順風満帆ではないAO入試の歴史。現在では従来型入試に対するアンチテーゼとして期待と評価が高まる
大学入試の季節感や、風景を変えつつある特別選抜。
ここで、総合型選抜にフォーカスし、その前身であるAO入試誕生からの流れを見てみましょう。
総合型選抜は、高大接続改革による入試改革がスタートする2021年度入試の前までは、「AO入試」と呼ばれていました。
前々回お伝えしましたように、1990年に、慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)がはじめたのが皮切りで、その後、少しずつ導入する大学が増えました。2000年あたりから急速に全国に拡大したのです。
そして、文部科学省によると、令和3年度(2021年度)には全国公私立大学の83.1%にあたる643校が実施するまでに至っています。
AO入試がここまで大きく拡大するまでの30年余、その歴史は決して順風満帆とは言えなかったのです。
“青田買い” 入試と揶揄され
安西氏の発言は、A O入試は学力不問をよいことに、誰でもフリーパスのように入学させているのではないか、と批判したものです。
さらには、実施時期がどんどん繰り上がってしまい、AOをもじって、まるで“青(AO)田買い”入試だ、と軽蔑されたりもしました。
ほんとに、散々な悪評が蔓延する事態になっていました。
もしかしたら、大学のなかには、18歳人口の減少を背景に、一般選抜の始まらないうちに入学者を早めに確保してしまいたいという下心があったところもあったのかもしれません。
そういえば、日本の大学生の学力低下が問題になった際、AO入試が諸悪の根源のように名指しされたりしたこともありました。
しかし、悪評判の風当たりが強かったAO入試に、いつしか、徐々に追い風が吹くことになります。
通常入試に対するアンチテーゼとしての期待
慶大SFCがAO入試を導入した時期を相前後して、つまり1980年代後半あたりから、国や文科省では、大学入試の新しい在り方についての議論が盛んにされるようになっていました。
その背景には、当時の激烈な大学入試状況がありました。
1990年代というと、第2次ベビーブームの受験生が大学受験を迎えた時期で、あまりに厳しい受験競争が社会問題となっていたのです。
中曽根政権時、官邸主導で設けられた「臨時教育審議会」においては、
「受験戦争が過熱し、教育が偏差値偏重、知識偏重となり、創造性・考える力・表現力よりも記憶力を重視するものとなっている」ことが問題視され、
さらに、学力検査のみに偏った画一的な大学入試についても、「選抜方法の多様化」を求める、との答申が出されています。
こうした、考え方は、その後の文科省の中央教育審議会や、高大接続関係の会議にも受け継がれていきました。
そして、時を経て、現在行われている高大接続改革においては、通常入試(一般選抜)に対するアンチテーゼとして、総合型選抜や学校推薦型選抜の重要性が強調されるまでに至っています。
ウィズ・コロナ時代にも適した入試
この提言(「大学入試のあり方に関する検討会議 提言」)では、
新型コロナウイルス感染症に対処するうえでの一般入試に対する優位性についても言及されています。
“未来からの留学生”を求めて、慶大SFCで産声を上げたAO入試、
そして、その後継の総合型選抜。
今では、単に一般選抜を補完するだけの役割を超えて、本来あるべき理想的な入学者選抜として期待されているようです。
新型コロナ対応も含めて。
これらは、言ってしまえば、一般選抜のマイナス面に対する“反面教師”的な意味合いによる評価ですが、AO入試を実施したことによるプラスの作用はなかったのか?
次回は、そのあたりについて、AO入試の再評価につながった
分析調査等や、そこで新たに見出された意義を見てまいりましょう。
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