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領収書から蘇る記憶、トイレの匂いから蘇る記憶

仕事柄、葬式費用の領収書や内訳を見る事が多かった。
生花、供物、湯灌、ドライアイス、見慣れた項目。
人生100年時代、いつだって葬儀の対象は老人である、そう思っていた。

妻は事件現場にしんどくて行けない。
私は、娘が荼毘に付された葬儀場近くにしんどくて行けない。

最近受けた仕事で久々に葬式費用の領収書を見た。
病院で亡くなった方については、亡くなった日以後に支払われた入院費用等の請求書も確認する必要がある。
領収書をめくっていくと、どこか見覚えのある支払先が目に留まった。
入院時のパジャマのレンタル費用の領収書であった。

私も利用した事がある業者の領収書だと気付いた。
亡くなった方の入院費用の請求書を改めて確認すると、私が事件直後に搬送されたのと同じ病院であった。

私がパジャマをレンタルしたのは事件発生時に搬送された時ではなく、事件から約1年後の2021年4月の事。

事件直後に搬送された時、折れた左足にチタンの棒が埋め込まれる手術を受けた。
開放骨折の場合、チタンを埋め込む手術は定番の様である。

手術から1年が経ち、そのチタンを左足から抜く手術を受ける必要があった。
抜釘手術と言う。

参考画像。
私の足ではないが状態はほぼ同じ。


3月末に勤務先を最終出勤を終え、4月は有給消化であった。
まだコロナへの警戒レベルが最高位だった頃である。
病院の受け入れ態勢も100%では無かったようだが、何とか4月上旬に手術入院する事が出来た。

その時に私もパジャマをレンタルした事を思い出したのである。

記憶は自分でも意外に思う様なきっかけで蘇る。
たまたまペラペラとめくっていた領収書の中からパジャマのレンタル費用の領収書を見つけ、その時の記憶が突如蘇る様に。

抜釘手術の際に入院した病棟は最初に搬送された際に入院した病棟とは造りが違った。

病室は4人の相部屋。
よくしゃべる中国人と入院慣れしてやたらとナースコールを連発する中年男性、もう一人は気配なくカーテンを閉め切っていた。

勿論1年ぶりに入院せねばならない事の周りには1年前に起きた事が常に付きまとっていた。
ただ、なるべくその事は意識しない様に、無機質な自分に集中していた。

トイレに入った。

清掃用の洗剤の匂いなのか、芳香剤なのか、嗅ぎ覚えのある匂いが鼻を突く。
たちまち記憶が蘇った。

娘が死んだと書かれた紙が釘で頭に打ち付けられた様な状態でトロトロと車椅子に乗り、自力でトイレに行った時の事がたちまち脳内に現れた。鮮明に。
あの時は車椅子だったから個室にしか行けなかったが、今は自分の足で立って用が足せるな、等と間抜けな事を考えている自分がクソ恨めしかった。

それでもその匂いが蘇らせた記憶と再度入院している自分の状況が、どうしようもなくぴたりと符合する事に、この匂いは一生忘れないだろうと思った。

左足の手術をするので、膝から下の毛を全て剃ってくれと、ナースから言われた。
シャワー室に行き、コンビニで買った使い捨てカミソリで一人剃毛した。
しかし、思いの外うまく剃れなくて、畜生と加害者の事を思い出した。
加害者はその瞬間も自宅でのうのうと過ごしている。
(事件は2020年3月、再入院は2021年4月、加害者の収監は2022年4月)

所々しか剃毛できていない無様な足をハーフパンツから出しながら、ナースステーションに行き、担当の看護師に剃れませんと伝えた所、電気カミソリで剃ってくれると言う。
最初からやってくれよと思いながら、左足を差し出した。

抜釘手術をすると言う事はヤバい骨折をしたのだろうとは看護師だからわかるだろう。ただ、なぜこれほどの骨折をする羽目になったかは、当然だが知らないだろうなと思いながら、サクサクと剃られていく左足と看護師の手の動きを交互に眺めていた。

手術は全身麻酔なので、気が付いたら終わっている。

24時間は食事は取れないし、水分も経口摂取はなるべく控えろと言う指示。

チタンを入れた時はショックで痛みを感じなかったのか、強い痛み止めを点滴されていて朦朧としていたからか、パンパンに腫れた足が自分の足ではない様な感覚はあったが、鈍い痛みしかなかった。
しかし、今回は違った。
のたうち回るほどに痛い。
痛すぎて、寝返りもうてない。
ベッドは傷口からしみ出た血で、血だらけになっていた。

トイレが困った。
水分を飲むのは我慢しているが、点滴をしているのでしっかり尿意は襲ってくる。
激痛にのたうち回りながら、仕方なくナースコールをすると、ナースが採尿すると言う。
勘弁してくれと尿瓶を借りた。
血が出るので寝ながらしてくださいと言われたが、痛すぎてうまくできない。
やむなく、激痛に耐えながら、片足立ちをし、用を足した。

とにかくとんでもなく痛い。

あの野郎。

加害者の名前を頭で連呼した。

やがて執刀医が来て、「痛いでしょう?」と独特の関西訛りで話しかけて来た。
この執刀医は事件当日にも手術をしてくれた医者で事情は全て知っている。

「これ記念に」

そう言って、左足から取り出したチタンの棒と釘類を袋に詰めたものをジャラジャラと目の前に置いた。

お宅全部事情知ってるよな?と思いながら、「いらないっすよ」と痛みに顔をゆがめながら言った。

「でも1年体を支えてくれてたもんやから、ま、捨てても良いけど」

そう言い残してスタスタと病室を出て行った。

私は再び加害者の名前を頭で連呼した。

それが、加害者が危険運転致死傷罪で起訴された翌月に私が過ごした時間である。


その事をパジャマのレンタル費用の領収書を見てまた思い出した。







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