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舞台 「他者の国」 観劇レビュー 2025/02/22
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公演タイトル:「他者の国」
劇場:本多劇場
劇団・企画:タカハ劇団
脚本・演出:高羽彩
出演:平埜生成、小西成弥、野添義弘、土屋佑壱、西尾友樹、本折最強さとし、近藤強、平井珠生、田中真弓、柿丸美智恵、丸山港都、高羽彩
公演期間:2/20〜2/23(東京)
上演時間:約2時間5分(途中休憩なし)
作品キーワード:会話劇、医療、ミステリー、倫理、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆
劇作家・演出家の高羽彩さんが脚本・演出を務める「タカハ劇団」の新作公演を観劇。
「タカハ劇団」は早稲田大学から旗揚げした演劇ユニットで、2023年には東京芸術劇場が若手劇団に上演の機会を提供する提携公演である「芸劇eyes plus」にも選出されていて、新進気鋭の演劇ユニットである。
私は「タカハ劇団」の作品は、『ヒトラーを画家にする話』(2023年9月)で一度観劇したことがある。
物語は、戦前の1936年(昭和11年)の日東帝国大学の医学部附属病院が舞台となっている。
東北帝国大学医学部精神科から岡本三郎(平埜生成)がやってくる。
岡本は若くて勢いのある勤務医で自分の博士号の論文のことについてペラペラと威勢よく語り始め、日東帝国大学の教授である橘典裕(野添義弘)や助教授の嵐山正憲(土屋佑壱)らを辟易させる。
岡本が日東帝国大学の医学部附属病院にやってきたのは、27人もの人を殺した殺人犯であるイズミ死刑囚の解剖をするためなのだが、まだイズミは病院に運び込まれていない。
一方で、日東帝国大学の医学部附属病院で精神科の助手をやっている正木信親(小西成弥)は、同じ病院で看護婦として働く橘ミチ子(平井珠生)と付き合っていた。
しかし、ミチ子の父である典裕からは認められていなかった。
ミチ子は、今回の解剖で正木が格好良いところを見せて二人の結婚を認めてもらうように頑張って欲しいと正木に伝える。
しかし、今回行われる解剖は普段行われる解剖と異なり、東大に合格している優秀な頭脳を持っているイズミがなぜ27人もの人を殺害することになってしまったのか、その理由を彼を生きたまま解剖することによって解き明かすためのものだったが...という話である。
以前『ヒトラーを画家にする話』を観劇した時も感じたのだが、高羽さんは非常に物語性の強い演劇作品を創作される印象があり、今作もまた同じ印象を抱いた。
良くも悪くもドラマにも置き換え可能な作品の作りになっていて、演劇好きの私からすると今作を演劇で上演する意義がどこにあるのかを疑ってしまうが、逆に言えば演劇を観たことがない方など多くの人に楽しんでもらいやすい演劇作品とも言えると思う。
そして、今作のテーマである犯罪者になってしまう人間の心理や境遇、人体とはそもそも何であるのかという問い、そして家父長制・男尊女卑の価値観など、昭和初期を描いているのに令和の今だからこそ深く考えさせられるものが複数内在していて、今を生きる観客にダイレクトに響く作品になっている点が時代を反映していて素晴らしいと感じた。
人体とはそもそもものなのか、そうでないとしたら何なのかという問いは、どこか令和の時代に聞くとAIと人間の話のようにも聞こえてくるのが興味深かった。
物語の展開も非常に巧みで、観客にエンタメとしてのワクワクとハラハラドキドキを提供すると同時に、難解にさせることなく深く重いテーマについて人々に考えさせる作品の作りになっている点も多くの観客に受けるポイントだと感じた。
演劇にあまり触れたことがなかったり、学生でも安心して演劇を楽しみ考えさせることができる作風は高羽さんらしく、その上手さは『ヒトラーを画家にする話』よりもパワーアップしていると思う。
登場人物の描写と人間関係も非常に分かりやすく共感しやすいように作られている。
例えば、正木と橘ミチ子のシーンで、ミチ子の恋愛結婚で結婚したいという願望は、既存のお見合い結婚をしたくない今時な結ばれ方をしたいという点では令和の今でも普遍性を持っていて共感を生みやすいし、橘典裕と妻の橘寧々(柿丸美智恵)の娘を思う親としての気持ちも手に取るように分かり引き込まれやすかった。
役者陣も豪華で見応えのある俳優ばかりだった。
特に、岡本三郎役を演じた平埜生成さんの熱演は圧巻であったし、正木信親役を演じた小西成弥さんの若くて肩身が狭い中でも自分の主張を訴える姿にグッときた。
そして他の医学部教授役、助教授役を演じられている面々もそれぞれに個性があって、特に様々な帝大の医学部が登場するので胸熱だった。
平井珠生さん演じる看護婦の橘ミチ子は、90年前の若き女性であるはずなのに、どことなく今を生きる女性とも共通している価値観を感じて共感しやすく演じられていた点が見事だった。
田中結夏さんによる舞台手話通訳があったり、タブレットによる字幕付きの鑑賞サポートがあったりなど、「タカハ劇団」の演劇作品はこれでもかというくらい観客に優しく、観客の意向や感受性に寄り添ってくれる点に感動を覚えた。
今作がハンディキャップを越えて、多くの観劇客の心に響くことを願いたいと思うくらい、多くの観客にお勧めできる作品である。
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↓予告映像
【鑑賞動機】
以前「タカハ劇団」は、『ヒトラーを画家にする話』(2023年9月)を観劇してアニメにも出来そうな演劇作品で親しみを抱きやすかったので、再度機会があったら観劇したいと思っていた。今作は、「タカハ劇団」の20周年記念公演にして初めての本多劇場での公演だったので、キャスティングも豪華で力がこもっている感じがあったので観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
1936年(昭和11年)、日東帝国大学の医学部附属病院に東北帝国大学医学部精神科から岡本三郎(平埜生成)がやってくる。秘書の山田美紗(高羽彩)が岡本を連れて附属病院へと案内する。
岡本は附属病院の解剖室へ着くと早速教授、助教授たちに挨拶する。附属病院にいるのは、日東帝国大学医学部第一外科教授の橘典裕(野添義弘)、同じく助教授の嵐山正憲(土屋佑壱)、京都帝国大学医学部第二外科助教授で附属病院勤務の神原武博(西尾友樹)、名古屋医科大学博士の尾白知己(本折最強さとし)、九州帝国大学医学部解剖学教室教授病理解剖医の岩佐一(近藤強)、そして日東帝国大学医学部附属病院勤務医精神科助手の正木信親(小西成弥)がいた。岡本は遅刻したことを詫びながら、自己紹介をするも自分が書いた博士論文の紹介ばかりをしていて教授たちに辟易される。そして嵐山から、もう知っているからそれ以上紹介しなくて良いと言われる。
岡本が附属病院にやってきたのは、イズミという死刑囚の解剖を行うためだった。しかしまだイズミは附属病院に到着していないということで、岡本が遅刻しても問題にはならなかった。
解剖室に、橘典裕教授の妻である橘寧々(柿丸美智恵)が現れる。寧々はこれから重大な解剖が始まるということで解剖医たちの苦労を労うために弁当を振る舞おうとする。
様々な帝大の教授、助教授たちが会話する中、若手の正木は存在感が薄かった。附属病院の看護婦として働き、橘典裕教授の娘である橘ミチ子(平井珠生)はこっそり正木を呼び出す。どうやら二人は付き合っているようである。ミチ子は正木にこうお願いする。今回の解剖で頑張って父や母に認められる功績を残して欲しいと。丁度今回の解剖には母の寧々も様子を見にきているので、自分の力を示すチャンスだと言う。
そしてミチ子は正木と恋愛結婚がしたいのだと言う。ミチ子はお見合い結婚なんて古くて嫌で、今どき風の恋愛結婚して正木の妻になりたいのだと言う。正木の実家は商社であるので、医者としての実力が認められれば絶対に両親も結婚を認めてくれるはずだと言う。
正木とミチ子はキスをしようとする、しかし突然入ってきた岡本にその光景を見られてしまい吹き出してしまう。
解剖室に医学部の教授、助教授、勤務医たちが集まる。まだイズミ死刑囚はやって来ないが、なぜ彼を解剖するのかについてその経緯を橘典裕教授たちが話し始める。
イズミは27人もの人を殺した残虐な人間である。今までは犯罪というものは低脳(知的障害のこと)な人間が行うことだと言われてきた。しかし、イズミは東大に合格している極めて優秀な人物で、どうしてそのような人間が27人もの人を殺してしまったのかを解明したいのだと言う。
犯罪を犯すものには、身体にそのような病原体が潜んでいると思われている。イズミを解剖すればきっと彼の身体の中にもそのようなものが存在するんじゃないかと。だから彼を死刑囚を解剖することに意義があるのだと言う。
解剖室には見たことないような機械が運び込まれる。岡本はこの機械は何かと尋ねる。この機械は、生きた人間を解剖するためには必要なのだと言う。岡本は驚く。イズミ死刑囚を生きたまま解剖するのかと。典裕たちはそうだと言う。この解剖がなければイズミは死刑を執行していたのだと。この解剖があるから死刑をしなかったので、結果的には死に至ることに変わりはないのだからと言う。
岡本は猛反論する。解剖によって人を殺すなんてそんなのおかしいではないかと。人の命をなんだと思っているのかと。それに続き、病理解剖学の岩佐も今回の解剖に懐疑的な姿勢を示す。岩佐は脳の仕組みを人体実験によって解明した男でもあった。それまで脳というのはなかなか研究が進んでおらず分からないことだらけであった。しかし、そんな前人未到の研究を行った。生きている人の脳を使って脳の仕組みを解明した。しかし、その時も解剖した訳ではなく、人を殺すことはしなかった。だからこそ今回の解剖にはあまり賛同できていないと。
しかし、世の中の医者には色々な人がいるもので、学生だと解剖した人体の一部を持ち帰って肝試しをする者や、腸を縄跳びにして遊ぶものもいたようである。医学部に入るくらい優秀な人間なのにそんなことをしてしまうなんて残念がっていた。彼らは身体をモノとしか捉えていないのだと思う。岩佐は人の身体はモノではないと思い続けてきた。しかし、ふと医学研究を進めていくうちに、果たして身体はモノではなかったら一体何なのだろうかと思うようになったと言う。身体も機械も同じように思えてきたと。
ここで暗転する。
名古屋医科大学博士の尾白は、神原と話をしている。名古屋大学がどうやら帝大に昇格するかもしれないという話があり、もし昇格したら医学部に転籍したいと。
一方で、典裕と寧々の夫婦も部屋で話している。それは、娘のミチ子が好きだという正木のことについてである。寧々は気になったので正木の経歴について調べたと言う。すると驚くべきことに、彼の実家は商社に勤めていた。これなら家柄的にも問題ないからミチ子の恋愛結婚を認めても良いのではないかと寧々は言う。しかし典裕はまだ反対している様子であった。寧々は、そんな典裕も婿に入った身で、最初は作法も何もなっていなかったと反論するのだった。
一方、看護婦であるミチ子ともう一人の看護婦で産婆である望月りょう(田中真弓)が二人で話している。りょうは昔話を始める。彼女はかつて満州国にいたことがあった。日本が満州を占領してそこを足がけとしてユーラシア大陸に攻め入ろうとしていた。満洲国は日本にとって希望の国だった。しかし満州国に住む人々は貧しく悲惨な生活をしていた。そんな貧しい生活なのに子供だけは次々に産まれてくるのだと言う。とある青年が生まれたばかりの赤子を必死で世話する光景に胸を打たれ、それは今でも忘れないとりょうは言う。その青年はとてつもなく善良だったと。
解剖室には一向に死刑囚のイズミは現れなかった。
正木は自力で犯罪はどのような人間が起こすのかを調べたと言い、典裕たちの前でプレゼンする。人間の多くには潜在的に犯罪を犯す可能性のある遺伝子があるのだと言う。それをa、犯罪を犯さない遺伝子をAとすると、とある人間がAaという遺伝子を持っていて、結婚相手もAaという遺伝子を持っていたとすると、子供はAAという全く犯罪を犯さない人間を産む可能性もあるし、Aaという犯罪を犯す可能性のある人間を産む可能もあるし、aaという犯罪を犯しやすい子供を産む可能性もあると言う。ここで、aaという人間を探し出して処罰すれば良いのではと思うがそんな訳にもいかず、Aaという人間が存在する限りaaが産まれる可能性は未来に残り続けるから犯罪がなくなることはないのだと言う。
しかし犯罪というものは、遺伝子だけでなく環境によって誘発されることもあるのだと。むしろ環境が犯罪のポテンシャルのある人間を犯罪者にしてしまうのだと。だから犯罪を犯すリスクのある人間を消滅させるよりも、犯罪のない世の中を作り上げた方が絶対に手っ取り早いのだと言う。犯罪を犯す可能性のある人を消滅させようとすると、ほとんど人はいなくなってしまうからと。
しかしその正木の主張に、典裕は怒る。若造がどこまで口を出すのかと。
そこへ解剖室に刑務官の野口勝(丸山港都)が入ってくる。野口は、死刑囚のイズミが脱走してしまったと告げる。一同は大騒ぎする。あの27人もの人間を殺した残虐な人間が脱走したと。やっぱりこんな解剖をやろうとしたから、こんな事態になってしまったのではと正木は言う。
その時、岡本の白衣が少し血で赤く染まっていることに気が付く。岡本は白衣を脱ぐ、するとそこには大きく血糊のついた服が現れる。そして岡本は、この血は自分の血ではないからと言い、自分こそが脱獄したイズミ死刑囚なのだと高らかに笑う。
一同は慄く。岡本は、先ほどのお茶に薬を仕込んでおいたと。そして教授たちが次々と倒れていく。しかしりょうは叫ぶ。イズミこそ満州国で赤子を抱いていた善良な青年だと。よく覚えているのでそうに違いないと言う。泉は白状する。そう、満州国で赤子の世話を貧しいながら必死でしていたのは間違いなくイズミだと。
そして、イズミはどうしてそんな善良な人間だったのが人殺しをするようになってしまったのかを語り、そのまま自分をピストルで撃ち抜いて自殺する。その様子を呆然と正木とミチ子、そしてりょうは見つめるのだった。
ここで上演は終了する。
序盤から物語性で引き込まれる演劇作品だった。割と前半から中盤にかけてはこの先の展開はどうなっていくのかとハラハラドキドキさせるシーンが多く楽しめたが、肝心の終盤でシリアスなテーマを扱いながらもコミカルに描きすぎている箇所も多く、個人的には終盤でしっくりこない部分が増えた感じだった。しかし全体的な完成度としては高いと感じた。
本当に、人間の身体とは何なのかということから始まり、解剖ということに対する倫理観の話、そして男尊女卑や家父長制の甚だしい時代における人々の生き様、犯罪者を生んでしまう社会のあり方への批判など社会性がふんだんに織り込まれていながら、難解にならずに多くの観客が入り込めるような作風になっているのが素晴らしかった。
確かに物語性で見せる演劇作品なので、演劇で上演する意義は薄らぐのかもしれないが、間違いなく演劇初心者でも楽しめるように出来ているからこそ、演劇の良さを知ってもらえるという点で昨今のトレンドに合っているのかもしれないとも思った。
今作のテーマに関しては考察パートで議論していく。
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【世界観・演出】(※ネタバレあり)
『ヒトラーを画家にする話』でもそうだったが、「タカハ劇団」の作品はいつも具象的な舞台装置をステージ全体に仕込んで、舞台装置を移動させることなく装置の機構をふんだんに活かした舞台演出になっている印象であり、今作も例外なくそうだった。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出について見ていく。
まずは舞台装置について。
序盤ではステージ手前に暗幕が降りていて、ステージにどんなセットが仕込まれているか全く分からなかったのだが、岡本が附属病院に入るとその暗幕が全部上がって、ステージ上の舞台セットが披露される。
ステージ全体が基本的には附属病院の解剖室のような感じになっているのだが、下手側には黒いカーテンで三方が囲まれた看護婦たちの控え室的な空間があり、そこでりょうとミチ子が会話したり、ミチ子と正木がキスをしようとしたりする。そして上手側にも本棚で囲まれた壁のない空間が一つあり、そこで典裕と寧々の二人が正木をミチ子の夫に迎えることに対して話し合ったりする。
それ以外は基本的に解剖室の舞台装置になっている。ステージ中央には解剖を行うためのベッドが一台置かれており、その上手側下手側周辺には、段上になった大きな壁のようなものが置かれている。その段には登ることが出来て、その段の上で会話するシーンもある。
ステージ背後には巨大な窓ガラスが張られており、その向こうには樹木が生えていることを窺わせる。
天井からは大きな照明が吊り下げられている。
全体的に昔の古い病院という舞台セットを感じられて非常に作り込まれた世界観だった。全体的に舞台装置が白色なのも、どこか気味の悪さを感じられ、だからこそ岡本の服が真っ赤に染まっている演出が際立った。
次に衣装について。
基本的に医学部の教授、助教授、勤務医たちばかりなので、多くが白衣を着ていた。その白衣も年齢を重ねた教授ほど黄ばみが見られたように見えて年季を感じた(照明の当たり方が影響していて、実はそんなことなかったかもしれないがそのように見えた)。だからこそ、一番若い正木の白衣が真っ白に見えた。
りょうとミチ子の看護婦の白衣も昔ながらの白衣という感じでデザインが素敵だった。そして平井さんはその白衣が凄く似合っていた。
次に舞台照明について。
病院らしく冷たく白く照らされる照明が印象的だったように思えた。しかし、ワンシチュエーション的なシーンが多かったので、そこまで照明演出で見せるシーンは多くなかった印象。
岡本が正体を現してからは、照明が割とシリアスな雰囲気が強くなったように感じた。
そしてラストの岡本がピストルで自殺するシーンでは、ステージ全体が照明で真っ赤に染まるのでインパクトがあった。
次に舞台音響について。
客入れの昭和初期にラジオで流れていたような古い歌謡曲みたいな音源がとても好きだった。その楽曲ですでに世界観に浸れた。そして客出しのBGMも作品のシリアスっぽさを感じさせる音源でチョイスが良かった。
序盤にステージ手前側の暗幕が上がる時のシリアスな感じの音楽も良かった。
そして一つ気になったのが、手前側にあるとされる解剖室の入り口の扉の音が、まるで打ち上げ花火が打ち上がるかのような音に聞こえた。あれは意図的なのだろうか、ちょっと扉が開く音には聞こえず気になった。
それとラストのピストルの音は大きくてびっくりした。
最後にその他演出について。
序盤のシーンで登場人物がそれぞれ自己紹介をするのは、分かりやすくて良いなと思った。これによって、誰がどういう人物の名前なのかを掴みやすくて、中にはそれがないと分かりにくいと感じる観客もいると思うので、そういう意味で説明として良かったのかなと思う。私個人としては、そんな自己紹介は要らず話が進むにつれて自然と顔と名前が一致してくる感じで没入したいのでなくても良かったが。
また、今作の一番最初のシーンでは、秘書の山田が岡本を附属病院へ案内するときに、客席側から登場してステージ上に上がっていくという演出を取っている。つまり客席を使った演出になっている。岡本は実は岡本ではなく死刑囚のイズミであり、極悪な犯罪者がステージ上に上がることによって物語が始まるという構成になっている。これは、ある種の岡本が死刑囚のイズミだったということを暗示する伏線だったなと思う。
そして何と言っても、田中結夏さんによる舞台手話通訳が素晴らしすぎた。もちろん、ステージの上手側でずっと一人で手話をやるという取り組み自体も凄いと思うのだが、私が注目したのは田中さんの役者ぶり。表情を上手く作りながら必死で伝えようとする姿に魅力を感じた。一人の役者だった。あそこまで入り込んで手話をやってくれたら、それはハンディキャップのある方も一緒に感動して泣いてしまうよなと思う。
割とシリアスな話なのに、終盤でコメディ的な台詞の掛け合いが多かった。観客は結構ウケていたが、私的には蛇足にも思えた。そこまでコミカルなシーンを無理にやらなくてもと思った。
帝大の名前が出てくるのは、国立大出身の私にとっては嬉しいなと思う。それぞれの帝大の登場人物から帝大のカラーも窺えるのかもしれないがそこまでは捉えきれなかった。
90年前のことを描いている物語だが、登場人物たちの台詞は割と今どきの言葉遣いに置き換えられているよなと思う。もちろん家父長制の価値観や男尊女卑は手に取るようにわかるが、多分昔のそれはこんなもんじゃなかったと思う。しかし、あまりにも忠実にしてしまうと今度は観客がついていけなくなり評判が落ちると思う。私は個人的に、ここまで今どきの言葉遣いで書かれると違和感を感じてしまったが、多くの観客に受け入れやすいものと考えるとこの演出で良いのかもしれない。
そして、昭和初期という時代を描いていて、ミステリーサスペンス要素があるからかもしれないが、どことなく江戸川乱歩作品ぽさがある。岡本三郎もどこか怪人二十面相っぽい。
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
今回のキャスティングは、多くの役者が他の舞台で観たことがある俳優で小劇場演劇の豪華キャスティングとも呼べる座組だったが、本当に素晴らしい座組で「タカハ劇団」の20周年の集大成とも言える力の入れようだった。
特に印象に残った俳優について見ていく。
まずは、岡本三郎役を演じた平埜生成さん。平埜さんの演技は、オフィスコットーネ・プロデュース『兵卒タナカ』(2024年2月)で一度演技を拝見している。
平埜さんのサイコパス感ある演技は本当に素晴らしいものだった。登場した序盤は、ベラベラと威勢の良いことを話す若造という感じがして、胡散臭さが立ち込めてくるような感じがした。どことなく自信があってエリートで、若いからこその勢いがあって、自信がなくて小さくなっている正木とは正反対だった。
中盤では、割と岡本の存在感は薄くなったように思えたが、終盤の自分が死刑囚のイズミであるという正体を明かした時のサイコパスぶりは見応えがあって怖かったなと思う。あの役どころは難しいと思う。平埜さんは、そこを狂気っぷりを見せつつやり過ぎにはならない程度に演じていたのが素晴らしかった。
そして、私は最後まで岡本が死刑囚のイズミであると気づかなかった。途中で気づいた人はどのくらいいるだろうか、私が油断して気づかなかっただけで、気づく人はいる気がする。
また、岡本を見ていると、特に最後は江戸川乱歩の『怪人二十面相』っぽさを感じる。高羽さんがどこまで昭和初期を舞台にしたサスペンスを参考にしているかは分からないが、江戸川乱歩好きの自分にはそことリンクしながら観ていた。
次に、正木信親役を演じた小西成弥さん。小西さんは、劇団時間制作『トータルペイン』(2023年10月)、演劇ユニット鵺的『バロック』(2020年3月)で演技を拝見している。
私は正木が今回の作品で一番格好良く感じられた。というか、今作を観て正木というキャラクターと小西さんの演技を好きになる方は多くいらっしゃるんじゃないかと思う。
最初は存在感が薄く、名だたる大学病院の教授、助教授、勤務医の陰に隠れてしまう存在だった。しかし、恋人のミチ子とのシーンで、ミチ子に色々と励まされる。この辺りから、観客は徐々に岡本から正木に主眼が向いてくるんじゃないかと思う。
そして一番の見せ所は、後半の犯罪者が潜在的に持つ遺伝子の話。aという犯罪を犯す人が持っている遺伝子が子供によって受け継がれる様をホワイトボードを使って説明するシーンがとても印象的だった。この遺伝子というのは、犯罪もそうかもしれないが知的障害もそうだと思う。人々はみんなグラデーションで、善と悪というのがはっきり区別されるものではなく、多くの人にその要素が含まれている。ホワイトボードに図を示しながらその説明をしていく様が本当に説得力もあって、かつ一番格好良さを感じさせるシーンで好きだった。
また、それまで冴えなかった正木が名だたる教授や助教授たちの前で力説して一人の勤務医として認められていく様も、観客にとっては爽快な物語の進め方で好きだった。
個人的に好きだったのが、嵐山正憲役を演じた土屋佑壱さん。土屋さんの演技は、オフィスコットーネ・プロデュース『兵卒タナカ』(2024年2月)、シス・カンパニー『ザ・ウェルキン』(2022年7月)、カムカムミニキーナ『猿女のリレー』(2020年7月)で演技を拝見している。
嵐山は、橘典裕ほど歳を取ってはいないが、正木や岡本よりはキャリアを積んでいて中堅といった感じの立ち位置で、かつ日東帝国大学医学部所属でもあるので、典裕と近い存在でもある。だからこそ、割と立場的に目立った発言をすることも多く重鎮的な存在だったが、そんな役が土屋さんにはよく合っていた。
土屋さんの演技は他の作品で度々拝見しているのだが、良い意味で主張の激しい役を演じていることが多く、今作でもその主張の激しさが印象に残った。
また、土屋さんはそういう堅い役も演じながら、一方でコメディリリーフ的な役もこなせるので本当に器用な役者さんだなと思う。割と終盤では嵐山によって会場が沸いているシーンもあった。
あと今回の土屋さんの演技を観て思ったのだが、カムカムミニキーナの八嶋智人さんに似ているなとも思った。むしろ、八嶋さんが演じる嵐山を観て見たいなと思った。
日東帝国大学医学部の教授である橘典裕役を演じた野添義弘さんの貫禄のある演技も素晴らしかった。私自身は、野添さんの演技は初めて拝見したが、『鎌倉殿の13人』『虎に翼』などで活躍されている俳優でもある。
野添さんが演じる典裕は、本当に威厳があってこの由緒ある日東帝国大学医学部附属病院を引っ張ってきたのだなと感じる。しかし、彼自身も婿入りでこの病院を継いでいるので、元々は貧しい家柄だったという設定なので、そういう設定にも少し親近感を与える部分があるよなと思う。
また、娘を本当に正木と結婚させて良いのか、娘を思う気持ちも垣間見られて好きだった。
橘ミチ子役を演じた平井珠生さんも素晴らしかった。平井さんは、イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』(2024年8月)で演技を拝見したことがある。
平井さんは本当に恋する女性を演じるのが上手いというか、イキウメで拝見した時にもそれを感じたのだが、特に正木とミチ子の二人のシーンは本当に素晴らしいシーンで良かった。こういうシーンがあるからこそ、シリアスで哲学的なテーマを扱っていても、多くの観客に入り込みやすい構造になっていると思う。
ミチ子の正木にかける言葉遣いが凄く上手い。キャラクター性もしっかり確立しているから感情移入しやすいのだが、平井さんの演技が上手いからこそさらに感情移入をしやすくしていると思う。お見合いではなく恋愛結婚がしたい、そのために自分の両親に格好良い所を見せて欲しいと願うその気持ちが本当にグッときて素晴らしかった。
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【舞台の考察】(※ネタバレあり)
今作の「タカハ劇団」の作品は、過去に観た『ヒトラーを画家にする』以上にわかりやすく観客に哲学的な問いかけを提示し、そこに興味を持ってもらうような形でエンタメとして作品を作り上げてきていたと思っていて、ストーリー展開も素晴らしかった。この作品をきっかけにして演劇が好きになる人が増えてくれることを祈るばかりである。
ここでは、今作のテーマである戦前の「優生思想」について考察していく。
今作でしきりに登場するのは、健常者でない人間を生む、生まないの遺伝子的な議論が多くなされている。正木も、犯罪者になり得る遺伝子を消滅させるよりは、犯罪を生まない社会環境を作り上げる方が手っ取り早いと述べていた。唐突に劇中でこのような発言があったので、それは一体どういうことなのかと疑問にその時感じたが、後で調べてみるとそこには戦前の日本の優生思想が絡んでくるように思える。
日本は第二次世界大戦で敗北するまで、富国強兵のもと政策を推し進めていた。そのため優れた遺伝子を持つ人間を増やすような取り組みがなされていた。
元を辿ると、日本の優生思想の原点は明治時代の福沢諭吉による『学問のすゝめ』とも言われている。『学問のすゝめ』では、かの有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、といえり」と語る一方で、「人の能力には天賦遺伝の際限ありて、決して其の以上に上るべからず」とも説いた。つまりこれは、人間の体格・性質・知能とも親からの遺伝が決定的な意味をもつと説いたとも言える。
1900年頃には人種改良論が輸入され、多様な分野の研究者が優生学に参入するようになった。海野幸徳の『日本人種改良論』や永井潜の『民族衛生上より観たる精神病』が断種の必要性を論じ、「不具者、白痴、精神病、犯罪人は悪質者」として、かれらに対する断種を唱えたのである。
だからこそ戦前の日本の近代国家は、富国強兵策によってこの断酒という考え方が取り入れられ、「不具者、白痴、精神病、犯罪人は悪質者」になり得る遺伝子を排除しようとする動きが強まったのである。
それによって、日本の精神医療体制は大幅に欧米と比較して遅れたとも言われている。
日本の場合、精神医療に関しては民間に委ねられており、1900年に制定された「精神病者監護法」によると、精神病院を警察の管轄下におくことを定め、各家の「座敷牢」(精神病患者を隔離する空間)を公認した。そのため、障害者は私宅の「座敷牢」で監禁状態に置かれ、1950年の「精神衛生法」まで続いたと言われている。
臨床心理士の資格を持っている人から、知的障害というのはそうであるか、そうでないかの二択ではなくグラデーションの話なのだと聞いたことがある。誰しもが、そうなり得る遺伝子というのを部分的に有しており、その比率が高ければ高いほど知的障害の症状も強く出やすい。そして結婚して子供を出産する時、その子供が知的障害のリスクがあるかどうかは、両親の遺伝にどの程度知的障害になり得る遺伝子を含んでいるかどうかにも依る。父も母もどちらも知的障害の症状がなかったとしても、二人が一定の比率で知的障害の遺伝子を持っていたら知的障害の子供が生まれてくる可能性だってある。
これは、正木が劇中で示した遺伝子の内容ともリンクする話だと思った。しかし正木が述べていたように、犯罪者も知的障害者も、遺伝子だけによって決まる訳ではなく、社会環境によってもそれを誘発させることがあることを示していた。実際、イズミに関してはりょうが証言するように、満州国では貧しいながら赤子を抱えて世話をする善良な青年だった。しかし、そこから何があったのか27人もの人を殺す悪人になってしまった。
もし満洲国が極悪な環境でなかったら、イズミが犯罪者になることはなかったのかもしれない。映画『ジョーカー』のアーサーが貧しい母子家庭の家庭環境だったことからあのような極悪人の犯罪者になってしまった訳だし、社会的な環境によって犯罪者が生まれてしまうというのは本当に重要なメッセージだと思う。
そういう犯罪者を生まないような社会環境を整えて行くことこそこれからは大事なのだと思う。
今作を観劇していて、90年前の日本の物語であるにも関わらず、どこか令和時代の今と共通すると感じさせるポイントがあるのは、人体解剖を行うという時に身体はモノなのかそうでないのかという倫理観が出現するからであろうと思う。人間の体は機械と代替できるのかという問いかけは、まさしく人間とAIというテーマを想起せざるを得ない。
人は出産するかしないかを望むことができる、もちろん望んだからといって必ずしも出産できる訳でもないし、どんな子供が生まれてくるかを決めることはできない。生まれてきた子供を無条件に受け入れるしかない。しかし出産をある程度コントロール出来るようになったということは、人間もある種機械と同じようになってきているのかなとも思う。
少子化問題もあり効率的な社会を実現するために、生まれてきた子供には優れた能力を持って欲しいといったような圧力が現代社会ではよりかかっているように思う。教育にも今まで以上にリソースをかけるようになった時代でもある。社会に適応できない人間の肩身は狭くなっているように思う。
そんな社会のあり方が本当に正しいのだろうかという問いかけを、今作を通じて多くの観客に委ねた傑作だったのではないだろうか。
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