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前世療法をうけたおはなし②


極私的ヒプノセラピー

ヒプノセラピストとの出会いかた

前回、人生はじめてヒプノセラピーをうけたお話を書きました。


私自身、昔から心理療法にはとても強い興味と関心がありました。

なのでたぶん世の中の平均値よりは、いろいろな療法家さんを存じ上げているし、いろいろなセラピーも受けていると思いますが、なんの療法を受けるか?よりも、誰から受けるか?が大切であるという価値観でいます。

それは、身体療法も同じです。

私は身体療法では指圧が好きで、自分自身のケアには指圧が一番と思っていますが、誰の指圧でもいいわけではありません。

同じ門下の兄弟子さんでも、氣が合わないひとのところには、そもそも行かないですし、技術が素晴らしいと思っていても、継続したケアを受けたいか?というと、NOとなってしまうことがほとんどです。

指圧は自分なりのMAPがあって、この指圧師さんの大切にされていることはこういうことであろう・・ということが、ほとんどわかる氣がしています。
(もちろん、独断ですから世間の評価とは別です)

私自身の好みとしては、大御所といわれるような先生ではなく、ご自身が一生修行中と思っていらっしゃるような謙虚な療法家と出会いたいと思っています。

昔、関節リウマチで闘病生活を送っていた頃、京都の病院を転々としていたのですが、京大病院の待合室にいると、京大の先生だからなんとかしてくれる、世界最高峰の治療が受けられると思っていらっしゃる患者さんとよくお出会いしました。

東京にいるときは、東大病院に通院していたけど、関西に引っ越したので、関西なら京大病院しかないと思って通院しています・・と、診察券を見せて下さった方もいらっしゃいました。

その気持ちもよくわかります。
西洋医学の第一人者は、やっぱり難易度の高い大学の大学病院にいるのではないか?と思うし、いわゆる町医者さんより高度な先進医療を受けられるのではないか?と、私も思います。

西洋医学だと、それが自分に適しているかどうか?は二の次になるんですよね。

京大病院の主治医の先生は、とても素晴らしい先生でしたが、そこで関節リウマチは治りませんでした。

なにが素晴らしかったかというと、その頃始まっていた関節リウマチの新薬の治験を私がお断りした時に、「あなたにはその方がいいかもしれないね」と尊重して下さったことです。

今、その薬は標準治療になっていて、もしかしたら、それを受けていたら、私はもっと早くに治っていたのかもしれません。

でも、その後何年か越しに、自然寛解していった自分の病状を思うと、やはり、あの時の主治医が、この新薬治験を受けるべきだ!と熱く勧奨されなかったことが、とても素晴らしい恩恵だったと思うのです。

西洋医学は、結果がはっきり出る世界なので、本当はそんな悠長なことをいっている患者など、先生にとっては時間の無駄だったはずです。

でもその先生は、治験をお断りしたあとも、永く経過観察を続けて下さいました。

では、東洋医学は?身体療法は?心理療法は?
どうやって療法家、臨床家を選ぶべきなのでしょう?

完治という結果を目指すなら、やはり実績のある先生選ぶのが当然でしょう。

自分の療法に自信を持ち、なにがなんでもこの手で患者さんを救うのだ!

あるべき姿が完璧にイメージできて、そこに自分の全身全霊を賭けて患者さんのからだを変えるのだ!というゴッドハンドタイプ。

気迫や覚悟がありますから、治療効果は抜群なはずです。

それはそれで素晴らしい。

でも自分自身がそういうタイプの先生の療法なり施術を受けたいかというと、明確にNOです。

業界NO.1とか、○○大会で優勝とか、学歴とか、第一人者とかには興味がありません。

心理療法も、身体療法も目にみえるものではないですから、わたしは療法家がされている自己開示で判断します。

有難いことに、SNSという便利なものがあるおかげで、様々な療法家さんの発信をみることができます。

そのなかである程度の期間継続して、ご自身の想いを発信されているかたにまず、氣は惹きつけられます。

そして、ご自身の人生もある程度開示されていることで、その物語に自分の氣が乗るかどうか・・を判断していると思います。

氣がのるか?氣が動くか?

私のおおきな判断基準です。

今回のヒプノセラピストの起美代さんとの出会いは、ヒプノセラピストになられる前の鍼灸師さんとしてのInstagramの発信でした。

その時には拝見しているだけで、なにも交流はなく、noteを始められたタイミングで、あ!あの神戸の鍼灸師さんだ!と再発見し、その中で、ヒプノセラピストになっていかれる過程も臨場感をもってみせていただいていたのです。

セラピストとの相性

西洋医学の医師とでさえ、氣が合う先生でないと通院する氣がしない私ですから、当然、身体療法家、心理療法家とは氣が合わないとなんの効果もないと思っています。

その点で、起美代さんとは氣が合う予感がしていました。

氣の合い方にも色々あって、気難しくて、たとえば100人に1人しか気の合う人がいないけれども、合えば一生の友としてとことん付き合うタイプの人がいれば、誰とでも気安く仲良くできるけど、等距離で深さを好まないタイプもいて、そのグラデーションは様々です。

わたしは、自分はわりと外交的で誰とでも仲良くするタイプであると自己認識をしていたのですが、ある程度の深さまでつきあえる人というのは、ごく少数なので、わりと気難しいタイプなんだと思います。

心理療法は、自分のなかに深く潜っていく行為だと思っているので、氣の合う療法家さんでないと、セラピーにはなりえないと思っていました。

ベテランでなくてもいいけど、あまり世代的にかけ離れていると難しいかな?とも思っていました。

結果的には、起美代さんは私よりは少し下の世代ではありましたが、年齢はあまり意識しませんでした。

そして、はじめてお目にかかったのに、はじめての氣がしませんでした。

それは、セラピーをすすめて頂くにあたって、とても有利に働きました。

ヒプノセラピーはセラピストの誘導によって、催眠状態に入ります。

催眠といっても、もちろん意識ははっきりとあるし、セラピーの間におこったことはすべて覚えています。

でも、日常の自分からは離れて、魂が少し浮遊している感じ、トランス状態で意識と無意識を自由に行き来しているような感じがします。

それは、心理的安全をしっかり確保してくださるセラピストでないと、怖くてとてもいけないだろうと思わせられるような境地です。

私が学んでいるウェルビーイングコーチングでも、心理的安全性ということは常に意識していますが、クライアントの宙ぶらりんさというのは、比較にならないので、よほどの絶対的信頼関係がお互いにないとできないだろうと思いました。

起美代さんは、その点で、私にとって、初見でも全幅の信頼がおける、手放しで身を任せられる・・と思えるセラピストでした。

それは、インスタやnoteの発信で知った、彼女の善性が本物であるだろうという、なんの根拠もない信頼です。

たとえば、フィギュアスケートのペア競技でリフトやジャンプをするときに、パートナーが絶対に受け止めてくれるという信頼がないとできないと思いますが、私がどんな変な飛び方をしても受け止めてくださるだろうという信頼。

それがないと、こわくてセラピーの中に自分を放つ、自分を離れることはできないと思います。

かといって、リアルな自分を知っている人のセラピーというのも少し難しい。

私の知り合いの中には、ヒプノセラピーを学んでいる方がいらっしゃいますが、とても素敵な女性なんだけれども、なにが私からでてくるかわからないので、ちょっとその方にお願いするのは難しいな・・という感じがありました。

そういういろんな意味で、ヒプノセラピストの起美代さんにお出会いできたことは、本当に幸せなことでした。

ヒプノセラピーを受けてみたい方がいらしたら、是非起美代さんに…と私は思いますが、そうではなく、是非ご自分に合ったヒプノセラピストをお探しください・・というのが正解だと思います。

誰から受けるかはとてもとても大切です。

オンライン?リアル?

起美代さんはオンラインでもセラピーを提供されています。

力のあるセラピストさんなので、きっと問題なくセラピーとして成立するのだと思います。

でも私は、はりきゅうこころ間さんの空間で受けた体験がとても心地よかったので、リアルを強くお勧めします。

ヒプノセラピーとは、自分への旅です。

時空を超えて、旅をするのです。

セラピールームはそのために心をこめて整えられた空間です。

そこへの往復も、旅の途上です。

私は起美代さんがもし東京や鎌倉に引っ越されたら、オンラインで受けずに泊りがけでお伺いすることを楽しみにするでしょう。

日本のどこにいても、世界のどこであっても、魂は自由に行き来するでしょうが、身体がセラピストと一緒にある安心感が、より高く遠くに魂を浮遊させられる気がしました。

なので、青森からであっても、アテネからであっても、神戸へのヒプノセラピーの旅というのは、とても豊かなデスティネーションとなるのではないでしょうか。

またすっかり長くなってしまいました。

次回こそはヒプノセラピーの症例として、自分自身の体験を、そのときなにがおこっていたのかを掲出したいと思います。


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 ならまち月燈/こころとからだをつなぐあかり
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