養生の指圧②
掌圧と指圧
指圧は拇指圧か?
指圧において、拇指圧には大きな役割があり、イメージにおいても
指圧=拇指圧
ということが一般的に世間に一番流布しているであろうことは以前述べました。実際には親指以外の四指圧も使いますが、私の臨床上の経験からいっても拇指圧は特別です。
そして一方で、関西伝統指圧では掌圧をとても大切なものと教わりました。
伏臥位の掌圧に始まり、掌圧に終わるのが関西伝統指圧です。
掌圧はいうまでもなく手掌圧ですが、似た言葉に手根圧があります。
手根圧もまた文字通り、手の根の部分、手首に繋がる、手の生え際というとおかしいかもしれませんが、腕を辿って、ここから手首、そして手になりますよ…という部分です。
一字違いであるし、同じ手なんだけれども手掌圧と手根圧は、以て非なるものです。
手掌は俗に手の平ともいいますが、掌という字はたなごころとも読み、
合掌、掌握などの言葉であらわされるように、なにかを内包している感じ、ピンと指の先まで伸ばすよりは、なんとなく力を抜いて優しい曲線を描いているイメージです。
実は、フリー素材で上の画像を検索してみて、このイメージに合う手掌の写真が本当に少なくて、感じいるものがありました。
指圧や、マッサージをしている画像というのは、例外なく手掌に緊張感があります。目的があり、その目的を果たすための手段としての手掌ですから、それは当然のものであると思います。
でも、私が思う掌圧にふさわしい手掌というのは、邪のない手掌です。
合掌するとき、祈るとき、手掌を合わせるそのときの掌。
大切なものにそっと触れるとき、手掌には邪がなくなります。
たくさんの手掌の画像を見ていて思ったのですが、赤ちゃんやこども、犬や猫と一緒に写っている手掌は例外なく優しい、触れられたくなる手掌です。
緊張のない柔らかい、たぶん温かいであろう手掌。こんな手掌で掌圧をされたら、さぞ深く温かく柔らかく浸透するであろうと、画像でみているだけなのに、身体が深く同期して共鳴し、安らぎます。
指圧や掌圧をする際に、まず手掌が大切であるということを、あまり学校で教わった記憶はありません。それは当たり前だから語られなかったのでしょうか。
手掌は雄弁です。交感神経が優位のままだと、緊張して硬くなるし、冷たくなるし、手汗をかきます。鍼灸や手技の実技試験の時に、いくらカイロで温めても手が温かくならず、緊張のあまり手汗びっしょりで、お灸のもぐさがモロモロになってまとまらない…なんて経験をされた方も鍼灸師にはおおいのではないでしょうか。
拇指に関しては、立指か寝指かというようなことはありますが、あまり誰かの特徴的な拇指や、拇指の状態を覚えてはいません。
でも手掌に関しては、なんとなくクラスメイトの人となりとともに、今思い起こしてみても覚えているものです。
分厚くて温かくて、触れるだけで安らぐようなうらやましい手掌の持ち主はもちろん天賦の道具を持っている恵まれた人です。でも、その方に施術してもらうのが一番かというとそうでもないのが面白いものです。
そこに、氣が細やかとか氣が粗いとか、几帳面とか大雑把とか、いろいろな要素がのってくるのです。氣の陰陽でいうと、陰の氣が多すぎても陽の氣が多すぎても、ピタッとこない。
もちろん、こちらの状態や相性が濃厚に反映されますから、誰もが選ぶナンバー1はないということになります。
それは、学校教育内、実技試験で測定される指圧の上手下手とはまた別次元の話です。
関西伝統指圧の実技試験では、伏臥位での掌圧と拇指圧がメインだったと記憶していますが、授業では、物理的押圧の効果と、施術者と被術者と感応道交しての押圧の効果を、吉岡先生はわけてお話下さっていたように思います。
特に拇指圧に頼ることは、圧が表面的で深部まで達しないので、患者さんは不快で疲労感が大きくなると、よく戒めておられました。
腹部按圧
対して再びの増永師です。
増永師が、腹部治療を大切にされていたことはよく知られていたことです。
あん摩マッサージ指圧の教科書にも載る、太田晋斎「按腹図解」を源流とする、腹部施術こそ指圧の極意であることは、師の様々な説に繰り返し出てきます。
外来のカイロなどを学んだ一派などは、脊柱、背部中心であったという一文があり、関西伝統指圧も、この流れではなかったかと思います。
もし浪越学園の関係者の方がいらして、氣を悪くされるようなことがあれば御寛恕願いたいのですが、増永師は浪越学園から袂を分かって、経絡指圧を確立した方であるので、批判的な論評は、著書の中に少なからずあります。
圧点を一定の形式化したものにし、どんな患者さんにも同じように施術する方法は、指圧の習得を素人にも容易なものとして、ある程度の効果をあげて普及するには役に立ったと認めていらっしゃいますし、その教本には語られない、浪越徳治郎先生本人の指圧についてはまた別格のものであったことも認められていたと思います。
私自身、浪越指圧治療センターで、院長先生の施術を受けたこともありますし、浪越孝先生の施術も受けました。
どちらも形式ばらない、素晴らしい施術であったことは間違いありません。
腹部の按圧やバイブレーションも心地よく受けました。
なので40年以上前に書かれたこの文章とは、浪越指圧自体が変化し、改善されることによって、乖離がある可能性は充分あるのですが、本当に拇指圧だけですべてを施術されるのだなぁということは大きな驚きでした。
そして術をしっかりと極めないと、増永師が点圧と書かれたような感触に陥る可能性が十分あるなぁという感じを受けました。
点圧という言葉で思い出すのは、以前、少し指圧を教えていた生徒さんの履歴書に書かれていた資格でした。つぼ押し士、つぼトレーナーと書かれてあり、伺ってみると通信教育で取れるのだということ。彼女は、リラクゼーションでの再就職を考えており、その時に有利な資格取得を、コロナ自粛中に思いたって取ったのだということでした。
テキストを見せてもらうと、東洋医学的な経絡や経穴の知識、英国式リフレクソロジーの反射区や、台湾式足つぼの知識、色々と網羅してあります。
彼女がもともといた大手のリラクゼーションチェーンの施術も、浪越式のメソッドが濃厚に入っているように、私は受けてみて感じました。
彼女はとても勉強熱心な生徒さんで、東洋医学の参考書や、経絡経穴の本をよく読み、頭痛に効くツボとか、生理痛に効くツボとか、著者によって違うことを指摘して、なぜ違うのか、本当はどこなのかをよく私に質問してくれました。
彼女はまさに点圧の人でした。
当時、指圧と、オイルマッサージとを私ともう一人の先生とでお教えしていたのですが、一点ここという点を押圧するのがとても上手で、本人もそこに自信もあり、そこを磨きたいと思っているように見えました。
オイルマッサージのように、面でとらえ、面で押しながら流すことは苦手なのです。
ごく短い期間のことでしたので、結局、掌圧はお伝え出来ませんでした。
たぶん、ツボを押すということに、彼女はやりがいを見つけ、再就職先でそれを存分に生かしてくれていると思います。
でも、私の中でそれは指圧ではないのです。
とてもじゃないけど、私は指圧を教えましたなんて言えない。
いちど、掲げようとした指圧を教えますという看板は早々に下しました。
私は、なにを指圧と思っているのでしょう。
たとえば、その彼女に私は施術の練習台としてでもおなかをみせることにはためらいがあったでしょう。技術が未熟であるとか、そういう問題ではないのです。
おなかをみせるということ
無理やりな画像ですが、我が家の柴犬オス1才のおなかです。
柴犬はもともと番犬としての歴史を持ち、犬種の中でも警戒心が強いことが知られています。
我が家の犬も例外ではなく、まず家族以外にはおなかをみせません。
そして家族であっても、自宅以外の場所ではおなかをみせません。
最近ではよくSNSで、へそ天の犬や猫をみかけることがありますが、あれは完全に野生を失ったという言い方はよくないですが、完全にそこが安全な場所であるという確信がもてるほどに安心しているのだと思います。
どこかで、私は施術の前後で腹診をすると述べましたが、初診では触診という程度にしか触れません。
東洋医学的な、切診といえるようなおなかの触り方はしないのです。
それは、初回から警戒心をもたずにベッドに横たわる患者さんなどいないと思うからです。私がもっと熟練になれば可能でしょう。
でも、今は何十回とお通いいただいてはじめて、切診と自分で思うおなかの触れ方をします。
引用が長くなりましたが、一言一句割愛できる言葉がないのです。
経絡指圧というときの指圧は、こういう増永師の哲学、思想に裏付けられています。
拇指圧がいいのか、掌圧が正しいのかといった次元の話ではないという結論でした。
増永師の経絡指圧が禅指圧ともいわれて、海外で普及し、その弟子を自認されている遠藤喨及氏がタオ指圧と呼称される指圧は、禅のように、道教のように、果てしなくつづく修行の道に他ならないのです。