本当に助けてくれる人の存在
今の時代の生きづらさの原因は、不景気とかインターネットとか不確実性とかいろいろあると思うんだけど、その中の一つに伝統的な家族関係や家族的なコミュニティが崩壊してきて、「いざとなったときに本当に助けてくれる人の数」が減っていることがあるような気がしている。
ダメになったとき、しんどい時、それをさらけ出しても受け入れて助けてくれる人がいるか、それは何人か。本当に八方ふさがりやそれに近い状態になったときに、手を差し伸べてくれる人、くれそうな人は何人いますか。
「生きているだけでえらいんだよ」という言葉が飛び交うような現代。だけど、ほんとに「生きているだけ」で、やりたいことだけして、なんにもがんばらなかったら、「生きていること」は一人では無理だ。
「生きているだけ」で受け入れてくれる人、つらかったら支えてくれる人がいる、という安心感があって初めて、わたしたちは「生きているだけでいいんだな」と心から安心できる。
そして、本当に困ったとき、生きているだけになったとしても助けてくれる人、それはできれば一人ではなく、複数、できるだけ多い方がいい。ダメになった一人を、一人で支えるのは、ちょっと大変だから。例えば家族の中で一人がダメになったとしても、残りの五人くらいで支えることができれば、個人の負担はけっこう軽い。
でも今は、孤独な人が多い。一人暮らし、二人暮らしの人が増えている。家族なし、友人なし、珍しいことじゃないのが、今。
そしてみんな、一人一人が自分のために精いっぱい。頑張るのがデフォルト。
情報があふれかえっているせいで「こうあるべき」「こうしたほうがいい」「こうしなきゃいけない」っていう基準が増えて、上がってる。がんばらなきゃいけない。
たとえ家族でさえも、こうしなきゃ、こうでなかったら受け入れないよ、みたいな状況になっていることは多い。だってみんな自分のことで精いっぱいだし、余裕ないし、不安だから。
人間は基本的に弱くてダメなものです。楽な方に流れたい。ダメなままで誰かにどうにかしてもらいたい、と思うのはわりと健全で、あるがままの姿。
でも人はまた、他人から認めてもらいたい生き物。上司や友人だけでなく、家族にも受け入れてもらうために頑張る。頑張りすぎて疲れる。病む。
一人ぼっちで支えてくれる人がいなくても、例えば一生働かなくていいくらいの資産があればそれで誰かを雇ったり必要なものを買ったりして生きていけるかもしれない。でもそれだと多分、人という生き物はさみしい。
だからやはり「生きているだけでいいんだよ、ダメになったら支えるよ、守るよ」って心の底から思ってくれる、家族的な存在がいてくれることが、生きやすくなるために重要な気がする。
昔と比べてオンラインでつながりやすくはなったけど、つながりやすい分、離れやすい。深いところまで支えあえるような人間関係をどこで作れるか。
本当に助けてくれる人が今いるなら、そのひとを大切にしたほうがいい。いないなら、本当に助け合えるような人間関係を作っていくのが、生きやすくなるための一つの方法な気がしている。
みんながもっと楽に、本当の意味で助け合っていけたらいいのにね。
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