超難解『現代詩手帖』の投稿欄、感想。(2022年10月号)
ふふふ、ついに現代詩手帖が私を意識しだしたようです。熱心な読者なら気づいてもらえたかと思います。
今月の選ばれた詩は長文ばかりなんです。気がつきましたでしょうか。これはおかしい。明らかに偏っています。
そうなのです。これは詩の感想を書く時は手書きをしている私への明らかな挑戦状なのです。「この文量でもお前は書けるのか?書けるものなら書いてみろ」そういうことです。
ついに私も現代詩手帖が牙を剥いてくる立場になったということです。しかし私は驕ってはいません。
なぜなら、これは私の活動が実を結んだ結果だということよりは、この記事を読んでくださる皆様方あってのことだからだと分かっているからであります!
拍手喝采!
(゚∀゚ノノ"☆(゚∀゚ノノ"☆(゚∀゚ノノ"☆パチパチパチ!!!
はい。
今回は2022年10月号より『嵐の一日』の感想をゆるーく書いてみたいと思います。
長いので手書きは諦めました。どのみち書いてもnoteには載せられませんしね。
今回の詩で気がついた点は以下の通りです。
①自分らしく書くこと
今回の詩は、なんというか普通でした。作品評にもあるとおり無理がない。いいですよね、そういうの。自分が書きたいように書くのが一番だな、と思いました。
これは詩の投稿についても考えを改められました。結局、どういう詩が選ばれるかなんてわからないんですよね。傾向とか選者の好みとか。そんなこと、どうだっていいんです。選ばれる時は選ばれる。そういうことです。
そもそも普通っぽく書くと、全然普通っぽくなりません。今回の詩も私的には時々「えっ、なんで?」と思うところがありました。思考パターンが違う、リズムが違う、そういう感じです。そういう私と似てない文章こそに魅力が生まれるのだと思います。
人は誰とも似てないわけですから、それが当たり前だと思います。
逆に、もし似てしまうのなら、それは何故でしょう?それは、真似してるからではないでしょうか?よくある詩っぽい感覚や感情を真似しようとするから、よく書けてるように見せようとするから、これが正解ですよねっていう詩を書こうとするから、だから、みんなと似てきてしまう。その結果、つまらないものが出来上がる。
好きなものを書こう、そう思いました。
現代詩手帖の投稿欄、面白いですね。