ジェイラボワークショップ第78回『聞く読書、あるいは本と読書のあり方について』【図書委員会】【20240923-1006】
本記事は、ジェイラボ内で2024年9月23日から10月6日にかけて行われました、図書委員会主催の第78回ジェイラボワークショップ『聞く読書、あるいは本と読書のあり方について』のログになります。
Day 1
■あんまん
今週から図書委員会によるワークショップを開催します。よろしくお願いします。今回のテーマはオーディオブックやサブスクリプションの流行による今後の読書の在り方について考えようと言う内容になります。オーディオブックを一度も利用したことがない人はこの期間に一度試してみると今回のWSに参加しやすくなると思います。
WS座談会は9月27日の20時からを予定しています。
「オーディオブック」とは書籍を朗読した音声コンテンツです。「聞く読書」とも言われます。Audiobook.jpやAmazonの提供するAudibleなどが代表的です。Audibleは2024年9月の現時点で、12万冊以上の作品が月額1500円で聴き放題で聞くことができるサービスを提供しています。文学作品からビジネス書やライトノベルなどジャンルも多岐にわたります。Audibleの公式サイトに宣伝内容として以下の様なものがありました。
「仕事柄外回りが多く、運転中によく聴いています。自分の中にいい考えが刷り込まれて、仕事の成績も上がりました」(30代 男性 会社員)
「皿洗いや洗濯をしながら聴いています。家事の合間に知識を得られるので生活必需品になっています」(40代 男性 プログラマー)
「もともと5000冊の蔵書を持つ読書家でしたが、読書体験を変えるきっかけになりました」(40代 男性 コンサルタント フリーランス)
「もはや生活必需品です。最近ではテレビの代わりにAudibleを流しています」(50代 女性 会社員)
移動中や作業中に読書ができること、つまり「ながら読書」が可能になることを強みとして宣伝していることが伺えます。通勤通学中や、料理、掃除中やエクササイズ中など手を使わずに本の内容を聞くことができます。また、「読書体験を変える」という言葉もあります。これはどういうことでしょうか。元々紙の本を5000冊持っていたのだけれど、オーディオブックでは物理的に本を「所有」しなくてもよくなったことを言っているのか、それとも読書が「読む」から「聞く」に変わったことによる体験の違いを言っているでしょうか。この辺りは、読書とは何かを考える上で何かヒントがありそうです。
また、Audibleでは本の朗読をプロのナレーター、俳優、声優に依頼することで作品に付加価値をつけています。例えば、村上春樹の『騎士団長殺し』の第1部上から第2部下までを俳優の高橋一生がナレーターを担当しています。他にも太宰治の『走れメロス』を声優の大塚明夫がナレーターをしています。Audibleでは「人気俳優・声優の朗読で本をもっと楽しもう ナレーターで聴きたい本を見つけるのは、オーディオブックならでは」と宣伝しています。本を著者の作品として触れるのか、ナレーターの作品として触れるのかで「本」の在り方が変化しつつあります。
Q1〜3.
Q1: オーディオブックのサービスを利用したことはありますか
Q2: 紙の本を所有する喜びはありますか
Q3:サブスクリプションサービスで本を読んだことはありますか
■イヤープラグさざなみ
Q1. あります
Q2. あります
Q3. あります
最近は使っていません。紙の本を読んでいます。Audibleを利用していたときは、ながらではなく集中して聴いていました。
■Hiroto
1なし 2あり 3あり
■けろたん
1あり 2あり 3あり 🐜🐜🐜…
1あり
一時期AmazonAudibleのおためし版をやっていました。1,2冊タダで聴けるとのことでやってみたのですがそれきりです。やめた理由は思い出せません。
本という括りからは外れますが、長いネットの記事をブラウザーの読み上げ機能で読み上げさせていたこともあります。
2あり
所有する喜びと言えるかわかりませんが、自分が読んでいない本・読み終わった本をだれかに貸す、あげることを想像して嬉しくなることがあります。
自分は文庫や教科書ばかり読んでいるので、装丁へのこだわりのようなものはありません。単行本の小説などで凝ったつくりのものが多いことに最近気づきました。
3あり
Kindle Unlimitedをやっていました。英語アプリに付属でついていたテキスト使い放題のようなものも含まれるとしたらそれもあります。(実用書を読書というのか問題、なにをどこまで実用書と括るか問題は読書の在り方に関連しているのかなと思いました。)
■蜆一朗
Q1: オーディオブックのサービスを利用したことはありますか
まだないんですが興味を持っています。寝るときになんかいい感じの声で本を読んでもらえたら寝つきがよくなりそうです。
Q2: 紙の本を所有する喜びはありますか
ありまくりです。最近は電子書籍への抵抗も減ってきましたが、まだまだ紙へのこだわりがあります。可能なかぎりは紙で読みたいと思います。
Q3:サブスクリプションサービスで本を読んだことはありますか
Kindle Unlimited を一時期利用していましたが、ほとんど使っていないことに気がついて使わなくなりました。僕にとっては「手元にあって完全に所有している」という状態が大事です。
■Yujin
ないです。気になるのでこの期間中で聞いてみようと思います。
ないです。何でも電子書籍で読むようになってから、紙の本を買うことがほとんどなくなりました。紙で買うのは専門書くらいですね。
Kindle Unlimitedに加入しています(が、読む本はだいたい購入してます)。
Day 2〜5
■あんまん
オーディオブックの経験の有無は半々といったところでしょうか。サブスクで本を読んだことがある人は多い様ですが、ほとんどがやめてしまっているというのは興味深いです。かくいう私はオーディオブックユーザーであります。通学中や家事の合間に聞いて毎日1時間以上は利用しています。しかし、Kindle Unlimitedなどのサブスクで本を読むことはありません。一度試したことはあるのですが、だんだんと利用しなくなり契約をやめてしまいました。オーディオブックもサブスクの読書サービスも本を読む(聞く)という点では一致しているのですが、サブスクの読む読書サービスは継続することができませんでした。作品数で比較すると、Audibleは12万点以上、Kindle Unlimitedは200万冊以上で後者の方が圧倒的に多いのにも関わらず、私はAudibleの利用が続いております。その要因を自分で分析すると、「ながら」で読書できるということが最も大きいです。そして、「ながら」で読書することとサブスクには切っても切れない関係があると思っています。現在、オーディオブックで買い切りの商品はごく僅かで、オーディオブックはサブスクの形態で提供されることがほとんどです。サブスクでは膨大な数の作品数が提供されます。そのため作品ひとつ一つに対する愛着が持ちにくくなります。また、特定の作品を購入して所有するという手続きを持たないことも、触れる作品に対する誠実な向き合い方を阻害します。本を聞くのではなく、読むことは、時間と手を使って本に向き合わなければならないため、聞くよりも本を始めるハードルが高いです。私がKindle Unlimitedの利用が続かなかった理由はこれにあります。買ってもない、所用してもない、膨大な作品の中の一つでしかない本に時間をとって読み進めようという気持ちになるのは困難なことでした。しかし、Audibleでは読者の特定の本に対する愛着を下げると同時に、本を始めるハードルも同時に下げました。このサブスクの形態が本に対して真正面から向き合わなくても良い「ながら」読書とマッチすることでオーディオブックのシステムはうまく成り立っていると私は思います。
本日と明日の2日間の質問です。
Q4〜6.
Q4:普段読む本をどのように決めていますか
Q5:サブスクリプションサービスと書店とで、本の選び方は同じですか
Q6:利用者にとってサブスクリプションサービスで提供される本は多ければ多いほど良いのでしょうか
質問以外にも考えたことなどあればコメントおねがします。
■Hiroto
4 興味からキーワード検索or人から薦められたもの。
5 違う。サブスクは自分から、書店は出会い。
6 基本多い方が良いが、信頼度の序列付けはしてほしい。ゴミのような自費出版が上の方に来るな。
■蜆一朗
Q4:普段読む本をどの様に決めていますか
月に2回以上は大型書店に出向き、どんな本があるかをチェックしています。基本的には直感でビビッと来たものを手に取るようにしています。どういうものにビビッとくるかまではわかりません…。
Q5:サブスクリプションサービスと書店とで、本の選び方は同じですか
HIroto 君と同じです。サブスクやAmazonでは自分の興味関心の範囲からしか薦めてこないのが難点です。書店で本を買うときは、電子書籍が存在しない場合か、ビビッとくる未知のものを求めている場合のいずれかです。
Q6:利用者にとってサブスクリプションサービスで提供される本は多ければ多いほど良いのでしょうか
数学書なんかは「電子書籍で買えたらいいなぁ…」と思うことがありますが、そうできない事情も知っているので仕方ないと思っています。身体障碍者などのことを考えると「読む」ということを拡張するようなサービスが生まれていくのはいいことだと思います。
■匿名希望
少々出遅れました.
Q1. ありません?
audibleで,試聴みたいな感じの体験とかで一部だけ聞く,というのはありますが,がっつりサブスク登録してオーディオブックのサービスを利用したことはないです.
Q2. あります
新品の紙媒体での本を手に入れた際の喜びや,紙のほうが,どれだけ読み進めたか,視覚的に分かりやすく,達成感を感じます.
Q3. ありません.
できれば,今後,audibleに登録して,名著をシャドーウィングして頭に入れる,みたいなことをやってみたいな,とかいう思いはあります.以前,紙媒体で読破した,ダニエル・カーネマンのファスト&スロー(上)をオーディオブックでもう一度読みたいな〜なんて思いがあります.
■Yujin
その辺の本屋をぶらぶらします。ブックオフとか中古本もたまに見ます。でも買うのは電子書籍です。
同じです。
多い方がいいと思います。
Day 6~7
■あんまん
昨日のWS座談会に参加してくださった方ありがとうございました。うまく話をまとめることができなくてごめんなさい。次回からは私がある程度のまとまった答えを持った状態で司会進行をすることを心がけます。座談会では、読む読書の視覚言語と聞く読書の聴覚言語で認知にどのような違いが生まれるかという問いを立てました。そこで、本を読むとき、文字を視覚的に理解しているのか聴覚的に理解しているのかを振り返り、そもそも読むということが視覚言語で、聞くということが聴覚言語と簡単に分けることができるのか疑い、普段言語をどういう経路で認知しているのだろうかという議論を交わしました。また、インターネット空間における所有の在り方、なぜ人間は蒐集をするのかという議論を交わしました。拙い司会進行になりましたが、見逃した方で気になる方はws掲示板をご覧ください。
私は本を探すのはシジミさんと同じように大型書店に出向いて面白そうな本がないか確認します。Hirotoさんがいうようにサブスクでは自分の興味関心のあるものしか進めてこないので新しい本との出会いを求めるために書店に出向きます。アナログデジタルの話をすると書店のアナログゆえのこの偶然さはデジタルに置換されると失われるため一定の価値があると思います。ですが、結局はYujinさんと同じように買うのは電子書籍です。だから結局は時間の問題なのでしょう。
読む読書では、読むスピードが自分で決められるのに対し、オーディオブックは聞くスピードが自分ではなく機械のテンポによって決められているという特徴があります。本というものは元来自分が読み始めなければ読むことができない、能動的な行為でした。しかしオーディオブックはボタンを押せば勝手に音声が流れてきます。学校の国語の授業で初めて読む文章の時CDの音声を使って本を聞かされたことを覚えています。多分私の学校だけではないと思います。オーディオブックと似ていますが、CDと同時に教科書の文章も目で追っていたので、視覚と聴覚の両方を使用していました。オーディオブックは聴覚のみの読書です。そこで質問です。
Q7〜8.
Q7:オーディオブックは能動的な読書でしょうか
Q8:「ながら」読書は忙しい現代人にとって読書週間を形成する要因になるか
アンケート
Q7. はい: 1 いいえ: 10
Q8. はい: 11 いいえ: 0
Day 8
■あんまん
8日目になりました。アンケートの結果は完全に割れました。「読書」がどこまでの作業を指すのかを明確にしなければ答えることが難しかったかもしれません。「読書」を外界にある文字に対して読む読書なら目から、聞く読書なら耳から刺激を感知し、感覚受容器で電気信号に変換され神経情報処理がされ、知覚、認識して解釈するという段階に切り分けて考えると、全てのプロセスが一枚岩に能動的か受動的に区別することはできないことが想像できます。最初の外部の刺激を感覚受容器に入れる段階では、読む読書と聞く読書で明らかな違いがあります。読む読書では自分で眼球を動かさなければ文章を次に進めることはできないため能動的な作業であるということと、聞く読書では自分で耳を立てなくても勝手に文章が進んでいくため受動的な作業であるということが言えると思います。その次の感覚受容器で刺激を電気信号に変換する段階では反射で処理が行われるので能動的か受動的かは分けられそうにありません。ですが知覚、認識、解釈の段階ではどうでしょうか。文章を読む、または聞くとき、「文字」という小さな要素を認識し、その組み合わせを「単語」や「文」として理解していきます。このような感覚情報からスタートし、それを積み上げていくことで全体を理解するアプローチの情報処理をボトムアップ処理といいます。つまり、細かい情報の積み重ねから徐々に全体像を形成します。反対に、既存の知識や経験をもとに新しい情報を理解していくアプローチをトップダウン処理といいます。両者はお互いに影響し合いながら情報処理していると言われています。これらは脳の能動的な処理無くしてできません。文字情報から意味を認識し、解釈する作業は脳の機能として能動的な動きが必要です。ここの処理に関しては読むも聞くも同じです。脳の情報処理というのはそもそも意識の有無に関わらず能動的でダイナミック(動的)なものです。常に「世界に意味を見出そうと」働いています。だから錯覚や空耳という現象が起こります。ゆえに聞く読書も読む読書も文字を認識、解釈するというプロセスを経るのでどちらも能動的なものといえるとあんまんは考えます。認識、解釈が能動的に行われていなければ文字は刺激のままで馬の耳に念仏ってやつです。
「ながら」読書は読書週間を形成するのはアンケートの皆さんと同じ意見です。今やヘッドホン、イヤホンを持ち歩かずに外出する人が少数派になりました。そこで聞く読書が普及するのは必然の様な気がします。今は読むことが前提として執筆されている本ですが、聴くことを前提にして執筆される本がこれから出てくるでしょうか?
Q9〜10.
Q9:集中して読書する時間と、リラックスして読書する時間を分けていますか
Q10:オーディオブックに適したジャンルはなんだろうか?
■Hiroto
9 分けていない
10 絵本、外国語教材、タレント本(本人朗読)
あんまん
絵本がオーディオブックに適したジャンルだという意見は面白いですね。絵本は文章が絵があることを前提に書かれているのでどのようにオーディオブックになるのか興味があります。
外国語教材は豊富にありますね。星の王子さまの英語版や単語帳などもありました。リスニングの教材として利用できそうです。
著者とナレーターが同じ作品をオーディブルで探してみると数は多くないですが存在していました。ナレーターで本に付加価値をつけられるというのが面白い点です。
■けろたん
Q9
集中しなければ理解できないものはできるだけ集中して読みたいのですが、集中できないときもあります。
意識してリラックスして読書する、というのは考えたことがありませんでした。
Q10
平家物語 (私は平家物語未読野郎です。)
古文を関西弁で読んでいるやつがあったら聴いてみたいです。
あんまん
古文を原文のまま朗読しているものは見つかりませんでした。現代語訳されているものは数多くありました。現代では話し言葉と書き言葉が統一されていますが、古文が使われていた時代は文語と口語が別々にあったので、文語で書かれたものを読み起こすのは言葉の用法からして難しいのでしょう。
Day 9〜10
■あんまん
遅れましたが9日目の質問です。
Q11.
Q11:ナレーターの有無、もしくはナレーターが異なっても同じ作品といえるだろうか。
■Hiroto
11 著者が作品の構成単位としてナレーターを捉えているならば、同じとは言えない
Day 11
■あんまん
オーディブルでは作品のレビューがナレーションとストーリーの二つ表示されます。このことからオーディブルではナレーターを作品の構成要素の一つとして捉えていることがわかります。 私は聴く読書を体験してみてナレーターによって内容の受け取り方が異なることを体感しました。小説や随筆ではそれを顕著に感じました。小説では台詞の部分をナレーターが演技して読んでいるので作品によってはアニメ化しているみたいだなという印象を受けます。文字情報は全く同じでも、その伝達方法によって受け取られ方は異なります。小説がアニメ化や映画化されることがありますが、それらが同じ作品だと言えないように、小説の「聞く読書化」は同じ作品であるとは言えないと私は思います。では物語のないビジネス書や人文書などではどうでしょうか。これらは物語のような身体的な要素ではなく、本に書かれてある文字内容に重きが置かれています。ここでのナレーターの役目は、「人間」を出さずに書かれている文字内容を聞きやすく読むことでしょう。こういった本にナレーターが小説をナレーションするのと同じようなやり方で前に出るとそれが聞く読者にとってはノイズになってしまいます。だから、作品のジャンルによってナレーションの仕方は全然異なります。人文系の本ではナレーターが淡々と読むので、読むと聞くとで大きな違いは無いと感じました。ですが、読むと聞くとが同じ体験を生み出すのかというとそれには同意しかねます。
この画像は黒柳徹子の「ボッコちゃん」(ナレーターは黒柳徹子が担当)のレビューです。ナレーターによって読むとは異なる読書体験をしたという内容のレビューがあります。
Q12.
Q12:聞く読書と読む読書で読書体験はどのように変わるだろうか?
これをラストのクエスチョンにします。
これまでのクエスチョンに応えていただいても結構ですし、自由にコメントしていただいて結構です。
10/4(金)ゆーろっぷ総括
10/5(土)こがわ総括
10/6(日)あんまん総括(〆)
最後までよろしくどーぞ!
■蜆一朗
返事が遅れて流れを遮ってしまい恐縮です。
Q7:オーディオブックは能動的な読書でしょうか? NO:
「能動的」というのが自分のペースで主導的に進められることを指すとすれば、そうではないということになろうかと思います。どうしてもナレーションのペースで進めざるを得ませんからね。でも聞く読書を採り入れている人は「なるべく手っ取り早く情報を得たい」という気持ちを持っていると思うので、学びとしては積極的といえるかもしれません(でも読書体験としては受動的だと感じます)。
Q8:「ながら」読書は忙しい現代人にとって読書習慣を形成する要因になるか? YES:
僕みたいな老害からすれば、文字を読んでイメージを想起する、という従来の読書に加えて「聞こえてきた情報を頭の中で文字に起こす」という余計な負担が増えるだけな気がしてしまいます。聞く読書をする人は深く考えて情報を構造化したいわけではない(「聞く読書」なのであって「聴く読書」ではない)はずなので、きっかけとしてはいいのかなという気がします。コントローラの操作を覚えられずとっさの判断に対応できない自分がゲーム実況を見て満足するのと似た感じで、読書に重苦しい気持ちを抱く人が減るのはいいことだと思います。
Q9:集中して読書する時間と、リラックスして読書する時間を分けていますか? NO:
あまりこれらを分けて考えていない気がします。僕にとっては読書に集中できるということがリラックスできているということとほぼイコールです(質問の意図を汲めていなかったらごめんなさい)。
Q10:オーディオブックに適したジャンルは何だろうか?
手元にある本でいうと「源氏物語」「独学大全」「日本鉄道廃線史」あたりは誰かに読み聞かせしてもらいたい気がします。単純にめっちゃ分厚いけど構造が複雑な訳じゃなくてただ量が多い感じの本とか、漢字で書くと難しく見えるけど音声で聞けばイメージしやすい内容の本とかは向いているかもしれません。
Q11:ナレーターの有無、もしくはナレーターが異なっても同じ作品といえるだろうか? NO:
声質とか感情表現とかによって左右される部分は確実にあると思います。特に小説とかでは顕著ですかね。「何を言うかより誰が言うか」が当てはまる気がしますね。最初からこの人に声を当ててもらいたいとかいうことまで計算して書かれた本も生まれてくると思いますが、その場合はどうなるでしょうね。
Q12:聞く読書と読む読書で読書体験はどのように変わるだろうか?
聴く読書では構造化とかが難しいような気がしますが、ぶっちゃけ読む読書でもそこまでやっていない人が多い気がします。元から読書習慣がある人にとってはそこまで変わらないと思いますが、ハードルが下がることによって読書に親しみを持てる人が増えればいいなと願っています。
■Yujin
わけていません。全集中か、読まないかです。
ラノベを声優が朗読するとかどうでしょう。賛否、というか賛否否くらいの比率で批判されそうですが。
ナレーターが変わっても同じように内容を伝えるのがナレーターの仕事であってほしいですが、やっぱり声の違いは認知の違いになりそうな気がします(不可抗力で)。
■Hiroto
12 ながらが喚起されるかどうかが圧倒的に異なると思うので、それに伴って体験は変わると思います。聞く読書の方がながらになると思います。
「聞く読書」って言い方自体に違和感があります。読むって言わないよそれ!っていう拒否感です。
■けろたん
お坊さんの説法とか、功なり名を遂げた人の人生訓とか、肉声で聞くとありがたみを感じるジャンルがあると思います。こういうのはテキストで読むとツッコミを入れたくなるので、オーディオブックぐらいがちょうどいいのかも。
ながらで聞き流して注意のふるいにかかったものを覚えておくようなオーディオブックの消費は、バーっと読んで目につくものを拾うという読書を置き換えることができるのかと思いました。
ながらで音声を流しておくことがどれぐらい内容の理解につながるかを考えてみると、スーピードラーニング(石川遼がCMをやっていた英語聞き流し教材)で英語がわかるようになるぐらいには効果があるんじゃないかと思います。
■コバ
Q1: オーディオブックのサービスを利用したことはありますか→あります
Q2: 紙の本を所有する喜びはありますか→昔はありました。今はありません
Q3:サブスクリプションサービスで本を読んだことはありますか→Kindle Unlimitedを使っています
Q4:普段読む本をどのように決めていますか→「判断」という作業を通して決めています
Q5:サブスクリプションサービスと書店とで本の選び方は同じですか→大体同じですがサブスクの方がより気軽に手に取る本を決めています
Q6:利用者にとってサブスクリプションサービスで提供される本は多ければ多いほど良いのでしょうか→多ければ多い方が良いと思います
Q7:オーディオブックは能動的な読書でしょうか→能動的と受動的は私は意識の問題だと思っているのでその人が「能動的に利用する」という意識でオーディオブックを利用していればそれは「能動的」と言えると思います。
Q8:「ながら」読書は忙しい現代人にとって読書習慣を形成する要因になるか→「聞く読書」ではなく「(目で見る)読む読書」の習慣を形成するかどうかと言われればあまり関係ないと思います。私みたいに「読む読書」もするが「聞く読書」もするという人はもともと「読む読書」の習慣がありますし、「読む読書」の習慣が無く「聞く読書」を始めた人はそこから「読む読書」の習慣に繋がっていくことは多くないと思います。そういう人のそもそもの動機は『「読む読書」をしないけど「聞く読書」でその代替をしたい』ということであり、それは「読む読書」の習慣には繋がらないからです。「ながら」読書が「聞く読書」を習慣化する要因になるかという質問の意味であればなると思います。
Q9:集中して読書する時間と、リラックスして読書する時間を分けていますか→分けていません
Q10:オーディオブックに適したジャンルはなんだろうか?→長編物を消費するには向いていると思います
Q11:ナレーターの有無、もしくはナレーターが異なっても同じ作品といえるだろうか。→言えない
Q12:聞く読書と読む読書で読書体験はどのように変わるだろうか?→突き詰めると「聞く読書」と「読む読書」の根本の違いは「聞く読書」は「耳」で情報を受信し、「読む読書」は「目」で情報を受信しているということです。まずこの時点で「聞く読書」と「読む読書」は決定的に違うと言えます。それを受け入れた後の話は「読書」に対する各人の身体性に還元されていくのでそこの違いの議論は個別ごとにかなり幅が出てきます
■匿名希望
Q4:普段読む本をどの様に決めていますか
Amazonで日用品(芯なしトイレットペーパーや大型詰替シャンプーなど)買おうとページを閲覧していたときに,本でおすすめとして現れたもので,その中で自分が興味を持ったものとかを買ったりはしてますね.あるいは,大型書店(名駅の三省堂書店とか)を散策して,そこで立ち読みするとかですかね.ただ,その場合は,私が潔癖症チックなところもあり,よほどその場で買って帰りたくなるような場合で無い限り(あるいは,今日はその場で買って帰るんだ,と決めていない限り,あるいは,台風の接近等で,しばらくAmazonの配送が遅れる,ということがあらかじめ分かった状況でない限り),書店散策は,興味のある本を増やすだけであり,その場でその本をAmazonアプリで調べて欲しいものリストに追加しておき,購入は,いろんな人の立ち読み形跡がはっきりとは見当たらないような状態の本をゲットできる確率が高そうなAmazon,という感じですかね.
Q5:サブスクリプションサービスと書店とで、本の選び方は同じですか
本のサブスクサービスをkindleくらいしか実感があまりないので,その前提でお答え致しますと,選び方というか,サブスクリプションサービスでは,あらかじめ自分が興味を持っている本の中でしか,そのようなサービスを活用していない,という感じです.サブスクの場合,自分の興味の中からかき集めた本の範疇の中から出ない,という感じで,書店は,自分のジャンルの中で,興味がある本を広げ,増やしてくれる,という感じですかね.(質問の回答になっていませんでしたら申し訳ございません.)
Q6:利用者にとってサブスクリプションサービスで提供される本は多ければ多いほど良いのでしょうか
私は多いほうが良いと考えています.
大型書店にわざわざ出向かなくても,多種多様な本に出会える確率が高いほうがいいなぁ,と思うのもありますが,
サブスクサービスで,新書をいち早く反映してほしい,という気持ちのほうが強いです.
現状,kindleは知りませんが,audibleに対して,そのような個人的な心象を持っているのですが,
新しく発売される本に対して,それを,発売されようとするその時に興味を持つくらいの意欲がある以上,新書をちゃんとすぐに反映してよ,という思いを強く持つときは場合によってはあります.
ただ,本当に売れるかどうかわからない本に対して,はじめからお金をかけてナレーターをつけるのにはリスクを感じる,という売る(出版する)側の気持ちも想像できなくもないので,そこはある程度,しゃーないな,みたいに思っている部分はあります.
Q7:オーディオブックは能動的な読書でしょうか
結論 : どちらともいえない気がしている.
理由 : オーディオブックで聞いて読むことで,プロのナレータの朗読により,所見の文章でも,朗読の際のリズムなどがなんとなくではあるのですが,内容の理解を容易にする助けになっていると感じており,その場合は受動的なのかもしれないですが,あまりにも他に意識が向いていると,内容が頭に入ってこない場合があり,というのも,オーディオブックを用いるときって,たいていはマルチタスクの状態にあると思うのですが,私の場合だと,たとえば,歩いているときとか,あまりにも通学などに意識を向けていると,耳にすら入ってこないですね.
そういう意味で,オーディオブックは能動的でもあると考えています.
Q8:「ながら」読書は忙しい現代人にとって読書週間を形成する要因になるか
なると思います.
やり方(本はちゃんと目で読まないといけない)にこだわって,条件が揃うまでできない,みたいな,結局踏み出さずにやらないよりかは,耳だけでも読書をして少しでも頭に入れておくことで,何かしらの助けになるのではないか,と思っています.
Q9:集中して読書する時間と、リラックスして読書する時間を分けていますか
分けているといえば分けていると言えますし,そうとも言えないかもです.
そもそも,読書の際に集中できているかどうかもあやしいですね.
リラックスして読書できるのは,頭を使わなくても理解できる内容だけなんじゃないか,なんて思ったりしています.
Q10:オーディオブックに適したジャンルはなんだろうか?
なんでもいいのではと思います.理解の助長をしてくれるようなナレーションだったら,なんでもいいんじゃないのか,と思ったりもします.むしろ,なんでもオーディオブックにしてほしい,なんて思ったりもしてます.
内容が難解で,目で追って読んでいるだけでは理解しづらい本なんていくらでもあるように感じますし,そのような本に出くわしたときの助けとして,お金の許す限り,少しでも活用していきたい,という思いがあるからです.
Q11:ナレーターの有無、もしくはナレーターが異なっても同じ作品といえるだろうか。
大半は,あんまんさんと同じ意見であり,私がなんとなく思っていたことを,うまく言語化してしてくれている!と感じました.一方で,読むと聞くとで大きな違いは無いとは,私はあまりそう思わないです.読むと聞くとが同じ体験を生み出すのかというとそれには同意しかねます,という意見と同義になるのかもしれないのですが,理解の効率や理解度に影響があると考えています.うーん,それは体験という部類に入るのかもしれないですね.
Q12:聞く読書と読む読書で読書体験はどのように変わるだろうか?
上記の通りなのではないかと考えています.
あとは,頭の残りやすさも違うと思いますね.
読む読書だと,目に入った文体を頭の中で一度音声に変えているのが,
聞く読書だと,音声としてダイレクトに情報が入り,その分,脳の処理部の負荷が減ることで,より情報に集中できて,頭に残るのではないか,と感じています.
<追伸>
人間,話し言葉と書き言葉では,論理構造が異なる場合もあると考えています.
インタビューアーがインタビューする際は,話す人の録音を取ると考えられます.その内容を元に記事にするとなった場合,録音テープを聞きながら,論理構造を修正していく必要があると考えられます.そこで,普段からオーディオブック等でシャドーウィングなどをすることで,本の論理構造・文章構造が頭に染み込み,それが自然と出てくるようになるのでは,と考えています.
人間は,日頃の話し言葉により,思考が形作られているとすれば,
要は,より,頭を明晰な状態に保つことができる可能性を秘めているのではないのか,と考えています.
Day 12〜14
■ゆーろっぷ
【ゆーろっぷ総括】
2週間近くありがとうございました。皆さんの読書に対する考え方が垣間見れて楽しかったです。
オーディオブックは「聞く読書」とは呼ばれますが、自分の利用経験も踏まえると、普通の(視覚的に文字を)読む読書とは明確に体験として異なります。情報としては同じでしょうが、その入力の仕方が決定的に違うのです。もちろん、これはただ「違う」というだけで、そこに何らかの価値判断を持ち込むには、各人の身体性に訴えかける必要があるかと思います。その意味で、好む好まないに関わらず、オーディオブックを体験してみることは意義があるでしょう。できれば様々なジャンルの本を試してみることで、どういった本が聞く読書に合っているのか探ったり、ひいては〈自分にとって〉読書とは何かということについて考えるヒントを与えてくれるかもしれません。このWSがそのきっかけになれば幸いです。
■こがわ
【こがわ総括】
自分は「ながら〇〇」が得意でないと感じている。例えば音楽を流して勉強しようとすると、音楽に集中してしまい勉強がまったく進まなかったし、打ち合わせに出席しながらほかのことをやるのもどっちつかずになってしまう。同時に二つ以上のことに注意を払うのが難しい。例外的に「食べながらなにかする」はできるが、それはそのときに食べるものが丼物など、食器の扱いにほとんど注意を払う必要がないものだからだと思っている。
読書が能動的/受動的行為かなどが話題になった。読む読書も聞く読書も、それが能動的か受動的かは本人の気持ちにより決まるものと考える。読むという行為は自分で文章に向き合うことから能動的な行為だと認識されるが、誰かから読めと言われていやいや読む読書は、私は能動的であるとは思わない(みなが行っている書評活動は能動的行為だろうか?)。聞くという行為は外から耳に入ってくるから受動的な行為だと認識されるが、ライブに出向くことは能動的に聞く行為だと思うし、他のことと並行せずにオーディオブックに集中することも十分に能動的であると思う。
渡邉雅子『「論理的思考」の社会的構築』は、国によって要求される論理の形式が異なり、したがって「論理的」とはどのようなものかが異なることを説明した本である。その中でフランスのディセルタシオン(小論文)を題材に「論理」について説明される。その例題が「国家への服従は常に義務か」(解答時間:4時間)である。規則に基づいて服従することは確かに義務であるが、もし自らすすんで服従するのであれば、それは実質的に義務ではない、というのが解答例(抜粋)であった。聞く読書を耳に勝手に入ってくる音声を聞くだけととらえれば受動的であるし、自分から音声を聞き取るのであれば能動的である。
図書委員会のワークショップだから読書がテーマになっているが、様々な情報への向き合い方についても能動的な行為なのか受動的な行為なのかを考えることができる。受動的な行為がすべて悪いとは思わないが、それでもできるかぎり能動的な行為をしたいと考えている。図書委員としていえば、書評活動やワークショップを能動的にするか受動的にするかは個人にかかっているということを強調しておきたい。
■あんまん
【あんまん総括】
最終日になりました。このWSでは「聞く読書」と「読む読書」でどのような読書体験の違いがあるのかという問いをもとに本や読書のあり方について考えました。そもそもですがHirotoさんのいうように「聞く読書」は読書とは言えないという意見がありました。これは最もなことで「読書」という字は「読む書」と書き、自分で「読む」ことが前提になっています。「聞書」なんて言葉は存在しません。「聞く読書」の登場によって今「読書」の定義が揺らいでいます。「聞く読書」を「読書」として認め、「読書」の定義を「聞く読書」を含んだ概念として拡張しても良いでしょうか。
「聞く読書」と「読む読書」の違いは何かというと形式的には言語が音で存在するか、文字で存在するかです。言語には視覚言語と聴覚言語(あるいは点字などの触覚言語)があります。紙に印刷された本はもちろん視覚言語でしょう。だが果たしてそれを聴覚系を介さずに視覚系だけで認知しているかは疑問です。
「視覚の特性は「物事をひと目で見てとる」ことにある」(唯脳論「聴覚と視覚を「無理に」つなぐ)
本を開いて眺めて見て内容をひと目で見てとることができるだろうか。漫画のセリフくらいの分量ならばパッと見てとることはできるだろうが、1ページに印刷された文字列を視覚的にひと目で理解することは普通の人間にはできないでしょう。本を読むためには、文字列を読み進めるという聴覚運動系の要素があります。つまり「本を読む」という行為は視覚言語といえども、本ほどの文章量では視覚的な理解が全てではなく、聴覚運動系の理解の両方を含みます。何が言いたいかというと、物理的には「聞く読書」と「読む読書」では文字が音で存在するか光で存在するかという決定的な違いがありますが、言語の理解の仕方には大した違いはないだろうということです。では「聞く読書」と「読む読書」に違いは何かというと主体性にあると考えます。
「聞く読書」の誕生前は本を「読む」というのは自分の目を動かして文字を追うという主体的なものでしかありませんでした。部分的には本の読み聞かせなどがありますが、メジャーな選択肢にはなりませんでした。それが技術の進歩でただ聞くという選択肢が容易になりました。これは蜆さんがQ8のアンサーでゲーム実況の例を用いたように、ゲームをプレイするしかなかった時代からゲームを見る選択肢が容易になったという構造に類似しています。この例を借りると、ゲーム実況を視聴してそのゲームをプレイしたということはできないように、「聞く読書」をしてその本を読んだということは言えないでしょう。ゲームが同じでも実況者が異なればそれは違った体験になるはずです。「聞く読書」をして言えるのはその本を「聞いた」ということのみです。この主体性の有無を読書の概念に組み込むかどうかが、「聞く読書」を「読書」として認めるかのカギになるでしょう。
「聞く読書」というのは本のデジタル化の流れの一つに過ぎないでしょう。そしてそれはメディアに情報を載せるということです。当然のことですが、「聞く読書」というのはナレーターによって本の情報が加工されています。よってより一層リテラシーが問題になっていくと思います。
短い間でしたが2週間お付き合いいただきありがとうございます。これにて図書委員会のWSを終了します。