
【インタビュー】“織”の可能性を生み出す若き着物・帯のプロデューサー(前編)
5年前の2017年、35歳の時、自身の名前で着物ブランドを立ち上げた帯・着物のプロデューサーがいます。
勝山さと子さん(40歳)。
「伝統を継承する職人」と「おしゃれさも求めるお客様」の間で日々奔走するさと子さんの原動力と、彼女の着物・帯づくりについて、着物初心者のJTACメンバー・Takaeが聞きました。
廃れていくのを見ることはできない
さと子さんは、1891年創業の京都・西陣の老舗、勝山織物四代目の長女として生まれました。
(さと子さん)
「私の祖母が、京都市内より車で1時間ほどのところにある”京北町”という土地に、手機の工房を作りました。
ここは四方を山で囲まれた湿度の高い土地で、機にかけた絹糸が切れにくく、静電気も起きにくいので、機織りに向いています。
当時は沢山の織手さんがいらっしゃったと聞いております。」
「そして私も物心ついた時には祖母が糸繰りをしたり、職人さん達に遊んでもらいながら育ってきました。
しばらく私も家業を手伝っておりましたが、結婚出産を機に一旦家業から離れました。」
家業から離れたのは27歳のとき。
当時は先が見えない伝統工芸という仕事に不安もあり、一度離れたあとに家業に戻るか戻らないかは、正直迷っていたのだそう。
「でも、一旦離れてみてわかったのは、“かといって、自分が何もせずに廃れてのを見ることはできない”ということ。
問屋さんから『若い人向けのブランドがあったらいいな』という声をいただいたときに覚悟ができ、2017年に自身のブランドを立上げる事となりました。」

着物、帯のプロデューサーという仕事
着物に関する基礎知識はあったものの、糸の質感や色出しから考えるオリジナルブランドの帯や着物制作という仕事は、当時のさと子さんにとってわからないことだらけ。
最初は周りの職人さんが使う言葉が外国語に聞こえたほどだそうです。
でも、わからない時は、素直に職人さんに聞きながら覚えていったのだそう。
「西陣織はかなり細かな分業制から成り立っています。
職人さんにおいても糸屋さん、整経屋(せいけいや)さん、紋屋さん、染め屋さん、金糸屋さん、箔屋(はくや)さん、織手さんなど、ここから更にそれぞれの分野で細かく分かれています。」
「私の仕事は、着物や帯のコンセプト設計から、生地選定、糸やデザインの考案まで、作品全体をプロデュースしていくものです。
その過程の中で、それぞれの職人さんにお願いし、ひとつの作品が出来上がるのまでを束ねていくというものになります。」
帯のプロデューサーという仕事は、伝統技術の職人さんと作り上げるアートディレクションのようなもの。
堅苦しくなく、楽しんで着ていただきたいとの思いから、フォーマルというよりは「しゃれもの=普段着」として着られるデザインを中心としているのだそう。
「例えば、今日はちょっといいところにお食事に行くのでお着物にしよ、とか演劇を見に行くのでお着物で、という、日常の中にある少し非日常のアイテムとしてとか。
もちろん毎日着て下さったら嬉しいのですが。」
「そんな中でどのような空間でお召し頂くことが多いかな?ちょっといいごはん屋さんであれば照明も落としてあるかな?なら、少し光沢がある方が綺麗だろうな、と着て頂くシーンを想像しながらつくっています。」
帯のデザインを図案化する際も、日本古来のモチーフだけでなく、ヨーロッパのモチーフから着想を得ることも多いそうです。
「この作品(下写真)は、制作を始めた初期の柄で、とても思い入れのある柄です。
地風にもこだわり様々な種類の糸を使用しております。
配色毎に様々な表情となり、カジュアルな着こなしから、金糸銀糸使いのものには準フォーマルとしてもお召しいただけ、私も愛用しています。」

“織”で表現する面白さ
さと子さんの作品は“織”で仕上げていきます。
「フォーマルな二重太鼓の袋帯よりは、結びやすい一重太鼓の名古屋帯がメインです。
染め物はあとから絵を描けますが、織物は糸と機織りの段階で勝負しなければなりません。
そこに“織で表現する面白さ”があると思います。
織でつくれるものを最大限模索しています。」
職人を守りたい
こうして呉服業界に本格的に加わることになってから、およそ5年が経ちました。その中で、呉服の流通過程には独特なルールも多く、“つくること”だけでなく、“届けること”にも興味を持ちました。
呉服の流通としては、創り手であるメーカーから問屋に、そのあとお客が購入する小売店に卸されます。
ただその過程には、”手間暇のかかる割に収入が少ない”、”流通経路によっては高額になる”などといった問題があると耳にします。
そのような課題についてさと子さんはー
「呉服離れを少しでも食い止めたいという思いから、呉服の販売を明瞭にしたいという想いがあります。
“職人をどう守るか”が私の課題です。」
また、さと子さんは創り手でありながら、店頭にも立ち、接客もしています。
「呉服業界のルールに染まるのではなく、自らも着る立場としての目線で、お客様と会話し、その中から次のものづくりにも生かしています。」

1つのものを大事に育てていく
「着物や帯は、多くの方々が各工程で携わり、一反一反つくられています。
お客様の手に渡った後も、着物には、孫の世代まで引継げるという良さも加わり、しっかりとストーリーが詰まっています。」
一反一反大事に育てていくという着物の良さと、その着物が持つストーリーを知ってもらえれば、きっと大事に着ようと思ってくれるはず、と作品づくりへの想いを語っていただきました。
後編は、勝山織物五代目となった兄・勝山健史さんとのエピソードや、織物の探求を続けるうちに辿り着いた養蚕の生産、子育て中の素顔などをお届けします。
(筆:Takae)
▼JTACホームページはこちら
▼JTAC Instagramはこちら
https://www.instagram.com/your_jtac/