31.思いがけず、放課後。
「にょんさん、ちょっと今度の研修のことで相談したいことがあるんですけど、今日の放課後でも、時間少しもらせませんか?」
そう、同僚のAさんに声をかけられたのは、今朝のこと。
頭の中で放課後の予定を確認して、「いいですよ。」と返事をした。
放課後、会議を終えたぼくは、Aさんに声をかけた。
「Aさん、空いたんでいつでも大丈夫ですよ。」
それから少しして、職員室の後ろでお茶を飲みながら相談を受けた。
今度の校内研修の内容に関してまだ自分でもやもやしているところがあって、一緒にシミュレートしてほしい、といった内容だった。
机の上には、研修で使う予定の模造紙。
そこには、三重の同心円が描かれていて、外側から、「疑問点・気になること」「エピソード」「共通要素」と書かれている。
以前に相談を受けた時に、一緒に考えたものだった。
今回の研修では、次年度から小小統合をして、新たに始まる校内研究に向けて、まず、校内研究の目標の中に入っている「主体的」についてみんなで対話をしようということだった。
そこで、哲学対話の「本質観取」のようなことができないか、と考えた内容だった。
それぞれの「主体的」に対する問いや気になることを書き出し、そこから「主体的」であることを感じたエピソードを出し合い、そこから共通するエッセンスを取り出し、言語化する。
ただ、今回の研修だけで納得解が生み出せるまでいけるとは思えないので、ひとまず、発散を中心にして、今後一人一人が「主体的」について考えるきっかけになるフックをかけることができればいいかなあ、と2人で話した。
2人であーだこーだと話していると、通りかかった先生たちが様子を覗いてはまた去っていく。
中には、とどまって、じっとぼく達のそばで話し合いを聞いている先生もいた。
アイスブレイクをどうしようか、という話にもなった。
少し考えて、本編の活動内容を考慮し、お題に対して、「せーの」で思い浮かんだものを答えるというゲームを思いついた。
例えば、テーマが「赤いもの」であれば、グループでそれぞれ頭の中に一つ「赤いもの」を思い浮かべ、一斉に答え、その共通点や意外な違いを楽しむというもの。
「自分の当たり前が人の当たり前とは限らない」ということをゲームを通して少し意識できるのではないかという狙いがある。
今回扱うテーマでは、多かれ少なかれ、それぞれ先生の持っている教育観が表に出てくる可能性がある。
それらに対して、「それは違う」「それはない」などの反応を受けると、そのグループの中で、言われた人の心理的安全性は著しく損なわれる。
そうなると、さまざまな見方が入り混じった豊かな対話は生まれにくい。
だから、場にいるだれかの考えを正解とするのではなくて、みんなでみんなの正解をつくっていきましょうというメッセージを込めた。
夢中になって話し始めて気づけば軽く1時間が過ぎていた。
でも、話は尽きる気配がなく、でも、ゆうてもキリがないのでこの辺にしときましょうか、と2人で笑いながら、話し合いを閉じた。
顔を上げると、ぼくらが座っていた向かいに、別の先生が腰掛け、ぼくらの話し合いを見ながら、バームクーヘンを食べていた。
笑いながら、「聞いてたんですか?どうですか(今度の研修)?」とAさんが聞くと、「いいんじゃないですか。」と一言。
文字で書くと冷たい感じがするけれど、彼の人柄をわかっているぼくたちは、笑ってその一言を受け入れた。
そのぼくらの横から、「パン!」「パン!」という音がコンスタントに聞こえてくる。
音のする方へ顔を向けると、別の2人の先生が、職員室の床でめんこをしていた。
研修の話し合いをする横で、気づけばバームクーヘンを食べている同僚がいて、その横では、めんこをやっている先生が2人。
なんて職員室だ。
職員室に、同時刻に同じ場所で、同時多発的に起こる色々。
程よく、思いがけず、カオス。
そのことに笑ってしまった瞬間、自分がとてもとても幸せな職場にいるんじゃないかという気持ちが込み上げてきた。
多少の異動で、メンバーの変更はあるかもしれない。
でも、この人たちとやっていくんだ。
この人たちとつくっていくんだ、新しい学校を。
前途は多難だ。
多難すぎて、目の前に立ちはだかる壁は、ぬりかべ1000人分のビタミンCとか言いたくなる始末。
けれど、きっとそれが文化をつくるってことなんだ。
いや、文化を醸していくの方が今のぼくにはしっくりくるかな。
ぼくたちは、公立の小学校で、文化の種をつくり、醸していくことに挑んでいくんだ。
そんなことを思った。
なんの話やねん、と思われること請け合いだと思う。
自分でここまでの文章を読み返しても思うから、そりゃあそうだろう。
けれど、今、確かに、感じていることだ。
燃えてきた。
大好きなあいみょんの歌が頭の中でリフレインしている。