースケと名付けられた尻尾を付けられたニワトリが、大越の元から逃げ出して、尻尾だけ取れていたというのは、まさに月遥が雪乃を取っ払って逃げたことと一致する。さらに、ピースケが卵を産むことも興味深い。ピースケは大越によってチキノサウルスを産んでもらおうと研究対象にされている存在である。もしかしたら、ピースケが産んだ卵は普通のニワトリではないかもしれない。つまり、大越と月遥から産まれる子供ももしかしたら知的障がいを持って産まれてくることも示唆される点が怖い。
このように、上手く終演後も物語が続いているように描かれた作品ではあるが、今後の展開を考えてもカオスでしかないような伏線をいくつも残している所に、この作品の残酷性が非常に垣間見えて、そこに演劇作品としても深みがあるような気がする。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
劇団青年団を中心に、小劇場演劇団体の劇団員の客演によって構成される出演者陣は、まさに素晴らしい人勢揃いであった。
特に特筆したいキャストをピックアップして見ていくことにする。
まずは、高木家の長女で知的障がいを持つ高木雪乃役を演じた豊田可奈子さん。豊田さんの演技を拝見するのは今作が初めて。
とにかく知的障がい者の演じ方がリアル過ぎて物凄い。よくあそこまで演じられるなとびっくりする、どんな稽古をしてあんな役作りをしたのか純粋に気になる。覚束ない目つき、喋り方、子供のように佐渡や妹たちに甘える姿、もう完璧で見入ってしまった。そして非常に可愛らしさも感じるので、月遥があそこまで厳しく冷たく結婚に反対されるとなんだか非常に可愛そうに思えてきて辛くなる。
また心にグサッと刺さったのは、雪乃は誰からも将来の夢について聞いてくれなかったことだと言っていた。まるで彼女には将来なんて考えてもらえていないような、普通の一人前の人間として見てもらえていない悲しさが滲み出てくる言葉である。
自分の身の回りには知的障がい者はいないので、彼らはこういった行動を起こしてこう感じるのだというのを今回の観劇で学んだ気がしてとても有意義な観劇体験だったとつくづく感じる。
次に、雪乃のボーイフレンドで同じく知的障がいのある佐渡正志役を演じた、Mrs.fictionsの岡野康弘さん。岡野さんの演技は、2022年5月に観劇したMrs.fictionsの「花柄八景」以来2度目となる。その時は落語の師匠を演じられていたが、今作では知的障がい者と全く違う配役なのに、見事に熟してしまう岡野さんの演技の幅の大きさは本当に素晴らしかった。別人かと思うくらい、あの落語師匠を演じた方と同じ人だとは思わなかった。
そして、雪乃を演じた豊田さん同様、どんな稽古をして役作りをしたのか気になってしまうくらい、知的障がい者の役のクオリティが高かった。実際に画板を持ってずっと同じことを連呼してそうな障がい者はいそうだし、人の話を全然聞かない(綿引が尋ねても反応しない)のをあそこまでガン無視して演技出来るのも凄いなと思った。
そして、画板に文字を起こしながらかなり鋭いことを言ってくる感じも心を揺さぶられる。どうして僕たちは結婚してはいけないのかとか、凄く考えさせられた。
引越し業者の女性である山本由香里役を演じた清水緑さんはとても美しく素敵な女優さんだと感じた。
彼女の演技を観るのは初めてであったが、序盤の綿引に恋をしてキスまでしようとするシーンでは心臓がバクバクした。しかし、その後に結婚が絶望的な三女の高木花澄が登場し、さらに長女の雪乃が登場するので、そこで結婚出来る女性、出来ない女性、普通の女性、普通じゃない女性の線引が登場したような気がして、残酷なものを見てしまったなと感じた。
猫ポーズやセクシーポーズは良かったなあ。
とにかく面白かったのが、引越し業者の社長の山本康介役を演じた青年団の佐藤滋さん。佐藤さんの演技は、うさぎストライプの「熱海殺人事件」で一度だけ拝見したことがある。
佐藤さんの間の悪さと運の悪さで終始笑ってしまった。まず高木家に登場するタイミングが最悪。家族内でのカオスな大喧嘩の途中で、しかも雪乃と佐渡を新郎新婦だと勘違いして「ご結婚おめでとうございます」と言ってしまうのはヤバい。
そこから完全に巻き込まれて腰を痛める。そして笠島とのくだりも運の悪さを連発する。コカ・コーラを全身にかぶってしまったり、じゃんけんで負けたり。このカオスな会話劇の中で唯一といっても良いくらい笑いの余地を与えてくれるありがたい存在だった。
それと、脇汗の演出が結構ツボだった。
チキノサウルスの研究をしている月遥の夫の大越常之役を演じた「かわいいコンビニ店員飯田さん」所属の辻響平さんも良かった。
初めて演技を拝見したが、あのオタクっぽい感じは研究者っぽさがあって良かった。それと、チキノサウルスについて熱く語るシーンで、落語風にセンスを叩く素振りをしながら語るのも凄く好きだったし、印象に残った。
過去に性犯罪歴があるとキャラクター設定で聞いた時、私が在籍していた大学の教授でも性犯罪歴がある人に出会ったことがあって、その教授に似ていたので驚きだった。女子大生に手を出す人間は皆あんな感じの風貌をしているのかもしれない。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
私の身の回りには幸いなことに、知的障がいを持った人はいないし、普通に生活していればこの世界のどこかにはいるのだろうなくらいの感覚だったので、今作を観劇して非常に勉強になった部分も多くて、観劇って素晴らしいものだなと常々感じさせてくれる。
知的障がい者同士が恋をして結婚しようとなった場合にどうするかなんて想像もしたことがなかったし、障がい者を兄弟・姉妹に持つ「きょうだい児」の苦悩も痛いくらい教えられた気がする。
ここでは、「きょうだい児」をテーマに「普通の人間」とは何かについて考察していく。
青年団リンク「やしゃご」の主宰であり、今作の脚本演出を務めた伊藤毅さんも兄が知的障がい者である「きょうだい児」である。おそらくご自身が体験された苦悩をベースに今作は書き上げられたのだろうと思っている。もちろん、外部調査も沢山行われていると思うが、話のベースとモチベーションは伊藤さん自身の体験じゃないかなと思う。
ここで作品を観劇して思ったことは、次女の月遥は三姉妹の中では一番まともな女性であるが、この高木家から逃げようとして大越と結婚して引っ越そうとしている下心が見え隠れする点である。
月遥は明らかに雪乃のこと、というよりも佐渡を含めた知的障がい者のことを嫌っていることは、劇中の描写からも窺える。雪乃と佐渡の結婚について露骨に反対したり、自分は「普通」であると強く主張しているからである。雪乃たちと自分とを線引しようとしていることがよく分かる。
これは先述したチキノサウルスにしようと育てている、大越が所有するニワトリのピースケがメタファーとなっているように、月遥は雪乃という知的障がい者のいる家族から逃げて「普通」の暮らしをしたいということなのだろう。
だから三女の花澄も、姉の月遥がそんなふうに思っていたのかとショックを受けるのである。
しかし、ここからは私の個人的な見解になるのだが、月遥が高木家を脱したからといって「普通」でない環境から逃れることは出来るのかというとそうはならない気がしている。
まず、大越常之は普通の人間なのだろうか。あのカオスな大喧嘩のシーンで、大越は「普通」という言葉に反応して、自分も過去に性犯罪歴があって普通じゃないとたしか答えていた。結局月遥は、高木家からは逃げても普通にたどり着くことはなく、さらにピースケのメタファーから今後産まれてくる子供も知的障がいを持って産まれてくる可能性も考えられる。
つまり、月遥が普通の家族を持つことが出来ないのではないかという悲しい今後の成り行きが想定されることに、この作品の残酷性が見られる。
これも私の憶測になるのだが、きっとこの月遥の存在に伊藤さん自身も重ね合わせているんじゃないかと思う。伊藤さん自身も「きょうだい児」ということで、知的障がいのある兄の元を離れて演劇活動をされているはずである。
それでも伊藤さん自身だって、それで「普通」の家庭が築けるのかというとそうではなく、今後障がいを持った子供が産まれてくる可能性もあるということを肝に銘じた上で、今作のような脚本を執筆されているんじゃないかと思う。
もう一つ興味深いのは、物語終盤で花澄が死んだ母親の真弓に対して、どうして自分を産んだのかについて質問するシーンがあることである。その質問の意図としては、花澄は雪乃の面倒・世話を見てもらいたいがために自分を産んだんじゃないかと感じたからではないかと思う。しかし、真弓は子供をもっと産みたかったから産んだのだと言う。決して雪乃の面倒を見て欲しいがために産んだのではないと。
またそれに続けて、花澄は私はどう生きていったら良いか真弓に質問する。真弓は自由に生きなさいと言う。
しかしここでポイントなのは、花澄の前に存在する母親の真弓というのは花澄の中の幻覚でしかないという点である。つまり、真弓の言葉には花澄の願望が込められているといっても過言でないだろう。きっと、花澄は今のままだと完全に知的障がいを持った雪乃を世話するためだけに産まれた存在なんじゃないかという感じである。それを、きっと母はそうは思っていなくて自分は雪乃のことを気にせずに好きなように生きなさいと思ってくれているはずという願望があって、そのような幻覚を見ているのだろうと思う。
でも実際どうなのだろうか、本当に亡くなってしまった母は、内心雪乃の面倒を見て欲しいがために月遥と花澄を産んだのかもしれないし、病気で死んだことになっている母親だが、もしかすると雪乃の子育てに疲れてしまって死を選んでいるのかもしれない。それにあまり今作には登場しないが、三姉妹の父はどこにいるのだろうか、亡くなっているのか?それとも家出しているのだろうか?
「普通」にすがろうとする月遥と、障がい者の姉妹の世話が生きる目的になってしまっている花澄、この辛く残酷な状況こそが、作者伊藤毅さんが主張したい「きょうだい児」の苦悩なのではないのだろうか。
他人事になってしまって申し訳ないが、自分の兄弟・姉妹は特に障がいを持って産まれてきた訳ではないので、「きょうだい児」が持つ宿命を負わなくて良かったなあと思う反面、こういう苦悩を抱えながら生きている人々もこの社会にはどこかに存在するということを頭に置いておかないとと思う。
そう考えると、今作を観劇出来て自分は本当に良かったなとつくづく思えてくる。
↓佐藤滋さん過去出演舞台
↓岡野康弘さん過去出演舞台
↓「芸劇eyes」過去作品