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舞台 「お七 ー最初で最後の恋ー」 観劇レビュー 2021/09/11

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【写真引用元】
朗読舞踊劇Tales of Love「お七-最初で最後の恋-」【公式】Twitter
https://twitter.com/rb_talesoflove/status/1422378345455448064


公演タイトル:「お七 ー最初で最後の恋ー」
劇場:よみうり大手町ホール
企画:トリックスターエンターテインメント
原作:井原西鶴
上演台本:与田想
演出:中屋敷法仁
出演:大空ゆうひ、福山潤、花柳幸舞音(舞踊)、KOHKI(演奏)、大河内淳矢(演奏)
公演期間:9/10〜9/12(東京)
上演時間:約80分
作品キーワード:朗読劇、日本舞踊、音楽劇、時代劇、ラブストーリー
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆


演劇や歌舞伎、落語、日本舞踊など日本古典の脚本の中でもとりわけ有名であり日本版の「ロミオとジュリエット」とも呼ばれる井原西鶴原作の「八百屋お七」を、劇団「柿喰う客」主宰の中屋敷法仁さんが演出し、朗読舞踊劇として仕上がった「お七 ー最初で最後の恋ー」を観劇。
私自身としては、この脚本自体も今作を観劇して初めて知った上、日本舞踊をステージで観劇すること自体も初めて。

ストーリーは、江戸時代前期の江戸の城下町に暮らしていた16歳の少女"お七"の実家が大火事によって焼け落ちたため、彼女はお寺で避難生活を送ることになるが、そこで出会った"吉三郎"という男にお互い恋に落ちてしまう。
"お七"は実家が再建されるとお寺を後にするが"吉三郎"のことが忘れられず、、、というもの。
まるで「ロミオとジュリエット」を想起させるような情熱的な若き男女の恋物語である。

劇中時に度々流れる、尺八と三味線とギターによる生演奏が非常に素晴らしく、冒頭での尺八から始まる生演奏には鳥肌が立つくらい興奮させられた。しかし、日本舞踊と照明効果という観点から行くと個人的には物足りないものを感じた。
舞台装置がある訳ではなく、何もない中で劇場全体がカラフルに照明で照らされて踊り手が踊るという構造が、自分が日本舞踊というものをちゃんと理解している訳ではないが、素人目線としてちょっと違和感のある演出に感じた。

また、主に"お七"役を演じた大空ゆうひさんの朗読が個人的には好みではなかった。
朗読劇ってボイスと話し方が肝だと思っているが、ちょっと台詞が単調に感じる部分も多くて、16歳の若き女性という純粋さをあまり感じられない話し方だったのが少々残念な箇所だった。
一方で、主に"吉三郎"役を演じた福山潤さんの朗読は素晴らしかった。
数々のアニメで声優をやっていらっしゃるだけある方で、男らしさを感じる頼りがいを感じさせる存在に感じた。

日本舞踊、朗読劇、そして井原西鶴原作の不朽の名作、素材としては十分面白くなりうる条件が揃っていたと思うが、演出面、役者面にちょっと物足りなさを感じてしまった。
もっとクオリティを高めて欲しかった。


【鑑賞動機】

もっと観劇ジャンルの幅を広げていこうという目的で観劇しようと思った作品の一つ。日本古典芸能に関しても、朗読劇に関しても、個人的にはあまり観劇してこなかったジャンルだったので、新たな観劇領域を開拓するような心持ちで観劇することにした。
単純に、朗読劇×日本舞踊という組み合わせに興味を持ったという点もあるが、演出家が有名な「柿喰う客」主宰の中屋敷さんだったというのも観劇の決めて。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

江戸時代前期、今の本郷三丁目あたりに暮らしていた"お七"(大空ゆうひ)という16歳の少女がいた。"お七"には母親の他に"お杉"(福山潤)というしつけ役もいた。"お七"は年頃の娘だからといって、新調した振り袖を着るように言われていたが、どうも"お七"自身は古着でよいからもっと自由に自分に似合った振り袖を着たいとわがままを言っていた。

ある日、"お杉"は振り袖にまつわる噂話を始める。
昔江戸に"ウメノ"という当時"お七"と同じ16歳の少女がいた。彼女も年頃の娘だからと新調した振り袖を着ていたが、上野の不忍池でとある男性に一目惚れをしてしまう。しかし、すれ違っただけで名前を知ることすら出来なかったので再び探し出すことは出来なかった。その男性に会いたいと恋い焦がれ狂ってしまった"ウメノ"はそのまま恋の病によって亡くなってしまう。
その時着ていた新品に近い振り袖を、今度は別の年頃の娘が引き取ったが、その振り袖を着るやいなやみるみる衰弱していくかのように弱って亡くなってしまう。
この振り袖は呪われていると世間では噂になり質屋に売られてしまったが、2年ばかり経って人々が呪われた振り袖のことを忘れかけた時に、またもやその振り袖を着て亡くなった娘が現れたと噂になる。
その呪われた振り袖は寺でお焚き上げした方が良いということになった。しかし、よりによってそのお焚きあげされる日付が"ウメノ"の命日であったという点と、その振り袖に火を付けた瞬間に振り袖は江戸の城下町を風に運ばれて駆け巡り、火の粉を沢山振らせて江戸を大火事にしてしまったのだそう。

そんな話を聞いて"お七"は怖がってしまった。
ある日、"お七"は稽古の帰り道で上野から実家のある本郷三丁目へ向かおうとしていた時、駒込あたりから大火事が起きていて本郷も危ないから実家に戻れない状況になっていることを知った。"お七"はちょうど上野の不忍池らへんにいたが、その時一人の男性が寺に避難した方が良いと案内してくれた。"お七"は、まさかこの人が"ウメノ"の恋い焦がれた人ではないかと疑った。
その男は"吉三郎"(福山潤)といい寺小姓であった。"お七"の家族も同じ寺に避難することになった。実家は大火事によって焼け落ちてしまった。"お七"と"吉三郎"はお互いに惹かれ合い恋に落ちることになる。

"吉三郎"は寺の者に対して、自分は修行をしに寺に住まわせて頂いているのにも関わらず、若き娘に恋をするなどという道を違えた過ちを犯してしまって罪深いと反省をする。
寺の者は、恋をするくらいは人間なら誰しもあることだと、反省することではないと諭す。
"お七"の実家はなんとか再建することが出来て、避難先であった寺から去ることになった。しかし、"お七"も"吉三郎"もお互い離れたくないという気持ちが強く、このまま引き裂かれてしまうことに辛さを感じた。

ある如月の寒い冬の日の夜、"お七"の実家に一人の商人が訪ねてくる。凍え死にそうな感じで入ってきたので、屋内へ通して体を休ませてあげる。しかし、その商人は自分が"吉三郎"であることを名乗る。"お七"は驚く。
"吉三郎"は、"お七"が寺を離れた後もどうしても彼女のことが忘れられなかったという。しかし、"吉三郎"は自分が今後役人となって働くことになったため、"お七"と付き合うことは出来ないと告げられる。彼は寺とも縁を切ってしまい、"お七"の元で働かせていただくことも考えたが、如何せん商業の知識はないものだから務まらないだろうと諦める。
もう会うことが出来なくなってしまうから、最後に挨拶だけしようと"お七"の元にやってきたのである。
"お七"はそんな状況になってしまうことに対して諦めがつかず、どうしたら"吉三郎"の元にいられるかと尋ねた。"吉三郎"は高級な刀を自分の元へ差し出すようにと無理難題を突きつけた。

"お七"は、盗みを働いてその高級な刀を手に入れたが、ご奉行(福山潤)によって身柄を拘束されてしまう。
ご奉行は、若くて賢い"お七"がこのような悪事を働くとは気でも狂ったのかと尋問するが、どうやら彼女は正気のようであり、なぜ刀を盗んだのか、その一部始終を聞いてご奉行もその熱い恋心に驚き理解した。
ご奉行は"お七"に何年生まれかと問う。彼女は「丙午」と答えるが、「丙午」であれば16歳であり成人とみなされるので死罪となってしまうが、15歳以下である、つまり「丁未」と答えれば死罪にはならず流罪となるので、再び新しき恋に巡り会えるかもしれないと救いの道を示した上で、もう一度彼女に生まれた年を尋ねる。
しかし"お七"は、それでも自分は「丙午」だと答える。そして"お七"は、刀を盗んだ罪で火あぶりの刑に処せられるのだった。ここで物語は終了。

脚本は物凄くシンプルで、"吉三郎"と"お七"の若くて熱い恋の物語だった。たしかに「ロミオとジュリエット」を想起させるような、お互い愛し合っていたからこそ、社会の諸々の束縛に邪魔されて散っていく恋というのは非常に儚く美しいものに感じた。こういった作品が今も昔も変わらず愛されているということは、男女の情熱的な恋物語は人間の普遍的に心を揺さぶってくるからなのだろう。
原作では、"お七"が、寺を離れてから"吉三郎"と寺で再会出来ることを期待して、放火を繰り返すようになってしまうという内容で、今作の脚本とは若干内容が異なるものになるが、大好きな"吉三郎"のために罪を犯して自ら死に向かってしまうという大きな流れは変わっていないかなと思う。
個人的に好きだったのが、序盤で出てくる「ウメノ」の昔話が好きだった。朗読劇なので全て言葉だけで語られるのだが、それでも情景は物凄く浮かんできてイメージ出来るので、怖い昔話を聞かされているような間隔でとても心揺さぶられるシーンだった。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

日本舞踊×朗読劇×音楽劇という点で、どんな新感覚なエンターテインメントに仕上がるんだろう、と演出面では期待していたのだが個人的には期待しすぎた感じがあった。生演奏はとても素晴らしかったのだが。
舞台装置、照明、音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。ステージの中央奥側に尺八と三味線の奏者が座る高台のようなものが設置されている以外は何もない素舞台といった所。その高台の手前側で日本舞踊の踊り手である花柳幸舞音さんが踊るスペースとなっている。日本舞踊シーン以外は、その手前の空間で大空ゆうひさんと福山潤さんが朗読劇を展開する。
個人的には、あそこまで照明でド派手に踊り手やステージ全体を照らしていたにも関わらず、舞台装置が何もないのは違和感を感じてしまった。詳しくは照明の箇所でその違和感を説明する。

そして照明に移るが、使用されている照明は物凄くカラフルで青や赤、緑、オレンジなど多種多様あり、それらによって舞台上が照らされて日本舞踊の踊り手が踊るという、なかばダンスのような演出がそこにはあった。
日本舞踊をしっかりと観たことがなかったので、本場の日本舞踊がどんなものだかよく分からないが、普通はそこまでド派手な照明演出はなくて背後にそれなりの舞台セットがあるのかなとイメージしている。
しかし今作では、舞台セットはそれらしいものが何もなく、照明がカラフルでド派手だったので、凄く日本舞踊の踊り手だけが場違いのように浮いてしまった感じが否めなかった。
連想して思い浮かんだのが、「東京オリンピック」の開会式である。開会式では日本古典芸能を含め様々な要素が取り入れられたパフォーマンスだったかと思うが、どうもマッチしているかというとそうではなかったように思える。例えば真矢ミキさんが演じていた棟梁の踊りなどは、日本の古き良きものと新しきものを混合させてはみたものの、上手く噛み合っていない感じがあったと思う。
あの感覚と同じものを、この日本舞踊×エンターテインメント性で感じられてしまった。なんでも古いものと新しいものをかけ合わせたら面白いものが出来るとは限らない。むしろ、日本舞踊がどこか軽いもののように感じられてしまって、この演出との組み合わせはミスマッチだったかと思っている。
もちろん、照明単体では非常に色鮮やかでエンターテインメント性に富んでいて、これはこれで素敵ではあるのだが。今回の演目でと考えると合っていなかったと思う。

ただ、音響に関しては非常に世界観を上手く作っている感じはあった。
なんといっても、生演奏による尺八、ギター、三味線の音色である。開演して冒頭のシーンは、尺八による演奏から始まる。「フォーン」という尺八の音色が会場に響き渡り、あれで私は非常に鳥肌が立った。いよいよ始まるぞ、という予感をさせる良い意味での鳥肌。
音楽自体は、尺八や三味線を駆使しながら割とテンポの速いメロディが多かった印象である。「戦国無双」などのBGMで使われているような楽曲のイメージである。そういった意味では音響と照明は歩調が合っていたのかと思うが、個人的にはどうしても照明と日本舞踊のミスマッチ感の方が目立って受け取られてしまった感じである。音響は、シーンによってスローテンポな音楽も流れていたので、落ち着いた雰囲気も醸し出せていて作品全体とフィットしていたのかもしれない。
生演奏の他にも、水の滴るSEが流れたり、その他朗読劇を高める上でサブ的な要因で効果音が度々登場していて良い世界観に仕上がっていると感じた。

その他の演出に関して触れていく。
まず日本舞踊の踊り手だが、パフォーマンスシーンは問題ないのだが、朗読劇が行われている最中はたまに棒立ちになってしまうようなシーンも見受けられて、イマイチ踊り手が舞台上にいる意味というものが見出しづらい状況もあったかと思った。ここをもっと効果的に活用できれば、もっと作品としての完成度は上がったんじゃないかと思う。
逆に、大空ゆうひさんや福山潤さんは朗読しながらでも動きがあって素敵だった。時に福山潤さんは存在感もあったので、だいぶ演者に近いくらいの表現力があったように感じた。
また構成という観点では、最初に"お七"が奉行に連行されて捕まっているシーンから始まり、回想するかのように"吉三郎"とのストーリーが始まっていくという形式も上手かったと思った。ストーリー展開としても入ってきやすかった。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

あまり普段朗読劇というものを観ない私だが、朗読劇である今作を観劇してみて、役者であれば皆朗読劇が向いているという訳ではなく、朗読劇が得意な役者、苦手な役者それぞれいるんだろうなという気づきを得ることが出来た。当たり前かもしれないが。
ここでは、朗読劇を行った大空ゆうひさんと福山潤さんの二人について記載していく。

まずは、主に"お七"役を朗読劇で演じた大空ゆうひさんから。彼女は元宝塚歌劇団宙組トップスターで、現在はエイベックス・マネジメント株式会社に所属している女優である。
私は彼女の演技を今回始めて拝見したのだが、結論を言ってしまうと朗読劇向きの女優ではないかなと思った所。
まず年齢はさておき、大空さん自身が非常に大人の女性として成熟している方で、話し方や態度も非常に落ち着きがあるので、"お七"のような若くて元気の溢れる少女の役がそもそもハマっていない感じがした。その上、声も割と低くて単調な印象で、声だけを聞いていて惹きつけられるような印象は特に感じなかった。
朗読劇は身体表現がかなり制約されている分、声と話し方で魅力が伝わらないといけないと思う。そう考えた時に、大空さんよりも純粋で声や話し方が魅力的な女優はもっと沢山いたんじゃないかという気がしてきてしまう。そういった意味では彼女の演技がというよりも、配役のミスマッチが強かったような気がする。
大空さんの演技は、朗読劇以外の演劇作品で拝見したい所である。

そして、主に"吉三郎"役を演じた福山潤さん。"吉三郎"役はどうやら日替わりで変更するらしく、福山さんの他に中島ヨシキさん、神尾晋一郎さんがいたが、私が観劇した回は福山さんだった。
福山さんは声優として幅広く活躍されている方で、「おそ松さん」「コードギアス」「黒執事」などに出演されている。
さすが声優としてのキャリアが長いだけあって、福山さんが朗読劇で演じる"吉三郎"は非常に心動かされるものがあった。
福山さんはがたいも良いので、非常に舞台上での存在感もあったので朗読劇をしているだけでも迫力があった。また、度々動きも取り入れていたので非常に見応えのある役を演じていたと思う。
また声が非常に頼りがいのある男性という感じがして良い。
特に印象に残っているのが、"お七"を好きになってしまったと自分を戒めるシーンでの"吉三郎"が非常に格好良かった。完璧主義で間違った道を進むとすぐに自分に厳しくなる感じが好きだった。
また、如月に"お七"の実家を急に訪問する場面も好きだった。要所要所で印象に残る演技を沢山していたと思う。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、脚本の考察、日本舞踊の考察、朗読劇の考察をしていこうと思う。

まずは、井原西鶴が原作の「八百屋お七」の考察から。
個人的には、あまり江戸時代前期に書かれた日本の文学自体詳しくなくて、井原西鶴という人物は知っていたもののこの「八百屋お七」という脚本自体は今回初めて存在を知った。
井原西鶴は、浮世草子といって江戸時代前期に約100年間続いた、娯楽性が強くて当時の風俗や人情を描いた作品群を沢山生み出した。また人形浄瑠璃の脚本も手掛けた人物である。この時代に書かれた作品は、後に演劇の脚本や歌舞伎、落語の題材などにもなっている。
今回の「八百屋お七」に関しても、歌舞伎や落語の題材にもなっており、漫画「ガラスの仮面」でも劇中劇として登場したりする。
個人的にこの作品に触れて思ったことは、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に近しい内容を扱っていることと、こういった若き男女の恋物語は人の心をいつの時代も動かすのだと感じたことである。
男女の恋物語は、社会や世間に翻弄されながら儚い存在だからこそ光輝くのかもしれない。その輝きは、日本でなくてもいつの時代も失われたりはしないのだろう。だからこそ、こうやって今でも上演され続ける脚本となり得るのだろう。
また、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と同時期くらいに書かれているというのも興味深い。文化が発展したことにより、ある程度一般市民でも脚本を書いて世に送り出すことが出来るようになったから、大衆が読んでも分かるような普遍的な内容がヒットするようになったのだろう。

次に日本舞踊について考察していく。
正直自分も日本舞踊に関して知識がある訳ではないが、今作品からは正直日本舞踊の魅力が伝わったかというとそうではない気がしている。
個人的なイメージでは、穏やかな音楽が流れながら女性が着物を着て踊るというイメージが強いが、もっと和やかで落ち着きのあるものを想像していた。今作はエンターテインメント性を前面に押し出す形だと思ったが、どうもチープなものに感じてしまってミスマッチな側面の方が印象が大きかった。
今度は日本舞踊単体として何か作品を観てみようと思った。

最後に朗読劇についての考察だが、あまり朗読劇を観てこなかった私にとって、キャストが本を手に持ちながら台詞を読み上げる光景が新鮮だったのだが、想像の領域になってしまうがそれ以上に朗読劇を演じることと普通の舞台を演じることって大きな違いがあるのだろうなと感じたことである。
朗読劇は、声と話し方だけで勝負しているようなものである。どんなに美貌で身体表現が良くても、声が魅力的で話し方が上手くないと朗読劇は務まらないんだと感じた。
朗読劇に関しては、もっと別パターンのものを沢山観てみたいと感じた。そうすればまたきっと違う観方がみつかる気がする。

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