別に何か大きなことを成し遂げたいわけじゃない。
僕らのまわりには、溢れているものがたくさんある。
・モノ
・ヒト
・アイ
・オカネ
・シゴト etc...
溢れているはずなのに、足りないと感じてしまうことが多くあるから怖い。
例えば、モノ__。
物欲は人によって様々ではある。
それは、興味の範囲によっても変わってくるものだから。
車が好きな人は、高級車であっても欲しいと思い続けるもの。
ベンツやフェラーリ、BMWなど。
ファッションが好きな人は、同じような時計やアクセサリー、スカートやワンピースなど。
似たようなものを持っていても、構わず集める。
知らない人にとってはどうでも良いことでも、好きな人にとってはたまらなく欲しくなるのである。
例えば、ヒト__。
ソーシャルディスタンスが世間で当たり前な風潮になったと思いきや、緊急事態宣言が解除された途端に人は増えた。
都心も電車は満員になりつつある。
スポーツ観戦や人気スポット、イベントなども倍率はかなり高くなる。
過半数が右と言ったら、同じように右に行きたくなるのは日本人の特徴でもある。
例えば、アイ__。
僕は昔、ホストという仕事をしていたことがある。
昼のホストも、夜のホストも経験した。
お相手する女性は、例え仕事で異性と関わることがあったとしても。
例え彼氏が居たとしても。
例え旦那さんが居たとしても。
常に愛を欲しているように思えた。
常に心が渇いているように思えた。
美容師時代のお客様にも、同じく水商売を仕事としている女性がいた。
やはり夜の町に繰り出す男性は、性欲という感情以外にも欲しているものがあるようだった。
そんな人が求める欲望や感情が、妙に印象的で。
妙に惹きつけられるところがあって。
僕は20代の最初、仕事をしていた記憶がある。
例えば、オカネ__。
大半の人が、あって困らないものであろうお金。
いま生きる分には事足りる収入があったとしても、将来どうなるかはわからない。
結婚し、子供が生まれることになったとしよう。
結婚式をまともに挙げようとするには、数百万単位で費用がかかる。
新婚旅行を堪能しようとすると、数十万かかるかもしれない。
子供の教育費は、大学に行くまでに1000万円が必要と聞いたことがある。
それ以上に、スポーツや塾などの習い事をさせるとしたら、まったく足りないだろう。
将来いつ病気になるかわからない。
親がいつまで元気かわからない。
自分のやりたいと思えることは、資金が必要なものかもしれない。
最小限で生きてると、溢れているもの。
最大限で生きようとすると、足りないもの。
それがお金のおそろしさ。
例えば、シゴト__。
仕事って実は、選びさえしなければ無限のようにある。
でも自分ができることを棚卸し出したり、やりたいことや年収に当てはめてしまうと、急に数が減ってしまう。
僕も20代のうちに、すでに4,5回は転職していた。
地元で美容師をして、東京で美容師をして。
夜のホストをやってみたり、昼のホスト(レンタル彼氏)をやってみたり。
フリーランスでブログやネットビジネスをしてみたり、派遣社員としてIT業界に入ってみたり。
仮想通貨業界に入ってみたり、プログラミング業界に入ってみたり。
飽き性でもあるために、いろんなことを経験してみた。
その度に感じるのが、仕事は溢れてて、誰かが自分を必要としてくれているということ。
だけど溢れているように見えて、しっかりと選ぼうとすると意外と「これだ!」という心トキメくものは少ない。
タイミングによっては、惰性で選んだりすることもある。
仕事には、年収や将来的なキャリア、身につくスキルや環境、人間関係など、考える部分が多すぎるからである。
僕らは大きなことを成し遂げたいわけではないのかもしれない。
僕らは小さなことの積み重ねでも良いから、充実した毎日を過ごしたいだけなのかもしれない。
小さなことを為すのに、大きな努力が必要なのであればなるべくしたくないのが本音である。
何かに向かって真っ直ぐ進める人が羨ましい。
だけどその「何か」が見つからないから困ることもある。
見つからないのであれば、せめて見つける努力は続けていきたい。
見つかった時のための、準備は進めていたい。
歩みを止めないためにも、カタチに残る何かは続けていきたいな...と願って、このnoteも綴っていたりする。
そうやって、小さく少しずつでも、大きくなっていく準備をしていこう。