PTSDと生きる
私は複雑性PTSDを抱えている事は既に書いていますが、現状は綾瀬市と江戸川区の福祉の人間のおかげで悪化し、引っ越してきた隣人の騒音と嫌がらせで悪化し、嫌がらせで悪化し、不動産屋Mと大家で悪化し、最低最悪の状態です。しかも隣にまた男性が引っ越してきたようです。
さすがMMとあの大家。
金が全ての人間にはなりたくない。
心を病んでもこういう人間にはなりたくない。
最近は部屋にいると死にたくて仕方ないのでずっと外に出ていたり、部屋にいなくてはならない程不眠や体が重くだるい時はひたすら音楽を聴いて手紙を書いて(返事が来るまで生きていようと思う)いるか、もう動く事すらできずまたずっと寝たきりになったりと、あまり良いとは言えません。
ただ、診察してくださる先生は女性ですし、「私が死なせません」と仰って下さりカウンセリングも受けられるようになりました。
今はイノラスを飲むとどうしてもお腹の調子が悪くなってしまうので(以前卵と牛乳にアレルギーがあったので成分が合わないのかもしれません)次回先生に相談してみようと思います。
薬剤師さんのお話では、イノラスの他にも食事が難しい人向けのものが他にあるとのことなので要相談、という状況です。
そしてまた、フラッシュバックに苛まれる事になりました。
場所は福祉事務所。前担当の名前をきいたとたん、ぶわァァーっと子供の頃の記憶からDVの記憶、前担当者が出てきました。
これが2度。もうあの福祉事務所に入るだけで過呼吸になりそうです。
部屋にいても隣が男性なのでまた大家や不動産会社の冷たい非人間的な対応が浮かびかなり悪い状況です。
なんで私が?
もうこんな辛さから逃げたい
今の私の正直な気持ちです。
なんとか生きているのは、私を仕事とはいえ「死なせない」と仰った主治医とカウンセラーの先生、シェルターでお世話になった方と、離れて暮らしてはいるけれど愛する娘がいるから。
今日1日生き延びよう
それが続いていますが、ひとつわかった事があります。
私は友人や知人となら食事が出来る、という事です。
ひとりだとあたたかい食べ物も罪悪感(誰のおかげで飯が食えてると思っているんだ)がうまれてしまい食べられないのですが、誰かとなら食べられるという事です。
もちろん毎日誰かと食事を出来る境遇ではないので、1人の時は納豆や食パン(何もつけない)、キャベツの千切り(お醤油のみ)、ポテトチップス(軟禁の時唯一許されていた)、買ったおにぎりと少しずつ食べられるものが増えてはいますが、これらをリピートして食べている状態です。
お弁当には罪悪感があって手が伸びません。
むしろ怖いとすら感じます。
そして温かい食べ物も怖くて食べられません。
先生には「温かい食べ物を食べていいです。私が保証します」との言葉を頂いたので、寒くなってきたのでカップスープに挑戦してみようと思います。
PTSDのフラッシュバックにもいくつか種類があるそうで、私は詳しくは知ろうとしていませんが、それらが邪魔をしているのかもしれません。
働きたいです。心の底から働きたいです。
精神病院にもグループホームにも絶対入りたくありません。
やっと、やっと自由になれたんです。
福祉事務所に行きたくない。
でも主治医から働く許可はもちろん出ません。
当然男性が怖ければオフィスも水商売も無理。
無理なのはわかっているけれどもう福祉事務所に行きたくない。
怖い。
また大嫌いな場所が増えてしまいました。
しかもこの前担当者もホウレンソウの出来ない人物だったと判明。
私は新人研修で電話対応とホウレンソウを叩き込まれましたが1週間で出来た事なので、(私は世界中で知られている会社の総合職として就職しました)今の社会人って出来ない人が平気で務められる甘い時代なのか、公務員や不動産会社が職種的にホウレンソウが適当なのかわかりませんが私のまわりにホウレンソウの出来ない人間ばかりで世の中甘く生きようと思えば生きられるんだなあと変な意味で関心してしまいました。なりたいという意味ではありません。ホウレンソウなんて教えれば子供でも出来る事ですからね。
今私は楽になりたい、それが今の気持ちです。
こんな思いはもうしたくない。
福祉事務所がフラッシュバックを起こす場所になったのは痛手です。
せめて他の避けられる場所ならよかったのですが、起きてしまった以上どうする事も出来ません。
どうする事も出来ない
これがPTSDでも他の病気でもそうだと思いますが苦しい事です。
無力な自分が情けなくなります。
こんな思いを抱えながら生きる意味は?
答えは出ないままです。