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よく死ぬ=よく生きる

料理イベントを企画し、瀬戸内に浮かぶ豊島(てしま)を訪れた。


瀬戸内国際芸術祭2022の年にオープンした、立派な厨房を兼ね備えた宿泊施設・豊島エスポワールパーク。奇しくも僕自身も同じ年にキッチンカー事業を始め、ひょんなご縁がきっかけでこの施設のオープニングに花を添えることができ、そこから毎年何かしら企画をし豊島を訪れ続けることができている。


今回は『祇園のママが、島に来る!』をテーマに、知り合いの京都祇園のおばんざいママを島にお連れし、コラボすることができた。夜の部。定員30名。島外の方約15名・島民の方約15名。結果的にちょうどよいバランスとなったのも奇跡。

施設のスタッフ、祇園のママ、あらゆるところから来られたお客さん(中には北海道からも)。僕が見たかった交流がそこにあった時の喜びはひとしお。しばらくはあの風景をしがんで酒が呑める。
今回僕は脇役・黒子でいいと思っていたから、ママを中心に場が盛り上がってくれたのは本当に願ったり叶ったり。


結婚もしていないし子供もいない私だが、35超えたあたりからだろうか。ぼんやりとでも『残せるものは何か』を考えるようになった。
今回それぞれの人が「初めまして」なのに、なぜか最近同じようなことを考えていたり、同じような文脈で自然と会話が弾んだり、そんなことがあちこちで起きた。僕はそれらをすべて「きっと前世で会ってますよ。もはや『ひさしぶり~!元気してた!?』ってね」と茶化した。


もう出逢ってしまえば、その出逢いはその人たちのもん。好きにしてくれたらいい。

でも中には「あの時、あなたがいた、あの場所で、ガチャガチャと私とあの人を繋いでくれたんですよ。そっからずっと仲良くしてて…」と言われるとそんなことすっかり忘れていたのに急にうれしくなる。そして一言「それならよかった!」と。


僕がいまここでスッと消えたとしよう。それでもその仲は残る。そんときはよく死ねたもんだと思うだろうし、そして同時に、よく生きたもんだと思うだろう。なんなら僕の葬儀のときに「ああ、久しぶり。元気してた?」と仲間内で話してほしいのが僕の勝手な理想郷。


帰路につく日、何気に初めて豊島横尾館(横尾忠則氏の展示館)を訪れた。
あまり事前情報を知らずに行ったが、その展示館のテーマは『生と死』。横尾氏と交流のあるベネッセ名誉会長の『葬館(葬儀を出す館)』をテーマにしたとのこと。

瀬戸内を芸術の島々にしたベネッセという会社の理念は『よく生きる』。横尾氏によってアイロニックに描かれた死は、逆によく生きることを伝えようとしている。


来年は瀬戸内国際芸術祭2025。このままパンデミックや大災害が起きなければ、盛大に執り行われることだろうし、そう願う。


またみんなで集いたい。新メンバーがいたっていい。

いろんな話の続きをしましょう。

クスっと笑えたら100円!(笑)そんなおみくじみたいな言霊を発信していけたらと思っています。サポートいつでもお待ちしております。