受刑者への返信
私が受刑者への手紙のやり取りを迫る理由は、彼自身が犯した罪が、どこか遠い出来事でも、アクシデントでもなく、紛れもなく自分が犯した事であり、彼も人の親なのであれば、娘の人生の殆どを奪った事に向き合い続けさせるためである。
裁判所に危険運転致死傷罪が認められた後、何人かの人に、危険運転に認定されるに足る条件が揃ってラッキーな事案だったと言われた。
さらに、受刑者から手紙の返事が来ることも珍しく、これもラッキーというニュアンスの事らしい。
こうした発言は、最前線でこういう事案に関心がある人でも、本質的な事は何も分かっていない証左だが、それは、まあどうでも良い。
受刑者に手紙を出す事も、危険運転致死傷罪について各所に問題を直談判し続ける事も、全ては、黙っている訳にはいかないからだ。
自分が目にし、体験した事からすれば、黙っていられるわけがないと言う思いからである。
たまにメディアの方に、「ドライバーの意識にどの様な事を訴えたいですか?」と言う事を聞かれる。
最近は、「そんなぬるい話ではない。」と答える様にしている。
先日、下記のnoteに書いた様な手紙が受刑者から届いたのには訳がある。
この手紙が届く前に、私から大学ノートを2冊同封して、どの様に罪と向き合うのか?毎日でなくても良いから、日記を書いて送ってくれと依頼する手紙を送っていたのである。
彼は、それに対して、刑務所の生活は毎日同じことの繰り返しだし、自分は字が汚いからノートに日記を書くのは勘弁して欲しいと返事をしてきた。
それでも、どの様な生活を送っているのかを、便せんに日記形式で少しは書いて寄こしてきた。
ラッキー等と私に向かってのたまう最前線の人達も、本質的な事は何も分かっていない。
であれば、受刑者が本質的な事など分かるはずも無いだろう。
しかし、私は、黙っていられるわけがない、そう考えて毎日を過ごしている。
この様な事情で大学ノートは差し入れとしては受付不可である。ついては、着払で返送するか、刑務所で破棄するか、希望を選択せよと、長野刑務所から藁半紙で無機質な文書が来た。
破棄を選んだ。
私は受刑者に返信を出した。
毎日同じ行動、同じ作業。
毎日日記を書いても同じ内容。
だからノートには日記が書けないと書いてありました。
あなたの毎日は手紙に書いてあった通りなのでしょう。
私は、1,300日近く、毎日、耀子と会えていません。
耀子はあの日から、1秒も彼女の毎日を過ごせなくなり、消えていなくなりました。
なぜ赤信号なのにあの時にかぎって止まらなかったのか、止まれなかったのか。あなたの手紙に書いてありました。
あなたが20代から走っていた水戸街道。
あなたがあの交差点の大きさを知らないわけがない。
あなたは赤のうちに右に車線変更がしたかったから、止まらなかったんでしょ?
そう言っていたじゃないですか。裁判でも。
毎日同じ行動、同じ作業。
毎日日記を書いても同じ内容。
だからノートには日記が書けない。
これは、毎日、罪と向き合い、耀子の失われた時間について、人の子の親でもあるあなたが、逃げ回っている証拠だと思いますよ。
なぜ赤信号なのにあの時にかぎって止まらなかったのか、止まれなかったのか。
これも、あなたがとぼけて逃げ回っている証拠だと思いますよ。
あなたはアクシデントの様な書き方をしている。
毎日、時間は過ぎ。
いずれ、あなたは刑務所を出る。
また時間が過ぎ。
いずれあなたは死ぬ。
それまでの間、あなたがどの様に罪に向き合い続けるのか。
私にはどうする事もできないが、あなたもその事から死ぬまで逃げ切る事はできませんよ。
波多野耀子の父 波多野暁生
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