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21.「ついつい」をデザインする。

以前にこんな記事を書いた。

まさに、これともつながることを今朝話していて、とてもいいアイデアをもらったので、備忘録ついでに自分の考えを書いておこうと思う。

公開研究授業などで他校に行く機会があるのだが、その学校がどんな風に校舎という環境を活用しているのかというのは見ていると面白い。

中でもよく見かけるのが、階段の蹴上にラミネートしたカードを貼っている学校。
それは、1月から12月までの英単語だったり、算数の面積の公式だったり、様々だ。
様々だけれど、大体「知識」を貼っていることが多いように思う。
あくまで、ぼくの主観だから、そうじゃない学校もたくさんあるのかもしれない。

で、その蹴上に「知識」じゃなくて、問いを貼るのはどうだろう?というのが、今回のメインテーマ。

人は「問われる」とつい考えてしまう生き物である。
その性質をうまく利用する。

たとえば、「今日一日ワクワクするのはどんなことですか?」とか。
問いは、オープンクエスチョンで。
クローズドクエスチョンはパワフルだから、ときに激しいネガティブな感情を引き起こすことがあると、知り合いのプロコーチの方に教えてもらった。

少し前に東京の品川駅で「今日の仕事は楽しみですか?」とディスプレイに表示したところ、大炎上して、わずか1日で広告が取り外されてしまったことなどは、まさにその事例である。

勤務校でいうと、今年担当している6年生の教室は校舎の3階に位置する。
その3階に上るためには、かならず使わなければいけない階段がある。
その階段の最上段の蹴上に、問いを貼る。
「あなたの今日のワクワクは何ですか?」
問いは、日替わりで貼り替える。
最初にまとめて用意しておけば、そこまで貼り替えには苦労しないように思う。

問いはポジティブなものに限定する。
残りの学校生活を子どもたちに幸せな気持ちで学校生活を楽しんでほしい。

そして、これと同じことを、職員室への階段にも貼ってみるのはどうだろう。
毎朝、全職員が上る階段は決まっている。
その階段の蹴上にも同じようにポジティブなオープンクエスチョンを貼る。

問われてつい考えてしまった職員は、子どもたちは笑顔に幸せが増すのではないか、という仮説。
「考えなさい。」「答えなさい。」と強要しないさりげなさがいい。
その問いに答える義務はない。
考える義務はない。
けれど、ついつい考えてしまう。
答えようとしてしまう。

「ねば」と「たい」の絶妙な間。

「対話って大事だよね。でも対話する時間なかなか取れないよね。」
そんなことをよく聞くようになった。
僕自身もそう思う。
けれど、何かを削って、対話する場を設定したところで、疲弊し切った現場では、「なぜ、削ったところにまた新たに入れるのか?」とネガティブに受け取られることは想像に難くない。

そこで「ついつい」のデザインである。
「管理職」や「研究部長」のような属性でもって、対話の場を取り入れようとするとき、属性が邪魔をして「トップダウン」的に受け取られることがある。
そのことが「変えられる側」と「変えたい側」を生んでしまうことがある。
加えて、そこに過剰に目的を求めてしまったり、即効性のある何かを求めてしまう感覚が邪魔をして受け入れられないこともある。

蹴上に貼られた問いには、トップダウンの強制力はない。
以前の記事の中で触れたガチャガチャで買ってきた長州力の家のインターフォンも、そうである。
「〜しなさい」「〜ねばならない」という変えられると感じてしまうような不安や強制力はない。
ただ、さりげなくそこに「ある」。
それだけ。
でも、実はそれだけのことであることの影響力は思っている以上に大きいのではないだろうか。

その「ついつい」のデザインが生み出す雑談や対話のきっかけが、今、学校現場には必要なのではないだろうか。
「ついつい」という時、そこには、自分の外側へのネガティブな眼差しは影をひそめ、ただただ、その場を面白がるということに向かっていく。

その結果として生まれる関係性だったり、対話だったり、そうしたものから案外学校組織は変わっていくのかもしれない。
そんなことを思った。

とりあえず、週明けに階段の蹴上に一つ問いを貼ってみよう。

「あなたの今日一日の中で、ワクワクすることは何ですか?」

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