舞台 「三ノ輪の三姉妹」 観劇レビュー 2024/08/31
公演タイトル:「三ノ輪の三姉妹」
劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
劇団・企画:かるがも団地
脚本・演出:藤田恭輔
出演:冨岡英香、中島梓織、瀧口さくら、はぎわら水雨子、柿原寛子、袖山駿、奥山樹生、岡本セキユ、村上弦、宮野風紗音、藤田恭輔、古戸森陽乃
公演期間:8/31〜9/8(東京)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:会話劇、家族、姉妹、心温まる、泣ける
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆
三鷹市芸術文化センターで演劇企画をされており、今年(2024年)からは読売演劇大賞の選考委員も務めることになった森元隆樹さんによるオリジナル事業「MITAKA "Next" Selection」による公演を観劇。
「MITAKA "Next" Selection」は毎年2団体が選出されて、三鷹市芸術文化センター星のホールで公演が上演されている。
過去には、このフェスティバルから「ポツドール」「モダンスイマーズ」「ままごと」「iaku」「劇団アンパサンド」などが選出され公演を行っている。
25回目の開催となる「MITAKA "Next" Selection 25th」では、脚本・演出を藤田恭輔さんが担当する劇団「かるがも団地」が選出されたので観劇することにした。
「かるがも団地」は、東京都立大学の演劇サークルである「劇団時計」で一緒だった藤田恭輔さん、古戸森陽乃さん、宮野風紗音さんの三人で2018年に「団地のようなあたたかさ、多様性」を合言葉に結成された劇団である。
今作は「かるがも団地」として第9回本公演となるが、私は「かるがも団地」の公演を初めて観劇した。
物語は、東京都台東区に位置する「三ノ輪」という場所で生まれ育った三人姉妹の話である。
三姉妹の中でしっかり者の次女の箕輪苑子(冨岡英香)は、日比谷のオフィスで働きながら母親の箕輪幹江(はぎわら水雨子)と一緒に三ノ輪の一軒家で暮らしていた。
長女の箕輪葉月(中島梓織)は自分に合う仕事が見つけられず苦しい思いをして家出したままだった。
三女の箕輪茜(瀧口さくら)は仕事はしていたが、三ノ輪には住んでおらず苑子とも合わなかった。
父(藤田恭輔)は転勤族で三ノ輪の家にいることはなく、遠い昔に帰ってきたまま戻ってこなかった。
そんな中、母の幹江が癌にかかって余命いくばくも無くなってしまう。
苑子は、葉月と茜を集めて母親の見舞いに行こうとするが...というもの。
ストーリー展開として、第一章が「日比谷の苑子」、第二章が「北千住の茜」、第三章が「町屋の葉月」、そして終章が「三ノ輪の三姉妹」という形で、それぞれの章で三人の姉妹にフォーカスされながら、現在と過去の回想シーンを行き来することによって繰り広げられる。
前説で苑子役の冨岡英香さんが、靴を履き替える時間がないので家の中でも履いているが、足元だけアメリカだと思って観ていて下さいと笑いを取っていたように、靴を履き替える時間が無いほどにシーン転換が物凄く多くて、一つのシチュエーションが1分程度しかないものもあった様子だった。
シーン転換で舞台装置を移動したりなど大それたことはしないので転換自体はスムーズだったのだが、シーンがかなりぶつ切りに感じられたので正直前半はあまり感情が乗らなかった。
しかし、後半になるにつれて展開はある程度予想は出来たものの、癌になった母親の幹枝と久しぶりに再会した三姉妹のやり取りの会話に釘付けになって終盤に向かって感情が一気に乗ってきて楽しむことが出来た。
それは、終わり方が非常に私の好みでもあったからかもしれない(詳しくはnoteのネタバレ項目を参照)。
癌になった母親と互いに別居で会話することのない三姉妹、これまでの演劇だったら登場人物たち同士で言い争いをしてしまうくらいの熱量ある見せ所を設けたくなってしまう所だが、今作はそうではなく登場人物たちが皆ほのぼのとしていて勢いや熱量で演技する見どころを作らずにゆるっと描写する作風が非常に現代的で令和の演劇に感じた。
最初はこれはどうなのか、演劇で120分持つのかと思ったが、強烈に感情を唆られなくてもほんのりと人間の温かさを感じさせる心地良さが、当団体の持ち味なんだと受け入れられた。
葉月も苑子も茜も、みんな三姉妹で同じ家族だったからこそ縛られるものがあった。
そこに生きにくさを感じていて、次第にそんな生きにくさから解放されていく様が非常に令和的で、現代の若者たちに共感を生みやすいのではないかと感じた。
私もそこに今作の清々しさを見出せて好きだった。
また、問題は全てスッキリ解決とはせずに、どうしても悔いが残る部分とそうでない部分を残して描くことで綺麗事化しない物語の進め方にも日常に対して誠実さがあって好きだった。
役者陣も皆小劇場演劇出身の場数を踏んだ俳優が多くて演技が上手かった。
三姉妹を演じた冨岡英香さん、中島梓織さん、瀧口さくらさんの、熱量込めて激しく主張しない感じが良かった。
良い意味でどこか力が抜けていて、それがまた引き込まれる魅力として備わっていた。
また、ちょくちょく観客を笑わせてくれる村上弦さんが演じる医療スタッフや、宮野風紗音さんが演じるリクルート出身の社長や洗濯機が絶妙に作風にハマっていた。
これぞ令和の劇団といった感じの現代的でほのぼのとした演劇作品で、でも脚本はしっかりと日常を感じさせられてじんわりと感情を揺さぶってくれる作品だった。
これは若い層を中心に人気が出るのも頷けた、観やすいのでぜひ多くの人に観劇して欲しいと思う。
そして「かるがも団地」の今後の活躍にも期待したい。
↓PV映像
【鑑賞動機】
「MITAKA "Next" Selection」の公演だから。特に「かるがも団地」は2年前くらいから評判を聞き始めていてずっと気になっていたので満を持しての観劇だった。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
宮野風紗音さんと冨岡英香さんが登場する。宮野さんは前説を済ませると冨岡さんにバトンタッチして捌ける。冨岡さんは、靴を履き替える時間がないので家の中でも履いているが、足元だけアメリカだと思って観ていて下さいと言う。ここから上演がスタートする。
箕輪苑子(冨岡英香)は、日比谷の会計ソフトのオフィスに勤務していた。会社の社長(宮野風紗音)はリクルート出身でガムシャラに働くことを美徳とするような上司だった。新入社員(村上弦)は仕事が出来なくて色々苑子に相談するが、社長にいつも怒られてばかりいた。苑子は社長には気に入ってもらえていた。
苑子は満員電車に乗りながら三ノ輪にある自宅へ帰宅する。満員電車の中では、見知らぬ男女が諍いをしている。苑子は近所の商店街で焼き鳥を買おうとしたが、見知らぬ男性に横取りされてしまう。
苑子は母親の箕輪幹江(はぎわら水雨子)と二人暮らしをしていた。苑子は三人姉妹の次女で、いつも長女の箕輪葉月(中島梓織)と三女の箕輪茜(瀧口さくら)から毛布を奪われ、居間の固い廊下で寝ていた。そこに母親の幹江が毛布をかけてくれた。
葉月は遠い昔に家出をし、茜も北千住で一人暮らしをしていて幹江と二人暮らしの苑子だったが、幹江は癌になってしまい余命いくばくもないと医師から宣告される。もってあと3ヶ月から半年だと言う。
苑子は近所の商店街の美容院へ行く。徳永タエ子(柿原寛子)にパーマをかけてもらう。今徳永家には兄貴夫婦が来ていてもうすぐ子供が産まれるのだと言う。タエ子の兄の徳永秀明(袖山駿)が挨拶をしに来る。秀明の話に、苑子の姉の葉月の話が出る。葉月は、今は町屋の植木屋で働いているとのことだった。苑子は姉の行方が分かって驚く。
タエ子は、幹江が癌であると聞いて悲しんでおり、タエ子が最初に美容院として相手したお客さんが箕輪のママ(つまり幹江のこと)で凄く褒めてもらえて元気が出たのだと言う。
苑子は、その後も日比谷のオフィスでリクルート出身の鬼社長の元で働き、仕事の出来ない新卒の愚痴をこぼしていた。自分が若い頃はリクルートで大変な目に遭ったなど。
苑子は小菅佐吉(奥山樹生)と美術館で二人で会う。小菅は不動産企業に勤めていて、海沿いの土地に住むのもいいですよと宣伝する。小田原とか茅ヶ崎とか逗子とか。
苑子は町屋へ姉の葉月を訪ねに行く。葉月は、植木屋関連の人と取っ組み合っていて軽トラックに乗ってどこかへ向かう所だった。そこへ苑子が現れて葉月と再会する。苑子は母の幹江が癌で余命いくばくもないことを葉月に伝えて実家に戻ってきて欲しいと言うのだった。
回想シーン、10年以上前。夜遅くに転勤族だった父(藤田恭輔)が萩の月を持って帰ってくる。しかし、すぐに父は三ノ輪の家を後にする。こんな夜遅くだというのにこれから用事があると言って。その数日後、苑子は父が二度と三ノ輪の家に帰ってこないということを後で知った。
姉の葉月は父のことが好きだった。家族思いだった父は社会に馴染めない葉月にも優しくしてくれた。しかし父は二度と箕輪家に戻らないということを知ると葉月もそのまま家出してしまった。
苑子は幹江の親戚に電話する。幹江は実家と縁を切って三ノ輪に一人でやってきたので、苑子たちも幹江の親戚を誰も知らなかった。電話に出た相手からは、幹江に娘がいることも知らなかったようでそんなに相手にしていない素振りだった。
日比谷のオフィスでは、新卒社員が退職代行を使って職場を辞めたようだった。社長は退職代行なんか使って、本当に今の新卒たちはと腹を立てていた。
苑子と小菅は色々と不動産のことについて話していた。苑子が自宅まで戻る途中にも小菅はついてきて、どうしてここまでついて来るのですかと尋ねると、しっかり挨拶したくてと小菅は言う。そして二人は三ノ輪の家にたどり着くと、小菅は色々調べ出してこの家は借家であることを告げる。苑子もこの家が借家であることを初めて知る。
そこに一人の見知らぬ男が立っていた。苑子は誰だ空き巣?と大声を出すが、その後ろには三女の茜がいて、自分の彼氏の茶柱篤人(岡本セキユ)なのだと言う。茜は彼氏を苑子に紹介しに来たのだった。
映像で「第二章 北千住の茜」と映し出される。茜の小学校時代の回想シーン。茜は三姉妹の中で一番スポーツが得意で野球をやっていた。母の幹江も茜の応援に行っている。しかし茜がヒットを打った時に幹江の電話が鳴って見ることができなかった。電話は葉月のことだった。
茜は葉月の件での電話に出ていてヒットを見られなかった幹江に対して怒る。そして茜は、学校でも職場でも馴染めなかった長女の葉月に対して当たりが冷たかった。
現在に戻り、三ノ輪の家に苑子、小菅、茜、茶柱がいる。茜と茶柱は二人の馴れ初めを語り始める。
茜はずっと北千住の喫茶店でアルバイトしていたが、その店にやってきたのが茶柱だった。喫茶店閉店後のタバコのやり取りで知り合った茜と茶柱。茶柱は、自分が幼稚園から慶應に通っているボンボンでずっと勉強しかして来なかったので、勉強以外のことが苦手で社会に順応して生きていく力に乏しいことを茜に話していた。一方茜は、そういう社会で生きていく力というものを身につけていて惹かれるのだと言う。
茜は、茶柱と一緒に二人で暮らそうと言う。茶柱は確か実家とも仲が悪いと言っていたし、二人で住んだ方がお互い良いのではと言う。茶柱は、最初は一人暮らしから始めたいなと言いつつも、親と相談してみると言う。
茜もタエ子が経営している美容室でパーマをかける。
茜は、過去に洋服関係の仕事に就きたくて衣料関係の専門学校に通っていた。就活の時は、茜は居酒屋でアルバイトをしながらやっていた。居酒屋の従業員からは就活しながらバイトは大変だねと声をかけられるが、同時に両方やっていた方が気分転換になって良いのだと茜は言う。居酒屋の従業員からは、就活上手くいかなかったらうちで正社員として働くのも良いよと声をかけられる。
茜は服屋の店員(村上弦)と服屋で働くことについて話すが、辞めた方が良いと言われる。薄給だし残業多いし土日勤務あるし大変だと。茜はそのまま居酒屋で勤めることになる。
現在に戻って、茜に一本の電話が入る。茶柱からだった。茶柱からの回答はやっぱり一緒に住むことは出来ないだった。実家に相談して実家を出ることは確定したのだが、まずは一人暮らしをしたいからだと言う。茜と茶柱はその電話によってお別れすることが決まる。
苑子が幹江の入院する病院に向かっていて、その後を茜は追いかける。茜は苑子に母親の見舞いに誘われていたが茶柱のことがあって断っていたが、振られたので見舞いに行けることになった。
陽気な医療スタッフである竹ノ塚夏(村上弦)に案内されて、二人は幹江と面会するのだった。
映像で「第三章 町屋の葉月」と映し出される。葉月の回想シーン。先生(宮野風紗音)が通信簿を配る、葉月は教室の隅で大人しくしている。他のクラスメイトは通信簿を受け取るなりがっくりきていた。葉月も最後に通信簿を受け取る。
葉月は苑子から幹江の癌のことについて聞いて、一人で幹江の入院する病院へ向かう。しかしもう夕方で面会時間を過ぎていて会えなかった。そのまま葉月は久しぶりに三ノ輪の自宅に戻る。遅いよと苑子に怒られる。
葉月は学校を卒業した後、色々な仕事を転々としたがどこも長続きしなかった。飲食店で働いても、注文したものが来ないと客にクレームを言われ、駐車場で働いても怒られ、トイレ掃除をしても全然綺麗になっていない、こんな簡単な仕事も出来ないのかと怒られた。そんなことと、父の家出、茜からも散々言われたこともあって家出した。そんな葉月は、今では町屋の造園事務所で植木屋職人に拾われて仕事をしていた。どんなに仕事を失敗しても大丈夫だから真面目に働けと植木屋職人に言われた。
そして10年ぶりに三ノ輪の自宅に戻ってきた。葉月もタエ子の美容院に言ってパーマにしてもらう。
葉月、苑子、茜の三姉妹が揃ったのでみんなで幹江の見舞いに病院に行く。竹ノ塚という医療スタッフはいつの間にか幹江と親しくなっていた。三姉妹が知らないことまで竹ノ塚は幹江について知っていた。幹江が実家を飛び出してほぼ縁切り状態で三ノ輪に来たこと。そこからクリーニング屋の人に助けてもらってそこで一生懸命稼いで生活したことなど。実は、竹ノ塚も幹江と同じく自分の親の葬式に出ていなくてシンパシーを感じた点もあった。竹ノ塚は両親の顔を知らず施設で育ったから。幹江は竹ノ塚に、自分が家族と仲が良くなかったから家族の作り方が分からないと言う。竹ノ塚にそんなことないでしょ、三人も姉妹を育ててと言う。
葉月、苑子、茜は幹江と対面する。葉月は久しぶりに幹江に会う。葉月と幹江はよそよそしく挨拶を交わす。幹江は葉月を産んだ時のことを語る。
葉月はどうして父と離婚してしまったのかと問う。幹江は、父のことが好きではなくなってしまったからだと言う。父は凄く優しい人だと思っていたが、それは内面が良いだけで外面は違ったのだと言う。店員さんに横柄な態度を取ったり、トイレ掃除の従業員にこんな簡単な仕事もできないのかと罵ったりしていたのだと。だから好きではなくなってしまったと言う。この話は墓場まで持っていくべきだったかなと幹江は言う。
苑子は、そうやって子供扱いするの止めてと幹江に訴える。そのまま三姉妹は帰る。葉月は病院の見舞いに行くんじゃなかったと呟く。
葉月は帰りにコンビニに寄って帰る。コンビニの店員(村上弦)はバイトを初めて間もないらしく実習生札をつけているようだった。レジ袋がなくてもたついているコンビニ店員にも優しく対応する葉月は、事を終えると静かにコンビニを立ち去った。
映像で「終章 三ノ輪の三姉妹」と映し出される。
苑子は葬式代や家の片付けなどを一人でしている。葉月も茜もそれを眺めている。なんであなたたちは何もしないのとキレる。三ノ輪の家もどうしようかと考え、小菅に相談する。小菅は最終的には苑子の判断だが買い取るという選択肢もありますよと言う。でもその場合はそこそこの金額しますよとも。日比谷のオフィスでは社長から苑子は昇格の話をもらっていた。給料も上がるしどうよと。
苑子はタエ子の美容院に来ていた。兄夫婦の赤子も生まれて顔を見せる。話の流れで苑子は母親の亡くなった話をする。赤子の前で不吉な話をしてごめんと苑子は言う。
幹江の葬儀は樹木葬にすることにした。幹江は生前に日本海に骨を撒くなど苑子たちの負担にならないような形で言われていたためである。葬儀は住んで三姉妹は解散する。私たちが繋がっていたのは母のおかげだったんだねと。次は母の一周忌かなと。苑子は三姉妹のLINEグループを作る。葉月にも茜にもグループ名が微妙だと言われた。
苑子は三ノ輪の自宅を売ることにした。海岸沿いの街で一人で暮らすのだと言う。骨壷を抱えながら母親を一人この地に置いていくのは寂しいことだけれど、これは自分で選んだ選択だと。会社も辞めてきた。あんな上司の元では働けないと。
そしてみんなで三ノ輪の家の家具などを片付けていく。そして家は空になる。ここで上演は終了する。
物凄くシーンの切り替わりが頻繁で、役者がシームレスに移動して間が出来る感じはなかったのだが、没入感は削がれるのではないかと思い、前半は正直あまり乗らなかった。しかし、幹江が癌になって余命を宣告されていてという設定で、幹江が亡くなってしまうということは分かっていたにも関わらず、登場人物に感情移入しやすかったので後半に関してはどんどん引き込まれるように作品に没入できて素晴らしかった。
なんと言っても私は終わり方が好きだった。家族というしがらみに拘束されて、苑子は家族のために色々と奔走しなければならなかった。別に葉月や茜が悪いと言っているのではなく、そういう立ち回りになってしまうよなという板挟みに凄く共感できたから。だからこそ、ラストはその家族のしがらみから解放される終わり方が好きだった。これでやっと自分の生きたいように苑子は生きることが出来る。今までの家族のしがらみが全部清算されて、再び一から人生を歩める希望が描かれていて令和らしくて好きな終わり方だった。
この辺りは考察パートでももっと記載していく。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
「団地のようなあたたかさ、多様性」を合言葉に結成された劇団らしく、非常にほのぼのとした世界観がハマっていた作風だった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
舞台セットは、下手側手前に幹江の病棟があり、その奥には巨大な街灯が仕込まれていた。ステージ中央には三ノ輪の自宅の居間がどっしりと構えられていた。その手前には居酒屋を表現したカウンターと椅子や瓶を入れる用のプラスチックのカゴが置かれていた。上手には巨大な樹木が一本とタエ子の美容院用の椅子が設けられていた。
それぞれのシーンで使われる舞台装置が同じステージ上になんの隔たりもないことで、役者が移動するだけでシームレスに違う場面やシチュエーションを上演出来るような作りになっていた。
そしてなんといっても雰囲気があったのは中央にあった三ノ輪の自宅。昭和を感じさせる古い木造の一軒家で、広々とした居間が横長に広がっていて、そこにちゃぶ台がちょこんと置かれている。手前側は横長の木造の廊下になっていて夏は涼しそうな造りになっている。そしてそのまま廊下から庭へ出られるようになっている。居間は下手側奥に捌け口があって、その横は壁になっていた。上手側には古い木造のタンスが置かれていて、幹江がつけていた家計簿などが沢山そこに入っていた。
昔ながらの一軒家を思わせる造りに昭和を感じられるあたりが凄く個人的には好きだった。そんでもって演出が令和的だからこそのギャップもあってより好きだった。
次に舞台照明について。
まず下手側にある街灯の明かりが存在感としてとても大きくて好きだった。それと巨大な一軒家の居間の電灯も昔ながらの雰囲気で良かった。
あとは、ステージ上の様々な場所でシーンが繰り広げられるので、その度に様々な所に吊り込まれた照明が使われるなどしてキューは多いのだろうなと想像しながら観ていた。
次に舞台音響について。
客入れがフォークソングで凄く昭和を感じた。ビートルズとかも流れていて記憶だった。昭和を感じさせる演出が凄く似合っていてレトロな雰囲気を味わった。
また劇中でも何箇所か音楽がかかって場面転換するシーンがある。その度に昭和の音楽が流れてレトロを感じた。
あとは回想シーンで、役者の声にエコーがかかっているのは凄かった。そこで今のシーンが回想なのかそうでないのかが把握できるようになっていた。あれって、みんな口の近くにマイクを仕込んでいるということなのかな。
最後にその他演出について。
「かるがも団地」の作品は、割と細かい描写も全て役者たちの演技によって表現しようとするのだなという印象を受けた。例えば、バスに乗っているシーンで、バスそのものはないけれど乗客がいて運転手がいてというのを演技だけで観せていて、それがほのぼのしたり可愛げがあって好きだった。序盤で満員電車なども役者が沢山出てきてみんなでおしくらまんじゅうしているみたいに表現したり、商店街の焼き鳥屋も天井から焼き鳥が宙吊りで降りてきて驚かされた。細かい描写を役者の力で最大限に表現するあたりにほのぼのさを感じた。洗濯機を宮野さんが必死で演技するのも好きだった。一人で回転して演じるのは可愛げがあって面白かった。
所々メタファーだと思われる箇所もあって好きだった。三ノ輪家の洗濯機が壊れてしまうのは、幹江の余命がいくばくもなくて、こうしてみんなで三ノ輪に箕輪家が一緒に暮らすこともなくなってしまうという現れでもある。そして、ラストシーンでは苑子が三ノ輪の家を引き払って新たな場所で暮らしを始めるという時に、三ノ輪の家に置かれた家具や絨毯が全て運び出されて清算されるのも好きだった。凄く気分爽快な演出だった。
そして、「かるがも団地」の作風として、割とシリアスな家族シチュエーションであるにも関わらず、カオスなシーンを描いたり、役者が発狂するなどの大声を出すなどという描写を入れていないのも特徴的だった。この演出手法に関しては、既存の演劇の熱量で押し切る感じに対して相反する演出で現代的に感じた。最初は、これで観客の心は動くのかと心配だったがそんなことなく感動させられたのでこれは令和の演劇のトレンドになるのかもしれないなとも思った。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
小劇場演劇で活躍されている役者で俳優陣が固められていて、非常にほっこりした気持ちで観劇出来た。それは俳優たちの演技面だけでなくキャラクターとしての魅力が詰まっていたからであろうと思う。
特に印象に残った俳優について見ていく。
まずは、今作の主人公といっても過言ではない次女の箕輪苑子役を演じた冨岡英香さん。冨岡さんは演劇ユニット「もちもち」と「マチルダアパルトマン」に所属しており、私は演技を初めて拝見した。
時代設定は現代なのだが、髪型といい雰囲気といいどこか昭和の女性という感じがしてレトロ感あるのが凄く良かった。まさに写ルンですとかで写真映えする印象を感じる俳優だった。
芝居に関しても、凄く「かるがも団地」の作風に合っていて、ゆるっとそしてほのぼのしている。もっと葉月や茜、会社の社長に怒っても良いんだよと思うのだけれど、全部調整役として引き受けてしまって大変な目に遭ってしまう感じが愛おしくも感じられて素敵なキャラクター設定だった。そしてそんな役を丁寧に演じていた冨岡さんも素晴らしかった。
三姉妹で一番しっかり者なのだけれど、自分でこうしたいという意志が強くない。だからこそ私はこのキャラクターに惹かれたのだが、そういう性格の人は周囲に振り回されてしまったり、損をすることが多いよなと思う。だからこそラストは、自分の選んだ道で人生を歩もうと出発出来る終わり方が素晴らしく好きで、これは自分の意志で生きることを重視される令和の現代に合ったキャラクターだと感じた。
次に、長女の箕輪葉月役を演じた中島梓織さん。中島さんは演劇団体「いいへんじ」で作演出を務める方でもあり、演技を拝見するのは今作が初めてである。
ちょっと性格的に捻くれたキャラクター性がとても似合っていて私はキャラクター的に愛おしさを感じた。そこまでコミュニケーション能力も高くなくて頭の回転も良くはない、容量も良くない。だから学校でも孤立するし、自分に合った仕事も見つけられなかった。
父は今作ではそんなに登場シーンはないが、おそらく内面の良い父親だったので長女ということもあって葉月を可愛がっていたに違いない。だからこそ父が突然家に帰って来なくなってしまったことが凄く葉月にとって辛い出来事だったに違いない。自分の唯一と言って良いくらい味方だった父がいなくなってしまって、社会においても家庭においても自分の居場所が無くなってしまった。だから家出をしたのだと思う(自殺しなくて良かった)。
劇終盤で、母親の幹江にどうして父と離婚してしまったのか尋ねる。葉月にとって父と母が別れてしまったことが人生において最も痛恨の出来事だった。母が亡くなってしまう前に答えを聞きたいと思ったに違いない。しかし、母親の幹江の口から出た真実は、葉月をさらに苦しめるものであった。それは、葉月にとって今まで良いイメージとして持っていた父親の像が完全に崩れたからである。本当の父は、葉月が今まで仕事場で受けてきた理不尽な仕打ちを外でしてしまう人間だった。仕事が出来ない人に横柄な態度を取ったり罵ったり。この幹江の言葉を聞いた時、観客も葉月も、葉月がトレイ掃除の職場で「こんな簡単な仕事も出来ないのか」と客に罵られたシーンを思い出したに違いない。葉月の中での父親の良いイメージはそこで完全に崩れ去ってしまった。だから葉月は幹江に会うんじゃなかったと言った。
そんな葉月にも一つ希望がある。それは、ずっと苑子たちと音信不通で何をしているか分からなかったが、母親の件で再会することが出来たこと。二人の妹に自分は無事で元気にやっていることを報告出来たことは救いだと思うし、それは母親の存在が繋げてくれたからである。
これからも造園事務所で元気にやっていて欲しいなと感じさせるキャラクターで良かった。
三女の箕輪茜役を演じた瀧口さくらさん。瀧口さんの演技を拝見するのも初めて。
三姉妹の中で一番元気がよくて性格が強くて、生命力のありそうな女性。野球をやっていたり、アルバイトしながら就活も両立出来てしまう器用さもある。器用にこなす反面、なかなか気が強いので弱い者や仕事出来ない者に対する仕打ちが酷い。だから葉月は茜とそりが合わなかった。同じ幹江の子供なのに、ここまで三姉妹の性格が違うのも凄いなと思う。
個人的には茶柱とのシーンが凄く観ていて好きだった。幼稚園から慶應の坊ちゃんだと、こういう性格の強い女性に惹かれるものなのだろうか。そして茜的にもこういう気弱な男性の方が対立も少なくて一緒にいて楽なのかもしれないなと感じた。しかし思った以上に茶柱がひ弱で、そもそも一人暮らしもしたことないから茜と同棲するのにはまだハードルがあって難しいという結果だった。
凄くサバサバしていて、そんな役を卒なくこなす瀧口さんも素晴らしかった。
あとはコメディ演技担当の宮野風紗音さんと村上弦さんも良かった。
宮野さんに関しては、一番強烈だったのはリクルート出身の会社の社長役。こういうベンチャーでめっちゃ頑張ったんだぜ昔、みたいな典型的な上司いるよなと思いながら面白く見ていた。リクルートは今でこそベンチャーではないけれど、昔は鬼営業時代とかあったみたいでその頃の激務さは酷かったと聞いたことがある。そして少し偏見が入ってしまうけれど、そういう人って結構胡散臭くて昔話も多いので、凄い癖が強い感じが役としてフィットしていて良かった。
また洗濯機の演技も個人的にツボだった。洗濯機の役が出来るのは宮野さんしかいないと思う。
また、劇団「猿博打」所属の村上弦さんも演技を初めて拝見したのだが、コメディ的ノリが絶妙に良かった。村上さん役者をやってない時も面白いキャラの人なのだろうなと観ていて思っていた。あそこまで演技に対してキャラ作りしてステージ上で試せるってあまり出来ないことだし、それが出来る役者はどこへ行っても重宝されると思う。凄い俳優だなと思った。
個人的には、医療スタッフでもなく新卒社員でもなく、服屋の店員の台詞と演技が強烈的で凄く印象に残った。猿博打観たことがないので今度観て見たいなと思った。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作の作風と戯曲について考察していく。
私は今作で初めて「かるがも団地」を拝見したが、他の「かるがも団地」の作品がどうなのかは分からないが、よく演劇で描かれる地方の閉塞感や家父長制、家族観みたいなものを、扱っているメッセージ性は良くあるのに、今まで観たことないくらいに観やすく軽いタッチでほのぼのと描くのだなと感じた。そしてそれが持ち味なのだろうと思った。
今作のように演出しても、ちゃんと伝えたいメッセージ性は伝わるし、観客も最後に重く感じずに観られる。なんなら軽く涙をそそられて、少し爽やかな気持ちで劇場を後にすることができる。そういった観やすさが特徴的で素晴らしいんだなと感じた。
こういった、日本の地方の閉塞感や家父長制、家族観を扱った会話劇は、今の都内の小劇場演劇界隈においてかなりある。原点を辿ると、平田オリザさん主宰の「青年団」だったり、松田正隆さんの戯曲のような1990年代の静かな演劇なのだと思う。
松田正隆さんの戯曲の『夏の砂の上』は、舞台は長崎で今作とは全然異なるものの、家族というしがらみに縛られた話で、そこから解放されるという意味では今作とも共通している部分がある。
しかし、『夏の砂の上』は非常に静かな演劇で、ずっと舞台空間が干からびているようなそんな空気感で、俳優たちの演技力の高さとその場を再現する圧倒的な演出力の高さがないと面白い作品として上演は出来ない。だからこそ、この類の作品群は圧倒的な役者の演技力の高さと力強さ、そしてその地方の空気感を再現する演出力が必要になってきて、割とシリアスで重たい空気感が劇中には漂う。
これと似た作風の団体として、「小松台東」や「劇団普通」「ぱぷりか」「温泉ドラゴン」などがある。それらの演劇団体も、上質な会話劇で観せる作風で、テーマとして日本の地方の閉塞感や、家父長制や家族観に縛られて苦しむ人々を描いている。地方に縛られていたり家族に縛られて生きる人々には、どこか自分の意志で生活が出来ないという所から、干からびた感覚があって活気がない状態であることが多く、それを丁寧に会話劇に落とし込むからこそ静かな会話劇になりがちで凄く重たい空気感が観客にドスンと乗っかってくる感覚があった。
つまり、今までは地方の閉塞感や家族を重厚な会話劇として描くときには、その重たさが不可欠のように感じられた。
しかし、「かるがも団地」はそんなジンクスを破ったように思う。
描いているメッセージ性は、家族に縛られる姉妹たちである。特にそれが象徴的なのは次女の苑子で、苑子はその性格から母親幹江の看病だったり、三ノ輪の自宅の整理だったり、葬儀だったりなどを全て一任していた。苑子だって自分らしく生きたいはずなのに、どうしようもない家庭の状況からそうならざるを得なくなっている。
今作の『三ノ輪の三姉妹』のストーリーからいくと、松田正隆さんの静かな演劇のように、もっとシリアスに重厚な会話劇にも仕立て上げることも出来ると思う。設定を考えると、次女の苑子は悲劇のヒロインである。苑子だけではない。長女の葉月だってもっと悲劇的に描けると思う。
しかし「かるがも団地」の作風はそのようにしなかった。ストーリーや設定は悲劇そのものなのに、登場人物はみんなどこか朗らかで陽気でほんわかしている。それにつられて次女の苑子も凄く和やかである。
アニメーション映画『この世界の片隅に』で描いているような作風に近いのだと思う。この作品も広島の原爆投下という悲惨な現実を描いているのだが、終盤に行くまで主人公のすずのぽやんとした性格に世界観が引きずられて、全体的にほのぼの系のアニメーション作品になっている。だからこそ多くの観客にも受けたし、新しい作風としての切り口を提示したように感じた。
今作も、シリアスな家族劇の設定がありながら、登場人物が皆どこかのどかでほんわかしているからこそ観客として観やすさを感じ、尚且つ描きたいメッセージ性は粗末にされたり弱められることはなく、ちゃんと観客に伝わって涙出来る。そこに「かるがも団地」の作風と今作の良さがあるのだなと思った。
令和の現代において、1980年代のような熱量で突っ走る演劇は減ってきており、そういうものが賞賛されるムードも無くなってきていると感じる。それを憂う人も一定数いるだろうが、そうではなくその世相を一旦受け入れて新たな形で演劇を提示していく「かるがも団地」はまさに今どきの演劇だと感じたし、今後の演劇のトレンドを作っていく存在なんじゃないかと感じた。