舞台 「ビロクシー・ブルース」 観劇レビュー 2023/11/11
公演タイトル:「ビロクシー・ブルース」
劇場:シアタークリエ
企画:東宝
作:ニール・サイモン
上演台本・演出:小山ゆうな
出演:濱田龍臣、宮崎秋人、松田凌、鳥越裕貴、木戸邑弥、大山真志、岡本夏美、小島聖、新納慎也
公演期間:11/3〜11/19(東京)
上演時間:約2時間50分(途中休憩20分を含む)
作品キーワード:青春群像劇、戦争、人種差別、ラブストーリー
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆
ブロード・ウェイを代表する喜劇作家で、三谷幸喜さんも大きく影響を受けたとされるニール・サイモンの作品を、劇団四季『ロボット・イン・ザ・ガーデン』などを演出したことでも知られる小山ゆうなさんの演出で上演。
今回上演されたニール・サイモンの作品は、1985年に彼が発表した『ニール・サイモン戯曲集』に含まれる作品のうちの一つであり、ブロード・ウェイでも上演されてトニー賞最優秀作品賞を受賞したり、ドラマデスクアワード演劇部門ノミネートなどされている。
また、1988年には邦題『ブルースが聞こえる』として映画化もされているニール・サイモンの代表作の一つといっても良い。
ニール・サイモンの作品自体は、2020年12月に三谷幸喜さんの演出のもと『23階の笑い』を観劇したことがあって、今回の観劇は2度目となる。
私は、事前に今作の戯曲も映画も触れたことない状態で観劇に至った。
物語は、第二次世界大戦中の新兵訓練所を舞台とした青春グラフィティである。
1943年、主人公のユージン・モーリス・ジェローム(濱田龍臣)は、新卒訓練所のあるミシシッピ州ビロクシーに列車で向かっていた。
同じ列車には、ユージンと同じく新兵訓練を受けることになるドナルド・カーニー(松田凌)、ロイ・セルリッジ(鳥越裕貴)、ジョーゼフ・ワイコフスキ(大山真志)も乗っていた。
列車の中がおなら臭いと彼らは騒ぎ立てるが、その犯人はどうやら先ほどの4人の誰でもなく、ずっと眠っていた見るからに体がひ弱そうなアーノルド・エプスタイン(宮崎秋人)だった。
ユージンは列車の中で、3つの目標を達成しようと決意する。
それは、作家になるということ、戦争で生き残るということ、そして初体験をするということ。
ビロクシーの新兵訓練所に到着した一向だったが、マーウィン・J・トゥーミー軍曹(新納慎也)のスパルタな訓練に一同は骨を折ることになり...というもの。
事前に戯曲を読んだことがなかった私は、今作が「青春グラフィティ」だということだけは知っていたので、主人公ユージンの青春ラブストーリー的な展開になるものだと期待していた。
しかし、ユージンがビロクシーで娼婦のロウィーナ(小島聖)やカトリック学生のデイジー(岡本夏美)といった女性と出会うのは劇後半の第二幕になってからで、第一幕はひたすら新兵訓練所でのトゥーミー軍曹による非人道的な訓練に振り回される様が描かれる。
この脚本の面白さを上手く上演するためには、恋愛要素に頼らずに新兵訓練所で苦労するさまを会話劇として魅力的に仕上げる必要があるのではと感じた。
しかし、個人的にはその重要な第一幕の迫力が会話劇として物足りない感じがしたので、演出としても俳優としてももっと第一幕をコミカルに観せて欲しかったと感じた。
というか、そこを踏まえるとこの会話劇はかなり演出家と俳優の腕を試される脚本な気がして難易度が高い作品なのだろうなと思った。
第一幕は、スタンリー・キューブリック監督映画『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹による過酷な新兵訓練を想起させられたが、その作品と比較してしまうとどうしても今作は見劣りしてしまうが、個人的には新納さんが演じていたトゥーミー軍曹は、ハートマン軍曹ほどの極度なスパルタ感はなかったが、あの堂々とした低い声で新兵たちにプレッシャーをかけ続ける新納さんらしい演技は好きでハマっていると感じた。
だからこそ、もっと新兵たちが会話劇でもっと魅力的に面白く演じて欲しかったかなと思った次第だった。
みんな同じ格好をしているというのもあり、俳優たちのことについて詳しくないと区別もつかないくらいだったので、もっと個性を解放してコミカルに遊び倒して欲しかった。
ただ、ユージンを演じる濱田龍臣さんと、アーノルドを演じる宮崎秋人さんの個性は凄く好きだった。
濱田さんのあのピュアでいかにも童貞らしい感じは役にもハマっていたし、特に第二幕の恋愛を通して自己成長を遂げて自信をつけていく様は観ていて魅力的だった。
アーノルドは、脚本の設定上個性の強いキャラクターであるが、まさか宮崎さんだったとは思えないくらいひ弱で屁理屈ばかりこねてへその曲がっている感じが凄くハマっていて、宮崎さんの演技力の幅を知ることが出来て良かった。
喜劇ではあるのだが、上演自体は笑える要素はそこまで多くはなかったように感じた。
客層はおそらく出演者推しだとされる若年層女性が多くて、その割にはこの作品は下ネタ要素も多いので、引いてしまう観客もいるかもしれないが、そこを除けば今を生きる人々にも楽しめる作品だと思うので、興味ある方は一度ご覧になってほしい会話劇だった。
当時のアメリカ兵の訓練の様子も教養として知ることが出来るのではないかと思った。
【鑑賞動機】
2020年12月に三谷幸喜さんが演出した『23階の笑い』を観劇した時に、ニール・サイモンの描く脚本はとても面白いなと感じて、彼の描く作品にもっと触れたいと思った。
今作の『ビロクシー・ブルース』は、ニール・サイモンの作品の中でも代表作に入る部類の作品なので、期待値高めで観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
1943年、ユージン・モーリス・ジェローム(濱田龍臣)は列車に乗りながらモノローグを語る。この列車は、故郷であるニュージャージー州のフォート・ディックスから新兵訓練所のあるミシシッピ州のビロクシーに向かっている最中。ユージンを含め、一緒に列車に乗っているドナルド・カーニー(松田凌)、ロイ・セルリッジ(鳥越裕貴)、ジョーゼフ・ワイコフスキ(大山真志)も、これからビロクシーで新兵訓練を受ける所である。
ユージンは、一緒に列車に乗る彼らの説明を始める。ドナルド・カーニーはアーティストを目指してお金持ちになりたいという夢を持っている。ロイ・セルリッジはお調子もので、ジョーゼフ・ワイコフスキは体つきもよく勇敢で横暴なところもあった。
列車の中がおなら臭い、4人はお互いに誰が屁をこいたのか犯人探しを始める。しかし屁をこいたのはその4人でも誰でもなく、上のベッドで眠っていたアーノルド・エプスタイン(宮崎秋人)だった。アーノルドは横になりながら、自分は生まれつき健康でなくて気分が悪かったからおならをこいてしまったと言い訳をする。
列車の中で、ユージンは3つの目標を達成しようと決意する。一つ目は作家になるということ、二つ目は戦争で生き残ること、そして三つ目は初体験をすること、つまり童貞を卒業するということだった。
新兵訓練所に到着した一向は、自分のベッドに荷物を置く。5人の新兵たちの前に、マーウィン・J・トゥーミー軍曹(新納慎也)が現れる。トゥーミー軍曹は、この新兵訓練所での返事は「ホー」だと教える。しかし、アーノルドはずっとトイレに行きたそうにしている上に、返事も「ホー、ホー」と2回言っていた、トゥーミーに目をつけられたアーノルドは彼から厳しく指導を受けるも、その態度は決して改められなかった。
トゥーミーの厳しい尋問に、カーニーやセルリッジなどが次々と腕立て伏せをする羽目になる。そんな様子を見ていたユージンは、彼らの代わりに自分が腕立て伏せをすると申し出る。しかし、アーノルドは一向に腕立て伏せをしようとしなかった。
「MESS HALL」という表札のある食堂で、食事をすることになった新兵たち。その食堂では、同じく新兵訓練を受けているジェームズ・ヘネシー(木戸邑弥)が何かの罰でウェイトレスをやらされていた。
一向の前に運ばれてきた食事はまるで泥んこを食べさせられているのかというくらい不味いものだった。カーニーとワイコフスキはなんとか食事を食べ切って、トゥーミー軍曹にOKサインをもらっていた。しかし、ユージンは宗教上の問題で今日は食事をすることが出来ないとトゥーミー軍曹に言う。トゥーミー軍曹は、ありとあらゆる宗教のことをカレンダーで把握していて、今日はどの宗教の日でもないと言う。ユージンは、「エル・マゲーニャ」という宗教では、今日は食事が出来ないという。トゥーミー軍曹は、そんなユージンの言葉を無視して強制的に食事をさせる。
ユージンとセルリッジは、アーノルドに食事を全てあげて、トゥーミー軍曹の目を盗んで食堂を後にする。アーノルドは、こんな泥んこ食べられないと泣き言を言う。ユージンは、そのまま夜間ハイキングに行く。
アーノルドは、食事を食べきれなかった罰としてトイレ掃除を数日間やらされており、自分の家のトイレよりも綺麗にしたと言う。にも関わらず、そのトイレに兵士たちがやってきて汚くしていってうんざりだと言う。
ユージンは、みんなで人生最後の時間にしたいことを言うゲームをやろうと提案する。カーニーは、アーティストとして売れて大手レコード会社と契約したいという夢と、4000人の女性ファンたちとセックスをするという夢だったら、前者の方が良いと言う。しかしワイコフスキは、後者の方が魅力的だと言う。
アーノルドに人生最後の時間にしたいことを聞くと、トゥーミー軍曹に腕立て伏せ200回やらせたいと言う。
ある日、トゥーミー軍曹が深夜であるというのにやってくる。理由は、ワイコフスキの62ドルが盗まれてその犯人探しをしているからだと言う。
アーノルドは、自分の荷物から62ドルを持ってくる。みんなアーノルドがワイコフスキの62ドルを盗んで自主したのかと思ったが、実はその犯人はトゥーミー軍曹で自分のポケットから62ドルを出した。トゥーミー軍曹はアーノルドに、犯人でもないのに犯人であると嘘をつくことは、盗むことよりも悪いとし、アーノルドに腕立て伏せをさせる。
後日、ユージンはアーノルドにどうして62ドルを盗んでいないのに出したのかと尋ねると、それは信念を貫いたからだと言う。正義と信念は時には衝突することもあるが、そう言う時こそ信念を貫くのだと言う。ユージンは、そんなアーノルドの信念の強さと貫き通す姿を尊敬する。そしてアーノルドはユージンに、君には「ツッコミ」が足りないから信念を貫けないのだと叱られる、決して傍観者にはなってはいけないと。
ここで幕間に入る。
ユージンは、カーニーたちとビロクシーのホテルにいる。娼婦たちと夜遊びしようとしている。ユージンは、童貞を卒業することが達成しようと決意したことの一つだったので、その目標がようやっと達成できると前向きだった。
ユージンとカーニーは会話をする。カーニーには実はフィアンセがいた。しかし、カーニーがなかなか結婚を決意しないものだから、そのフィアンセにもボーイフレンドがいた。カーニーが今付き合っている女性と結婚出来るかは50:50だと言う。
ユージンはラブホテルで一人で入り込んで、娼婦のロウィーナ(小島聖)に出会う。ロウィーナは童貞で且つセックスの仕方を全く知らないユージンを非常に可愛がる。そしてユージンは、ロウィーナに色々教えてもらいながら初体験をするのであった。
ユージンは、その後新兵訓練所にいる時もやたらとハイテンションでポジティブだった。3つの目標のうちの一つを達成したのだし、大人の男性としての自信にも繋がったから。ロウィーナにはサービスしてもらって1回分の料金で2回やってもらったのだと言う。
その頃新兵たちの間では、ユージンがいつも書き記している回顧録のことが話題となっていた。ユージンは自分の周りに起きた出来事や人間観察を回顧録に書き止めていた。それを読み上げると、そこにはカーニーのことはいざとなった時に頼りにならないと書かれていてだいぶ落ち込んでいた。ワイコフスキのことも、回顧録では良いことも書かれていたが、悪いことも書かれていた。
一方でアーノルドのことに関しては、哲学者のようだとか信念を貫く男だとか色々書いた末に、同性愛者であるに違いないとまで書いていた。アーノルドも機嫌を損ねて寝てしまった。
ユージンとカーニーはその後二人で話をし、カーニーは蛸壺に潜って日本軍と戦うよりも結婚することの方が怖いのだと言う。手榴弾で自分の体が吹っ飛ばされるのは一瞬かもしれないが、結婚というのは間違えた選択をしてしまったら、その後50年と苦しまないといけないからと。だから結婚を決められないのだと語る。
ある日、新兵たちはトゥーミー軍曹に招集される。そしてヘネシーが呼び出されて、彼は強制的にこの隊から外されることになってしまう。
ユージンはその後、もう一度ロウィーナに会いに行くが、ロウィーナもうユージンのことを覚えていてくれはしなかった。
カーニーはデイジー(岡本夏美)という女性と一緒に踊っていたが、カーニーはデイジーの元を去ってしまうとユージンはデイジーに近づく。デイジーとは、デイジーという名前が登場する『華麗なるギャツビー』のことについて話があって一緒にダンスすることになる。ユージンはダンス中に何度も彼女の足を踏んでしまったにも関わらず、何も咎めることをしなかったデイジーを益々好きになっていく。
アーノルドは、トゥーミー軍曹の元へ呼び出しに遭っていた。トゥーミー軍曹は酒を飲みながら、アーノルドに向けてピストルを突きつけていた。トゥーミーは自分は最低な軍曹だと自白しながら、同性愛者の疑いのあるアーノルドの代わりにヘネシーを強制退去させたことについて話していた。トゥーミー軍曹の役目は、新兵の中で一番底辺の成績の新兵を鍛えさせて模範となる兵士にすることだと言う。
トゥーミー軍曹は、自分からピストルを奪って突きつけるように指示する。アーノルドはピストルを奪ってトゥーミー軍曹に向ける。その時、ユージンなど他の新兵たちも呼んできて、この光景を目の当たりにさせる。アーノルドは、トゥーミー軍曹に腕立て伏せをさせる。トゥーミー軍曹は大人しく腕立て伏せを始める。
その後のユージンのモノローグでは、そんな出来事があった後、トゥーミー軍曹はビロクシーの新兵訓練所を離任することになり、それ以来会っていないと言う。トゥーミー軍曹の後任の軍曹は、彼とは違って非常に常識のある今時の価値観を持つ軍曹だったので、理不尽なことはされなかったのだと言う。トゥーミー軍曹は、昔ながらの古い価値観を持った軍曹だったので、あのような目に遭ってしまったが、彼が離任して3ヶ月も経ってみれば少し恋しくもなってしまったと言う。
ユージンはデイジーに会いにいく。デイジーはカトリック学校に通っているくらいキリスト教の教えに忠実な家系で、今日はパーティーやデートなどを慎まなければいけない日だから、会えるのは5分だけと言ってユージンに会う。ユージンはデイジーに自分の今の気持ちを伝えてキスをする。そして、ユージンはビロクシー新兵訓練所にいる兵士だから、いつこのビロクシーを離れて戦場に行ってしまうか分からない。だから気持ちを伝えたかったのだと言う。
デイジーも嬉しく思い、たとえユージンがこの土地を離れて二度と会うことがなかったとしても、ユージンにとっての初めての彼女はデイジーであることを告げて去る。
ビロクシーに来て2年が過ぎた、1945年。ユージンは再びカーニーたちと列車に乗っている。最初に立てた目標のうち、初体験をするということは達成出来て成人男性としての自信がついた。
カーニーは眠りながら歌を歌い出して上演は終了する。
思った以上に第一幕が新兵訓練所でのトゥーミー軍曹によるスパルタな徴兵訓練だったので、もう少しラブストーリー要素が強いのかと思ったらそうでもなかった。むしろニール・サイモンは、恋愛を描きたいのではなくて自叙伝的に自分の日常をコメディリリーフに描きたかったので脚本としてはそれで良いのだと思う。
私自身は、この『ビロクシー・ブルース』の他の演出バージョンを知らないから憶測になってしまうのだが、やはり第一幕はもう少し面白く見せる工夫が必要だったのではないかと思った。それは脚本が悪いというのではなく、演出と俳優陣の演技力の問題なのかなと思った。
ニール・サイモンはアメリカの劇作家なので、彼が描くコミカルな台詞は日本人ウケしない点も多いのかもしれない。それはたしか『23階の笑い』を観劇した時にもそう思った。だからこそ、台詞の内容ではなく、言い方だったり表情だったり他の演出要素で日本人ウケするものを取り入れないといけないと思うが、そこがもう少しやりようがあったのかなと思った。
戯曲自体はとても面白くて、ハヤカワ演劇文庫の戯曲を劇場で購入して読んだ。たしかスタンリー・キューブリック監督映画の『フルメタル・ジャケット』も『ビロクシー・ブルース』が書かれたタイミングと同じ1980年代だったと記憶しているので、当時のアメリカではこういった戦時中のスパルタな徴兵訓練を描く作品がブームだったのだろうか。
アメリカ人が演じるブロード・ウェイの本場の上演も観てみたいと感じた。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
舞台セットは非常にシンプルだったが、だからこそノイズがなくて凄く洗練された世界観と舞台美術に感じられた。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
基本的には、ビロクシーの新兵訓練所のシーンではステージ三方に縞模様の木造で出来た壁面がセットとして用意されていた。それ以外のシーンでは、特にステージの壁面に何か舞台装置が仕込まれることはなかったと記憶している。
ビロクシー新兵訓練所のシーンには、ユージンたち新兵の寝室と、トゥーミー軍曹の訓練を受けるシーンと、食堂のシーン、それからトゥーミー軍曹の部屋とされるシーンが劇中で描かれる。寝室のシーンでは、2段ベッドが合計3つ横に並べられていて、6人の新兵たちが死ぬ直前にどんなおkとをしたいかのゲームをやったり、62ドルを盗んだ犯人探しをしていた。トゥーミー軍曹から訓練を受けるシーンでは特にステージ上に小道具や舞台セットは登場しなかった。食堂のシーンでは、下手側のデハケに「MESS HALL」という表札がつけられて、これは軍隊の食堂という意味で、場所を明示的に表していた。そのシーンでは、ステージ中央に一つの長いダイニングテーブルが置かれ、椅子も置かれて横に並んで皆で食事をしていた。劇後半に登場するトゥーミー軍曹の部屋は、ステージ中央に小さな机が置かれ、その下手側と上手側の両サイドに椅子が一つずつ置かれていた。下手側にトゥーミー軍曹が、上手側にアーノルドが座っていたと記憶している。その背後にはホワイトボードなども並べられていた気がした。
ビロクシー新兵訓練所以外のシーンでは、列車のシーンではステージ中央に会い向かいになっている座席と、その上にベッドが敷けるスペースのある舞台セットが置かれていた。また、ユージンがロウィーナと初体験するシーンでは、ステージ中央に巨大なベッドが置かれていた。ユージンがデイジーとダンスするシーンでは特にステージ上には舞台セットはなく、彼女に告白するシーンでは中央にベンチが置かれていた。
このように、ステージ上はシーンによって目まぐるしく置かれる舞台セットは異なっていたが、物凄くパネルを仕込んで作り込むというよりは、全てシンプルでコントを観ているような感覚に近かった。
次に舞台照明について。
舞台照明は特段特筆したい目立った演出があった訳ではないが、個人的にはユージンがロウィーナやデイジーと出会うシーンは非常にカラフルな照明演出であるのに対し、それ以外のシーンがまるでモノクロとでもいうくらい色づいた照明がなかったという演出が興味深かった。
ロウィーナに出会うシーンでは、ステージ後方から甘いピンク色に光る演出があって非常に甘ったるい感じの舞台空間を作り上げていた点が全体のシーンの中でも映えていて良かった。同じ理由で、ユージンがデイジーと出会うシーンでも天井からカラフルな豆電球がついた飾り物の照明が吊り下げられていて、それによって舞台空間が明るく色づいていて良かった。ロウィーナのシーンではいかにも娼婦といった感じで大人の恋の匂いがしたが、デイジーのシーンには全体的にスカイブルーな感じと初々しさのある明るい色彩の対比が凄く良かった。
一方で、それ以外のシーンにそこまで照明演出に凝っていないという演出が、逆に新兵訓練所がいかに辛い日常であったのかを物語っているようで効果的だった。
次に舞台音響について。
まず、カーニーが歌うピアノの伴奏による流行歌が良かった。1940年代のアメリカという感じがあって好きだった。
その他には、客入れと幕間中に流れていた車の走行音のような効果音だろうか。1900年代前半の車が走り始めて間もない昔の感じを勝手に想起させられた。
最後にその他演出について。
濱田龍臣さん演じるユージンのモノローグが劇中に多いのが良いなと思った。たしか『23階の笑い』もそうだったのだが、ニール・サイモンが描く作品には主人公が物語を説明する感じの脚本の書かれ方が多いなと感じた。『23階の笑い』もたしか『ニール・サイモン戯曲集』に入っている作品の一つだったはずなので、もしかしたらニール・サイモンの自伝的作品は全てそのような構成になっているのかもしれない。ユージンという人物は、ニール・サイモン自身を作品の中で置き換えた人物なので、『23階の笑い』と『ビロクシー・ブルース』だけ見てとれば、主人公は皆純粋でピュアな青年なので、きっとニール・サイモン自身もそんな人物だったのかもしれないと思った。そんな純粋さはたしかに濱田さんにハマっているし、彼を起用してモノローグを語らせるという演出は功を奏していた。
劇序盤で、数枚の白いパネルが用意されて、そこにペンキで「Biloxi」とユージンが描く演出がインパクトあって良かった。この演出は、ブロード・ウェイでも演出の一つとして取り入れられているのだろうか。「青春グラフィティ」のグラフィティというのはこの演出から来ているのかなと思った。
あとは非常に下ネタの多い脚本だなと思い、そしてそこはあまり削らずに上演したのだなと思った。客層が若年層女性なので、あまりにも下ネタが続いたらドン引きしてしまう観客も多いのではと思ったが、そこは敢えて踏み込んだのは私は好意的に捉えたが、他の観客の方がどう思われたのかは感想を聞きたいと思った。
全体的には、もっと戯曲を脚色して遊んでも良かったのかなと思った、もし可能なのであれば。特に第一幕は遊べる余地のあるシナリオは沢山ある気がする。ハヤカワ演劇文庫の戯曲を読んだ内容と、上演内容であまり台本自体に変わり映えはなかったので、もっと役者や演出が遊びを入れられれば観客もウケたんじゃないかと思った。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
先述した通り、もう少しこのニール・サイモンの戯曲を遊び倒して台詞回しなどをコミカルに演じられたら尚良かったのかなと思うが、さすがは2.5次元界隈を中心に大活躍されている俳優さんばかりなので、演技慣れはしていて素晴らしかった。
特に素晴らしかった役者について見ていく。
まずは、主人公のユージン・モーリス・ジェローム役を演じた濱田龍臣さん。濱田さんの演技は、『オレステスとピュラデス』(2020年11月)、KUNIO『更地』(2021年11月)で演技を拝見している。
濱田さんの演技は、『オレステスとピュラデス』から『更地』を拝見した時に見違えるほど大人っぽく逞しい俳優になっていて驚かされた記憶がある。これは立派な舞台俳優になるなと確信した。そして今回の『ビロクシー・ブルース』でも、やはり堂々とした舞台慣れした演技力に圧倒された。
ユージンは童貞の設定で恋愛経験もなく、非常にピュアでこれから自分に訪れる出来事に対して、まるでアトラクションにでも乗るような気分でドキドキワクワクさせている所が好きだった。トゥーミー軍曹に何か言われても、割と堂々と返答する様が凄くピュアだけれども逞しくて良かった。新兵の中で意外と一番平然としている感じも、濱田さんが演じるからこそそう感じられて良かったのかもしれない。
そして、ロウィーナと初体験をしたり、デイジーと初恋をするあたりのユージンのピュアさが面白かった。特に、ロウィーナと2度やった後のテンションの高さといったらなかった。映画『500日のサマー』のトムを思い浮かべてしまった。初体験をして頭の中がお花畑になってしまって有頂天になってしまう感じ。あの青春の気持ち昂る様子は見ていて心地よかった。
デイジーと親睦を深めていくあたりも初々しくて良い。小説の話で盛り上がったり、岡本夏美のピュアな女性の演技がそれを引き立てたのもあるが、とてもユージンとデイジーの二人の会話を聞いているだけで癒されて素晴らしかった。
モノローグのシーンも、物凄く言葉に覇気があるので聞いていて心地よかった。濱田さんは一人芝居もいけるんじゃないかと思う。そのくらいもっと観たいと思わせられる演技に感じた。
次に、アーノルド・エプスタイン役を演じた宮崎秋人さん。宮崎さんの演技は、□字ックの『タイトル、拒絶』(2021年2月)、serial numberの『Secret War -ひみつせん-』(2022年6月)で演技を拝見している。
あまり出演者を把握しないで観劇に臨んでしまったので、最初はアーノルドがまさか宮崎さんだとは思ってもみなかった。そのくらいアーノルドの役は宮崎さんのイメージとかけ離れていた。メガネをかけていて猫背でいかにも兵士には向かなそうな、図書室で読書をしていた方が良さげな青年という感じで、そういった男性役も宮崎さんは演じることが出来るのかと驚きだった。宮崎さんは好青年でイケメンな印象なので、こういう演技の幅も持っているということを知れて良かった。宮崎さんは日々体を鍛えられていると思うので、アーノルドがタンクトップ姿になった時に腕の筋肉が凄く付いているのは違和感だったが、そこは致し方ないと思う。
外見はしょぼそうなのに、トゥーミー軍曹に立ち向かっていく姿が勇敢で、好きなキャラクターにはならなかったのだけれど、非常に気になる登場人物だった。そしてこういうへその曲がった捻くれ者って、たしかに自分の周りにもいるので、そういった人々とアーノルドを重ね合わせながら観劇していた。
猫背だったり、ずっとトイレに行きたそうだったり、ずっと落ち着かなかったり、すぐに言い訳したり凄く個性的な役で、そのあたりを上手く演出して演じてしまう宮崎さんは素晴らしかった。
マーウィン・J・トゥーミー軍曹役を演じた新納慎也さんも素晴らしかった。新納さんは、シス・カンパニーの『ショウ・マスト・ゴー・オン』で演技を一度拝見している。
昨年はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演されたり、今は朝の連続テレビ小説『ブギウギ』にも出演されて大忙しの俳優さんだが、新納さん演じる軍曹もこれはこれで味があって良かった。どうしても新兵訓練所の軍曹というと、『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹を思い浮かべてしまって、ずっと下ネタを連発しながら理不尽に怒鳴り散らすイメージがあった。『ビロクシー・ブルース』でもそのように軍曹を演じることは可能かもしれないが、そうではなく堂々と構えて物静かな感じの軍曹も、これはこれで良いなと感じさせられて、さすがは新納さんだったなと思った。
特に新納さんの芝居で良かったのは、物語後半の酒を飲みながらアーノルドに自分を罰せようとさせる所。もうただひたすら狂っているなという印象だった。その狂い方が新納さんが演じるからこそ、どこか人間的に魅力的にも見えてくる。これがハートマン軍曹だったらヤベーで済むのだが、ちょっと愛嬌を感じるというか、トゥーミー軍曹も人間なので、少し感情移入出来る部分を感じさせる点が良かった。
デイジー・ハニガン役を演じた岡本夏美さんも素晴らしかった。岡本さんは直近の出演舞台は基本観ており、ピンク・リバティ『点滅する女』(2023年6月)、劇団時間制作『哀を腐せ』(2023年8月)と観ている。
出番が後半しかないのが勿体無い所だが致し方ない。本当に育ちの良い純粋な女性という感じが、観ていて癒された。凄くお姫様みたいな演技で(もちろん良い意味で)、あそこまでピュアに演じることの出来る女性もなかなかいないであろう。
そしてまた、カトリック教であるが故にキリスト教に忠実な所も良かった。今日は、宗教上パーティやデートが出来ない日なのだと頑なにユージンとのデートを断ろうとするあたりも好感が持てるのだが、さらにそんな中でも短い時間を作ってユージンに会ってくれる性格も素敵だった。
岡本さんがデンジーという女性を演じてくれたおかげで、デンジーという女性が凄く魅力的に感じられて後半部分はぐいぐいと引き込まれる作品になっていた。
あとは、ロウィーナ役を演じた小島聖さんも良かった。小島さんは、2022年12月に『夜明けの寄り鯨』で演技を拝見している。
他作品で拝見した小島さんの演技とは打って変わって、今回のロウィーナの演技はとても妖艶でまさに娼婦といった感じの熟女だった。それが素晴らしかった。可愛い〜♡と言いながら童貞のユージンを子供扱いする感じとかリアリティあった。
でも、時間が経ってしまえばロウィーナはユージンのことは忘れてしまう。この前やったでしょ?と声をかけてもロウィーナは数多くの男性とやっているので覚えていない虚しさがあった。ユージンはその時どう思ったのだろうか。きっと寂しく思ったからこそ、ずっと愛し合えるピュアな女性と付き合いたいと思ってデイジーを好きになったのかななんて思った。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
私が初めてニール・サイモンの戯曲に触れたのが、2020年12月に三谷幸喜さん演出で上演された『23階の笑い』だったが、その作品は1950年代のアメリカのテレビドラマの放送作家を描いた作品で、当時のアメリカの時代背景を知っていないと詳しく理解出来なかったり、結構アメリカ特有のジョークも台詞に多分に含まれていたり、ウィリアム・シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』が劇中に登場したりと、それなりに教養がないと100%の理解は得られない作品だった。
しかし、今作の『ビロクシー・ブルース』は、時代設定も第二次世界大戦中という誰もが知っている歴史的事実に基づいているし、アメリカンジョークもさほど多くはなく、古典演劇の引用とかもないので、観劇へのハードルも非常に低いしストーリーも分かりやすかったのではないかと思った。
私個人としては、もっと恋愛要素強めだと思っていたので、特に第一幕のシーンはやや退屈なシーンもあったが、事前情報なく誰もがストーリーを楽しめるという点では観客に優しい作品だったに違いない。
ここでは、もう少しこの作品の時代背景だったり文化に触れながら考察していこうと思う。
先述した通り、ユージンはおそらくニール・サイモン自身のことを描いているとされる。ニール・サイモンはwikipediaによれば、父親も母親もユダヤ系のようである。だからユージンもユダヤ系だと思われる。そしてそんなユージンと仲良くしているアーノルドもおそらくユダヤ系だと思われる。
一方でデイジーはストーリーの内容からしてカトリック教徒なのでキリスト教徒であることが窺える。ユダヤ教もカトリック教も異宗教と結婚することは禁じられている。だからこそ、この初恋は結ばれないことは二人とも分かっているけれど、お互い好きであるということを確認し合ったのだと思われる。この作品の中では、ラストのユージンのデイジーへの告白はかなり明るく喜劇として描かれているが、実は二人とも宗教上結ばれない恋だと分かっていて、そこには禁断の恋が眠っていたのである。
これは公演パンフレットに記載されていたことだが、デイジーとユージンが出会った時に『華麗なるギャツビー』の話をする。『華麗なるギャツビー』にもデイジーという女性が登場し、兵隊と恋をする。しかしその兵隊も戦争に行かなくてはならず、デイジーに別れを告げて実らぬ恋となった。だから、デイジーがユージンに『華麗なるギャツビー』について話す段階で、それはこの物語の伏線になっていて、そこでこの二人の恋は決して実ることのないことが決定しているのである。なんとも考えてみれば切ない物語なのだろうか。
話を戻して、ビロクシーの新兵訓練所のトゥーミー軍曹は、劇中で自分は古いタイプの軍曹だと言っていた。これはトゥーミー軍曹がアメリカ独立時から白人至上主義を貫いてきた人種であることが推測される。真のキリスト教徒である白人至上主義の人々は、ユダヤ系を嫌う。
だからこそ、トゥーミー軍曹はユダヤ系であるユージンたちに厳しく当たっていたのではないかと考えられる。だからこそ、この作品は人種差別を描いた作品でもあるような気がする。アメリカという国のために新兵訓練所があって強制的に送り込まれ、人種も出身もバラバラな人々と一緒になってアメリカ国のために戦う準備をするという苦痛。それを白人至上主義の人間に扱かれるという不条理。
これは、ニール・サイモン自身がユダヤ系だったから描ける作品だったのかもしれないと思った。
↓ニール・サイモン戯曲
↓濱田龍臣さん過去出演作品
↓宮崎秋人さん過去出演作品
↓岡本夏美さん過去出演作品
↓小島聖さん過去出演作品
↓新納慎也さん過去出演作品