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舞台 「空腹」 観劇レビュー 2024/07/13


写真引用元:かわいいコンビニ店員飯田さん 公式X(旧Twitter)


写真引用元:かわいいコンビニ店員飯田さん 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「空腹」
劇場:下北沢 OFF・OFFシアター
劇団・企画:かわいいコンビニ店員飯田さん
作・演出:池内風
出演:宇野愛海、小林れい、長南洸生、橋本菜摘、廣瀬智晴、吉田悟郎、渡辺翔
公演期間:7/11〜7/21(東京)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:貧困、会話劇、群像劇、シリアス、シェアハウス
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


新進気鋭の劇作家である池内風さんが作演出を務める「かわいいコンビニ店員飯田さん」による新作公演を観劇。
「かわいいコンビニ店員飯田さん」は池内風さん主宰の演劇を中心とした企画団体で、『1秒でも多く心が動く瞬間を』をテーマに様々な活動を行っている。
過去には若手劇団の登竜門とされるMITAKA “Next” Selectionにも選出されたり、2024年12月には劇団青年座への新作書き下ろしも決まっているなど、現在大幅に活躍のフィールドを広げている。
私は、そんな「かわいいコンビニ店員飯田さん」の池内風さんの公演を観劇するのは初めてである。

今回上演された作品は、過去上演された『とりあって』(2022年9月)、『悼むば尊し』(2023年10月)に続き現代ストレスを描いた物語の第3弾で、貧困に喘いでいるシェアハウスに暮らす人々とオーナーたちを描いた群像劇となっている。
物語は、小鳥遊陽向(廣瀬智晴)が壊れていた電子レンジを自力で直して使えるようになったシーンから始まる。
倉下幸(橋本菜摘)は電子レンジが復活したことに喜んでいたが、同じシェアハウスの住居者で恋人の武藤勝次(渡辺翔)は仕事で受ける理不尽な仕打ちと貧困で日々ムシャクシャしていた。
同じシェアハウスに住んでいるスプレー画家の南雲遊(宇野愛海)も、本当ならもっと沢山挑戦したいことがあるのにお金がなくて辛い思いをしていた。
一方で同じシェアハウスには、見るからに高そうでオシャレな服装を着た朝桐京香(小林れい)もいて部屋に良い香りのするユリを飾ろうとしていた。
そこへシェアハウスのオーナーの美濃部國光(吉田悟郎)がプレミアムモルツを持ってやってくる。
オーナーは物価の上昇に伴い共益費を値上げしたいと言ってくる。
武藤たちはただでさえ金がないのに家賃の値上げに憤る。そこへこのシェアハウスの新入居者である日下部青葉(長南洸生)がやってきて...というもの。

新作公演を行うごとに注目を集めていた池内さんの作品を初観劇ということで非常に楽しみだった。
物語前半は、古くて狭まいシェアハウスに朝桐のようなお金持ちの人間がどうして住んでいるのかずっと疑問で、どういうシチュエーションなのだろうか?と首を傾げながら観ていた。
しかし、物語後半に差し掛かってなぜ朝桐がこのシェアハウスに住んでいるのかに対する理由も明確になった上、それぞれの登場人物の立場による言い合いに見応えを感じたので満足出来た。
序盤からこの物語で訴えたい主張は読めるので、どちらかというと嘘のない切実な台詞と役者たちの演技力によって満たされた演劇だった。

このシェアハウスは、非常に狭い世界を描いているようで実は社会の縮図という広い世界を表現しているようにも感じた。
社会を管理して搾取する側と管理されて搾取される側、そんな状態を高みの見物と言わんばかりに俯瞰する余裕ある人々。
そしてどちらが悪い訳ではなく、お互いにそうせざるを得ない事情がある。
昨今の世の中も、物価上昇が甚だしく生活が困窮している人々も増えているからこそ多くの人々にグッと刺さる内容だと思う。
共益費、システム費、固定資産税、税理士、司法書士に充てるお金と、とにかく耳が痛くなるほどお金の話がこの物語には登場する。
その言葉たちが、まるで人々の首をジワジワと締め付けているように感じられ苦しかった。
金銭的な事情がシェアハウスに暮らす人々やオーナーを蝕み、そして立場の違う人々同士の分断を加速させているような物語だった。
だからこそ、つい昨日まで上手くいっていると思っていた友人とも縁を切ることになるのかもしれない。
この現代社会において、お金が人々に与える影響力の大きさを痛感させられたような気がした。

舞台セットは、まるでどこか実際にあるシェアハウスをそのまま持って来たのかと思うくらい生活感溢れる再現性の高い美術だった。
モノが散らかっている感じとか、カップ麺の匂いが漂ってくる感じとか、小劇場だからこそ味わえる生活感溢れる空間が見事だった。

役者陣の演技も皆素晴らしかった。
客席80席ほどの小さな劇場だからこそオーナーと入居者たちの言い争いの迫力が凄かった。
台詞内容に加えて声量も物凄く大きくてそれらに圧倒される感じがあり、だからこそ見応えのある芝居になっているようにも感じた。
特に武藤勝次役を演じた渡辺翔さんの演技には引き込まれた。
仕事も上手くいっていなくて、家帰ってYouTube見たり酒を飲むことしか生きがいがない中で生活まで蝕まれていく辛さが痛いほど伝わってきた。
倉下幸役を演じた橋本菜摘さんをはじめ、多くの役者が物語終盤で涙ながらに熱演していて圧倒された。
台詞の内容が剥き出しでリアル過ぎるので、むしろ涙なしで演技出来ないのかもしれない。

やや説教臭い部分も感じられたが、とても切実でストレートな物語なので多くの人に観て欲しいが、終日満席のようなので当日券でチャレンジするか、配信があるのならぜひ視聴してみて欲しい。

写真引用元:ステージナタリー かわいいコンビニ店員飯田さん「空腹」より。




【鑑賞動機】

「かわいいコンビニ店員飯田さん」の池内さんの作品は、『とりあって』『悼むば尊し』と非常に評判が良かったので、今回上演される作品も現代ストレスを描いた物語の第3弾として非常に楽しみだった。
客席80席ほどの小さな劇場だが、初日になる頃にチケットが全て完売していて、それだけでも当団体への演劇界の期待値を感じたので益々楽しみになった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等あると思うがご容赦頂きたい。

倉下幸(橋本菜摘)は電子レンジから温めたラップに包まれたご飯を食卓に運んだ。その時、温められたご飯がとても熱くて「あっちあっち」と叫んでいた。倉下のテンションが高いのは、同じシェアハウスの同居人である小鳥遊陽向(廣瀬智晴)が壊れていた電子レンジを自力で修理してくれたからである。ずっと電子レンジが使えなくて不便だったが、小鳥遊が本で学んで電子レンジを修理してくれたのであった。
そこへ倉下の恋人の武藤勝次(渡辺翔)が淡麗極上を買ってやってくる。今日はシェアハウスでパーティらしいが、倉下が小鳥遊が電子レンジを修理してくれたと言ってもどこか不機嫌だった。武藤は倉下に氷を買ってくるように言う。
南雲遊(宇野愛海)がやってくる。南雲はスプレー画家をやっているが売れなくて貧困に喘いでいる。もっとお金があればもっと沢山挑戦したいことに挑戦できるのにと嘆く。
そこへこのシェアハウスのオーナーをしている美濃部國光(吉田悟郎)がやってくる。美濃部はプレミアムモルツを買ってきてシェアハウスのみんなに振る舞おうとする。しかし、武藤にとってはプレモルを大盤振る舞いすること自体がお金のない自分たちへの暴力に感じて憤る。
さらにそこへ、同じシェアハウスの入居者の朝桐京香(小林れい)がやってくる。朝桐は高級そうな服装で手には良い香りのするユリを持っていた。このユリを部屋のどこかに飾りたいと言う。しかし武藤は、そんなユリなど適当な所に置いておけと、キッチンの手前に置くことになる。
美濃部が、今日こうしてシェアハウスにやってきた理由は、物価の上昇に伴う共益費の値上げの話をするためだった。美濃部は決して家賃の値上げではなく共益費の値上げなのでと弁明して値上げすることにする。倉下は氷を買って戻ってきていた。また、アゴウユズルという前髪の長い暗くて不気味な男性が一瞬だけキッチンに現れて消えた。
シェアハウスの玄関から日下部青葉(長南洸生)が現れる。今日からこのシェアハウスに住むことになった新入居者らしく、小鳥遊の高校の同級生でもあった。

暗転して別の日になる。朝桐は倉下と仲良しになり、二人とも同じような部屋着を着ていた。朝桐はノートパソコンを開いて在宅勤務をしている。朝桐は、スタバの紙袋の中に入っているものを倉下に渡す。
そこへ武藤がやってくる。倉下に仕事はどうしたのかと聞かれる。しかし武藤は今日は仕事には行かなかったようであった。
美濃部と小鳥遊がシェアハウスを掃除していた。美濃部はどうやらこのシェアハウス以外にも複数の物件を管理しているようである。小鳥遊は美濃部のことを金持ちか何かだと思っていたが、美濃部は決してそうではなくこうなったのもつい最近で、若い頃は金がなくて辛い思いをしていたと言う。

夜になる。シェアハウスは真っ暗闇で、リビングの横のパーテーションで区切られた寝室に倉下がいて、そこで倉下は「死ね」などと一人で愚痴を吐いていた。そんな様子を心配して小鳥遊がやってきて彼女に声をかける。小鳥遊はそのまま倉下に招かれて布団の中に入っていく。
シェアハウスの電気が明るくなり武藤がやってくる。武藤はカップ麺を電子レンジで温めようと、電子レンジの扉を開ける。するとコンビニの揚げ物が入った袋が置かれていた。それを取り出してカップ麺を温める。そのまま揚げ物の袋も自分の手元に持っていく。
武藤は食卓でYouTubeを見始める。しかし、照明が暗くなって職場で上司に叱られる音声が流れる。
そこへ日下部が部屋へやってくる。倉下が見当たらないので、倉下が帰ってくるまでここで待つと言う。武藤はでは一緒に飲もうと日下部を誘う。
二人は一緒にカップ麺とビールを飲みながら話す。オーナーは金のない自分たちばかり金を召し取って搾取してきて腹が立つと武藤は言う。日下部は、でもこうやって男性が一人でYouTube見ながら酒を飲んでいると寂しくなってやっていられないですねと言う。
そこへアゴウがキッチンにやってくる。電子レンジを開けても中身が空っぽであるのを知って武藤たちを見てくる。アゴウは、ここにつくねがなかったかと聞いてくる。武藤は、これ?と食卓にあるつくねを指差す。武藤は、ゴメン今度買ってくると謝罪する。アゴウは去っていく。どうやらアゴウは自分たちよりも随分前からこのシェアハウスに住んでいて謎の存在らしい。
そのまま武藤は話の流れで倉下の悪口を言う。それに耐えかねて倉下がパーテーションで区切られた部屋から飛び出してきて武藤に喰ってかかる。しかし二人はすぐに仲直りして風呂に向かってしまう。日下部は、倉下がいた布団に小鳥遊もいることを把握していた。

ある日の日中、スプレー画家の南雲は自分の作品が飾られた展示会で、自分の作品が18万円で落札されたことに大喜びしていた。変な金持ちが私の作品を買ってくれてインスタのフォロワー数も増えて良い感じだと。このまま自分は売れるのかもしれないと心を躍らせる。
南雲は、自分がスプレー画家になった経緯を話す。画家志望であったことは変わり無かったのだけれど、最初はスプレーを使わず普通の絵画を描いていた。しかし自分の友人が売れてしまったことに嫉妬して、自分で描いた絵画の上にスプレーで黒く塗りつぶした。その塗りつぶしたスプレーの間から、自分がかつて描いた絵が顔を見せていて、そこからスプレー画家になろうと決意したのだと。その時に最初描いていた絵画はマリーゴールドだった。
南雲が一人になった時、アゴウがやってくる。アゴウがいきなり現れたものだから南雲は驚き恐怖する。アゴウは、今シェアハウスの中で一番輝いているのは南雲だと言う。このまま南雲は成功する、自分はずっとシェアハウスで暮らしてきて色々な人を見てきたから間違いないと。自分は南雲のファンで、色々と南雲のアートの細かい話をしはじめた。
南雲はアゴウのことをキモいと言って追い払った。

美濃部はシェアハウスに入居者全員を呼び集めていた。武藤はまた仕事に行っていなかったらしくて倉下に何か言われる。
美濃部はシステム代が上がるので、家賃を引き上げたいと言い出す。武藤たちは怒る、先日も共益費が上がったばかりではないかと。美濃部は、玄関に防犯カメラを設置して、そしてレコーダーも設置するのでその維持費のためにどうしてもシステム代を上げないといけないのだと言う。
武藤も美濃部に対して怒っているが、朝桐も美濃部に対して訴えてきているので、美濃部はあなたはなぜこのシェアハウスに住んでいるのかと尋ねる。みんなそれは疑問に思っていた。朝桐は、自分は確かに裕福な家庭に生まれ育って、父親の財産で一生暮らせる金はあるというが、それだとあまりにも世間知らず過ぎるので、何か慈善活動をしたいと思って実家を飛び出してこのシェアハウスに住んでいるのだと言う。こういう世界を目の当たりにすることで、自分の置かれた立場から出来ることがあるんじゃないかと。
その朝桐の発言に対して美濃部はキレる。それは偽善だと。そんなことしなくても暮らしていけるのに、あえて面白半分で飛び込んでくるなんて偽善だと。武藤は、ここで二人で喧嘩するなと怒鳴る。
美濃部は、自分だってこんなことしたくてしているのではないと言う。物件を管理するためには、固定資産税、税理士、司法書士への費用など諸々かかる。システム代だって値上げしても足りてないのだと言う。でもお金をなんとしてでも出さないといけないから値上げせざるを得ないのだと言う。
本来暮らしていくにはそういうのもかかってくるのだけれど、それを私が一括で管理しているのだと言う。お金がないなら小鳥遊みたいに隙間時間で他の仕事をすればいい、酒飲んだりしている時間があったら少しでも違う仕事して働けばいいのにと。外に出たくなければ、在宅勤務で出来ることを今の世の中ならいくらでも探せるだろうと言う。
武藤は、あなたたちにとっては高々1200円の値上げだと思うかもしれないけれど、その1200円を稼ぐのにどのくらい大変なことだと思っているのかと言う。
美濃部と朝桐は、彼らにちょっと強く言い過ぎたことを自覚して謝る。しかし日下部は、謝ったからと言って値上げがなくなる訳ではないですよね...と言う。

夜、シェアハウスのリビングに小鳥遊と日下部がいる。小鳥遊は一回だけ日下部にお金を貸したらしい。しかし再度日下部はお金を貸してくれと催促してくる。小鳥遊は妹のために必死でお金を貯めている最中だし、これ以上はお金を貸せないと言う。日下部は以前闇バイトをしてかなりの借金をしてしまったらしい。しかしそんなエピソードを話しても無理なものは無理と小鳥遊は言う。
日下部はいきなり小鳥遊を棍棒のようなもので殴りかかる。小鳥遊は悲鳴を上げている。日下部はクレジットカードの暗証番号を教えろと言う。最初は抵抗していた小鳥遊だったが、耐えきれなくなって暗証番号を教えてしまう。暗証番号は母親の誕生日だった。そのまま日下部は小鳥遊を殴り殺して去ってしまう。
暗転する。

南雲はこのシェアハウスを出ていくようである。美濃部は、昨日まで仲が良かった人もいきなり何かのきっかけでそうでなくなることがあると言う。美濃部たちは南雲を見送る。その時、花瓶にはマリーゴールドが綺麗に飾られていた。ここで上演は終了する。

とにかく一つ一つの台詞が切実でストレート過ぎて胸をグサグサと突き刺してきた。最初は、同じシェアハウスなのにこんなに経済力の違う人々が集まることある?と疑問だったのだが、朝桐は飛び込んでみたいという好奇心だったと聞いて腑に落ちた。これも社会の縮図だなと思った。
経済的に弱い者が社会に翻弄され、優しい人間ほど利用されてしまう。世の中本当にそうだなと思うし観ていてたしかに苦しいものがあった。社会の分断を扱った作品はこれまでに数多くあったが、ここまでお金にフォーカスして語られた作品は初めてだったかもしれない。とても身近で切実な作品で、だからこそ多くの人々の心にグサグサと突き刺さるものがある気がした。

写真引用元:ステージナタリー かわいいコンビニ店員飯田さん「空腹」より。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

とにかく舞台セットが生活感溢れていて、小劇場演劇の舞台装置の醍醐味を詰め込んだような空間で素晴らしかった。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
ステージ全体にシェアハウスのリビングとパーテーションで区切られたベッドの置かれた寝室が配置されている。
下手側の壁には大きな窓が取り付けられており、夜のシーンではそこから月明かりが差し込むような演出があった。ステージ中央手前には食卓があり、その食卓を囲うようにソファーが複数置かれていた。その奥にはキッチンがあり、奥に電子レンジや冷蔵庫が置かれている。そのキッチンと食卓の間にストライプ状に隙間のある壁があるのだが、その手前にも小さな机があって、そこにユリやマリーゴールドが飾られていた。
上手側手前には、パーテーションで区切られたエリアがあって、そこには一つのベッドがあって倉下の寝室となっていた。その奥には、玄関へ通じていると思われるデハケがあった。
どこかにありそうなシェアハウスの空間をそのままステージ上に持ってきたとでもいうような生活感溢れる空間で、小劇場演劇好きには堪らない舞台装置なのではないだろうか。複数人役者がいてステージ上が狭いので移動などは少々しにくそうにも感じた。
これって、誰かの私物を持ち込んで作品を仕上げたのだろうか、おそらくモノを新調したりしたらこんな生活感溢れる空間にはならないと思うので、おそらく持ち込んでいるのだと思う。OFF・OFFシアターという小劇場にぴったりの空間だった。

次に舞台照明について。
シェアハウスという具象的な舞台セットなので舞台照明もそれに合わせて昼と夜が分かるくらいの演出なのかと思ったがそうではなく、割と転換シーンなどで趣向の凝らされた演出が施されていた。
例えば今作で象徴的に描かれるユリの花とマリーゴールドの花、物語序盤では朝桐が持ってきたユリの花が貧困に喘いで苦しむ人々と対照的に描かれて遠ざけられていたが、そのユリに転換シーンでスポットが当てられたことでそのユリが今後の物語を表現するという意味で重要なメタファーであることを印象付ける演出に感じた。実際に物語中盤ではユリの花は萎れていて、シェアハウスと言う貧困な空間の淀み感を感じた。しかし、物語の一番最後に南雲がシェアハウスを後にする時にマリーゴールドにスポットが当てられていて希望だった。マリーゴールドは南雲が描いた絵であり、スプレーによって塗りつぶされた絵である。それが生き生きと咲いていると言うことは、南雲がずっと画家として売れない息苦しさによって覆い隠していたものが表に出た、つまり希望と捉えることが出来るので凄く救われたようなラストだった。
あとは夜のシーンで下手側の大きな窓から月明かりが差し込む照明も凄く雰囲気があって良かった。
あとは全く照明が何もないという真っ暗闇も舞台照明の一種として機能していた。倉下と小鳥遊が二人でベッドに入るシーンや、小鳥遊が日下部に襲われるシーンなどは真っ暗であるという演出が効いていた。

次に舞台音響について。
場面転換中に流れる音楽が印象に残った。ちょっと温もりを感じせさせる音楽がまた良かった。
あとは生音の生活音が聞こえてくるのが小劇場演劇の醍醐味だった。電子レンジが動く音、冷蔵庫が開く音、電気ケトルの音、そういう生活音が間近に聞こえてくる感じに小劇場の良さが詰まっていた。麺を啜る音、ビールを開ける音、どれも日常的に聞こえるのだけれど、こういうシェアハウスの空間のリアリティをより良く出していた気がした。

最後にその他演出部分について。
カップ麺の匂いがステージから漂ってくるのは、小劇場ならではの演出だよなと思った。こういう日常系の小劇場を観る度に思う。
あとは衣装や持ち物によってその人の生活水準を知ることが出来ると言う点も、今作の場合はかなり重要なファクターだった。朝桐であればノートPCやスタバの紙袋、ユリ、パジャマがそうだった。美濃部であればプレモルもそうだし衣装もジャケット着ていて他のシェアハウスの人たちより高そうな衣装を着ている。そういうビジュアル的な貧困と富裕の差のインパクトもあった。
あとは池内さん自身が実際にシェアハウスに暮らしていたのだろうかと思わせるくらい、シェアハウスで起こりそうなあるあるが詰め込まれていた。他の住人が温めていたつくねを勝手に食べてしまったり、倉下と小鳥遊が浮気をしたりと。オーナーの固定資産税や税理士、司法書士の件もリアルで実際に池内さんが経験したり取材した話なのだろうなと感じた。

写真引用元:ステージナタリー かわいいコンビニ店員飯田さん「空腹」より。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

今作は俳優陣の演技力の見事さが作品の素晴らしさに大きく寄与していたと感じた。そのくらい出演者たちの演技に迫力があった。
特に印象に残った役者について見ていこうと思う。

まずは、シェアハウスに住んでいる武藤勝次役を演じた渡辺翔さん。渡辺さんの演技を拝見するのは初めて。
武藤は生活のためにやりたくもない仕事をしないといけずしんどい思いをしていた。あの描写からは、職場では武藤はいつも上司から叱られながら仕事をしていたに違いない。だからこそ仕事から帰ったらYouTubeを見ながら酒を飲みながら自分の時間に浸ることしか楽しみがなかったのだと思う。だからこそ南雲のように夢を追いかけている存在は羨ましかったに違いない。
武藤は終始怒りを露わにする演技が印象的だった。誰に対しても怒りの矛先を向けていた。しかし、仕事で辛くなってお金にも困って生きがいもない武藤の様子を見ているとグッと胸に突き刺さる思いがした。
武藤は途中から仕事に行かなくなった。凄くよく分かる。そんなに酷い仕打ちにあっていたら仕事には行きたくなくなるだろう。でもお金がないので倉下には仕事に行かなくて良いのかと心配される。痛いほど武藤の辛さがよく分かる描写だった。

次にシェアハウスのオーナーの美濃部國光役を演じた吉田悟郎さん。吉田さんは、演劇生配信ドラマ『あの夜を覚えてる』(2022年3月)で配信で一度演技を拝見したことがあった。
凄く喋りが上手そうで騙してきそうなキャラクター作りという感じがあった。その話し方、オーラからなんとなく入居者から金を召し取っているんじゃないかと思わせる感じがあって、入居者が文句を言うのもよく分かる存在感だった。
正直システム代を上げるという点は自分自身も納得いかなかった。そもそも防犯カメラなどを設置する必要があるのかと思ってしまった(聞き漏らした箇所があって的外れかもしれませんが)。
けれど、このシェアハウスだけでなくこの社会システムそのものが、そういう搾取する側とされる側の二項対立であることを上手く象徴している。そう言う意味で美濃部という存在はめちゃくちゃ今作では大事だった。
プレモルを差し入れで持ってくる。絶対美濃部的には悪気はないと思う。むしろ彼らが貧しいことは分かっているから美濃部なりの気遣いだと思う。しかし置かれた境遇が違うからこそ、それが暴力にもなってしまう。世知辛いなと思った。

スプレー画家の南雲遊役を演じた宇野愛海さんも素晴らしかった。宇野さんは私立恵比寿中学の初期メンバーである。私は演技を拝見したのが初めて。
少しSHELLYさんに似ているなというのが第一印象。しかし凄く共感できるキャラクター性があって魅力的だった。なんとなく、池内さん自身が劇作家で芸術家に対するアンテナや解像度が高いから、どうしても南雲のような画家みたいな職業の人の解像度が特段高いように感じた。
売れなくてお金がなくて苦しい思いをしている感じが伝わってきた。だからこそ、18万円で自分の絵が売れたということに一喜一憂してしまうのもよく分かる。そんな運に身を任せたような感じの人生に辛さを感じた。本当に芸術家って大変だなとつくづく思う。
あとはスプレー画家になった経緯の解像度が高くて、誰かの体験談を聞いているかのような感覚だった。芸術ってそういう負の糞食らえといった感情が原動力になって優れたものが生み出されるんだよなとつくづく感じた。

武藤の恋人で同じシェアハウスの居住者の倉下幸役の橋本菜摘さんも素晴らしかった。橋本さんの演技も初めて拝見する。
なんといっても甲高い声色でインパクトのある演技をされている印象が強かった。倉下は最初は一見幸せそうな人物なのだと思っていた。渡辺という恋人がいて、彼にぞっこんな感じがした。テンションもやけに高かった。
しかし夜になると陰で愚痴っているのも印象的だった。そういう感情的でエネルギッシュな感じの役が上手くハマっていた。
物語後半の一番の見どころであった、オーナーと武藤と朝桐の口論のシーンでは、涙ながらに演技をしていて凄く心動かされる演技が魅力的だった。

写真引用元:ステージナタリー かわいいコンビニ店員飯田さん「空腹」より。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

今作で描かれているシェアハウスの住人たちの生活は、社会全体で生きる人々の縮図だと先述した。ここでは、そのことについてもう少し深く考察しようと思う。

どうして社会というものは、搾取する側と搾取される側の二項対立になってしまうのだろうか。その鍵となるものは、資本主義社会というものにあるのだろう。
人間生きている限り、この資本主義社会の枠組みを逃れることは出来ない。生きていくだけでお金がかかるのだから、そのお金を稼ぐために仕事をするなど何らかの形でお金を手にいれる努力をしないといけない。しかし世の中は理不尽なもので、そのお金を手にいれるための労力は人によって差がある。シェアハウスのオーナーのような仕事をしていたら、ある程度自分の生活を豊かにするくらいならお金を手にすることが出来るのかもしれない。しかし画家や武藤のような仕事では、なかなか生活の足しになるようなお金を稼ぐことが出来ない。だからこそ貧富の差があるように思う。

オーナーとシェアハウスの住人のように立場が違えば、手に入る給与も違ってくる。給与が違って貧富の差が生まれれば生活水準が変わる。生活水準が変わることによってその人の価値観や考え方も変わってしまう。武藤たちにとってみれば、生活することがやっとの思いで1200円の値上げでさえも生活を逼迫させられるほどの大惨事である。仕事をして金を稼げば良いと簡単に言われるが彼にとってはそれがかなりハードルの高いことなのである。小鳥遊のように副業でUberEatsの配達員をやればいいと言われるが、かつてダブルワークして体調を崩した過去もあってそれが出来ないのである。
しかし武藤から見ればオーナーの美濃部の苦悩は知らない。固定資産税や税理士や司法書士のことを考えたりしないといけないのは、武藤たちには分かってもらえない美濃部の辛さでもある。

しかし、このシェアハウスをさらに厄介な状態にしているのは、朝桐という存在なのである。私も最初なぜ朝桐のような人物がシェアハウスに住んでいるのか首を傾げていた。
朝桐は裕福な家庭に生まれた。父親の財産で朝桐は一生働かなくても十分に食べていける金を持っていた。しかし、それだとあまりにも自分が世間知らずになるということ自覚して朝桐は実家を飛び出し、このシェアハウスにやってきた。物語終盤では、朝桐はそんなシェアハウスの現状を取材して報道する立場にもなっている。
美濃部のようなオーナーや武藤からしたら、そんな関係ない他者が興味本位で近づいて干渉してくるなんて迷惑極まりないと感じるだろう。そしてこのシェアハウスを観ている私のような観客もそのように思うに違いない。それはおせっかいに過ぎず偽善でしかないと。

しかしこのシェアハウスを社会の縮図と考えた時に、この朝桐の立場にあたる存在は誰なのかと考えると、そうも言っていられないと感じる。きっと朝桐のような立場に置かれた社会的な存在は、多くの人に当てはまるのではないかと思うから。
こうして貧しいシェアハウスのリアルを演劇にして創作する側も、それを鑑賞する観客も、社会全体で捉えたら朝桐のような存在に他ならないと私は感じる。もちろんまだ日の目を見ることのない演劇創作者は、南雲のような立場にもあるかもしれない。しかし、池内さんも新進気鋭の劇作家として少しずつ知名度も上がってきているし、出演者たちも割と事務所に所属して俳優として地に足がついている人たちのように感じるので、武藤のような貧しい立場というよりも、むしろ朝桐のような立場に近いのではないかとも感じる。
社会的弱者の人々を描き、それを世に知らしめて慈善活動をするような行動というのは、もはや朝桐がシェアハウス内でやっていることと近いのではないかと感じた。でも演劇創作者たちは、決してそういう社会的弱者を蔑ろにしている訳ではなく、誠実に彼らが抱える負を世の中に伝えたいと思っていると思う。けれど一般社会からしたら、シェアハウスの中に住む朝桐のような存在にしか見えなくなっているということを暗に示していると思う。そこに演劇創作の難しさみたいなものをある意味表現されているように思う。

我々は自分たちが思う以上に無力である。こんな社会を変えようと意気込んでも、その活動自体が当事者たちに煙たがれることも多々ある。そして結局世の中を変えられるどころか、逆効果になってしまうこともある。
結局一人の人間が貧しさから解放される唯一の方法は、貧しき者がなんらかの形で社会に認められることなのだと思う。南雲みたいに、自分の絵が誰かに買われて有名になるように。そんな未来が来るように、自分がすべきことはその未来を実現するように、周囲から何を言われようがずっと支援し続けることなのかもしれない。そうすればもしかしたら、南雲みたいに日の目を見る時が来るのかもしれない。そう考えると、朝桐のようなシェアハウスに住む存在も決して無駄ではないのではないかと思わせてくれるのである。


↓吉田悟郎さん過去出演作品


↓長南洸生さん過去出演作品


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