「あなたの幸せが わたしの幸せ」
「幸せって何?」
「幸せ」を改めて考えるなんてことは
まずないのだけれど
ちょっと綴りたくなってしまったので
ちゃんとした答えなど
出ないだろうから
制限時間1分で考えて
「気持ちが満たされて生きていること」。
すぐ傍にはだれもいないし
持病 慢性腎臓病や自律神経障害などの影響で
一般的な社会生活を送ることもできない。
そんな中でも気持ちが満たされていれば
幸福感はあると思う。
ただ
どうあれば気持ちが満たされるか?
幼い頃
「〇〇をしたい」
「〇〇な人になりたい」
夢や目標を持ったことがなかった。
中学校で成績は「上」の方だったから
地域でランクが高い高校を選ぶ
同じ感じで高校での成績が
そこそこだったから
地元でランクが高い大学を選ぶ
ただ入試が近くなった頃
ちょっと難しい?となり
学校か親かも覚えていないのだけど
勧められた大学を受験して
何を学ぶのかという目的もなしに通う
このあたり親には話していなくて
学費を出してもらっていたのに
親からするとため息が出そうな話だけど
実際そうだった。
人と話をすることに
ずっと大変な抵抗感があって
物心ついたぐらいから
父親に叱責された記憶がいくつかあり
何か言えば否定される
恐怖のあまり
声を発することも怖くなった
そんなことが
尾を引いたのかもしれないと思う。
友達は
小学生>中学生>高校生>大学生
と減っていき
学生時代の友人とは一人も
社会人になって以降
友人関係が続かなかった。
明確ではないけれど
実はいじめだったのではないかという感じで
仲間外れにされる
嫌な事を言われる
などは多々あった。
何が楽しかったんだろう?
家にあった
藤子不二雄さんの漫画を読む
音楽を聴く
ぐらい?
そんなまま
成人した。
あのひと との日々
成人した年に
あのひと と出逢った。
好きになった。
「会話」に対する苦手意識は
依然として払拭されていず
一言発するまで3分5分
かかることも珍しくない
そんなでも
苛立つことなくいてくれる
嫌な事を言われない
否定されない
それだけでも
そんなことはそれまでなかったから
このひととはずっといたい
と思った。
気持ちが受け入れられた
そのときの高揚感は覚えていて
それまでの人生でいちばんの「陽」
他者を軸に考える「幸せ」は
よろしくないと聞いたことがあるのだけど
一緒にいられる時間を
たしかに「幸せ」と感じていた。
それまで感じたことがなくて
あのひと といて初めて感じた「幸せ」
それも
あのひと が
嬉しそう楽しそうであるほど。
だから
あのひと に
嬉しさ楽しさをたくさん感じていてほしい。
あなたの心が満たされている
「あなたの幸せが わたしの幸せ」
あのひと の幸せがあって
わたしの幸せは成立する
そんな感じになった。
職場に近いところから通勤したい
という理由で実家を出たけれど
100%嘘で
あのひと と暮らしたいから
が本当の理由。
それほど時間も経たないうちに
それがバレたことで
元より良好でなかった親との関係は
より悪化し
結婚することを認められなかった
遠因にもなったと思っている。
あのひと がいなくなった日々
あのひと の幸せがあって
わたしの幸せは成立する
いつしか
おじいちゃんおばあちゃんになっても
一緒に何気なく
満たされた時間を過ごしている
ことが夢になっていた。
でも
病気が見つかってたった半年で
あのひと は空へと旅立ち
その未来もなくなった。
あのひと とのおしゃべりが
あのひと と食べるごはんが
あのひと と観るテレビが
あのひと と聴く音楽が
あのひと との買い物が
あのひと との眠りが
幸せだった。
ひとりでのおしゃべり
ひとりで食べるごはん
ひとりで観るテレビ
ひとりで聴く音楽
ひとりでの買い物
ひとりでの眠り
全てが寂しく悲しく辛かった。
もう
幸せを感じる瞬間など
ないのだと思った。
終わった人生に始まった時間
体も心も患い
それでも
あのひと と共に家族へ迎えた愛娘(愛犬)が
自分をなんとか保つ源になっていた。
けれども
あのひと が旅立って5ヶ月もしないうちに
娘もまた空へ。
あのひと のために過ごした時間も
娘のために過ごした時間もなくなり
何もなくなった。
人生が終わった
生命を終わらせよう
方法を調べながら
少しだけ
しがみつきたくなり
インターネット上へSOSを発してみる。
それに気付いてくれた人物
「ゆめの」は
画家だった。
そして目にした作品が
何も無くなっていた
わたしの世界へ
光をもたらしてくれたのである。
光は
終わった人生にさらなる時間をくれた。
その時間で
やりたいこと。
世界中に
画家 ゆめの を
その作品を知ってほしい。
「あなたの幸せが わたしの幸せ」
画家 ゆめの に出逢った直後から
「知ってもらうための活動」を始めた。
既に5年目。
個人の発信に
ただ作品の画像を添えるだけ
から始まり
事業者として取り組むようになり
アーティストマネジメント契約を締結し
名実ともにビジネスパートナーとなり
作品等の販売も担うようになった。
極論すれば今しているすべての事は
「画家 ゆめの のため」から派生している。
ゆめの の願いは
「死ぬまで画家であること」。
それは
自分の力だけでは叶えられないだろう
と語っていた。
死ぬまで描き続けられること
が幸せならば
わたしにとっては
画家 ゆめの が死ぬまで描き続けられるよう
あらゆるサポートをし続けること
こそ幸せ。
持病はあっても
画家 ゆめの がいる限り
わたしも死ぬわけにいかないのである。
100あるうちの1 2しかできていない
というほどにやりたいことは膨大で
すべきこともしたいことも
何もなかったあの時と比べれば
どう考えても満たされているだろう。
あなたに幸せでいてもらおうとすることで
わたしも幸せなのである。
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「幸せ」を考えた
ちょっとしたきっかけ。
ありがとうございました。
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