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人間性の陶冶

″人間性の陶冶″

無表情の写真ばかり。なんとも生半可な心意気で書かれたであろう自己紹介文。その中で、出し抜けに私の目を止めた言葉。
マッチングアプリのプロフィールにしては珍しく思想と知性を滲ませたその相手の人間性にこころがざわついた。気がした。

対面した彼は、冬によく合う甘ったるい香りを漂わせながら存外屈託のないコミュニケーションを取る男であった。
自己紹介にあったあの言葉を心に留めている人間に会うのだと思ったら、もっと影を落としたような雰囲気を纏った内面を想像していたが、どうやらそういった部分を隠すのがお上手なようだ。

人間性の、、、なんて読むと思う?

勿論会いに行く前にググッているに決まっている。読み方も意味も予習済みだ。
だが、相手への関心深さを悟られるのは気恥ずかしく、知らなかったことを元から知っているかのように話すような自分を偽る行為は、どうしてもまっすぐ生きてしまう私にはできず。

なんだろう。とうち? 分からない。初めて見た。

なんて答えてくれるんだろう。この言葉に彼は何を感じているんだろう。やっと答え合わせができる。
そう思った。

とうやだよ。知らなかったでしょ。
そういえばさー、、、

え?お終い?
解説は?その心は?何を思って日々生きているのか教えてくれないの??

初対面の彼の懐にずかずかと踏み込む勇気もなく、陶冶がとうやであることが明らかになったところで幕は降ろされた。

悪い癖かもしれないけど、目の前の人間を″個体″として見てしまうんだよね。お、これ、いい個体だなとか。

どれだけ相手を近くに感じる関係でも、私たちはそれぞれに対して一定の線引きをしている。
彼が引くその線は水族館の大型水槽のアクリル板に近い。
一見、すぐそこにいて触れられる、視覚的に温もりすら感じる距離感。
しかし実際に私たちを隔てるその透明な板は、薄い壁が何層にもなり重厚で、例えマンボウが体当たりしたとて破られることはない。

彼の深みに触れるには、潜水士の資格を取り水槽の内側の掃除や餌やりのために潜れるようにならなければ。

年上の男に余裕があって魅力的に見えるのは、凡そこちらを舐め腐り下に見ているためだ。とどこかで聞いたことがあるが、この言葉は実際問題的を得すぎている。

しかし彼は違う。
6つも年下の私を対等に一人の人間として、いや、ひとつの″個体″として接してくれているのだろう。
その距離が、私には心地よかった。

直接的な言葉で聞けずとも、長い時を共に過ごせばあの言葉の意味が分かる時が来るんだろう。
次彼に会うとしたら4回目になる。
ひとまず、潜水士を目指すとしようか。

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