夕食のパスタ 裏の意味 親が勉強教えてる 大学名でマウント
夕食は海老味噌とベーコンとトマトのパスタ🍝✨
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言葉には必ず裏の意味というのがあって子どもに表の意味だけ解ってね、解るよね?と忖度を求めても良くない。例えば『自分がやられて嫌な事は人にしない様にしよう』と良く言うけど其の裏の意は『自分がやられて嫌じゃなければやっていい』になり『私嫌じゃないもんいいでしょ』となる子が一定数出る。
そういう時って子ども側からすれば『自分がやられて嫌な事を人にしてない』んだから十分自分なりに人に気を使ってる状態なんだよね。ちゃんとやったのに何でそんなに責められないといけないの?と思ってたりで相手の方が悪だと思い込んだりする事例は見掛ける。
一番大事なのは相手の〇〇さんがどう思うかはこうだけど△△君ならこう思うって辺りを知る事なんだけど余り学校だとそういう教え方をしないのねぇ、というのを不思議に思っている。
寧ろ逆に『自分は絶対嫌だけど〇〇さんは其れをしてくれたらとても嬉しい』なんて事もあるかもしれないから人付き合いって難しい。難しいし面白い。
だから『皆行事は楽しいんです!だからR君も楽しい筈なんです!』なんてキレ散らかしてる先生には子どもを任せたくない。
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親が勉強教えてるって言うと『公式や定理や解法を授業形式で教えてる』と勘違いされる事が非常に多いけど無数にある公式や定理や解法知るなら本読んだ方が早い絶対に。私が教えるのは其の様な本を読んで学んだ知識を小学生に説明出来る様にどう話せばいいかって当たりだけで良い。
勿論単に本が読めない時も教えるけど教えるのは単純な意味ではなくてどうして本来の意味であると思われる此の内容に行き着いたかの読解ポイントだったり。兎に角自分で学ぶ為に必要な知識や考え方を教えている。
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大学受験控えてる子達とふんわり交流してるんだけど中には受ける大学名でマウント取ったりする子がいるのね。自分の首がしまるからやめた方が良いのにねぇ。何処の大学に入ろうが其の子はその子なのに。もし気にするなら名前より学部や研究室でやってる内容の方が重要な気がするんだけどなぁ。
(だからといって学部や研究室でやってる内容でマウント取れって話じゃないんだけど)
偏差値でマウント取る子も居るけどアレもなんなんだろう。ある程度合う仲間に出会いたいからとかで偏差値を考えるのはアリだと思うけどあんなので人の価値って決まらないのに。IQでマウント取りたがる頭の悪い人に似てる。
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