見出し画像

旅日記『雪化粧の高野山』その3 護摩行

護摩行

時間は13時となり、護摩行が行われている隣の鳳凰奏殿へ。

画像1

護摩行自体は既に始まっていたが、炎はまだ上がっておらず厳かに読経が行われていた。
その場に観光客はほぼいなかったように思う。
護摩壇を囲うのは皆、熱心な信者であろう。

結果的に1時間20分ほどここにいたのだが、この間ずっと一定のリズムをキープしながら、読経しながら和太鼓を叩く僧がいた。
これだけで立派な修行になろう。
腕はパンパンに張っているのではと心配になってしまう。
護摩壇の中央には宿坊のフロントで紹介されていた『池口恵観』住職が鎮座し、木材を入れて火を起こしていく。
30分ほどで火の粉が上昇し始め、やがて勢いよく燃え始めた。

『火』というのはとても原始的であり、かつ神秘的な現象だ。
人類は『火』を扱うことによって地上の支配者となったとも言えよう。

炎は常時揺らめいており、一定ではない。
ろうそくの灯ですら大気の流れを微妙に感じ取り、揺らめいている。
ついつい見入ってしまう。
催眠という怪しげな術にも使用されるのは納得のいくことだ。

一定のリズムと読経、合間に入る大リンの重厚さ。
ひとりの僧が読経するソロパートもある。

これは修行なのか?

信者ではない部外者からすると、トランス的なイベントのようにも感じられた。
そこにアルコールもドラッグも必要ない。
それは一大スペクタクルのような、とても原始的な音と映像のコラボレーションであった。
また燃やすという行為には化学現象の結果として『香り』が生じる。
視覚、聴覚、嗅覚を刺激するこの行は、やはり心を高揚させる要素が散りばめられている。

このような行を毎日行っているというのは驚きだが、彼らにとっては日常なのだろう。
ここで感じたことは、この街は観光地と言えばそういう側面もあるだろう。しかし、観光のための行でないのは確かだ。
普段の、ありのままの密教の行を垣間見ることが出来る、という意味合いだ。

ある日常が、近代化した都市部では非日常なだけであって、この街はこれが日常なのだ。
その疑似体験が出来る場所なのだと。
宿坊もそうで、部屋に鍵などはない。
流石に金庫は置いてあったが、あくまでお寺の日常の中に身を置くことが出来るという、体験に過ぎない。
古来の日本建築などはそうであったし、風通しの良い造りは暑い夏も乗り切ることを可能にし、何より屋内でも季節を感じる環境があったのだ。
これは日本が島国で、そう簡単に侵略される機会のなかった極東に位置していたのが大きい。
この国はとても恵まれた立地にあり、四季も豊かであったから、そこに住む人々は風流な気質を根底に持っているのだと思う。

となると、やはり西洋による『近代化』なるものは、日本人としては本質的に合わない部分があるのだろうと思う。
日本だけでなく、アジアはそうであろうと思う。
日本はうまく立ち回ったことで欧米主体の先進国の仲間入りをしてしまったが、かなり矛盾を抱えていたのではないだろうか。

もう、そんなに西洋の常識に縛られずに暮らしてもいいのではないかと、最近は思う。
と書くと、『右翼』と言われそうだが、その右左も欧米的な価値観による思考であることは言うまでもない。
とはいえ、私は思想的にリベラルである。
それは再帰性によって日本がかつての風流を愛でるような社会ではないことを前提にすると、リベラルにならざるを得ないからだ。
日本的なものをもっと上手にミックスできればいいのだけど、中々それは難しい。
和洋折衷と言えば聞こえはいいが、それを本質的に達成するには、一度完全な西洋化を果たす必要があると考える。

現代は『和』も『洋』も中途半端にな状態で、特に『和』の劣化が著しいように思う。
自称『右』の人は、一度日本とは何かを考え直してみてはどうだろうか。
その上で、今世界の”常識”となっている西洋近代の合理性について考える。
なぜそれが世界的に受け入れられているのかの理由を考えることによって、本当の意味での和洋折衷が完成するのだと思う。


と、そんな考えを巡らしているうちに”ショー”はクライマックスへ突入していた。

この間、天気は目まぐるしく変化していた。
陽が射したかと思えば大粒の雪が舞ってきたりと大忙し……
それがまた護摩行をドラマチックに演出していた。

池口住職が九字を切り、経を唱える。
祈願が書かれた護摩木を次々と燃え盛る護摩壇へ放り込む。
護摩行とは煩悩を火によって燃やす意味があるが、祈願をなぜ火の中に放り込むのかはよく分からなかった。
そうしてマントラ(真言)を唱える声は勢いを増し、トランス感も増していくのであった……

これまで1時間20分ほど。
そんなに経ったのかと感じるほどに、そこは不可思議な感覚をもたらす世界であった。


この『護摩行』を体験することができ、この旅の目的は大方達成することが出来た。
後は高野山という街を”感じる”ために歩くこと。
私は観光地では出来るだけ歩くことを重要視している。
バスや車に乗ってしまうと、街を”感じる”ことは出来ない。

画像2

雪道ではあったが、ポツポツとまばらに降っている間は問題ない。
歩きづらいだけで、滑ることはほぼ無いからだ。
問題は翌日の道路の状態だったので、凍ることを鑑み、奥の院の散策はこの日に行おうと、早々にチェックインを済ませて通りへ出た。

つづく

この記事が参加している募集