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法務省レクに同席しました

レクがあったのか?なかったのか?そんな事にこの国の最先端のエネルギーが注がれいている。

そうした、耳目を集める事は全く異なる雰囲気で、私は人生で初めて、レクと言うものに同席した。

場所は衆議院議員会館第一1115号室。

衆議院議員会館に来るのは2回目。
前回は衆議院議員会館第二。

入り口で荷物検査を受け、金属探知機のゲートをくぐる。
おそらく腕時計か。止められ、通り直した。

政治的な発言は後で思わぬ足枷になり得る。
近視眼的な発言はリスクになる。
しかし、はっきり申し上げて、平沢勝栄議員は私どもにとっては間違いなく恩人である。

大体予想はしていたが、政治、行政と言うものは実際に困っている当事者には冷たい。

それは、政治、行政そのものが冷たいと言うよりは、責任をもってどの様に対応すれば良いのかが分からず、当たり障り無いアプローチの範囲を出られぬまま、結果、それが当事者にとっては冷たい、という印象になる。そう言ったミスマッチが実態だと思う。(つまりはミスマッチを放置しても成り立ってきたのだろう)

車に轢かれ死んだと言ったら、世の中の人の多くが、交通事故は不運だ、本当にお気の毒だとの認識である事を、当事者になって知った。

しかし、実際は、運不運という事ではないと思う。

当事者が色々言うと、「そうは言ってもここ数年で交通事故は減ってます」などと、意味不明な事を言われる。

私は葛飾区の青木区長に確かにその様に言われた。

故意の殺人で子を殺された親に向かって「そうは言っても殺人事件は減ってます」と、首長が言うだろか?

つまりはそう言うことである。

ハズレくじ程度にしか思ってない事を、当事者になって知った。

偉そうなことは言えない。
私とて、当事者になる前には、本当に気の毒だ、絶対に気をつけようと言う域を出た事はない。

しかし、世の中にはそういうレベルでは語れない運転者がいる。

事件後。
起きた事を無駄にしない。
出来る事は全てする。
その事が、その事だけが、生きる軸となった。

最初は現場交差点にお地蔵さんを建てさせてくれないかと葛飾区に問い合わせた。
この交差点でこうした事件があった事を残したい、こうした事がもう起きない様に。
答えはNoであった。
2021年4月の事である。
理由は、国道だから、区の管轄ではない。と。

そうか、仕方ないなと思った。
妻は検討の姿勢すら見せない区の対応に怒っていた。
しかし、私は、まあ無理だろうなと理解した。

2022年3月、刑事裁判を経て客観的な証拠が心許なかった事を知った。
危険運転の判決は下った。
一部に、あの事件は被告が危険運転について争って来なかったから認定されただけだと言う論調がある事を知った。

そうした論を張る者には、相手してやるからかかってこいと思った。

一方で、客観的な証拠に少し不安点があった事はその通りと理解できた。

だから、裁判が終わり、燃え尽き症候群の様な時間を経た2022年5月下旬から、私は現場に防犯カメラを設置する(客観的な証拠機能をつける)事を、まずは象徴的に事件発生交差点に実現させたいと思った。

刑事裁判の際中に少なからず報道がされた事もあり、少しは行政も聞く耳を持ってれるのではないかと淡い期待があった。

しかし、現実はそんなに甘くはなかった。
関係各所に働きかけますと言う事実上のゼロ回答を前に、ジリジリと苛立つ事しかできなかった。

「そうは言ってもここ数年で交通事故は減ってます」

事はそういう事ではない。

これはまた起きちゃダメでしょと言う事は、個別具体的な案件からしか学べない。極端であると言う指摘はあろうが、やはりそう思う。

当事者からヒアリングしなくてどうすんですか?と。
ましてや、当事者はこれは無駄にはできませんと言っている訳である。

「いやいや、私、そんな悲しい話、聞けない」
そう言われた事もある。(一市民の方からである)

しかし、政治家や行政がこれで良いのか?
盆踊りや地域の寄り合いに顔を出していれば良いのか?

平沢勝栄議員は私どもにとっては恩人である。
形だけの焼香だけでなく、具体的な私の要望とその意味を、まずは聞いてくれた。

「本当にお気の毒です。私の想像を超えた出来事です。」念仏の様に唱える人は沢山いる。

しかし、この事件から何を思うかを真剣に聞いてくれる人は殆どいない。

真剣に話を聞いてくれて、出来る限りの実務に落とし込んで頂けたのは、政治の世界では、今のところ、平沢勝栄議員だけである。

元々、平沢勝栄議員は犯罪被害者支援や危険運転致死傷罪について、知見がある。その事は事前に知っていた。だからこそ助けを求めたと言う事はある。

刑事裁判を経ての具体的な陳情を行ってから3ヵ月。
現場交差点の改良工事が決まった。
私の要望だった防犯カメラの設置が実現した。
それに加えて、停止線の位置が変わったり、信号の位置が変わったりと、事件により気づきとなった課題を物理的に改良して頂いた。

政治の意味を感じた。

それでもなお、まだリクエストを聞いて頂ける雰囲気があった。
そこで、危険運転致死傷罪について、様々に矛盾が世に出ている事について、法務省はどの様に考えているのか問いたいと、お願いをした。

一昨日の事である。

法務省の方は4人来た。

平沢勝栄議員の質問に法務省の方4人が答えると言う形。
私と妻はあくまでそこに同席しているだけである。

「自動車運転死傷行為処罰法に定める、危険運転の各類型における構成要件が極めて抽象的で曖昧であり、いわゆる「明確性の原則」に反していると考えます。
例えば、「正常な運転が困難な状態」「進行を制御することが困難な高速度」「殊更に無視」等の条文がその典型です。
法の運用をしやすいという観点からいうと,当然構成要件の輪郭がはっきりしていることと同時に,主観的要件はなるべく少ない,否認した者は許されて,自白した者だけが処罰されるという事はあってはなりませんが,実際の事件ではそうした事が起きています。
従って、否認した者も的確に処罰できる様な構成要件にすべきであると考えます。

分かり易い事例として、2021年2月に大分県で19歳の加害者が一般道を時速194㎞で走行して右折車に衝突し、右折車を運転していた50歳の男性が死亡するという事件がありました。
警察はこの事件を危険運転致死罪で送検しました。しかし、大分地検は危険運転致死罪が成立しないと考え、過失運転致死傷罪で起訴を行いました。
法が定める「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」の要件に当てはまらないと言うのがその理由でした。
一般道を時速194㎞の速度で運転して、これを危険運転と認定できない法とは何なのでしょうか?

判例の積み重ね以外でも、例えば専門家による審議会などを定期的に開いて、どのような案件を危険運転致死傷罪に問うべきなのかもう少し踏み込んだ指針をお示し頂きたいと考えますが、いかがでしょうか?」


法務省の方は、現行法に問題は無いとのご説明であった。
裁判所が判決を決める過程において、法務省がその判断に影響を及ぼす様な指針出す事は控えたいともご説明された。

しかし、実際の裁判において、裁判所は危険運転致死傷罪創設時の法制審議会の議事録を参酌して、判決を下している。

法律創設から20年超を経て、再点検、再検討をする時に来ているのではないかとの問いに対しては、明確に、「その必要はありません」とは回答しなかった。

政治、行政そのものが冷たいと言うよりは、どの様に責任をもって対応して良いのかが分からずに、当たり障り無いアプローチの範囲を出られず、結果、当事者にとっては冷たいという印象になると言う、ミスマッチが実態だと思う。

ミスマッチは解消せねばならない。

そのきっかけは、間違いなく当事者が握っており、その声を繋げてくれる力を持つ非当事者が持っているのであろう。



2023年3月18日毎日新聞夕刊


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