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東洋医学・西洋医学・統合医療③

指圧における氣の補瀉


治療百話 増永静人

経絡とはなにか?

指圧による氣の補瀉や経絡ということを考えるうえで、私がなにより繰り返し繰り返し教えを乞うてきたのが増永静人師の高著です。

なかでも「治療百話」は、私が一番知りたいことを命をかけて書いて下さっていることが伝わるので、なにかがある度に読み返してきました。

私はなにかにつけ、いいと思ったことは人にお薦めしたくなるので、この本をお貸しした方も10人は下らないと思います。

今回も大切な方にお貸ししていて、お返し下さるのはいつでもいいと申し上げていたのに、ご自身も購入され、今まで受けたことがないようなとても誠実なご丁寧なご返却のされかたをされて、手許に戻ってきたので、これもご縁と再び読んでみました。

するとここ数年の臨床で、私が独自で発見したことのように思っていたことは、全て増永師の書いて下さっていることだとわかりました。

自分の忘れっぽさや、浅はかさはいうまでもないので、私のおめでたさともいえるのですが、私自身は、増永師のことばが血となり肉となっていると解釈します。

西洋医学では、病名によって抽象化された現象について、科学的に研究し、統計的に処理された確実な治療法を、個々の病人に当てはめることが最良の方法と考えられている。
具体的な病人の事情にこだわって、客観的な判断を誤ることがあってはならないのである。

治療百話 まえがき

保険診療というものは、目に見えるものしか扱いません。その領域を厳格に守る真面目なお医者さんほど、氣なんて怪しいものは排除した、科学的な態度で患者に対峙し、それが西洋医学的臨床というものだと私は理解しています。

東洋医学・西洋医学・統合医療③

同じ病名をつけられ、似たような症状を持つ場合でも、その病人の体質や性格、また生活環境によって、かなり異なった病気の成り立ちやその対応の仕方があって、そのことを考慮しないでは、的確な治療にならないことを、東洋医学の立場から痛感することがしばしばある。
そうした具体例を幾つか拾い上げて、実際に経験した私自身の感動を、何かの機会に書きとめておけば、それが役に立つ人も何人かあるのではないか、と思いついた。

治療百話 まえがき

もう先生、それ私です!!!と天に向かって叫びたくなるような、有難い師の恩なのです。

「治療百話」では、さまざまな病名を切り口に、個々の患者さんの物語が語られます。病名や症例は切り口に過ぎません。

私自身は、自分が関節リウマチの既往があったので、リウマチの患者さんの力になりたいということが、開業の時のひとつの目的としてあり、関節リウマチという病名を切り口にブログを書いたりしていたので、この6年間に数多くのリウマチ患者さんが遠方からもお通い下さいました。

それは、それで大変有難く意義のあることだったのですが、リウマチと診断されました…といらっしゃる方々の多様なことといったら、とてもひとくくりにはできない様相です。

これを西洋医学では、それぞれの身体的反応はみながらでしょうが、免疫抑制剤や、抗炎症薬だけで治そうとするのですから、それは毒にも薬にもなる強い薬でないと効かないだろうなぁという思いでいます。

対する東洋医学ではどうするかというと、庳症といって、寒、湿、風の三邪に侵されているため、その外邪を追い出すような生薬を漢方では処方されます。私は麻黄湯で結構劇的な効果があったのですが、のちに漢方の大家といわれる方にみていただくと、ずいぶん乱暴な処方で、私なら出さないといわれました。

鍼灸ではリウマチは小腸経の熱とか、天枢一穴で治すとか、まぁもう100人鍼灸師がいれば、50通りぐらいにはなるんじゃないかというくらい、様々な方法がありますが、穴性(経穴じたいが持つ働き)に拠っていたり、経絡の虚実によっての選穴されることが多いという印象でもあります。

鍼灸においての経絡治療では、もちろん経絡治療と名乗っていても、それぞれに拠って立つものが違うので、先生によって様々ですが、私自身は肝虚証か脾虚証かの証診断されることが多く、その時の証に応じて、本治の鍼をしてもらい、関節痛が顕著なところにお灸をしてもらうような治療が多かったように思います。

その結果がどうだったかというと、よくなった氣がすることもあったし、あまり変わらないような氣がすることもありました。
私の関節リウマチは、診断を受けてからでも10年以上経っており、その素地となるような生活習慣や体質といったものは、それこそ身体の年齢だけ重ねているのですから、一回だけの治療で著効するわけはないし、継続して同じ先生に治療をうけていないので、効果としてはわからない…というのが、正直な感想です。

わからない…ということは、効いていない…ということではありません。
言葉どおり、わからないのです。
自分が治療する側になって思うことですが、患者さんに「びっくりするくらいよくなりました。先生の治療がすごく効きました!」と言われることはすごく嬉しいことです。

それに反して、「わからないです」と言われると、多少なりともがっかりしてしまう。「よくなった氣がします…」なんて、優しい氣を遣いやすい患者さんに言われて、患者さんに氣を使わせたらアカンなぁ・・・と反省することもあります。

でも、自分が患者になって思うのは、今すぐの効果を求めているわけではないということ。目にみえてよくなったという実感はないけど、なんか元気になった氣がする…とか、私にもなにかわからないものを、先生はわかって下さっているような氣がする…それだけで通い続けたいと思うんだということ。

そういう意味でいうと、経絡治療をされる鍼灸師の先生に、私自身症状を取ってもらったことはあるけれど、それは西洋医学的に、痛みがあるから痛みを取ってもらうことを期待して行き、氣の補瀉によって東洋医学的に楽にしてもらったという感覚は持たなかったのだなぁと思います。

これはもちろん、極私的な話です。鍼灸をディスっているわけではもちろんなく、私という個性においては、同じ経絡治療といえど、鍼灸治療には継続して通う動機づけとならなかったという話です。




初夏にのびゆく樹の氣

経絡指圧の経絡とはなにか?

経絡とはなにか?という問いを立てながら、いっこうにまとめられそうにありませんが、それは言い訳をさせていただけるなら、経絡ということばの定義が大きすぎて、それぞれの思う経絡があり、それはそれぞれ違ったものであって、なにが正解であるというものではないからだと思います。

たとえば、私はリラクゼーションの個人サロンにあちこちよく行くのですが、経絡かっさトリートメントというコースをうけたときに、セラピストの方に、「経絡はなにか?を説明させていただくと、皮膚と筋肉の間に筋膜というものがあるのですが、その上にあるツボを結んだラインです。」と、綺麗な図で見せていただいたことがあります。

思わず「ほぉ~」と声がでて、「皮膚の上や、筋膜の下にはないんですか?」とお伺いすると、「たぶんないと思います…」と答えられた。
きっとそのセラピストさんは、そのコースの講習を受けに行かれた時にそう教えてもらったのでしょう。

バカにしているわけではなく、そんな風に断言できるものだったらどんなにいいだろうと思いますし、もちろん、経絡の一面を指していて、間違いなわけではありません。

経絡というのは、病名のように抽象化されたものではなく、生きた人間像をそのまま理解する方法である

治療百話 まえがき

臨床では二千年の歴史をもつ経絡だが、その実体について、未だ定説のないのが現状である。しかし私はこれを、生命発生以来のその活動のタイプと考え、経絡の動き、その虚実に、生命共通の具体的な働き方を理解したいと考えている。

治療百話 まえがき

増永師の考える経絡は、机上のものではありません。
血のにじむような臨床経験から、生み出された、ありありとした実感を伴うけれど、目に見えないものです。

それをわかったといえるようになるためには、同じだけの臨床を重ねなければならないでしょう。
いや、とんでもない、増永師は天才ですから、天才が観た景色を自分も観れると思うのは間違いかもしれません。

でも、エベレストでも月でも、一度行って還ってきた人がいれば、届く可能性は示していただいたということになります。

しかも、増永師は指圧師としての文章をたくさん残してくださっている。
こんな有難い、幸せなことはありません。

それを光明として、勝手弟子を名乗り、臨床を重ね、ここでどこかのだれかと分かち合うことができれば、こんなに幸せな人生はないと改めてかみしめています。


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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり
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