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医療について考える映画のお話

中年とは若いころのツケが出てくる年齢でして、私も御多分に洩れず四十を境に色々と……
同時に、親もまた人生を左右する病気にもなってくるわけで、人の生き死にがリアリティを帯びる今日この頃でございます。

体の不調を改善するためには、当然のように病院にお世話になるわけですが、風邪ではない何某で通うとなると、それはそれで色々なことが見えてくるわけです。
医療や保健の仕組みは国によって異なりますが、国民皆保険の日本では有難いと思える制度が結構あることも分かりました。

そして避けて通れないのが介護問題であり、終末医療の在り方となります。
これは『死に方』の問題に繋がります。

『痛くない死に方』(2022)

高橋伴明監督の作品ですが、随分昔に『愛の新世界』(1994)という作品を観たことがあり、強烈な印象が残っています。
『痛くない死に方』は在宅医療のお話です。

病院で死を迎えることは一般的ですが、訪問診療に切り替え、終末期を住み慣れた家で迎える人も増えているようです。
そんな人々の最後を、主人公の若い訪問医師を通して何パターンか描かれています。
ドラマとしても良く出来ており、大げさでもお涙頂戴でもなく、良い点も悪い点も、そして訪問医療を行う医療機関についても描けている良作だと思います。

タイトルには病院での延命措置は患者を苦しめるだけ、という裏のメッセージが込められていますと思います。
今わの際に人間が辿る工程を知ることで、恐怖することなく看取ることができる、というのは理想論もありますが、病院で酸素吸入マスクやチューブだらけで亡くなるよりも、自然に死にゆく方が静かで安らかさがあるだろうことは伝わってきます。

病院は医療行為を行う場所として存在しています。
しかし、その医療行為とは何を指すのでしょう。

医療は『病気を治す』ことが本当の目的なのか、疑わざるを得ない事象が、今回母の病を通して感じているところです。
それは法と無関係ではないからだと思います。
技術革新によって克服、緩和できる病は明らかに増えており、それは素晴らしいことかもしれません。
しかし、それによってエビデンス至上主義になり、切り捨てられる可能性もあるように感じました。
具体的にはがんの代替医療です。
標準治療というお墨付きを与えられた、多くの人に効果が期待できる治療法ではない代替医療の多くは保健がききませんし、お金があっても併用することができません。
ちなみにアメリカでは可能だそうです。
国にによって異なります。

病気を治すには生活習慣も重要で、特に食事は大事ですが、病院食は数値だけを意識しただけで、味はもちろん個々人に細かく対応することが出来ません。
そのため、入院が長引くほど悪くなることがあり得ます。
病院は法的な医療行為が終わった患者は家に帰らせたいと思っています。
私の経験も踏まえると、食事の指導はしませんし、生活習慣についても基本口を出さないです。
それはエビデンスとして曖昧だからでしょうが、これは医者がサラリーマン化しているように感じます。
大きなシステムの中で限られたことを確実に行う者、といった感じです。
いいか悪いかは別として、病を治す、という目標にはいささか不親切なところがあると感じました。
余計なことは言わない方が安全、という防衛本能も感じます。

年配の医者はほとんど見かけなくなってしまいました。
若い医者はやはり臨床も社会的な経験も不足しているのは仕方ありませんが、それとは別の、サラリーマン的功利主義が根底にあるようで、安心とは程遠い存在に感じました。
ただ、年配ならいいわけではなく、むしろもっと悪い場合もあります。

端的に言うと、優しさを感じる医者がほとんどいないということです。
首都圏の病院しか知らないので何ともいえませんが、私が子供のころに接した医者のイメージではないと感じています。
看護師については、とても優しさが滲み出ている人もいれば、意地悪な人もいました。
そういうのを見てると、自分は入院なんてしたくない、病気になりたくない、と強く思うようになりました。
そして酒とラーメンをまず止めました(笑)

『ぼけますから、よろしくお願いします。』(2019)

『ぼけますから、よろしくお願いします~おかえりお母さん~』(2022)

高齢化社会において認知症の問題もまた避けて通れません。
私の母もまた、医者に認知症の疑いがあると言われましたので、映画を観てみました。

このドキュメンタリーは監督の実の親の記録です。
監督は映像作家として活躍している女性で、母親が認知症と診断され、その後本格的に撮影を開始します。
元々映像が職業の人なので、過去のプライベート映像素材も多く存在しているため、作品のリアリティも十分です。
実の親が苦しむところを他者的視点で映像に収めるという作業は、多くの方が指摘する通りかなり辛かったと思います。
しかし、それこそがリアリティの極致とも言えるため、作品は素晴らしい完成度です。
続編はかなり悲しい現実がありますが、優しさに溢れたよい作品です。

認知症に関しては本を読むことと同時に観ることをお勧めします。
やはり色々と種類があり、穏やかでないことも多々あるからです。
これはあくまで一例として、老いを視覚的に勉強する材料として観た方がいいでしょう。

『いのちの停車場』(2021)

最期は吉永小百合主演の、これも訪問医療の医者が主人公のお話で、重要なテーマとして安楽死もあります。
結果から言いますと、大変残念な作品でした。
原作があり、そちらに興味があったので映画の前に読みました。
原作は素晴らしかったです。

作者の南杏子さんは現役の医師ですので、細かい描写もリアリティがありますし、現代医療が抱える問題提起も出来ています。

映画は原作の重要な部分を描くこともなく、表面を掬うだけであり、かつ致命的な改変を行っています。
作者が医師であることでリアリティがあるはずだったのに、それを見事に裏切ります。

吉永小百合という伝説を守るためだけの作品と揶揄されていますが、そうとしか思えません。
がんについての描写もお涙頂戴エピソードにするために、およそ原作では出てこないセリフを言わせます。
物語にはその展開が必然と思わせるくらいに、描かなくてはいけないシーンがあると思いますが、それが無いか、あっても薄すぎて感情移入などできません。
対照的な作品に、『ドライブ・マイ・カー』(2021)があります。
村上春樹の短編集をとてもうまく一つの作品に作り替え、ドラマとしても申し分ありませんでした。

『いのちの停車場』は小説の重要なテーマを映画では感動するための道具にしてしまい、サユリスト向けのファン作品にしてしまったことは罪だと思います。
少し前に観た『パッチ・アダムス』は医療問題もしっかり描きながらエンタメとしても秀逸な作品でした。

以上、最近病院に行きまくった人間の個人的映画評でございました。
気分を害された方がいましたらすみません。


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