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本当の事を聞くのが怖い。本当の事を話すのが怖い。

事件から3年が過ぎた。
事件直後から今日まで、人に会うのが怖くて仕方が無い時期があった。
今もなお、その気持ちが不意に顔を出す。

この人は事件を知っているのか、いないのか?
あの生き残ってしまった父親だと知っているのか、いないのか?

ただでさえ顔色伺いに出来ているのが、事件後、余計にその色が濃くなった。

妻の気持ちを分かった様に書きたくないし、書けない、書いてはいけないと思っている。

まだ11歳だった娘と、新生児の頃からこの地域で母として人生を過ごしてきた。
母は強しと言う。
それは確かにその通りだが、その後ろには幾多の悩みと、しんどさがあった事は私も分かっていた事である。

幾多の悩みと、しんどさも、同世代のママ、先輩ママ、そして人生の先輩達の中で分かち合える時もあった。そして、その姿を娘は見ていた。

色々な大人達の様子を見て、親がその中でどの様に立ち振舞いを行うか、子供達は、当たり前だがよく見ている。
親が子を見ている以上に、子は親を見ている。そして大人を見ている。
その事を今になって嚙みしめる事がある。

ノーマルな生活を送っている人の空気に触れてはいけない。
ノーマルな生活を送っている人の空気に触れると、自らは、二度とその空気の中には戻れない現実を突きつけられる。
そんな事を腹に抱えながら、ひっそりと生きねばならない、死ねないならその様に生きるしかない、そう思っていた時期があった。(今でもその思いが消えたわけではない)

妻も似たような気持ちと苦しみを抱えていたと思う。
いくつもの子育ての歴史を分かち合って来た人達がノーマルな暮らしを継続する中で、私以上にその事に敏感だったはずだ。

しかし、ある時を境にして、私が局所的に気が触れたように主張を始めた。
ご近所様がどの様に思うか。
その事の不安は今も続いているだろう。

私は、娘が育ったこの地の方々に、私の生の声を展開するのは、ある種の不可侵に反する事だと思っていた。

この地で過ごした時間は間違いなく、私より、娘と妻の方が長く、深い。

ある人に言われた。
活動すればするほど、動けば動くほど、傷つく事も増える。
それはその通りである。

10言いたい事の1でも2でも伝われば良い方で、場合によってはマイナス1、マイナス2と言った全く逆方向に理解される事もある。
その度に10言いたい事との差分を埋める事をせねばならない。

そんな事を繰り返しているうちに、娘が育ったこの地の方々に、実際に娘を可愛がってくれていた方々に、とうとう私の口から説明せねばならないと言う事に至ってしまった。

二度と起こしてはいけない事件が葛飾区内で起きました。
二度と起こしてはいけない事は、どの様に防止策を講じるかが重要です。

この事を娘がお世話になった町内会の役員会でお話した。
10言いたい事の全てを話せるわけではない。
1伝わったかも、正直、分からない。

本当の事を聞くのが怖い。
本当の事を話すのが怖い。

しかしノーマルな生活を送っている人の空気に割って入ってでも、やはりこれは押し黙り続ける事は出来ない。
娘を可愛がってくれた方々の中に、その事を心でわかって下さる方がいるはずだと信じたい。

そんな事を親バカに思った次第です。







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