【ガンバレ!れいわ新選組!:特別編】 山本太郎代表が通っていた『箕面自由学園』って、どんな学校なのか?!
はっきり言って、私が兵庫県の中学校に通っていたとき(40年以上前ですなあ)、中3になって「さあ、受験だ!」というときに、「箕面自由学園」を選ぶ生徒は、社会や学校生活からちょっとドロップアウトした人が多かったです。
箕面自由学園中学校・高等学校(みのおじゆうがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府豊中市宮山町四丁目に所在する私立中学校・高等学校。
1926年(大正15年)4月 - 箕面学園尋常小学校設立。
1945年(昭和20年)4月 - 池田市の宣真高等女学校に校舎仮移転。
1945年(昭和20年)10月 - 中山寺成就院内に校舎を仮移転。
1947年(昭和22年)4月 - 箕面自由学園中学校発足(中等科と呼称。中山寺内仮校舎で設立)。
1947年(昭和22年)4月 - 箕面自由学園小学校と改称(初等科と呼称)。
1947年(昭和22年)6月 - 中等科が旧制浪速高等学校(現在の大阪大学)に仮移転。
1947年(昭和22年)10月 - 現在地(豊中市宮山町)に校舎竣工、初等科が移転。
1948年(昭和23年)5月 - 中等科が現在地に移転。
1951年(昭和26年)4月 - 箕面自由学園高等学校設立(高等科と呼称)。
1965年(昭和40年)3月 - 箕面自由学園幼稚園設立。
歴史ある私立学校ではあるのです。校風は、その名の通り「自由闊達」なようで。
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私、大学時代に、甲子園球場の門での切符切りのアルバイトを3年間続けていましてまして。
学生のバイトがふたり一組になってひとつの門を担当。そのときに、よく一緒になったのが「箕面自由学園高等部」の男子生徒でした。
背が高くなかなかのハンサム。球場のロゴマークが入ったキャップをかぶるのですが、これまた帽子の縁の折り方や、キャップの崩したかぶり方が上手い。実にオシャレなんですね。
で、野球の試合がはじまって、お客が来なくなったら、門番はヒマなわけで。学園生活なんかを尋ねるわけです。「箕面って、男女交際はどうなん?」とか。
「週末はダンパ(ダンスパーティー)とか、よくやりますよ。この間も、よその学校の女の子がやってきて。勧めたら飲みすぎちゃって、酔っ払って立てへんようになりましてん」
「ほほぉ、よろしなぁ」
「で、他の男子が、やっちゃおうぜ、とか相談してるから、酔ってる女の子の友達に、はやく帰りぃ、あんたら犯られるでぇ、って追い返しましたわ」
「そら、他の男連中、怒ったやろ」
「なんのこと、ボク、そんなん知らんでぇ、とトボけてやりましたわ」
「そりゃ、おもろい。おまえ、なかなかエエやつやなぁ」
で、一度でええから、女子高生の来るパーティーにワシも呼んでおくれやす、と頼んだら「考えときますわ」。結局、一回も呼ばれなかった。ワシのスケベ心がお見通しやったということですやろなぁ。
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今では、箕面自由学園といえば「チアリーディング」が国際的にも有名になりました。
「特別進学コース」なんかも出来て、高難易度の大学への進学者も増えているようです。
ちなみに、わたしが甲子園球場でアルバイトしていたのは、阪神タイガースが久しぶりに「日本一」になった年で。「掛布、バース、岡田」が三連続バックスクリーンへホームランを打って話題になった年です。タイガースファンはみんな「発狂」しており、門番のワタシたちは何度も殺されかけました。