舞台 「悪魔と永遠」 観劇レビュー 2022/02/05
【写真引用元】
東京夜光Twitterアカウント
https://twitter.com/tokyoyako/status/1483363657275047937/photo/1
公演タイトル:「悪魔と永遠」
劇場:本多劇場
劇団・企画:東京夜光
作・演出:川名幸宏
出演:東出昌大、尾上寛之、前田悠雅、東谷英人、丸山港都、中西良介、藤家矢麻刀、草野峻平、吉田多希、砂田桃子、笹本志穂、村上航
公演期間:2/5〜2/13(東京)
上演時間:約150分(途中休憩10分)
作品キーワード:罪と罰、考えさせられる、宗教
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆
川名幸宏さんが主宰する劇団東京夜光が初めて本多劇場に進出して新作公演をするということで観劇。
東京夜光の公演の観劇は、2021年3月の「いとしの儚」、同年7月の「奇跡を待つ人々」に続き3度目の観劇。
今作のテーマは「罪と罰」。
川名さんが主演を東出昌大さんにオファーした時に、「東出昌大の『罪と罰』を書きたい」と言ったそう。
物語は、建設会社に勤めていた鞍馬正義(東出昌大)が春の決算を終えて解放された高揚感から、クラブで知り合ったマリア(前田悠雅)という女性とビルの屋上から飛び降りた。
しかし、マリアだけが死んで正義は生き残ってしまったという設定から始まる。正義は4年の刑を終えて娑婆に出るが、彼にはマリアの幽霊がずっとつきまとっていて、新しく働き始める足場鳶の職場でも自分が前科者であることを隠していくことになる。
主人公は鞍馬正義なのだが、全ての登場人物に物語があって、どんな人も大きかれ小さかれ過去に犯した罪を背負っているのだと感じた。
そして自分も、過去に相手を傷つけてしまった記憶が蘇ってきて、観劇中結構自分の過去と照らし合わせる機会が多かった印象。
それだけこの物語で訴えられているメッセージというのは、万人に当てはまる普遍的な真理なのだろうと色々考えさせられた。
またその人が犯した罪というのは、いくら自分の中で反省したとしても、自分の気が付かないところで他人にも影響を与え、苦しめているということも伝わってきて、終始胸が苦しかった。
これは、私は未読だがドストエフスキーの「罪と罰」にも通じる普遍的なテーマでもある。
とにかくキャスト陣の演技力の高さに圧倒された、メインキャストとなる東出昌大さん、尾上寛之さん、劇団4ドル50セントの前田悠雅さんを始め、劇団東京夜光の劇団員や、猫のホテルの村上航さん、DULL-COLORED POPの東谷英人さん、劇団扉座の砂田桃子さんなど俳優陣も豪華で個人的にはよく知っている俳優さんが多く楽しめた。
これを機に多くの方に東京夜光を知ってもらって劇団として大きな飛躍となって欲しい。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756619
【鑑賞動機】
劇団東京夜光が初めて本多劇場に進出して新作公演を行うから。東京夜光は、「いとしの儚」「奇跡を待つ人々」と2度観劇していて、演出スタイルや脚本も好きだった(「いとしの儚」は横内謙介さん作であるが)ので、次回公演も観劇しようと思っていた。
またキャスト陣も長らく応援させて頂いている方、演技が個人的に好きな方も沢山出られていて迷わず観劇しようと思った。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
建設会社に勤務するサラリーマンの鞍馬正義(東出昌大)は、3月の決算を終えて解放された高揚感から、クラブへ入ってそこで出会ったマリア(前田悠雅)と楽しい時間を過ごしていた。マリアの腕にはリストカットした痕跡が残されていた。マリアが「よい気持ちになれる」と薬物の入った注射を打っていたので、正義もこの際どうでもよくなってしまって注射を打ってしまう。
さらに高揚感が高まった中、マリアからビルの屋上から飛び降りようと提案される正義。正義は薬物による高揚感から正常な判断力を失っていたためか、2人でビルの屋上から飛び降りることに同意。そして2人は飛び降りる。
マリアだけが死亡し、正義は生き残ってしまう。
正義は4年間の刑を終えて釈放される。
正義は建設会社社長の小木和建造(村上航)と話をする。釈放後の正義を雇おうと申し出る。しかし、4年間の刑を終えた身であるにも関わらずあまりにもポジティブで反省している様子を感じられない正義に対して、建造は「本当に反省しているのか?」と問う。
正義にはずっと死んだマリアの幽霊がつきまとっていた。マリアはいつも正義に「あんた悪くないよ」と言って慰め、建造のような正義に詰め寄ってくる人間たちに対して庇おうとする。
正義は建造と共に娑婆に出ると、姉の鞍馬藍(笹本志穂)と久しぶりに会う。藍は正義の腹部をグーパンチで殴り去っていく。
正義は建造が営む小木和建設で足場鳶(あしばとび)として働くことになり、小木和建設の職員たちに歓迎される。正義の職場の先輩となる立川一喜(東谷英人)によって、職場のメンバーが紹介される。
先日入ったばかりの松野道夫(丸山港都)は、自分の名前を言うことも出来ずずっと黙っており、同じ職場の先輩にあたる隅吉清彦(中西良介)によって厳しく叱られる。周囲からパワハラになると注意される。
そしてこの職場では、新入りが必ずアルコールの一気飲みをするらしいのだが、正義はお酒が飲めず、一気を強要された時に動揺していたが、無理矢理にでも酒を一気飲みして気持ち悪くなっていた。
正義はマリアが常時幽霊としてまとわりついているにも関わらず、建造の次女となる日和(砂田桃子)とベッドインしていた。彼女は自称歌手であったが、誰も彼女が歌を歌っているのを見たことがなく、今は風俗嬢として働いてもいた。
マリアはそんな日和のことを快く思っていないようであった。
3年が経ち、小木和建設には新たに新入りの後輩が入ってきた。名前は我聞翼(尾上寛之)と言う。正義はもうこの職場に務めて3年目ということもあり、翼の教育係に任命される。
翼は職場の歓迎会の時に、自分は前科持ちの人間であり13年間服役していたことを堂々と告げる。周囲は驚き凍りつく。
そして、正義も自分が前科持ちの人間であるにも関わらず、それを職場の人間には一切伝えていなかったので驚いていた。
翼は前科持ちであるという点に加えて、日々の行いから小木和建設の職員たちから敬遠されていた。
小木和建設の職員たちは、翼のことについて噂し始める。一般的には過去罪を犯して捕まったことのある人間の1/2は再犯を起こすと言われている。あの感じから、翼は絶対再犯を起こす側の人間に違いないと。
正義は翼の教育係として彼と共に過ごす時間が多かった。正義は翼から、その誠実さや優しさから馬鹿にされていた。まるでお前には自分の置かれている立場が分かっちゃいないだろうなと言わんばかりに。
翼は冗談半分なのか本気なのか分からない素振りで、正義にカラビナフックをかけて自分と正義をロープで繋ぎ、高所から飛び降りようとした。
正義は恐怖する。そして正義は翼を厳しく叱りつける。他の職員も駆けつけて事は収まる。
その後、正義は翼だけに対して自分も前科持ちであることを伝える。翼は驚く。まさか正義も前科持ちだったとは思わなかったから。
立川は新築の家を建てることになり、職員がみんなで手伝いに来ていた。建造の息子の小木和安一(草野峻平)は腰を痛めてしまって手伝うことが出来なかったので、代わりにベトナム人の技能実習生のギア(藤家矢麻刀)が手伝うことになる。
しかしその建設の不慮の事故によって、ギアは片足を切断しなければならないような大怪我をしてしまう。立川はギアに対して罪を感じ申し訳無さをしみじみ感じてしまう。
松野は職場の人間との飲みの席で、自分は趣味に対してとことん金を使っていると言うが、立川からは女や子供が出来たときにお金が必要になるから貯金するようにと叱られる。
帰り道、正義は姉の藍と一緒になるが、姉は節約のためにタクシーを使わずに帰ろうとするが、正義はタクシーで帰ろうと言う。藍にはどんだけ稼いでんの?と軽い素振りで言われる。
ある晩、隅吉は職場で一人違法薬物を注射していた。しかしそれを周囲の職員に見られみつかってしまい騒ぎになる。
そして職場の人間たちは、この違法薬物を用意したのは翼だろうと疑う。翼は必死で否定するし、隅吉自身も自分で薬物を用意したことを告げる。しかし職場の人間たちは翼に対する疑いを解こうとしなかった。
そんな状況に耐えられなくなった翼は、正義も前科持ちであるこを暴露してしまう。一同は驚く。そして正義だけではなく、職場の人間が皆自分が過去に犯した罪について思い返し語り始める。ギアは冷蔵庫にあったビールを勝手に飲んでしまった程度であるみたいだが。
正義は、マリアの親族宛てへの手紙を書き始めるが、正義に対する怒りをぶつぶつと人々が唱え始める。
ここで途中休憩に入る。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756620
正義は仮病で仕事を休んでいた。マリアにはそこを突っ込まれる。
安一が正義を心配して見舞いに来てくれたが、未だに正義が前科持ちだったことに対して信じられない様子だった。
立川は、入院しているギアの元へ見舞いに行く。立川は、ギアのために諸々の生活費やらを負担すると言う。しかしギアは、立川がそこまでする必要はないと拒む。
ギアの産まれ育った故郷はベトナムで、日本と比べると賃金もとても安く、日本で働けただけで幸せなんだと言う。
正義は姉の藍の家へお邪魔する。正義は藍の子供がいないことに気が付き、ここで初めて藍は離婚していたことを知る。そしてその離婚は、正義が犯した罪によって藍の子供たちがネットで顔つきでさらされたことが原因だった。
そして藍から、正義がしっかり遺族に対して手紙を書き続けているのかを問い正す。正義は顔色を変える。
翼はどうやら子供が授かってしまったらしく、資格を取って稼がないとといきなり資格の勉強を始める。しかし、周囲から3年は働き続けてからでないと資格を受けられないと言われショックを受ける。そんなにいきなりお金はついてくるものじゃないと。
安一と建造の長女である和子(吉田多希)の間に子供が生まれて、職場の人間みんなで祝う。その時、正義は既に足場鳶の格好はしておらず随分廃れた格好をしていた。
そして正義は、前科持ちであるというイメージを職場の人間に持たれてしまってから相手にされなくなっていた。
正義は、日和を家に呼び出す。そして、日和に自分にはマリアという以前一緒にビルから飛び降りて命を落とした女性の幽霊が見えることを伝える。そして正義は、日和とマリアを握手させようとする。
あまりにも破天荒な行動だと思った日和は、正義とは一緒にいられないと伝える。そこへ松野がやってくる。日和は松野と既に付き合っているようで、日和のことを心配して松野はやってきたようだった。
結局正義は日和にも相手にされなくなる。
翼はどうやら新築の家を建てたようだった。そこへ正義が灯油の入ったポリエチレン缶を持ってやってくる。翼は慌てて来るなという。しかし正義は、その新築の家に灯油をかけて火をつけてしまう。
職場の人間みんなでの飲み会の席、正義は皆の前で前科持ちであることを堂々と告白して酒を一気飲みする。
数年後、正義は刑を終えて娑婆に戻ってくる。建造と藍が迎えに来る。建造はもううちの職場で働かせることは出来ないと言う。そして定食屋へ言ってご飯でも食べようと言う。ここで物語は終了する。
途中休憩が入るまでの前半部分は、「罪と罰」をテーマとして扱った作品であるにも関わらず随分とライトな演出だと感じて違和感を抱いていた。しかし、それは演出だったと後半を観劇したことによって気がついた。
主人公の正義は4年間刑を受けて、3年間真面目に足場鳶として働けば罪は償われると勝手に思っていた。しかし違った。それは自分の中でそう思い込んでいるだけであり、他人が正義が犯した罪についてどう思っているかなんてことは考慮されていなかった。
そして正義は自分の罪を、マリアという幽霊、つまり妄想を作り出すことによって自分を守っていた。現実から逃げていた。だから前半の演出は随分とライトだったのだと納得した。それは正義という視点に立った時の自分が犯した罪に対する捉え方だったのだと。
しかし後半になってどんどんと重くなっていく。それと同時に正義が犯した罪の重さも重くなっていくように感じた。罪というものが決して自己完結では終わらないものだったということが浮き彫りになることによって。
詳しくは考察パートで触れようと思うが、非常に考えさせられる脚本だとしみじみ感じた。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756613
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
劇団東京夜光らしく、場面転換にもしっかりとした演出が凝らされていて、どのシーンも見応えのある内容となっていた。また本多劇場公演ということもあり、舞台装置も豪華で最前列からは見上げるほどの高さがあるセットで素晴らしかった。
舞台装置、照明、音響、その他演出の順番でみていく。
まずは舞台装置から。
舞台装置は大きく分けて2つ存在していて、下手側には細長い直方体の塔が立っていて、舞台中央・上手側には巨大な2階建てのセットがあった。
まず、舞台中央・上手側の2階建てのセットに着目すると、木造で出来たあまり汚しのされていない新しめの造りのセットとなっていて、劇中で度々登場する新居や、建設途中の建物をイメージしていると考えられる。特にこのセットに壁と思わえる造りは持っていなくて、ものすごく建物の作りかけというものをイメージさせるデザインとなっていた。セットの一番下手側、つまり舞台中央奥ら辺に2階へと上がる階段が用意されており、正義とマリアがビルから飛び降りるシーンや、翼が正義にカラビナフックをかけて一緒に飛び降りようとするシーンなど、高所のシーンで使われていた。
下手側の高くそびえ立つ塔は、ところどころに細長い四角形の黒穴が開けられたユニークな舞台装置で、要所要所のシーンで教会の鐘の音が鳴り響くシーンがあって、役者たちがこの塔の付近に集まって何かを祈るような素振りをする。そんな演出から、おそらくこの塔は時計塔、もしくは教会のような神聖なものを意味するのだと思う。罪を償うという意図の演出なのかもしれないが、個人的にはしっかりと咀嚼出来なかった。
次に舞台照明について見ていく。
青白い照明など、どちらかというと赤・黄色系よりも青系の照明の方が多かった印象。
今回の舞台作品は場面転換が多かったので、その場面転換のシーンでの照明演出にも工夫があって面白かった。例えば、オープニングのシーンでは役者が全員出てきて、縦横無尽に(実際には動きは決められているのだろうが)舞台上を歩き回る演出があるのだが、そこで青白い照明が格好良く動きながら照らされていたり、先ほどの教会の鐘の音に合わせて一同が塔に向かって集まるシーンでも、同様の青白い舞台照明演出が見られた。
また、隅吉が違法薬物に手を出すシーンでのシリアスな感じを醸し出す青白い照明も好きだった。そこからの、正義が遺族に宛てた手紙を書き始めて、遺族らの心の声が木霊する演出も好きだった。
終盤の正義が翼の新築の住居に火をつけるシーンで、あからさまに赤い照明を入れずに青白い照明で一貫していたのもなぜか印象に残った。
次は舞台音響について。
音響も、全体的に重厚ってほどまでではないんだけど、重苦しいような感じをさせられる音楽が多めだったかなと記憶している。
録音があまりにも録音だった点が気になった。例えば、ギアが事故を起こしてしまう音だったり、セックスの声だったり。
ただ教会の鐘の音や、ラストの炎が燃え上がる音が迫力があってこれらは好きだった。
その他演出について。
やっぱり場面転換も一つのシーンとして捉えることができて、お芝居としてしっかり堪能できる点が見どころだった。凄く演劇的で素晴らしい演出。教会の時計塔のようなものから鐘が「ゴーンゴーン」鳴っていて、それに従うかのように役者たちが一斉に動き回る。まるで、人間は誰しもが罪を犯していてその赦しを求めるために生きているようだった。神に支配されているような感じ。
あとはシーンの中に、新入りの職人に対して一気飲みさせたり、なかなか自己紹介できない新入りに対して上司が叱ったりと、ある種現代社会の年功序列的苦しさを描写するものがあったり、お金の話をするシーンも多くて、しっかり貯金しないと女や子供が出来た時大変だとか、すぐタクシー使っちゃうなんてどんな金銭感覚してんのとか、そういうリアルな会話も節々から感じられて色々考えさせられるものがあった。というかグサグサ心に突き刺さった。
あとはマリアという幽霊の存在。正義と観客だけには見えていて、他のキャストには見えないという設定なのだが、時々他のキャストにも見えてんじゃないかと思わせる節があった。ちょっとマリアの存在については、自分もイマイチ咀嚼出来ずにいるのだが、マリアは正義にとって自分を守るための幻想でしかなくて、自分は彼女からはそう思われ続けて欲しいという願望の具現化なのだろうなと思っていた。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756614
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
本当に出演者は豪華な俳優ばかりで、そして今まで私が観劇してきて特に好きだったと思ったキャストたちが揃っている、そんな印象を受けた。
特に印象に残ったキャストについてここでは紹介していく。
まずは、主人公の鞍馬正義を演じた東出昌大さん。東出さんは今では映画「コンフィデンスマンJP」シリーズなどで大注目の俳優である。彼の演技は2020年10月に上演された谷賢一さん作演出の「人類史」以来2度目の演技拝見となる。
今作は、川名さんが「人類史」での現場で初めて東出さんとお会いした時に、東出さんの不倫騒動によるマダムたちの陰口から、「東出昌大の『罪と罰』を書きたい」と決意して彼にオファーしたのだそう。つまり、この戯曲は東出さんにあて書きされたような脚本と言っても良い。
東出さん自身が女癖の悪い人だと思うので、こういった演目は当本人にとっても刺さる内容なのではないかと思うが、実に素晴らしい演技だった。物語序盤は、本当に正義は罪を犯したのかと疑ってしまうくらい平然としていて、当初は凄く違和感に感じたのだが、後々振り返るとそれは演出のうちで、だからこそ作品として成り立つのだなと納得した。自分が犯した罪を4年の刑に処せられてそれを終えたから、もうそれで終わったと勘違いして開き直っている感じ。そんな演技が非常に上手くて素晴らしかった。
ところが後半になって、翼に前科持ちであることを暴露されてからの転落がヤバい。みるみる存在感を失っていって狂っていく感じがもう素晴らしかった。
東出さんはイケメンなんだけれど、何か足りない部分を感じさせるオーラを持っているなと感じる。高畑裕太さんにも同じことを感じるのだけれど(ヤバい似た者同士か)。その足りない部分というのが、人として絶対に持ってなければいけないもので、それがないからこそサイコパスっぽく感じる側面があるのかなと思う。そして、それが今回の鞍馬正義という役にはピタリとハマっている。
次に、我聞翼役を演じた尾上寛之さん。尾上さんは、Netflix映画「浅草キッド」に出演するなど映像方面でも活躍される俳優さん。演技拝見は、舞台「夜は短し歩けよ乙女」で拝見して以来2度目となる。
いつもひょうきんで面白い役柄をされるイメージが強いので(特に「夜は短し歩けよ乙女」はそうだった)、今作の前科持ちの敬遠されるヤバイ奴キャラはイメージと違っていて、これは逆に楽しめた。
尾上さんが本当にお芝居上手だなと感じられる点は、滑舌の良さと力強さとテンポ。凄く響く声を持っていらっしゃるキャストさんなので、発声を聞いていて心地よくなれるし、台詞テンポも良い意味で速くて素晴らしい。そしてそこに力強さがある。尾上さんの表情だったり体を使った演技も相まって本当に熱量を感じる演技に圧倒された。
新入りとして職場に入ってきた最初の飲み会でいきなり自分は前科者であることを告白するシーンでは恐怖を感じたし、皆の前で正義が前科者であることを暴く時も怖かった。まさに常人ではないと感じさせる演技がパーフェクトだった。役者って凄え。
次は、マリア役を演じた劇団4ドル50セントの前田悠雅さん。前田さんの芝居も2021年9月上演の舞台「ヒミズ」などで拝見している。
マリアの幽霊役というよりは、正義の妄想、そして自分の都合のよいように勝手に作り上げられた偶像でもあるだろう。前田さんはこの役作りに苦労されたそうだが、たしかにある種正解のないような役柄なので難易度として高いだろう。
私はずっと正義という男が、こういったマリアのような自分のダメな所に突っ込んでくれるけれど、必ずいつも味方してくれる女性を欲していたのだろうなと思いながら観ていた。そして特に、自分の犯した罪を贖罪してくれる存在としても。
ただ、所々このマリアも自我を持っている点が彼女の存在の解釈をさらに難しくしている。例えば、私も資格取りたかったなwebデザインの専門学校途中で辞めちゃったとか。結局私の理解不足で、このマリアを通して川名さんは何を訴えたかったのかが分からなかった。幽霊のマリアをここまで登場させる必然性を。
でもこのマリアって、非常に現代の若者女性が抱えてそうな問題にも捉えられて色々と胸が苦しかった。やりたいことが見つからないとか、人生を考えあぐねている感じが痛々しかった。そんな役を演じ切ることの出来た前田さんは非常に素晴らしいのだが。
小木和建造役を演じた猫のホテル所属の村上航さんも非常に味のある演技で良かった。
彼の演技を拝見するのは初めてなのだが、あの落ち着いた貫禄のある感じが好きだった。序盤のシーンで正義に、本当に反省しているのかと問いただしたり、それでも優しく自分の営む職場を紹介してくれる優しさも好きだった。また一番ラストのシーンでも、当然小木和建設に戻ることは出来ないけれど、定食屋でも行こうと正義を誘ってくれるシーンに非常に優しさを感じた。
あとは、立川一喜役を演じた東谷英人さんが頼りがいのある小木和建設のリーダーって感じがあって好きだったのと、ベトナム人の技能実習生役を演じた藤家矢麻刀さんが純粋な役柄で好きだったのと、小木和日和役を演じた砂田桃子さんがとてもセクシーでうっとりしていたのと、正義の姉である鞍馬藍役を演じた笹本志穂さんが優しすぎて泣けた。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756615
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
この舞台作品を観劇し終わると、タイトルの「悪魔と永遠」という意味がよく分かってくる。「悪魔」はその名の通り、人々が抱えた「罪」である。そしてその「罪」というものは永遠に消えることなくその人に死ぬまで付き纏ってくる。
正義は自分で4年間服役して罪を償ったとばかり思っていたかもしれないが、実際には正義の姉の家族を崩壊させてしまったり、マリアの遺族がどう思っているかなんてことは全然考慮に入っていなかった。その人が犯した罪というものは、決して自分ごとだけに留まらず他人へも影響を及ぼしている。
この、人は誰しもが永遠に罪を背負って生きているという思想は、キリスト教の教えからくるものである。つまりこの作品自体もキリスト教、すなわち聖書の影響を限りなく受けていると私は思っている。
川名さんもおっしゃっていたように、この作品を書くに当たって参考にしているとされるドストエフスキーの「罪と罰」自体も、キリスト教文学の金字塔とも呼ばれるくらい宗教色の強い文学作品なので、ここではドストエフスキーの「罪と罰」と聖書について言及しながら考察していくことにする。
まずはドストエフスキーの「罪と罰」について見ていく。
私自身も「罪と罰」は読んだことはないのだが、あらすじとしては、元大学生ラスコーリニコフは非常に貧しくその貧しさを打破するために高利貸し老婆を殺害し、金を奪った。しかしその殺人を善人のリザヴェータにも見られてしまったことで彼女も殺害してしまう。予審判事のポルフィーリは早くからラスコーリニコフの犯行を疑い、徐々に彼を追い詰めていく。やがて苦境に立ったラスコーリニコフは遂に犯行を告白するという物語である。
ここで注目したいのが、主人公のラスコーリニコフは自分の罪を守るために老婆だけでなく善人のリザヴェータも殺しているという点である。罪を犯した人間は、その罪を犯したが故にさらに重い罪を犯して追い詰められていくのである。
これは、「悪魔と永遠」の主人公鞍馬正義とも共通する。彼も自分が犯した罪であるマリアの死に関して、翼によって職場にバラされたことによって頭に来て、翼の新居を放火してしまったのである。最初に犯した罪が引き金となって別の罪を犯すに至っているのである。さらに、マリアの死に関してはつい良い気持ちになってという点もあって、そこまでの重罪ではないものの、翼新居への放火は明らかに意図的に行った行為でより重い罪である。「罪と罰」のラスコーリニコフも2番目に犯した罪が善人の殺害ということでより重くなっている。
こういった、罪の赦しに対する文学作品は非常にキリスト教の「人は誰しもが永遠に罪を背負って生きている」という思想(正確には「原罪」という)とも親和性が高いので、宗教とも絡めて議論がされやすい。実際「罪と罰」の主人公であるラスコーリニコフという名前には本名のアルファベットに「PPP」が含まれており、これが反転させると「666」という聖書とゆかりのある数字になるという研究がなされているくらいである。
では、「悪魔と永遠」についても聖書の影響を受けた部分が見られないかについて見ていく。
まずマリアという役が登場するが、マリアはイエス・キリストの母のことである。さらに正義の名字は「鞍馬」であるがこれはイエス・キリストのことを指す。またキリストの父であるヨセフが大工であったことも、小木和建設と重なっている点が偶然ではないだろう。
このように「悪魔と永遠」自体も聖書の影響を受けていそうではあるが、イエス・キリストというのは、人々が背負っている罪を、全く罪を背負っていないイエス・キリストが贖罪という形で十字架の磔に合うことで背負うことになったと聖書には書かれている。つまり、もし鞍馬正義をキリストと捉えるのならば、この聖書の内容とは合点がいかなくなってしまう。
ちょっとこの辺りはモヤモヤしているのでもっと調べてみたいが、もし何か分かった方が先にいらっしゃったら教えていただきたい。
いずれにせよ、この脚本はどんな人間にも大きかれ小さかれ罪を背負って生きているというキリスト教的思想を受け継いだ作品として創作されており、だからこそ私たち観客はこの作品を観劇すると苦しくなってしまう。
この作品の終わり方としては、正義が2度目の刑から解放されて、建造と定食屋に向かうシーンとなっているが、答えはなくとももう少し救いのあるラストを示して欲しかった感じもある。
この作品を観劇して思うことは、罪はさらに大きな罪を呼んでしまうものなので、そうならないように自分の犯した罪をしっかり永久に受け止めて真摯に生きることが大事なんじゃないかと思った。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/464653/1756623
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