快楽のトレッドミル〜どれだけ幸福を追求しても幸せになれないのはなぜなのか #HapHed|進化心理マガジン「HUMATRIX」
・#HapHed のテーマソング ▽
# 幸福は、なぜあるのか
#HapHed回では「幸福の生物学/ハピネスバイオロジー」を探求していこう。
まず最初に確認しておきたいのはこれだ;
「快楽」や「幸福」は、その他の基本的な情動と同じように、"生物学的な現象"として発生する。
たとえば「恐怖」という情動。それが発生すると心臓がドキドキし、筋肉がピンと張り詰めて緊張し、目を大きく見開くことになるのは、肉食動物から少しでも逃げやすくするための適応的反応だ。
快楽/pleasureや幸福/happinessは、その逆の効果を及ぼす情動だ。恐怖のように「それから逃げろ!」と警告するのではなく、「それを追い求めろ!」と生物に獲得と達成を望ませる機能がある。
進化論を知らない俗世間の連中は、 "幸せは人それぞれ" と当たり障りのないことを言うかもしれないが、「進化による心の設計」という観点から考えれば、"幸せは人それぞれ" では困る。
恐怖という情動システムは、その存在理由ゆえに"安全なもの"ではなく"危険なもの"から生物を逃さなくてはならないし、幸福という情動システムは、その存在理由ゆえに結果的に"生存と生殖につながるもの"を生物に望ませなくてはならない。
幸福は、「生物学的に適応性のあるもの」を、ヒトという生物に望ませる。
「適応性のあるもの」とは、「遺伝子の生存と効果的な複製につながるもの」だ。最も基本的なレベルでは、食物、住居、安全などがそれに当たる。それがなくては、生物が生存を確保していくのは難しい。
アニメ『チェンソーマン』のホームレス主人公・デンジは、長らく生存ギリギリの生活を強いられてきたためにまさにそれら───食物、住居、安全───を"理想的な幸福の対象"として求めていた。
そしてついにはそれを手にした時、すさまじい幸福を感じていた。
21世紀の恵まれたニッポンに生きるキミたちは、「食べるものがある、寝れる場所がある、殺される心配がない」というだけのことに幸福を感じることなんてあり得るのか────?と、このフィクションの描写に疑問を感じるかもしれないが、幸福の生物学的ロジックによればそれは十分あり得ることだし、実際世界の恵まれない国々ではあり得ていることなのだ。
幸福は、生活レベルに依存する。暮らしむきが裕福になると、そのヒトが内的に認識している〝ハピネススタンダード/幸福基準〟が上昇する。
そうなると、かつて幸せを感じられていたようなささいなことでは、もはや、幸福を幸福として感じられない体質になっていく。
底辺生活のデンジは、ハピネススタンダードが低いため、「朝食のパンに好きなだけジャムを塗って食べられることの幸せ」を思う存分味わうことができる。
だが、ほとんどの現代ニッポン人は、生まれて以来彼よりも生活レベルが高く、そんなことではもう、幸せを味わうことができない。
────なぜ進化は、そんないじわるな設計を心に施したのか? それをこれから説明していく。
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