大人になってしまいました。
僕は大学を卒業し、社会人としての人生を歩み始めることになる。
『学生』、『若者』。そんな錦の御旗を掲げ、あらゆる決断や責任を躱しながら『大人』と『子供』の間をぼんやりと漂う。………そんないい加減な生活態度を、否が応でも改めなくてはならない年に、僕もなってしまったのである。
大学入学前からあらゆる意味で『不完全』な僕であったが、まさかこの4年間でその『不完全さ』を解消するどころか、増幅させてしまうとは思ってもいなかった。
まぁ、増幅とは言ったものの、実際は今まで隠れていた部分にも光が当たっただけのことだろう。浮き彫りになったこの不完全な部分を補い、取り繕うことが、僕の今後の人生の指標になるのかもしれない。しかし、思い返してみると大学入学の時も同じような心意気を抱いていた気もする。
となると、僕は一生この不完全さと付き合っていくことになるのだろうか。ただ一つ、今までと決定的に違うことは、社会人は『モラトリアム』や『自分探し』なんていう便利な言葉であらゆる追及を躱すことなど許されない、という点だ。
少し…否、かなり惜しい。
だいたい、人生100年時代になろうというのに、たった20年で残りの80年分の決断を求めるなんて酷な話ではないか。良い加減………
《割愛》
聞いたところによると、社会というのは異常なまでに他人本位な上、自己責任を押し付けてくるものらしい。これは伝聞に推測を重ねた末に導き出した僕なりの社会像であるが、なかなか核心をついていると思う。
手元にある、たった数十平方センチメートルの液晶を指で軽くなぞるだけで際限なく湧き出て来る苦悩の訴えの数々が、何よりの証拠だろう。
今日もまた、暗い言葉がトレンドにあがっているではないか。
僕もいずれ、こうなってしまうのだろうか。既に不満に支配されていのに。これ以上僕の自由を奪わないでおくれ。
《割愛》
『他人と比べてもどうしようもないですよ。』と人は言う。しかし、入試やら部活やら就活やらで、既に何回も他人と比較され、その末に振り落とされてきた僕に、そんな綺麗事が刺さるはず無い。きっと僕はこれからも、噛ませ犬の如く……
《割愛》
………と、まぁ、随分とネガティブな言葉を連ねてしまった。そのお陰か、何か決心(諦念とも言うか?)がついたような心持ちだ。我ながら単純。
今後、本当に何もかもが嫌になった時に旅に出る用の金を溜めながら生きてこうと思う。
そんな日、来ない方が良いのだが、それが少し楽しみでもある。