【エッセイ】「誰の何のため?」は芸術家の第一歩

雑誌をパラパラと読んでいたら、ある人のショートエッセイが目にとまった。
ライターを生業としている人が、ライター志望の人の投稿に対して「迷いがありますね、きっと『このまま書き物を続けていてもこれは何のためになるんだろう?』と思っているに違いない。昔の自分もそうだった」と記されていた。
そして締めとして「今でも僕は迷いながら書いている。『世界平和のために文章を書いています!』なんて毛頭思っていない」と。

先日、福島県・会津へ二年ぶりくらいに蕎麦修行に行ってきた。そば師匠にも久々に会えたし、会津地方はちょうど桜の見頃。とても充実した。

たくさんの民芸品や工芸品。赤べこ、起き上がり小法師あたりは有名では。他にも白河だるまや、東北のあちこしにはこけしもある。
気に入ったものはもちろん買うけど、ふと「こうした"実用的"でないものって、なんのためにあるんだろう?」と思った。

勿論、民芸品にはそれぞれ込められた「願い」がある。子供にすくすく育って欲しいとか。

でもそれを作ってる人の中にも、もしかしたら、「これは誰の何のために作っているんだろう?」と迷っている人もいると思う。

僕の行っている「そばを打つ」という行為は、「食べ物を作る」という行為なので、「食欲を満たす」という人間の最低欲求に、ある意味でドストライクにはまる行為。そういった観点では、生きてく上で必要な行為として「なんのために?」と思うことはあまりない。

だけど今回も会津の好きな陶器屋さんに寄らせてもらい、蕎麦用(本当に蕎麦以外に使い道のあまりないような・笑)の器を数店買わせてもらったけど、このマニアック過ぎる器だって「誰の何のために?」と思ってしまえば、その通りである。(蕎麦用ではあるけれど…)

もちろん僕はその器に惚れ込み、初めて蕎麦修行に来たときにたまたま見つけ、その後、無理を承知で「色違い」まで作家さんに作ってもらった。実際に僕のやってるポップアップのお店で愛用している。

今回も追加で注文してきた。えらそうに使っている身として「ここを薄くしてほしい」とか「高さはこれぐらいで」とお願いしてきた。まだ若い作家さんは「わかりました、なるべくご希望に添えるよう努めて参ります」といつでも謙虚に聞いてくださる。大変有難い。

「本当にこの器は『発明』だと思っています!いろんな器屋を見て回ってますが、いまだに他で見たことがありません!パクられないように『特許』でも取っておいたほうがいいんじゃないですか?あ、有名になっても、僕にだけはこのままの値段で作ってくださいね!」と嘆願してきた。まったくよくしゃべる料理人である(笑)

僕は芸術の「作り手」ではないけど、こうして好きな芸術に囲まれて生きていくことは本当に文化的で満たされる。

蕎麦なんてプラスチックのタッパーに入れて提供すりゃいいのに。中身は一緒なんだから。お金をかけてまで専用の器を買うなんて誰の何のために…

でもそれって『迷うほどにこだわり始めている』と言えるのでは。

少しづつでもこだわりを持ち、時に迷い、このまま死んでいきたい。

こういう生き様って、とても芸術家っぽい?

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吉本悠佑のイツスモ~it'sasmallworld~
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